[ゆっくり解説]江戸時代の食事(吉原遊郭編)

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  • Опубликовано: 14 дек 2024

Комментарии • 267

  • @user-68fuwa
    @user-68fuwa 3 года назад +298

    遊女の食事って、意外と素朴なものばかりですね。これは身体がボロボロになる。

    • @ritatti
      @ritatti 3 года назад +8

      ところがこの食事は水呑百姓のそれに較べればなんぼかましだという…

    • @MrTinyisland
      @MrTinyisland 3 года назад +21

      素朴と粗末とは全く意味の違う言葉だが・・・

    • @アダムの想像
      @アダムの想像 2 года назад +2

      あくまでこの遊郭のこの女性の食事でしか無い
      これが遊女の食事とするのは無理がある
      食事どうこうより梅毒とかで平均寿命は22歳程度だし

  • @いしトモ-e3d
    @いしトモ-e3d 3 года назад +27

    小さな神社や祠などに、「来世こそは幸せになれますように」と一生懸命に願っている遊女の姿が思い浮かぶ。
    男達の欲望と偽りの愛を受け、時には信じ、時には裏切られた彼女達の人生の無情を想像すると心が痛む。

  • @海空ダイバー
    @海空ダイバー 3 года назад +174

    「最中の月」は餡ころ餅ではなく、水で練った餅米を蒸して、薄く延ばして焼き砂糖や蜜をかけたものです。中秋の名月を謳った和歌である、「水の面に照る月なみを数ふれば、今宵ぞ秋の最中なりける」・・・つまり水面に映った中秋の満月を由来にしていて、「竹村は星の座敷へ月を出し」と歌留多に詠まれるほど大ヒットしたそうです。竹村伊勢は後に、この薄皮に餡を挟んだ「最中饅頭」を考案し、これが現在の最中のルーツになっています。なんとも風流な、洒落たネーミングですね。

  • @いか-b8u
    @いか-b8u 2 года назад +4

    遊女もランクが上の方だと、金持ちにご馳走を食べさせてもらったり
    出前みたいに店から持ってきてもらって良いものを食べたらしいですね

  • @ktom8142
    @ktom8142 3 года назад +143

    栄養学がほぼ知られていなかったから、栄養取らせた方が顔も体もいい女になるってのも分からないので悪循環だったんだろうな

  • @あぎょん-e7z
    @あぎょん-e7z 3 года назад +72

    仁がペニシリンを死に物狂いで作ろうとした理由がわかる

  • @kieyama9328
    @kieyama9328 3 года назад +155

    先生こんばんは。
    吉原の遊女さんの食事、全く栄養が足りてない事に悲しくなりました。
    体力勝負のお仕事なのに。
    貴重なお話の配信ありがとうございました!

  • @宇都宮秋人
    @宇都宮秋人 3 года назад +352

    割と稼いでいた遊女さんが病気になり、その後治りそうもないので医者に連れてゆくと言って戸板に乗せそのまま川に捨てたり、同じく病気で休んでいた遊女さんが小鍋で食事を作って食べようとしてたというだけで折檻して死なせたりといった話が結構残っています。
    当時の遊郭関係者が蔑まれたのも納得ですね。

    • @jt521bc7
      @jt521bc7 3 года назад +59

      しかもろくに墓に埋葬もしなかったのか、今でも遊女の骨が出る事もあるらしい瀬戸内の島の話を聞いた事があります。

    • @ゆは-j3x
      @ゆは-j3x 3 года назад +6

      @@jt521bc7
      すみません、詳しく教えていただけませんか?
      どの本かやどう検索すればよろしいかなどお願いします🙇‍♀️

    • @jt521bc7
      @jt521bc7 3 года назад +18

      @@ゆは-j3x
      測量関係の仕事してた友人に
      聞いた話しで、御手洗へ仕事で測量に行った時に時々遺骨がでるので見つけたら言ってねと、先輩にそう言われたそうです。

    • @jt521bc7
      @jt521bc7 3 года назад +15

      補足です。正解には昔の無縁仏の墓(文字とか彫ってない)が
      埋もれてる場合があるそうで
      それが、時々出てくるらしいです。

    • @ゆは-j3x
      @ゆは-j3x 3 года назад +2

      @@jt521bc7
      補足まで付けて頂き、貴重なお話ありがとうございました🙇‍♀️
      友人の方の実体験だったのですね。
      ちょっとした疑問ですが、遺骨が見つかった場合どうされるかお聞きしていたら教えてください。

  • @スーパーぺぺ-c8c
    @スーパーぺぺ-c8c Год назад +5

    売られたとはいえこの食事は辛い。
    もっと腹一杯食べさせてあげたい。

  • @井上結惟
    @井上結惟 3 года назад +93

    三つ葉の根の炒り付けって三つ葉根のキンピラの事かな?子供の頃良く食べてました

  • @月影-q1w
    @月影-q1w 3 года назад +21

    他に無い大変貴重な動画でした。速さを遅くしてじっくり拝見&拝聴させて貰いました。
    コメント欄のみなさんのコメントも大変興味深く頷きながら見ています。

  • @にゃんぽ-o2w
    @にゃんぽ-o2w 2 года назад +3

    干葉って大根の茎葉を干したものですね。味噌汁に入れたり雑炊に入れたりしてかなり古くから食べられていたようですね!

