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遊女の食事って、意外と素朴なものばかりですね。これは身体がボロボロになる。
ところがこの食事は水呑百姓のそれに較べればなんぼかましだという…
素朴と粗末とは全く意味の違う言葉だが・・・
あくまでこの遊郭のこの女性の食事でしか無いこれが遊女の食事とするのは無理がある食事どうこうより梅毒とかで平均寿命は22歳程度だし
小さな神社や祠などに、「来世こそは幸せになれますように」と一生懸命に願っている遊女の姿が思い浮かぶ。男達の欲望と偽りの愛を受け、時には信じ、時には裏切られた彼女達の人生の無情を想像すると心が痛む。
「最中の月」は餡ころ餅ではなく、水で練った餅米を蒸して、薄く延ばして焼き砂糖や蜜をかけたものです。中秋の名月を謳った和歌である、「水の面に照る月なみを数ふれば、今宵ぞ秋の最中なりける」・・・つまり水面に映った中秋の満月を由来にしていて、「竹村は星の座敷へ月を出し」と歌留多に詠まれるほど大ヒットしたそうです。竹村伊勢は後に、この薄皮に餡を挟んだ「最中饅頭」を考案し、これが現在の最中のルーツになっています。なんとも風流な、洒落たネーミングですね。
先生こんばんは。吉原の遊女さんの食事、全く栄養が足りてない事に悲しくなりました。体力勝負のお仕事なのに。貴重なお話の配信ありがとうございました!
栄養学がほぼ知られていなかったから、栄養取らせた方が顔も体もいい女になるってのも分からないので悪循環だったんだろうな
遊女もランクが上の方だと、金持ちにご馳走を食べさせてもらったり出前みたいに店から持ってきてもらって良いものを食べたらしいですね
割と稼いでいた遊女さんが病気になり、その後治りそうもないので医者に連れてゆくと言って戸板に乗せそのまま川に捨てたり、同じく病気で休んでいた遊女さんが小鍋で食事を作って食べようとしてたというだけで折檻して死なせたりといった話が結構残っています。当時の遊郭関係者が蔑まれたのも納得ですね。
しかもろくに墓に埋葬もしなかったのか、今でも遊女の骨が出る事もあるらしい瀬戸内の島の話を聞いた事があります。
@@jt521bc7 すみません、詳しく教えていただけませんか?どの本かやどう検索すればよろしいかなどお願いします🙇♀️
@@ゆは-j3x 測量関係の仕事してた友人に聞いた話しで、御手洗へ仕事で測量に行った時に時々遺骨がでるので見つけたら言ってねと、先輩にそう言われたそうです。
補足です。正解には昔の無縁仏の墓(文字とか彫ってない)が埋もれてる場合があるそうでそれが、時々出てくるらしいです。
@@jt521bc7 補足まで付けて頂き、貴重なお話ありがとうございました🙇♀️友人の方の実体験だったのですね。ちょっとした疑問ですが、遺骨が見つかった場合どうされるかお聞きしていたら教えてください。
仁がペニシリンを死に物狂いで作ろうとした理由がわかる
売られたとはいえこの食事は辛い。もっと腹一杯食べさせてあげたい。
三つ葉の根の炒り付けって三つ葉根のキンピラの事かな?子供の頃良く食べてました
甘露梅はうちでばーちゃんが良く作っていて、私も作り方を教えてもらって毎年庭の梅で作っています。じーちゃんが浅草出身の金持ちボンボンだったので、もしかしたら今でもあの辺出身のご年配の方には伝わっているかもしれませんね。
飽食の時代に生まれたことに感謝しかねぇ
水揚げの際のご祝儀として、水揚げを担当した店の太客(どこかしらの商家の隠居や大旦那)から菓子や食事が振舞われたりご新造さんの場合禿時代からの姉さん女郎や姉さんについていた馴染み客から席を貰えたり姉さん女郎や太夫等の身請けや年季明けがあれば、そこからのご祝儀でお菓子や食事が配られたり、見習いとして宴席に侍る際余った食事が回ってくる。どこかの羽振りがいい商家の旦那や大名クラスの武士が遊びに来て、遊女だけではなく借り切った遊郭全部に食事をふるまう。昔読んだ遊郭の本には他にも遊郭独特の振舞い事があった気がするのですが、いずれも決して頻繁ではなくやはり一般遊女の普段の食事は質素を通り越して極貧。いずれも遊郭の女たちに振舞うものは消え物である食事やお菓子、そしてごく一部の遊女以外は常にこっちの方が切実に必要だったという事なんですよね…🤢遊郭の格子窓越しに流しの総菜屋さんを呼んだり、安く買えるスイカを食べたり、下男にお豆腐をお使いにやらせる話があった気がしますが、だいぶ頑張って稼いだ極たまの贅沢というところでしょうか。
他に無い大変貴重な動画でした。速さを遅くしてじっくり拝見&拝聴させて貰いました。コメント欄のみなさんのコメントも大変興味深く頷きながら見ています。
遊女自身の食事だなんて、ちゃんと記録が残っていたんですね。それにしても体がまだ成長期なのに、これほどひどい粗食とは予想外。性病以前に極端な短命も無理ないですね…。
当時はワクチンも治療薬もないし、栄養失調で病気への免疫力も抵抗力も低くて、性病や結核などの感染病や、妊娠した場合の堕胎の処置が悪くて、若死にする遊女も多かったんでしょうね。貧しい農民の娘が親に売られ、嫌々、男の相手をさせられた挙げ句に、過労死や病死するのは、ホントにひどい話です。
@@recheyuzu4263 遊女と違って自ら進んで仕事してる人間ばっかなのに草
@あなたのゴミ箱 上の奴編集して逃げやがった だから編集済みついてるだろ??
@あなたのゴミ箱 それならよかった
@@KarlMarx123 返信せずに編集するの、クソどうでもいいけどなんかずるいよな。
昔のテレビの時代劇で、遊女が茶碗の白飯🍚に沢庵、お茶をかけて食べるシーンを見て当時は可哀想だと、感じましたが。事実はもっと悲惨でしたね。
食べられるだけましって事なんだな。
干葉って大根の茎葉を干したものですね。味噌汁に入れたり雑炊に入れたりしてかなり古くから食べられていたようですね!
