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圧倒的1位の松永久秀が居ない件。極悪人だのなんだの裏切り者だの何だの言われていたけど、実際は将軍暗殺にも手を課しておらず、三好長慶直系の当主に対して圧倒的に忠実だったと言われている。
1980年位までは三成はヒーローだったんだよな。加藤剛主演のドラマが放映されたりもして。ところがSHOGUNがブームになった頃あたりから家康の評価が爆上りしたもんだから、一気にやられ役に落ちぶれちゃったんだよね。その後のやられっぷりは皆様ご存知のとおり。可哀そうな三成。まさに戦国プロレス
最上義光にはいろんなエピソードがありますよね 義光が愛用していた兜は信長から授かったもので慶長出羽合戦では直江兼続軍から鉄砲で頭を狙われましたが この兜のおかげで助かったとか 当主でありながら先陣を切って戦ってという記録もあるそうです でも義光というと どうしても駒姫の悲劇を思ってしまいます あまりに理不尽で切なくなりますね
三成は子供たちが全員命を助けてもらえたのが幸いでしたね
@yamada taro しかもこの時代は姫でも意外と殺されがちですからね…
豊臣秀頼は三成の子供だったという説秀吉が幾ら長寿命といえどあの年齢で子作り出来るのは不自然現代人でも40後半になったら勃たんのに
オッサン、戦国武将全員大好き(@ ̄□ ̄@;)!!皆全力で戦国時代を生き抜いてきた。その人生すべてが後世に生きるオッサンにとって大切な教訓。経営者になって、つくづく思う。
石田三成は、三女が弘前藩2代藩主の津軽信枚に嫁いで(しかも関ヶ原の後)、生まれた長男がその跡を継ぎ3代藩主になった。津軽信枚は家康の養女で実の姪(弟の子)が正室であり、二人の間には息子もいたのに、である。また、次女の孫(三成のひ孫)は徳川家光の側室となり、長女の千代姫を産んでいる。これを見ても、江戸時代の早い段階で徳川家からも評価されているのは間違いない。さらに言うと、千代姫は御三家である尾張藩2代藩主の光友に嫁いだ後に3代藩主綱誠を産み、その孫が九条家に嫁ぐことにより九条家にその血が伝わり、その子孫である九条節子が大正天皇に嫁ぐことにより、現在の皇室に石田三成の血が伝わることとなった。
今川義元がいないとは
小早川秀秋。そもそも裏切ってない
武田勝頼と最上義光と石田三成は大河ドラマの主人公にしても充分な人物だと思う!
武田勝頼だとあまりにも悲劇的な最期だから、信長憎しの感情が強くなってもやもやした終わり方になりそう。
大河ドラマ 「石田三成」 第一話 決戦!関が原
長篠の戦いにおける武田勝頼が家臣の反対を押し切って鉄砲隊陣地への無謀な突撃命令も嘘だという事が分かってきましたね。鉄砲三段撃ちが長篠の戦いが初と思われていますが、武田軍の真田鉄砲隊でも既に三段撃ちは実戦で使われていたので状況が分からず突撃して一方的に討たれる様な作戦は絶対にあり得ません。
@@akibanokitune そもそも三段撃ち自体が後世の創作であると言われています
個人的には今川義元・氏真親子も再評価されてきてるのではないでしょうか?義元は法の整備や検地をやったりと統治のお手本になってますし、松平家を守りにいったりと義にもあつかった。義元の子である氏真は北(信玄)と西(家康)が化け物すぎただけで、君主としては花咲かなかったが、文化人として能力を伸ばした。後は家康の人物評をしっかりわかってた。籠城戦の交渉時、「後々城をくれ」と家康と約束をとってから開城してることからも。駆け引き上手だったのではないでしょうか
武田勝頼が大好き💓♥️❤️です。
石田三成も好きです。🎵\(_ _)
@@中井幸征 同感です❗
武田勝頼…ついドラマ真田丸の勝頼役平岳大さんの顔が浮かびます。
中井貴一さん主演のドラマでは、真木蔵人さんが演じていたけど。
最上義光は戦後の地元の有力者に嫌われたからある意味仕方ない。
全部ハ○ットリのせい!!!
再評価で言えば今川義元も入ると思う
息子の氏真も入りますね。
センゴク外伝桶狭間戦記で今川義元の評価が爆上がりです
徳川と戦っただけで、石田三成を水戸光國公は「豊臣秀吉公に忠義という当たり前の事をやり尽くした」武将として、悪い評価をあんな古い時代からしていない様ですね。
秀忠はそもそも関ケ原に来いと命令されていなかったという説が最近では有力ですが
北条氏政は…武田勝頼と一緒かな?
最大版図を築いてますからね。
秀吉は天下統一してからが酷すぎる。
武田勝頼は長篠の合戦で無謀な戦略を用いたことから武田二十四将に数えられた多くの家臣を打ち死にさせたことで悪いイメージがついてしまっていますね一方石田三成は大谷吉継との逸話に見られるような人情的な面が顧みられることがなく、ただただ反三成派を中心とした連中からの豊臣家内での鼻つまみ者の印象が強いのだと思います今回の動画でいい勉強になりました
史料発掘が進んでなくて軍記物語が持て囃された時代があったからね…
石田三成を評価していたのは家康と聞いたことがあります。冷たいように見られがちだけど、飢饉で凶作に苦しんでいる農民の年貢を減免したり、官僚として三成みたいな人出てくれないかな?
