「空白の1日・江川事件」巨人の歴史上”最大の汚点”を中畑清が語る。小林繁と江川卓の電撃トレード||酒の肴にたらればスポーツ ~プロ野球ドラフト会議編~
HTML-код
- Опубликовано: 10 сен 2024
- 【BSテレ東 10月30日(金)よる9時 酒の肴にたらればスポーツ ~プロ野球ドラフト会議編~】
1978年。プロ野球ドラフト史に残る「江川事件」ドラフト前日に巨人が「空白の1日」を利用して江川卓と契約。しかし、ドラフト当日に江川は阪神から指名を受けわずか数時間の在籍…
そして、巨人の超人気選手・小林繁と江川卓の電撃トレード… 球史に残る大事件当時、現役選手だった中畑清が江川事件を斬る!
【酒の肴にたらればスポーツ ~プロ野球ドラフト会議編~】
放送日時:BSテレ東 10月30日(金)よる9時
禁断の企画がついに実現!スポーツの名場面を振り返り「あの時ああなっていたら」「こうしていれば」とたられば話を熱く語り合うスポーツトークバラエティー!今回はプロ野球ドラフト会議編!
甲子園を沸かせた清原・桑田のKKコンビ。8球団もの1位指名を受けた野茂英雄。4位指名で入団した世界のイチロー。メジャー行きと目された大谷翔平の強行指名など、ドラフト名場面がズラリ!
「清原が西武でなく巨人へ入団していたら」「大谷が高卒でメジャーに行っていたら」誰もが抱く禁断の妄想話に、一同、話が止まらない!!
【出演者】
MC:岡田圭右(ますだおかだ)
アシスタント:サーヤ(ラランド)
ゲスト:中畑清、松村邦洋、藤田憲右(トータルテンボス)、いけだてつや
#ドラフト #江川卓 #小林繁 #中畑清 #巨人 #阪神 #ドラフト会議 #プロ野球
人生は不思議だわ
不本意?で行った阪神で巨人時代以上の活躍して
当時は国民的ヒーローだったよね
しかも哀愁をそこはかとなく纏って
早くに逝ったから悲運のエースのイメージあるが
巨人相手に投げる阪神のエース小林はかっこよかった!
しかも勝つんだからね
あのトレード事件で巨人ファンを辞めた人は多かったな、ウチの親父もそうだ。
小林繁さん「俺も君もしんどかったし、しんどかったやろうな・・・。」江川さんとのCM、泣いたわ。
てか当時小林かばってる人いたか?
小林が出された理由、人気ない。プロでは当たり前のこと
当時巨人のエース格、前シーズンに対阪神戦だけで5勝挙げてる投手だけどな…
@@oinao 人気あったから一年目の江川が死ぬほどジャイアンツファンから叩かれてたんやろ
@@oinao
え? 当時の小林は巨人のエース格だよ。
俺もあのトレードにはびっくりした。
それと、あの小林の男の意地。
@@oinao
当時を知ってるの?(笑)
小林さんもあの時は巨人に居たかっただろうね。
小林はほんまカッコよかった
中畑の話を聞きたいのに、岡田がうるさくて…
僕も、そう思います。
全くですね。
ほんと、合いの手が下手過ぎ。うるさいし不愉快
岡田は、この種の仕事は下手くそだわ!
以前もいじめ問題を真面目に議論をしている時にギャグを飛ばして話の腰を折っていたわ!
ほんと、空気読めねえ芸人やわ
江川は自分とのトレードは無しという条件で巨人に入団したと本人が言ってたな。
あと、芸能レポーターやマスコミが野球選手を追っかけるようになったのは、江川が最初。
江川と桑田は鋼のメンタルだったな。並の神経じゃ潰れてた。
江川卓の精神力すごいな。
巨人の一番の汚点は「たかが選手が」じゃない?
その後ストまで起きたし
まさに くそナベツネ だもんね
2004年プロ野球初のストライキに至った時のあの方の暴言ですな。
あの方は陰で『新リーグへの道筋を潰したのは許せん』とか、本人は行く意思は無いのに『古田君は来年大リーグに挑戦するんだろう、あっちでがんばって欲しいね』と言いたい放題の発言しまくっていた様な・・・。
本人は軍隊行って戦後共産党入って、思想矛盾で決別し、中曽根のフィクサーになるなどした一方で軍隊の非人間性を告発し続けたかつての大言論人だった。結局若い頃の理想を失くした薄汚いジジイに落ちぶれた。そんだけだよ。
@@user-zw5yl9vn5t さん 桑田とか由伸の入団時にも黒いとこありましたよね。
野球賭博だと思うな
最後の場面の中畑氏の…ん?それだけか!→全員大爆笑…素晴らしい…芸人より笑いの取り方をマスターしている…🙇
プロ野球のルール=巨人
それを具現化した出来事でしたね👍️
いやそれは違います。もし、プロ野球のルール=巨人なら、『空白の1日』は明らかに合法なのだから『江川さんは1年の浪人という犠牲を払った甲斐があり巨人入りを果たせた(阪急の妨害指名がなければ大学での疲労骨折も無かった)』となったはず。
プロ野球実行委員会という密室がしでかした悲劇です。
@@user-rb3fx7bb2t 貴方にお聞きしたいことがある。「空白の1日は明らかに合法」と言われたけど野球協約に違反しないということですか?。
そもそも合法というのは『法律に合っている』という意味でプロ野球界の規則である野球協約には当てはまりません。これは当時コミッショナーが声明を出しています。法律と野球協約は違うと明確に示しました。またル―ル(野球協約)に違反にしないと言ったのは巨人と江川です。それを否定したコミッショナーが間違いということですか?。
プロ野球実行委員会が密室といいますがそもそも会議は密室で行われます。更に言えばその密室でプロ野球界のことを決めると巨人を含めた全球団が合意しています。あたかも実行委員会が悪いかのように言うのは無理があると思います。
そもそも阪急が指名したのを妨害というけど、それは全く間違いです。
欲しい新人選手がいたら指名する。
それのどこが悪いのでしょうか。
野球協約上どこの球団が指名してもいい訳です。その代わり本人に拒否する権利を認めています。
選手が行きたい球団以外指名してはいけないなんてル―ルはありません。
そもそも空白の1日なるものを考えたのは江川の母校作新学院の理事長で政治家だった船田中の秘書蓮見進
です。蓮見は内閣法制局に確かめて
法律上問題はないと聞いて、巨人の
球団社長だった長谷川に話して実行されたことです。
ドラフト会議前日に新人選手と契
約ができる根拠を示してください。
当時の野球協約に「交渉期限が切れたら契約ができる」とは全く書いてません。『できないと書いてないからできる』と解釈したのが巨人であり江川であり蓮見です。
江川は契約の当事者だから関係ないとは言えません。
プロ野球界のことは野球協約の解釈を含めて実行委員会で決める。
