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薩摩藩の面々の中で孤立奮闘した木戸孝允は素晴らしい。そしてほぼ長州側の主張を薩摩に飲ませた。
叔母がお盆にばあちゃん家来た時「坂本竜馬、嫌いだって何もやってないじゃん。」と言ってました。
《君子 小人は人に在り、家に在らず》中岡慎太郎の言葉です私の父親は高知県出身なので 子供の頃は毎年の様に高知に行っていました。県道?沿いに中岡慎太郎の像があり、「誰?」って言ったら叔父さんに「中岡慎太郎 知らんがか!」って怒られました😅叔父さんは 龍馬は商人で慎太郎は政治家 というカンジでした。数年前 久々に高知へ行った際、坂本龍馬記念館は人がいっぱいでしたが、北川村にある中岡慎太郎館、生家はとても静かでした。アクセスの悪さもあるのでしょうが…我が家の 鰹のたたきには 北川村の柚子酢(ゆのす)が欠かせません😋
本日も面白く拝見しただに。頑張れ武士道殿!
薩長同盟の先駆者は筑前・福岡藩の早川養敬です。彼は1864年の段階で長州に来ていた中岡慎太郎等に薩長同盟の必要を説いています。そして早川の仲介で西郷隆盛と中岡の会談を実現させている。また同じ福岡藩の月形洗蔵と早川の斡旋で、西郷と高杉晋作の会談も実現しています。つまり初期の活動は早川養敬、月形洗蔵といった人たちの努力があって、薩長同盟が実現に向けて動きだしたということです。中岡慎太郎は土方久元と一緒に薩長同盟へ向けて活動しています。そして最終段階で坂本龍馬が登場するのです。龍馬の存在は木戸にとってありがたいことだったようで、同盟の内容を文章化した手紙の裏書を求めたことでも分かります。ちなみに終生木戸は西郷を信用しきれなかったようで、亡くなるまで西郷の行動を非難しています。
有名タレントという立ち位置。
最近、「坂本龍馬は何もしてない。」って言うフレーズを発している人を見て、何で?って思っていました。謎が解けてスッキリ。
なるほどこれが今の説か。10年後また変わるかもね
坂本龍馬より中岡慎太郎が好きです笑笑
龍馬伝の 中岡役の上川隆也さんが、とにかくかっこよかった!! そりゃ功名が~の主役演じた方ですからね‥‥👍香川照之さんの弥太郎も良かったです。あれからモウ 11年(笑)
けいはんつくるひとおけいはん幕末 薩摩藩の要所を走った京阪本線は薩摩藩 五代友厚の理想の路線を渋沢栄一が受け継いで作られた路線 今年新一万円になる人物 渋沢栄一
薩長同盟会談の少し後で木戸孝允が龍馬に証人のサインを求めて龍馬が裏に朱書きで書かれた同盟の内容に間違いないと書いたと記憶してます。
なるほど…坂本龍馬はパイプラインだったんですね。幕末の人間関係が なんとなく見えてきました。
ハイハイ。私土佐は高知の人間です。何も龍馬1人が薩長同盟成立させたり、後の大政奉還を成し遂げたりしたとは最初から思っておりませんでした。龍馬が考えることくらい、沢山の人達が考えていましたよね。むしろ、龍馬はいろんな人から考えを聞いてなるほどそうじゃ!と動いておったということですよね。龍馬の凄いところは、そう言う沢山の人達の言うことを柔軟に受け止めて何より凄い行動力とコミュニケーション力で人を動かしていた(動かされていたところもあるのかな?)と言うところじゃないですかね。龍馬はどの場面でも決して主役ではなかったと思います。むしろ縁の下の力持ち的な人物ですよね。脱藩浪士の限界でしょう。高知では龍馬だけがなぜモテる!と中岡慎太郎を嘆いておりますぜよ。
でも同盟とは言え、長州が攻められても薩摩は援軍出してないんだよな。盟約でも長州が攻められても滅ぶことはないし、その場合は京都に軍を集めるとか助ける内容じゃないんだよね。まあ元々いがみあってた仲だからね。
司馬さん小説の龍馬はフィクション人物名前も竜使っている😅
なるほど~。でもコミュ力高いのは素晴らしい。絶妙な間の取り方も素晴らしい😆
大変分かりやすい解説でした。学校の先生方にもこれ程興味を持てる分かりやすい解説をしてもらいたいものです。
龍馬は薩長同盟の立役者という認識しかなかったのでとても新鮮で面白かったです
流石に無関係では同盟の裏書にサインはしないでしょうよ。どの程度の関わりかは知らんけど。桂小五郎のただの酒友達だった可能性もw
薩摩の転向→長州接触。当時の情勢から色々憶測が立つが、同盟が最終的に成立したのは「関ケ原」の敗者同士、公儀へ積年の恨みでしょう。竜馬の抱えた背景とは違うと思います。個人としては好きですけどね。
100年後の日本国のためではないでしょうか?長州も薩摩もヨーロッパに留学生を派遣して10年先20年先を見越しています。欧米列強に追い付くために(日本が植民地に成らないように)必死だったと思います。関ヶ原の小さい恨みなど維新三傑に無いのでは無いでしょうか。
確かに小説によって龍馬が偶像化された部分はありますね。暗殺の真の理由も、諸説あって難しいです。コミュ力があり人との繋がりが多かったがゆえに目立った存在だったのでしょうね。こういうタイプって、良く思わない人もいるのかも?