  • @マッハデルピエーロ
    @マッハデルピエーロ 3 года назад +73

    売れない遊女は痩せ細り、見た目が質素になる事でますます売れなくなる。
    逆に売れる遊女はたくさん栄養が摂れ、店からも扱いがよくなり肥るので更に売れる。
    吉原遊郭で学ぶインフレーションとデフレーション。

  • @senzyu_ya
    @senzyu_ya 3 года назад +88

    主さんが参考にしたであろう画像を見てきたけど、初日の朝食に
    「くさった香々で茶漬け」
    って書いてあって絶句してしまった…。

  • @ひよひよ-h4o
    @ひよひよ-h4o 3 года назад +92

    甘露梅はうちでばーちゃんが良く作っていて、私も作り方を教えてもらって毎年庭の梅で作っています。
    じーちゃんが浅草出身の金持ちボンボンだったので、もしかしたら今でもあの辺出身のご年配の方には伝わっているかもしれませんね。

  • @橋本ひろみひろみん
    @橋本ひろみひろみん 3 года назад +3

    締めの言葉が胸に来ますね。

  • @トウカ-i3l
    @トウカ-i3l 3 года назад +38

    飽食の時代に生まれたことに感謝しかねぇ

  • @山羽さたな
    @山羽さたな 3 года назад +112

    食べずが続いた後のお客さんから内緒で食べ物を貰うってのがよくわからないけど
    これは正式に食べさせてもらおうとしたら店のサービスの一環として高い料金を取らなきゃいけないルールってことなのかな?
    「お金は出せないけど目に見えて飢えてるのが可哀想だからお店には内緒ね」と

    • @cma46210
      @cma46210 3 года назад +41

      𠮷原遊郭の掟で遊女は座敷で酒は飲めるが食べてはならぬとあります それで内緒だと書いたのでしょう。客への突き出しは酢貝が𠮷原の決まりで余り物が女郎の朝飯になったのでしょう。この動画内容は概ね事実で江戸悪書の記述と同じです。

  • @さいたま2000-f6j
    @さいたま2000-f6j 3 года назад +10

    水揚げの際のご祝儀として、水揚げを担当した店の太客(どこかしらの商家の隠居や大旦那)から菓子や食事が振舞われたり
    ご新造さんの場合禿時代からの姉さん女郎や姉さんについていた馴染み客から席を貰えたり
    姉さん女郎や太夫等の身請けや年季明けがあれば、そこからのご祝儀でお菓子や食事が配られたり、見習いとして宴席に侍る際余った食事が回ってくる。
    どこかの羽振りがいい商家の旦那や大名クラスの武士が遊びに来て、遊女だけではなく借り切った遊郭全部に食事をふるまう。
    昔読んだ遊郭の本には他にも遊郭独特の振舞い事があった気がするのですが、いずれも決して頻繁ではなくやはり一般遊女の普段の食事は質素を通り越して極貧。
    いずれも遊郭の女たちに振舞うものは消え物である食事やお菓子、そしてごく一部の遊女以外は常にこっちの方が切実に必要だったという事なんですよね…🤢
    遊郭の格子窓越しに流しの総菜屋さんを呼んだり、安く買えるスイカを食べたり、下男にお豆腐をお使いにやらせる話があった気がしますが、だいぶ頑張って稼いだ極たまの贅沢というところでしょうか。

  • @abbtk14
    @abbtk14 3 года назад +417

    遊女自身の食事だなんて、ちゃんと記録が残っていたんですね。それにしても体がまだ成長期なのに、これほどひどい粗食とは予想外。性病以前に極端な短命も無理ないですね…。

    • @recheyuzu4263
      @recheyuzu4263 3 года назад +58

      当時はワクチンも治療薬もないし、栄養失調で病気への免疫力も抵抗力も低くて、性病や結核などの感染病や、妊娠した場合の堕胎の処置が悪くて、若死にする遊女も多かったんでしょうね。貧しい農民の娘が親に売られ、嫌々、男の相手をさせられた挙げ句に、過労死や病死するのは、ホントにひどい話です。

    • @KarlMarx123
      @KarlMarx123 3 года назад

      @@recheyuzu4263 遊女と違って自ら進んで仕事してる人間ばっかなのに草

    • @KarlMarx123
      @KarlMarx123 3 года назад +2

      @あなたのゴミ箱 上の奴編集して逃げやがった だから編集済みついてるだろ??

