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必死になって探しているものは大抵自分の内にあった。小さな人生の経験での中ですが、いつも同じ場所にたどり着く。それは日本という土壌に生まれて育ったからこそだと、先達全てに感謝の念が芽生えます。配信ありがとうございます🙇♀一人でも多くの人が生きる指針を安心して見つけられますように。
日本人として生まれてきたからには本当の日本の歴史が知りたかった。ありがとうございます。
ありがとうございました。
1000年も前から、女流作家がいる奥深い文化を持つ我が国が誇らしいです。ありがとうございます。
田中先生によって源氏物語の価値がわかりました 初めて読んでみたいと思いました
人類に類の無い日本の素晴らしさを、丁寧に紡いで学ぶ事が大切だと改めて思いました。
有難うございます。9Cの小野小町伝説→深草少将の百夜モモヨ通いで思い出す《芍薬:花言葉は恥じらい》の季節、間近ですね。
田中先生のお話をいつも大変楽しみにしております。大変興味深いテーマですね。いつもありがとうございます。欧州在住ですが、90年代に来たばかりのころ、日本人女性は男性の3歩後ろを歩いて、言いなりで可哀想、的なことをフェミニスト的勘違いインテリからたまに言われてました。当時は、???、で反論できませんでしたが、いろいろ学ぶうち、欧州には、進歩史観はあるが、精神の進歩は、大変遅れている、ということに気付きました。西洋的理性、なんて、その弊害(カントの批判)も含め、とっくの昔にわかっていたわけです。まさに、フェミニズムが西洋でうまれたのも、古代ギリシャから続く根強い女性蔑視からだし、「子供が発見」されなければならなかったのも、子供がいかに粗末に扱われていたのか、(女性と子供は奴隷と一緒)ということがわかります。ラテン語は特権階級だけのものだった、マルクスが出たのも、西洋が、カースト制ばりの階級社会だったからですよね。最近は、変なフェミニストには、紫式部のことを話し、西洋では如何に女性や民衆が軽視され奴隷のように扱ってきたか、と諭してやるようにしてます。でも、こうなると、二元論でしかものを考えられない彼らは、「批判的人種理論」やWokeのような極左に走ってしまうんですよね。物事にはグレーゾーンがあるという中庸的な見方が出来る、ということは、精神や思考能力が発達している証拠と思います。日本人は、このような思考形態を、古神道、陰陽道、仏教などから得たのだと思います。先生の、どうぞお身体にお気をつけて、またお話を楽しみにしております。
恋愛小説は男女平等じゃないと生まれない件にハッとさせられました。
私は仏教徒です。私が教わったことですが・・・釈迦は神では無く『悟り』を開いた同じ人であり仏教徒の大先輩だと、そして悟りを開く為に日々修行する・・・心と行いを変えていく事だと教わりました。あと先祖供養と親孝行・感謝をしなさいと・・・ここら辺は『神道』から来てるのかと思います。
1000年前という古い時代に世界に先駆けて文化性の高い文学作品が生まれた理由のひとつとして、大陸内の諸国家・諸地域と比べて日本が島国で平和だったから上流階級の人たちに心の余裕があった、という点が挙げられると思いますがいかがでしょうか?たとえば紫式部の生きていた時代から100数十年後の中国では「靖康の変」という、金と北宋の戦争がありましたが、負けた北宋の上流階級の女性たちが大変悲惨な目にあってますよね。同時期の日本で京都の上流階級の女性たちが同じような悲惨な目にあう可能性はほぼゼロだった。この差は大きいと思います。
今日、義疏の存在を知りました。長らく出家の道を模索してきましたが、最近はここに住んでいることが修行になるのでは、と思い始めていたところです。痛く感じ入りました。ありがとうございます。
紫式部日記によると天皇の行幸で三種の神器運んでいるのは若い女官達ですし普段から女性活躍してる感じですね。産後9日後でも彰子の顔色が悪いことやご飯は円柱形、おかずは少々という当時の食事についても勉強になります。
小説の定義って… それを曖昧にして良いんだったら世界にはいくつももっと古いものが有るだろう
空蝉と光の間を、何往復もさせらている小君(※空蝉の弟)が可哀そうだと思った、与謝野晶子訳の源氏物語の朗読を聞いて。
薛濤や魚玄機など紫式部以前に唐代との有名な女流詩人はいますので、日本以外に一切無いとまではいえない気がします。
同感です。
紫式部(むらさきしちぶ)=紫・7って懐かしい。
隋唐王朝では、圧倒的に漢詩が重視されていたから。小説や物語は・・・・。
どうでもいいのだが、源氏物語は紫式部が書いたものではないのではないなかぁ〜。書ける立場にいなかったはずだが。
与謝野晶子は、現代語訳の源氏物語の巻末において『源氏物語は、前半が紫式部、後半は娘である大弐三位が書いたものと推測できる』と述べてるね。 晶子によると、文体の特徴が異なるらしい。
私には男性的に感じる。男性的なガツガツしたエロさというか、性に対する軽さというか、昔からそう感じられた。