歴史小説の大御所達にも要因があるかもしれない。彼らの小説はエンタメ作品としてすごく面白いがゆえに、その人物の描かれ方やイメージが定着してしまったのもある気がする。漫画作品のセンゴクシリーズが一番、敗将達を人物を公正に描いているかもしれない。
豊臣を潰したのは、虎之助と市松と金吾
虎之助は死ぬまで豊臣を潰さないよう動いてたからこの面子に入れたら可愛そうな気もする
1番の原因は秀吉自身にあると思います
結局全て三成の責任。
@@小豆-t4o いや、重ねて言いますけど全部の責任は秀吉にあると思いますよ?秀吉が秀次の一族を虐殺したり朝鮮侵略を断行したりしたせいで大名たちの心が離れ、家康に付け入る隙を与えたのですから。
@@小豆-t4o "全て三成のせい"とはいいませんが、豊臣が滅んだのは、三成にも原因があると思います。正則や清正を東軍につかせたり。
秀忠や勝頼は人生を変えるくらいの大戦で失態を犯したからダメ武将って呼ばれてしまった感がある
秀忠は運が悪い 増水で伝令が届かなかったのが原因だし。
秀忠のどこが大失態なの?あんなの関が原に間に合えっていう方が無理筋家康の無茶振りでしかない関ケ原の遅参を失態扱いする歴史家は既に皆無と言っていい
@@einsfia 秀忠は上田平定しつつ中山道で関ヶ原行く感じだったのですね…たしかに無茶な命令だ
どっちも相手が悪すぎた
やっぱりさおりさんのナレーション、いいですね。内容も好きで昔から拝見していますが、最近は、さおりさんのナレーションも楽しみになっています。
毛利輝元が再評価される日は来るのかな…?
再評価筆頭は武田勝頼と今川義元とかかですかね?逆に評価が下る武将は前田利家とかですかね。賤ヶ岳の戦線離脱は関ヶ原の小早川とあんまし変らないのでは?と思うようになりました。
利家の賤ヶ岳の離脱は結局のところ「与力としての義理と長年の夫婦どおしの付き合いという友情の板挟みから」という部分も大きかったわけだからねぇ…
明智光秀が大河ドラマの主人公になるなど昔は考えられませんでしたからね。信長以外の武将に使えていたら地味な生涯で終わって、知名度もずっと低くなっていたでしょう。
信長じゃない武将に仕えた方が良かったのかもしれません。
織田信長もかつてはダメ武将だったからねぇ
伊達政宗のが余程ダーティーなのに!
治部少輔殿(三成)は昌幸殿(真田昌幸)と親交があり、くわせものと言われた昌幸殿ですら信頼しておった武人です。 ただ戦場での功績がなく専ら裏方に徹していたため他の武将から「戦場で命のやり取りもしていないくせに生意気な」と反感をかっていたのは事実のようです。先手先手で調略を施し味方の損害を減らす努力をしていたのですが、目に見えないから評価がよくなかったのです。
織田信長は部下に裏切られ、別の部下に家を乗っ取られたという、中小企業のオーナー社長が一番嫌がる展開ですから…。
斯波「せやな」
しかし信長の場合は因果応報だよ信長が約束を破った事で母親が処刑されたら誰でも恨むし人望がなくなるわあの秀吉ですらブチ切れだったし
@@akibanokitune 三秀の母親が人質に出されて反故で処刑されたのは創作
石田三成って そんなに評判悪かったでしたか? 私はむしろ子供の頃より逆の印象でしたが…近年、評価が上がり捲りの武将と言えば明智光秀が筆頭ではないでしょうか?
気づいたら聖徳太子がおらんかったわ
里見氏はもう少し評価されてもいい気がするんだよなぁ…
信長の野望だと北条にすぐ攻められて吸収されちゃうから北条強化パッチとか言われているのは可哀そうw
最上義光公は大河ドラマにしたら面白いと思うけど。領民想い、家臣想い、シスコ・・じゃなくて妹想い。狐どころか体育会系マッチョ思考(笑)山形へ旅行したときに地元の人に最上義光公が好きな戦国大名だと言ったら喜んでたよ。
鮭好きも追加で!
