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勉強になります
わー、南禅寺、待ってました!ヤッタ~😆私は家が近い事もあって、時々友人を案内するので、興味深いお話を聞けて良かったです。遠近法の話、ご存じかも知れませんが、龍安寺の塀も、高さを微妙に変えてありますよね。庭園がお好きでしたら、神社仏閣ではありませんが、南禅寺近くの無鄰菴も素敵ですよ。😊✨金地院はまだ行った事がないので、近々行ってみます。😀いつも素敵な動画をありがとうございます。
コメントありがとうございます!興味深いと言っていただけて嬉しいです。龍安寺の件、参考文献(『京都格別な寺』)には小堀遠州の作庭ではないかと書かれていました。こちらこそありがとうございます。
山田様 勉強になりますし、楽しいですし、京都に行きたくなります♪
いつも楽しく拝見しています。山田さんの解説を英語にしてガイドをやっています。でも、小堀遠州って本当に西洋の庭園技術を知っていたんでしょうかね?遠近法とか対称性とか。南禅寺界隈は、別荘がたくさんあり、特に小川治兵衛作庭の料亭もあるのですね。本当に別格の土地だと思います。
素晴らしいです
初めまして🥰遠方からの友人に京都を案内する際動画を参考にさせていただきました❤️特にお茶のお話や「絶景かな」のお話を喜んでくれてすごく満足して帰ってくれましたまたアップ楽しみにしています❤️
コメントありがとうございます!お役に立てたようで何より嬉しいです。他の動画もぜひご覧ください!
「石川五ェ門が三門に登ってないかも説」にはとても驚きました。また、「逆光かな逆光かな」で吹き出して笑いました(笑)お話しがとても上手く面白い!金地院、本当に素晴らしい塔中なんですね。また行きたくなりました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます!こちらこそご覧いただきありがとうございます!金地院、小さいですがとても好きです。
很棒👍,謝謝你的提供和分享🙏!
当家のお墓は金地院にあります。法事も金地院さんで行います。紹介して頂けて嬉しいです、ありがとうございます
仏教はらいはい、キリスト教なられいはい、ですね。😅かなり勉強になります。ありがとうございます。これからも続けて、いつか出会えたら嬉しいです。
こんにちわ。動画ありがとうございます。いろいろ…見させていただいてます。☺️☺️☺️☺️☺️
南禅寺とは?スーパー富裕層の別荘地だった………非公開の別荘が多くある😱→15邸智水庵(ちすいあん)→前澤友作何有荘(かいうそう)→ラリー・エリソン對龍山荘(たいりゅうさんそう)→ニトリ真々庵(しんしんあん)→パナソニック洛翠(らくすい)→柳井正流響院(りゅうきょういん)→真如苑清流亭→大松株式会社怡園(いえん)→所有者不明(京都の会社)碧雲荘(へきうんそう)→旧野村財閥(4000坪)有芳園(ゆうほうえん)→住友家無鄰菴(むりんあん)→京都市
三門のところでまた藤堂高虎出てきましたね!こうやって知った名前が所々で出てきて新しい繋がりが知れるのがお寺とか史跡巡りの醍醐味ですよねー。金地院は行ったことがなかったので見れてよかったです!
コメントありがとうございます!お寺の醍醐味の件、まさに僕もそう思っています!金地院もよかったです。
楼門五三桐さんもんごさんのきり 昔は誰でも知っていた常識でしたが、今の人は知らないようですね。
今度天龍寺もお願い致します😅🙏
逆光かな、最高😂
解説よくわかった
山田大雅様出来れば天龍寺も動画アップして貰いたかたです😅❤
まあ史実は史実、歌舞伎は物語ですから、どれほど景色が良いのかのエピソードとして時の有名人も言ってたよと引き合いに出したまででしょう。
鳥辺野、紫野、嵯峨野、北野・・大昔の京都の人達の死体処理方法について詳しく知りたいな・・・中でも鳥辺野はその地名も無くなっている。
