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日清戦争における海軍最強の壁、定遠・鎮遠の取得経緯を中心に説明した動画です。(追記)日本海軍における「戦艦」用語の使用について、阿部隆史@ジェネラル・サポート様より補足いただいています。twitter.com/GS_abetakashi/status/1756181112496468042
そもそも、清では整備ができずに長崎でしか整備できないとか、分不相応が過ぎる。
レプリカだとしてもこの時期の船ってだけでものっそい見てみたいですね。
砲塔の装甲がペラペラだったのには驚いた。日本海軍は定遠の諸元を入手していたのだろうか?後知恵だけれど、定遠の弱点を研究調査していれば三景艦のようなムダをしなくて済んだと思った。目から鱗の解説で素晴らしかった。
この時代のバーベット艦はほぼ最新の砲積載方法であって、砲座(砲室)自体は無防御なのは特に弱点とは見做されていませんよ。この時代の海上砲戦はほぼ水平射撃なので、充分な高さと厚みのあるバーベットに囲われた砲は、直接損害を受けることはほぼない、という認識です。そこで悩んだ日本が到達したのが、とにかく装甲帯やバーベットに損害を与えられる大口径砲を無理やり積んだ三景艦だったわけです。
@@tsato4662 丁寧な解説ありがとうございます。海軍はちゃんと判っていたわけですね。折角の解説でしたから加筆されたらどうでしょう。小生の様な素人が早とちりする恐れがありますので。これ程の知識には驚きました。
そもそも砲塔が装甲化し始めたのは第一次大戦以降なので、この頃はされてなくて当たり前の時代ですね
光文社文庫で新見さんが書いてる軍艦と装甲とか、砲塔ものとか読むと面白いよ。
当時の戦艦は現代の核兵器のような圧力になったんですね〜
抑止力でもあり。戦わずして日本が屈伏することを狙う威嚇でもあり。
今は大宰府で門扉になってます。
そのようですね。今度機会があったら、しっかり見ておきます。初めて行ったときは駆け足&博物館目当てだったもので。
@@tadamasa_miyanaga さん、軍艦堤防や砲弾記念碑とか忘れ去られつつありますからね。興味がある方に是非めぐって頂きたいです。あ、大宰府に行かれる際にはお石茶屋へどうぞ。
防波堤は行きました。釣り人だらけのコントラストに考えさせられました。
@@tadamasa_miyanaga さん、平和の中に埋もれるは戦争遺産は考えさせられますね。都内の橋など日常の中にも。
勉強になりました。🙂
なるほどと納得できる解説でした。わかりやすかったです。
渋い戦艦ですね。この時代の船もがんがん紹介、解説してほしい。
ご要望ありがとうございます。いろいろ考えてみます。
2019年に威海市に行って復元「定遠」を見てきました。当時は威海港の埠頭に停泊しており、入場料は75元でした。原寸大の迫力は確かなものがありました。艦内では、同艦の建造から最後に至る経緯が紹介され、当時の艦内の様子を再現した区画もありました。じっくり時間を取ってみることが出来たので、興味深い経験になりました。同じ威海市にある劉公島に建設された甲午戦争陳列館も北洋海軍の興亡を現場で体験できる充実した展示物がありました。なお、調べてみると復元「定遠」も現在は劉公島に移設されているようです
貴重なお話をいただきありがとうございます。入場料1500円程度、本気度が高い設定ですね。訪問が難しい国になってしまいましたが、いつか見てみたい場所リストには入れておきます。
劉公島は、日清戦争時、北洋艦隊が最後に立てこもった場所ですね。
日清戦争時、威海衛で日本軍に捕獲された鎮遠は、戦利艦として日本海軍に編入されますね。日本海軍の二等戦艦となった鎮遠は、日露戦争で黄海海戦、旅順攻略戦、日本海海戦にも参加していますね。日露戦争でのロシアの鹵獲戦艦は、全て日本名に変更されますが、鎮遠は1911年の除籍まで鎮遠のままだったのですかね?
日清、日露で行われた海戦の戦訓から各国の軍艦が改良されていくことになるので、定遠級は当時の机上で考えられた最強の軍艦だったのでしょうね。
まだ沈まぬか定遠は
なるほど!非常に分かりやすくて勉強になりました。
復元定遠の現在位置は、(37°29'54.4"N 122°11'04.9"E)ここの様です。GoogleMapで確認した限りだと、乾ドック状の地形に突っ込まれ、実質陸揚げ状態に見えます。曳航は・・・ちょっと無理っぽいでしょうか。
近隣に甲午戦争博物館もあるようですから、間違いなさそうですね。情報ありがとうございました。
これを見て長年の疑問が晴れました!教科書その他の写真とスペックだけだと、定遠級戦艦が実際にどういうものだったかわかりませんでした。主砲のあの短すぎる砲身の謎が解けました。ありがとうございます!