    • @KarlMarx123
      @KarlMarx123 3 года назад +1

      @あなたのゴミ箱 それならよかった

    • @馬鹿ザル
      @馬鹿ザル 3 года назад +11

      @@KarlMarx123
      返信せずに編集するの、クソどうでもいいけどなんかずるいよな。

  • @弘士のっち
    @弘士のっち 3 года назад +139

    昔のテレビの時代劇で、遊女が茶碗の白飯🍚に沢庵、お茶をかけて食べるシーンを見て当時は可哀想だと、感じましたが。
    事実はもっと悲惨でしたね。

    • @千田尚
      @千田尚 3 года назад +16

      食べられるだけましって事なんだな。

  • @Snow_137
    @Snow_137 3 года назад +20

    まさに行きは天国帰りは地獄だな……(行きは茶碗いっぱいの白いおまんまが食えると言われるが帰りは身も心もボロボロ。家族に会えりゃいい方やし口減らしの為に売ったから帰ってくんなとかもある。あとは汚らわしいという侮蔑もあったらしいし)

  • @天使ちぃ
    @天使ちぃ 3 года назад +43

    もうちょっとマトモな物を食べてると思ってました!これは想像以上に酷い😭

    • @あぼぼです
      @あぼぼです 3 года назад +8

      女衒が子供たちを連れて行くときに「これから毎日白いまんまが食えるぞ、泣くんじゃない」と慰めて連れて帰ったという話もあるんですけどね。

  • @ちゃんキキ
    @ちゃんキキ 3 года назад +23

    食べなかった2日間は女郎仲間と喧嘩でもして折檻部屋に入れられてたのかと邪推してしまいました...

  • @user-hg2do8sh7t
    @user-hg2do8sh7t 3 года назад +18

    漬物を乗せただけのご飯と聞いて、千と千尋の神隠しが浮かびました

    • @Alohawauiaoe
      @Alohawauiaoe 3 года назад

      あれはお米いっぱいだから…

  • @胡椒少将-s6q
    @胡椒少将-s6q 3 года назад +61

    遊郭の待遇も時代によって異なったらしいね。待遇が良い時代もあったらしい。

    • @食事魔王
      @食事魔王 3 года назад +57

      初期は確か武家御用達の高級キャバクラだったらしいぬ
      後期になって町人相手が主流になってこんな感じに
      民営化の末路といった感じ

  • @maimai01japan
    @maimai01japan 3 года назад +78

    香々(こうこう)は、たくあん漬の事だと思います。
    たくあん漬を こうこう(こうこ)と呼ぶ地域があります。

    • @at-pw6tt
      @at-pw6tt 3 года назад +16

      野沢菜とかの漬物全般を香々と呼ぶ地域もありますよ。
      ちなみに関西ではありません。

    • @千田尚
      @千田尚 3 года назад +6

      死んだばあちゃんは「おここ」って呼んで居た。

    • @島志麻-b5z
      @島志麻-b5z 3 года назад +3

      @@at-pw6tt 亡くなった祖父母が、漬け物の事を、御こうこうと言っていました。関東です。

    • @梵-j8t
      @梵-j8t 3 года назад +2

      遠州です。

    • @ef00098
      @ef00098 3 года назад +3

      漬物=香の物ともいうので、そこから来たのではないでしょうか?

  • @takehatu7892
    @takehatu7892 2 года назад +1

    ミツバの根の煎りつけはお浸しにした残りの茎の最下部と根っこを甘辛く煮つけたものだと思います。浅草育ちの父に幼少の頃、卵の先端に穴をあけて醤油を垂らしてすすることを教えてもらいました。今から考えると貧しい食事ですが、バブル以前の日本人の日常食はさしてかわらない気もします。戦後の食糧難はこんなものではなかったでしょうし

  • @風魔忍者ぶきみ丸
    @風魔忍者ぶきみ丸 3 года назад +1

    長崎の丸山遊廓とかも異界ね~🎵
    吉原遊廓のランク、大間垣(一流店)、青暖簾(場末)。店によって、遊女の待遇は異なる。

  • @fivepointedstar196
    @fivepointedstar196 3 года назад +59

    江戸時代後期に書かれた「世事見聞録」(文化13年)1817年に、「越中、越後、出羽辺りの娘が3~5両で多く売られている」とある。
    吉原では、女衒を通じて買い取った10歳前後の女の子を遊女としての訓練した。
    短命なのは劣悪な環境と性病(梅毒が多かった)と栄養失調だろうね。

