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※石川セリが歌った同名の主題歌の方が映画よりも知られていると思いますが、映画の中でどのように使われているかというのは意外と知られていないのではという気がします。元に入っていた左右の黒帯をCutしたので、w:722となっています。※この作品は、日活が斜陽の映画界にあってロマンポルノ路線に転向する直前に製作され、日活最後の一般映画として封切られた作品です。石原裕次郎主演の諸作品を代表とする日活青春映画の歴史が、この作品で終止符が打たれた訳です。
封切りの時見た映画。メロディーと歌声がせつない。今見ると流されゆくヨットは自分達の国のように思える。どこまでも流され沈んでゆく!
@@金子貞夫-j9v 返信が遅れまして大変申し訳ありません。時代の雰囲気というのは確実にありますから、封切りの時に見たというのは、羨ましいですね。私がこの作品を見たのは封切りから10年以上が過ぎた1980s前半で、作品としての評価は決して高くないんですが、エンドロールにこの曲が出てきた時は感動ものでした。名曲です。
@金子貞夫 さんとんでもない!その頃(80年代前半)はまだ「ナウ」な「ヤング」の雑誌では「永遠の青春映画」として紹介されていましたよ!(自分の記憶が正しければ。^^;)キネ旬の『日本映画ベスト100』にも載っていました。( ただし当時も若い映画評論家は昔のプログラム・ピクチャーを見ていないので順位は高くなかったと記憶しています)
藤田敏八監督は非行少年日の出の叫びが始めて見た作品。何か反抗する若者の透明感ある生態と挫折が彼の永遠のテーマだったんだとしみじみ思う映画。今でも何回も見直したい。
八月の濡れた砂、帰らざる日々、十八歳海へ、藤田敏八青春三部作最高でしたね😢😀🎶
Comment有難うございます。「帰らざる日々」はすごく良かったですね。翌'79年の公開だったら、文句なしにこれがベストワンでした(⇒「旅の重さ オープニング」のページにCommentで"●1970s公開日本映画各年度ベスト2●"として採り上げた中に記してあるので、そちらを読んで頂けるとこの言葉の具体的な意味がお解り頂けるかと思います)。 ruclips.net/video/moVlOej3Gwk/видео.html ;旅の重さ オープニング(w:722版) ※リンクをクリックしないで、リンクをコピーして貼り付けてENTERキーを押すと、動画は自動再生されません。「十八歳、海へ」は、同じ森下愛子主演の「もっとしなやかに もっとしたたかに」と共に見るリストに入れてありますが、どちらも未だに見れていません。私の記憶ではどちらも'79年公開作品で、「もっとしなやかに もっとしたたかに」の方も藤田敏八監督だったと思いますが、こちらは青春三部作とはちょっと毛色が異なりますね。
横からの書き込み、すみません。「旅の重さ」…懐かしいですね。ちなみに自分の藤田敏八青春三部作は「八月の濡れた砂」「帰らざる日々」(「八月の濡れた砂」を思い出させるストップモーションが良かった)、そしてお二人はご覧になっていないかも知れませんがロマンポルノの「横須賀男狩り 少女・悦楽」。これを書くにあたり「横須賀男狩り」をWikiで調べたら矢崎滋も重要な役で出ていたんですね。知らなかった。^^;
@@gorouyamada1636 エロス色が強いロマンポルノ系だと、私の場合女優さんで観る観ないを決めるので、「横須賀男狩り 少女・悦楽」の方は見たいリストには入っていません(ごめんなさい)。藤田敏八監督だと1983年公開の「ダブルベッド」の印象が鮮烈で、これは3,4回見ています。
永遠の青春映画です。高田馬場パール座で見ました。
高田馬場パール座には、東京にいた頃よく行きました。今も健在でしたら、嬉しいです。
残念ながらかなり前に閉館してしまいました。(T_T)
@@gorouyamada1636 ご返信下さり、有難うございます。そうですか、残念です。他によく行っていたのは、早稲田松竹,池袋文芸坐,大塚名画座,飯田橋佳作座で、それに時々八重洲スター座と三軒茶屋の2館といったところですが、東京に映画観に行っていた時期に大塚名画座と飯田橋佳作座の閉館は知る機会がありました。ぴあも2011年に休刊(実質廃刊)になって、移動時間と上映時間を計算して映画をはしごするのもやりにくくなったと思います。
@@moonlitdesertroad さんおお、懐かしい。上記の名画座は全て行っています。特に文芸坐には「通う」と言っていいほど行きました。
@@gorouyamada1636 ご返信、有難うございます。私も文芸坐にはよく行っていて、「通う」とまではいきませんが、それに近かったと思います。で、ひょっとして現在(いま)も健在な名画座って早稲田松竹と文芸坐ぐらいなんですかね?あと忘れていましたが、確か大井町にも名画座があって、時々行っていました。
