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これ僕が生まれる6年前のプロ野球ですね!
1999年は中日の開幕11連勝が最後の最後まで響いた。。。。
そのチュニドラに唯一順位が上回ったのが最下位の阪神(1日だけだが)
この頃のジャイアンツは気合入った選手多くて良かったなぁ。村田さん清原さん上原さん…観ていて熱くなれた時代。
村田さんが1ヶ月半で復帰して不調だったチームは怒涛の快進撃で追い上げましたね。本当なら手術で1年間棒に振るのに部分麻酔で治療して復帰した時は本当に感動しました。
部分麻酔は、全然麻酔が効かずに激痛で地獄だったそうです。
@@nmucc5629 村田さんからその話聞くたびにゾッとするし同時にカッコエエってなる。
入院中に清原が見舞いに訪れた際顔を見て絶句したらしい
@@nobu3660清原「大丈夫?その顔…元に戻るの?」村田「役者になろうかな。悪役商会に入ろう」清原「なんでやねん」
97ヤクルト、98横浜、99中日、00巨人、最高にセリーグが楽しかった時代
ここが、いい時間帯しかし中身は混戦セですもんね
@@がんばれだいちゃん-r2l阪神ファンには楽しくない時代で夜明けが近いとは想像しなかった。
97年、98年、00年、01年、02年とセリーグの優勝チームは立て続けに日本一になってるしねこの頃はオールスターもセリーグが勝ちまくってたし明らかにセリーグの方がレベル高かった03年以降の20年間は日本シリーズも交流戦もオールスターもお察し…
阪神、広島「」
阪神ファンにとっては1999年は野村克也監督の元年やったが 途中までは良かったものの チームにスタミナがないもので まだ夜明けは遠いのかとため息をつくばかりの年だった
松井の偉大さを改めて痛感する。
佐野コーチの目がイイ
清原、読売でもサード守っていたのは初耳学
懐かしいCM
由伸松井清原いて、20勝ルーキーがいたのに優勝出来んとかな……松井敬遠後に打席に向かう清原の顔かっけぇ
高橋由の怪我が痛かったね。あとリリーフ陣
なんせ、この年の中日が開幕11連勝でその後もいくつものサヨナラ勝ちで奇跡的シーズンだったよね。
石井、永池とか懐かしいな😊cmがなにげに熱い!
シーズン途中でマルちゃんが加入した時は、驚きましたね。元々清原さんがFAで巨人移籍し、その穴埋めとして入り、西武のリーグ2連覇に大きく貢献してくれました。しかし、DH専門で日本シリーズのセ主催で守れず、西武が2年連続日本一を逃したので、解雇されたのは可哀想でした。そしてあれだけ活躍したマルちゃんを、パ5球団がどこも獲得しなかったのは意外だった。
確かこの年の後半くらいから応援でチャンステーマ、タオル回しが始まったんですよね。今と違い白色タオルが新鮮。
この年は大きな補強もしなかった(シーズン中にマルティネス、光山くらい)がなんとか2位になったがオフに工藤公康、江藤らの獲得などで優勝、日本一になった
25年前かぁ。
上原と高橋由と松井清原仁志元木それと石井浩郎さらに後藤福井いたなぁ
確か村田真一さんは斎藤隆さんから顔面死球喰らって全治3ヶ月でしたが、1か月位で復帰しましたね。まだ治っていないのに普通のヘルメット。顔面は骨折した場合、手や足を骨折した時と比べてプレーに対して誤魔化しが効くみたいなことを西武ライオンズの歴史の本で読みましが、村田さんはマニエルヘルメットまたはこの時にフェイスガード付のヘルメットが普及してもよかったと思います。
敗因はやはり高橋由伸選手の離脱だと思います。松井秀喜選手以上の活躍をしていたし。