司馬遼太郎はともかく、龍馬伝では既に西郷を説得したのは中岡、桂小五郎と西郷を待っていたのが龍馬となっており西郷は約束を破り京都へ行っています龍馬はいっ時桂小五郎から絶縁されました三条実美経由でというのも龍馬伝ではやっています大河イコール司馬遼太郎ではないと思います司馬遼太郎がかなり盛っていることは龍馬好きな人は知っていると思いますよ
龍馬伝はうまくやってましたよね。龍馬が桂、西郷に会いに行った時はすでに2人に同盟構想があった感じ好きでした。こ◯される直近の周りから人が離れていく感じも良かったです。
坂本龍馬が過大評価されてるかどうかは置いといて、コミュニケーション能力や根回し力は十分に立派だとは思う。
👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏
大分違うな,グラバーが龍馬に、薩摩を使って武器の売却を教えて、長州との商談成立した。龍馬と桂の仲良さ、が分かっていない
義経に義経記、正成に太平記、龍馬に竜馬がゆく。小説の力ですね。
『これからピストルの時代だ』と護身していたのに、殺されてしまった事にも疑問を持っていました。実際に、人斬りが部屋に入ってきたら、ピストルが間に合わない時もあるでしょうけども
桐野利秋 VS 赤松小三郎赤松小三郎のピストルが、桐野利秋の刀に負けましたよねあれは、びっくりしました
屋外なら射程のあるピストルの方が有利でしょうけど、室内だと動作数の少ない刀の方が有利なんでしょうね。ピストルは、抜く、構える、狙いを定める、引き金を引く、と4動作いりますから…竜馬も剣術の腕はあったはずなのに、銃に魅入られたんでしょうか
坂本龍馬記念館には桂が書いた薩長同盟の覚書に龍馬が裏書きした手紙が展示されています薩長同盟にはいろいろな人が関わっっていたでしょうが龍馬も深く関わる一人だと思います
中岡の良いとこ取りした感じかな?