お役に立ててよかったです。引き続きよろしくお願いします。
一部で超メジャーな戦艦の正体がモニター艦が原型とは😮。近代戦艦迄には、紆余曲折があったのですねぇ🤔
戦艦の原型はモニター艦ではなく、「モニター」という軍艦がルーツの一つですね
@@メルリンス-t7m さん。モニターのルーツはザックリとしか知りませんが。乾舷が低い、航洋性が低い、内湾や河川、湖で運用される艦の総称とされています。モニター艦オリジナルの直系の意味で言ったつもりはありません😅。
19世紀海軍の解説は本も少ないからありがたい
意外と需要があるようで、安心しています。
吉岡平先生が昔(約30年前)、日清戦争の黄海海戦を扱った小説を書いた時、資料が全く無く、国会図書館に通い詰めた。という話が有ります。今はかなりの資料が出てますから、良い時代になりましたね。
あくまで模型だから曳航されたとしても外洋航海は無理なんじゃないかな?
中央砲塔艦の時代、小さい船体に重い巨砲を積んで航洋性や射界も確保したい四苦八苦はどのようなものだったのでしょうね。艦首尾上甲板に主砲を置くのが正解とわかっていても技術的に無理なもどかしさの中こういう梯形配置は生まれたりしたのかなぁ。
梯形配置のなぜなに? みたいなのは動画の価値ありそうですね。
@@tadamasa_miyanaga すごくニッチですけど、とても価値ある話題だと思います!日本だとどうしても装甲艦は影が薄いところありますから。
「坂の上の雲」と言うドラマの中で、「定遠」(だったかな)の乗組員が、船内に勝手に洗濯物を干していたりして統率が取れていないことを見抜き、戦争になっても勝てるのではという風に描かれてましたね。たしか宮崎駿さんの「雑草ノート」にも、外見はものすごい軍艦だけど水兵は・・・というようなことが描かれてました。
水兵の練度のことはよく比較になりますね。辛亥革命後の中華民国海軍は精力的に立て直しを図りますが、戦争しながらの海軍建設は難事業でした。
海の自走砲って感じですね
定遠や松島や黄海海戦は、宮崎駿『雑想ノート』の「竜の甲鉄」で知りました。江川達也の『日露戦争物語』でも、11巻の黄海海戦(定遠戦)が山場でした。正確に翻訳すれば「甲鉄艦」になるかもしれませんが、日本海軍も鎮遠を鹵獲したあとは二等戦艦に類別しているので、戦艦で問題ないような気がします。それにしても、鹵獲したあと、主砲の30.5センチ砲弾を日本で生産するのは大変な苦労があったのでは…と推測します。ドイツのクルップに相談したのでしょうか?
砲弾の調達は私も未調査なので不明ですが、ちょっと気になりますので、アンテナは立てておきます。
定遠のレプリカを長崎まで引っ張ってきたら、完全に挑発ですぜw
北洋水師の軍服で市内パレードを挙行するリエナクトも込みなら、ほんと見に行きたいですね。
@@tadamasa_miyanaga 暴れなきゃよいが
大和の原寸大レプリカ造って欲しい。呉の大和ミュージアム裏「大和波止場」を歩くと、「タイルでもいいからもっと長い波止場にして263m再現して欲しかった」と思ってしまいますよね。定遠は三笠より小さい艦だからレプリカもポンっと造れるんでしょうが。トラトラトラ」の撮影用に長門の原寸大セットが九州だったかに建設されたそうですね。生まれるはるか前ですが。 尾道の「男たちの大和」セットは観に行きましたが、映画撮る間だけもてばいいというモンで材料はプライウッドだったようです。私が見物に行った時点で目に見えて劣化が始まっていました。パーマネントな材料(見た目だけのレプリカだから紙装甲でいい)で大和の形のドンガラ造るとして、巨大な内部スペースは何に使うかという話になりますが、火力発電プラントなんてどうでしょう。程々の騒音が出て煙突から煙が出ていれば雰囲気も出る。機関(12罐4機)のうち3罐1機だけはソックリに再現して、二番主砲塔・一番副砲塔は中まで(弾火薬庫の最下層まで)ちゃんと再現、艦橋・その他の観光見学順路だけちゃんと造ってあとはドンガラの「呉大和発電所」・・・ってどうでしょう。
定遠とはズレたハナシが続きますが、「男たちの雪風」(仮) って映画を製作して欲しいんですよね。坊ノ岬沖海戦は 大和が沈んで終り …ではないんで。 松山ケンイチ(若き日の仲代達也)は雪風か初霜か冬月かに拾われて還ってきたわけですよね。涼月はボロボロになりながらアスタンで還ってきた。還ってくるまでを描いて欲しいんですよね。 で、撮影用に雪風のパーマネントなレプリカを造って、撮影後は佐世保の観光名所に活用。…という希望。
中央砲塔艦、面白いですね。個人的には梯型配置は惹かれてます。砲塔の防御力の解説は面白かったです。これだと速射砲で被害が出てしまいますね。・・・その後のロイヤルサブリンの初期型が軽量化の為に主砲が剥き出しでしたから、砲塔ってのは最初はあまり装甲として期待されてなかったのかもしれませんね。バーベットに籠って砲撃するイメージでしょうか?あと戦艦はモニター艦の流れから見ると外洋行動が本格的に出来る・・・って要素の説明も必要かもしれませんね。いずれにしても参考になりましたし、次回も楽しみです。次は前弩級戦艦辺りですね。タンブルフォームの欠点の露呈とか治金技術の発展(クルップ鋼)、統制射撃、運動戦・・・ネタは豊富で楽しみです。ヽ( ・∀・)ノ
駆逐艦の砲塔同様?