これがル―ルです。
『野球協約は国家の法律とはわけが違う。野球組織の秩序を維持し、野球の繁栄を招来するために設けられた自治的規範である。すべてを法律で片付けるなら、野球組織に独自の野球協約は必要ではない』(昭和53年12月21日。金子鋭コミッショナー裁定)
私特異点ゼロに訊きたいといった方、質問の意味が良くは分からないが、まず仮回答をします。
法律は憲法に則って定め施行しなければならない。よって世の中のルールは、法律を逸脱してはならないし、異なる解釈も許されない。『俺達の世界には俺達のルールがある』なんて言うローカルルールを振りかざすことは許されない。それが法治国家です。
また日本のドラフト制度は、メジャーと異なり1年に一度しかなく、大学在学中などは指名されない、できない。ただ断ることしかできず、他の組織に属して何年か待つか、1年浪人するしかない。救済措置がない。入りたくない球団から指名された者からしたら妨害以外の何者でもないですよ。
@@user-rb3fx7bb2t 質問の意味が分からない。と言いながら仮回答として持論を展開するのはとても奇妙だ。
空白の1日というのが合法という法的根拠を示してほしいと言っただけだ。前にも書いてあるが、船田中の
秘書蓮実は考えただけで何の法律に違反しないのか何も言っていない。
分からないならもう一度整理して書こう。
以下の質問に答えてもらおう。
【1】法律と書いているが、何の法律かはっきり書いてほしい(何法か)。又憲法というなら具体的に何条のことか示してもらいたい。
【2】ローカルル―ルというの初めて聞いた。そもそも国家は司法権が及ばない自律的規範を有する特殊な団体を認めている(判例に於いて)。内部紛争に関しては自律的な判断を尊重する。つまり団体内部で解決すベきということ。これが部分社会の理論。法治国家というがこれを否定するのか?。
【3】昭和53年江川問題の渦中で、
ドラフト制度が参議院で審議されて
最終的に「法律的には問題ないかもしれないが、新人選手から見て強い拘束力を感じるところがあると、すれば球界が自主的に改善を図るベき」(強い拘束力があるとは言っていない)となった。これが法務省、労働省、文部省の一致した見解。つまり立法府はドラフトそのものに法律上問題はないとした。球界が自主的に改善すべきとはっきり言っている。国会が間違いというなら具体的に何の法律に違反して問題なのか明確にしてもらいたい。
野球協約、プロ野球実行委員会及びコミッショナーが出した裁定が間違い乃至は問題というならはっきり答えられるだろう。
ここは公の場だから、私に限らず、
誰が読んでも納得する回答を求める。
持論展開はどちらもどちら。
司法権の及ばない自立的規範の判例は何年何月の最高裁大法廷で出たのか?
そういうことを示さず、一方的です。
因に合法的根拠は当時ジャイアンツが江川卓さんの地位保全の訴えを起こす構えを見せたとき紙面を賑わせた中に書かれている。
法律家のコメントも幾つか載っている。
あなたのためにわざわざそのときのデータを調べ出す理由も義理もありません。
あなたが探して、合点が行かなければ、またこの欄でコメントしてください。
司会のマイクが大きすぎ。。
賛否両論あると思うが小林さんのトレードの話聞いて私は巨人が嫌いになりもした。
松村邦洋さんの
「みんな川藤さんみたいなファッション」には笑った
引退して数年後にテレビ番組でキヨシさんが「キミ(江川)はスマートな入り方じゃ無かったよねw」って弄っていたけど、巨人OB会会長が「汚点」と断言しているところに未だにこの問題が重大なのかがうかがえるな。
おれ、地味に桑田もきらい おかしくね?
桑田は一応ルールに則ってるからなあ
江川事件に関しては、誰も長嶋茂雄を非難しないね。
この人も裏で暗躍していた。
小林さんは、慕っていた長嶋に裏切られたのもショックだったのではないか。
それはそうです。小林繁氏ははっきり自分を追い出したと言ってますから。しかも自らドラフトをボイコットして、その裏でドラフト外で選手獲得に奔走した。
松沼兄弟と江川事件の渦中に会ってますから。しかも笑顔で交渉してます。結局松沼兄弟は西武に入りましたけど。あれだけの騒ぎになってもどこ吹く風で選手を取ることしか考えてない。出された小林繁氏のことなど全く考えてなかったと思います。
因みに西武は江川を取れなかったので巨人が狙った松沼兄弟を堤が「巨人に取らせるな」と言って、二人で1億5千万の契約金で取りました。
うわっ!これは貴重なVTR よ。キヨシが空白の一日語るか~
OB会で思い出した。エモやん言うてたぞ「江川なあ、あいつだけは‥‥‥法政大学のOB会にも来ないしな」
それはそうでしょう。
法政も行きたくて行った訳ではないから。
慶応に断られて仕方なく入った。
まあ江川にすれば六大学で投げられればどこでも良かったから、特に大学に思い入れはないでしょう。
OBという意識もないかもしれません。
慶応を受けて不合格だと本人がコメントされてます。
同じタイプの芸人で左右挟むのはあんまり良くないなキヨシの話が聞こえん
岡田うるさすぎて
江川問題は今だったら日本のプロ野球がダメならメジャーという手もある。が当時は野球人気絶頂期でそれも「巨人人気」一本だったからね。江川が巨人に入りたいという情熱も否定できない。でも掟破りはダメだよ。
江川が巨人にこだわったのは親戚関係の仕事も関係有るらしいよ!
@@user-ju4rm7ql7m 確かに
江川さんは他の球団でも良いと言ってた。こだわったのは親父さん。
@@user-os8we4sb9g という親族だよね。
江川も球団からは問題はないと言われて契約したので被害者なんだよな
あんなやり方で江川を獲りにいき、ドラフト会議をボイコット。日本プロ野球の最大の汚点だと思う。
しかも自分たちでボイコットをして
全チームが参加していないドラフト会議は無効とまで言った。どこまで
横暴なのか(苦笑)。
@@theunknown7284横暴って言うよりアホ、堂々と出席して他の選手取りに行ったら良い。落合だって松沼兄弟だって取れた。
江川は高卒で阪急行ってたら300勝してた筈だ
阪急ブレーブスが妨害指名しなければ10番くじ引きの川上ジャイアンツが指名できた。
つくづく運の無い、また当時のジャイアンツもくじ運悪すぎる。
早慶戦で野球をやりたいために大学進学して高校卒業してプロ野球選手は頭になかったそうです
中畑さんの話がききたい ほかはだまっておけ。球団の方針に巻き込まれた江川・小林の2人が本当の被害者では?