なるほど、だから、狸薩摩藩が、盟約の証人になった龍馬を、盟約を反故にする時の場合を想定して、殺害したという説もあるんですね
ま、人の動きを見ればそうですが、その間の両者の間での物(金、武器、食料等)の動きを見れば、バックに政商グラバー→東インド会社→討幕したい英国、がいたのは明白ですがね・・・😓
学校の授業で龍馬伝観るべき
龍馬暗殺者「中岡慎太郎許すまじ。坂本龍馬?誰?ついでに頃そう」って感じだったと思うぞ
どうやら、今回は坂本龍馬は 出番が無い様だ。
何にもしてないことにはならない、というか一番大事なところを受け持ったと言えるのでは。説得や交渉するのと実際決定するのでは天地の開きがあり、決定に関与しているというのは大変な事実だと思う。という解釈。
大河ドラマの幕末物を拝見する度に、今回の龍馬役は誰だろうと早くから騒がれる国民的スターを作ったのは、おそらく司馬遼太郎さんでしょう。それほどに『竜馬がゆく』の作中の龍馬はかっこいいのですね(笑)龍馬人気を支え続けている司馬遼太郎さんは、きっと泉下で微笑んでいるに違いありませんね。
三英傑と呼ばれるのに、西郷や大久保の薩摩勢に比べて木戸孝允の功績が過少評価されてる気がする。極端な言い方をするなら龍馬に功績を持っていかれた印象
司馬遼太郎がやたら誇張したのが原因だろうね。
坂本龍馬 何もしなかった説の動画、面白くよく分かりました。それにしても背景?凝ってますよね👏解説にタメいれる技あり😃少しズレますが「葉室 麟」さんの坂本龍馬を読みたかってです(執筆途中で亡くなり残念💧)
そうか、だから龍馬は出なかったのか。
ワシは坂本龍馬通訳説をとる。ほら薩摩大山と会津捨松の話しがあるじゃん。日本語では訛りが酷く、会話が成り立たなかった2人は英語と仏語でコミュニケーションをとったとか? という訳で通訳説です。
最近色々新しい資料出て来ると、龍馬は可也作られた英雄の部分が多く、竜馬がゆく、の影響は大きいですね。実の所は中岡慎太郎の方が色々やっていた様に感じます。最後、龍馬は略即死で中岡はあれだけ切られても、トドメは刺されず生きていたのでしょう?何か意図、中岡の口から話をさせる事の必要があった気がします。どう思われますか?
こんにちは!武士道さん『薩長同盟』の解説、有り難う御座いますえっ?『薩長同盟』の仲介は、中岡慎太郎だったのですか?今までの定説、覆りましたね中岡慎太郎と言えば、土佐勤王党に加盟していたけど、京都で尊攘運動をしていましたよね八月十八日の政変後は、長州藩に身を寄せて『禁門の変』を戦いましたが…この時に死亡しなくて良かったですね 死んでしまっては『薩長同盟』どうなっていたか???坂本龍馬は、木戸孝允の証人になったのですね 成る程~薩摩藩が複数人いるのに、長州藩が木戸孝允1人だと確かに不利ですもんね今夜は『勘定組頭 渋沢篤太夫』で、薩長同盟が描かれますね 番組前に解説して頂くと話の内容がよく解るから助かります
8:58 龍馬は慶応元年には一度も長崎に行ってません。したがって亀山社中(この名称は後世名付けられたものですが、歴史用語と考えるなら、そう呼んでいいと思います。)設立に龍馬は無関係です。亀山社中は小松帯刀のお抱え集団と見るべきです。もちろん、久光の了解を得ていたことでしょう。それと、13:26 龍馬が説得したのではないと言われるなら、「木戸覚書」はどう解釈するのでしょうか。会談が実らず、長州へ帰りかけた木戸に龍馬が伏見で追いついて京へ戻らせ、その後、薩摩側から木戸に会談再開の申し入れがあったという経緯を、龍馬抜きでどう説明できるのでしょうか。史料は残っていないけど、あの場面で会談再開へ向けて薩摩側を説得する人間は龍馬以外にないでしょう。そのことは、当時の人たちがよく分かっていました。明治42年に開催された龍馬・慎太郎の「40年祭」で代表挨拶をしたのは薩摩の大山巌です。薩長同盟時、彼は京都の薩摩藩邸にいました。寺田屋事件で負傷して同藩邸に収容された龍馬を見舞ってもいます。大山は龍馬のお陰で薩長同盟が実現したことを肌身で知っていた訳です。だからこそ、土佐関係者を押しのけて(?)挨拶したのではないでしょうか。
おはよう御座います!『薩長同盟』…確か、西郷隆盛は、勝海舟と会って、考えが変わったと記憶してますが もし違ったらすみません雄藩連合の為には、長州を潰してはいけないと…なので、勝海舟の助言も大きいと思いました
今日の 青天を衝け 龍馬完全スルーでしたね( ̄▽ ̄;)
質問があります!大河「せごどん」では薩長同盟の時、小松帯刀邸で木戸孝允の従者として伊藤博文が同席してましたが、これは創作でしょうか?長州は木戸孝允一人だけでしょうか? もう1つ。別件ですが、文部科学省の歴史教科書検定の官僚に在日の人が居て、日本🇯🇵の魂を壊す為、敢えて幕末のヒーロー「坂本龍馬」を歴史上から消したと聞きました。この官僚の人はかの国🇰🇷らしい。この話は本当でしょうか?