村田さんの精神力には頭が下がります。復帰してからむしろバッティングが良くなって清原さんに「どういう神経してるんすか村田さん」と驚かれてましたね。
@@Transation2531村田の死球で、ガルベスが崩れて、高橋の離脱でとどめをさした。前年に審判にボール投げたのも、この年の巨人に影響したと思うしガルベスの選手生命縮めたと思う
主力の怪我は厳しい
たしか最後は巨人は横浜3連敗、中日はヤクルト3連勝で優勝決まったはず
冒頭で長嶋監督の息子の一茂が語ると言う皮肉……翌年は優勝して日本一にも輝いたけど、もし優勝できてなかったら長嶋監督の退任は1年早まっていたかも……
9月の神宮でいいようにペタジーニにやられて、ヤクルトに3タテ食らったのが大きかったような。
新人の上原浩治が20勝4敗、チームの勝敗が75勝60敗上原の貯金でも足りない結果だった
ガルベス、桑田投手が1桁勝利ではやはり優勝できませんよね。
@@Transation2531ガルベスは一度も中日に勝てなかった
@@sugisinfkk前年審判にボール投げたのと、村田の骨折で精神的支柱を失ってリズムが崩れたのと、高橋の離脱が原因
左の先発投手の勝利数が0勝。このシーズン終了後に、左の先発投手(工藤公康、ダレル・メイ、ドラフトで高橋尚成を指名)を中心に補強することになります。
一緒懸命に一生懸命戦った選手にメガホンを投げるのか。。。
それが当たり前だった時代
結果的に中日の開幕11連勝が大きい。そして、オフに読売は工藤、江藤、メイ等を補強。中日も現役メジャーのデインゴに地味に鈴木平、佐野、曹などに途中ギャラードを補強。とにかく補強合戦。。翌年のナゴヤの中日対読売 初顔合わせで、工藤 メイ 高橋尚の3タテがかなり優勝には影響した感はある。しかも 優勝決定戦の相手が中日戦。ついでに言えばナゴヤドームの2000年の最多ホームラン打者がビジターの松井秀喜(笑)
2000年開幕2カード目の新戦力左3枚の3タテはかなり痛快でした。2000年の最多HRが松井とは知りませんでした。当時の状況ならあり得ますね。
山崎武司の99年の中日優勝を決定的にする阪神:福原からのサヨナラホームランが目立ちましたが、翌年はややアベレージ重視?打率3割台でもホームラン18まで減少。2000年は中日はナゴヤドームでは巨人戦2つぐらいしか勝てず、トータルでも9勝18敗とか。野口や川上憲伸は松井秀喜によくホームラン打たれ、00年はもう一つ。ただ、新外国人バンチは健闘。中日にとって球団初の連覇も8月か9月のナゴヤでの3連敗。その年のオフに中日は巨人キラーの川崎憲次郎をFAにて獲得も怪我。2004年開幕投手に抜擢した落合政権は2011年に球団初の連覇を達成。しかし、その後のドラゴンズにジャイアンツのライバル的な存在感なし!
先発ピッチャーをリリーフに回してまで勝てる采配する監督はいない。今の巨人だったら戸郷がリリーフでその試合を締めるイメージ。今、やりそうな12球団でいますか?
この頃のフジテレビって、ヤクルトの株主のくせして露骨な巨人贔屓だったよな。そんなに巨人が好きならヤクルトの株を手放せば良かったのに。
そもそもヤクルトのオーナーが熱狂的巨人ファンだったしね。
正直この年までだったな、巨人ファンで居たのは。翌年の超大型補強でさすがに冷めた。
江藤に工藤、メイやり過ぎでしたね
杉内、村田「何て?」
わかる。2002年の松井放出ペタジーニ獲得、さらに2003年の小久保、ローズ獲得がダメ押ししたな。
そりゃそうやろ。4番ばかり揃えて。アベレージでしょう。起動もあんまりないし。
監督がねえ
これ僕が生まれる6年前のプロ野球ですね!