砲塔の歴史についてはまた機会を作ってまとめてみたいと思います。
@@tadamasa_miyanaga ・・・アメリカの二階建砲塔と背負式配置の発展・・・辺りでしょうかね?期待してます!
初代葛城とか大和はスループとかに分類されてたと思います。
その辺の「艦種」もしっかりフォローしたいですね。
スループとかフリゲートとかは帆船時代にしっかり定義していた物を、後の時代にその定義と無関係に付けたので分類が難しそう。🎉
いやあ、詳しくて勉強になりました!登録します!定遠のレプリカ見てみたいけれど写真撮ったら逮捕勾留されてスパイとして…😨
自分くらいのポジションだと見せしめにちょうど良さそうなので、現状は怖くて行けませんね。
定遠か鎮遠か不明ですが、日清戦争前に東郷平八郎が乗艦した際に、ゴミだらけで、主砲に洗濯物が干され、その下で賭博をしている清国水兵を見て、「恐るに足らん!」と思ったそうですね。
NHKの「坂の上の雲」でそんな演出していましたね。
清の軍艦にいずれも「遠」という文字が使われてるのはそういう命名規則があるんでしょうね。
具体的に調べたことはないですが、秩序にはこだわる文化なので何らかのガイドラインはあるでしょうね。
日清戦争時、広東水師から駆り出されて北洋水師の指揮下で戦った艦は、頭が『広』の字になっていますね。
そうこれ、ここが穴 ロシア艦隊しか注目されないのよね 清艦隊については登場して終わるという何も説明されないことが多すぎ
興味持っている方も多いようなので、またこういった動画を増やしていきたいと思います。
信長の鉄貼り船みたいな感じ?
この一見トンチキに見えて実は合理的なようで結局トンチキだったんじゃないかなっていう主砲配置嫌いじゃありませんことよ
多分、トンチキだったんです。いずれそんな動画を作ると思います。
中央砲塔艦自体は当時のトレンドでトンチキでは無いけどな。物理的にそこ以外に積むことが出来なかった。
この定遠のレプリカは多分、中国映画「一八九四·甲午大海戰」に出てくるやつですね。RUclipsでも観れますよ。もなかセット臭いので航洋は多分無理。政治的歴史的考証は、いろいろとあれなメロドラマですが、絵面としては非常に面白い。特撮は、ミニチュアに甲板上の人物を合成したり、東宝の「日本海大海戦」の近代化版のような作りで、なかなか味があります。犬好きは泣くかも(笑)。
映画セットの可能性ありなんですね。一応湾内に浮かんでいる写真はあったのですが、セットなら自走は無理でしょうね。貴重な映像情報ありがとうございます。
お疲れさまです。 定遠の名前は小学生の頃から知っていましたが、どんな船なのかは知りませんでした。 三笠は行った事がありますが、定遠も出来たら見てみたいですね。そうそう、定遠と言えば「松島」が連想されます。 そちらの動画も、既にあったりしますか?
松島型はまだ扱っていませんが、かなりピーキーな船なので、いずれ機会を設けたいと思います。
一式陸攻 巨大戦闘機 [画像検索]を連想しました。
日本海軍のアームストロング速射砲にボコボコにされても、主砲は最後まで火を吹いてたって話を昔聞きましたが、その装甲厚ではすぐに沈黙しちゃったんじゃないのかなあ?実際どうだったんでしょ?