まだまだ 純真無垢な 自分でした 子供心に 映画の内容は ショッキングでした。この ラストシーン…が 大好き💕で 石川セリの 歌声と 共に 頭に焼きついて 離れません😂 この先に 青春時代が 待っていた 頃の 穏やかな時代でした。
今でもこの映画を思い出すと切ない感じがする。どうしょうもないやりきれなさとか、無力感、諦めなど69年から70年代への時代の倦怠感を思い出す。対照的にユーミンが出て来たが、金持ち娘の能天気さに呆れたものだ。
この事を言う人は意外と少ないので、この際言っておいた方が良いかも知れません。東大の安田講堂の攻防があった頃、私はまだ高校生にもなっておらず、地方の町に住んでいました。70年代に入ると日本の学生運動は極端なセクト(党派)主義に走る様になり、特に中核派(&革労協)と革マル派はお互いの構成員を殺害しあうほどの異常な党派闘争を繰り広げます。いわゆる内ゲバですが、これが70年代には殺し合いの状態になり、革マル派が中核派と革労協の最高指導者を暗殺したことで、「戦争」状態に突入しました。こうした内ゲバや、赤軍派に代表される爆弾や銃による武装がエスカレートし、そして1972年には連合赤軍による12名の同志に対するリンチ殺人事件(山岳ベース事件)が発覚して、この事件による犠牲者の続出、脱走者や逮捕者の続出で最終的に5名だけになった連合赤軍のメンバーがあさま山荘事件を起こしました。この2つの事件が日本の社会に与えた強い衝撃は、今でもはっきり覚えています。勿論、赤軍派や連合赤軍が新左翼系(⇒これは日本共産党系でない左翼系の各党派を総称してそう呼ぶらしい)の中でも特異な存在である事は私も承知していますが、一般大衆・市民(:citizen)にとってはそうした明確な切り離しはされず、激化する内ゲバだけでも学生運動は急速に市民の支持を失っていったと思います。東大の安田講堂の攻防があった時、何も分らないまま私はTVの画面を親と一緒に見ていましたが、共通の目的の為に団結しているんだろうなというのは直感的に感じていて、でもそういった一体感の様なもの(⇒これは全共闘/全学共闘会議と呼ばれる運動形態が1968年頃から現れて、党派や学部を越えたものとして組織作られ、ノンセクト・ラジカルと呼ばれる党派に属さない学生が数多く運動に参加した事から生まれた)は私が就職して東京に行った頃には跡形もなく消え失せていました。実感として捉えられていない以上、喪失感も感じようが無い訳で、その点御了承下さい。 参考 ja.wikipedia.org/wiki/日本の学生運動 & ja.wikipedia.org/wiki/内ゲバ
中学生の頃、林美雄さんのパックを聴いていてこの作品の事を知り、名画座に観に行きましたその日の名画座は藤田監督の特集回で、併映は「妹」「ウルトラセブン」大好き少年でしたから、「妹」でいきなりのアンヌ隊員のシーンに衝撃「少年ドラマシリーズ」でおなじみだったテレサ野田さんのシーンにも多感な中学生には刺激が強すぎました懐かしい思い出
林美雄パックには色々様々触発されました 私もそれで鑑賞しました 併映はサードあたりか
DVDと地上波で観たけど何故だかこのエンディング直前の男声スキャットが印象に残っていました
テレサ野田さんの体当たりの演技が話題になった衝撃作の映画でした。
これを夏休みに朝日放送の午前中『モーニングシアター』として放送してたのを観た。藤田敏八と大和屋竺は天才だと思ったよ。
村野武範の『さわらせろよ!』とか『死にたいっ』とかのセリフに感動してしまった。
大学時代に見たけど、何処で見たなんて覚えてなんかいないでも正直大学時代なんて、こんな青春なんて無かったなましてやヨットなって誰が持ってんだってって感じでも強烈に印象に残ってるし、DVDは買ったよ
Comment有難うございます。返信が遅れまして、申し訳ありませんでした。私の場合、この作品は主題歌の印象が強烈で、エンドロールが俄然盛り上がりますが、作品としての評価は決して高くありません。藤田敏八監督の作品では、「帰らざる日々」が断然のお奨めです。
これは日活そのもののエンディングですね。エンドマークはあえて出さなかったとか。路線変更で生き残った日活と倒産した大映。
このシーンをどうとらえたらいいのかわからなかったな。いろいろ考えました
※石川セリが歌った同名の主題歌の方が映画よりも知られていると思いますが、映画の中でどのように使われているかというのは意外と知られていないのではという気がします。元に入っていた左右の黒帯をCutしたので、w:722となっています。
※この作品は、日活が斜陽の映画界にあってロマンポルノ路線に転向する直前に製作され、日活最後の一般映画として封切られた作品です。石原裕次郎主演の諸作品を代表とする日活青春映画の歴史が、この作品で終止符が打たれた訳です。
封切りの時見た映画。メロディーと歌声がせつない。今見ると流されゆくヨットは自分達の国のように思える。どこまでも流され沈んでゆく!
