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パ・リーグMVP82 ひろみつ(落合博満)85 ひろみつ(落合博満)86 ひろみち(石毛宏典)88 ひろみつ(門田博光)
子供の頃、いつもいつも南海は負けるんだが、門田のホームランだけを目的に大阪球場に行っていた。大阪球場さよなら南海ホークスの試合も行きました。門田さん、ありがとう。
門田博光さんのように40才でホームラン44本打てる現役の選手はもう現れないでしょうね。プロ野球の天才プレーヤーでも難しいと思います。
門田さん、パリーグで一番好きな選手でした。
門田さんの凄いのは170 cmしかない体格なのに1,000gのバッドを振って、歴代3位のホームラン数を打たれた事でしょうね。私も晩年の門田さんを見ていましたが、オリックスの吉田 正尚選手が門田さんとどことなく似ていると思います。
オリックスの吉田はサイズは無いがパンチ力に加えて率を残せる打者ですね!
南海ファンですが本当に吉田選手は門田選手を彷彿とさせます。なので、首位打者も素晴らしいのですけどホームランバッターの吉田正尚を見たい!
何はともあれ長年プレーしていたことが、すごい。
小学生の時に凄いと思った選手の一人に門田さんあげられます。小学生ながら凄いと思いました。背が低くは見えないあの独特の体型が魅力的でした。南海を気持ち的には応援していましたが、それは門田さんの影響が多いです。
王さんもそうだがいいバッターってのはテイクバックの時の出で立ちがとても美しい。門田さんも王さんも一本足型で足を上げた時のフォームがどっちも素晴らしくかっこいい。数知れないほどのスイングで作り上げた芸術品といった風格がある。石毛さんの背景の門田さんの写真かっこいいわー。登録者数3万人超えましたね!目指せ100万人!
門田さんは尊敬するプロ野球選手のお一人です!不惑でのホームラン王は凄いです。
門田さんは、怪我して全力で走れなくなったからホームランしか狙ってなかった。走る必要無いから。かっこよすぎる。
治療担当医が「この怪我は完治が難しい。それなら全打席全力で走らなくてもいいホームランを狙った方が良いのでは?」と言ったのもホームランに拘る理由になったそうです。
門田博光。当時パリーグの中継はほとんどなかったので顔と名前が一致する人はさほど多くないと思われますが、この人を一言で表現するなら「剣豪」。上段に構えたピンと張りつめた静けさからバット一閃、ボールは「バキッ」という轟音とともに瞬く間にスタンドへ。それは剣の道を究めた者の居合抜きさながらで、真剣で振っていたならばボールは真っ二つ、といったイメージです。今でも門田博光さんのホームラン動画を楽しみに見ています。本当に凄い選手でした。
門田さんって豪快なバッティングで晩年しか知りませんが、オーラありましたよね🎵昔の選手ってバッティンググローブ無しの人多かったイメージあります‼️確か王さんとか落合さんは素手だった記憶あります✨今の選手皆グローブしてますよね🎵
「打率は狙えんこともないけどホームランを打って子どもたちを喜ばせたい」ベーブ・ルースも似たようなこと言ってたよな。プレーはいつもファン最優先。プロ野球選手の鑑よ。
門田さん らしい 言葉ですね。デッドボール を 当てられて文句を言う程 打席を 大切にしていたのだと 感じられる形ですね。
引退試合で旬な野茂英雄の真っ直ぐをすべて空振りでの三球三振。粋ですよね~。野茂のプロ入り被弾第1号を打つためだけにトレーニングをして、それを実現させたところに漢としてのロマンを感じます。門田と落合、現代野球と昔の野球、両方に携わって両方で凄い成績を残した選手は何人かいるけど、打者ではこの二人。すばらしい二人の「ヒロミツ」さん。
でももう1人の博満の野茂?…若いのにオジン臭い投球をするやつだ。あんなやつのストレートなんてたいした事ない。オレならいつでも左中間の深いところにホームラン打ち込んでやる!…と現役時代や引退後も言うところに人格者博満が現れている。門田さんとは大違いですよ。通算成績だって全然ね。門田さんがアキレス腱やらなければ野村克也を抜いていたかも知れないし王貞治に肉薄してたかもね。
ヒットなんていらねえよ ミスターホームランは 俺だ だから三振は 許して丁髷(∀`*ゞ)エヘヘ
石毛さんの先人に対するリスペクトが感じられて、とても素晴らしい。人柄も尊敬致します
89年オリックスブレーブスはブルーサンダー打線のイメージ!門田さんは学園前から二時間かけ神戸、松永、ブーマーに石嶺、藤井等と20ホーマー五人衆。とにかく御冥福お祈り申し上げます
「ヒットはいつでも打てる。でもファンは俺のホームランを見に来てるんや」。カッコ良かったな~。
大阪球場のヒーローです!
落合さんと門田さんの練習方法の違いっていうのは落合さんの著書でも述べてたな。最近デーブさんもそうだしこの前のスポルティーバでのインタビューだったりで門田さんを注目する機会が増えてきたのはいいことだと思う。もっと語ってほしい。
門田さんは南海時代に阪急の応援団の方にからかわれて野次られてもあれほどの大物なのに実に愛嬌ある交わし方をされてたのが印象に残ってます😊
門田さんの娘さんが工藤公康のファンだったので対決は燃えたと言う記事を読んだ記憶があります。オリックス時代にその工藤投手からグリーンスタジアムで打ったライト最上段の一発は忘れられません。
確かその娘さんのために大阪を離れるわけにいかなくてダイエーに行かずオリックス行ってから数年後にダイエーに行ったんだよね
門田博光は過小評価されていると思う。スイングスピードや打球速度を同世代の選手と比べると抜群に速い。
これは私の意見ではありません。広岡達朗さんの本に500本以上ホームランを打っている選手の中で、門田博光さんはアキレス腱を切って守備が出来ないのでDHでしか起用出来ないし、張本勲さんは守備力がないので今一で、広岡達朗さんの目にはミスター赤ヘルの打って守れる山本浩二さんの評価が滅茶苦茶高いですね。衣笠祥雄さんは、1984年打点王を取った年は水谷実雄さんが阪急にトレードされたので5番打者だったが、現役時代のほとんどは6番打者で振り回し過ぎで、生涯打率は2割5分ぐらいのすごい荒い打者だったが、三塁の守備が抜群だったので代打を出されることはなかった。話がそれましたが、1977年に訳あって選手兼任監督の野村克也さんが自由契約選手になって、1979年にアキレス腱を切って、1980~1988年からは、穴吹監督、杉浦監督の下で、DHで南海の不動の4番打者として、芸術的なホームランとホームラン王と打点王のタイトルを手にした。そして、王選手の55本を破るとい目標で背番号を60にしていたのが印象的で、王選手は絶対に流し打ちはしなかったが、アウトコースはレフトに流し打つホームランするホームランアーティストだった。ちなみに、昭和と共に南海ホークスが消滅して、オリックス、ダイエーで平成3年までプレーしたが、最後は野村克也監督のいるヤクルトに行ってはどうかと、江夏さんが進言したそうだが、DHのあるパリーグでないと、ピンチヒッターの切り札になってしまうと言って断って、1980年以降は最後までDHにこだわった野球人生だったと思います。 1975年にパリーグにDH制度が採用されたが、運も実力のうちだし、自分が一番輝ける場所で仕事をする門田博光さんの生き方は、プロ野球を越えてサラリーマンや自営業をやっている人の生き方の参考になったと私は思っています。
オリックスの吉田正尚のフォロースルーはそっくりだ。
他の人がDHだからって500本塁打2500安打なんて出来る人は稀も稀だと思う。天才バッター。
言うほど過小評価されてるか?
