悲報!日本軍戦闘機用プロペラ事情:外国技術に依存し独自技術は育たなかった?!
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- Опубликовано: 23 янв 2024
- #太平洋戦争 #戦闘機 #零戦 #海軍 #陸軍 #プロペラ
*このチャンネルで紹介する内容は全て正しいわけではなく、間違いや思い違いなどがあるかもしれませんので、予めご了承ください。 *映像の中で使用している素材は引用の範囲内で使用しています。著作権を侵害する目的で制作したものではありません。 *このチャンネル保持者は右でも左でもありません。あくまでも中立的立場ですので政治的背景はありません。戦争を美化する意図もありません。 *コメントいただいた方有難うございます。コメントは全て拝見しておりますが、デリケートな発言が多くなってしまった場合、やむを得ずコメントを停止することがあります。 以上温かく見守っていただければ幸いです。
引用参考
*徹底図解 零戦のしくみ(日本航空史に燦然と輝く名機の栄光と悲しき末期) (新星出版社)
*軍用機メカ開発物語 (潮書房光人新社)
*知られざる日本軍戦闘機秘話(彩図社)
*ウィキペディアほか
*画像:ウィキペディア、いらすとや
*ナレーション:冥鳴ひまりVOICEVOX
*音楽:Artlist
こんな状態でよくアメリカと戦争しようと思ったよなあ
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。
鬼畜英米とか言いながら敵国の材料に技術まで依存していたとは
そりゃ負けるわw
仰る通りです。
日本は金属不足でも戦闘機には金属製プロペラにするしかなかった。イギリスのスピットファイアやドイツの機体は、木製プロペラを採用していました。木に樹脂を含浸させて圧縮させ高強度のプロペラを作る技術が日本では不足していました。日本でも練習機には木製プロペラがありました。
ヤマハが初期の木製プロペラを製造してましたね、楽器の加工技術を流用したとのこと
ピッチ角を変えられる事が、高性能の証。
ご視聴&コメント有難うございました。参考になります。
英空軍のハリケーンが当初固定ピッチプロペラだったけど、恒速プロペラにするだけで戦力が大幅に壮大するという研究結果を受け急遽恒速プロペラに改装した。
改修作業は急ピッチで行われBoBが始まる前に全機の改修を終えている。
驚くべきことに、メーカーはこの改修作業に1ポンドの報酬さえも受け取らなかった。
本田宗一郎が木製プロペラ加工機を作っていたはず
扇風機の羽根もねじり付いてますね
ご視聴&コメント有難うございました。そうですね、扇風機にもねじり付いてますね。
ベアリングすらまともに作れなかった中、良くアメリカと戦おうと思ったよ。
ご視聴&コメント有難うございました。
確か浜松でくすぶっていた本田宗一郎氏が、プロペラ生産工程の自動化で表彰されてませんでしたっけ。
ご視聴&コメント有難うございました。
ヤマハがプロペラのライセンスを取得してたんだね。
ご視聴&コメント有難うございました。楽器も木材で作っていたので、プロペラも同じ木工品なので請け負っていたみたいです。
雷電の振動問題はエンジンに起因するものでVDM式の問題ではない
ラチェ式はM.S.406やD.520でも問題を起こしておりフランスの敗戦により未完成のままだった
ご視聴&コメント有難うございました。
日本の戦闘機の開発は欧米に遅れてスタートしたのだから独自の航空機技術を築くのはとても困難であり全てを国産にできるわけがない。
ご視聴&コメント有難うございました。物資も環境も整っていない状況で仰る通りだと思います。
しっかりとライセンスとってあるから問題はない
ご視聴&コメント有難うございました。
ライセンス料はほとんど払ってなかったけどね
技術が育ってないので問題あり
問題ないけど、ライセンスの元が敵国なんだよね。
ついでに材料も
山本五十六がこれらの国と敵対関係となり輸入が途絶えた状態で勝算があるのか?と疑問を呈した通りになった。
プロペラの回転数は1000rpm前後が理想と言うけど、実際は良くて1200rpm、ひどいのは1800rpmを超えていました。だから高空を最大速度で飛ぶとプロペラ先端が音速を超える機体も珍しくありません。
これは米軍機も同様で、エンジンは日本機に比べて高ギヤ比かつ低回転でも、大直径プロペラのせいでF6Fでさえプロペラ先端は音速に達します。
ご視聴&コメント有難うございました。なるほど参考になります。
戦後、住友金属工業が戦中に支払えなかったライセンス料の支払いをハミルトン・スタンダードに申し出たエピソードが好きです❤
ご視聴&コメント有難うございました。そのようなエピソードがあったのですね。
十年オチの旧式技術を最後まで使い続けた日本軍に呆れて、ライセンス料は1ドルに負けてくれたとか。これホントの話? 可変ピッチプロペラ、とても勉強になりました。
@@user-xn1sl6kv7c 多用したハミルトン式のじゃなくて無断コピーしようとして失敗したフルフェザリングプロペラのライセンス料の話だったって説もあるね
いずれにせよこの件で米国人は日本人の律儀さに驚いた、という逸話でしたねー😃😃😃😢
このお話が出来すぎていると長年賛否両論あったようですが、数年前に現住友軽金属工業から当時の資料が発掘されて話が真実だった事が証明されたようです♪
推進式は胴体と翼の境界層の影響で効率が落ちる上に機体姿勢の変化でも影響を受ける
ご視聴&コメント有難うございました。
日本のプロペラ界では故 佐貫亦男氏が有名でしたね。
ご視聴&コメント有難うございました。佐貫亦男氏興味深いです。
プロペラ後流についてデメリットしか言わず推進式の震電最高って言いたいの?