掛布が江川はドラフト制度の犠牲者だ…と言ってたね。
失礼だけど、それは間違いですね。空白の1日の時江川は巨人から説明を受けて納得して契約したと会見で言っています。法大法科卒の江川が契約の意味をわからない訳はありません。合意したということはあくまで江川も当事者です。決して被害者ではありません。
また掛布は江川と親しいからそう言ったのでしょう。
自分も同じドラフト制度で阪神に入団したことを忘れてほしくないと思います。
今となっては、欲深いオトナ共の魑魅魍魎に翻弄された天才野球青年の悲劇、といってよいと思う。そして小林繁氏の人生をも変えてしまった……
0:39 絶好調キヨシおとうさんの喝聞きました
巨人史上最大の汚点と言うのはその通りで
後に読売新聞が社史を編纂した時も
この江川問題に関しては全く触れていない。
読売の隠蔽です。巨人の親会社が自ら汚点を曝すことはしません。
ただ社史では触れてなくても、長嶋が監督時代(第二次)に読売は「巨人軍ヒストリー」という本を出した。この中で江川事件に触れてドラフトが「職業選択の自由を奪う制度であるのは明らかだった」と書いてある。しかし巨人は江川を獲得したら何も言わなくなった。ドラフトの指名のやり方を変えたら職業選択の自由を奪わなくなったということか?。
本には「ホッとしたかのように、金子コミッショナーが辞任を表明した」と記しているが、一番ホッとしたのは巨人だろう。因みにこの「巨人軍ヒストリー」という本の江川事件の箇所に江川の身代わりになった小林繁の名前は書かれていない。これ
が巨人軍が監修し読売が発行した著書である。
まさに汚点以外の何ものでもない。
事件を仕組んだのは、読売巨人軍であり、トレードになったのは、コミッショナーと巨人・阪神の話合い。
巨人入りを熱望はしていたが、受け身にしかなりえなかった選手個人が何故あそこまでたたかれたのかな・・・
テレビのニュースで、江川の「まぁそんなに興奮しないでください」という発言が最初に流れたので、人を小馬鹿にしているように受け止められて反感を持たれたのでした。実はあの発言の直前にある記者がとても興奮した口調で、野球協約の不備を突いた入団をすることに江川君はどう思うのか、と問いただす質問をしたから江川はなだめたのですが、ニュースでは記者の質問はカットされ、江川の発言から始まりました。記者の質問をカットしたことにテレビ局の悪意があったかどうかは、僕は分かりません。
江川報道についてはマスコミの悪意があったと思います。だからと言って江川が
被害者とは言えません。
江川はドラフト前日巨人と契約した時に会見ではっきりと「野球協約の違反ではない。納得して契約した」と言っています。巨人と江川は合意して契約したので共犯関係です。受けみにしかなりえないというのは間違いです。プロ野球の選手は個人事業主で一般の会社員とは違います。巨人の説明を受けた上で自分の意思で契約をしました。巨人が脅した訳でもない。
受けみにしかならないというなら阪急やクラウンを拒否できると思いますか。
ドラフト制度に欠陥はあっても自分の意思で入団を拒否する自由は認めてました。しかし江川サイドは巨人に入る為に作新学院理事長で衆院議員だった船田中がドラフト前に会見で「巨人以外は指名しないでほしい」と公開の場で圧力をかけました。更に浪人した江川を翌年指名できるようにドラフト制度を変えました。勿論これらは江川本人が頼んだ訳ではない。しかしそのことを百も承知でアメリカに行って電撃的に巨人と契約しました。「九州は遠い」とクラウンを蹴ったのは江川の意思だし野球協約を無視して巨人と契約したのも江川の意思です。
受けみどころか巨人に入る為に積極的に行動したのが江川です。挙句の果てに「金銭トレードにしてほしい」と言った。これは巨人のことを考えたのではなく自分が巨人でやりやすいようにする為です。まだどこの球団とも契約してない人間が言うことだと思いますか。セリーグ会長。阪神と対等に話し合いました。
その結果阪神と契約してユニフォームを着ないで巨人に入った。この動画で松村が言ってるように「どんな手を使っても阪神に入らない」というのは当時のプロ野球ファンが思ったことです。
何故江川がたたかれたか。
一言で言えばプロ野球をナメた態度をとったからです。人に迷惑をかけたくないなら阪神に入ればいい。
それを自分の意思でしなかったからです。
後年江川は「プロ野球に入りたかったのではない。巨人に入りたかった」と言っています。
@@theunknown7284 おっしゃる通りですね。結果的に巨人に入れたんですから、私も被害者とは思いません。阪急を蹴ったのも、クラウンライターを蹴ったのも、本人の意思ですし、何としてでも巨人に入りたかったのは事実だと思います。
しかし空白の一日という掟破りの主導は何がなんでも江川が欲しかった読売側であったはずです。
一見、ふてぶてしくは見えましたが、自分が学生時代、あるいは新入社員のころの精神レベルを思うと読売の幹部の動きにたいしては、やはり受け身にしかなりえなかったように思うんです。
しかしマスコミは読売にというより、会社をとやかく言えない矢面に立たされた江川個人に集中攻撃をかけました。
3年後にタイトルを総なめにしたときも「当面、巨人からは沢村賞を出さない」と言うならわかるけど結局受賞したのは、同僚の西本でした。やはり記者たちも直接、読売に攻撃しづらかったのでしょうか。そこに同情の余地を感じた次第です。
@@theunknown7284 僕は江川さんは悪いと言いませんが、だからといって被害者というほどでもなく、世間から叩かれて可哀想に思うだけです。記者会見の前、野球協約の不備を突いた入団をすることを打ち合わせた席で、江川さんは「こんなことをして大丈夫なんですか」と不安そうに尋ねましたが、正力亨オーナーか船田中議員かに「君は心配しなくて良い」と諭されています。だからオーナーと議員を信頼して、記者会見では間違っていないと答弁しました。もし間違っていると答えたら、オーナーと議員の顔を潰すからです。
クラウンライターの指名を蹴って米国に野球留学したのも江川さんの発案でなく、船田中理事長か作新学院職員の提案に従っただけです。最終的に合意したのは江川さんですが、周囲の大人達が敷いたレールに乗っただけと僕は見ます。野球選手は個人事業主といっても、当時の江川さんは野球の能力に秀でただけの22~23歳の若者だから、全て自己責任にするのはどうかと思います。
@@user-eg7qs3ld5q それは間違い。
何故あの空白の1日を仕組んだか。江川本人の意思を実現する為です。正力オーナーと作新学院理事長だった船田中の顔をつぶすからなんてとんでもない詭弁です。全ては江川本人と父親の果てしない欲望いや野望の為にやったことです。