  • @OrangeAme
    @OrangeAme 2 года назад +4

    想像以上にえぐかった
    古代ローマの奴隷よりひどい

  • @カスミケンシロウ-f8y
    @カスミケンシロウ-f8y 3 года назад +1

    とても勉強になりました。
    当時の人たちの食事はこんなもんだったんでしょうね。
    あと、2回ぽちっと押しておきました。

  • @amadoi6571
    @amadoi6571 3 года назад +24

    もっと知りたい人は「春駒日記」や「光明に芽ぐむ日」を読んでみてください。(但し内容が重い+言葉遣いが古いでかなり苦戦しました)

    • @yame8134
      @yame8134 3 года назад

      春駒日記今読んでるよー
      大正期だからこの動画とはちょっと時代違うけど

  • @あおかさね
    @あおかさね 3 года назад +22

    以前働いていたところの社長の親が丁稚奉公していた頃は腐った残飯しか貰えなかったって言ってましたね 経営方針にもそれが反映されていましたけどw

  • @exloving
    @exloving 3 года назад +7

    『インプリント ぼっけえ、きょうてえ』っていうホラー映画で動画に出てきたような食事シーンが少しだけあるけど、本当ご飯毎日食べれるだけで幸せだ

    • @花咲-z4o
      @花咲-z4o 3 года назад +3

      ぼっけえきょうてえの原作者、西原理恵子と仲良しの方ですよね…西原理恵子好きです

  • @後藤のりすけ
    @後藤のりすけ 3 года назад +8

    カイジの食事シーンが豪勢に思える

  • @黒猫チョビ
    @黒猫チョビ 3 года назад +19

    「三つ葉の根のいり付き」
    さっするに、きんぴらごぼうの三つ葉の根版ではないか?

  • @ケアルダケアルダ
    @ケアルダケアルダ 3 года назад +6

    霊夢さんの自己紹介の前のパワーワードがすごい好きです♥️

  • @ナカヤママサオ-d2i
    @ナカヤママサオ-d2i 3 года назад +4

    生きて苦界
    死して三ノ輪の浄閑寺
    浄閑寺の遊女の供養塔に御参りしたことがあります
    塚の中の骨壷が見えて何かとても悲しい気持ちになりました…

  • @銘苅梓-o2r
    @銘苅梓-o2r 2 года назад +1

    甘露梅…梅に紫蘇を巻いたものなら青森で普通に見かけます。普通の梅干しより酸っぱいです。あと梅の代わりに杏を紫蘇で巻いたものもあってそちらは甘く食べやすくて、子供のころよく食べてました。杏のはけっこういいお値段のお茶請け菓子で売っているものもあるはずです。

  • @kana19841027
    @kana19841027 2 года назад

    めちゃくちゃ興味深く面白かったです!
    登録しました!

  • @jam-f2x
    @jam-f2x 3 года назад +9

    梅の紫蘇巻き?食べた事があります。
    甘酸っぱく、とても美味しかったのを覚えています。
    ★追記…確か、東北地方の食べ物だったと思います。
    父の務め先に東北出身の方がいらして、その方から頂いた様です。
    売っているお店が違うのかなんなのか、同じ物を(に見えました。適当な人間😆)食べた事もあるのですが、父が頂いて来た品と味が全く違って申し訳ないけれど、不味かったです😓

    • @don_erumar
      @don_erumar 3 года назад +2

      岩手の一関という街の銘菓に「田村の梅」というお菓子がありますが、もしかしたらこれかも…?
      私も梅好きなので大好物なのですが、梅餡の入った餅を砂糖漬けの赤紫蘇で巻いたお菓子なんですよね。
      東北や北関東には梅を使ったお菓子が結構色々あって、山形や茨城の「のし梅」なんかも美味しくて好きですv

  • @まつぼ-d1u
    @まつぼ-d1u 3 года назад +4

    上の花魁は客からもっといいものを食べさせてもらえていたという意見もあるだろうけど、
    平均寿命が恐ろしく短かったことなど考えると大多数は悲惨な暮らしをしていたんでしょうね…
    脚気や栄養失調に梅毒が加わるとそりゃすぐに死亡したでしょう。
    江戸時代は呑気な時代だったと最近再評価もされていますが、こういうむごい世界があったのも忘れちゃいけないと思う。

