ネット紙芝居「千葉の御浜下り」

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  • Опубликовано: 10 фев 2025
  • 千葉市地域文化財 「寒川の御浜下り」の由来についての紙芝居です
    2023年12月9日 千葉市立寒川小学校 創立150周年記念 地域開放デーで上演。
    企画:千葉市海まつり協議会 製作・上演:NPO法人Drops  
    ※千葉市中央区地域活性化支援事業「みんなで創る中央区づくり」助成金
     日本には、「はまおり」「はまで」「しおふみ」など、神輿が海や水辺に向かう神事が各地に伝わっています。関東から福島県にかけての太平洋沿岸に集中し、なかでも千葉県は、その宝庫です。その共通の背景に「海による浄化・再生」があるのではないかと学術的に指摘されています。海には古くから、浄化や再生の力があると信じられてきました。神も人も、一年を過ごしていくうちに、知らず知らずにエネルギーが衰えていくと考えられていました。エネルギーの衰え=「気枯れ」は「穢れ」とされましたが、海に入ることで浄化され、またエネルギーを満たして再生するとされています。
     こうした、共通の背景とは別に、各地方にはそれぞれの由来に関わる伝承が伝えられています。
     例えば、寒川では、「以前、寒川村は妙見様(現千葉神社)の氏子として千葉町と一体で妙見様の祭礼に奉仕し、御浜下りを担当していた。しかし、寒川に神輿を渡すと海に入れて傷むため、千葉町側から『もう海には入れないでくれ』と言われた。そのとき、寒川村の氏子の代表が、御浜下りの由来として『妙見様が盗まれて田んぼの中に隠された後に、それを掘り出して海で洗ったのが御浜下りの始まりなので、海に入れないと意味がない』と語った」と伝えれています。
     なお、大治元年(1126年:妙見大祭が始まる前年)の出来事として、「(現千葉神社の地に新たなお宮を造営して妙見様を祀るより前)、千葉寺の御宮(現瀧蔵神社)に祀られていた妙見様が盗み出されて池田の田の中(妙見田:現県立中央図書館前あたり)に埋められたが、お告げによって掘り出され、千葉氏の館に移した」という伝承が「妙見大縁起絵巻」に収録されています。「海による浄化と再生」という背景を「埋められた妙見様を海で洗ったら(浄化)、また霊験があらたかになった(再生)」という説話によってわかりやすく伝えたものとも考えられます。
     さらに別の伝承として、治承四年(1180年)九月六日、源頼朝に味方することを決断して出兵した千葉常胤の留守を狙って敵が千葉に攻め寄せた時、孫の成胤がわずか七騎で千騎の敵に追い詰められたが、空から舞い降りた妙見様の加護によって敵の大将・藤原親政を生け捕りにできたと「妙見大縁起絵巻」に描かれ、鎌倉幕府の正式記録である「吾妻鏡」にも「藤原親政を捕縛した」ことが記されています。
     これについて、寒川では、「(当時は結城浦と呼ばれていた)向寒川(現神明町付近)は湿地で、馬の脚が立たないぬかるみの道だったので、その付近の住民がそこに敵を誘きよせて、敵を捕らえるなどの貢献をした。」と伝えれています。これも、「海による浄化と再生」という背景を「海に神が現れた」という説話によって補完して伝えたものとも考えられます。
     御浜下りに先立つ8月15日に、神官が海中に手を入れて最初に触れたものを持ち帰って神輿の中に納めたり、漁で亀(※妙見様は玄武という亀に乗る姿で知れていている)が網にかかると、酒を飲ませて海に返していたなどの習俗も、この背景によるものと思われます。
     これらの伝承は、家庭内で、親から子、子から孫へと伝承されていきましたが、現代では家庭での伝承はなされなくなりました。この動画は、学校で学習する「歴史」とは別に、この地域の次世代を担う子供達に、地域として、地域伝承を語り継いでいこうという試みによって制作したものです。

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