西郷どんに関しては創作だと思います。(ちょっとした護衛や従者くらいはいたかもしれませんが、伊藤ではないと思います。)教科書に関しては私はわからないです。
日本国籍を有しない者は、国家公務員採用試験の受験資格がありません。
最近 徳川慶喜関係の書籍買うたけど勝海舟の扱いすら相当軽い対極の敗者側の立場やからかもしれへんけど
坂本ではなく黒田清隆が木戸孝允を連れてきたんだけど、なるほど三傑の死後、薩摩閥の第一位になるわけだ。ここで長州藩にも信頼される。
なにもしてないし誰かの代役でいって桂に舐められて会合前にすでにまとまってた話が白紙になるほど存在感すら無かったのをしばさんが捏造したらしいよ
私もあと20年早く生まれてたら、司馬遼太郎先生に小説にして貰えたのに…。
お前は韓国で土下座でもしとけ
日本人はお前の奇行を絶対許さない。
相変わらずつまんねぇな
@@sugumura5926 形はどうあれ一応認知されてるということでプラスに捉えることにしときます。
薩長同盟知ってます歴史で習いました坂本龍馬さん仲立ちしたね
小河ドラマかよ
いい加減、龍馬を偉人扱いするのはやめた方がいい。ただの商人を偉人にしてしまった、これは司馬遼太郎の最大の罪。何もしてないとは思わないが、脱藩した商人に何が出来るんよ。超過大評価です
脱藩した商人が幕府のお偉方に会えてしまう所が未だに信じられない。大河ドラマに至っては土佐の殿様と普通に会話してるし。
いろは丸の話を見る限り、なかなかクソな武器商人だったみたいですね。金に汚く、屋根裏部屋に潜んでいるような人物ですが、手下も多く色んなところに伝手があったのは事実ではないでしょうか。イメージはインテリヤクザの商人です。
過大評価じゃねーよ こう言うこと言う人ほんと多くなった坂本龍馬は叩きやすいのでしょうね なんか悲しいです
中岡慎太郎、後藤象二郎のほうがもっと評価されるべき
薩摩藩の面々の中で孤立奮闘した木戸孝允は素晴らしい。そしてほぼ長州側の主張を薩摩に飲ませた。
叔母がお盆にばあちゃん家来た時
「坂本竜馬、嫌いだって何もやってないじゃん。」と言ってました。
《君子 小人は人に在り、家に在らず》
中岡慎太郎の言葉です
私の父親は高知県出身なので 子供の頃は毎年の様に高知に行っていました。県道?沿いに中岡慎太郎の像があり、「誰?」って言ったら叔父さんに
「中岡慎太郎 知らんがか!」って怒られました😅
叔父さんは 龍馬は商人で慎太郎は政治家 というカンジでした。
数年前 久々に高知へ行った際、坂本龍馬記念館は人がいっぱいでしたが、北川村にある中岡慎太郎館、生家はとても静かでした。アクセスの悪さもあるのでしょうが…
我が家の 鰹のたたきには 北川村の柚子酢(ゆのす)が欠かせません😋
本日も面白く拝見しただに。頑張れ武士道殿!