締めの言葉が胸に来ますね。
主さんが参考にしたであろう画像を見てきたけど、初日の朝食に「くさった香々で茶漬け」って書いてあって絶句してしまった…。
まさに行きは天国帰りは地獄だな……(行きは茶碗いっぱいの白いおまんまが食えると言われるが帰りは身も心もボロボロ。家族に会えりゃいい方やし口減らしの為に売ったから帰ってくんなとかもある。あとは汚らわしいという侮蔑もあったらしいし)
食べずが続いた後のお客さんから内緒で食べ物を貰うってのがよくわからないけどこれは正式に食べさせてもらおうとしたら店のサービスの一環として高い料金を取らなきゃいけないルールってことなのかな?「お金は出せないけど目に見えて飢えてるのが可哀想だからお店には内緒ね」と
𠮷原遊郭の掟で遊女は座敷で酒は飲めるが食べてはならぬとあります それで内緒だと書いたのでしょう。客への突き出しは酢貝が𠮷原の決まりで余り物が女郎の朝飯になったのでしょう。この動画内容は概ね事実で江戸悪書の記述と同じです。
売れない遊女は痩せ細り、見た目が質素になる事でますます売れなくなる。逆に売れる遊女はたくさん栄養が摂れ、店からも扱いがよくなり肥るので更に売れる。吉原遊郭で学ぶインフレーションとデフレーション。
遊郭の待遇も時代によって異なったらしいね。待遇が良い時代もあったらしい。
初期は確か武家御用達の高級キャバクラだったらしいぬ後期になって町人相手が主流になってこんな感じに民営化の末路といった感じ
もうちょっとマトモな物を食べてると思ってました!これは想像以上に酷い😭
女衒が子供たちを連れて行くときに「これから毎日白いまんまが食えるぞ、泣くんじゃない」と慰めて連れて帰ったという話もあるんですけどね。
霊夢さんの自己紹介の前のパワーワードがすごい好きです♥️
ミツバの根の煎りつけはお浸しにした残りの茎の最下部と根っこを甘辛く煮つけたものだと思います。浅草育ちの父に幼少の頃、卵の先端に穴をあけて醤油を垂らしてすすることを教えてもらいました。今から考えると貧しい食事ですが、バブル以前の日本人の日常食はさしてかわらない気もします。戦後の食糧難はこんなものではなかったでしょうし
食べなかった2日間は女郎仲間と喧嘩でもして折檻部屋に入れられてたのかと邪推してしまいました...
とても勉強になりました。当時の人たちの食事はこんなもんだったんでしょうね。あと、2回ぽちっと押しておきました。
長崎の丸山遊廓とかも異界ね~🎵吉原遊廓のランク、大間垣(一流店)、青暖簾(場末)。店によって、遊女の待遇は異なる。
香々(こうこう)は、たくあん漬の事だと思います。たくあん漬を こうこう(こうこ)と呼ぶ地域があります。
野沢菜とかの漬物全般を香々と呼ぶ地域もありますよ。ちなみに関西ではありません。
死んだばあちゃんは「おここ」って呼んで居た。
@@at-pw6tt 亡くなった祖父母が、漬け物の事を、御こうこうと言っていました。関東です。
遠州です。
漬物=香の物ともいうので、そこから来たのではないでしょうか?
江戸時代後期に書かれた「世事見聞録」(文化13年)1817年に、「越中、越後、出羽辺りの娘が3~5両で多く売られている」とある。吉原では、女衒を通じて買い取った10歳前後の女の子を遊女としての訓練した。短命なのは劣悪な環境と性病(梅毒が多かった)と栄養失調だろうね。
漬物を乗せただけのご飯と聞いて、千と千尋の神隠しが浮かびました
あれはお米いっぱいだから…
もっと知りたい人は「春駒日記」や「光明に芽ぐむ日」を読んでみてください。(但し内容が重い+言葉遣いが古いでかなり苦戦しました)
春駒日記今読んでるよー大正期だからこの動画とはちょっと時代違うけど
甘露梅…梅に紫蘇を巻いたものなら青森で普通に見かけます。普通の梅干しより酸っぱいです。あと梅の代わりに杏を紫蘇で巻いたものもあってそちらは甘く食べやすくて、子供のころよく食べてました。杏のはけっこういいお値段のお茶請け菓子で売っているものもあるはずです。
以前働いていたところの社長の親が丁稚奉公していた頃は腐った残飯しか貰えなかったって言ってましたね 経営方針にもそれが反映されていましたけどw
カイジの食事シーンが豪勢に思える
『インプリント ぼっけえ、きょうてえ』っていうホラー映画で動画に出てきたような食事シーンが少しだけあるけど、本当ご飯毎日食べれるだけで幸せだ
ぼっけえきょうてえの原作者、西原理恵子と仲良しの方ですよね…西原理恵子好きです
梅の紫蘇巻き?食べた事があります。甘酸っぱく、とても美味しかったのを覚えています。★追記…確か、東北地方の食べ物だったと思います。父の務め先に東北出身の方がいらして、その方から頂いた様です。売っているお店が違うのかなんなのか、同じ物を(に見えました。適当な人間😆)食べた事もあるのですが、父が頂いて来た品と味が全く違って申し訳ないけれど、不味かったです😓
岩手の一関という街の銘菓に「田村の梅」というお菓子がありますが、もしかしたらこれかも…?私も梅好きなので大好物なのですが、梅餡の入った餅を砂糖漬けの赤紫蘇で巻いたお菓子なんですよね。東北や北関東には梅を使ったお菓子が結構色々あって、山形や茨城の「のし梅」なんかも美味しくて好きですv
〇初代たいめいけんオーナーの著述本で、みつパンを届けていて、売れなくなったベテランさんから細かい注文を受けて面倒だけど姉さんだから(影響力を考えて)引き受けていた話を思い出した(「あゝ野麦峠」で雪道を女工たちを送る男性たち、遊郭で言う忘八・牛太郎が姉さん格の女工を指して「そろそろ抱いてやらないとな」と言い出す話も思い出しました)〇洲崎女郎が稲荷寿司を土産にもらって朝方、手あぶりで温めて食べていた話は、火が使えない生活・外へ出れない生活の恐ろしさを感じました(近年、橋下弁護士が顧問やっていた関西の遊郭エリアに放り込まれた女性がケータイを取り上げられ、刃物も使えず内ももをつねる自傷行為を行いながら性風俗産業に従事させられていた話と同じ環境です)〇池波正太郎の随筆に戦前おいらんに世話になって全身を洗うと風邪を引きやすいと教わったとか、外へ連れ出してデートした話とかあって悪くない感じだったんですが、投げ込み寺のこと考えると違う局面ですね
生きて苦界死して三ノ輪の浄閑寺浄閑寺の遊女の供養塔に御参りしたことがあります塚の中の骨壷が見えて何かとても悲しい気持ちになりました…
音楽が鬼かっこいいんよ
( 経済より命 ) by ドッカの知事飯を喰える幸せそれって、経済なんだよ
めちゃくちゃ興味深く面白かったです!登録しました!