1999年は中日の開幕11連勝が最後の最後まで響いた。。。。
そのチュニドラに唯一順位が上回ったのが最下位の阪神(1日だけだが)
この頃のジャイアンツは気合入った選手多くて良かったなぁ。村田さん清原さん上原さん…観ていて熱くなれた時代。
村田さんが1ヶ月半で復帰して不調だったチームは怒涛の快進撃で追い上げましたね。本当なら手術で1年間棒に振るのに部分麻酔で治療して復帰した時は本当に感動しました。
部分麻酔は、全然麻酔が効かずに激痛で地獄だったそうです。
@@nmucc5629 村田さんからその話聞くたびにゾッとするし同時にカッコエエってなる。
入院中に清原が見舞いに訪れた際
顔を見て絶句したらしい
@@nobu3660
清原「大丈夫?その顔…元に戻るの?」
村田「役者になろうかな。悪役商会に入ろう」
清原「なんでやねん」
97ヤクルト、98横浜、99中日、00巨人、最高にセリーグが楽しかった時代
ここが、いい時間帯しかし中身は混戦セですもんね
@@がんばれだいちゃん-r2l阪神ファンには楽しくない時代で夜明けが近いとは想像しなかった。
97年、98年、00年、01年、02年
とセリーグの優勝チームは立て続けに日本一になってるしね
この頃はオールスターもセリーグが勝ちまくってたし明らかにセリーグの方がレベル高かった
03年以降の20年間は日本シリーズも交流戦もオールスターもお察し…
阪神、広島「」
阪神ファンにとっては1999年は野村克也監督の元年やったが 途中までは良かったものの チームにスタミナがないもので まだ夜明けは遠いのかとため息をつくばかりの年だった
松井の偉大さを改めて痛感する。
佐野コーチの目がイイ
清原、読売でもサード守っていたのは初耳学
懐かしいCM
由伸松井清原いて、20勝ルーキーがいたのに優勝出来んとかな……
松井敬遠後に打席に向かう清原の顔かっけぇ
高橋由の怪我が痛かったね。
あとリリーフ陣
なんせ、この年の中日が開幕11連勝でその後もいくつものサヨナラ勝ちで奇跡的シーズンだったよね。
石井、永池とか
懐かしいな😊
cmがなにげに熱い!
シーズン途中でマルちゃんが加入した時は、驚きましたね。
元々清原さんがFAで巨人移籍し、その穴埋めとして入り、西武のリーグ2連覇に大きく貢献してくれました。
しかし、DH専門で日本シリーズのセ主催で守れず、西武が2年連続日本一を逃したので、解雇されたのは可哀想でした。そしてあれだけ活躍したマルちゃんを、パ5球団がどこも獲得しなかったのは意外だった。
確かこの年の後半くらいから応援でチャンステーマ、タオル回しが始まったんですよね。
今と違い白色タオルが新鮮。
この年は大きな補強もしなかった(シーズン中にマルティネス、光山くらい)がなんとか2位になったが
オフに工藤公康、江藤らの獲得などで優勝、日本一になった
25年前かぁ。
上原と高橋由と松井清原仁志元木それと
石井浩郎さらに後藤福井いたなぁ
確か村田真一さんは斎藤隆さんから顔面死球喰らって全治3ヶ月でしたが、1か月位で復帰しましたね。まだ治っていないのに普通のヘルメット。顔面は骨折した場合、手や足を骨折した時と比べてプレーに対して誤魔化しが効くみたいなことを西武ライオンズの歴史の本で読みましが、村田さんはマニエルヘルメットまたはこの時にフェイスガード付のヘルメットが普及してもよかったと思います。
敗因はやはり高橋由伸選手の離脱だと思います。松井秀喜選手以上の活躍をしていたし。
村田さんの精神力には頭が下がります。復帰してからむしろバッティングが良くなって清原さんに「どういう神経してるんすか村田さん」と驚かれてましたね。