門田さんってバットもさることながら練習では特注の重いボールで打ってたでしょ 確か体が小さかったから物凄く努力したんだと思いますね
オリ時代ではパンチ佐藤が門田さんが村田兆治の速球を打つために鉄球を打つ練習をしていたとかなんとか言ってた気がしたな。
170センチに見えないあのバッティング、最近門田さんの手記に600本は打てていた、いや打つべきだったと言っていました。何故なら500本台は6人いるが600本は二人しかいない、500~599も500本台600本台その仲間に入りたかったと言っていました。
門田宏光さんは打点を「RBI」、つまり"Runs batted in"と言ってますね。打者としてバットで得点をするという誇りがあるからなのでしょうね。
ブーマーで脱臼の思い出
昔の南海には門田の手本になるような左打者がおらず、そのことで悩んでいたが、ある日凡退したあとベンチの隅にある鏡の前の水道で手を洗ってふと鏡を見ると、次打者の野村克也が反転して左打者として映っていた。それ以来、門田は手を洗う格好をして「鏡の中の左打者」である野村の打撃フォームを熱心に観察・研究した。野村に話すと「参考になったやろ」と威張られるに決まっているからという理由で、門田は絶対にそのことは野村には言わなかったという。
恩着せがましいノムさんなら言いそう。
南海がまだ強かった時ベストメンバーもバランス良かったなぁ〜😌島野さんから藤原さん門田さん野村さん新井さん片平さんがいて桜井さんがいて定岡さん投手も佐藤道さんダブル山内さん江本さんと・・水島新司さんのあぶさんでは凄い紳士的で温和に描かれていたけどな〜😅門田さんホームラン打った後フォロースルー好きやった
門田さんて落合さん、同じ“ひろみつ”でも正反対な練習方だったのですね(^^)
門田さん、平和台でオリックス時代ブルーサンダー打線の時、打球の勢いと放物線を描くホームランは軽くフェンスを越えていて福岡のホークスに戻ってこないかな~って思っていました。戻ってきてからはカーンって上がった打球がフェンス前でスト-ンと落ちるようになっていたので引退かなって思った印象が強い、練習用の逸話はその当時でも有名で本当に完全燃焼された現役時代だったんだと感じました。
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東尾さんに良くわざとぶつけられていたそうで、その報復にひたすらピッチャー返しを狙って打っていたら、東尾さんが内角を投げなくなったそうです。山本和範さんが、東尾さんに「お前は生意気だからぶつける!」言われ内角攻めをされて、門田さんに相談したら上記の話しをされて、山本さんは「プロって怖いところだ」と思ったそうです。
門田さん自身語ってたけど、どこかの試合で第一打席にデットボール食らって、次の打席から全球ピッチャー返ししてたら第3打席だかに東尾さんの臀部だか太ももにライナーで直撃弾したそうな。それからインコース攻め無くなったそうな。
南海のスラッガーと言えば私の世代なら門田博光さんに尽きます大阪スタヂアムにはよく通いました凄いホームランも数多観てきました不惑のホームラン王と言えば南海の門田博光ですわ
門田さんって不思議と背が小さいように見えなかったのです。打席でドッシリと構えて「さあ、いらっしゃい」と言う雰囲気を出していた感じがしました。右足を上げてフルスイングしてフォロースルーまでが本当に綺麗でしたねえ…。
門田さん実は1968年に阪急から指名されましたが入団拒否。この年の阪急のドラフト1位山田、2位加藤、7位福本で3人名球会入り、もし門田さん入っていたら4人名球会入り選手指名していたかもしれません。この年の阪急のドラフト史上最高でしょう。
ドラフト順位が二桁だったはずなのでまあ拒否するのもわかります
石毛さん 同い年でファンでした(笑)昔 大阪球場で西武と南海の試合を観に行き 試合途中で帰らなければならなかった時でも門田選手のフルスイングを見てから帰るようにしてましたチームの勝ち負けとは関係のないそれでも見たい選手これぞプロと思う選手でした(笑)
門田と落合練習法は対照的といえど、東尾のケンカ投法に殺人ピッチャーライナーで対抗したという共通点がw
落合氏のは映像に残っているが門田氏は当てられなかったが執拗に狙っていたとかで、東尾が泣いて土下座して謝ったとかいう説があるそうですね。
えーっ、リアルタイムで戦っていた石毛さんが門田の1キロバットご存知なかったのは意外でした石毛選手と門田選手の陶芸はオフの恒例のニュースでしたね!
今と違い当時の選手って他球団の選手とあんまり仲良くしてないイメージだね。
あのバッティングスタイルで通算打率0.289は凄いよな。
晩年の門田さんと今井雄太郎さんが好きでした
私もです。メジャー行った山口俊もマウンドで気が小さくなるタイプなのでミスターパーフェクト今井雄太郎を見習って登板前に日本酒を1升飲み ベンチのチームメイトや相手打者に暴れまくり、次はどいつじゃーッ!!…と大和魂をアメリカで体現してもらいたい。
決め打ち一筋。それで数字を残してるのはスゴい!
