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ステージに立っているのがやっとの大江さん。涙がとまらないです。
鬼気迫るとはこうゆう事ですね😭スゲエ‼️
言葉がないよ すごい すごい 貴重な記録 痛々しいねありがとう 大江さん もういいよ
Sad .song
何が大江さんを追い詰めていたんですか?
なんだろう・・・大江の調子云々より、このステージそのものの貧相さ(ゴメン)はなんだ?まるでアマチュアバンドなみのセット、レイアウト。PAもいまいち・・・泣きたくなる。怒られるかもしれないけど、これでは花田もギターを投げつけたくなるな・・・
こんばんわ。このコンサートを主宰した100CLUB(後にCAT KIDS CLUB)の岡本です。これはビデオでの映像では判らなくなってしまっていますが、PAは専属オペレーターで総合舞台(後にサウンドメディア)の瀬山昇氏でした。瀬山さんは、ピザの都合で来日出来なかったチャカ・カーンの武道館公演のチーフオペを担当しましたし。後輩のBOOWYが売れてきてから、マイケルが帰国している時などは代打でBOOWY大阪城ホールなどを担当されてました。PAは下手ではありません。録音の問題です。瀬山さんは96年ごろに癌で亡くなられますが、自分の中では日本のロックシーンの黎明期を切り開いたパイオニアだと思っています。セットは、この当時は高知県にはライブハウスが存在しなかっため、本来ならホールライブで無かったものを無理にやっているからです。ただ、照明も、やはり当時のカメラでは充分に撮れていない部分は大きいと思います。そもそもこの映像は、自分が老後の愉しみのために撮影させてもらっていたものを、コンプリートBOXを発売する際に、安藤さんから依頼されて提供したものです。もちろんファンの方は自由に意見を言われるのはOKだと思います。しかし、限られた条件の中で、大好きなバンドのライブを仲間と見たいという熱を持って開催していた側の本来、商品化されて一目に触れる予定の無かったものですのでご理解ください。ちなみに、前年84年のBOOWY四国ツアーの2本のライブ映像も自分が撮影していたから残っています。権利問題がありますので、ブート(たぶん窪川環境改善センターでオープニングアクトをしてくれた当時の高校生バンドの友人たちから流出)で見ることしか出来ないでしょうが。ライブは生で見るものです。ここでは大音量でまた、ビデオ等での再現性がもっとも劣る重低音は聴けないんですよね。
@@岡本曳家 大変申し訳ございません。そういう事情があろうとは・・・失礼いたしました。後期の解散ライブ(1988年の)とか、「ライブ帝国」のビデオ(たぶん1987年)などと見比べての感想でした。大江さんの状態とか、当時のバンド自体の状態を漏れ聞くところによるとかなり悲惨でしたので、そういう事情もあったのかな、とつい乱暴になってしまいました。
いえいえ。瀬山さんは、本当に素晴らしいPAマンでした。用賀にあった瀬山さんの事務所に何度も立ち寄らせて頂きました。伊集院静さんが、薬師丸ひろ子さんのツアーの演出された時も音響監督として参加されていらして。夏目雅子さんのお話などを伺いました。今、コロナで世界中のサウンドマンが苦境に陥ってます。早くライブが普通に見れるようになると良いですよね。ps昨夜、たまたま KERAさんが、新しいアルバムの中でSAD SONGのカバーをされているという記事を読んで、ここに来ました。
KERAさんがSAD SONGのカバーをされてこの曲を自分も知りました。
ステージに立っているのがやっとの大江さん。涙がとまらないです。
鬼気迫るとはこうゆう事ですね😭
スゲエ‼️
言葉がないよ すごい すごい 貴重な記録 痛々しいね
ありがとう 大江さん もういいよ
Sad .song
何が大江さんを追い詰めていたんですか?
なんだろう・・・大江の調子云々より、このステージそのものの貧相さ(ゴメン)はなんだ?
まるでアマチュアバンドなみのセット、レイアウト。PAもいまいち・・・泣きたくなる。
怒られるかもしれないけど、これでは花田もギターを投げつけたくなるな・・・
こんばんわ。
このコンサートを主宰した100CLUB(後にCAT KIDS CLUB)の岡本です。
これはビデオでの映像では判らなくなってしまっていますが、PAは専属オペレーターで総合舞台(後にサウンドメディア)の瀬山昇氏でした。
瀬山さんは、ピザの都合で来日出来なかったチャカ・カーンの武道館公演のチーフオペを担当しましたし。
後輩のBOOWYが売れてきてから、マイケルが帰国している時などは代打でBOOWY大阪城ホールなどを担当されてました。
PAは下手ではありません。録音の問題です。
瀬山さんは96年ごろに癌で亡くなられますが、自分の中では日本のロックシーンの黎明期を切り開いたパイオニアだと思っています。
セットは、この当時は高知県にはライブハウスが存在しなかっため、本来ならホールライブで無かったものを無理にやっているからです。
ただ、照明も、やはり当時のカメラでは充分に撮れていない部分は大きいと思います。
そもそもこの映像は、自分が老後の愉しみのために撮影させてもらっていたものを、コンプリートBOXを発売する際に、安藤さんから依頼されて提供したものです。
もちろんファンの方は自由に意見を言われるのはOKだと思います。
しかし、限られた条件の中で、大好きなバンドのライブを仲間と見たいという熱を持って開催していた側の本来、商品化されて一目に触れる予定の無かったものですのでご理解ください。
ちなみに、前年84年のBOOWY四国ツアーの2本のライブ映像も自分が撮影していたから残っています。
権利問題がありますので、ブート(たぶん窪川環境改善センターでオープニングアクトをしてくれた当時の高校生バンドの友人たちから流出)で見ることしか出来ないでしょうが。
ライブは生で見るものです。
ここでは大音量でまた、ビデオ等での再現性がもっとも劣る重低音は聴けないんですよね。
@@岡本曳家
大変申し訳ございません。そういう事情があろうとは・・・失礼いたしました。
後期の解散ライブ(1988年の)とか、「ライブ帝国」のビデオ(たぶん1987年)などと見比べての感想でした。大江さんの状態とか、当時のバンド自体の状態を漏れ聞くところによるとかなり悲惨でしたので、そういう事情もあったのかな、とつい乱暴になってしまいました。
いえいえ。
瀬山さんは、本当に素晴らしいPAマンでした。
用賀にあった瀬山さんの事務所に何度も立ち寄らせて頂きました。
伊集院静さんが、薬師丸ひろ子さんのツアーの演出された時も音響監督として参加されていらして。
夏目雅子さんのお話などを伺いました。
今、コロナで世界中のサウンドマンが苦境に陥ってます。
早くライブが普通に見れるようになると良いですよね。
ps
昨夜、たまたま KERAさんが、新しいアルバムの中でSAD SONGのカバーをされているという記事を読んで、ここに来ました。
KERAさんがSAD SONGのカバーをされてこの曲を自分も知りました。