必死になって探しているものは大抵自分の内にあった。小さな人生の経験での中ですが、いつも同じ場所にたどり着く。それは日本という土壌に生まれて育ったからこそだと、先達全てに感謝の念が芽生えます。配信ありがとうございます🙇♀
一人でも多くの人が生きる指針を安心して見つけられますように。
日本人として生まれてきたからには本当の日本の歴史が知りたかった。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
1000年も前から、女流作家がいる奥深い文化を持つ我が国が誇らしいです。ありがとうございます。
田中先生によって源氏物語の価値がわかりました 初めて読んでみたいと思いました
人類に類の無い日本の素晴らしさを、丁寧に紡いで学ぶ事が大切だと改めて思いました。
有難うございます。9Cの小野小町伝説→深草少将の百夜モモヨ通いで思い出す《芍薬:花言葉は恥じらい》の季節、間近ですね。
田中先生のお話をいつも大変楽しみにしております。大変興味深いテーマですね。いつもありがとうございます。欧州在住ですが、90年代に来たばかりのころ、日本人女性は男性の3歩後ろを歩いて、言いなりで可哀想、的なことをフェミニスト的勘違いインテリからたまに言われてました。当時は、???、で反論できませんでしたが、いろいろ学ぶうち、欧州には、進歩史観はあるが、精神の進歩は、大変遅れている、ということに気付きました。西洋的理性、なんて、その弊害(カントの批判)も含め、とっくの昔にわかっていたわけです。まさに、フェミニズムが西洋でうまれたのも、古代ギリシャから続く根強い女性蔑視からだし、「子供が発見」されなければならなかったのも、子供がいかに粗末に扱われていたのか、(女性と子供は奴隷と一緒)ということがわかります。ラテン語は特権階級だけのものだった、マルクスが出たのも、西洋が、カースト制ばりの階級社会だったからですよね。最近は、変なフェミニストには、紫式部のことを話し、西洋では如何に女性や民衆が軽視され奴隷のように扱ってきたか、と諭してやるようにしてます。でも、こうなると、二元論でしかものを考えられない彼らは、「批判的人種理論」やWokeのような極左に走ってしまうんですよね。物事にはグレーゾーンがあるという中庸的な見方が出来る、ということは、精神や思考能力が発達している証拠と思います。日本人は、このような思考形態を、古神道、陰陽道、仏教などから得たのだと思います。先生の、どうぞお身体にお気をつけて、またお話を楽しみにしております。
恋愛小説は男女平等じゃないと生まれない件にハッとさせられました。
私は仏教徒です。私が教わったことですが・・・
釈迦は神では無く『悟り』を開いた同じ人であり仏教徒の大先輩だと、そして悟りを開く為に日々修行する・・・心と行いを変えていく事だと教わりました。
あと先祖供養と親孝行・感謝をしなさいと・・・ここら辺は『神道』から来てるのかと思います。
1000年前という古い時代に世界に先駆けて文化性の高い文学作品が生まれた理由のひとつとして、大陸内の諸国家・諸地域と比べて日本が島国で平和だったから上流階級の人たちに心の余裕があった、という点が挙げられると思いますがいかがでしょうか?
たとえば紫式部の生きていた時代から100数十年後の中国では「靖康の変」という、金と北宋の戦争がありましたが、負けた北宋の上流階級の女性たちが大変悲惨な目にあってますよね。同時期の日本で京都の上流階級の女性たちが同じような悲惨な目にあう可能性はほぼゼロだった。この差は大きいと思います。
今日、義疏の存在を知りました。
長らく出家の道を模索してきましたが、最近はここに住んでいることが修行になるのでは、
と思い始めていたところです。痛く感じ入りました。ありがとうございます。
紫式部日記によると
天皇の行幸で三種の神器運んでいるのは若い女官達ですし
普段から女性活躍してる感じですね。
産後9日後でも彰子の顔色が悪いことや
ご飯は円柱形、おかずは少々という当時の食事についても勉強になります。
小説の定義って… それを曖昧にして良いんだったら世界にはいくつももっと古いものが有るだろう
空蝉と光の間を、何往復も
させらている小君(※空蝉の弟)が
可哀そうだと思った、与謝野晶子訳の源氏物語の朗読を聞いて。
薛濤や魚玄機など紫式部以前に唐代との有名な女流詩人はいますので、日本以外に一切無いとまではいえない気がします。
同感です。
紫式部(むらさきしちぶ)=紫・7って懐かしい。
隋唐王朝では、圧倒的に漢詩が重視されていたから。小説や物語は・・・・。
どうでもいいのだが、源氏物語は紫式部が書いたものではないのではないなかぁ〜。書ける立場にいなかったはずだが。
与謝野晶子は、現代語訳の源氏物語の巻末において
『源氏物語は、前半が紫式部、後半は娘である大弐三位が書いたものと推測できる』と述べてるね。
晶子によると、文体の特徴が
異なるらしい。
私には男性的に感じる。男性的なガツガツしたエロさというか、性に対する軽さというか、昔からそう感じられた。