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出会いが素敵すぎて泣けた
凄く良い哲学定義の話だったのに、奥さまとの馴れ初め話でホッコリしちゃって全部忘れかけたじゃないですかwwいやー素晴らしいですね!
鷲田さんがいつかのインタビューで「みんなが哲学者じゃなきゃ困るんですよ」って仰ってたのが印象的でした。
かなり動画視聴していますが、この回は結構な大当たり回です
哲学とは何かと問われれば、気取って答えるなら「概念のアートである」とでも答えましょうか。普通に答えるなら、「考えることを考える」つまり「メタ思考」のようなものです、とか。たとえば、「哲学とはなにか?」と問うこと自体、ある種の思考の枠組みの中で行われている問いだといえると思います。つまり、哲学とは何かと哲学を定義しようということでしょうから、「演繹」という思考方法に分類されると考えられます。デカルトやスピノザや古くはユークリッドなどがよく用いた思考方法ですね。哲学とは何かを定義しておいて、そこからいろいろな命題をたててそれを証明していくというような。哲学が正確に定義できるなら、かなりの正確さで哲学に関する一連の問題に答えを出すことができる。あるいは、「哲学はなんの役にたつのか?」という問いもあるでしょう。これは、功利主義的な、あるいは実用主義的な問いといえるでしょう。これは、ベンサムやミル、ジェームズやデューイなどの名があがります。役に立つことを中心に、あるいは梃子にしてものごとを考える。役に立つか立たないか、役に立つならどのように役に立つのか、などいろいろ考えることができます。あるいは、「哲学はなんのためにあるのか?」という問いは、目的論的な思考といってもいいんじゃないでしょうか。人間はいろいろなものを目的によって考えようとする習性があるといっていいと思います。これは、古くアリストテレスなどが言ってますね。実際は、ものごとに特段の「目的」など無い場合も多いわけですが、なぜか目的を見いだそうとする。たとえば、人間という存在についても、その人生についても「目的」など無くてもかまわないわけですが、なぜかそこに相当の情熱をもって目的を見いだそうとする。おそらく生きる上で目的的な思考をするなんらかの特別な意味や作用があったりするんだろうと考えられます。以上のようなことが、「メタ思考」の例と言ってもいいかと思います。こうして、思考の原理や機能や構造やクセや習性などを分析していきます。これは、一般には認識論といってもいいようなもので、その本家としてはなんといってもカントがあげられるでしょう。カント以降も現象学やら分析哲学やらいろいろあると思いますが。私としては、哲学といえば認識論ではないかという思いはありますが、世の中にはそれ以外の哲学と呼ばれるようなものも結構ありますね。たとえば、存在論。存在の意味を問うなどと言われますが、実際は存在とは「神」のことだったりするので、私としては信仰の一種ではないかと疑っています。しかし、信仰であるがゆえに認識論より上位に置かれたりもする。中世には哲学より神学の方が上位に置かれたようなかんじで。形而上学も同じような感じで、近代以前は哲学も形而上学も区別がつかない感じでしたが、近代以降、哲学から形而上学成分が抽出・排除され、哲学は科学に接近したりもしましたね。それが、認識論ということもいえるかと思います。しかし、人間の性(さが)としては、認識論では味気なさすぎる。それで20世紀になって哲学に存在論を復活させたのがハイデガーということなんでしょうね。などと、ダラダラ行きそうな感じなので、話を戻すと哲学の特徴としてあげられるのは概念を使うということでしょう。アウトプットするものとしては、概ね、言葉が主になると思いますので。もちろん、アウトプットが何かの記号だったり文学だったり音楽だったり絵画だったり運動だったり何かの行為だったりしてもいいわけですが、そういったものの根っこにも「概念的」なものは存在すると思えるんですよね。そして概念と概念を組み合わせて何かしら別の概念をつくる。そういう作業を延々と続けていくのが哲学なんだと思います。それが、「概念のアート」の意味ですが。それは、一種の情報処理ともいえると思います。だから、哲学は人間のものだけとは限らない。虫の哲学や動物の哲学があってもかまわない。場合によっては無生物の哲学だって考えられないこともない。とくに最近ホットなのは、人工知能の哲学ですね。人間とは違う脳や身体をもった人工知能がどのような哲学を生み出すのか、楽しみですね。
「宗教」「哲学」「思想」の関係。「宗教」は物事の答えを与えるもの。「哲学」は物事を捉え考える上での方法や軸となるもの、もしくはそれらを使って物事を考えること。「思想」は哲学や宗教などを包括するもの、もしくはそれらから生じる考え方全般。(ただし、宗教と哲学の境界部分は曖昧だったりもする)って感じかなと考えています。
漠然と哲学について「生きることに負けないための学問」のようなぼんやりと思っていたのですが、他の人の「哲学とはなにか」を知ることができて参考になりました!偶然再会した同級生と結婚というのは人生なにが起こるかわからないですね!