@@アサヒスーパードライ-f7l 出羽・庄内を所領にした時に好物の鮭が食い放題になったと喜んだ話は有名……。
さおりさん最近かなり丸くなった?顔のお肉がでも美人なのに変わりは無いけど
腹黒さから言ったら政宗の方が遥かに上なのになあ。
武田勝頼とか寧ろ印象だけで政治家しても優秀で知勇兼備の名将から戦以外はいまいちと言う扱いにされてる。義光は妹同様にどうしても有能な敵役扱いだしね。まあ此れは西の宇喜多直家も同じだが。石田三成はコーエーで主役にしたゲームがあったはず。
勝頼は長篠の戦いで信玄時代からの有能の重臣を勝頼の蛮勇で失なっているし、武田本家を滅亡の原因を作ったのもやはり勝頼が張本人だから妥当な評価ですね。
武田勝頼や石田三成の印象は、山岡荘八原作・横山光輝作「徳川家康」を読んでいたせいで、愚将、悪臣のイメージしかなかったです。前者については新田次郎原作・横山光輝作「武田勝頼」でだいぶ補正されましたが、後者については「千利休の切腹も、豊臣秀次一族の処刑も、朝鮮出兵の失敗も、関ヶ原の戦いで負けたのも、ぜーんぶ三成のせい!😤」と思っていましたね。見方が変わったのは、堺屋太一氏の「大いなる企て」を読んだのと、大河ドラマの「葵徳川三代」からかな。秀次一族の処刑は、三成はむしろ反対していたという事実を知って、逆に秀吉の見方が変わりました。豊臣家を滅ぼしたのは秀吉自身だと。
織田信忠も なかなか優秀だったと思う。甲州征伐で有能な部下がいたにせよ 信長が 信州に足を踏み入れる前に 武田家を滅亡に追いやったわけですから・・・
小早川金吾はまだか。
駒姫のエピソードは悲劇だと思うが正直言うと最上義光は御先祖の主家を滅ぼした張本人だから個人的には好きではない。
長野業正のような実際は大したことしてないのに歴史小説の捏造で過大評価されてる戦国武将特集もやって欲しいです
@yamada taro それ創作ですよ。1551年に北条に下って1560年に長尾景虎が関東攻めをするまでずっと北条配下です。だから長野業正は一度も武田と戦っていません。歴史小説で長野業正は独立した戦国大名として武田北条相手に戦ったような記述がされてますが創作です。これ信じてる人多いんですよね。だから過大評価と言ってるんです。
@@grapehunt 確証がないという話を創作と断定するのはおかしい。そこに言及したいなら「創作の可能性もあり、実際のところは不明」くらいでしょう。そういう決めつけによる批判は良くないですね。
ねじ曲がれた話しもあると思う。
石田三成は、確かに清廉潔白な武将かもしれないが、豊臣家の屋台骨を根底から破壊したのはやはり三成そのものだったのだから再評価は個人的には無い‼️武田勝頼は、確かに望まぬ家督相続だっただろうが、結局は力及ばず武田家を滅ぼしてしまった。不運な武将では在るだろう。父、武田信玄が偉大過ぎた‼️徳川秀忠については、過小評価がやっと変わったかという感じですね‼️
同意過ぎて草
インターネットが普及された今でも創作臭い悪評がいまだに信じられてる大友宗麟の再評価はまだですか?
宗教にのめり込み過ぎた宗麟は再評価できない
日本の軍人も評価してほしい。
勝頼は再評価じゃなくて、信玄の再評価からくる哀れみで本人の再評価ではない気がする三成は難しい。忠義はともかく人の好き嫌いが強いように感じられ、人としては…やっぱり大谷刑部が言うような欠点で大事は成せなかったのでは、と…
三成に関しては、「再評価」と言うより単にメディアでの新たな取り扱いの影響で印象が変わっただけだと思う。
石田三成は「黄金の日日」で初めて「人となり」を知ったので清廉なイメージだったが、それでも「おんな太閤記」では散々な描かれ方で今の様な評価とは程遠かった。主役との関係によって人物像が変わるのはドラという性質上、やむを得ない面があるが。戦国時代の大名、領主クラスはどうしても戦上手戦下手で評価が左右されてきたような面もあるが、これからは為政者としての面も評価するべきでしょうね
真田丸と軍師官兵衛の石田三成の描かれ方が全然違いますからね😅
出羽の狐
最上義光って再評価されすぎてて逆に過大評価になってる気がする
散々な評価が続いていた武将に今川義元公を入れないと。一部ゲームでは「バカ殿様」な扱いで不憫でなりません。
そりゃ大大名としての、今川家の滅亡原因を自ら○をもって作った張本人ですから当たり前ですよ。
@@ゴルシ-f4c 家督を継いで間が無い頃は北条との戦いや織田の侵攻など苦労が続いていますが、今川仮名目録の改訂や、寄親・寄子制度による統制強化、商業の発展など今川家の絶頂期を築いた人物ですから、本来は高評価を受けても良いのですが………
小学生の時に『独眼竜政宗』を見ていました。大河ドラマなのに翌月曜はクラスの話題の中心になるぐらい見られていましたが、最上義光を”カッケー”と好きになった男子も多かったですよ(非東北人)最上義光は最近だとチョット過大評価も多いですね。山縣藩57万石が実質2代で滅びたのには義光の施策が大きく、藩内掌握に問題を残したまま死去したのはぶっちゃけ義光のせいです。まぁどこの藩も初代が気前よくばらまいた大領の功臣と2代目が藩内抗争を経験しています。ただ義光は最悪のタイミングで実質的な二代目義康を更迭(賜死)しています。義康が無能で無かったのでここは大きな分岐点でした領内行政は文句をつけられない業績を残していたので、藩内政治に取り返しのつかない禍根を残したのは悔やんでも悔やみきれないですね
秀忠は遅参ではないしwそもそも関ケ原決戦がイレギュラー、そして、秀忠は自ら汚名をかぶりながっら徳川本隊の温存に貢献
優秀な二代目といえば、北条義時、北条氏綱、黒田長政、上杉景勝、池田輝政あたりもですね。
徳川秀忠は原哲夫先生の影武者徳川家康と島左近の両作品で小物、卑怯者扱いされてたのと石田三成も花の慶次では融通の効かない秀吉の部下みたいな感じで良い印象無かったので過小評価していますが近年はネットの普及で正当な評価をされ、いずれその評価も変わるかも知れないですよね
秀忠の扱いの酷さは原先生のせいでは無く、原作者の隆慶一郎先生が原因。この先生は他の小説でも秀忠の扱いが酷い。
@@yh6146 さんへ「影武者徳川家康」ですね。元々、この小説は静岡新聞夕刊版の新聞小説で連載されたものでした。
@@小野澤親 他にも「捨て童子松平忠輝」と「吉原御免状」。捨て童子松平忠輝は横山光輝先生の漫画版があります。吉原御免状は四代将軍が時代の話だけど、回想シーンの秀忠が冷酷だった。
三成の評価は昔は「20万石もないのに250万石の家康と一時期は互角に合戦したって凄いな」だったんだけど最近関ケ原がほぼ消化試合で終わってたって聞くと「忠義ある豊臣家の衰退を早めた阿保やん」になるんだが…
小学校の頃は三成は豊臣を滅ぼした張本人で家康が仇を討った正義の人扱いだったのが不思議でならない授業はもちろん児童向けの歴史漫画でもそんな扱いだった
一条兼定も評価低すぎる
石田三成は戦においては全然駄目な奴だったことは変わらないな。
三成a型だよなo型とあう
俺と同じAB型だと思います!