コメントありがとうございます!勉強になるご質問をありがとうございます!詳細は、その辺りにフィーチャーした動画をいずれあげたいので、その時までに調べて共有します。その上で、今ざっと調べた限り、次のように言えそうです。ここでは、葬送地にフィーチャーすることとし、埋葬法についてはまたの機会とします。①京都を囲む三方向の山それぞれに、大きな葬送地が形成されていった。東山の鳥辺野、西山の化野、そして北山の蓮台野(紫野)がそれである。洛内における埋葬は、建前としては禁止されたが、守られず洛内に死体が捨てられることもよくあった。(以上、出典「平安京・中世京都の葬地と墓制」。)②鳥辺野は、平安時代に貴族の葬送地となった。庶民も埋葬されたが、むしろ庶民は、鳥辺野の入り口に当たる鴨川河川敷に捨てられることの方が一般的であった。あるとき、これらの死体を空也が一箇所に集め、火葬した。この場所に創建したのが六波羅蜜寺である。(以上、出典「『鳥辺野』の空間的特質に関する考察」。)なお、葬送地と墓地が同一であったとは限らず、例えば、藤原氏の墓地は代々宇治小幡の浄妙寺に、九条・一条氏は東福寺に墓地が営まれたらしい。(「平安京・中世京都の葬地と墓制」)③蓮台野は、平安時代に皇族の葬送地となった。花山、一条、三条、白川、二条、堀河など平安時代の天皇が多く埋葬された。庶民が埋葬されたかどうかは、調べた限りわからなかった。(以上、出典「『蓮台野』の空間的特質に関する考察。)④化野については、鳥辺野や蓮台野と並ぶ葬送地という以上の情報は発見できなかった。⑤以上の三大葬送地以外に、葬地がなかったわけではない。例えば、鎌倉時代には、現在の東本願寺から渉成園にかけての領域一帯には墓地が広がっていたらしい。(「平安京・中世京都の葬地と墓制」)という感じでした。参考になれば幸いです。
よく短時間で調べましたね。鳥辺野付近は皇族銀座で沢山の皇族の墓が有りますが庶民は下流の方で放置してたんですね、それは知らなかった。秩序も無くお金もない庶民は火葬も大穴も掘る事も出来ず死体を大八車に乗せてぽ~ぃと捨ててたんだと思ってました。お寺ユーチュバーの範囲外ですがお寺と死体は切れない関係かなと思いまして質問させていただきました。しかし京都は六波羅蜜寺とか有名な話ですが、世の中の人達は死体をどうしていたのか気になります。私の婆さんは、神輿で棺桶を担いで田んぼの中の火葬場に行きマキで2人の担当の人が入り口煉瓦とセメントで封鎖して家族が藁で火入れして火葬していました。今そんな事してないと思いますけど(滋賀県昭和40年代末期)
京都市で一番高い山は愛宕山ではありません。
蹴上発電所を見てください。
今度行ってみます!
勉強になります
わー、南禅寺、待ってました!
ヤッタ~😆
私は家が近い事もあって、時々友人を案内するので、興味深いお話を聞けて良かったです。
遠近法の話、ご存じかも知れませんが、龍安寺の塀も、高さを微妙に変えてありますよね。
庭園がお好きでしたら、神社仏閣ではありませんが、南禅寺近くの無鄰菴も素敵ですよ。😊✨
金地院はまだ行った事がないので、近々行ってみます。😀
いつも素敵な動画をありがとうございます。
コメントありがとうございます!
興味深いと言っていただけて嬉しいです。龍安寺の件、参考文献(『京都格別な寺』)には小堀遠州の作庭ではないかと書かれていました。
こちらこそありがとうございます。
山田様 勉強になりますし、楽しいですし、京都に行きたくなります♪
いつも楽しく拝見しています。山田さんの解説を英語にしてガイドをやっています。でも、小堀遠州って本当に西洋の庭園技術を知っていたんでしょうかね?遠近法とか対称性とか。南禅寺界隈は、別荘がたくさんあり、特に小川治兵衛作庭の料亭もあるのですね。本当に別格の土地だと思います。
素晴らしいです
初めまして🥰
遠方からの友人に京都を案内する際
動画を参考にさせていただきました❤️
特にお茶のお話や「絶景かな」のお話を喜んでくれてすごく満足して帰ってくれました
またアップ楽しみにしています❤️
コメントありがとうございます!
お役に立てたようで何より嬉しいです。
他の動画もぜひご覧ください!
「石川五ェ門が三門に登ってないかも説」にはとても驚きました。また、「逆光かな逆光かな」で吹き出して笑いました(笑)お話しがとても上手く面白い!
金地院、本当に素晴らしい塔中なんですね。また行きたくなりました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます!
こちらこそご覧いただきありがとうございます!
金地院、小さいですがとても好きです。
很棒👍,謝謝你的提供和分享🙏!
当家のお墓は金地院にあります。
法事も金地院さんで行います。
紹介して頂けて嬉しいです、ありがとうございます
仏教はらいはい、キリスト教なられいはい、ですね。😅
かなり勉強になります。ありがとうございます。
これからも続けて、いつか出会えたら嬉しいです。
こんにちわ。動画ありがとうございます。いろいろ…見させていただいてます。☺️☺️☺️☺️☺️
南禅寺とは?