凄く勉強に 成りました‼️
「三つ葉の根のいり付き」さっするに、きんぴらごぼうの三つ葉の根版ではないか?
おこうこうは(こうこう)はお漬物のことですね。我が家ではこう呼びます。父が東京出身です。こんな食事してたら完全栄養失調になるわ。たんぱく質が一つもない・・・・辛かったでしょうね・・・
ご参考までに…髙田郁さんの『みをつくし料理帖』という小説に主人公の幼馴染として遊女が登場しますが、料理絡みのシーンも幾つかあります。心太に貴重な白砂糖をかけたものを花魁たちが好んで食したとか。(八朔の雪編より)史実に忠実かどうかはわからないけど、小説としては面白いです。登場する料理を再現してるサイトもあって参考になるかも?TVドラマや映画にもなりました。北川景子さん主演のテレ朝版好き。割と小説に忠実。NHK-TV版と映画版は観てないけど
明治以降の吉原の話ですが、見世(遊郭)から娼妓に出される食事は、ご飯と味噌汁(あと、たぶん、漬物もある)だけで、ほかのおかずを食べたい場合は、別途自分で頼むという方式でした。これと同様であれば、おかずは元々なかったんではないですかね。
おかずを買うにもお金がいる…調べていないのでわからないのですが吉原内にも出入りする俸手振りがいたところを見ると、そこから安いおかずを買うか出入り業者につけといて稼いだ分から差っ引かれるか、安い食材を手に入れてごく簡単な煮炊きを自分でするかはしたのかもしれないですね。ただ、それが毎日のようにできたかどうかは疑問ですが。
@@さいたま2000-f6j 私が読んだ本は、福田利子「吉原はこんな所でございました」ちくま文庫 なのですが、見世には、おかず屋さんが出入りしており、ここから買ったそうです(87頁)。著者は、引手茶屋(吉原で遊郭に行く前にお座敷遊びをするところ)の人です。
@@ミースケ-i7o なるほど……上級遊女であればある程度自由がきいて、禿やその他世話する人が付いているので好みの物でも(ちょっと)と頼んだりできそうですが、一般やそれ以下の遊女だと自炊は無理そうですし、菓子屋や仕出しの出入り業者となると手が出せそうにないですよね。現代の水商売女性が朝方や出勤前のコンビニでお惣菜だけ買って家や職場で食べるのとこればかりは同じ……
この国の歴史は幾多数多老若男女の日本人が歩み築き上げたもので、我々の知る歴史はごく一部の表のみ。遊女に救われた者も居ただろうし、救われた遊女もいる。家族が遊女になって救われた家族があっても、心は救われただろうか…。歴史は裏が1番人間味があり時代背景がよくわかる。また、図書館で歴史書を読み漁ろうかな。
新造なので、自分の先輩のお客さんの話し相手をしていたのでしょうね。新造はまだ自分でお客を取れないので、食事も碌に貰えてなかったと考えれば辛い環境ですね。それでも自身の故郷で飢え死にするかと考えれば、まだ食事が貰えるだけマシという考えだったのでしょうね…
素晴らしい
池波正太郎先生のエッセイに、卵の少ない茶碗蒸しや豆腐か何かに削り節(鰹節)か何かを載せたものを食べた記述がありますが、やはり遊女は”生かさず殺さず”程度の扱いだったんでしょうねぇ…。
今ちょうど楼主の眉間にシャスポー銃を突き付けてたところなので助かります。
こうこう=たくわん、悪いこうこう=酸っぱい奴。
台東区の吉原って浅草千束付近…両さんの育ったあたりだよなぁ
上の花魁は客からもっといいものを食べさせてもらえていたという意見もあるだろうけど、平均寿命が恐ろしく短かったことなど考えると大多数は悲惨な暮らしをしていたんでしょうね…脚気や栄養失調に梅毒が加わるとそりゃすぐに死亡したでしょう。江戸時代は呑気な時代だったと最近再評価もされていますが、こういうむごい世界があったのも忘れちゃいけないと思う。
想像以上にえぐかった古代ローマの奴隷よりひどい
あと三つ葉は音も食べられるから、セリみたいに醤油で煎りつけて食べたんですかね?想像でしかありませんが。
かわいそうに…もし今の時代に生まれ変わっていたら、たくさん食べてほしいな。
川柳にカムロ(遊郭で働く女の子)が客のお膳を下げる時、きんとんとかカマボコとか子どもの好きそうなものをつまみ食いしてから「下げしゃんせ」って言うのがあるね
私新潟の生まれですが、地元ではたくあんのことを「こーこー」って言うのでたぶんそれかなって思いました。
幕末あたりの川柳で 生卵 北極程の 穴をあけ と言うのがあるんですが、江戸時代の庶民に北極と言う地理的な知識があったと共にこんな艶っぽい意味も含んでたんですね
それ、北極という地理的概念の事じゃなくて北極星のことですよ。毎晩北の空に浮かんで他の星のように季節で移ろったりしない北極星は古くから知られてましたし
@@fep2901 ありがとうございます 北極星って和名だったのでしょうか。子の星や北星、妙見星とは呼ばれていたそうですが。
甘露梅!アレは実に美味しい…
腐りかけなのか、酸っぱくなってきたのかどっちだったのかな、悪い香香
最中の月は見た目が赤福餅に似てますね。香々=沢庵=大根。関西では沢庵の事をこうこと言います。しかし、質素な食事ですね。
なんか落語とかのイメージで年季が明けたら食事関係の仕事をしているイメージがある
「幾世餅」とかですね。
@@大森理枝-j2r そのものズバリです😳
最中の月って【お伊勢さんの赤福】みたいと思いますね
こんだけ食事事情が悪いと胃腸が働かないから便秘も酷かったろうな
遊女の平均寿命22歳は嘘で実際は年季明けの前に死んだ遊女(しかも64人だけ)に限定して出した平均寿命であり、食事もちゃんとしたところだはそれなりのものを食べれたようでした。
嘉永2年というと、私の高祖母が生まれた年ね。
まともな飯食わせないと美容に悪いのでは?と現代人の視点で思うけど当時はどういう認識だったんだろ
栄養学?なにそれおいしいの?(江戸っ子並感)
ビタミンとか概念わかってなかったので、とりあえず生きてりゃ問題無しくらいだったと思います農民は勝手に野菜や魚食うけど、軍人とか船乗りとか、自分で食材作らない人はビタミン不足で病気なったらしいです
@@kkkk-bb6if 脚気に苦しむ人が多かったそうですね。
みつ葉の根の〜は三つ葉の炒めた?みたいなやつですかね?よく食べてましたけど
不夜城で不夜城レッドを思い浮かべてしまう私はなんなんだ
空腹は本当キツい
こんな事をしてるから遊女から反感買って火付けまでされるんだよ😮💨💦こりゃ無理よ💢
吉原で遊ぶ料金、ソープの風呂代が基本料金みたいなものか