今川義元は、最低の愚将なのでしょうか?一考をお願いします。織田信長の桶狭間の戦いにおいて・・・。馬にも乗れず、輿にしか乗れず、お歯黒をした公家崩れ愚将と・・・。東海1の弓取の別の名もあるのですが・・・。太原雪斎が、有能すぎたのか・・?でも太原雪斎の有能振も語られませんが・・・。
今川義元は、信長を"バカ"だと舐めてたのでそれが"愚将"としてイメージがついたのかもしれません。
秀忠はもともと良い印象しかない。三成と勝頼は見直し風潮があっても低評価。最上義光は何とも言いようがない。
色々と三成を評価する声があるが、理屈抜きでどうしても好きになれません
石田三成は武将というよりも官僚みたいにも感じますからね。支援物資だったりそろばんを弾いているイメージなんですよね。それだから現場の武将からは余り好かれていないのでしょうね。そのおかげで仲間も少なさそうだし忍城の戦いに関しては秀吉が水攻め強行がのおかげで三成の無能説が加速したわけで。関ケ原の戦いはまぁ、しょうがないよ、豊臣家の一番の戦犯は淀殿じゃないかね?
徳川家光公は見事までに幕藩体制を完成させ徳川の御威光を天下に轟かせた、男色の文化を定着させ家臣との結束を揺るぎないものにし江戸文化に自由な気風が流れ、今のジェンダーの礎ををつくったイケメン将軍❤😅
同性愛なんて子供が出来ないし、言葉はあれだが要はただの自然の摂理に反する欲望だし御家大事の時代にそんな世継ぎが出来ない欲望は邪道だし、将軍家なら尚更だねそれに現代でも同性愛は自然の摂理に反する欲望に過ぎないですね。
@@ゴルシ-f4c この時代は同性愛の人でも沢山つくってましたよ、武家社会に限らす庶民でも普通に男色は浸透してましたし、今でも子供が何人もいる人でも男色を好む人は多いですよ、色んな人がいるから人間社会もそれなりに成り立っているのだと思うし、日本全国男色の風俗だけでも2千近くあるみたいだし、それによって日本社会は成り立っているのだと思います、平安時代から公家を中心にあるわけですからそれらをどうこうしようと思う事事態、自然の摂理に反していると思います、生れもった性癖や価値観は人其々ちがいますから、私もノーマルですけど男色に関してはそれなりに理解はあります。
それよりも、家光は些細な事でヒステリーを起こして、時には家臣に切腹を命じた暴君として有名ですね。
@@えむえむ-f5z 家光はオネェ特有のヒステリーは古文書なかにもかかれてましたが、家臣に切腹を申し渡しはしてもじっさいには謹慎処分として扱われたようです🍀
大河ドラマ葵徳川三代のややキレものの若殿坊ちゃんて感じの徳川家光は
1コマ^_^こんばんは
光秀と三成かな
貴方に偏りの歴史はおかしいと思いますもっと資料を…また偏りではなく両方から見方が正しいのでは…どっちが正しいとの見方は歴史からの見方は正しくとはないと思い出す
さおりちゃんちょっと肥えたね。
セクハラ発言
再評価する必要がないのは武田勝頼。勝頼が武田家最大版図を築いたとよくいうが、武田家の領土の大半は信玄が獲得したものであって勝頼はおまけ程度に少し支配領土を広げただけ。評価に値しない。信玄の圧政というが、信玄程の人物が好き好んで圧政などするはずがない。理由は信玄の領土が石高が低く貧しかったから戦国最強の武田軍を維持するための負担が領民に向かっただけ。後北条家や信長のように豊かな土地を支配していたら誰も圧政なんかしない。それに武田家の有力な資金源だった甲州金が底をついた事も圧政せざるをえなかった大きな要因。勝頼は長篠設楽原の戦いで、無理いくさを強行しての大敗北など再評価なんてできるはずがない。
武田信玄は晩年に、北条と徳川と織田を敵に回してしまったね
好き好んでようがそうでなかろうが信玄が圧政をしいたという事実は変わりないし武田家崩壊の因子は全て信玄が撒いたものという事実も全く変わらないむしろ信玄が過大評価されすぎておかしなことになっている
@@TOKUGAIEYASU いや信玄は、晩年北条氏康が亡くなって、北条氏政が後を継いだ時、北条氏政と同盟を結んでいますよ。北条を敵に回したのは、勝頼が御館の乱で氏政の弟の上杉景虎を支援するという約束を反故にしたせいですよ。
武田信玄が敵方の美貌の娘諏訪御前に手を出したのが"武田家滅亡"の"前兆"だったと私は、思います。
圧倒的1位の松永久秀が居ない件。極悪人だのなんだの裏切り者だの何だの言われていたけど、実際は将軍暗殺にも手を課しておらず、三好長慶直系の当主に対して圧倒的に忠実だったと言われている。
1980年位までは三成はヒーローだったんだよな。加藤剛主演のドラマが放映されたりもして。ところがSHOGUNがブームになった頃あたりから家康の評価が爆上りしたもんだから、一気にやられ役に落ちぶれちゃったんだよね。
その後のやられっぷりは皆様ご存知のとおり。可哀そうな三成。
まさに戦国プロレス
最上義光にはいろんなエピソードがありますよね 義光が愛用していた兜は信長から授かったもので慶長出羽合戦では直江兼続軍から鉄砲で頭を狙われましたが この兜のおかげで助かったとか 当主でありながら先陣を切って戦ってという記録もあるそうです でも義光というと どうしても駒姫の悲劇を思ってしまいます あまりに理不尽で切なくなりますね
三成は子供たちが全員命を助けてもらえたのが幸いでしたね
@yamada taro
しかもこの時代は姫でも意外と殺されがちですからね…
豊臣秀頼は三成の子供だったという説
秀吉が幾ら長寿命といえどあの年齢で子作り出来るのは不自然
現代人でも40後半になったら勃たんのに
オッサン、戦国武将全員大好き(@ ̄□ ̄@;)!!