薩長同盟の先駆者は筑前・福岡藩の早川養敬です。彼は1864年の段階で長州に来ていた中岡慎太郎等に薩長同盟の必要を説いています。そして早川の仲介で西郷隆盛と中岡の会談を実現させている。また同じ福岡藩の月形洗蔵と早川の斡旋で、西郷と高杉晋作の会談も実現しています。つまり初期の活動は早川養敬、月形洗蔵といった人たちの努力があって、薩長同盟が実現に向けて動きだしたということです。中岡慎太郎は土方久元と一緒に薩長同盟へ向けて活動しています。そして最終段階で坂本龍馬が登場するのです。龍馬の存在は木戸にとってありがたいことだったようで、同盟の内容を文章化した手紙の裏書を求めたことでも分かります。ちなみに終生木戸は西郷を信用しきれなかったようで、亡くなるまで西郷の行動を非難しています。
有名タレントという立ち位置。
最近、「坂本龍馬は何もしてない。」って言うフレーズを発している人を見て、何で?って思っていました。
謎が解けてスッキリ。
なるほどこれが今の説か。10年後また変わるかもね
坂本龍馬より中岡慎太郎が好きです笑笑
龍馬伝の 中岡役の上川隆也さんが、とにかくかっこよかった!! そりゃ功名が~の主役演じた方ですからね‥‥👍
香川照之さんの弥太郎も良かったです。あれからモウ 11年(笑)
けいはんつくるひとおけいはん
幕末 薩摩藩の要所を走った京阪本線は薩摩藩 五代友厚の理想の路線を渋沢栄一が受け継いで作られた路線 今年新一万円になる人物 渋沢栄一
薩長同盟会談の少し後で木戸孝允が龍馬に証人のサインを求めて龍馬が裏に朱書きで書かれた同盟の内容に間違いないと書いたと記憶してます。
なるほど…
坂本龍馬はパイプラインだったんですね。
幕末の人間関係が なんとなく見えてきました。
ハイハイ。私土佐は高知の人間です。何も龍馬1人が薩長同盟成立させたり、後の大政奉還を成し遂げたりしたとは最初から思っておりませんでした。龍馬が考えることくらい、沢山の人達が考えていましたよね。むしろ、龍馬はいろんな人から考えを聞いてなるほどそうじゃ!と動いておったということですよね。龍馬の凄いところは、そう言う沢山の人達の言うことを柔軟に受け止めて何より凄い行動力とコミュニケーション力で人を動かしていた(動かされていたところもあるのかな?)と言うところじゃないですかね。龍馬はどの場面でも決して主役ではなかったと思います。むしろ縁の下の力持ち的な人物ですよね。脱藩浪士の限界でしょう。高知では龍馬だけがなぜモテる!と中岡慎太郎を嘆いておりますぜよ。
でも同盟とは言え、長州が攻められても薩摩は援軍出してないんだよな。
盟約でも長州が攻められても滅ぶことはないし、その場合は京都に軍を集めるとか助ける内容じゃないんだよね。
まあ元々いがみあってた仲だからね。
司馬さん小説の龍馬はフィクション人物名前も竜使っている😅
なるほど~。でもコミュ力高いのは素晴らしい。
絶妙な間の取り方も素晴らしい😆
大変分かりやすい解説でした。
学校の先生方にもこれ程興味を持てる分かりやすい解説をしてもらいたいものです。
龍馬は薩長同盟の立役者
という認識しかなかったのでとても新鮮で面白かったです
流石に無関係では同盟の裏書にサインはしないでしょうよ。どの程度の関わりかは知らんけど。桂小五郎のただの酒友達だった可能性もw
薩摩の転向→長州接触。当時の情勢から色々憶測が立つが、同盟が最終的に成立したのは「関ケ原」の敗者同士、公儀へ積年の恨みでしょう。竜馬の抱えた背景とは違うと思います。個人としては好きですけどね。
100年後の日本国のためではないでしょうか?長州も薩摩もヨーロッパに留学生を派遣して10年先20年先を見越しています。欧米列強に追い付くために(日本が植民地に成らないように)必死だったと思います。関ヶ原の小さい恨みなど維新三傑に無いのでは無いでしょうか。
確かに小説によって龍馬が偶像化された部分はありますね。
暗殺の真の理由も、諸説あって難しいです。コミュ力があり人との繋がりが多かったがゆえに目立った存在だったのでしょうね。こういうタイプって、良く思わない人もいるのかも?
司馬遼太郎はともかく、龍馬伝では既に西郷を説得したのは中岡、桂小五郎と
西郷を待っていたのが龍馬となっており
西郷は約束を破り京都へ行っています
龍馬はいっ時桂小五郎から絶縁されました
三条実美経由でというのも龍馬伝では
やっています
大河イコール司馬遼太郎ではないと思います
司馬遼太郎がかなり盛っていることは
龍馬好きな人は知っていると思いますよ
龍馬伝はうまくやってましたよね。龍馬が桂、西郷に会いに行った時はすでに2人に同盟構想があった感じ好きでした。
こ◯される直近の周りから人が離れていく感じも良かったです。
坂本龍馬が過大評価されてるかどうかは置いといて、コミュニケーション能力や根回し力は十分に立派だとは思う。
👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏
大分違うな,グラバーが龍馬に、薩摩を使って武器の売却を教えて、長州との商談成立した。龍馬と桂の仲良さ、が分かっていない
義経に義経記、正成に太平記、龍馬に竜馬がゆく。小説の力ですね。
『これからピストルの時代だ』と護身していたのに、殺されてしまった事にも疑問を持っていました。実際に、人斬りが部屋に入ってきたら、ピストルが間に合わない時もあるでしょうけども
桐野利秋 VS 赤松小三郎
赤松小三郎のピストルが、桐野利秋の刀に負けましたよね
あれは、びっくりしました
屋外なら射程のあるピストルの方が有利でしょうけど、室内だと動作数の少ない刀の方が有利なんでしょうね。ピストルは、抜く、構える、狙いを定める、引き金を引く、と4動作いりますから…
竜馬も剣術の腕はあったはずなのに、銃に魅入られたんでしょうか
坂本龍馬記念館には
桂が書いた薩長同盟の覚書に
龍馬が裏書きした手紙が展示されています
薩長同盟にはいろいろな人が関わっっていたでしょうが
龍馬も深く関わる一人だと思います
中岡の良いとこ取りした感じかな?