  • @SuperAhoGe
    @SuperAhoGe 2 года назад

    今ちょうど楼主の眉間にシャスポー銃を突き付けてたところなので助かります。

  • @万次郎-i3o
    @万次郎-i3o 3 года назад +58

    ( 経済より命 )
    by ドッカの知事
    飯を喰える幸せ
    それって、経済なんだよ

  • @astrorosegold0485
    @astrorosegold0485 3 года назад +4

    おこうこうは(こうこう)はお漬物のことですね。我が家ではこう呼びます。父が東京出身です。こんな食事してたら完全栄養失調になるわ。たんぱく質が一つもない・・・・辛かったでしょうね・・・

  • @eggmuffin
    @eggmuffin 3 года назад +4

    〇初代たいめいけんオーナーの著述本で、みつパンを届けていて、売れなくなったベテランさんから細かい注文を受けて
    面倒だけど姉さんだから(影響力を考えて)引き受けていた話を思い出した
    (「あゝ野麦峠」で雪道を女工たちを送る男性たち、遊郭で言う忘八・牛太郎が姉さん格の女工を指して「そろそろ
    抱いてやらないとな」と言い出す話も思い出しました)
    〇洲崎女郎が稲荷寿司を土産にもらって朝方、手あぶりで温めて食べていた話は、火が使えない生活・外へ出れない生活の
    恐ろしさを感じました
    (近年、橋下弁護士が顧問やっていた関西の遊郭エリアに放り込まれた女性がケータイを取り上げられ、刃物も使えず
    内ももをつねる自傷行為を行いながら性風俗産業に従事させられていた話と同じ環境です)
    〇池波正太郎の随筆に戦前おいらんに世話になって全身を洗うと風邪を引きやすいと教わったとか、外へ連れ出してデート
    した話とかあって悪くない感じだったんですが、投げ込み寺のこと考えると違う局面ですね

  • @jg3517
    @jg3517 3 года назад +4

    この国の歴史は幾多数多老若男女の日本人が歩み築き上げたもので、我々の知る歴史はごく一部の表のみ。
    遊女に救われた者も居ただろうし、救われた遊女もいる。
    家族が遊女になって救われた家族があっても、心は救われただろうか…。
    歴史は裏が1番人間味があり時代背景がよくわかる。
    また、図書館で歴史書を読み漁ろうかな。

  • @鈴木英樹-z8c
    @鈴木英樹-z8c 3 года назад +3

    凄く勉強に 成りました‼️

  • @おなす-o7k
    @おなす-o7k 3 года назад +4

    音楽が鬼かっこいいんよ

  • @きっきさん-o7t
    @きっきさん-o7t 2 года назад

    あと三つ葉は音も食べられるから、セリみたいに醤油で煎りつけて食べたんですかね?想像でしかありませんが。

  • @maksight503
    @maksight503 3 года назад +2

    川柳にカムロ(遊郭で働く女の子)が客のお膳を下げる時、きんとんとかカマボコとか子どもの好きそうなものをつまみ食いしてから「下げしゃんせ」って言うのがあるね

  • @高宮よもぎ
    @高宮よもぎ 2 года назад +1

    甘露梅!アレは実に美味しい…

  • @morico1119
    @morico1119 3 года назад +13

    この新造が維新を生き抜いて20世紀まで生きていた可能性も微レ存。。。

  • @ミースケ-i7o
    @ミースケ-i7o 3 года назад +16

    明治以降の吉原の話ですが、見世(遊郭)から娼妓に出される食事は、ご飯と味噌汁(あと、たぶん、漬物もある)だけで、ほかのおかずを食べたい場合は、別途自分で頼むという方式でした。
    これと同様であれば、おかずは元々なかったんではないですかね。

    • @さいたま2000-f6j
      @さいたま2000-f6j 3 года назад

      おかずを買うにもお金がいる…調べていないのでわからないのですが吉原内にも出入りする俸手振りがいたところを見ると、そこから安いおかずを買うか
      出入り業者につけといて稼いだ分から差っ引かれるか、安い食材を手に入れてごく簡単な煮炊きを自分でするかはしたのかもしれないですね。
      ただ、それが毎日のようにできたかどうかは疑問ですが。

    • @ミースケ-i7o
      @ミースケ-i7o 3 года назад +2

      @@さいたま2000-f6j 私が読んだ本は、福田利子「吉原はこんな所でございました」ちくま文庫 なのですが、見世には、おかず屋さんが出入りしており、ここから買ったそうです(87頁)。著者は、引手茶屋(吉原で遊郭に行く前にお座敷遊びをするところ)の人です。

    • @さいたま2000-f6j
      @さいたま2000-f6j 3 года назад +1

      @@ミースケ-i7o なるほど……上級遊女であればある程度自由がきいて、禿やその他世話する人が付いているので好みの物でも(ちょっと)と頼んだりできそうですが、一般やそれ以下の遊女だと自炊は無理そうですし、菓子屋や仕出しの出入り業者となると手が出せそうにないですよね。
      現代の水商売女性が朝方や出勤前のコンビニでお惣菜だけ買って家や職場で食べるのとこればかりは同じ……