ドイツ海軍の場合、地理的にキール運河の開通と言うのも戦略に影響を与えたのかなと。バルト海から北海への道が出来たので。明治初期の日本はまだ陸軍重視だった様ですね。陸軍卿の山縣有朋も「陸軍は主兵なり、海軍は応用施策の兵なり」と語っていますから。しかし西南戦争で内戦は終わり、外征型軍隊への変化を迫られ海軍力の増強が急務となったと思います。定遠のレプリカは現在中国の海軍力増強の影響かなと。中国海軍高官の中には「我々は何時の日か黄海海戦の仇を打つ時がくるだろう」と論説している提督もいる様ですよ(お前は何を言ってんだと言う感じですけどね~😦)
日本海軍初の戦艦
でも取得即三軍行き(笑)
定遠級は残念ながら中国が日本より先に戦艦を保有していたことを示すもの戦艦の定義は主砲口径30センチ以上の砲を有する艦となってるしかし、どれだけ大きな口径の主砲でも弾が当たらなければ怖くないその後の黄海海戦では中国は湾内に日本軍を呼び込んで迎撃したが高速運動で速射砲で戦闘した日本軍の戦術が勝り中国軍はハチの巣にされたこの当時の大口径砲は命中率がわるく、日本軍の大口径艦も1発も敵に当ててないそれもそのはずで、その頃の船は大口径砲撃つには船の安定性が悪すぎた土台が安定してなければ、洋上で動き回る戦闘艦になど当然命中などするわけがない
別に残念じゃない
戦艦の定義はまだこの時期には定まってません、前ド級艦がようやく日露戦争頃と見るべき定遠鎮遠ともに、巨砲を搭載して装甲を張った軍艦以上の説明は無意味
戦艦の定義はされた試しはなく後の軍縮下の主力艦と言う呼称も不参加国には関係ないが、一般的にはロイヤルソブリン級が戦艦の創始でそれ以前竣工の定遠は戦艦ではないな。
@@中平竜飛 仰る通り、この建造当時は確かに明確な主砲の口径と艦種の区分けはなかっただけど、そのずっと後のロンドン軍縮条約で14インチ砲(30.5cm)以上を搭載する船を戦艦と定められ数の制限がかけられてから一般的に定義されるようになった。因みにこの当時はイギリス艦は14インチ砲・アメリカと日本はすでに16インチ砲を搭載してたので砲の重さは重量を伴うので保有制限を総トン数で決めた
日本の三景艦は、論外でしょうね…
前弩戦艦のこともBBって表記するのは一般的なんですか?アメリカの表記法とかゲームとかだとB単体なこと多いですよね
今日の戦艦は明日の海防艦なんだから、初代扶桑だって類別上は戦艦だし。
定遠級って日露戦争以降の軍艦を見慣れた人間からは特異な配置に見えてしまいますね。
【どうしてここに砲塔が?】ruclips.net/video/sLmc4bdAVuA/видео.htmlそんな関連動画をアップしました。
このドラマのために作られたようですね。見てると日本側の艦艇も結構きちんと作り込まれていて好感が持てますruclips.net/video/bJvYZ25-wSA/видео.htmlsi=uIzHR9Zsc_UiSEsr
21世紀の長崎事件になっちゃう✨
友好でいきましょう!
現地で「勇敢なる水兵」を熱唱したら、まずいかな
現代中国は、何故負けた軍艦を再現したんだろ?
ドラマのセットを兼ねていたなんてコメントはいただいています。
全て艦艇分類規定で決まったいます。だからこの船は戦艦です。艦長が大佐です。強さは関係ありません。
ありがとうございます。もちろん一切は承知していますが、そこを重視した動画ではありませんので、ご了解いただければ。
まあそれは、ある程度後から決まったことで。1894年の時点ではなんとも言えないけど。
@user-wh6xw6fm4r 当時だと『言ったもん勝ち』だし。
日本は専守防衛なので、、、海保や海自は、いくら最新の兵装をしても「宝飾品」でしかない!m(_ _)m今の日本に必要な艦船は、テイエンと同じく「衝角艦船」なのではないのだろうか、、、武器を使わずに体当たりが出来る艦船しかないです。漁船に体当たりされて損傷する艦船は要らないm(_ _)m
まじすか。鎖国しかないですね。
近代の最低限の知識もなく吠え散らかして恥ずかしい…紙装甲だから神なんですよw積み重ねた歴史の結晶
清が帝国??