なるほど、だから、
狸薩摩藩が、盟約の証人になった龍馬を、盟約を反故にする時の場合を想定して、殺害したという説もあるんですね
ま、人の動きを見ればそうですが、その間の両者の間での物(金、武器、食料等)の動きを見れば、
バックに政商グラバー→東インド会社→討幕したい英国、がいたのは明白ですがね・・・😓
学校の授業で龍馬伝観るべき
龍馬暗殺者「中岡慎太郎許すまじ。坂本龍馬?誰?ついでに頃そう」
って感じだったと思うぞ
どうやら、今回は坂本龍馬は
出番が無い様だ。
何にもしてないことにはならない、というか一番大事なところを受け持ったと言えるのでは。説得や交渉するのと実際決定するのでは天地の開きがあり、決定に関与しているというのは大変な事実だと思う。という解釈。
大河ドラマの幕末物を拝見する度に、今回の龍馬役は誰だろうと早くから騒がれる国民的スターを作ったのは、おそらく司馬遼太郎さんでしょう。
それほどに『竜馬がゆく』の作中の龍馬はかっこいいのですね(笑)
龍馬人気を支え続けている司馬遼太郎さんは、きっと泉下で微笑んでいるに違いありませんね。
三英傑と呼ばれるのに、西郷や大久保の薩摩勢に比べて木戸孝允の功績が過少評価されてる気がする。
極端な言い方をするなら龍馬に功績を持っていかれた印象
司馬遼太郎がやたら誇張したのが原因だろうね。
坂本龍馬 何もしなかった説の動画、面白くよく分かりました。それにしても背景?凝ってますよね👏解説にタメいれる技あり😃少しズレますが「葉室 麟」さんの坂本龍馬を読みたかってです(執筆途中で亡くなり残念💧)
そうか、だから龍馬は出なかったのか。
ワシは坂本龍馬通訳説をとる。
ほら薩摩大山と会津捨松の話しがあるじゃん。日本語では訛りが酷く、会話が成り立たなかった2人は英語と仏語でコミュニケーションをとったとか? という訳で通訳説です。
最近色々新しい資料出て来ると、龍馬は可也作られた英雄の部分が多く、竜馬がゆく、の影響は大きいですね。実の所は中岡慎太郎の方が色々やっていた様に感じます。最後、龍馬は略即死で中岡はあれだけ切られても、トドメは刺されず生きていたのでしょう?何か意図、中岡の口から話をさせる事の必要があった気がします。どう思われますか?
こんにちは!武士道さん
『薩長同盟』の解説、有り難う御座います
えっ?『薩長同盟』の仲介は、中岡慎太郎だったのですか?今までの定説、覆りましたね
中岡慎太郎と言えば、土佐勤王党に加盟していたけど、京都で尊攘運動をしていましたよね
八月十八日の政変後は、長州藩に身を寄せて『禁門の変』を戦いましたが…この時に死亡しなくて良かったですね 死んでしまっては『薩長同盟』どうなっていたか???