近鉄・金村さんのお話だったと思いますが、門田さん25キロダンベルを(片手で)ベンチ内でガンガン上げていたと聞きました。
門田と聞いたら俺は来る。
門田さんと云えば40歳不惑の歳を迎えても豪快なスイングでホームランをライトスタンドに放り込んでいたイメージがありますね(*^^*)独特の一本足打法で全身を使ったフルスイングまさに中年の星と言われた偉大な選手でした。
今日も楽しく動画を見させてもらいました‼️石毛さんのトークは楽しいですし‼️小学生の記憶が蘇って懐かしいです❗門田さんと秋山さんのホームラン王争いが懐かしいです❗
40歳で本塁打、打点王の2冠を獲ったのは驚異でした普通ならピークを越えてしまう年齢ですから体の鍛え方が上手かったのでしょう
門田さんの話はパンチ佐藤氏が詳しい。もともと攻守走揃った外野手だったがアキレス腱を断裂して走らなくていいホームラン狙いになったといわれてました。
87年からプロ野球を見始めたのでもう晩年だったけど、その打棒はとても晩年のものじゃなかった。迫力あるあのバッティングは今でいうと柳田か吉田正尚が近いのかも。
やっばいいですね! こういった歴代のレジェンド選手の紹介と、その選手にまつわるエピソードか入って…知ってる選手の意外な一面や知らなかった大先輩のお話がユーチューブを通じて蘇る日が来るなんて。 門田選手はピークの過ぎた頃しか拝見してませんでしたが、それでも長距離打者として、なかなか扱いが少ないパ・リーグでも印象的でした。
アキレス腱を切ったことで一層ホームランに全振りしたはず
アキレス腱を切る前のプレーは見ていないけれど、強肩巧守、巧打の外野手で、ホームランもそれほど多くはない。アキレス腱を切って、まともに走れなくなったため、走らなくてもチームに貢献できるホームラン狙いの打者になったとのこと。 この辺りは同時代にプレーした石毛さんなら、常識だと思うんだけどなあ?
高校時代はホームランゼロだったというねしかし、プロに入ってからは夜中まで素振りをずっとしてたほどバットを振っていた
セ・リーグの衣笠祥雄パ・リーグの門田博光フルスイングの大打者
フォロースルーが吉田正尚にそっくりなんだよなぁ、あのスイングのパワーに体が勢い余って回転させられてる感じ
門田さんと言えば、電車で球場に通ってたエピソードを思い出します。
昔のテレビ特集で、レジェンド級の選手なのに普通の電車に乗って大阪球場まで通勤してるのを見て驚きましたね!
@@TachimachiBeerNotWani 学園前でしたっけ?w
帝塚山学園の東側敷地の裏手。ストリートビューを見ると、駐車場と玄関階段と大きな岩は門田さんが住んでいた当時のまま残っていました。
@@わあるどぱられる 現在は引っ越しされたんですね。
@@woodsseirading967 記事によると兵庫県の山奥で生活されているそうです。
@@わあるどぱられる なるほどそうなんですね。教えてくださりありがとうございます😊
門田さんの魅力は中年で打ちまくったところだ。ホント、玄人受け!
陶器を作るようにホームランを作ってたんでしょうか。
コーラは、砂糖が多いです。デーブさんもコーラ好きだったのでは。。。
門田選手の一番すごかったのは牛島のフォークを2歩前に出てホームランにしたやつ
自分も、あのバッティングがすごく印象に残ってます。
当時、スポーツニュースで門田が歩いて打ったとか言ってましたね。
門田…豪快なバッティングの印象…
門田さんをゲストに呼んでください
喋りは駒田みたいなイップスじゃないけど現役時代からあれですよ。野村克也を見て南海の選手はエモやん除いてみんな小声でブツブツ言う人しかおらんのか?…と言う感じ。偉大な選手だったし 良い事を言ってるので全神経を集中して聞きたいのだがほんまよう耳に入らない喋り方に耳がイップスになったわ。
門田さんの名前を知ったきっかけは、88年に40歳で本塁打王獲得された事ですね。チームの監督だったあのノムさんの言うことを無視してまで、ホームランにこだわるその姿は、まさに真のスラッガーだなと今でも思いますね😃今度、落合さんも門田さんも同時に呼んで「Wヒロミツトーク」を実現して頂きたいですねw
門田さんは、入団当初は俊足巧打で入って来たと言うから驚きですね。ぶんぶん振り回して、追い込まれてからはヒットに切り替えたから打率も良かったですね。ブーマー選手に手荒い祝福を受けて肩を脱臼したのは笑い話ですね(笑)
秋山幸二さんと同じように世界へ行っても通用したであろう選手の1人、 今で言う吉田みたいな感じのフルスイング 僕は実際1度も見たことないですけど 是非とも正尚には門田二世として頑張ってもらいたい。
いつも楽しく拝見しております。石毛さんの現役時代のパリーグは同僚の東尾修さん、工藤公康さん、阪急の山田久志さん、今井雄太郎さん、星野伸之さん、佐藤義則さん、ロッテの村田兆治さん、仁科時成さん、日ハムの西崎幸広さん、近鉄の野茂英雄さん、南海の山内トリオと役者が揃っていましたが接してみたり対戦しての思い出話がございましたらぜひ御聞きしたいので宜しくお願いします。
コーラ好きの話が出ましたが、野村克也さんは南海の兼任監督時代に、炭酸飲料をイッキ飲みしている門田さんを注意したそうです。門田さんは、お酒(多分ビール)を飲んでいる時に小脳梗塞にかかり一命は取りとめたものの、後遺症と戦っていたと記憶してます。ノムさんの注意を守っていれば回避できたかもしれませんね。ただ、後遺症とのリハビリ方法も門田さんは独自の考えで編み出したストイックなものだったらしいです。さすが門田さん。
門田選手の鍛練方法については、40歳で二冠王を獲得して話題になった時に、とある特集番組で紹介されてたと思います。直立不動で立ち、両手でバーベルを握って正面に突き出して、一定時間制止させるようなトレーニングだったと思いますが、相当握力は強かったようですね。
魅力のある打者でした。
40歳でホームラン王とか、日本プロ野球で門田さんの他に誰かいるんだろうか?また、これからも現れるんだろうか。
山﨑は39歳かな。
門田氏は『最後』のスラッガー