@@Transation2531村田の死球で、ガルベスが崩れて、高橋の離脱でとどめをさした。前年に審判にボール投げたのも、この年の巨人に影響したと思うしガルベスの選手生命縮めたと思う
主力の怪我は厳しい
たしか最後は巨人は横浜3連敗、中日はヤクルト3連勝で優勝決まったはず
冒頭で長嶋監督の息子の一茂が語ると言う皮肉……
翌年は優勝して日本一にも輝いたけど、もし優勝できてなかったら長嶋監督の退任は1年早まっていたかも……
9月の神宮でいいようにペタジーニにやられて、ヤクルトに3タテ食らったのが大きかったような。
新人の上原浩治が20勝4敗、チームの勝敗が75勝60敗
上原の貯金でも足りない結果だった
ガルベス、桑田投手が1桁勝利ではやはり優勝できませんよね。
@@Transation2531
ガルベスは一度も中日に勝てなかった
@@sugisinfkk前年審判にボール投げたのと、村田の骨折で精神的支柱を失ってリズムが崩れたのと、高橋の離脱が原因
左の先発投手の勝利数が0勝。
このシーズン終了後に、左の先発投手(工藤公康、ダレル・メイ、ドラフトで高橋尚成を指名)を中心に補強することになります。
一緒懸命に一生懸命戦った選手にメガホンを投げるのか。。。
それが当たり前だった時代
結果的に中日の開幕11連勝が大きい。
そして、オフに読売は工藤、江藤、メイ等を補強。
中日も現役メジャーのデインゴに地味に鈴木平、佐野、曹などに途中ギャラードを補強。
とにかく補強合戦。。
翌年のナゴヤの中日対読売 初顔合わせで、
工藤 メイ 高橋尚の3タテがかなり優勝には影響した感はある。
しかも 優勝決定戦の相手が中日戦。
ついでに言えばナゴヤドームの2000年の最多ホームラン打者がビジターの松井秀喜(笑)
2000年開幕2カード目の新戦力左3枚の3タテはかなり痛快でした。2000年の最多HRが松井とは知りませんでした。当時の状況ならあり得ますね。
山崎武司の99年の中日優勝を決定的にする阪神:福原からのサヨナラホームランが目立ちましたが、
翌年はややアベレージ重視?
打率3割台でもホームラン18まで減少。
2000年は中日はナゴヤドームでは巨人戦2つぐらいしか勝てず、トータルでも9勝18敗とか。
野口や川上憲伸は松井秀喜によくホームラン打たれ、
00年はもう一つ。
ただ、新外国人バンチは健闘。
中日にとって球団初の連覇も8月か9月のナゴヤでの3連敗。
その年のオフに中日は巨人キラーの川崎憲次郎をFAにて獲得も怪我。
2004年開幕投手に抜擢した落合政権は2011年に球団初の連覇を達成。
しかし、その後のドラゴンズにジャイアンツのライバル的な存在感なし!
先発ピッチャーをリリーフに回してまで勝てる采配する監督はいない。
今の巨人だったら戸郷がリリーフでその試合を締めるイメージ。
今、やりそうな12球団でいますか?
この頃のフジテレビって、ヤクルトの株主のくせして露骨な巨人贔屓だったよな。
そんなに巨人が好きならヤクルトの株を手放せば良かったのに。
そもそもヤクルトのオーナーが熱狂的巨人ファンだったしね。
正直この年までだったな、巨人ファンで居たのは。
翌年の超大型補強でさすがに冷めた。
江藤に工藤、メイ
やり過ぎでしたね
杉内、村田「何て?」
わかる。2002年の松井放出ペタジーニ獲得、さらに2003年の小久保、ローズ獲得がダメ押ししたな。
そりゃそうやろ。4番ばかり揃えて。アベレージでしょう。
起動もあんまりないし。
監督がねえ