プロペラ後流を受けられないから舵の効きが悪く震電は水平に保つことすら困難だったし、後部に尾翼がないので回転するプロペラのカウンターで機体が傾きこれも水平に保つことを困難にしていた。
実際推進式で実用化されたのは主翼から細い胴体を左右に伸ばし後部は水平尾翼でつなぐみたいな形式の機体だけです。
また、後部に尾翼があることで大出力エンジンのプロペラでのカウンタートルクを垂直尾翼の左右で断面を変えるとか取り付け角を若干斜めにするとか多くの実用戦闘機で使われていますが、この方法は震電では使えないでしょう。
推進式、特に震電のようなエンテ型の場合実用化するには二重反転プロペラ以外の選択肢がないし、先端の尾翼とかもっと大きな舵面を持たせるか現在の航空機で見られるような全可動式にするしか無いんじゃないの?
水平尾翼や舵面の大型化はもちろん空気抵抗増加に働きますので現実的にエンテ型のメリットって無いんじゃないのかな?
ご視聴&コメント有難うございました。私の勉強不足でした。ご指摘ありがとうございます。
>プロペラ後流を受けられないから舵の効きが悪く震電は水平に保つことすら困難だった
いや、それは水平尾翼の面積不足が原因でプロペラ後流とは無関係ですよ
>推進式、特に震電のようなエンテ型の場合実用化するには二重反転プロペラ以外の選択肢がない
揚げ足取りのようで申し訳ないですけど、ダクテッドファンという解決策もありますよ
@@nuruosan4398 大戦末期の大出力機で垂直尾翼の断面を左右で変えたり基軸に対して斜めにつけたりした例を知らないのかな?水平に保つことができないのは水平尾翼だけの問題ではなくカウンタートルクを打ち消すためにはプロペラ後流を垂直尾翼に当てる必要があった
水平尾翼の面積不足じ問題なく動翼の問題で現在の航空域のような全可動式にするくらいしか手はないでしょうけどそういう発想は当時にはないし人力で全可動式の水平尾翼とか無理もある。
ダクテッドファン?ドリフのコントですか?ダクテッドファンだろうとカウンタートルクの影響から逃れることが出来ないし、境界層剥離の概念すら無い状況でダクトを設けても無意味、それにラジコン飛行機じゃあるまいしダクテッドファンとかマジで知性違うわ。
He162のような形状でエンジンポッド独立しているような感じならまだダクテッドファンはできるだろうけど、当時の日本はプロペラの可変ピッチ機構以上にブレード形状研究が遅れている状況でダクテッドファンとかw
@@TheGyspsw24 日本のプロペラ技術についてっ可変ピッチの仕組みやその動力(電動は無理だから油圧に)ばかり取りざされていますが、根本的に駄目だったのはプロペラブレードの研究だったんです。
この分野での欧米の研究は大戦中も止むことが無くプロペラブレードの形状変更だけでP-47とか上昇性能が段違いに上がっていたりします。
日本で単一機でのプロペラブレード変更とかは雷電で試みられた暗いと記憶していますがこれは振動解決のためでブレード効率とか考えて行われたわけではありません。
同じくらいのエンジン出力を持つ日米の機体でもプロペラでの推進力まで含めてみればそこでお大きな差がでていたってことになります。
日本の軍用機がエンジン出力や重量が圧倒的に軽くても性能がパットしない理由はプロペラの形状にあったんじゃないかな?