坂本龍馬は、木戸孝允の証人になったのですね 成る程~
薩摩藩が複数人いるのに、長州藩が木戸孝允1人だと確かに不利ですもんね
今夜は『勘定組頭 渋沢篤太夫』で、薩長同盟が描かれますね 番組前に解説して頂くと話の内容がよく解るから助かります
8:58 龍馬は慶応元年には一度も長崎に行ってません。したがって亀山社中(この名称は後世名付けられたものですが、歴史用語と考えるなら、そう呼んでいいと思います。)設立に龍馬は無関係です。亀山社中は小松帯刀のお抱え集団と見るべきです。もちろん、久光の了解を得ていたことでしょう。
それと、13:26 龍馬が説得したのではないと言われるなら、「木戸覚書」はどう解釈するのでしょうか。会談が実らず、長州へ帰りかけた木戸に龍馬が伏見で追いついて京へ戻らせ、その後、薩摩側から木戸に会談再開の申し入れがあったという経緯を、龍馬抜きでどう説明できるのでしょうか。史料は残っていないけど、あの場面で会談再開へ向けて薩摩側を説得する人間は龍馬以外にないでしょう。
そのことは、当時の人たちがよく分かっていました。明治42年に開催された龍馬・慎太郎の「40年祭」で代表挨拶をしたのは薩摩の大山巌です。薩長同盟時、彼は京都の薩摩藩邸にいました。寺田屋事件で負傷して同藩邸に収容された龍馬を見舞ってもいます。大山は龍馬のお陰で薩長同盟が実現したことを肌身で知っていた訳です。だからこそ、土佐関係者を押しのけて(?)挨拶したのではないでしょうか。
おはよう御座います!
『薩長同盟』…確か、西郷隆盛は、勝海舟と会って、考えが変わったと記憶してますが もし違ったらすみません
雄藩連合の為には、長州を潰してはいけないと…
なので、勝海舟の助言も大きいと思いました
今日の 青天を衝け 龍馬完全スルーでしたね( ̄▽ ̄;)
質問があります!大河「せごどん」では薩長同盟の時、小松帯刀邸で木戸孝允の従者として伊藤博文が同席してましたが、これは創作でしょうか?長州は木戸孝允一人だけでしょうか?
もう1つ。別件ですが、文部科学省の歴史教科書検定の官僚に在日の人が居て、日本🇯🇵の魂を壊す為、敢えて幕末のヒーロー「坂本龍馬」を歴史上から消したと聞きました。この官僚の人はかの国🇰🇷らしい。この話は本当でしょうか?
西郷どんに関しては創作だと思います。(ちょっとした護衛や従者くらいはいたかもしれませんが、伊藤ではないと思います。)
教科書に関しては私はわからないです。
日本国籍を有しない者は、国家公務員採用試験の受験資格がありません。
最近 徳川慶喜関係の書籍買うたけど
勝海舟の扱いすら相当軽い
対極の敗者側の立場やからかもしれへんけど
坂本ではなく黒田清隆が木戸孝允を連れてきたんだけど、なるほど三傑の死後、薩摩閥の
第一位になるわけだ。ここで長州藩にも信頼される。
なにもしてないし誰かの代役でいって桂に舐められて会合前にすでにまとまってた話が白紙になるほど存在感すら無かったのをしばさんが捏造したらしいよ
私もあと20年早く生まれてたら、司馬遼太郎先生に小説にして貰えたのに…。
お前は韓国で土下座でもしとけ
日本人はお前の奇行を絶対許さない。
相変わらずつまんねぇな
@@sugumura5926
形はどうあれ一応認知されてるということでプラスに捉えることにしときます。
薩長同盟知ってます歴史で習いました坂本龍馬さん仲立ちしたね
小河ドラマかよ
いい加減、龍馬を偉人扱いするのはやめた方がいい。
ただの商人を偉人にしてしまった、これは司馬遼太郎の最大の罪。
何もしてないとは思わないが、脱藩した商人に何が出来るんよ。
超過大評価です
脱藩した商人が幕府のお偉方に会えてしまう所が未だに信じられない。
大河ドラマに至っては土佐の殿様と普通に会話してるし。
いろは丸の話を見る限り、なかなかクソな武器商人だったみたいですね。
金に汚く、屋根裏部屋に潜んでいるような人物ですが、手下も多く色んなところに伝手があったのは事実ではないでしょうか。
イメージはインテリヤクザの商人です。
過大評価じゃねーよ こう言うこと言う人ほんと多くなった
坂本龍馬は叩きやすいのでしょうね なんか悲しいです
中岡慎太郎、後藤象二郎のほうがもっと評価されるべき