  • @藤原りんごちゃん-h4i
    @藤原りんごちゃん-h4i 3 года назад +7

    かわいそうに…もし今の時代に生まれ変わっていたら、たくさん食べてほしいな。

  • @きっきさん-o7t
    @きっきさん-o7t 2 года назад

    私新潟の生まれですが、地元ではたくあんのことを「こーこー」って言うのでたぶんそれかなって思いました。

  • @nora5590
    @nora5590 3 года назад +54

    池波正太郎先生のエッセイに、卵の少ない茶碗蒸しや豆腐か何かに削り節(鰹節)か何かを載せたものを食べた記述がありますが、
    やはり遊女は”生かさず殺さず”程度の扱いだったんでしょうねぇ…。

  • @ゆうき-e1f4u
    @ゆうき-e1f4u 2 года назад +3

    こんな事をしてるから遊女から反感買って火付けまでされるんだよ😮‍💨💦こりゃ無理よ💢

  • @吉村亮道
    @吉村亮道 3 года назад +17

    こうこう=たくわん、悪いこうこう=酸っぱい奴。

  • @ゆっくりいろいろネコ好きチャンねる

    素晴らしい

  • @SABLE_BISCUIT
    @SABLE_BISCUIT Год назад +1

    不夜城で不夜城レッドを思い浮かべてしまう私はなんなんだ

  • @namenick3958
    @namenick3958 3 года назад

    ご参考までに…髙田郁さんの『みをつくし料理帖』という小説に主人公の幼馴染として遊女が登場しますが、料理絡みのシーンも幾つかあります。心太に貴重な白砂糖をかけたものを花魁たちが好んで食したとか。(八朔の雪編より)史実に忠実かどうかはわからないけど、小説としては面白いです。登場する料理を再現してるサイトもあって参考になるかも?
    TVドラマや映画にもなりました。北川景子さん主演のテレ朝版好き。割と小説に忠実。NHK-TV版と映画版は観てないけど

  • @雪だるまよし
    @雪だるまよし 3 года назад +5

    なんか落語とかのイメージで年季が明けたら食事関係の仕事をしているイメージがある

  • @ウイスキー呑み
    @ウイスキー呑み 3 года назад +19

    台東区の吉原って浅草千束付近…両さんの育ったあたりだよなぁ

  • @風魔忍者ぶきみ丸
    @風魔忍者ぶきみ丸 3 года назад +1

    嘉永2年というと、私の高祖母が生まれた年ね。

  • @Tantatatantan
    @Tantatatantan 3 года назад +28

    まともな飯食わせないと美容に悪いのでは?と現代人の視点で思うけど当時はどういう認識だったんだろ

    • @雪何すか雪って
      @雪何すか雪って 3 года назад +12

      栄養学?なにそれおいしいの?(江戸っ子並感)

    • @kkkk-bb6if
      @kkkk-bb6if 3 года назад +10

      ビタミンとか概念わかってなかったので、とりあえず生きてりゃ問題無しくらいだったと思います
      農民は勝手に野菜や魚食うけど、軍人とか船乗りとか、自分で食材作らない人はビタミン不足で病気なったらしいです

    • @島志麻-b5z
      @島志麻-b5z 3 года назад +2

      @@kkkk-bb6if 脚気に苦しむ人が多かったそうですね。

  • @291come83
    @291come83 2 года назад +2

    こんだけ食事事情が悪いと
    胃腸が働かないから便秘も酷かったろうな

  • @fujisakiranka
    @fujisakiranka 3 года назад +3

    腐りかけなのか、酸っぱくなってきたのかどっちだったのかな、悪い香香

  • @かや-e7z
    @かや-e7z 3 года назад +14

    欲だけで出来た、悲しい世界だ。捕らわれの身、ひどい収容所、ってところか。

  • @mikaitone
    @mikaitone 3 года назад +3

    最中の月は見た目が赤福餅に似てますね。
    香々=沢庵=大根。
    関西では沢庵の事をこうこと言います。
    しかし、質素な食事ですね。

  • @ワタナベぶん回し堂
    @ワタナベぶん回し堂 3 года назад +10

    幕末あたりの川柳で 生卵 北極程の 穴をあけ と言うのがあるんですが、江戸時代の庶民に北極と言う地理的な知識があったと共にこんな艶っぽい意味も含んでたんですね

    • @fep2901
      @fep2901 3 года назад +5

      それ、北極という地理的概念の事じゃなくて北極星のことですよ。
      毎晩北の空に浮かんで他の星のように季節で移ろったりしない北極星は古くから知られてましたし