清、皇帝がいたから帝国です。
一応戦艦では❓️日本海軍に鹵獲された二番艦の鎮遠は戦艦待遇で日露戦争で戦果をあげているし。
コメントありがとうございます。もちろん保有している海軍が戦艦と言えば戦艦です。ただ「戦艦」と一般に呼ばれる定遠級のルーツってなんなのでしょうね? そういったところが狙いの動画でした。またこれからもよろしくお願いします。
日清戦争における海軍最強の壁、定遠・鎮遠の取得経緯を中心に説明した動画です。
(追記)
日本海軍における「戦艦」用語の使用について、阿部隆史@ジェネラル・サポート様より補足いただいています。
twitter.com/GS_abetakashi/status/1756181112496468042
そもそも、清では整備ができずに長崎でしか整備できないとか、分不相応が過ぎる。
レプリカだとしてもこの時期の船ってだけでものっそい見てみたいですね。
砲塔の装甲がペラペラだったのには驚いた。日本海軍は定遠の諸元を入手していたのだろうか?後知恵だけれど、定遠の弱点を研究調査していれば三景艦のようなムダをしなくて済んだと思った。目から鱗の解説で素晴らしかった。
この時代のバーベット艦はほぼ最新の砲積載方法であって、砲座(砲室)自体は無防御なのは特に弱点とは見做されていませんよ。
この時代の海上砲戦はほぼ水平射撃なので、充分な高さと厚みのあるバーベットに囲われた砲は、直接損害を受けることはほぼない、という認識です。
そこで悩んだ日本が到達したのが、とにかく装甲帯やバーベットに損害を与えられる大口径砲を無理やり積んだ三景艦だったわけです。
@@tsato4662 丁寧な解説ありがとうございます。海軍はちゃんと判っていたわけですね。折角の解説でしたから加筆されたらどうでしょう。小生の様な素人が早とちりする恐れがありますので。これ程の知識には驚きました。
そもそも砲塔が装甲化し始めたのは第一次大戦以降なので、この頃はされてなくて当たり前の時代ですね
光文社文庫で新見さんが書いてる軍艦と装甲とか、砲塔ものとか読むと面白いよ。
当時の戦艦は現代の核兵器のような圧力になったんですね〜
抑止力でもあり。
戦わずして日本が屈伏することを狙う威嚇でもあり。
今は大宰府で門扉になってます。
そのようですね。今度機会があったら、しっかり見ておきます。初めて行ったときは駆け足&博物館目当てだったもので。
@@tadamasa_miyanaga さん、軍艦堤防や砲弾記念碑とか忘れ去られつつありますからね。興味がある方に是非めぐって頂きたいです。あ、大宰府に行かれる際にはお石茶屋へどうぞ。
防波堤は行きました。釣り人だらけのコントラストに考えさせられました。
@@tadamasa_miyanaga さん、平和の中に埋もれるは戦争遺産は考えさせられますね。都内の橋など日常の中にも。
勉強になりました。🙂
なるほどと納得できる解説でした。わかりやすかったです。
渋い戦艦ですね。
この時代の船もがんがん紹介、解説してほしい。
ご要望ありがとうございます。いろいろ考えてみます。
2019年に威海市に行って復元「定遠」を見てきました。当時は威海港の埠頭に停泊しており、入場料は75元でした。原寸大の迫力は確かなものがありました。艦内では、同艦の建造から最後に至る経緯が紹介され、当時の艦内の様子を再現した区画もありました。じっくり時間を取ってみることが出来たので、興味深い経験になりました。
同じ威海市にある劉公島に建設された甲午戦争陳列館も北洋海軍の興亡を現場で体験できる充実した展示物がありました。なお、調べてみると復元「定遠」も現在は劉公島に移設されているようです
貴重なお話をいただきありがとうございます。入場料1500円程度、本気度が高い設定ですね。訪問が難しい国になってしまいましたが、いつか見てみたい場所リストには入れておきます。
劉公島は、日清戦争時、北洋艦隊が最後に立てこもった場所ですね。
日清戦争時、威海衛で日本軍に捕獲された鎮遠は、戦利艦として日本海軍に編入されますね。
日本海軍の二等戦艦となった鎮遠は、日露戦争で黄海海戦、旅順攻略戦、日本海海戦にも参加していますね。
日露戦争でのロシアの鹵獲戦艦は、全て日本名に変更されますが、鎮遠は1911年の除籍まで鎮遠のままだったのですかね?
日清、日露で行われた海戦の戦訓から各国の軍艦が改良されていくことになるので、定遠級は当時の机上で考えられた最強の軍艦だったのでしょうね。
まだ沈まぬか定遠は
なるほど!非常に分かりやすくて勉強になりました。
復元定遠の現在位置は、(37°29'54.4"N 122°11'04.9"E)ここの様です。
GoogleMapで確認した限りだと、乾ドック状の地形に突っ込まれ、実質陸揚げ状態に見えます。
曳航は・・・ちょっと無理っぽいでしょうか。
近隣に甲午戦争博物館もあるようですから、間違いなさそうですね。情報ありがとうございました。
これを見て長年の疑問が晴れました!