結局、女性って3年で結果(結婚、妊娠、出産)がでないとさっさと次の男を見つけにいっちゃうんですよね。😅恋愛市場とはよく言ったものです。女性にとって恋愛はスポーツや勝負事の世界と似ていると思います。肉体的に現役でいられる期間が男より短いので結果や報酬がイマイチならチームを移籍するのは当たり前。男は恋愛のアマチュアで女は恋愛のプロだと思います。
奥様との出会い、素敵だと思う一方で、不思議な話しですね。お話し面白かったです。個人的な話しで恐縮ですが、私の母方は代々神主の家系(小さな神社です。)の為か、母はガチガチの信仰至上主義的な性格です。「宗教」、「信仰」と聞くとかつては酷く抵抗がありました。また、母親に言いくるめられのが嫌で、「哲学」を知る事で、いわば理論武装しようとしていたのかなと感じたりします。ですが、「哲学」は相手を論破したり、意思を強要するのモノではないとようやく感じられる様になってきたのかなと思います。多分、「哲学」と「思想」の差ではないかと感じたりします。実社会では答えの出ない事の方が遥かに多いですよね、そういった際に「哲学」の示す考え続ける姿勢や哲学者達のアプローチは有用なのだと感じますね。
相手に逃げられた話わろた😂デートの途中で構造主義とか語り出したんかな?w
お久しぶりです❤そいつら🤣からの35億分の1️⃣🥳💘🥰ごちそうさまでした😋❤お幸せに😉❤
人類がみな哲学者なわけないです。哲学以外に救いを求めて充足してる人はそもそも哲学を必要としてない人なので、哲学と無関係な人じゃないですか。そんな無関係者も哲学者だと言わなくていいと思います。哲学がほんとに必要な人は、哲学って何かとか聞かないです。聞いてくる人には、今のあなたには必要ないですよと、言ってあげるのが正しい対応だと思います。
大変恐縮なのですが、質問させて下さい。「哲学と無関係ならば、哲学者ではない」とするならば、まず哲学とは何かを定義付けしなければ、無関係かどうかについて迫る事が出来ないのではないかって思ってしまいまして。哲学の事がまだ詳しくないので、ご教授お願いします。
「Aと無関係ならば、A者ではない。」なので、Aに定義は必要無いと思います。あえて言うなら、AはAなんです。ただ、AとA者は、Aつながりで、無関係とは言えないということです。
「無自覚に足りている(関係はあるが必要はない)」「何が足りないかわからない」サムネの文言は、あなたのコメントで除外されているこういった要素を考慮した上でのものだと思いますよ
@@chawabuntaなるほどですね。サブネに対するコメントと倫社の先生に対するコメントは、別物で、繋がりは無いです。その上で、chawabuntaさんが言うとうりだとしたら、サブネは誇大だと思います。
@@akiraooq8498文章がよくわかりません、というより、酔ってますか?