江川はどんな形でもいいから巨人に入りたかった。当然巨人も江川を欲しかった。だから空白の1日で契約をした。記者会見ではっきりと「野球協約の違反じゃない。納得して契約した」と言っている。合意をした時点で江川は契約の当事者である。対等な立場で契約をしました。
江川は引退後著書で
説明を受けた後「自分でも
違反しないと思った」と書いている。江川がどれだけ野球協約を理解していたか知らないけど。また法律上の問題もないとまで書いている。自分が法学部卒だから(苦笑)。そもそもあの空白の1日を考えたのは読売ではありません。江川の後見人で政治家だった船田中の秘書です。「江川を巨人に入れたいから考えろ」と言って秘書に野球協約を渡した。元々江川を作新学院の職員として浪人させて
当時は認められていなかった浪人をドラフトの対象とできるように変えた。これは国会で取り上げたから。
巨人を含めて全球団一致で
ドラフト制度を変えた。にも関わらず野球協約の精神に反するドラフト前日に契約した。これは江川と巨人の思惑が完全に一致
した証拠である。元々相思相愛で共犯関係だった。
もっと言えば巨人も江川も確信犯です。前例のないこととわかっていてやった。
全てを巨人のせいにして江川をかばうのは無理です。
22~23歳でも大学を出た大人に変わりはない。例え世間知らずであっても。
江川が後年小林繁氏とCM共演した時「自分が巨人に入り、誰かが出るのはやりにくいから金銭トレードにしてほしい」と言っているがこれほどごう慢な主張はない。金銭トレードなら阪神と契約(たった8時間の偽装入団)するという。本当に迷惑をかけると思っているならすんなり阪神に入ればいい。それをしたくなくて自分の夢というより欲望(何が何でも巨人に入る)の為にどれだけの人(阪神、他球団、ファン。そして小林繁)に迷惑をかけたか。そのことを江川は全くわかっていない。それどころか今でも間違ったことはしてないという。松村が言った通り阪神は背番号まで用意していた。
江川が法政で法律を学んだなら「悪法も法なり」という意味がわかるだろう。ドラフト制度に欠陥があるから守らなくていいという理由にはならない。
法(規則)は明文化された文章だけでなく、習慣や道徳が含まれる。そのことを江川も巨人も全くわかっていなかった。そもそも「ドラフトの前日は自由に契約できる」なんて野球協約のどこにも書いていない。逆さにしても出てこない。
巨人=江川は共犯であり、
100%被害者は小林繁氏である。本来球団からトレードを通告されても選手には引退という最後の手段がある。しかし小林氏にはそれすら出来なかった。もし引退と言ったらトレードは成立しなくなり、プロ野球は分裂しました。それを知ったから小林繁氏は阪神に行くことに合意したのです。
あくまで江川の身代わりとして。江川は引退後巨人阪神伝統の一戦というビデオではっきり「プロ野球に入りたかったのではない。巨人に入りたかった」と言ってます。これが江川卓という人間です。それでも巨人やコミッショナーやマスコミが悪く、江川は悪くないと言いますか?。
中畑さんに喋らせて…
当時、子供向けのなぞなぞ本に
「日本で一番汚い川は?」答え:江川
というのがあった。
空白の1日を知らなかった私は?だったが、
親は興奮して、「あんな悪い奴は・・・」みたいに言ってたのを覚えてる
元木の時も同じようなことになってたらしいけど、本当なんだろうか?
空白の1日、江川事件こんな時代に生まれなくて良かった‼️
江川騒動で、スポーツ新聞は、売れに売れまくったようです。日本中、江川、江川、空白の一日とか、電撃トレードとか、もう凄い騒動でしたから。
アンチ巨人もたくさん量産した
当時でも政治家が介入するほど社会問題になったから、大炎上どころではないね
今もって信じられないのは、こんな子供の理屈でドラフト破りが最終的には通ってしまったこと。
今より巨人ファンがずっと多くて「長嶋を勝たせたい」「V9の夢をもう一度」という雰囲気だったから、あるいはドラフト制度自体がまだ完全に定着したとは言えなかった(入団拒否多かった)から…理由はどうあれ、いずれにしても今だったらこんなゴリ押しは通らないだろうな。
通ったというより、巨人があの手この手で認めさせたということ。その
痛手の為に小林繁という代償を負わせた。それが巨人の永遠に払拭できない汚点になった。無条件に江川の巨人入りを認めなかったのが他球団の
唯一の抵抗だった。
江川阪神にいたらあと何回か優勝出来てたやろ
球団の体質、サラリーマンオーナーで?
勘弁して、、、関西人は人間性を優先しまっせ。
音が小さくてよく聞こえません。🔊
江川さんもメジャーいってれば大活躍できたのに。時代が悪かった。
でも江川って外国人選手に滅法弱かった印象がある。
でも藤川は活躍しなかったよな
あの計算高い人間が、そんなギャンブルをすると思う方が不思議。
ドジャースから声はかかってたみたいよ…
「もしも江川が阪神入っていたら」よりも、「もしも江川も小林も巨人にいたら」の世界線を見たかった
精進有れば各チ- ムに優勝の機会が巡れる事肝要、ドラフト破りは御法度
但し選手&チ-ム間で競争原理が働く事が
前提だ、難しいが遣らすば成るまい
地方のTV局が巨人戦しか放送しないのが悪い
だから当時は猫も杓子も巨人巨人だった
この事件もだけど、湯口敏彦投手の事件が一番やりきれない。
あの事件だけはやるせないですよね。
川上哲治は偉大な記録は持ってるけど尊敬出来る人では無いと思えてしまう事件
小林は大好きの選手でした でもG党は1選手よりジャイアンツが好きなんですよ 当然江川は応援しましたね 結果なるほどそこまでして獲る選手でした 阪神ファンはタイガースの事をよく自分の子供って言う人がいます 巨人ファンにとってジャイアンツは親なんです だからいつも強くあって欲しかったんですね
弱いと見なくなるし😂
それ…わかります。
汚点が多すぎて。
商魂をこめた結果が「空白の一日事件」を生んだのが、最大の汚点
本人から事情を聞かず中畑は当初自分の思い込みだけで江川を随分批判しており、チーム内でも江川を疎外する動きがあったそうですからね。あの事件はあくまでも汚い裏工作を働いた巨人という球団の醜さが原因であり、江川には全く罪はなく小林氏につぐ被害者です。中畑に関して言えば、1985年の王監督時代に雑誌記者との座談会という場で酔った勢いで「采配への不満で選手たちは『ワン公』と呼んでいる」というトンデモ発言をしたのが最大の汚点ですね。現役選手でありながら指揮官の悪口を第三者であるメディアに暴露するという感覚自体があり得ません。本人が言い出しっぺで仲間を扇動していたのかどうかは分かりませんが同じ気持ちで一緒になって陰でそう呼んでいたのは間違いないでしょう。そうでなければベテランの域に入っていたリーダー格の選手からそんな発言が口をついて出てくるはずがありませんからね。1978年のシーズンオフの大リーグチームとの試合でレフトスタンドに豪快なホームランを打ち込んで一軍定着へのキッカケを作った試合をテレビで見ていたので大好きな選手でしたが、あのワン公事件以降中畑はあまり信用できない人間だなと思うようになりました。