教科書その他の写真とスペックだけだと、定遠級戦艦が実際にどういうものだったかわかりませんでした。
主砲のあの短すぎる砲身の謎が解けました。
ありがとうございます!
お役に立ててよかったです。引き続きよろしくお願いします。
一部で超メジャーな戦艦の正体がモニター艦が原型とは😮。近代戦艦迄には、紆余曲折があったのですねぇ🤔
戦艦の原型はモニター艦ではなく、「モニター」という軍艦がルーツの一つですね
@@メルリンス-t7m さん。モニターのルーツはザックリとしか知りませんが。乾舷が低い、航洋性が低い、内湾や河川、湖で運用される艦の総称とされています。モニター艦オリジナルの直系の意味で言ったつもりはありません😅。
19世紀海軍の解説は本も少ないからありがたい
意外と需要があるようで、安心しています。
吉岡平先生が昔(約30年前)、日清戦争の黄海海戦を扱った小説を書いた時、資料が全く無く、国会図書館に通い詰めた。という話が有ります。
今はかなりの資料が出てますから、良い時代になりましたね。
あくまで模型だから曳航されたとしても外洋航海は無理なんじゃないかな?
中央砲塔艦の時代、小さい船体に重い巨砲を積んで航洋性や射界も確保したい四苦八苦はどのようなものだったのでしょうね。
艦首尾上甲板に主砲を置くのが正解とわかっていても技術的に無理なもどかしさの中こういう梯形配置は生まれたりしたのかなぁ。
梯形配置のなぜなに? みたいなのは動画の価値ありそうですね。
@@tadamasa_miyanaga すごくニッチですけど、とても価値ある話題だと思います!
日本だとどうしても装甲艦は影が薄いところありますから。
「坂の上の雲」と言うドラマの中で、「定遠」(だったかな)の乗組員が、船内に勝手に洗濯物を干していたりして統率が取れていないことを見抜き、戦争になっても勝てるのではという風に描かれてましたね。
たしか宮崎駿さんの「雑草ノート」にも、外見はものすごい軍艦だけど水兵は・・・というようなことが描かれてました。
水兵の練度のことはよく比較になりますね。辛亥革命後の中華民国海軍は精力的に立て直しを図りますが、戦争しながらの海軍建設は難事業でした。
海の自走砲って感じですね
定遠や松島や黄海海戦は、宮崎駿『雑想ノート』の「竜の甲鉄」で知りました。江川達也の『日露戦争物語』でも、11巻の黄海海戦(定遠戦)が山場でした。正確に翻訳すれば「甲鉄艦」になるかもしれませんが、日本海軍も鎮遠を鹵獲したあとは二等戦艦に類別しているので、戦艦で問題ないような気がします。それにしても、鹵獲したあと、主砲の30.5センチ砲弾を日本で生産するのは大変な苦労があったのでは…と推測します。ドイツのクルップに相談したのでしょうか?
砲弾の調達は私も未調査なので不明ですが、ちょっと気になりますので、アンテナは立てておきます。
定遠のレプリカを長崎まで引っ張ってきたら、
完全に挑発ですぜw
北洋水師の軍服で市内パレードを挙行するリエナクトも込みなら、ほんと見に行きたいですね。
@@tadamasa_miyanaga 暴れなきゃよいが
大和の原寸大レプリカ造って欲しい。
呉の大和ミュージアム裏「大和波止場」を歩くと、「タイルでもいいからもっと長い波止場にして263m再現して欲しかった」と思ってしまいますよね。
定遠は三笠より小さい艦だからレプリカもポンっと造れるんでしょうが。
トラトラトラ」の撮影用に長門の原寸大セットが九州だったかに建設されたそうですね。生まれるはるか前ですが。 尾道の「男たちの大和」セットは観に行きましたが、映画撮る間だけもてばいいというモンで材料はプライウッドだったようです。私が見物に行った時点で目に見えて劣化が始まっていました。
パーマネントな材料(見た目だけのレプリカだから紙装甲でいい)で大和の形のドンガラ造るとして、巨大な内部スペースは何に使うかという話になりますが、火力発電プラントなんてどうでしょう。程々の騒音が出て煙突から煙が出ていれば雰囲気も出る。機関(12罐4機)のうち3罐1機だけはソックリに再現して、二番主砲塔・一番副砲塔は中まで(弾火薬庫の最下層まで)ちゃんと再現、艦橋・その他の観光見学順路だけちゃんと造ってあとはドンガラの「呉大和発電所」
・・・ってどうでしょう。
定遠とはズレたハナシが続きますが、
「男たちの雪風」(仮) って映画を製作して欲しいんですよね。
坊ノ岬沖海戦は 大和が沈んで終り …ではないんで。 松山ケンイチ(若き日の仲代達也)は雪風か初霜か冬月かに拾われて還ってきたわけですよね。涼月はボロボロになりながらアスタンで還ってきた。還ってくるまでを描いて欲しいんですよね。 で、撮影用に雪風のパーマネントなレプリカを造って、撮影後は佐世保の観光名所に活用。…という希望。
中央砲塔艦、面白いですね。個人的には梯型配置は惹かれてます。
砲塔の防御力の解説は面白かったです。これだと速射砲で被害が出てしまいますね。
・・・その後のロイヤルサブリンの初期型が軽量化の為に主砲が剥き出しでしたから、砲塔ってのは最初はあまり装甲として期待されてなかったのかもしれませんね。
バーベットに籠って砲撃するイメージでしょうか?