門田選手が筋力トレーニングして、長く重いバットを使っていたのは知られてるよね。門田選手のフォームはバットが頭の後ろにあり、スイングが遠回りせず速球に強かった。王選手も全盛期はそうだったが、晩年はバットヘッドが前に傾いていた。セントラルリーグに速いボールの投手が少なかったのかもしれない。
門田選手って実績の割に語られないよなー
試合前のバッティング練習はライトスタンド危なかったんですよ南海唯一の最強バッターでした
門田氏の練習について故近藤貞雄氏の著書「野球はダンディズム」に、ピッチングマシーンを通常の半分の距離に設置して打撃練習していたという記述があったような・・・。
更にティーバッディングでは鉄球みたいな重い球打ってたらしいですね。
門田博光さん山本和範さんに憧れて左でばかり打ってたら、いつの間にか右での打ち方が解らなくなっちゃってました笑石毛さんの居た最強のライオンズを当時は本気で嫌ってたなぁ…、懐かしい思い出です。
懐かしい名前ですね。最後に門田さんの映像が流れるのかと思ったら、ずっこけちゃいました。自分で探してみまーす
毎年夏のオールスターの時は必ず王さんのところに行って一本足打法を教わっていたという話を昔のオールスター戦のテレビ実況生中継中の本人へのインタビューかアナウンサーの説明か何かで聞いたことがあります。その選手が門田さんだったか片平さんだったかは覚えていませんが、二人とも一本足打法を目標として王さんからアドバイスを受けていたのは事実です。
前から思ってたんですけど門田さんとライオンズの山川選手が自分としてはダブルんでよね。
チビでもホームランが打てるんだよって教えてくれてたような感じですね。
門田さんのスイング、好きだったなぁ。吉田正尚もそうですけど全身の力を利用してでスタンドまで放り込んでるイメージですね。確かホームランの打ち損ないがヒットとか聞いたような。ところで石毛さんの陶芸はプロ野球オフ(自主トレ)の恒例行事でしたねw
私の中でのスイングスピードベスト3は張本・門田・松井です。
ダイエーに行った時覚えています 門田 もう活躍できんかったけど大好きやったドカベンもな
ブーマーとのハイタッチ🤚
自分は親父が読んでた「あぶさん」から入った南海ファンでした。門田選手は、打撃フォーム崩してのヒットなんか狙わないから三振ですらカッコ良かった。当時のプロ野球ニュース企画で、各チームの投手に「No1スラッガーは誰か?」ってインタビューして門田選手が一位だったのを覚えてます。
若い頃は俊足、巧打の選手でした。25歳の73年には3番打者として、V9巨人とも戦われた。怪我にも何度も苦しめられましたが、その度に這い上がり、タイトルを獲得されました。相当努力されたんでしょうね。
私がプロ野球に興味を持ち出して2年目が、熱パ、混パの年でした。松永→福良→ブーマー→石嶺→【門田】→藤井→高橋→中島→小川門田さんは、ブルーサンダーマシーンの一角でした。南海からオリックス初年度に入って来られて、生え抜きの藤井選手が猛反発されていましたね。最後、ダイエーホークスに単身赴任されて、ガッチャマンの鷹のヘルメットを被っておられました。あと、南海時代には、近鉄に乗って大阪球場まで通っておられたとのこと。
サムライ門田カッコいいです。
門田さんはブチギレるイメージがありませんでした
工藤を意識してたのか空振りしたバットがベンチに飛んでいったり力んでたイメージでした。娘さんが工藤の大ファンだったらしくそう言うのもあったんですかね。笑
元阪急の福本さんも重いバッドを使っていましたね!
この前、ETV特集で観たけど、野球選手を引退してからの生活が出来なかったんだろうな、と。人生見直し、家族と向き合う、まで出来なかったんだろうな、と。ただただ選手としてしか生きられなかった。でも、不器用な自分から見ると、自分にも似たような点がある。共感してしまうんだよなぁ
門田選手は30歳を越えた頃、春季キャンプでアキレス腱断裂の大怪我をしましたが、復帰後の方がむしろ大活躍しましたね。ただ「座るとアキレス腱が硬くなる」という理由で、奈良の自宅を出た後ゲームセットまで立ち続けていたと、何かで読んだ記憶が。余談になりますが「1キロバット」は確か阪急の福本選手も使っていたはず…。
ライオンズチャンネルの半田あいさん好きだったからあいさんも見れて石毛さんの話も面白いし最近このチャンネル好きです!門田さんは好珍プレーで見た脱臼癖があったとは言えブーマーにハイタッチで脱臼させられたのと西武球場で捕手の大宮さんがボールを落として見失ったのを見て捕手の足元にボールがあるのにネットの方指差したおちゃめなのが印象にあります。あと170センチであれだけホームラン打つなんてすごいなと思います。僕が一番すごいと思うのは40歳でホームラン44本打点125にOPS10割です。エグすぎます!
謙遜してはりますが、石毛さんの陶芸作りもすごいのでしょうね
20歳頃。ダイエー初年時、平和台でよく門田さんを見たものだ。仰る通り上背はないが、眼にも止まらぬ凄いスィングスピードを今でも覚えてる\_(-_- 彡 -_-)_/カキーン💥
一キロはマスコットバットで打つようなものですからとんでもないことです。
門田さん引退の時に、身長170位だと初めて知り驚いた記憶があります。それだけ、オーラが凄くて大きく見えたのかもしれません。
子供の頃、プロというスポーツは、プロ野球、プロレスくらいしか見ませんでした。その頃、パシフィックリーグのテレビ中継が滅多になく、新聞のスポーツ欄と、プロ野球珍プレー好プレーで門田博光さんの事を知りました。門田博光さんがホームランを打つと、次の日にわたくし達、子供達の間で話題となり、草野球で門田博光さんの打ち方を真似、ホームランを打とうとしたものです。
すごいな門田さん。1000gのバットは、下半身の軸がブレるし速いスイングもできないよ。プロ野球OBのRUclipsのチャンネルは、石毛さんのが1番楽しいし、昔の記憶が甦ります!
ポパイと聞いて、元大洋の長田選手を思い出しました。長田選手は体つきもそうですが顔が似てました(笑)
70年代特に応援チームなく選手で応援していました。南海の野村、門田はマジこの2人は尊敬してました。野村さん「監督兼キャッチャー」で「3冠王」まあ信じられない選手。
他のプレーイングマネージャーは落ち目になってからやけどノムさんはピークの時でしたからね。凄すぎ!