@@user-ru9sj7vu5u >大戦末期の大出力機で垂直尾翼の断面を左右で変えたり基軸に対して斜めにつけたりした例を知らないのかな?
むしろその疑問が浮かんでくる理由の方が分からん。
>水平尾翼の面積不足じ問題なく動翼の問題で
タイプミスで意味が分からなくなってるから、ここんとこチョット修正してくれ。
>ダクテッドファンだろうとカウンタートルクの影響から逃れることが出来ないし、境界層剥離の概念すら無い状況でダクトを設けても無意味、それにラジコン飛行機じゃあるまいしダクテッドファンとかマジで知性違うわ。
いきなり1レスでそこまで全否定するお前の知性の方こそ呆気にとられるよ
尾翼形状で対処できる問題がダクテッドファンで対処できないとどうすればそこまで断言できるのか意味が分からん。
当時の空力学的知見が未熟だからうまくは行かないのはそうだけど、ダクテッドファンという発想自体は既に戦前にあるから不可能とまで断言するのはどうかしている。
零戦の驚異の航続距離って日本独自で開発した可変ピッチだと思っていたから、ビックリ😢
ご視聴&コメント有難うございました。残念ながらそうなんです。
リバースエンジニアリングする工業力はなかったのでしょうか?
当時の航空機・自動車製造業は親方・弟子の徒弟制度でしたので、技術が進歩する余地はなかったようです。
(ゼロではない。)
堀越氏が著書で嘆いてましたね。機体設計に比べ、発動機その他が師弟制度の為に遅れて居ると…。
ご視聴&コメント有難うございました。残念ながらそこまでの工業力はなかったようですね。
エンジン技術で10年、材料技術で20年、プロペラ技術で30年遅れている・・・というのが後世の当時の日本技術に対する評価です
リバースエンジニアリングが出来るならB-17やF6F、P-51をコピーできていたでしょう。
日本の技術はB-29をコピーしたソ連よりも確実に劣っていたのです。
固定ピッチプロペラのピッチ角は最高速度に合わせて決められるから、機体の進行速度が遅い
離着陸時にエンジンは最大出力(回転数)で回れない、この状況で空気はものすごく硬い。
5速ギヤ固定のクルマみたいなもので、飛行機の高速化に合わせて可変ピッチに向かうのだけど
数10tといわれる遠心力と強烈な曲げモーメントに耐えながらピッチ角を変える機構自体が
ただ事ではなく 当時の工業力、工作技術ではきつかったのかな
ご視聴&コメント有難うございました。なるほど参考になります。
NACA16シリーズとか、NACA65シリーズとかの、高揚力プロペラを思い出す。 理論も、1,Rankine-froude 後流運動量理論。2,一般回転運動も考慮した、一般運動量理論。3,フルード・シェベッキーなどの翼系理論 4,プランドル ベーツ Bety などによって発展された 渦理論が有るみたい。
辞書からです。
ご視聴&コメント有難うございました。申し訳ありません、私のレベルは低すぎて初めて聞く単語ばかりです(汗)・・・
欧米には技術的に敵いません、と言ったら軍人達は、貴様それでも日本人か?と恫喝して黙らせたんだろうな。😢
工作機械も外国製でしたからね。
ご視聴&コメント有難うございました。
技術差は精神力と訓練で乗り越えるのが日本流。
@@hiroyukiohishi8524
で、それで敗戦。
陰謀説やと軍部も政府や日銀の言いなりで、フリー◯ーソンの犬の日本政府がわざと負ける為に戦争起こしたってのも有るけどね。
世界中でこの時代飛行機を生産出来た国を知っています?