@@金子貞夫-j9v 返信が遅れまして大変申し訳ありません。
時代の雰囲気というのは確実にありますから、封切りの時に見たというのは、羨ましいですね。私がこの作品を見たのは封切りから10年以上が過ぎた1980s前半で、作品としての評価は決して高くないんですが、エンドロールにこの曲が出てきた時は感動ものでした。名曲です。
@金子貞夫 さん
とんでもない!
その頃(80年代前半)はまだ「ナウ」な「ヤング」の雑誌では「永遠の青春映画」として紹介されていましたよ!(自分の記憶が正しければ。^^;)
キネ旬の『日本映画ベスト100』にも載っていました。( ただし当時も若い映画評論家は昔のプログラム・ピクチャーを見ていないので順位は高くなかったと記憶しています)
藤田敏八監督は非行少年日の出の叫びが始めて見た作品。何か反抗する若者の透明感ある生態と挫折が彼の永遠のテーマだったんだとしみじみ思う映画。今でも何回も見直したい。
八月の濡れた砂、帰らざる日々、十八歳海へ、藤田敏八青春三部作最高でしたね😢😀🎶
Comment有難うございます。
「帰らざる日々」はすごく良かったですね。翌'79年の公開だったら、文句なしにこれがベストワンでした(⇒「旅の重さ オープニング」のページにCommentで"●1970s公開日本映画各年度ベスト2●"として採り上げた中に記してあるので、そちらを読んで頂けるとこの言葉の具体的な意味がお解り頂けるかと思います)。
ruclips.net/video/moVlOej3Gwk/видео.html ;旅の重さ オープニング(w:722版)
※リンクをクリックしないで、リンクをコピーして貼り付けてENTERキーを押すと、動画は自動再生されません。
「十八歳、海へ」は、同じ森下愛子主演の「もっとしなやかに もっとしたたかに」と共に見るリストに入れてありますが、どちらも未だに見れていません。私の記憶ではどちらも'79年公開作品で、「もっとしなやかに もっとしたたかに」の方も藤田敏八監督だったと思いますが、こちらは青春三部作とはちょっと毛色が異なりますね。
横からの書き込み、すみません。
「旅の重さ」…懐かしいですね。
ちなみに自分の藤田敏八青春三部作は「八月の濡れた砂」「帰らざる日々」(「八月の濡れた砂」を思い出させるストップモーションが良かった)、そしてお二人はご覧になっていないかも知れませんがロマンポルノの「横須賀男狩り 少女・悦楽」。
これを書くにあたり「横須賀男狩り」をWikiで調べたら矢崎滋も重要な役で出ていたんですね。知らなかった。^^;
@@gorouyamada1636 エロス色が強いロマンポルノ系だと、私の場合女優さんで観る観ないを決めるので、「横須賀男狩り 少女・悦楽」の方は見たいリストには入っていません(ごめんなさい)。藤田敏八監督だと1983年公開の「ダブルベッド」の印象が鮮烈で、これは3,4回見ています。
永遠の青春映画です。高田馬場パール座で見ました。
高田馬場パール座には、東京にいた頃よく行きました。今も健在でしたら、嬉しいです。
残念ながらかなり前に閉館してしまいました。(T_T)
@@gorouyamada1636 ご返信下さり、有難うございます。そうですか、残念です。
他によく行っていたのは、早稲田松竹,池袋文芸坐,大塚名画座,飯田橋佳作座で、それに時々八重洲スター座と三軒茶屋の2館といったところですが、東京に映画観に行っていた時期に大塚名画座と飯田橋佳作座の閉館は知る機会がありました。ぴあも2011年に休刊(実質廃刊)になって、移動時間と上映時間を計算して映画をはしごするのもやりにくくなったと思います。
@@moonlitdesertroad さん
おお、懐かしい。上記の名画座は全て行っています。特に文芸坐には「通う」と言っていいほど行きました。
@@gorouyamada1636 ご返信、有難うございます。私も文芸坐にはよく行っていて、「通う」とまではいきませんが、それに近かったと思います。
で、ひょっとして現在(いま)も健在な名画座って早稲田松竹と文芸坐ぐらいなんですかね?