今の特殊浴場は安ければ総額1万切る所もあるみたいだけど、吉原の場合一番下層ランクの小見世でも遊ぶのに庶民の給与一か月分くらいかかったらしい。しかもほとんどの遊女が「廻し」と言って、一晩に4~5人くらいの客を同時に相手にするから自分の所に来てくれるかは運しだい。その間に遣り手から「待ってる間に一杯どうですか?」と言われれば、頼みたくもない高い酒や肴を頼まなきゃいけない。(断ると遣り手から女に「あの客は金持ってなさそうだから後回しにしろ」と告げ口されるそうだ)そして帰りに「女が来なかったんだけど」と忘七に文句を言っても、「それが吉原でございます」と笑顔で返されて終わり。返金なし。特殊浴場の方がシステムとしては誠実なんだな。
いくら売られてきた身でもこれ程酷い食事とは食べてない日もあったとか考えられないですね栄養状態悪過ぎて病気の人多かったはずですよ今の食糧事情に感謝しないといけませんね
この新造が維新を生き抜いて20世紀まで生きていた可能性も微レ存。。。
「平均」寿命がハタチ!?唖然としました。今で例えれば高校出て2年くらいですよ。そして1週間ほとんどロクな物を食べていないですね、泣けてきます。今のお金欲しさで働いてる子に対して、自分の意志ではなくやらざるを得なかっただろうに、それでもこの扱いは本当に酷いです。
とは言え、飢饉や疫病などに見舞われた田舎の農村で暮らすよりも長生きできる可能性も大きかったんだよね。そのまま里にいたら家族全員で木のねっこを齧るような生活だったから売られたわけだし。
BGMがバックグラウンドしてないのでお二人の声が聞き取りづらいです
面白かった。
客の頼んだ台の物の食べ残しを食べてたって聞いたな。注文するのがルールだけど美味しくないから客もほとんど食べないらしい。
興味深い
「使い捨て」とかネガティブな感想を持つ人がいるけど女郎を女衒から買うのに大枚をはたいているから死なない程度には扱ったと思う。数十万円する家電を「壊れてもいいや」と扱う人はあまりいないからね。食べ物にしても農村の貧乏百姓はこれ以下の粗末な食事って事もあるだろうし、当時の状況を無視して現代基準だけで評価するのは、あまりよろしくない。
今後RUclipsが強制的に広告を張り付けるみたいなので、だったら広告を付けられてはどうでしょう?面白い動画いつも見せてもらってるし勝手につけられるなら張り付けた方が得になった方がいいかと
欲だけで出来た、悲しい世界だ。捕らわれの身、ひどい収容所、ってところか。
西欧で日本の遊女ってわりと好意的に受け入れられていたみたいなんですよね。意外ですけど。売春〇は×だけど日本の遊女は両親兄弟のために身売りしたむしろ被害者、みたいな立ち位置なのが影響していると聞いた覚えがあります。無事に年季があけても遊女やってた女性にまともな結婚相手などほぼおらず、女性がつけるような職業もなく。結局遊女屋に戻って遊女のまま人生を終わる人がほとんどだったそうです……。吉原はけして良いものではありませんでした。
甘露梅って昭和50年以降でも普通に東京で売ってるお店あったようですよ。香々というと分かりづらいけれど昭和の生まれの人に ” おこうこ ” 、 ” 香のもの ” と言うとたぶん通じます、香りづけをした漬物をそう呼んでいたようです。悪い香々というのも酸味の出た古漬けの事じゃないでしょうか…まあどっちにしろ漬かり過ぎた古漬けって発酵してエラく酸っぱくなりますのでどっちにしろ ” 悪い ” かもしれませんね^^;
小雛さん、可愛そうと云うか、哀れと云うか。それに比べれば、今は天国、の筈なんだけどそう思えないのは、何故なんだろうね・・・
湯島、品川、千住、板橋も遊郭あったはず
吉原遊廓てさ、こう言う風にもいわれてるよね、女が歩く地獄道てさ。
吉原炎上って映画のオープニングでもあったな。「吉原はふたつの顔を持つ。ひとつは男の極楽道。ひとつは女の地獄道」
@@虎色の脳細胞 風俗は女の地獄道ですが、いつの時代も殿方の方が自殺率が倍は高いのも事実なんですよね。女を地獄に叩き落とす仕事の殿方はもっと地獄だと思います。
@@花咲-z4o なんせ女郎屋の主は人が持つべき八つの徳を忘れた人でなしという意味の「忘八」との異名があったからまず地獄行きでしょう。
それでも生きて行かねばならぬ…か…
中には年期明け寸前で親が借金して自動的に延長なんてケースも有ったかも。
花魁の食事も知りたいです!
5:34から本題です。
5:34
吉原で遊んでいた人は割と被差別部落と言われる「穢多」の人が多かったらしいですね。江戸時代は「人が嫌がる仕事ほどお金になる」と言うもので、穢多の人は稼ぎが良かったそうで…現代だと人が嫌がる仕事は給与が安いので、ある意味真逆ですね。
江戸幕府は、寺にも一定の尊厳を保持させねばならないと考え、僧侶にも戒律を求めた。その一つが僧侶には、重大な戒律違反となる「女犯」寛政8(1769)年7月末。11代将軍徳川家斉の治世。寺社奉行の板倉勝政らは、吉原通いの僧侶の摘発を行った。寺社奉行による吉原に宿泊した僧侶の一斉摘発により、たった1日だけで70名以上の僧侶が摘発された。
吉原近くには穢多頭の弾左衛門と配下の居住地があったので行きやすかったのもあるでしょうな。
じょなめけ、って漫画で水揚げされてからの遊女はご飯が支給されず、客に食わせてもらうか、客が寝た後の残り物を食う、なんてあったから悪い香の物とかそういうときにくったものなのかもなあ。
要するに、お客がとれる売れっ子遊女と、人気がなかった遊女では天と地ほどにってことかなぁ。完全実力主義の世界だからまぁしょうがないとしても、もうちっとなんとか、手心というか^^;
こんな食事だと肌もぼろぼろ、痩せちゃってガリガリのはず。 女郎としての見た目の魅力が褪せていくだろ。。。
遊女の食事って、意外と素朴なものばかりですね。これは身体がボロボロになる。
ところがこの食事は水呑百姓のそれに較べればなんぼかましだという…
素朴と粗末とは全く意味の違う言葉だが・・・
あくまでこの遊郭のこの女性の食事でしか無い
これが遊女の食事とするのは無理がある
食事どうこうより梅毒とかで平均寿命は22歳程度だし
小さな神社や祠などに、「来世こそは幸せになれますように」と一生懸命に願っている遊女の姿が思い浮かぶ。
男達の欲望と偽りの愛を受け、時には信じ、時には裏切られた彼女達の人生の無情を想像すると心が痛む。
「最中の月」は餡ころ餅ではなく、水で練った餅米を蒸して、薄く延ばして焼き砂糖や蜜をかけたものです。中秋の名月を謳った和歌である、「水の面に照る月なみを数ふれば、今宵ぞ秋の最中なりける」・・・つまり水面に映った中秋の満月を由来にしていて、「竹村は星の座敷へ月を出し」と歌留多に詠まれるほど大ヒットしたそうです。竹村伊勢は後に、この薄皮に餡を挟んだ「最中饅頭」を考案し、これが現在の最中のルーツになっています。なんとも風流な、洒落たネーミングですね。
先生こんばんは。
吉原の遊女さんの食事、全く栄養が足りてない事に悲しくなりました。
体力勝負のお仕事なのに。
貴重なお話の配信ありがとうございました!