あと戦艦はモニター艦の流れから見ると外洋行動が本格的に出来る・・・って要素の説明も必要かもしれませんね。
いずれにしても参考になりましたし、次回も楽しみです。
次は前弩級戦艦辺りですね。
タンブルフォームの欠点の露呈とか治金技術の発展(クルップ鋼)、統制射撃、運動戦・・・ネタは豊富で楽しみです。ヽ( ・∀・)ノ
駆逐艦の砲塔同様?
砲塔の歴史についてはまた機会を作ってまとめてみたいと思います。
@@tadamasa_miyanaga
・・・アメリカの二階建砲塔と背負式配置の発展・・・辺りでしょうかね?期待してます!
初代葛城とか大和はスループとかに分類されてたと思います。
その辺の「艦種」もしっかりフォローしたいですね。
スループとかフリゲートとかは帆船時代にしっかり定義していた物を、後の時代にその定義と無関係に付けたので分類が難しそう。🎉
いやあ、詳しくて勉強になりました!登録します!定遠のレプリカ見てみたいけれど写真撮ったら逮捕勾留されてスパイとして…😨
自分くらいのポジションだと見せしめにちょうど良さそうなので、現状は怖くて行けませんね。
定遠か鎮遠か不明ですが、日清戦争前に東郷平八郎が乗艦した際に、ゴミだらけで、主砲に洗濯物が干され、その下で賭博をしている清国水兵を見て、「恐るに足らん!」と思ったそうですね。
NHKの「坂の上の雲」でそんな演出していましたね。
清の軍艦にいずれも「遠」という文字が使われてるのはそういう命名規則があるんでしょうね。
具体的に調べたことはないですが、秩序にはこだわる文化なので何らかのガイドラインはあるでしょうね。
日清戦争時、広東水師から駆り出されて北洋水師の指揮下で戦った艦は、頭が『広』の字になっていますね。
そうこれ、ここが穴 ロシア艦隊しか注目されないのよね 清艦隊については登場して終わるという何も説明されないことが多すぎ
興味持っている方も多いようなので、またこういった動画を増やしていきたいと思います。
信長の鉄貼り船みたいな感じ?
この一見トンチキに見えて実は合理的なようで結局トンチキだったんじゃないかなっていう主砲配置嫌いじゃありませんことよ
多分、トンチキだったんです。いずれそんな動画を作ると思います。
中央砲塔艦自体は当時のトレンドでトンチキでは無いけどな。
物理的にそこ以外に積むことが出来なかった。
この定遠のレプリカは多分、中国映画「一八九四·甲午大海戰」に出てくるやつですね。
RUclipsでも観れますよ。もなかセット臭いので航洋は多分無理。政治的歴史的考証は、いろいろとあれなメロドラマですが、絵面としては非常に面白い。特撮は、ミニチュアに甲板上の人物を合成したり、東宝の「日本海大海戦」の近代化版のような作りで、なかなか味があります。犬好きは泣くかも(笑)。
映画セットの可能性ありなんですね。一応湾内に浮かんでいる写真はあったのですが、セットなら自走は無理でしょうね。貴重な映像情報ありがとうございます。
お疲れさまです。 定遠の名前は小学生の頃から知っていましたが、どんな船なのかは知りませんでした。 三笠は行った事がありますが、定遠も出来たら見てみたいですね。
そうそう、定遠と言えば「松島」が連想されます。 そちらの動画も、既にあったりしますか?
松島型はまだ扱っていませんが、かなりピーキーな船なので、いずれ機会を設けたいと思います。
一式陸攻 巨大戦闘機 [画像検索]を連想しました。
日本海軍のアームストロング速射砲にボコボコにされても、主砲は最後まで火を吹いてたって話を昔聞きましたが、その装甲厚ではすぐに沈黙しちゃったんじゃないのかなあ?実際どうだったんでしょ?