尚、巨人軍の歴史の最大の汚点は湯口事件だと今でも思っています。恐らくメディアには緘口令が出ており公に話題になることはもうありませんが、1973年に20歳という若さで死亡した湯口敏彦氏のニュースを新聞で読んだ時は大ショックでした。彼は岐阜短期大学付属高等学校のエースで1970年の春夏の甲子園出場を果たし(この時NHKの野球中継で彼の投げる試合を見ていてカッコいい大型左腕ということでファンになり投げ方の真似もしていたくらいです)、その年のドラフト1位指名で巨人に入団しており将来の活躍を大変楽しみにしていました。それ以降の詳細はここでは語りませんが、関心のある方はWikipedia に概要が書かれていますのでそちらをご参照下さい。深堀りしたい方はネットで検索すれば更に詳しい状況が確認出来ます。現役・OBを含めて巨人軍の関係者には禁句になっていると思います。
それまでは巨人ファンだったがこの事件で巨人ファンやめました。それからはアンチ巨人。
私は巨人ファンからミスターファンになりましたよ。
それにしても、、、小林の男の意地は凄かった。
@@kazuokoyama6435江川さんを悪者にしたのミスターだけどね😢
一茂さんが全て知ってて江川さんに謝ってたし…
江川さんはそんな事ないって言ってたけど。
キャリアハイ 小林22勝、 通算勝利 小林139勝 江川は 20勝 135勝 で 小林さんの勝ち。
あの時小林氏が阪神に行かなくて
引退する道を選んでいたら江川は
巨人に入ることはできず、プロ野球は分裂していました。
巨人は新リーグを作ると言ってました。そうならずに済んだのは全て小林氏が非情なトレードを受け入れたからです。
江川が小林氏の立場なら間違いなく
引退しています。
キャリア後半に弱い阪神に行って139勝はずっと巨人にいた江川の135勝よりはるかに価値があります。
数字の上ではたった4勝ですが。
この4勝に小林氏の執念を感じます。
あのトレードを受け入れられる選手は小林氏だけです。
それだけで小林氏の『勝ち』です。
こういう動画を観る人って、野球関係者の話をじっくり聴きたくて再生するんだと思うんだよね。
なのに芸人がうるさくて興が削がれる。バラエティー番組の雛壇と同じつもりで騒がないで欲しい。
同意見です。
タレントが、うるさすぎです。
岡田の相槌には心が無い。
江川さんがチーム内でも嫌われていたのって中畑さん疑惑…
嫌な奴が飯食ってるぞってどこソースなんだろ
小林繁氏が現役時代巨人について語った貴重な証言がある。凄まじい本音である。
これを読むと小林氏がいかに苦しみ、巨人がいかに理不尽かわかる。
『平井「慣れた?」
小林「そらもう4年が経つんですからね」
平井「4年か。しかしあの時の安芸キャンプの騷がしさは凄まじいものだったね」
小林「異常だったですね」
平井「消えた?。もう?」
小林「何が?」
平井「巨人への恨み、つらみ」
小林「4年も経って、今ごろ誘導質問ですか?」
平井「いや、暇だからね」
小林「暇ね。そりゃあ便利な言葉だなぁ」
平井「長嶋さん好き?」
小林「えっ?」
平井「嫌い?」
小林「えっ?」
(マウイの空気は湿り気がない。ないからあけっぴろけが似合うような気がする。もはやタブーはタブーでない空気を感じさせてくれた)
小林「好きなわけないでしょ」
平井「だわな」
小林「だって俺を追い出した人なんですよ」
これで彼との会話は終わった。
1978年11月、巨人は江川と契約、翌日のドラフトをボイコットした。「空白の一日」である。ドラフトでは阪神が交渉権を得たが、江川は見向きもしない。コミッショナーが仲裁に入り、江川対小林の1対1の交換トレードが成立した。翌年の2月1日キャンプインの朝、小林は空港でそれを知った。小林は江川のいけにえであった。
【中略】
小林は最後の最後まで何かを演じていたような気もする。
「俺は今絶頂にある。あとは落ちていくしかない」
「プロの意地を巨人に勝つことで見せてやる。それがあのトレードに対する俺の答えである」
そう書いてある彼の自著「男はいつも淋しいヒーロー」が私の書棚で吠えている。
小林は生涯、理不尽と闘っていた。そういうことだろう』(元デイリースポーツ編集局長。平井隆司。阪神タイガース80年の内幕)
小林こそ、国民栄誉賞。松井はいらない。あべの人気取り
汚点なら湯口事件の方が最大の汚点かな
湯口敏彦、謎の死事件
汚点は原が脅され一億円払った事
岡田うるせぇ!黙れ!!しか感想が出てこない。もうちょっと考えてキャスティングできないものか
NHKファミリーヒストリーでも、江川さん、トレードの件は知らなかったと仰ってました
小林さん共々、少し気の毒かな
相変わらず江川は人食ってますね。江川はトレードの事知ってます。昭和53年12月22日コミッショナーが「江川卓の指名権を取った阪神と巨人の間でトレードを行う」というかの有名な「強い要望」を出して、それを受けて翌年1月7日に江川は阪神と初の入団交渉を行ってます。
江川は後年小林繁氏とのCM 撮影の時「金銭トレード」を要求したと言っています。コミッショナー裁定を自分に都合よく解釈したのが江川です。知らなかったというのは自分の交換として小林繁氏が阪神入団することだと思います。
「金銭トレード」というコミッショナーが言ってないことを自ら条件に出した。
まだ契約せずプロ選手にもなってない者が「巨人への金銭トレード」(実際は交渉権を巨人に売れということ)を申し入れるのは前代未聞です。
@@theunknown7284
そうそう、あのコミッショナーの話は今もかすかに覚えてるね。
当時はまさか、と思ったが、、、
いやいや、だから「腹黒い」って言われるんですがな。
そこは正直に「どんな事をしても巨人に入りかった」と言えばいいのに(-_-;)
江川、一応阪神のOBなんだから川藤がOB会長やってる間にOB会に顔出すのが筋だと思う。
岡田うるさいなぁ
本で読んだことあるけど、最初は西本の予定だったそうです
福岡市民だけど、当時は憎かったなぁ。不二家ネクターのCMで和らいだ。
サーヤの顔面死んでる。。。#3:14
最大の汚点は湯口事件だろうよ。
岡田うるさいなぁ…
僕も、そう思います。
中畑も江川嫌いやったんかな