皆全力で戦国時代を生き抜いてきた。その人生すべてが後世に生きるオッサンにとって大切な教訓。
経営者になって、つくづく思う。
石田三成は、三女が弘前藩2代藩主の津軽信枚に嫁いで(しかも関ヶ原の後)、生まれた長男がその跡を継ぎ3代藩主になった。
津軽信枚は家康の養女で実の姪(弟の子)が正室であり、二人の間には息子もいたのに、である。
また、次女の孫(三成のひ孫)は徳川家光の側室となり、長女の千代姫を産んでいる。
これを見ても、江戸時代の早い段階で徳川家からも評価されているのは間違いない。
さらに言うと、千代姫は御三家である尾張藩2代藩主の光友に嫁いだ後に3代藩主綱誠を産み、その孫が九条家に嫁ぐことにより九条家にその血が伝わり、その子孫である九条節子が大正天皇に嫁ぐことにより、現在の皇室に石田三成の血が伝わることとなった。
今川義元がいないとは
小早川秀秋。そもそも裏切ってない
武田勝頼と最上義光と石田三成は大河ドラマの主人公にしても充分な人物だと思う!
武田勝頼だとあまりにも悲劇的な最期だから、信長憎しの感情が強くなってもやもやした終わり方になりそう。
大河ドラマ 「石田三成」 第一話 決戦!関が原
長篠の戦いにおける武田勝頼が家臣の反対を押し切って鉄砲隊陣地への無謀な突撃命令も嘘だという事が分かってきましたね。
鉄砲三段撃ちが長篠の戦いが初と思われていますが、武田軍の真田鉄砲隊でも既に三段撃ちは実戦で使われていたので状況が分からず突撃して一方的に討たれる様な作戦は絶対にあり得ません。
@@akibanokitune そもそも三段撃ち自体が後世の創作であると言われています
個人的には今川義元・氏真親子も再評価されてきてるのではないでしょうか?義元は法の整備や検地をやったりと統治のお手本になってますし、松平家を守りにいったりと義にもあつかった。
義元の子である氏真は北(信玄)と西(家康)が化け物すぎただけで、君主としては花咲かなかったが、文化人として能力を伸ばした。後は家康の人物評をしっかりわかってた。
籠城戦の交渉時、「後々城をくれ」と家康と約束をとってから開城してることからも。駆け引き上手だったのではないでしょうか
武田勝頼が大好き💓♥️❤️です。
石田三成も好きです。🎵\(_ _)
@@中井幸征 同感です❗
武田勝頼…ついドラマ真田丸の勝頼役平岳大さんの顔が浮かびます。
中井貴一さん主演のドラマでは、真木蔵人さんが演じていたけど。
最上義光は戦後の地元の有力者に嫌われたからある意味仕方ない。
全部ハ○ットリのせい!!!
再評価で言えば今川義元も入ると思う
息子の氏真も入りますね。
センゴク外伝桶狭間戦記で今川義元の評価が爆上がりです
徳川と戦っただけで、石田三成を水戸光國公は「豊臣秀吉公に忠義という当たり前の事をやり尽くした」武将として、悪い評価をあんな古い時代からしていない様ですね。
秀忠はそもそも関ケ原に来いと命令されていなかったという説が最近では有力ですが
北条氏政は…武田勝頼と一緒かな?
最大版図を築いてますからね。
秀吉は天下統一してからが酷すぎる。
武田勝頼は長篠の合戦で無謀な戦略を用いたことから武田二十四将に数えられた多くの家臣を打ち死にさせたことで悪いイメージがついてしまっていますね
一方石田三成は大谷吉継との逸話に見られるような人情的な面が顧みられることがなく、ただただ反三成派を中心とした連中からの豊臣家内での鼻つまみ者の印象が強いのだと思います
今回の動画でいい勉強になりました
史料発掘が進んでなくて軍記物語が持て囃された時代があったからね…
石田三成を評価していたのは家康と聞いたことがあります。冷たいように見られがちだけど、飢饉で凶作に苦しんでいる農民の年貢を減免したり、官僚として三成みたいな人出てくれないかな?