栄養学がほぼ知られていなかったから、栄養取らせた方が顔も体もいい女になるってのも分からないので悪循環だったんだろうな
遊女もランクが上の方だと、金持ちにご馳走を食べさせてもらったり
出前みたいに店から持ってきてもらって良いものを食べたらしいですね
割と稼いでいた遊女さんが病気になり、その後治りそうもないので医者に連れてゆくと言って戸板に乗せそのまま川に捨てたり、同じく病気で休んでいた遊女さんが小鍋で食事を作って食べようとしてたというだけで折檻して死なせたりといった話が結構残っています。
当時の遊郭関係者が蔑まれたのも納得ですね。
しかもろくに墓に埋葬もしなかったのか、今でも遊女の骨が出る事もあるらしい瀬戸内の島の話を聞いた事があります。
@@jt521bc7
すみません、詳しく教えていただけませんか?
どの本かやどう検索すればよろしいかなどお願いします🙇♀️
@@ゆは-j3x
測量関係の仕事してた友人に
聞いた話しで、御手洗へ仕事で測量に行った時に時々遺骨がでるので見つけたら言ってねと、先輩にそう言われたそうです。
補足です。正解には昔の無縁仏の墓(文字とか彫ってない)が
埋もれてる場合があるそうで
それが、時々出てくるらしいです。
@@jt521bc7
補足まで付けて頂き、貴重なお話ありがとうございました🙇♀️
友人の方の実体験だったのですね。
ちょっとした疑問ですが、遺骨が見つかった場合どうされるかお聞きしていたら教えてください。
仁がペニシリンを死に物狂いで作ろうとした理由がわかる
売られたとはいえこの食事は辛い。
もっと腹一杯食べさせてあげたい。
三つ葉の根の炒り付けって三つ葉根のキンピラの事かな?子供の頃良く食べてました
甘露梅はうちでばーちゃんが良く作っていて、私も作り方を教えてもらって毎年庭の梅で作っています。
じーちゃんが浅草出身の金持ちボンボンだったので、もしかしたら今でもあの辺出身のご年配の方には伝わっているかもしれませんね。
飽食の時代に生まれたことに感謝しかねぇ
水揚げの際のご祝儀として、水揚げを担当した店の太客(どこかしらの商家の隠居や大旦那)から菓子や食事が振舞われたり
ご新造さんの場合禿時代からの姉さん女郎や姉さんについていた馴染み客から席を貰えたり
姉さん女郎や太夫等の身請けや年季明けがあれば、そこからのご祝儀でお菓子や食事が配られたり、見習いとして宴席に侍る際余った食事が回ってくる。
どこかの羽振りがいい商家の旦那や大名クラスの武士が遊びに来て、遊女だけではなく借り切った遊郭全部に食事をふるまう。
昔読んだ遊郭の本には他にも遊郭独特の振舞い事があった気がするのですが、いずれも決して頻繁ではなくやはり一般遊女の普段の食事は質素を通り越して極貧。
いずれも遊郭の女たちに振舞うものは消え物である食事やお菓子、そしてごく一部の遊女以外は常にこっちの方が切実に必要だったという事なんですよね…🤢
遊郭の格子窓越しに流しの総菜屋さんを呼んだり、安く買えるスイカを食べたり、下男にお豆腐をお使いにやらせる話があった気がしますが、だいぶ頑張って稼いだ極たまの贅沢というところでしょうか。
他に無い大変貴重な動画でした。速さを遅くしてじっくり拝見&拝聴させて貰いました。
コメント欄のみなさんのコメントも大変興味深く頷きながら見ています。
遊女自身の食事だなんて、ちゃんと記録が残っていたんですね。それにしても体がまだ成長期なのに、これほどひどい粗食とは予想外。性病以前に極端な短命も無理ないですね…。
当時はワクチンも治療薬もないし、栄養失調で病気への免疫力も抵抗力も低くて、性病や結核などの感染病や、妊娠した場合の堕胎の処置が悪くて、若死にする遊女も多かったんでしょうね。貧しい農民の娘が親に売られ、嫌々、男の相手をさせられた挙げ句に、過労死や病死するのは、ホントにひどい話です。
@@recheyuzu4263 遊女と違って自ら進んで仕事してる人間ばっかなのに草
@あなたのゴミ箱 上の奴編集して逃げやがった だから編集済みついてるだろ??
@あなたのゴミ箱 それならよかった
@@KarlMarx123
返信せずに編集するの、クソどうでもいいけどなんかずるいよな。
昔のテレビの時代劇で、遊女が茶碗の白飯🍚に沢庵、お茶をかけて食べるシーンを見て当時は可哀想だと、感じましたが。
事実はもっと悲惨でしたね。
食べられるだけましって事なんだな。
干葉って大根の茎葉を干したものですね。味噌汁に入れたり雑炊に入れたりしてかなり古くから食べられていたようですね!
締めの言葉が胸に来ますね。
主さんが参考にしたであろう画像を見てきたけど、初日の朝食に
「くさった香々で茶漬け」
って書いてあって絶句してしまった…。
まさに行きは天国帰りは地獄だな……(行きは茶碗いっぱいの白いおまんまが食えると言われるが帰りは身も心もボロボロ。家族に会えりゃいい方やし口減らしの為に売ったから帰ってくんなとかもある。あとは汚らわしいという侮蔑もあったらしいし)
食べずが続いた後のお客さんから内緒で食べ物を貰うってのがよくわからないけど
これは正式に食べさせてもらおうとしたら店のサービスの一環として高い料金を取らなきゃいけないルールってことなのかな?