    • @ワタナベぶん回し堂
      @ワタナベぶん回し堂 3 года назад +1

      @@fep2901 ありがとうございます 北極星って和名だったのでしょうか。子の星や北星、妙見星とは呼ばれていたそうですが。

  • @pandaco212Y
    @pandaco212Y 3 года назад

    みつ葉の根の〜は三つ葉の炒めた?みたいなやつですかね?よく食べてましたけど

  • @memekoji3104
    @memekoji3104 3 года назад +3

    遊女の平均寿命22歳は嘘で実際は年季明けの前に死んだ遊女(しかも64人だけ)に限定して出した平均寿命であり、食事もちゃんとしたところだはそれなりのものを食べれたようでした。

  • @三代子-t7c
    @三代子-t7c 3 года назад

    最中の月って【お伊勢さんの赤福】みたいと思いますね

  • @與座倫
    @與座倫 3 года назад +28

    新造なので、自分の先輩のお客さんの話し相手をしていたのでしょうね。
    新造はまだ自分でお客を取れないので、食事も碌に貰えてなかったと考えれば辛い環境ですね。
    それでも自身の故郷で飢え死にするかと考えれば、まだ食事が貰えるだけマシという考えだったのでしょうね…

  • @tomo3118
    @tomo3118 3 года назад +36

    「使い捨て」とかネガティブな感想を持つ人がいるけど
    女郎を女衒から買うのに大枚をはたいているから死なない程度には扱ったと思う。
    数十万円する家電を「壊れてもいいや」と扱う人はあまりいないからね。
    食べ物にしても農村の貧乏百姓はこれ以下の粗末な食事って事もあるだろうし、
    当時の状況を無視して現代基準だけで評価するのは、あまりよろしくない。

  • @伊籐裕美
    @伊籐裕美 3 года назад +5

    吉原遊廓てさ、こう言う風にもいわれてるよね、女が歩く地獄道てさ。

    • @虎色の脳細胞
      @虎色の脳細胞 3 года назад +1

      吉原炎上って映画のオープニングでもあったな。「吉原はふたつの顔を持つ。ひとつは男の極楽道。ひとつは女の地獄道」

    • @花咲-z4o
      @花咲-z4o 3 года назад

      @@虎色の脳細胞 風俗は女の地獄道ですが、いつの時代も殿方の方が自殺率が倍は高いのも事実なんですよね。女を地獄に叩き落とす仕事の殿方はもっと地獄だと思います。

    • @虎色の脳細胞
      @虎色の脳細胞 3 года назад +1

      @@花咲-z4o なんせ女郎屋の主は人が持つべき八つの徳を忘れた人でなしという意味の「忘八」との異名があったからまず地獄行きでしょう。

  • @桐生葵-h6n
    @桐生葵-h6n 3 года назад +13

    吉原で遊ぶ料金、ソープの風呂代が基本料金みたいなものか

    • @匿名希望-b9g
      @匿名希望-b9g Год назад

      今の特殊浴場は安ければ総額1万切る所もあるみたいだけど、吉原の場合一番下層ランクの小見世でも遊ぶのに庶民の給与一か月分くらいかかったらしい。
      しかもほとんどの遊女が「廻し」と言って、一晩に4~5人くらいの客を同時に相手にするから自分の所に来てくれるかは運しだい。
      その間に遣り手から「待ってる間に一杯どうですか?」と言われれば、頼みたくもない高い酒や肴を頼まなきゃいけない。
      (断ると遣り手から女に「あの客は金持ってなさそうだから後回しにしろ」と告げ口されるそうだ)
      そして帰りに「女が来なかったんだけど」と忘七に文句を言っても、「それが吉原でございます」と笑顔で返されて終わり。返金なし。
      特殊浴場の方がシステムとしては誠実なんだな。

  • @Madoka-eg7ym
    @Madoka-eg7ym 3 года назад +5

    空腹は本当キツい

  • @yoshkurokami5438
    @yoshkurokami5438 2 года назад

    BGMがバックグラウンドしてないのでお二人の声が聞き取りづらいです

  • @木塚淑之
    @木塚淑之 3 года назад

    興味深い

  • @KOWLOON1983
    @KOWLOON1983 2 года назад +1

    客の頼んだ台の物の食べ残しを食べてたって聞いたな。
    注文するのがルールだけど美味しくないから客もほとんど食べないらしい。

  • @四季菜摘
    @四季菜摘 3 года назад +5

    西欧で日本の遊女ってわりと好意的に受け入れられていたみたいなんですよね。意外ですけど。
    売春〇は×だけど日本の遊女は両親兄弟のために身売りしたむしろ被害者、みたいな立ち位置なのが影響していると聞いた覚えがあります。
    無事に年季があけても遊女やってた女性にまともな結婚相手などほぼおらず、女性がつけるような職業もなく。
    結局遊女屋に戻って遊女のまま人生を終わる人がほとんどだったそうです……。吉原はけして良いものではありませんでした。