出会いが素敵すぎて泣けた
凄く良い哲学定義の話だったのに、奥さまとの馴れ初め話でホッコリしちゃって全部忘れかけたじゃないですかww
いやー素晴らしいですね!
鷲田さんがいつかのインタビューで「みんなが哲学者じゃなきゃ困るんですよ」って仰ってたのが印象的でした。
かなり動画視聴していますが、この回は結構な大当たり回です
哲学とは何かと問われれば、気取って答えるなら「概念のアートである」とでも答えましょうか。普通に答えるなら、「考えることを考える」つまり「メタ思考」のようなものです、とか。
たとえば、「哲学とはなにか?」と問うこと自体、ある種の思考の枠組みの中で行われている問いだといえると思います。
つまり、哲学とは何かと哲学を定義しようということでしょうから、「演繹」という思考方法に分類されると考えられます。デカルトやスピノザや古くはユークリッドなどがよく用いた思考方法ですね。哲学とは何かを定義しておいて、そこからいろいろな命題をたててそれを証明していくというような。哲学が正確に定義できるなら、かなりの正確さで哲学に関する一連の問題に答えを出すことができる。
あるいは、「哲学はなんの役にたつのか?」という問いもあるでしょう。これは、功利主義的な、あるいは実用主義的な問いといえるでしょう。これは、ベンサムやミル、ジェームズやデューイなどの名があがります。役に立つことを中心に、あるいは梃子にしてものごとを考える。役に立つか立たないか、役に立つならどのように役に立つのか、などいろいろ考えることができます。
あるいは、「哲学はなんのためにあるのか?」という問いは、目的論的な思考といってもいいんじゃないでしょうか。人間はいろいろなものを目的によって考えようとする習性があるといっていいと思います。これは、古くアリストテレスなどが言ってますね。実際は、ものごとに特段の「目的」など無い場合も多いわけですが、なぜか目的を見いだそうとする。たとえば、人間という存在についても、その人生についても「目的」など無くてもかまわないわけですが、なぜかそこに相当の情熱をもって目的を見いだそうとする。
おそらく生きる上で目的的な思考をするなんらかの特別な意味や作用があったりするんだろうと考えられます。
以上のようなことが、「メタ思考」の例と言ってもいいかと思います。
こうして、思考の原理や機能や構造やクセや習性などを分析していきます。これは、一般には認識論といってもいいようなもので、その本家としてはなんといってもカントがあげられるでしょう。カント以降も現象学やら分析哲学やらいろいろあると思いますが。
私としては、哲学といえば認識論ではないかという思いはありますが、世の中にはそれ以外の哲学と呼ばれるようなものも結構ありますね。
たとえば、存在論。存在の意味を問うなどと言われますが、実際は存在とは「神」のことだったりするので、私としては信仰の一種ではないかと疑っています。しかし、信仰であるがゆえに認識論より上位に置かれたりもする。中世には哲学より神学の方が上位に置かれたようなかんじで。
形而上学も同じような感じで、近代以前は哲学も形而上学も区別がつかない感じでしたが、近代以降、哲学から形而上学成分が抽出・排除され、哲学は科学に接近したりもしましたね。それが、認識論ということもいえるかと思います。
しかし、人間の性(さが)としては、認識論では味気なさすぎる。それで20世紀になって哲学に存在論を復活させたのがハイデガーということなんでしょうね。
などと、ダラダラ行きそうな感じなので、話を戻すと哲学の特徴としてあげられるのは概念を使うということでしょう。アウトプットするものとしては、概ね、言葉が主になると思いますので。もちろん、アウトプットが何かの記号だったり文学だったり音楽だったり絵画だったり運動だったり何かの行為だったりしてもいいわけですが、そういったものの根っこにも「概念的」なものは存在すると思えるんですよね。
そして概念と概念を組み合わせて何かしら別の概念をつくる。そういう作業を延々と続けていくのが哲学なんだと思います。それが、「概念のアート」の意味ですが。
それは、一種の情報処理ともいえると思います。だから、哲学は人間のものだけとは限らない。虫の哲学や動物の哲学があってもかまわない。場合によっては無生物の哲学だって考えられないこともない。とくに最近ホットなのは、人工知能の哲学ですね。
人間とは違う脳や身体をもった人工知能がどのような哲学を生み出すのか、楽しみですね。
「宗教」「哲学」「思想」の関係。「宗教」は物事の答えを与えるもの。「哲学」は物事を捉え考える上での方法や軸となるもの、もしくはそれらを使って物事を考えること。「思想」は哲学や宗教などを包括するもの、もしくはそれらから生じる考え方全般。(ただし、宗教と哲学の境界部分は曖昧だったりもする)
って感じかなと考えています。
漠然と哲学について「生きることに負けないための学問」のようなぼんやりと思っていたのですが、他の人の「哲学とはなにか」を知ることができて参考になりました!