「お金は出せないけど目に見えて飢えてるのが可哀想だからお店には内緒ね」と
𠮷原遊郭の掟で遊女は座敷で酒は飲めるが食べてはならぬとあります それで内緒だと書いたのでしょう。客への突き出しは酢貝が𠮷原の決まりで余り物が女郎の朝飯になったのでしょう。この動画内容は概ね事実で江戸悪書の記述と同じです。
売れない遊女は痩せ細り、見た目が質素になる事でますます売れなくなる。
逆に売れる遊女はたくさん栄養が摂れ、店からも扱いがよくなり肥るので更に売れる。
吉原遊郭で学ぶインフレーションとデフレーション。
遊郭の待遇も時代によって異なったらしいね。待遇が良い時代もあったらしい。
初期は確か武家御用達の高級キャバクラだったらしいぬ
後期になって町人相手が主流になってこんな感じに
民営化の末路といった感じ
もうちょっとマトモな物を食べてると思ってました!これは想像以上に酷い😭
女衒が子供たちを連れて行くときに「これから毎日白いまんまが食えるぞ、泣くんじゃない」と慰めて連れて帰ったという話もあるんですけどね。
霊夢さんの自己紹介の前のパワーワードがすごい好きです♥️
ミツバの根の煎りつけはお浸しにした残りの茎の最下部と根っこを甘辛く煮つけたものだと思います。浅草育ちの父に幼少の頃、卵の先端に穴をあけて醤油を垂らしてすすることを教えてもらいました。今から考えると貧しい食事ですが、バブル以前の日本人の日常食はさしてかわらない気もします。戦後の食糧難はこんなものではなかったでしょうし
食べなかった2日間は女郎仲間と喧嘩でもして折檻部屋に入れられてたのかと邪推してしまいました...
とても勉強になりました。
当時の人たちの食事はこんなもんだったんでしょうね。
あと、2回ぽちっと押しておきました。
長崎の丸山遊廓とかも異界ね~🎵
吉原遊廓のランク、大間垣(一流店)、青暖簾(場末)。店によって、遊女の待遇は異なる。
香々(こうこう)は、たくあん漬の事だと思います。
たくあん漬を こうこう(こうこ)と呼ぶ地域があります。
野沢菜とかの漬物全般を香々と呼ぶ地域もありますよ。
ちなみに関西ではありません。
死んだばあちゃんは「おここ」って呼んで居た。
@@at-pw6tt 亡くなった祖父母が、漬け物の事を、御こうこうと言っていました。関東です。
遠州です。
漬物=香の物ともいうので、そこから来たのではないでしょうか?
江戸時代後期に書かれた「世事見聞録」(文化13年)1817年に、「越中、越後、出羽辺りの娘が3~5両で多く売られている」とある。
吉原では、女衒を通じて買い取った10歳前後の女の子を遊女としての訓練した。
短命なのは劣悪な環境と性病(梅毒が多かった)と栄養失調だろうね。
漬物を乗せただけのご飯と聞いて、千と千尋の神隠しが浮かびました
あれはお米いっぱいだから…
もっと知りたい人は「春駒日記」や「光明に芽ぐむ日」を読んでみてください。(但し内容が重い+言葉遣いが古いでかなり苦戦しました)
春駒日記今読んでるよー
大正期だからこの動画とはちょっと時代違うけど
甘露梅…梅に紫蘇を巻いたものなら青森で普通に見かけます。普通の梅干しより酸っぱいです。あと梅の代わりに杏を紫蘇で巻いたものもあってそちらは甘く食べやすくて、子供のころよく食べてました。杏のはけっこういいお値段のお茶請け菓子で売っているものもあるはずです。
以前働いていたところの社長の親が丁稚奉公していた頃は腐った残飯しか貰えなかったって言ってましたね 経営方針にもそれが反映されていましたけどw
カイジの食事シーンが豪勢に思える
『インプリント ぼっけえ、きょうてえ』っていうホラー映画で動画に出てきたような食事シーンが少しだけあるけど、本当ご飯毎日食べれるだけで幸せだ
ぼっけえきょうてえの原作者、西原理恵子と仲良しの方ですよね…西原理恵子好きです
梅の紫蘇巻き?食べた事があります。
甘酸っぱく、とても美味しかったのを覚えています。
★追記…確か、東北地方の食べ物だったと思います。
父の務め先に東北出身の方がいらして、その方から頂いた様です。
売っているお店が違うのかなんなのか、同じ物を(に見えました。適当な人間😆)食べた事もあるのですが、父が頂いて来た品と味が全く違って申し訳ないけれど、不味かったです😓
岩手の一関という街の銘菓に「田村の梅」というお菓子がありますが、もしかしたらこれかも…?
私も梅好きなので大好物なのですが、梅餡の入った餅を砂糖漬けの赤紫蘇で巻いたお菓子なんですよね。
東北や北関東には梅を使ったお菓子が結構色々あって、山形や茨城の「のし梅」なんかも美味しくて好きですv
〇初代たいめいけんオーナーの著述本で、みつパンを届けていて、売れなくなったベテランさんから細かい注文を受けて
面倒だけど姉さんだから(影響力を考えて)引き受けていた話を思い出した
(「あゝ野麦峠」で雪道を女工たちを送る男性たち、遊郭で言う忘八・牛太郎が姉さん格の女工を指して「そろそろ
抱いてやらないとな」と言い出す話も思い出しました)
〇洲崎女郎が稲荷寿司を土産にもらって朝方、手あぶりで温めて食べていた話は、火が使えない生活・外へ出れない生活の
恐ろしさを感じました
(近年、橋下弁護士が顧問やっていた関西の遊郭エリアに放り込まれた女性がケータイを取り上げられ、刃物も使えず
内ももをつねる自傷行為を行いながら性風俗産業に従事させられていた話と同じ環境です)
〇池波正太郎の随筆に戦前おいらんに世話になって全身を洗うと風邪を引きやすいと教わったとか、外へ連れ出してデート
した話とかあって悪くない感じだったんですが、投げ込み寺のこと考えると違う局面ですね
生きて苦界
死して三ノ輪の浄閑寺
浄閑寺の遊女の供養塔に御参りしたことがあります
塚の中の骨壷が見えて何かとても悲しい気持ちになりました…
音楽が鬼かっこいいんよ
( 経済より命 )
by ドッカの知事
飯を喰える幸せ
それって、経済なんだよ
めちゃくちゃ興味深く面白かったです!