デーブさんの動画で門田さんの話題の時に、試合前のフリーバッティングで鉛のような重たいボールをスタンドインさせていたようですよ。しかもお客さんがたくさんおられるときは、わざとスタンドインを狙わずに、外野に落ちるように打っていたとか。
そー仰ってましたね。
左右の偉大な打者ヒロミツさん😙
全打席ホームランを狙って打ってたんですよね⚾
パ・リーグMVP
82 ひろみつ(落合博満)
85 ひろみつ(落合博満)
86 ひろみち(石毛宏典)
88 ひろみつ(門田博光)
子供の頃、いつもいつも南海は負けるんだが、門田のホームランだけを目的に大阪球場に行っていた。
大阪球場さよなら南海ホークスの試合も行きました。門田さん、ありがとう。
門田博光さんのように40才でホームラン44本打てる現役の選手はもう現れないでしょうね。プロ野球の天才プレーヤーでも難しいと思います。
門田さん、パリーグで一番好きな選手でした。
門田さんの凄いのは170 cmしかない体格なのに1,000gのバッドを振って、歴代3位のホームラン数を打たれた事でしょうね。私も晩年の門田さんを見ていましたが、オリックスの吉田 正尚選手が門田さんとどことなく似ていると思います。
オリックスの吉田はサイズは無いがパンチ力に加えて率を残せる打者ですね!
南海ファンですが本当に吉田選手は門田選手を彷彿とさせます。
なので、首位打者も素晴らしいのですけどホームランバッターの
吉田正尚
を見たい!
何はともあれ長年プレーしていたことが、すごい。
小学生の時に凄いと思った選手の一人に門田さんあげられます。小学生ながら凄いと思いました。背が低くは見えないあの独特の体型が魅力的でした。
南海を気持ち的には応援していましたが、それは門田さんの影響が多いです。
王さんもそうだがいいバッターってのはテイクバックの時の出で立ちがとても美しい。
門田さんも王さんも一本足型で足を上げた時のフォームがどっちも素晴らしくかっこいい。
数知れないほどのスイングで作り上げた芸術品といった風格がある。
石毛さんの背景の門田さんの写真かっこいいわー。
登録者数3万人超えましたね!目指せ100万人!
門田さんは尊敬するプロ野球選手のお一人です!不惑でのホームラン王は凄いです。
門田さんは、怪我して全力で走れなくなったからホームランしか狙ってなかった。走る必要無いから。
かっこよすぎる。
治療担当医が「この怪我は完治が難しい。それなら全打席全力で走らなくてもいいホームランを狙った方が良いのでは?」と言ったのもホームランに拘る理由になったそうです。
門田博光。当時パリーグの中継はほとんどなかったので顔と名前が一致する人はさほど多くないと思われますが、この人を一言で表現するなら「剣豪」。上段に構えたピンと張りつめた静けさからバット一閃、ボールは「バキッ」という轟音とともに瞬く間にスタンドへ。それは剣の道を究めた者の居合抜きさながらで、真剣で振っていたならばボールは真っ二つ、といったイメージです。今でも門田博光さんのホームラン動画を楽しみに見ています。本当に凄い選手でした。
門田さんって豪快なバッティングで晩年しか知りませんが、オーラありましたよね🎵
昔の選手ってバッティンググローブ無しの人多かったイメージあります‼️
確か王さんとか落合さんは素手だった記憶あります✨
今の選手皆グローブしてますよね🎵
「打率は狙えんこともないけどホームランを打って子どもたちを喜ばせたい」
ベーブ・ルースも似たようなこと言ってたよな。プレーはいつもファン最優先。プロ野球選手の鑑よ。
門田さん らしい 言葉ですね。
デッドボール を 当てられて文句を言う程 打席を 大切にしていたのだと 感じられる形ですね。
引退試合で旬な野茂英雄の真っ直ぐをすべて空振りでの三球三振。
粋ですよね~。
野茂のプロ入り被弾第1号を打つためだけにトレーニングをして、それを実現させたところに漢としてのロマンを感じます。
門田と落合、現代野球と昔の野球、両方に携わって両方で凄い成績を残した選手は何人かいるけど、打者ではこの二人。
すばらしい二人の「ヒロミツ」さん。
でももう1人の博満の
野茂?…若いのにオジン臭い投球をするやつだ。
あんなやつのストレートなんてたいした事ない。オレならいつでも左中間の深いところにホームラン打ち込んでやる!
…と現役時代や引退後も言うところに人格者博満が現れている。
門田さんとは大違いですよ。
通算成績だって全然ね。
門田さんがアキレス腱やらなければ野村克也を抜いていたかも知れないし王貞治に肉薄してたかもね。
ヒットなんていらねえよ ミスターホームランは 俺だ だから三振は 許して丁髷(∀`*ゞ)エヘヘ
石毛さんの先人に対するリスペクトが感じられて、とても素晴らしい。
人柄も尊敬致します
89年オリックスブレーブスはブルーサンダー打線のイメージ!門田さんは学園前から二時間かけ神戸、松永、ブーマーに石嶺、藤井等と20ホーマー五人衆。
とにかく御冥福お祈り申し上げます
「ヒットはいつでも打てる。でもファンは俺のホームランを見に来てるんや」。カッコ良かったな~。
大阪球場のヒーローです!
落合さんと門田さんの練習方法の違いっていうのは落合さんの著書でも述べてたな。
最近デーブさんもそうだしこの前のスポルティーバでのインタビューだったりで門田さんを注目する機会が増えてきたのはいいことだと思う。
もっと語ってほしい。
門田さんは南海時代に阪急の応援団の方にからかわれて野次られてもあれほどの大物なのに実に愛嬌ある交わし方をされてたのが印象に残ってます😊
門田さんの娘さんが工藤公康のファンだったので対決は燃えたと言う記事を読んだ記憶があります。オリックス時代にその工藤投手からグリーンスタジアムで打ったライト最上段の一発は忘れられません。
確かその娘さんのために大阪を離れるわけにいかなくてダイエーに行かずオリックス行ってから数年後にダイエーに行ったんだよね
門田博光は過小評価されていると思う。スイングスピードや打球速度を同世代の選手と比べると抜群に速い。
これは私の意見ではありません。広岡達朗さんの本に500本以上ホームランを打っている選手の中で、門田博光さんはアキレス腱を切って守備が出来ないのでDHでしか起用出来ないし、張本勲さんは守備力がないので今一で、広岡達朗さんの目にはミスター赤ヘルの打って守れる山本浩二さんの評価が滅茶苦茶高いですね。衣笠祥雄さんは、1984年打点王を取った年は水谷実雄さんが阪急にトレードされたので5番打者だったが、現役時代のほとんどは6番打者で振り回し過ぎで、生涯打率は2割5分ぐらいのすごい荒い打者だったが、三塁の守備が抜群だったので代打を出されることはなかった。
話がそれましたが、1977年に訳あって選手兼任監督の野村克也さんが自由契約選手になって、1979年にアキレス腱を切って、1980~1988年からは、穴吹監督、杉浦監督の下で、DHで南海の不動の4番打者として、芸術的なホームランとホームラン王と打点王のタイトルを手にした。そして、王選手の55本を破るとい目標で背番号を60にしていたのが印象的で、王選手は絶対に流し打ちはしなかったが、アウトコースはレフトに流し打つホームランするホームランアーティストだった。ちなみに、昭和と共に南海ホークスが消滅して、オリックス、ダイエーで平成3年までプレーしたが、最後は野村克也監督のいるヤクルトに行ってはどうかと、江夏さんが進言したそうだが、DHのあるパリーグでないと、ピンチヒッターの切り札になってしまうと言って断って、1980年以降は最後までDHにこだわった野球人生だったと思います。
1975年にパリーグにDH制度が採用されたが、運も実力のうちだし、自分が一番輝ける場所で仕事をする門田博光さんの生き方は、プロ野球を越えてサラリーマンや自営業をやっている人の生き方の参考になったと私は思っています。
オリックスの吉田正尚のフォロースルーはそっくりだ。
他の人がDHだからって500本塁打2500安打なんて出来る人は稀も稀だと思う。
天才バッター。
言うほど過小評価されてるか?