歴史小説の大御所達にも要因があるかもしれない。彼らの小説はエンタメ作品としてすごく面白いがゆえに、その人物の描かれ方やイメージが定着してしまったのもある気がする。
漫画作品のセンゴクシリーズが一番、敗将達を人物を公正に描いているかもしれない。
豊臣を潰したのは、虎之助と市松と金吾
虎之助は死ぬまで豊臣を潰さないよう動いてたからこの面子に入れたら可愛そうな気もする
1番の原因は秀吉自身にあると思います
結局全て三成の責任。
@@小豆-t4o
いや、重ねて言いますけど全部の責任は秀吉にあると思いますよ?秀吉が秀次の一族を虐殺したり朝鮮侵略を断行したりしたせいで大名たちの心が離れ、家康に付け入る隙を与えたのですから。
@@小豆-t4o
"全て三成のせい"とはいいませんが、豊臣が滅んだのは、三成にも原因があると思います。正則や清正を東軍につかせたり。
秀忠や勝頼は人生を変えるくらいの大戦で失態を犯したからダメ武将って呼ばれてしまった感がある
秀忠は運が悪い 増水で伝令が届かなかったのが原因だし。
秀忠のどこが大失態なの?
あんなの関が原に間に合えっていう方が無理筋
家康の無茶振りでしかない
関ケ原の遅参を失態扱いする歴史家は既に皆無と言っていい
@@einsfia 秀忠は上田平定しつつ中山道で関ヶ原行く感じだったのですね…
たしかに無茶な命令だ
どっちも相手が悪すぎた
やっぱりさおりさんのナレーション、いいですね。
内容も好きで昔から拝見していますが、最近は、さおりさんのナレーションも楽しみになっています。
毛利輝元が再評価される日は来るのかな…?
再評価筆頭は武田勝頼と今川義元とかかですかね?逆に評価が下る武将は前田利家とかですかね。賤ヶ岳の戦線離脱は関ヶ原の小早川とあんまし変らないのでは?と思うようになりました。
利家の賤ヶ岳の離脱は結局のところ「与力としての義理と長年の夫婦どおしの付き合いという友情の板挟みから」という部分も大きかったわけだからねぇ…
明智光秀が大河ドラマの主人公になるなど昔は考えられませんでしたからね。
信長以外の武将に使えていたら地味な生涯で終わって、知名度もずっと低くなっていたでしょう。
信長じゃない武将に仕えた方が良かったのかもしれません。
織田信長もかつてはダメ武将だったからねぇ
伊達政宗のが余程ダーティーなのに!
治部少輔殿(三成)は昌幸殿(真田昌幸)と親交があり、くわせものと言われた昌幸殿ですら信頼しておった武人です。 ただ戦場での功績がなく専ら裏方に徹していたため
他の武将から「戦場で命のやり取りもしていないくせに生意気な」と反感をかっていたのは事実のようです。先手先手で調略を施し味方の損害を減らす努力をしていたのですが、目に見えないから評価がよくなかったのです。
織田信長は部下に裏切られ、別の部下に家を乗っ取られたという、中小企業のオーナー社長が一番嫌がる展開ですから…。
斯波「せやな」
しかし信長の場合は因果応報だよ
信長が約束を破った事で母親が処刑されたら誰でも恨むし人望がなくなるわ
あの秀吉ですらブチ切れだったし
@@akibanokitune 三秀の母親が人質に出されて反故で処刑されたのは創作
石田三成って そんなに評判悪かったでしたか? 私はむしろ子供の頃より逆の印象でしたが…
近年、評価が上がり捲りの武将と言えば明智光秀が筆頭ではないでしょうか?
気づいたら聖徳太子がおらんかったわ
里見氏はもう少し評価されてもいい気がするんだよなぁ…
信長の野望だと北条にすぐ攻められて吸収されちゃうから北条強化パッチとか言われているのは可哀そうw
最上義光公は大河ドラマにしたら面白いと思うけど。
領民想い、家臣想い、シスコ・・じゃなくて妹想い。狐どころか体育会系マッチョ思考(笑)
山形へ旅行したときに地元の人に最上義光公が好きな戦国大名だと言ったら喜んでたよ。
鮭好きも追加で!
@@アサヒスーパードライ-f7l
出羽・庄内を所領にした時に
好物の鮭が食い放題になったと喜んだ話は有名……。
さおりさん最近かなり丸くなった?