江川を擁護するのは自由だが、当時の事実を知ってから言ってもらいたい。あの時何があったのか。最前線で取材した読売の記者が舞台裏を語っている。当時巨人と江川を批判しなかった新聞は読売だけ。他は新聞だけでなくテレビ、週刊誌も袋叩きにした。しかし読売はそれをやらずあたかも巨人の主張が正論のように書いた。
しかし事の真相を上層部だけでなく末端の記者も知っていた。読売は江川事件をドラフト制度の不備や職業選択の自由に摩り替え、真実を伝えなかった。実態は読売新聞そのものも当事者として事件に加担し子会社である巨人の主張を正論のように書いた。だから社史には記載しないのだろう。
彼らも汚点とわかっているから。
報道機関としては完全失格で、読売は単に
巨人の広報紙であることを自分たちで証明した。後年読売の記者が真相を書いているので引用する。
『1978年11月20日午後5時2分、江川卓が成田着の日航機でロサンセルス留学から帰ってきた。出迎えたのは、自民党副総裁船田中の秘書蓮実進。その頃、巨人軍代表長谷川実雄は伊豆修善寺のあさば旅館で静養中の読売新聞社長務台光雄を見舞い【江川盗り】について最後の決断を仰いだ。
経緯を説明した長谷川が「法律の専門家が合法的であると保証している」と言うと、
務台は「鈴木君(セリーグ会長)に話してあるのだろうね」と念を押し、「じゃあいいだろう。やりたまえ」。GOサインは出た。
事件直後私は鈴木と長谷川に直接確かめたが、両者の話は食い違っていた。
「空白の1日については実行委員会で問題
になり改正することが決まっていた。長谷川君がこの抜け道を利用することを匂わしていたが私は【絶対認められない】と強く念を押した」と鈴木。ところが長谷川は「鈴木さんに話してある。会長がイエス、ノーをはっきり言う人かどうか君もよく知っているだろう」。確かに鈴木の性格からみて「絶対認められない」と念を押したとは思えない。
決行3日前、鈴木と会った長谷川は同行させてきた顧問弁護士に「空白の1日利用の法律的正当性」を説明しようとした。が鈴木はそれをさえきり「この話は聞かなかったことにしておこう」と言って別れている。鈴木としては拒否の姿勢を示したつもりだが、長谷川はそれを「暗黙の了解」と思った。いや思いたかったのではなかろうか。
20日夜、永福町にある鈴木低に2度長谷川から電話がかかった。その頃鈴木は読売主催パーティーに出席していた。長谷川が知らないハズはない。鈴木夫人が長谷川に連絡先を尋ねても「出先なのでまた連絡します」。9時半に帰宅した鈴木にその夜は長谷川からの連絡はなかった。鈴木が親しい記者から巨人の【暴挙】を知らされたのは11時頃だった。長谷川が江川側の蓮実と会ったのは確かに21日午前0時を回ってはいた。だがそれは、西武が持っていた江川との交渉権が切れた後で、巨人が協約を守っているという証拠を示したかっただけである。当時の野球協約138条(交渉権の喪失)によると西武が持っていた江川との交渉権は、次のドラフト会義の前々日(11月20日)に消滅した。そして133条(新人選手の選択)にはドラフトで交渉権を取得しなければならない新人選手とは「日本の中学、高校、大学に在学し、末だにいずれの球団とも契約したことがない選手」となっている。浪人の江川はドラフトの対象外。
つまり空白の1日に限っていえば、58条になる自由契約選手(当時江川は作新学院職員)になるわけだ。
だがその年のドラフト問題討義の過程で、
133条について「在学した経験」の文句を入れることが決まっていた。「決まっていたがまだ改正されていない。現行の協約にしたがって何が悪いのだ」というのが巨人の主張である。だがスポーツの世界でもっとも尊重されるベきフェアプレーの精神とは、およそかけ離れた行動である。
結局鈴木会長は巨人の契約承認申請を却下した。翌日のドラフト会義で阪神が江川との交渉権を得たが、交渉は進展せず、1か月後、コミッショナー金子鋭は「巨人と江川との契約は無効」との裁定を下した。
しかし翌日の実行委員会では「阪神は江川と契約した後、キャンプ開始までに巨人にトレードせよ」という【強い要望】を出し、小林繁とのトレードとなった』(回想、直言、秘話、球談徒然。元読売新聞運動部記者。吉田和夫)
この件に関しては江川の言う事が二転三転しているからなあ。
当時は交際相手が東京に居るからと言っていたが次には親戚一同に泣きつかれて巨人に入ったとか、最近は政治家から圧力が掛かったとか変わるからなあ。
ただ変わらないのは自分は間違っていない。ということだけ。当事者としての自覚が全くない。どこか他人事。自ら巨人と納得して契約したと言い、コミッショナーは無効にした。
巨人と江川の主張は認められなかったのは歴史の事実。
巨人が小林をトレードで放出した理由は、小林が人間関係的にチーム内で浮いていたんじゃないかと勘繰っている。中畑はそんなことはおくびに出さず人望があるように言っているが、僕が1977~78年に聞いた噂では小林はコーチ陣と仲が悪く、短気を起こしてコーチに向かって、「誰のおかげでメシ食えてんのじゃ」と暴言を吐いたことがあるそうだ。
巨人時代からの彼の自意識過剰な発言をきいていると、とても納得。
阪神が最初に要求したのは西本、だけど「巨人がそれを却下して小林になった」という話があるが、うなづける。
@@maifriendly2224 思い出しました。巨人は阪神から西本を指名された時、若くて将来ある西本を手放したくないとコメントしました。小林に代わったのは、阪神が第2候補の小林を指名したのか、それとも巨人が小林は要らないから上げると言ったのか、そこまでは覚えていません。
小林は江川との対談で、自分は1978年に4勝0敗と阪神を鴨にした、阪神キラーだから指名されたと言いましたが、この言葉を鵜呑みにしてはいけません。公開対談でコーチ陣と仲が悪かったとか、チームで浮いていたと言うわけないからです。
もっとも西本も年を経るうちに異常性が目立って、チームから浮いていきましたが。
汚点は賭博の方でしょう。
江川さんには阪神に入ってほしかったです。
そうすれば、江川VS王の対決を見られましたから。
絶対いらない!
巨人軍は紳士たらざるがべかし。
裏で画策する者は🐯には要らない。
🐯は、野球バカの集まりだから。
そもそも計算高いから、、、江川VS王の対決を避けるには?
望みどおりになったじゃないか。
あの人格者の王さんですら江川につれなかったみたいですからね。
熱狂的小林ファンの自分はあの時からアンチ巨人の阪神ファンになりました😅
中畑も正面から答えないな、失望した。ヤクルト選手会脱退の時は選手会長としてきちんと批判できたのに。読売がそんなに怖いか、
「空白の1日・江川事件」巨人の歴史上”最大の汚点とハッキリ言った中畑さん、よく言った。
巨人の最大の汚点は原監督が1億円も暴力団に金を払ったことだろ
巨人史上最大の汚点は正力松太郎の存在では?