門田さんってバットもさることながら
練習では特注の重いボールで打ってたでしょ 確か
体が小さかったから物凄く努力したんだと思いますね
オリ時代ではパンチ佐藤が門田さんが村田兆治の速球を打つために鉄球を打つ練習をしていたとかなんとか言ってた気がしたな。
170センチに見えないあのバッティング、最近門田さんの手記に
600本は打てていた、いや打つべきだったと言っていました。何故なら
500本台は6人いるが600本は二人しかいない、500~599も500本台600本台その仲間に入りたかったと言っていました。
門田宏光さんは打点を「RBI」、つまり"Runs batted in"と言ってますね。打者としてバットで得点をするという誇りがあるからなのでしょうね。
ブーマーで脱臼の思い出
昔の南海には門田の手本になるような左打者がおらず、そのことで悩んでいたが、ある日凡退したあとベンチの隅にある鏡の前の水道で手を洗ってふと鏡を見ると、次打者の野村克也が反転して左打者として映っていた。それ以来、門田は手を洗う格好をして「鏡の中の左打者」である野村の打撃フォームを熱心に観察・研究した。野村に話すと「参考になったやろ」と威張られるに決まっているからという理由で、門田は絶対にそのことは野村には言わなかったという。
恩着せがましいノムさんなら言いそう。
南海がまだ強かった時ベストメンバーもバランス良かったなぁ〜😌島野さんから藤原さん門田さん野村さん新井さん片平さんがいて桜井さんがいて定岡さん投手も佐藤道さんダブル山内さん江本さんと・・水島新司さんのあぶさんでは凄い紳士的で温和に描かれていたけどな〜😅門田さんホームラン打った後フォロースルー好きやった
門田さんて落合さん、同じ“ひろみつ”でも正反対な練習方だったのですね(^^)
門田さん、平和台でオリックス時代ブルーサンダー打線の時、打球の勢いと放物線を描くホームランは軽くフェンスを越えていて福岡のホークスに戻ってこないかな~って思っていました。戻ってきてからはカーンって上がった打球がフェンス前でスト-ンと落ちるようになっていたので引退かなって思った印象が強い、練習用の逸話はその当時でも有名で本当に完全燃焼された現役時代だったんだと感じました。
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東尾さんに良くわざとぶつけられていたそうで、その報復にひたすらピッチャー返しを狙って打っていたら、東尾さんが内角を投げなくなったそうです。山本和範さんが、東尾さんに「お前は生意気だからぶつける!」言われ内角攻めをされて、門田さんに相談したら上記の話しをされて、山本さんは「プロって怖いところだ」と思ったそうです。
門田さん自身語ってたけど、どこかの試合で第一打席にデットボール食らって、次の打席から全球ピッチャー返ししてたら第3打席だかに東尾さんの臀部だか太ももにライナーで直撃弾したそうな。
それからインコース攻め無くなったそうな。
南海のスラッガーと言えば
私の世代なら
門田博光さんに尽きます
大阪スタヂアムにはよく通いました
凄いホームランも数多観てきました
不惑のホームラン王と言えば
南海の門田博光ですわ
門田さんって不思議と背が小さいように見えなかったのです。
打席でドッシリと構えて「さあ、いらっしゃい」と言う雰囲気を出していた感じがしました。
右足を上げてフルスイングしてフォロースルーまでが本当に綺麗でしたねえ…。
門田さん実は1968年に阪急から指名されましたが入団拒否。この年の阪急のドラフト1位山田、2位加藤、7位福本で3人名球会入り、もし門田さん入っていたら4人名球会入り選手指名していたかもしれません。この年の阪急のドラフト史上最高でしょう。
ドラフト順位が二桁だったはずなのでまあ拒否するのもわかります
石毛さん 同い年でファンでした(笑)
昔 大阪球場で西武と南海の試合を
観に行き 試合途中で帰らなければ
ならなかった時でも門田選手の
フルスイングを見てから帰るように
してました
チームの勝ち負けとは関係のない
それでも見たい選手
これぞプロと思う選手でした(笑)
門田と落合
練習法は対照的といえど、東尾のケンカ投法に殺人ピッチャーライナーで対抗したという共通点がw
落合氏のは映像に残っているが門田氏は当てられなかったが執拗に狙っていたとかで、東尾が泣いて土下座して謝ったとかいう説があるそうですね。
えーっ、リアルタイムで戦っていた石毛さんが門田の1キロバットご存知なかったのは意外でした
石毛選手と門田選手の陶芸はオフの恒例のニュースでしたね!
今と違い当時の選手って他球団の選手とあんまり仲良くしてないイメージだね。
あのバッティングスタイルで通算打率0.289は凄いよな。
晩年の門田さんと今井雄太郎さんが好きでした
私もです。
メジャー行った山口俊もマウンドで気が小さくなるタイプなのでミスターパーフェクト今井雄太郎を見習って登板前に日本酒を1升飲み ベンチのチームメイトや相手打者に暴れまくり、次はどいつじゃーッ!!…と大和魂をアメリカで体現してもらいたい。
決め打ち一筋。それで数字を残してるのはスゴい!