顔のお肉が
でも美人なのに変わりは無いけど
腹黒さから言ったら政宗の方が遥かに上なのになあ。
武田勝頼とか寧ろ印象だけで政治家しても優秀で知勇兼備の名将から戦以外はいまいちと言う扱いにされてる。
義光は妹同様にどうしても有能な敵役扱いだしね。まあ此れは西の宇喜多直家も同じだが。
石田三成はコーエーで主役にしたゲームがあったはず。
勝頼は長篠の戦いで信玄時代からの有能の重臣を勝頼の蛮勇で失なっているし、武田本家を滅亡の原因を作ったのもやはり勝頼が張本人だから妥当な評価ですね。
武田勝頼や石田三成の印象は、山岡荘八原作・横山光輝作「徳川家康」を読んでいたせいで、愚将、悪臣のイメージしかなかったです。前者については新田次郎原作・横山光輝作「武田勝頼」でだいぶ補正されましたが、後者については「千利休の切腹も、豊臣秀次一族の処刑も、朝鮮出兵の失敗も、関ヶ原の戦いで負けたのも、ぜーんぶ三成のせい!😤」と思っていましたね。見方が変わったのは、堺屋太一氏の「大いなる企て」を読んだのと、大河ドラマの「葵徳川三代」からかな。秀次一族の処刑は、三成はむしろ反対していたという事実を知って、逆に秀吉の見方が変わりました。豊臣家を滅ぼしたのは秀吉自身だと。
織田信忠も なかなか優秀だったと思う。甲州征伐で有能な部下がいたにせよ 信長が 信州に足を踏み入れる前に 武田家を滅亡に追いやったわけですから・・・
小早川金吾はまだか。
駒姫のエピソードは悲劇だと思うが
正直言うと最上義光は御先祖の主家を滅ぼした張本人だから個人的には好きではない。
長野業正のような実際は大したことしてないのに歴史小説の捏造で過大評価されてる戦国武将特集もやって欲しいです
@yamada taro それ創作ですよ。
1551年に北条に下って1560年に長尾景虎が関東攻めをするまでずっと北条配下です。
だから長野業正は一度も武田と戦っていません。
歴史小説で長野業正は独立した戦国大名として武田北条相手に戦ったような記述がされてますが創作です。
これ信じてる人多いんですよね。
だから過大評価と言ってるんです。
@@grapehunt 確証がないという話を創作と断定するのはおかしい。そこに言及したいなら「創作の可能性もあり、実際のところは不明」くらいでしょう。そういう決めつけによる批判は良くないですね。
ねじ曲がれた話しもあると思う。
石田三成は、確かに清廉潔白な武将かもしれないが、豊臣家の屋台骨を根底から破壊したのはやはり三成そのものだったのだから再評価は個人的には無い‼️
武田勝頼は、確かに望まぬ家督相続だっただろうが、結局は力及ばず武田家を滅ぼしてしまった。不運な武将では在るだろう。父、武田信玄が偉大過ぎた‼️
徳川秀忠については、過小評価がやっと変わったかという感じですね‼️
同意過ぎて草
インターネットが普及された今でも創作臭い悪評がいまだに信じられてる大友宗麟の再評価はまだですか?
宗教にのめり込み過ぎた宗麟は再評価できない
日本の軍人も評価してほしい。
勝頼は再評価じゃなくて、信玄の再評価からくる哀れみで本人の再評価ではない気がする
三成は難しい。忠義はともかく人の好き嫌いが強いように感じられ、人としては…やっぱり大谷刑部が言うような欠点で大事は成せなかったのでは、と…
三成に関しては、「再評価」と言うより単にメディアでの新たな取り扱いの影響で印象が変わっただけだと思う。
石田三成は「黄金の日日」で初めて「人となり」を知ったので清廉なイメージだったが、それでも「おんな太閤記」では散々な描かれ方で今の様な評価とは程遠かった。主役との関係によって人物像が変わるのはドラという性質上、やむを得ない面があるが。
戦国時代の大名、領主クラスはどうしても戦上手戦下手で評価が左右されてきたような面もあるが、これからは為政者としての面も評価するべきでしょうね
真田丸と軍師官兵衛の石田三成の描かれ方が全然違いますからね😅
出羽の狐
最上義光って再評価されすぎてて逆に過大評価になってる気がする
散々な評価が続いていた武将に今川義元公を入れないと。一部ゲームでは「バカ殿様」な扱いで不憫でなりません。
そりゃ大大名としての、今川家の滅亡原因を自ら○をもって作った張本人ですから当たり前ですよ。
@@ゴルシ-f4c 家督を継いで間が無い頃は北条との戦いや織田の侵攻など苦労が続いていますが、
今川仮名目録の改訂や、寄親・寄子制度による統制強化、商業の発展など今川家の絶頂期を
築いた人物ですから、本来は高評価を受けても良いのですが………
小学生の時に『独眼竜政宗』を見ていました。大河ドラマなのに翌月曜はクラスの話題の中心になるぐらい見られていましたが、最上義光を”カッケー”と好きになった男子も多かったですよ(非東北人)
最上義光は最近だとチョット過大評価も多いですね。山縣藩57万石が実質2代で滅びたのには義光の施策が大きく、藩内掌握に問題を残したまま死去したのはぶっちゃけ義光のせいです。まぁどこの藩も初代が気前よくばらまいた大領の功臣と2代目が藩内抗争を経験しています。ただ義光は最悪のタイミングで実質的な二代目義康を更迭(賜死)しています。義康が無能で無かったのでここは大きな分岐点でした
領内行政は文句をつけられない業績を残していたので、藩内政治に取り返しのつかない禍根を残したのは悔やんでも悔やみきれないですね
秀忠は遅参ではないしwそもそも関ケ原決戦がイレギュラー、そして、秀忠は自ら汚名をかぶりながっら徳川本隊の温存に貢献
優秀な二代目といえば、北条義時、北条氏綱、黒田長政、上杉景勝、池田輝政あたりもですね。
徳川秀忠は原哲夫先生の影武者徳川家康と島左近の両作品で小物、卑怯者扱いされてたのと石田三成も花の慶次では融通の効かない秀吉の部下みたいな感じで良い印象無かったので過小評価していますが近年はネットの普及で正当な評価をされ、いずれその評価も変わるかも知れないですよね
秀忠の扱いの酷さは原先生のせいでは無く、原作者の隆慶一郎先生が原因。この先生は他の小説でも秀忠の扱いが酷い。
@@yh6146 さんへ
「影武者徳川家康」ですね。
元々、この小説は静岡新聞夕刊版の新聞小説で連載されたものでした。
@@小野澤親 他にも「捨て童子松平忠輝」と「吉原御免状」。捨て童子松平忠輝は横山光輝先生の漫画版があります。吉原御免状は四代将軍が時代の話だけど、回想シーンの秀忠が冷酷だった。
三成の評価は昔は「20万石もないのに250万石の家康と一時期は互角に合戦したって凄いな」だったんだけど最近関ケ原がほぼ消化試合で終わってたって聞くと「忠義ある豊臣家の衰退を早めた阿保やん」になるんだが…
小学校の頃は三成は豊臣を滅ぼした張本人で家康が仇を討った正義の人扱いだったのが不思議でならない
授業はもちろん児童向けの歴史漫画でもそんな扱いだった
一条兼定も評価低すぎる
石田三成は戦においては全然駄目な奴だったことは変わらないな。
三成a型だよなo型とあう
俺と同じAB型だと思います!