登録しました!
凄く勉強に 成りました‼️
「三つ葉の根のいり付き」
さっするに、きんぴらごぼうの三つ葉の根版ではないか?
おこうこうは(こうこう)はお漬物のことですね。我が家ではこう呼びます。父が東京出身です。こんな食事してたら完全栄養失調になるわ。たんぱく質が一つもない・・・・辛かったでしょうね・・・
ご参考までに…髙田郁さんの『みをつくし料理帖』という小説に主人公の幼馴染として遊女が登場しますが、料理絡みのシーンも幾つかあります。心太に貴重な白砂糖をかけたものを花魁たちが好んで食したとか。(八朔の雪編より)史実に忠実かどうかはわからないけど、小説としては面白いです。登場する料理を再現してるサイトもあって参考になるかも?
TVドラマや映画にもなりました。北川景子さん主演のテレ朝版好き。割と小説に忠実。NHK-TV版と映画版は観てないけど
明治以降の吉原の話ですが、見世(遊郭)から娼妓に出される食事は、ご飯と味噌汁(あと、たぶん、漬物もある)だけで、ほかのおかずを食べたい場合は、別途自分で頼むという方式でした。
これと同様であれば、おかずは元々なかったんではないですかね。
おかずを買うにもお金がいる…調べていないのでわからないのですが吉原内にも出入りする俸手振りがいたところを見ると、そこから安いおかずを買うか
出入り業者につけといて稼いだ分から差っ引かれるか、安い食材を手に入れてごく簡単な煮炊きを自分でするかはしたのかもしれないですね。
ただ、それが毎日のようにできたかどうかは疑問ですが。
@@さいたま2000-f6j 私が読んだ本は、福田利子「吉原はこんな所でございました」ちくま文庫 なのですが、見世には、おかず屋さんが出入りしており、ここから買ったそうです(87頁)。著者は、引手茶屋(吉原で遊郭に行く前にお座敷遊びをするところ)の人です。
@@ミースケ-i7o なるほど……上級遊女であればある程度自由がきいて、禿やその他世話する人が付いているので好みの物でも(ちょっと)と頼んだりできそうですが、一般やそれ以下の遊女だと自炊は無理そうですし、菓子屋や仕出しの出入り業者となると手が出せそうにないですよね。
現代の水商売女性が朝方や出勤前のコンビニでお惣菜だけ買って家や職場で食べるのとこればかりは同じ……
この国の歴史は幾多数多老若男女の日本人が歩み築き上げたもので、我々の知る歴史はごく一部の表のみ。
遊女に救われた者も居ただろうし、救われた遊女もいる。
家族が遊女になって救われた家族があっても、心は救われただろうか…。
歴史は裏が1番人間味があり時代背景がよくわかる。
また、図書館で歴史書を読み漁ろうかな。
新造なので、自分の先輩のお客さんの話し相手をしていたのでしょうね。
新造はまだ自分でお客を取れないので、食事も碌に貰えてなかったと考えれば辛い環境ですね。
それでも自身の故郷で飢え死にするかと考えれば、まだ食事が貰えるだけマシという考えだったのでしょうね…
素晴らしい
池波正太郎先生のエッセイに、卵の少ない茶碗蒸しや豆腐か何かに削り節(鰹節)か何かを載せたものを食べた記述がありますが、
やはり遊女は”生かさず殺さず”程度の扱いだったんでしょうねぇ…。
今ちょうど楼主の眉間にシャスポー銃を突き付けてたところなので助かります。
こうこう=たくわん、悪いこうこう=酸っぱい奴。
台東区の吉原って浅草千束付近…両さんの育ったあたりだよなぁ
上の花魁は客からもっといいものを食べさせてもらえていたという意見もあるだろうけど、
平均寿命が恐ろしく短かったことなど考えると大多数は悲惨な暮らしをしていたんでしょうね…
脚気や栄養失調に梅毒が加わるとそりゃすぐに死亡したでしょう。
江戸時代は呑気な時代だったと最近再評価もされていますが、こういうむごい世界があったのも忘れちゃいけないと思う。
想像以上にえぐかった
古代ローマの奴隷よりひどい
あと三つ葉は音も食べられるから、セリみたいに醤油で煎りつけて食べたんですかね?想像でしかありませんが。
かわいそうに…もし今の時代に生まれ変わっていたら、たくさん食べてほしいな。
川柳にカムロ(遊郭で働く女の子)が客のお膳を下げる時、きんとんとかカマボコとか子どもの好きそうなものをつまみ食いしてから「下げしゃんせ」って言うのがあるね
私新潟の生まれですが、地元ではたくあんのことを「こーこー」って言うのでたぶんそれかなって思いました。
幕末あたりの川柳で 生卵 北極程の 穴をあけ と言うのがあるんですが、江戸時代の庶民に北極と言う地理的な知識があったと共にこんな艶っぽい意味も含んでたんですね
それ、北極という地理的概念の事じゃなくて北極星のことですよ。
毎晩北の空に浮かんで他の星のように季節で移ろったりしない北極星は古くから知られてましたし
@@fep2901 ありがとうございます 北極星って和名だったのでしょうか。子の星や北星、妙見星とは呼ばれていたそうですが。
甘露梅!アレは実に美味しい…
腐りかけなのか、酸っぱくなってきたのかどっちだったのかな、悪い香香
最中の月は見た目が赤福餅に似てますね。
香々=沢庵=大根。
関西では沢庵の事をこうこと言います。
しかし、質素な食事ですね。
なんか落語とかのイメージで年季が明けたら食事関係の仕事をしているイメージがある
「幾世餅」とかですね。
@@大森理枝-j2r そのものズバリです😳
最中の月って【お伊勢さんの赤福】みたいと思いますね
こんだけ食事事情が悪いと
胃腸が働かないから便秘も酷かったろうな
遊女の平均寿命22歳は嘘で実際は年季明けの前に死んだ遊女(しかも64人だけ)に限定して出した平均寿命であり、食事もちゃんとしたところだはそれなりのものを食べれたようでした。
嘉永2年というと、私の高祖母が生まれた年ね。
まともな飯食わせないと美容に悪いのでは?と現代人の視点で思うけど当時はどういう認識だったんだろ
栄養学?なにそれおいしいの?(江戸っ子並感)
ビタミンとか概念わかってなかったので、とりあえず生きてりゃ問題無しくらいだったと思います
農民は勝手に野菜や魚食うけど、軍人とか船乗りとか、自分で食材作らない人はビタミン不足で病気なったらしいです
@@kkkk-bb6if 脚気に苦しむ人が多かったそうですね。