近鉄・金村さんのお話だったと思いますが、門田さん25キロダンベルを(片手で)ベンチ内でガンガン上げていたと聞きました。
門田と聞いたら俺は来る。
門田さんと云えば40歳不惑の歳を迎えても豪快なスイングでホームランをライトスタンドに放り込んでいたイメージがありますね(*^^*)
独特の一本足打法で全身を使ったフルスイングまさに中年の星と言われた偉大な選手でした。
今日も楽しく動画を見させてもらいました‼️
石毛さんのトークは楽しいですし‼️
小学生の記憶が蘇って懐かしいです❗
門田さんと秋山さんのホームラン王争いが懐かしいです❗
40歳で本塁打、打点王の2冠を獲ったのは驚異でした
普通ならピークを越えてしまう年齢ですから体の鍛え方が上手かったのでしょう
門田さんの話はパンチ佐藤氏が詳しい。もともと攻守走揃った外野手だったがアキレス腱を断裂して走らなくていいホームラン狙いになったといわれてました。
87年からプロ野球を見始めたのでもう晩年だったけど、その打棒はとても晩年のものじゃなかった。
迫力あるあのバッティングは今でいうと柳田か吉田正尚が近いのかも。
やっばいいですね!
こういった歴代のレジェンド選手の紹介と、その選手にまつわるエピソードか入って…知ってる選手の意外な一面や知らなかった大先輩のお話がユーチューブを通じて蘇る日が来るなんて。
門田選手はピークの過ぎた頃しか拝見してませんでしたが、それでも長距離打者として、なかなか扱いが少ないパ・リーグでも印象的でした。
アキレス腱を切ったことで一層ホームランに全振りしたはず
アキレス腱を切る前のプレーは見ていないけれど、強肩巧守、巧打の外野手で、ホームランもそれほど多くはない。
アキレス腱を切って、まともに走れなくなったため、走らなくてもチームに貢献できるホームラン狙いの打者になったとのこと。
この辺りは同時代にプレーした石毛さんなら、常識だと思うんだけどなあ?
高校時代はホームランゼロだったというね
しかし、プロに入ってからは夜中まで素振りをずっとしてたほどバットを振っていた
セ・リーグの衣笠祥雄
パ・リーグの門田博光
フルスイングの大打者
フォロースルーが吉田正尚にそっくりなんだよなぁ、あのスイングのパワーに体が勢い余って回転させられてる感じ
門田さんと言えば、電車で球場に通ってたエピソードを思い出します。
昔のテレビ特集で、レジェンド級の選手なのに普通の電車に乗って大阪球場まで通勤してるのを見て驚きましたね!
@@TachimachiBeerNotWani
学園前でしたっけ?w
帝塚山学園の東側敷地の裏手。ストリートビューを見ると、駐車場と玄関階段と大きな岩は門田さんが住んでいた当時のまま残っていました。
@@わあるどぱられる
現在は引っ越しされたんですね。
@@woodsseirading967 記事によると兵庫県の山奥で生活されているそうです。
@@わあるどぱられる
なるほどそうなんですね。教えてくださりありがとうございます😊
門田さんの魅力は中年で打ちまくったところだ。ホント、玄人受け!
陶器を作るようにホームランを作ってたんでしょうか。
コーラは、砂糖が多いです。デーブさんもコーラ好きだったのでは。。。
門田選手の一番すごかったのは
牛島のフォークを2歩前に出て
ホームランにしたやつ
自分も、あのバッティングがすごく印象に残ってます。
当時、スポーツニュースで門田が歩いて打ったとか言ってましたね。
門田…豪快なバッティングの印象…
門田さんをゲストに呼んでください
喋りは駒田みたいなイップスじゃないけど現役時代からあれですよ。
野村克也を見て南海の選手はエモやん除いてみんな小声でブツブツ言う人しかおらんのか?…と言う感じ。
偉大な選手だったし 良い事を言ってるので全神経を集中して聞きたいのだが
ほんまよう耳に入らない喋り方に
耳がイップスになったわ。
門田さんの名前を知ったきっかけは、88年に40歳で本塁打王獲得された事ですね。チームの監督だったあのノムさんの言うことを無視してまで、ホームランにこだわるその姿は、まさに真のスラッガーだなと今でも思いますね😃
今度、落合さんも門田さんも同時に呼んで「Wヒロミツトーク」を実現して頂きたいですねw
門田さんは、入団当初は俊足巧打で入って来たと言うから驚きですね。
ぶんぶん振り回して、追い込まれてからはヒットに切り替えたから打率も良かったですね。
ブーマー選手に手荒い祝福を受けて肩を脱臼したのは笑い話ですね(笑)
秋山幸二さんと同じように世界へ行っても通用したであろう選手の1人、 今で言う吉田みたいな感じのフルスイング 僕は実際1度も見たことないですけど 是非とも正尚には門田二世として頑張ってもらいたい。
いつも楽しく拝見しております。
石毛さんの現役時代のパリーグは同僚の東尾修さん、工藤公康さん、阪急の山田久志さん、今井雄太郎さん、星野伸之さん、佐藤義則さん、ロッテの村田兆治さん、仁科時成さん、日ハムの西崎幸広さん、近鉄の野茂英雄さん、南海の山内トリオと役者が揃っていましたが接してみたり対戦しての思い出話がございましたらぜひ御聞きしたいので宜しくお願いします。
コーラ好きの話が出ましたが、野村克也さんは南海の兼任監督時代に、炭酸飲料をイッキ飲みしている門田さんを注意したそうです。門田さんは、お酒(多分ビール)を飲んでいる時に小脳梗塞にかかり一命は取りとめたものの、後遺症と戦っていたと記憶してます。ノムさんの注意を守っていれば回避できたかもしれませんね。ただ、後遺症とのリハビリ方法も門田さんは独自の考えで編み出したストイックなものだったらしいです。さすが門田さん。
門田選手の鍛練方法については、40歳で二冠王を獲得して話題になった時に、とある特集番組で紹介されてたと思います。
直立不動で立ち、両手でバーベルを握って正面に突き出して、一定時間制止させるようなトレーニングだったと思いますが、相当握力は強かったようですね。
魅力のある打者でした。
40歳でホームラン王とか、日本プロ野球で門田さんの他に誰かいるんだろうか?また、これからも現れるんだろうか。
山﨑は39歳かな。
門田氏は『最後』のスラッガー
門田選手が筋力トレーニングして、長く重いバットを使っていたのは知られてるよね。門田選手のフォームはバットが頭の後ろにあり、スイングが遠回りせず速球に強かった。
王選手も全盛期はそうだったが、晩年はバットヘッドが前に傾いていた。セントラルリーグに速いボールの投手が少なかったのかもしれない。