  • @drill2949
    @drill2949 3 года назад +14

    吉原で遊んでいた人は割と被差別部落と言われる「穢多」の人が多かったらしいですね。
    江戸時代は「人が嫌がる仕事ほどお金になる」と言うもので、穢多の人は稼ぎが良かったそうで…
    現代だと人が嫌がる仕事は給与が安いので、ある意味真逆ですね。

    • @fivepointedstar196
      @fivepointedstar196 3 года назад +4

      江戸幕府は、寺にも一定の尊厳を保持させねばならないと考え、僧侶にも戒律を求めた。
      その一つが僧侶には、重大な戒律違反となる「女犯」
      寛政8(1769)年7月末。
      11代将軍徳川家斉の治世。寺社奉行の板倉勝政らは、吉原通いの僧侶の摘発を行った。
      寺社奉行による吉原に宿泊した僧侶の一斉摘発により、たった1日だけで70名以上の僧侶が摘発された。

    • @user-kb4fc9st1q
      @user-kb4fc9st1q 2 года назад

      吉原近くには穢多頭の弾左衛門と配下の居住地があったので行きやすかったのもあるでしょうな。

  • @yasu38880y
    @yasu38880y Год назад +2

    「平均」寿命がハタチ!?唖然としました。今で例えれば高校出て2年くらいですよ。そして1週間ほとんどロクな物を食べていないですね、泣けてきます。今のお金欲しさで働いてる子に対して、自分の意志ではなくやらざるを得なかっただろうに、それでもこの扱いは本当に酷いです。

  • @まる2
    @まる2 3 года назад +3

    面白かった。

  • @田中正人-r8p
    @田中正人-r8p 3 года назад +5

    花魁の食事も知りたいです!

  • @blowinthewind2013
    @blowinthewind2013 3 года назад +5

    小雛さん、可愛そうと云うか、哀れと云うか。
    それに比べれば、今は天国、の筈なんだけど
    そう思えないのは、何故なんだろうね・・・

  • @mandm.s
    @mandm.s 3 года назад +3

    こんな食事だと肌もぼろぼろ、痩せちゃってガリガリのはず。 女郎としての見た目の魅力が褪せていくだろ。。。

  • @雁たんくII
    @雁たんくII 3 года назад +1

    甘露梅って昭和50年以降でも普通に東京で売ってるお店あったようですよ。
    香々というと分かりづらいけれど昭和の生まれの人に ” おこうこ ” 、 ” 香のもの ” と言うとたぶん通じます、香りづけをした漬物をそう呼んでいたようです。
    悪い香々というのも酸味の出た古漬けの事じゃないでしょうか…まあどっちにしろ漬かり過ぎた古漬けって
    発酵してエラく酸っぱくなりますのでどっちにしろ ” 悪い ” かもしれませんね^^;

  • @ruibosu.
    @ruibosu. 3 года назад +9

    これじゃあ美人だったろう子も、肌ボロボロのゲソゲソで使い物にすぐならなそうだけどね

    • @花咲-z4o
      @花咲-z4o 3 года назад +1

      でも現代より若くて貧困な少女はたくさんいたでしょうし。代わりはいくらでもいる。今だってそうなんだから昔なら尚更

  • @toko5418
    @toko5418 3 года назад +1

    それでも
    生きて行かねばならぬ…か…

  • @近森朱音
    @近森朱音 3 года назад +5

    いくら売られてきた身でもこれ程酷い食事とは
    食べてない日もあったとか考えられないですね
    栄養状態悪過ぎて病気の人多かったはずですよ
    今の食糧事情に感謝しないといけませんね

  • @ryuryu0928
    @ryuryu0928 3 года назад +1

    湯島、品川、千住、板橋も遊郭あったはず

  • @今古-f6p
    @今古-f6p 3 года назад +9

    今後RUclipsが強制的に広告を張り付けるみたいなので、だったら広告を付けられてはどうでしょう?
    面白い動画いつも見せてもらってるし勝手につけられるなら張り付けた方が得になった方がいいかと

  • @uni-x4w
    @uni-x4w 3 года назад +1

    5:34から本題です。

  • @hiz090zih
    @hiz090zih 3 года назад +2

    二日食わないのは驚いたなあ…

  • @鉄道模型大好きおじさん
    @鉄道模型大好きおじさん 10 месяцев назад +1

    いつものことだけど、前置が長いね。

  • @gichi_0
    @gichi_0 3 года назад

    地方キャバクラのバースデー写真みたいなサムネやな