みつ葉の根の〜は三つ葉の炒めた?みたいなやつですかね?よく食べてましたけど
不夜城で不夜城レッドを思い浮かべてしまう私はなんなんだ
空腹は本当キツい
こんな事をしてるから遊女から反感買って火付けまでされるんだよ😮💨💦こりゃ無理よ💢
吉原で遊ぶ料金、ソープの風呂代が基本料金みたいなものか
今の特殊浴場は安ければ総額1万切る所もあるみたいだけど、吉原の場合一番下層ランクの小見世でも遊ぶのに庶民の給与一か月分くらいかかったらしい。
しかもほとんどの遊女が「廻し」と言って、一晩に4~5人くらいの客を同時に相手にするから自分の所に来てくれるかは運しだい。
その間に遣り手から「待ってる間に一杯どうですか?」と言われれば、頼みたくもない高い酒や肴を頼まなきゃいけない。
(断ると遣り手から女に「あの客は金持ってなさそうだから後回しにしろ」と告げ口されるそうだ)
そして帰りに「女が来なかったんだけど」と忘七に文句を言っても、「それが吉原でございます」と笑顔で返されて終わり。返金なし。
特殊浴場の方がシステムとしては誠実なんだな。
いくら売られてきた身でもこれ程酷い食事とは
食べてない日もあったとか考えられないですね
栄養状態悪過ぎて病気の人多かったはずですよ
今の食糧事情に感謝しないといけませんね
この新造が維新を生き抜いて20世紀まで生きていた可能性も微レ存。。。
「平均」寿命がハタチ!?唖然としました。今で例えれば高校出て2年くらいですよ。そして1週間ほとんどロクな物を食べていないですね、泣けてきます。今のお金欲しさで働いてる子に対して、自分の意志ではなくやらざるを得なかっただろうに、それでもこの扱いは本当に酷いです。
とは言え、飢饉や疫病などに見舞われた田舎の農村で暮らすよりも長生きできる可能性も大きかったんだよね。
そのまま里にいたら家族全員で木のねっこを齧るような生活だったから売られたわけだし。
BGMがバックグラウンドしてないのでお二人の声が聞き取りづらいです
面白かった。
客の頼んだ台の物の食べ残しを食べてたって聞いたな。
注文するのがルールだけど美味しくないから客もほとんど食べないらしい。
興味深い
「使い捨て」とかネガティブな感想を持つ人がいるけど
女郎を女衒から買うのに大枚をはたいているから死なない程度には扱ったと思う。
数十万円する家電を「壊れてもいいや」と扱う人はあまりいないからね。
食べ物にしても農村の貧乏百姓はこれ以下の粗末な食事って事もあるだろうし、
当時の状況を無視して現代基準だけで評価するのは、あまりよろしくない。
今後RUclipsが強制的に広告を張り付けるみたいなので、だったら広告を付けられてはどうでしょう?
面白い動画いつも見せてもらってるし勝手につけられるなら張り付けた方が得になった方がいいかと
欲だけで出来た、悲しい世界だ。捕らわれの身、ひどい収容所、ってところか。
西欧で日本の遊女ってわりと好意的に受け入れられていたみたいなんですよね。意外ですけど。
売春〇は×だけど日本の遊女は両親兄弟のために身売りしたむしろ被害者、みたいな立ち位置なのが影響していると聞いた覚えがあります。
無事に年季があけても遊女やってた女性にまともな結婚相手などほぼおらず、女性がつけるような職業もなく。
結局遊女屋に戻って遊女のまま人生を終わる人がほとんどだったそうです……。吉原はけして良いものではありませんでした。
甘露梅って昭和50年以降でも普通に東京で売ってるお店あったようですよ。
香々というと分かりづらいけれど昭和の生まれの人に ” おこうこ ” 、 ” 香のもの ” と言うとたぶん通じます、香りづけをした漬物をそう呼んでいたようです。
悪い香々というのも酸味の出た古漬けの事じゃないでしょうか…まあどっちにしろ漬かり過ぎた古漬けって
発酵してエラく酸っぱくなりますのでどっちにしろ ” 悪い ” かもしれませんね^^;
小雛さん、可愛そうと云うか、哀れと云うか。
それに比べれば、今は天国、の筈なんだけど
そう思えないのは、何故なんだろうね・・・
湯島、品川、千住、板橋も遊郭あったはず
吉原遊廓てさ、こう言う風にもいわれてるよね、女が歩く地獄道てさ。
吉原炎上って映画のオープニングでもあったな。「吉原はふたつの顔を持つ。ひとつは男の極楽道。ひとつは女の地獄道」
@@虎色の脳細胞 風俗は女の地獄道ですが、いつの時代も殿方の方が自殺率が倍は高いのも事実なんですよね。女を地獄に叩き落とす仕事の殿方はもっと地獄だと思います。
@@花咲-z4o なんせ女郎屋の主は人が持つべき八つの徳を忘れた人でなしという意味の「忘八」との異名があったからまず地獄行きでしょう。
それでも
生きて行かねばならぬ…か…
中には年期明け寸前で親が借金して自動的に延長なんてケースも有ったかも。
花魁の食事も知りたいです!
5:34から本題です。
5:34
吉原で遊んでいた人は割と被差別部落と言われる「穢多」の人が多かったらしいですね。
江戸時代は「人が嫌がる仕事ほどお金になる」と言うもので、穢多の人は稼ぎが良かったそうで…
現代だと人が嫌がる仕事は給与が安いので、ある意味真逆ですね。
江戸幕府は、寺にも一定の尊厳を保持させねばならないと考え、僧侶にも戒律を求めた。
その一つが僧侶には、重大な戒律違反となる「女犯」
寛政8(1769)年7月末。
11代将軍徳川家斉の治世。寺社奉行の板倉勝政らは、吉原通いの僧侶の摘発を行った。
寺社奉行による吉原に宿泊した僧侶の一斉摘発により、たった1日だけで70名以上の僧侶が摘発された。
吉原近くには穢多頭の弾左衛門と配下の居住地があったので行きやすかったのもあるでしょうな。
じょなめけ、って漫画で水揚げされてからの遊女はご飯が支給されず、客に食わせてもらうか、客が寝た後の残り物を食う、なんてあったから悪い香の物とかそういうときにくったものなのかもなあ。
要するに、お客がとれる売れっ子遊女と、人気がなかった遊女では天と地ほどにってことかなぁ。
完全実力主義の世界だからまぁしょうがないとしても、もうちっとなんとか、手心というか^^;
こんな食事だと肌もぼろぼろ、痩せちゃってガリガリのはず。 女郎としての見た目の魅力が褪せていくだろ。。。