門田選手って実績の割に語られないよなー
試合前のバッティング練習はライトスタンド危なかったんですよ
南海唯一の最強バッターでした
門田氏の練習について故近藤貞雄氏の著書「野球はダンディズム」に、ピッチングマシーンを通常の半分の距離に設置して打撃練習していたという記述があったような・・・。
更にティーバッディングでは鉄球みたいな重い球打ってたらしいですね。
門田博光さん山本和範さんに憧れて左でばかり打ってたら、いつの間にか右での打ち方が解らなくなっちゃってました笑
石毛さんの居た最強のライオンズを当時は本気で嫌ってたなぁ…、懐かしい思い出です。
懐かしい名前ですね。最後に門田さんの映像が流れるのかと思ったら、ずっこけちゃいました。自分で探してみまーす
毎年夏のオールスターの時は必ず王さんのところに行って一本足打法を教わっていたという話を昔のオールスター戦のテレビ実況生中継中の本人へのインタビューかアナウンサーの説明か何かで聞いたことがあります。その選手が門田さんだったか片平さんだったかは覚えていませんが、二人とも一本足打法を目標として王さんからアドバイスを受けていたのは事実です。
前から思ってたんですけど門田さんとライオンズの山川選手が自分としてはダブルんでよね。
チビでもホームランが打てるんだよって教えてくれてたような感じですね。
門田さんのスイング、好きだったなぁ。
吉田正尚もそうですけど全身の力を利用してでスタンドまで放り込んでるイメージですね。
確かホームランの打ち損ないがヒットとか聞いたような。
ところで石毛さんの陶芸はプロ野球オフ(自主トレ)の恒例行事でしたねw
私の中でのスイングスピードベスト3は張本・門田・松井です。
ダイエーに行った時覚えています 門田 もう活躍できんかったけど大好きやった
ドカベンもな
ブーマーとのハイタッチ🤚
自分は親父が読んでた「あぶさん」から入った南海ファンでした。門田選手は、打撃フォーム崩してのヒットなんか狙わないから三振ですらカッコ良かった。当時のプロ野球ニュース企画で、各チームの投手に「No1スラッガーは誰か?」ってインタビューして門田選手が一位だったのを覚えてます。
若い頃は俊足、巧打の選手でした。
25歳の73年には3番打者として、V9巨人とも戦われた。怪我にも何度も苦しめられましたが、その度に這い上がり、タイトルを獲得されました。
相当努力されたんでしょうね。
私がプロ野球に興味を持ち出して2年目が、熱パ、混パの年でした。
松永→福良→ブーマー→石嶺→【門田】→藤井→高橋→中島→小川
門田さんは、ブルーサンダーマシーンの一角でした。
南海からオリックス初年度に入って来られて、生え抜きの藤井選手が猛反発されていましたね。
最後、ダイエーホークスに単身赴任されて、ガッチャマンの鷹のヘルメットを被っておられました。
あと、南海時代には、近鉄に乗って大阪球場まで通っておられたとのこと。
サムライ門田
カッコいいです。
門田さんはブチギレるイメージがありませんでした
工藤を意識してたのか空振りしたバットがベンチに飛んでいったり力んでたイメージでした。
娘さんが工藤の大ファンだったらしくそう言うのもあったんですかね。笑
元阪急の福本さんも重いバッドを使っていましたね!
この前、ETV特集で観たけど、野球選手を引退してからの生活が出来なかったんだろうな、と。人生見直し、家族と向き合う、まで出来なかったんだろうな、と。
ただただ選手としてしか生きられなかった。でも、不器用な自分から見ると、自分にも似たような点がある。共感してしまうんだよなぁ
門田選手は30歳を越えた頃、春季キャンプでアキレス腱断裂の大怪我をしましたが、復帰後の方がむしろ大活躍しましたね。
ただ「座るとアキレス腱が硬くなる」という理由で、奈良の自宅を出た後ゲームセットまで立ち続けていたと、何かで読んだ記憶が。
余談になりますが「1キロバット」は確か阪急の福本選手も使っていたはず…。
ライオンズチャンネルの半田あいさん好きだったからあいさんも見れて石毛さんの話も面白いし最近このチャンネル好きです!
門田さんは好珍プレーで見た脱臼癖があったとは言えブーマーにハイタッチで脱臼させられたのと西武球場で捕手の大宮さんがボールを落として見失ったのを見て捕手の足元にボールがあるのにネットの方指差したおちゃめなのが印象にあります。
あと170センチであれだけホームラン打つなんてすごいなと思います。
僕が一番すごいと思うのは40歳でホームラン44本打点125にOPS10割です。エグすぎます!
謙遜してはりますが、石毛さんの陶芸作りもすごいのでしょうね
20歳頃。ダイエー初年時、平和台でよく門田さんを見たものだ。
仰る通り上背はないが、眼にも止まらぬ凄いスィングスピードを今でも覚えてる\_(-_- 彡 -_-)_/カキーン💥
一キロはマスコットバットで打つようなものですからとんでもないことです。
門田さん引退の時に、身長170位だと初めて知り驚いた記憶があります。
それだけ、オーラが凄くて大きく見えたのかもしれません。
子供の頃、プロというスポーツは、プロ野球、プロレスくらいしか見ませんでした。その頃、パシフィックリーグのテレビ中継が滅多になく、新聞のスポーツ欄と、プロ野球珍プレー好プレーで門田博光さんの事を知りました。
門田博光さんがホームランを打つと、次の日にわたくし達、子供達の間で話題となり、草野球で門田博光さんの打ち方を真似、ホームランを打とうとしたものです。
すごいな門田さん。1000gのバットは、下半身の軸がブレるし速いスイングもできないよ。プロ野球OBのRUclipsのチャンネルは、石毛さんのが1番楽しいし、昔の記憶が甦ります!
ポパイと聞いて、元大洋の長田選手を思い出しました。
長田選手は体つきもそうですが顔が似てました(笑)
70年代特に応援チームなく選手で応援していました。南海の野村、門田はマジこの2人は尊敬してました。
野村さん「監督兼キャッチャー」で「3冠王」
まあ信じられない選手。
他のプレーイングマネージャーは落ち目になってからやけどノムさんはピークの時でしたからね。凄すぎ!
デーブさんの動画で門田さんの話題の時に、試合前のフリーバッティングで鉛のような重たいボールをスタンドインさせていたようですよ。
しかもお客さんがたくさんおられるときは、わざとスタンドインを狙わずに、外野に落ちるように打っていたとか。
そー仰ってましたね。
左右の偉大な打者ヒロミツさん😙
全打席ホームランを狙って打ってたんですよね⚾