いや、ナベツネだろう。
どう考えてもガルベスや
私もナベツネに一票。
中畑はよく言ったと思う。
日テレでは絶対言わない。
やはり江川事件はプロ野球史上最大の汚点だ。生前(2007年)小林繁氏が本音を語っているので長いが紹介する。どれほど江川事件なるものが理不尽かわかります。悲痛な心の叫びである。
『複数の球界関係者が「江川事件」の舞台裏を説明してくれた。ボクは全身が震えた。何ということた。ボクの腹一つでプロ野球界が大変なことになる。巨人残留、阪神移籍、それとも引退か。などと揺れている場合ではなくなった。もはや結論は一つしか出せない。
追い込まれ、切羽詰まったボクはトレード通告を承諾
するしかなかった。
それにしても何でボクがこんな目に遭うのか。読売巨人軍を心の底から愛し、その一員として自分なりに誇りを持って努力してきたつもりだ。体重62キロの体にムチ打ち、細い腕をこれでもかとしならせ、何とか巨人軍に貢献したいと歯を食いしばってきた。ボクは自分の運命を恨むしかなかった。【中略】
大勢の報道を前に今も語り継がれる気丈なセリフを吐く。「野球が好きだから喜んで阪神ヘ行く」。野球は商売として考えていたけど
それだけではない。ボクが拒絶すればお世話になった巨人軍は勿論、子供のころから大好きだったプロ野球界が大混乱に陥る。だから
喜ばしいことだと伝えたかった。そして「同情してほしくない」。このセリフには言外に二つの意味が込められていた。一つは小林繁は何と痛ましく、かわいそうな選手だと思われているかもしれないと思ったことだった。ボクは意地っ張りで、弱々しい面をさらけ出したくない性格だ。目いっぱい強がって見せようと思った。もう一つは「巨人軍」という巨大な家を失ったことだった。「江川事件」が起こらなければ、
ボクの将来は前途洋々だったかもしれない。球界の盟主、絶大な人気を誇る大巨人の傘の下に守られ、安定した生活を送る可能性も低くないだろう。
でもこれからは巨人軍を敵に回し、自分一人の力で生きていかなければならない。そんなボクに同情は無用ですよと訴えたかった。
カッコいいこと言ってみたけれど、もう一人の素直な自分は寂しくて寂しくて仕方がなかった。深夜の記者会見を終えたボクは黒塗りのハイヤーでホテルニューオータニヘ戻った。
身も心もズタズタに引き裂かれ、崩れるようにベットに倒れ込んだ。
泣いた、泣いた。誰に気兼ねすることもなく、たった一人の部屋で大泣きした。
悔しくてたまらない。
でも、どうすることもできない現実。遠く鳥取・赤碕町に住むオヤジの顔が浮かんだ。大の巨人ファンで、
YGのユニフォームを着たボクの活躍を何よりの楽しみにしていた。ボクはむせび
泣き続けた。長い長い激動の1月31日は涙が枯れて幕を閉じた。【中略】
そして江川のこと。ボクとは違ってハイリターンの人生になると確信した。マスコミ、ファンの猛烈なバッシングに遭い、ヒールのレッテルを張られる。最初はつらい思いをしながらマウンドにも上がるだろう。
そんなリスクの一方で、江川の実力を持ってすればいずれ必ず認知される。5年たち、10年たてば「江川事件」も風化しているに違いない。大巨人の後ろ楯もあり、江川はスーパースターの道を歩んでいくと思った。
大好きな巨人軍に骨を埋めたかった。阪神移籍をどんなに前向きに考えようとしても、結論はすベてここにたどり着く。ボクは無性に悲しくなった』(小林繁。巨人でも阪神でもエース小林繁の細腕波乱半生記)
江川さんと巨人が日本国民に一番嫌われた日で小林さんがヒーローになった日ですね~☺️😂
俺がコミショナ奈良、小林の他に、もう一人大物ヲツケル、オルスタまで出場停止、翌年のドラフト、3まわりまでさんかさせない
ウェーバーにしたら良いのに。
ウェーバーはウェーバーなんやけど1977年までのドラフトは予備抽選といってクジ引きでどこからスタートで最後はどこがと決めて 1位選手を12球団指名し終えたら折り返すいうシステムやった 1978年のドラフトでは全球団が選手を1位指名する(指名入札)・当然重複もあるやろうけどそん時は今と同じくじ引き+外れたら別選手指名いうシステムやった このシステムは逆指名やら希望枠やらの導入で「1位指名入札」は半分消えた(選手に希望された球団以外はその選手指名でけへん)希望枠も逆指名も無いんやったらそのままや 希望枠も逆指名も無い今の制度で完全復活したといえる
つまり巨人有利のドラフトが無くなったということ。江川の時代と違って今はプロ野球人気(巨人人気)が無くなり、更にメジャー志向の選手が増えて一つの球団に希望する選手が無くなった。江川の時は巨人に入るのが最終目標だったが、今はプロ野球はメジャーへの通過点に過ぎなくなった。
最大の汚点は賭博騒ぎじゃないかな
中畑清さま、神の言った名言そのとおり。
巨人は素晴らしい小林を失った、巨人は自己中心の江川を取って多くを失った。
何で岡田出した?うるさい
なんでそんなに江川を悲劇のヒーローにしたがるのかわからない。
巨人史上最悪の汚点は湯口事件だと思う、尊い命が失われたのだから、川上と中尾に殺されたようなもんだ!