今川義元は、最低の愚将なのでしょうか?一考をお願いします。織田信長の桶狭間の戦いにおいて・・・。
馬にも乗れず、輿にしか乗れず、お歯黒をした公家崩れ愚将と・・・。東海1の弓取の別の名もあるのですが・・・。太原雪斎が、有能すぎたのか・・?でも太原雪斎の有能振も語られませんが・・・。
今川義元は、信長を"バカ"だと舐めてたのでそれが"愚将"としてイメージがついたのかもしれません。
秀忠はもともと良い印象しかない。
三成と勝頼は見直し風潮があっても低評価。
最上義光は何とも言いようがない。
色々と三成を評価する声があるが、理屈抜きでどうしても好きになれません
石田三成は武将というよりも官僚みたいにも感じますからね。
支援物資だったりそろばんを弾いているイメージなんですよね。
それだから現場の武将からは余り好かれていないのでしょうね。そのおかげで仲間も少なさそうだし
忍城の戦いに関しては秀吉が水攻め強行がのおかげで三成の無能説が加速したわけで。
関ケ原の戦いはまぁ、しょうがないよ、豊臣家の一番の戦犯は淀殿じゃないかね?
徳川家光公は見事までに幕藩体制を完成させ
徳川の御威光を天下に
轟かせた、
男色の文化を定着させ
家臣との結束を揺るぎないものにし江戸文化に自由な気風が流れ、
今のジェンダーの礎ををつくったイケメン将軍❤😅
同性愛なんて子供が出来ないし、言葉はあれだが要はただの自然の摂理に反する欲望だし御家大事の時代にそんな世継ぎが出来ない欲望は邪道だし、将軍家なら尚更だねそれに現代でも同性愛は自然の摂理に反する欲望に過ぎないですね。
@@ゴルシ-f4c この時代は
同性愛の人でも沢山つくってましたよ、武家社会に限らす庶民でも
普通に男色は浸透してましたし、今でも子供が何人もいる人でも男色を好む人は多いですよ、色んな人がいるから人間社会もそれなりに成り立っているのだと思うし、日本全国男色の風俗だけでも2千近くあるみたいだし、
それによって日本社会は成り立っているのだと思います、
平安時代から公家を
中心にあるわけですからそれらをどうこうしようと思う事事態、自然の摂理に反していると思います、生れもった性癖や価値観は人其々ちがいますから、
私もノーマルですけど
男色に関してはそれなりに理解はあります。
それよりも、家光は些細な事でヒステリーを起こして、時には家臣に切腹を命じた暴君として有名ですね。
@@えむえむ-f5z 家光はオネェ特有のヒステリーは古文書なかにもかかれてましたが、
家臣に切腹を申し渡しはしてもじっさいには謹慎処分として扱われたようです🍀
大河ドラマ葵徳川三代のややキレものの若殿坊ちゃんて感じの徳川家光は
1コマ^_^こんばんは
光秀と三成かな
貴方に偏りの歴史はおかしいと思います
もっと資料を…
また偏りではなく両方から見方が正しいのでは…
どっちが正しいとの見方は歴史からの見方は正しくとはないと思い出す
さおりちゃんちょっと肥えたね。
セクハラ発言
再評価する必要がないのは武田勝頼。勝頼が武田家最大版図を築いたとよくいうが、武田家の領土の大半は信玄が獲得したものであって勝頼はおまけ程度に少し支配領土を広げただけ。評価に値しない。信玄の圧政というが、信玄程の人物が好き好んで圧政などするはずがない。理由は信玄の領土が石高が低く貧しかったから戦国最強の武田軍を維持するための負担が領民に向かっただけ。後北条家や信長のように豊かな土地を支配していたら誰も圧政なんかしない。
それに武田家の有力な資金源だった甲州金が底をついた事も圧政せざるをえなかった大きな要因。
勝頼は長篠設楽原の戦いで、無理いくさを強行しての大敗北など再評価なんてできるはずがない。
武田信玄は晩年に、北条と徳川と織田を敵に回してしまったね
好き好んでようがそうでなかろうが信玄が圧政をしいたという事実は変わりないし
武田家崩壊の因子は全て信玄が撒いたものという事実も全く変わらない
むしろ信玄が過大評価されすぎておかしなことになっている
@@TOKUGAIEYASU いや信玄は、晩年北条氏康が亡くなって、北条氏政が後を継いだ時、北条氏政と同盟を結んでいますよ。北条を敵に回したのは、勝頼が御館の乱で氏政の弟の上杉景虎を支援するという約束を反故にしたせいですよ。
武田信玄が敵方の美貌の娘諏訪御前に手を出したのが"武田家滅亡"の"前兆"だったと私は、思います。