スーパー富裕層の別荘地だった………
非公開の別荘が多くある😱→15邸
智水庵(ちすいあん)→前澤友作
何有荘(かいうそう)→ラリー・エリソン
對龍山荘(たいりゅうさんそう)→ニトリ
真々庵(しんしんあん)→パナソニック
洛翠(らくすい)→柳井正
流響院(りゅうきょういん)→真如苑
清流亭→大松株式会社
怡園(いえん)→所有者不明(京都の会社)
碧雲荘(へきうんそう)→旧野村財閥(4000坪)
有芳園(ゆうほうえん)→住友家
無鄰菴(むりんあん)→京都市
三門のところでまた藤堂高虎出てきましたね!
こうやって知った名前が所々で出てきて新しい繋がりが知れるのがお寺とか史跡巡りの醍醐味ですよねー。
金地院は行ったことがなかったので見れてよかったです!
コメントありがとうございます!
お寺の醍醐味の件、まさに僕もそう思っています!
金地院もよかったです。
楼門五三桐さんもんごさんのきり 昔は誰でも知っていた常識でしたが、今の人は知らないようですね。
今度天龍寺もお願い致します😅🙏
逆光かな、最高😂
解説
よくわかった
山田大雅様出来れば天龍寺も動画アップして貰いたかたです😅❤
まあ史実は史実、歌舞伎は物語ですから、どれほど景色が良いのかのエピソードとして時の有名人も言ってたよと引き合いに出したまででしょう。
鳥辺野、紫野、嵯峨野、北野・・大昔の京都の人達の死体処理方法について詳しく知りたいな・・・中でも鳥辺野はその地名も無くなっている。
コメントありがとうございます!
勉強になるご質問をありがとうございます!
詳細は、その辺りにフィーチャーした動画をいずれあげたいので、その時までに調べて共有します。
その上で、今ざっと調べた限り、次のように言えそうです。ここでは、葬送地にフィーチャーすることとし、埋葬法についてはまたの機会とします。
①京都を囲む三方向の山それぞれに、大きな葬送地が形成されていった。東山の鳥辺野、西山の化野、そして北山の蓮台野(紫野)がそれである。洛内における埋葬は、建前としては禁止されたが、守られず洛内に死体が捨てられることもよくあった。
(以上、出典「平安京・中世京都の葬地と墓制」。)
②鳥辺野は、平安時代に貴族の葬送地となった。庶民も埋葬されたが、むしろ庶民は、鳥辺野の入り口に当たる鴨川河川敷に捨てられることの方が一般的であった。
あるとき、これらの死体を空也が一箇所に集め、火葬した。この場所に創建したのが六波羅蜜寺である。
(以上、出典「『鳥辺野』の空間的特質に関する考察」。)
なお、葬送地と墓地が同一であったとは限らず、例えば、藤原氏の墓地は代々宇治小幡の浄妙寺に、九条・一条氏は東福寺に墓地が営まれたらしい。(「平安京・中世京都の葬地と墓制」)
③蓮台野は、平安時代に皇族の葬送地となった。花山、一条、三条、白川、二条、堀河など平安時代の天皇が多く埋葬された。庶民が埋葬されたかどうかは、調べた限りわからなかった。
(以上、出典「『蓮台野』の空間的特質に関する考察。)
④化野については、鳥辺野や蓮台野と並ぶ葬送地という以上の情報は発見できなかった。
⑤以上の三大葬送地以外に、葬地がなかったわけではない。例えば、鎌倉時代には、現在の東本願寺から渉成園にかけての領域一帯には墓地が広がっていたらしい。(「平安京・中世京都の葬地と墓制」)
という感じでした。参考になれば幸いです。
よく短時間で調べましたね。鳥辺野付近は皇族銀座で沢山の皇族の墓が有りますが庶民は下流の方で放置してたんですね、それは知らなかった。秩序も無くお金もない庶民は火葬も大穴も掘る事も出来ず死体を大八車に乗せてぽ~ぃと捨ててたんだと思ってました。お寺ユーチュバーの範囲外ですがお寺と死体は切れない関係かなと思いまして質問させていただきました。しかし京都は六波羅蜜寺とか有名な話ですが、世の中の人達は死体をどうしていたのか気になります。私の婆さんは、神輿で棺桶を担いで田んぼの中の火葬場に行きマキで2人の担当の人が入り口煉瓦とセメントで封鎖して家族が藁で火入れして火葬していました。今そんな事してないと思いますけど(滋賀県昭和40年代末期)
京都市で一番高い山は愛宕山ではありません。
蹴上発電所を見てください。
今度行ってみます!