ドイツ海軍の場合、地理的にキール運河の開通と言うのも戦略に影響を与えたのかなと。バルト海から北海への道が出来たので。
明治初期の日本はまだ陸軍重視だった様ですね。陸軍卿の山縣有朋も「陸軍は主兵なり、海軍は応用施策の兵なり」と語っていますから。
しかし西南戦争で内戦は終わり、外征型軍隊への変化を迫られ海軍力の増強が急務となったと思います。
定遠のレプリカは現在中国の海軍力増強の影響かなと。中国海軍高官の中には「我々は何時の日か黄海海戦の仇を打つ時がくるだろう」と
論説している提督もいる様ですよ(お前は何を言ってんだと言う感じですけどね~😦)
日本海軍初の戦艦
でも取得即三軍行き(笑)
定遠級は残念ながら中国が日本より先に戦艦を保有していたことを示すもの
戦艦の定義は主砲口径30センチ以上の砲を有する艦となってる
しかし、どれだけ大きな口径の主砲でも弾が当たらなければ怖くない
その後の黄海海戦では中国は湾内に日本軍を呼び込んで迎撃したが
高速運動で速射砲で戦闘した日本軍の戦術が勝り中国軍はハチの巣にされた
この当時の大口径砲は命中率がわるく、日本軍の大口径艦も1発も敵に当ててない
それもそのはずで、その頃の船は大口径砲撃つには船の安定性が悪すぎた
土台が安定してなければ、洋上で動き回る戦闘艦になど当然命中などするわけがない
別に残念じゃない
戦艦の定義はまだこの時期には定まってません、前ド級艦がようやく日露戦争頃と見るべき
定遠鎮遠ともに、巨砲を搭載して装甲を張った軍艦以上の説明は無意味
戦艦の定義はされた試しはなく後の軍縮下の主力艦と言う呼称も不参加国には関係ないが、一般的にはロイヤルソブリン級が戦艦の創始でそれ以前竣工の定遠は戦艦ではないな。
@@中平竜飛
仰る通り、この建造当時は確かに明確な
主砲の口径と艦種の区分けはなかった
だけど、そのずっと後のロンドン軍縮条約で14インチ砲(30.5cm)以上を搭載する船を戦艦と定められ数の制限がかけられてから一般的に定義されるようになった。
因みにこの当時はイギリス艦は14インチ砲・アメリカと日本はすでに16インチ砲を搭載してたので砲の重さは重量を伴うので保有制限を総トン数で決めた
日本の三景艦は、論外でしょうね…
前弩戦艦のこともBBって表記するのは一般的なんですか?
アメリカの表記法とかゲームとかだとB単体なこと多いですよね
今日の戦艦は明日の海防艦なんだから、初代扶桑だって類別上は戦艦だし。
定遠級って日露戦争以降の軍艦を見慣れた人間からは特異な配置に見えてしまいますね。
【どうしてここに砲塔が?】
ruclips.net/video/sLmc4bdAVuA/видео.html
そんな関連動画をアップしました。
このドラマのために作られたようですね。
見てると日本側の艦艇も結構きちんと作り込まれていて好感が持てます
ruclips.net/video/bJvYZ25-wSA/видео.htmlsi=uIzHR9Zsc_UiSEsr
21世紀の長崎事件になっちゃう✨
友好でいきましょう!
現地で「勇敢なる水兵」を熱唱したら、まずいかな
現代中国は、何故負けた軍艦を再現したんだろ?
ドラマのセットを兼ねていたなんてコメントはいただいています。
全て艦艇分類規定で決まったいます。だからこの船は戦艦です。艦長が大佐です。強さは関係ありません。
ありがとうございます。もちろん一切は承知していますが、そこを重視した動画ではありませんので、ご了解いただければ。
まあそれは、ある程度後から決まったことで。
1894年の時点ではなんとも言えないけど。
@user-wh6xw6fm4r 当時だと『言ったもん勝ち』だし。
日本は専守防衛なので、、、海保や海自は、いくら最新の兵装をしても「宝飾品」でしかない!m(_ _)m今の日本に必要な艦船は、テイエンと同じく「衝角艦船」なのではないのだろうか、、、武器を使わずに体当たりが出来る艦船しかないです。漁船に体当たりされて損傷する艦船は要らないm(_ _)m
まじすか。鎖国しかないですね。
近代の最低限の知識もなく吠え散らかして恥ずかしい…
紙装甲だから神なんですよw積み重ねた歴史の結晶
清が帝国??
清、皇帝がいたから
帝国です。
一応戦艦では❓️日本海軍に鹵獲された二番艦の鎮遠は戦艦待遇で日露戦争で戦果をあげているし。
コメントありがとうございます。もちろん保有している海軍が戦艦と言えば戦艦です。ただ「戦艦」と一般に呼ばれる定遠級のルーツってなんなのでしょうね? そういったところが狙いの動画でした。またこれからもよろしくお願いします。