江川は巨人入りたさに一位指名を2度蹴ってきた。そのせいで江川は大学野球に回り道をし(あえて回り道と言います)
浪人生活までしました。彼は巨人の江川に拘り過ぎたことが結果として自身の野球人生に+だったのか-だったのか。
彼自身は満足しているのかもしれんが野球ファンからすれば江川のピッチングに夢を見られなかった。
彼が人気のない阪急に入ったとしても球場を満員にできたと思う。大谷とかダルビッシュとか田中とかへっちゃらで
パのチームに入るようになっているが当時は巨人の試合が絡むセの方が圧倒的に人気があった。
江川にはそういったものをぶち壊す力があったと思うのだが・・・
あくまで個人的な意見ですが「-」だと思います。
江川本人は巨人に入ったことだけで満足したでしょう。でもそれだけです。
江川の野球人生は決して自分の思い通りにはなっていません。甲子園では銚子商に徹底的に研究されて負けました(高校生でも打てることが証明された)。更に大学は志望の慶応に入れてもらえず。
仕方なく入った法政で肩を酷使しました。2度目のドラフトでも巨人に指名されず
ムダな浪人生活を送りました。プロに入ってからもチームメートから嫌われて
常に苦境に晒されました。
そんな中で送ったプロ生活。決して素晴らしいものだったとは思えません。
手を抜いてると言われた江川のピッチングに夢はなかったと思います。
強引な巨人入りの代償はあまりにも大きかったと思います。引退の時も針のせいにして辞めました。しかもその時5000万円を受け取った(これは当時巨人の広報室長だった若林敏夫の証言)。
世間から非難され、友人も失い、人との接触を避けなければならない野球人生が
「+」なことはなかったと思います。完全生え抜きではない江川は巨人の監督も出来なかった。江川の間違いは実力があれば全て思い通りになると思ったことです。野村克也氏が「プロ野球界も処世術が必要」と言ってました。人間関係を大切にせず、敵を作り、処世術無しの江川は単に金を稼ぐギャンブラーだったと思います。
これはあくまで私の見方です。人によって違うと思います。
長文失礼しました。
当時江川ほどのスター選手に見合う球団は巨人しかなかったと思います
選手としてはかなりまわり道しましたね 浪人さえなければ200勝はしたでしょうに😂でもトータルしたら絶対プラスです^ ^
@@AI-wg2lb 失礼ですけど、巨人ファンですか。
貴方に質問したいのですが、江川が巨人に入ったのは絶対プラスと断言されたけど、具体的にどういうところですか。
200勝出来なくてもプラスだった理由を教えてもらいたいです。
@@theunknown7284 78年当時他球団で200勝するより巨人で100勝する方が値打ちありました 巨人に入るのが今のメジャーに行くのと同じ感覚だったかも 私もその頃は巨人ファンだったので願望もありました あそこまでして入った甲斐がありましたね
@@AI-wg2lb 初めて聞きました。他球団で200勝するより巨人で100勝する方が値打ちがあるとは(笑)。
要するに巨人ファンだから野球協約を無視し阪神をバカにし(ユニフォームを着なかった)、そして一人の人間(小林繁)を不幸にしても江川の巨人入団を喜んだということですか?。ただただ巨人が好きだから。
当時のエース小林を出すんだもんな。菅野だったら原が許さないだろうね。
まあそうでしょうね。何しろ甥ですから(笑)。江川の時は監督が何も言わず球団首脳に同意したんでしょうね。現場の指揮官として直接小林氏と話すぐらいの器量があればいいのに全くない。小林氏が連絡を取れなかったぐらい。監督が頭を下げれば
全く違ったと思います。
星野が中日時代落合を取る為に牛島を出した。その時二人だけで男同士の話をした。あの時の監督はそういうことすらしなかった。小林繁という選手をどう思っていたかわかります。
読み捨て新聞紙はゴミ
巨人の他の汚点
三原排斥運動
湯口死亡事件
詳しい…
V9とナベツ○がまだ生きてる事も入れて
。
昭和政界の生き字引・だ・けは立派だけどね。
@@user-os8we4sb9g 先日放送された、NHK スペシャル御覧になら
@@user-os8we4sb9g しくじりました。
NHKスペシャル、御覧に
@@user-os8we4sb9g 又、しくじりました😅 NHK、御覧になったのですか❓
江川の親父と長嶋監督だろう、
長嶋の悪口は言いたくないからね、
まあ48年ドラフトで巨人行きたいから大学と嘘をついたんだけどまさか阪急にドラフトかかったのが最初の失敗、
もしすんなり巨人に入っていたならV13~V15ぐらいまで行ってたと思います。
巨人最大の汚点は山ほどある笑が、その一つは江川投手初登板時の中畑の怠慢プレー。
江川は阪急に行って貰いたかったよ❗200勝はしてたと思います?
江川さんが巨人に入ってくれてよかったです⭐
小林さんは人気があったのは知ってますけど、家族全員江川ファンだったので江川さんを応援してました。
なので、あのトレードが全員敵に回したっていうことはない。
入団後の活躍で江川ファンはどんどん増えていったと思います。
しゃーないわ、阪神弱いし
阪神になった時江川さんの親戚達が東京で商売をしてたから阪神に行くなと言われたらしい。阪神に入れないから野球浪人のためにアメリカに行ったんだけど急に帰って来いと言われて帰ったら入団会見だったんだって
オーバーリアクションで合図の岡田静かにしてくれよ
ワァオ!デタ!
『専横のカリスマ 渡辺恒雄』と言う本で、ナベツネがピッチングコーチに江川を招こうとした。ところが、金銭面で折り合わなかった。ナベツネいわく「あいつはタレントだ。カネに汚すぎる」と江川を大嫌いになったそう。加えて、江川は引退後、解説の仕事をしてるが、基本的なデータも頭に入れずに仕事してるそう。キャンプにも行ってなくて、周囲の記者からは「江川が監督やコーチにはなれない」と思われてるって。まぁ、江川は銭ゲバのカネの亡者だな🤣🤣🤣
その前に針を打って投げられなくなったと堂々と嘘を言って引退した時巨人から5千万円を江川は手に入れている。
あ〜江川さんか〜大学の先輩に、作新学院の時に江川さんと大の仲良しの人がいた。その人は運動神経だけは良く、日体大に入り直してスポーツインストラクター資格取り、スポーツインストラクターになったが、今どうしてますか?フト思い出した。
空白の1日....それで俺は巨人ファンをやめた。それから今まで阪神ファンを続けている
正式なルールの中でやった奇策だと思うけどなあー
いや違います。コミッショナーがル―ル上認めなかった。違反しているから契約を無効にしました。
交渉期限が切れたら自由に契約できるとは野球協約に書いていません。
【江川卓(作新学院職員)阪神1位。こんなドラフト破りはもう起こらない】
『江川は78年のドラフト直前にアメリカから帰国した。そして、ドラフト前日の11月21日、いわゆる空白の1日の理論を展開して巨人との契約を発表した。確かに、当時の野球協約には、ドラフト前々日に前年の交渉権が消滅した選手のドラフトの前日の立場、身分を規定した項目はない。しかし、ないからといって、その日がどのチームとも契約が可能になるというのは、論理の飛躍以外何物でもない。鈴木龍二セ・リーグ会長は、巨人の支配下選手登録を却下した。
ここから江川騒動は正式にスタート(?)した。巨人はこれに怒り、ドラフトをボイコット、申請却下を鈴木会長の許すベかざる行為としてコミッショナーに提訴する。巨人抜きのドラフトでは阪神が江川を指名した。これ以後の動きは省く。
12月22日金子鋭コミッショナーのいわゆる強い要望が出て、それに沿って江川が阪神と契約、巨人にトレードされたことだけを書いておく。
この間、江川個人の発言で興味深かったのは、テレビに出演した後の記者会見で「私も一応法学部の卒業ですから、今回の巨人との契約が正当なものであると確信しています」と語ったことだった。江川は周囲に乗せられただけではなく、確信犯的にこの契約を正しいと思って行動したのだった』(岡江昇三郎。プロ野球ドラフト全史。ベースボールマガジン社)