ご視聴&コメント有難うございました。飛行機を生産できた国は米英独ソ日くらいかと思います。
@@TheGyspsw24 他にもイタリア、フランス、ポーランド、スエーデン
などもありましたね。
未だ日本工業規格も無い時代によく世界を相手にして戦いましたよね
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。
全く愚かな事をしてくれました。
そのせいで戦後の航空機の研究すら出来なくなって今に至ってMRJの型式証明すら取れない事態になってしまった。
YS11も肝心な部分は輸入で名ばかりの国産機だったし
普通に完敗して多くの人間の人生が損なわれましたね。
プロペラ制御の技術が一世代以上古かったので、エンジンの馬力差以上に性能差は大きかったことでしょう。
ドイツの技術はやっぱりすごかった。フォッケウルフ190はプロペラピッチの操作を自動化し、パイロットはスロットル操作だけすればよかったらしい。
日本は、プロペラ制御に関して戦時中どころか戦後も国産化できず、YS−11のプロペラ制御も米国製
だけど、戦闘機用エンジンを国産で作れただけでも実はすごいこと。現代までを考えても戦闘機用エンジンを国産開発した国は5、6カ国ほどしかない。
ご視聴&コメント有難うございました。参考になります。
イタリアとかフランスもプロペラ制御技術が一世代以上古そうかな。
戦後、三菱MU-2の試験飛行だったか、ギアが降りなくなり、やむなく胴着する羽目になった。
その際、プロペラがフランス製なので壊さないように降りてくれと無茶な要求をされたが、パイロットは戦時中胴着の経験があり、見事にプロペラを壊さず降ろしたらしいな。
辣腕パイロットにも驚嘆したが、プロペラ自前じゃないのと言う驚きの方が大きかった。
ご視聴&コメント有難うございました。ペラを壊さずに胴着出来るんですね。スゴイ。
確か、海軍の本田少尉だったと思います。
ラバウルや343空にいた、エースパイロットと記憶しています。
プロペラの可変ピッチ機構に注目したのはよいですけど、それよりも実は翼素やピッチ分布といったプロペラの形状自体の見直しが大切、実は、隼の設計者、のちのペンシルロケットの開発者である糸川英夫先生が、プロペラの空力改善を行って、性能がおおいによくなった実績があるようです。そのプロペラは、同じエンジンを搭載しているゼロ戦に技術がわたっています。なお、海軍と陸軍は仲が悪かったので、陸軍の隼のプロペラを、なんで三菱なんかに渡したんだ、と問題になったそうで(笑)
ちなみに、その後の隼の後継機の疾風では、糸川先生が中島飛行機をやめて、東大に戻っています。
今でいう「パトリオット」の研究開発を開始したそうです。
結論から言うと、きちんと技術を評価できる体制がかなったことが、戦闘機の発展を阻害していた、というのも意図つの要因と私は考えています。歴史は今でも繰り返してるように見えますね。
頑張れ!!日本の技術者
ご視聴&コメント有難うございました。プロペラ自体の形状の話は面白そうですね。
本当に歴史は繰り返されていると私も感じます。
短期間で進歩したから、外国製よりも確実に良いものを作るのが難しかっただけ。
零式艦上戦闘機だって、防御力がゼロとバレていなかったから活躍できた。
アメリカは合理的だから、新型機を徹底的に調査してから戦法を考えた。アメリカはパイロットの養成時間もあり、さらにヨーロッパを先に片付けないとイギリスがドイツに占領される、艦船の完成を待つなど反転攻勢は計画的に行われている。大日本帝国海軍はうまくいきすぎて、西も東を戦線を予定より拡大しすぎたせいで、東南アジアからの物資の輸送が手薄になった。
ご視聴&コメント有難うございました。様々なご意見いただきありがとうございます。
戦闘機動力の要であるエンジンとプロペラが、零戦で完成し完結してしまってる所が面白いよね。零戦に出力向上した燃費の悪い金星エンジンを搭載した54型は性能上がらず、栄エンジンで正解だったことが判明してるし、ハミルトンスタンダードも結局は変えれなかった点。当時の日本の技術力の限界点が栄・ハミルトンで、最初の搭載機が零戦だった所は日本にとっては幸運だっただろうね。零戦は開戦から終戦まで主力機だったしタイミング的にすごい。ちなフリー◯ーソンは戦前からアメリカソ連の冷戦の準備をしていた。日本政府が協力してたと考えたら辻褄が合う。国民なんて洗脳でなんとでもなるし。怖いね。
ご視聴&コメント有難うございました。
零戦って栄エンジンに定速可変ピッチプロペラに、ギリギリ間に合った最初の戦闘機だったんだね。だから進撃出来たんだね。まあ私はフリー◯ーソンとか陰謀説側の人間なんで、なぜ日本政府は勝ち目の無い戦争したんだ〜とか不思議に思わない人間なんですよね。笑。どうせ国民な知らないですからね。事実なんて
まずあの戦争の真実なんて世間に出てくるわけがない。それにメディアやネットに出てくる全てが正しいわけでもないし。
歴史的事実は後々に発掘されるかもしれないが
@@FTAP46 フルベッキ写真なんかが後に出てきたその真実な気もしますがね。関係者が死んでから出てるし。あと、それは矛盾説だ話しと同時に出されてるのも彼らのやり方っぽいですね。私は昔どっかのRUclipsコメで山本五十六も不自然だアイツはフリー◯ーソンだと書いてる人が居て、当時私もすでに不審に思っていて、気付かされました。まあ本当の真実なんて公には公開されないでしょうね。😓ただ欧米の彼ら側の人間達は日本は運がいいと言ってましたね。