あと忘れていましたが、確か大井町にも名画座があって、時々行っていました。
まだまだ 純真無垢な 自分でした 子供心に 映画の内容は ショッキングでした。この ラストシーン…が 大好き💕で 石川セリの 歌声と 共に 頭に焼きついて 離れません😂 この先に 青春時代が 待っていた 頃の 穏やかな時代でした。
今でもこの映画を思い出すと切ない感じがする。どうしょうもないやりきれなさとか、無力感、諦めなど69年から70年代への時代の倦怠感を思い出す。対照的にユーミンが出て来たが、金持ち娘の能天気さに呆れたものだ。
この事を言う人は意外と少ないので、この際言っておいた方が良いかも知れません。東大の安田講堂の攻防があった頃、私はまだ高校生にもなっておらず、地方の町に住んでいました。70年代に入ると日本の学生運動は極端なセクト(党派)主義に走る様になり、特に中核派(&革労協)と革マル派はお互いの構成員を殺害しあうほどの異常な党派闘争を繰り広げます。いわゆる内ゲバですが、これが70年代には殺し合いの状態になり、革マル派が中核派と革労協の最高指導者を暗殺したことで、「戦争」状態に突入しました。こうした内ゲバや、赤軍派に代表される爆弾や銃による武装がエスカレートし、そして1972年には連合赤軍による12名の同志に対するリンチ殺人事件(山岳ベース事件)が発覚して、この事件による犠牲者の続出、脱走者や逮捕者の続出で最終的に5名だけになった連合赤軍のメンバーがあさま山荘事件を起こしました。この2つの事件が日本の社会に与えた強い衝撃は、今でもはっきり覚えています。勿論、赤軍派や連合赤軍が新左翼系(⇒これは日本共産党系でない左翼系の各党派を総称してそう呼ぶらしい)の中でも特異な存在である事は私も承知していますが、一般大衆・市民(:citizen)にとってはそうした明確な切り離しはされず、激化する内ゲバだけでも学生運動は急速に市民の支持を失っていったと思います。東大の安田講堂の攻防があった時、何も分らないまま私はTVの画面を親と一緒に見ていましたが、共通の目的の為に団結しているんだろうなというのは直感的に感じていて、でもそういった一体感の様なもの(⇒これは全共闘/全学共闘会議と呼ばれる運動形態が1968年頃から現れて、党派や学部を越えたものとして組織作られ、ノンセクト・ラジカルと呼ばれる党派に属さない学生が数多く運動に参加した事から生まれた)は私が就職して東京に行った頃には跡形もなく消え失せていました。実感として捉えられていない以上、喪失感も感じようが無い訳で、その点御了承下さい。
参考 ja.wikipedia.org/wiki/日本の学生運動 & ja.wikipedia.org/wiki/内ゲバ
中学生の頃、林美雄さんのパックを聴いていてこの作品の事を知り、名画座に観に行きました
その日の名画座は藤田監督の特集回で、併映は「妹」
「ウルトラセブン」大好き少年でしたから、「妹」でいきなりのアンヌ隊員のシーンに衝撃
「少年ドラマシリーズ」でおなじみだったテレサ野田さんのシーンにも多感な中学生には刺激が強すぎました
懐かしい思い出
林美雄パックには色々様々触発されました 私もそれで鑑賞しました 併映はサードあたりか
DVDと地上波で観たけど
何故だかこのエンディング直前の男声スキャットが印象に残っていました
テレサ野田さんの体当たりの演技が話題になった衝撃作の映画でした。
これを夏休みに朝日放送の午前中『モーニングシアター』として放送してたのを観た。
藤田敏八と大和屋竺は天才だと思ったよ。
村野武範の『さわらせろよ!』とか『死にたいっ』とかのセリフに感動してしまった。
大学時代に見たけど、何処で見たなんて覚えてなんかいない
でも正直大学時代なんて、こんな青春なんて無かったな
ましてやヨットなって誰が持ってんだってって感じ
でも強烈に印象に残ってるし、DVDは買ったよ
Comment有難うございます。返信が遅れまして、申し訳ありませんでした。
私の場合、この作品は主題歌の印象が強烈で、エンドロールが俄然盛り上がりますが、作品としての評価は決して高くありません。藤田敏八監督の作品では、「帰らざる日々」が断然のお奨めです。
これは日活そのもの
のエンディングですね。
エンドマークはあえて
出さなかったとか。
路線変更で生き残った
日活と倒産した大映。
このシーンをどうとらえたらいいのかわからなかったな。いろいろ考えました