偶然再会した同級生と結婚というのは人生なにが起こるかわからないですね!
結局、女性って3年で結果(結婚、妊娠、出産)がでないとさっさと次の男を見つけにいっちゃうんですよね。😅恋愛市場とはよく言ったものです。
女性にとって恋愛はスポーツや勝負事の世界と似ていると思います。肉体的に現役でいられる期間が男より短いので結果や報酬がイマイチならチームを移籍するのは当たり前。
男は恋愛のアマチュアで女は恋愛のプロだと思います。
奥様との出会い、素敵だと思う一方で、不思議な話しですね。お話し面白かったです。個人的な話しで恐縮ですが、私の母方は代々神主の家系(小さな神社です。)の為か、母はガチガチの信仰至上主義的な性格です。「宗教」、「信仰」と聞くとかつては酷く抵抗がありました。また、母親に言いくるめられのが嫌で、「哲学」を知る事で、いわば理論武装しようとしていたのかなと感じたりします。ですが、「哲学」は相手を論破したり、意思を強要するのモノではないとようやく感じられる様になってきたのかなと思います。多分、「哲学」と「思想」の差ではないかと感じたりします。実社会では答えの出ない事の方が遥かに多いですよね、そういった際に「哲学」の示す考え続ける姿勢や哲学者達のアプローチは有用なのだと感じますね。
相手に逃げられた話わろた😂デートの途中で構造主義とか語り出したんかな?w
お久しぶりです❤そいつら🤣からの35億分の1️⃣🥳💘🥰ごちそうさまでした😋❤お幸せに😉❤
人類がみな哲学者なわけないです。哲学以外に救いを求めて充足してる人はそもそも哲学を必要としてない人なので、哲学と無関係な人じゃ
ないですか。そんな無関係者も哲学者だと言わなくていいと思います。哲学がほんとに必要な人は、哲学って何かとか聞かないです。聞いてくる人には、今のあなたには必要ないですよと、言ってあげるのが正しい対応だと思います。
大変恐縮なのですが、質問させて下さい。
「哲学と無関係ならば、哲学者ではない」とするならば、まず哲学とは何かを定義付けしなければ、無関係かどうかについて迫る事が出来ないのではないかって思ってしまいまして。
哲学の事がまだ詳しくないので、ご教授お願いします。
「Aと無関係ならば、A者ではない。」なので、Aに定義は必要無いと思います。あえて言うなら、AはAなんです。ただ、AとA者は、Aつながりで、無関係とは言えないということです。
「無自覚に足りている(関係はあるが必要はない)」
「何が足りないかわからない」
サムネの文言は、あなたのコメントで除外されているこういった要素を考慮した上でのものだと思いますよ
@@chawabunta
なるほどですね。サブネに対するコメントと倫社の先生に対するコメントは、別物で、繋がりは無いです。その上で、chawabunta
さんが言うとうりだとしたら、サブネは誇大だと思います。
@@akiraooq8498
文章がよくわかりません、というより、酔ってますか?