Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
二宮金次郎がナスを食べた時にその時期の味が違う事に気付き、畑を調べたら少し枯れていた事から飢饉が来るって予想して出来るだけ早く食料を貯蔵しておいてその村ではあまり餓死者は出なかったらしい。
気候変動、天変地異を土で察するとかなろう系主人公かな
金次郎「ペロ・・・これは飢饉の予兆!!」
@@eeewo33329 コナン君?
青酸カリ!?
やっぱ誰もが知ってるような凄い人ってレベルが違うんだなぁ
餓死で最も苦しいのは最初から食べずに死ぬより、最初は備蓄があり、段々と食糧が減って緩やかに衰弱する方だそうです。長ければ長いほど地獄の苦しみを受ける様はまさに生き地獄と相応しいですね。
兵糧攻めですね。
なるほど…。
個人の備蓄も苦しみが長く為るだけって事で良いのでしょうか?
@@クマのプー太郎-y9p 極端スギィ。今は輸送網が発達してるから地球規模の災害じゃない限り大丈夫。
@@スピファ信者 戦争状態なら?
大震災のときに日本人のマナーがいいとかいろいろ言われてたけど学者の先生がマナーの問題じゃなくて今の日本はインフラがしっかりしてるから極限状況に追い込まれてないだけっていってた。
避難所では喧嘩とかイジメとか色々起きてたみたいだけどね
それに人口が少ない国土もそこまで広大ではない流通が麻痺したとしても修復は比較的容易人口が多く国土は無駄に広大でインフラは破壊され何も入って来ないそこで野草や樹木に土(!)まで食しいよいよ何も無い…おやっ!そこに「二足歩行する羊さん」が居ますねとなる
@@kuritamobiletruth 馬鹿は傾向の話をしてる事が分からない
数日耐えればどうにかこうにか支援が来るって信じられるから、その間を極力平穏に乗り切ろうと頑張れるんやろうな。いつ食えるようになるか分からないままだったらパニックになっていくわけか。
避難所でのうんぬんはデマだぞ。我慢して居る所じゃないからな。
江戸時代はプチ氷河期とも言われまして、相当に寒かったんだと思います。日本に限らず気候変動が歴史を動かすことは多いです。税が米納であることも寒冷地に不利にはたらいた要因だったかと。
ロシアで○兵器を使用した可能性。(一日一食 OMAD エンドウ)RUclips 世界的気温低下 あくまでも説
フランスでも飢饉で国民の間でカニバリズムが蔓延。ルイ16世が権力者達から税を徴収しようとしたけど、猛反発を受けて失敗。自分達が飢えてるのに上流階級が豊かな暮らしをしてるとして平民ブチギレ。ルイとアントワネットは巻き添えで処刑。よく日本は無血開城ですんだもんだ。
江戸時代は寒くて、冬には江戸の隅田川が凍るほどでしたから
江戸時代は寒いイメージあったけどガチで寒かったんや
@@ネギトロー ルイとアントワネット、特に後者はほんっとうに長い年月風評被害と言うか、デマゴーグ被害に遭ってた歴史の人物だと思うよな。今でも思い違いしてる人多い気はするけど。「パンが無ければ~」とか書かれたその本が出た頃、アントワネットさんは9歳くらいじゃい!
アイヌが食物を高倉にこれでもかと保存するのは「戦争が起きたら安全な場所に逃げる事ができる。恐ろしいのは飢饉だ」と言う事で、越冬に必要な量以上に保存食を備蓄するんだそうです。この享保や天明の大飢饉とかも影響があったと思っている。
まぁとにかく準備のしすぎってことはないからな
ほー。👀
@kazuto kohara 怖いですねぇ。😧
ヒンナヒンナ・・
現代の人の心が豊かなのは食べ物があるからっていう大前提があるからなのかなあって。
まじでそれなんだよな
中村哲さんも「食べ物が無いから戦争が起きる」みたいな事言ってた希ガス
日清食品の百福社長も同様のことを。
人工爆発したらどうなるんかな?日本は減り続けてるからまあ大丈夫なんだろうけど
@@半ダム-v1f 日本は減ってても世界では増えてんのよ
こんな時代を生き抜いた先祖がいんのに俺の代で終わっちまうよ😢
俺も
わたしもやで(レズだから)
先祖「百合ktkr」
ミームを伝えていこうな
@@Mint-Bomb 泣いた
当たり前のように「人=食べ物」って認識になってる事自体が恐ろしい比較的平和な江戸時代ですらこんな事があったんだから現代に生まれたことに感謝しかない
今はものが溢れてるから何か強烈な飢餓感に襲われて口に何かを衝動的に放り込みたくなっても、人食べれるかな?ってなる前に、観葉植物食えるかな?とか石鹸食えるかな?って色々クッションがあるけど、昔みたいに有機物がほとんど周りにないとやっぱり空腹を満たせそうなものは人だ。ってなるんだろうね。
この時代に生まれたってだけで宝くじに当たる以上の幸運なんだな
@@いちごミルク-d7v 人類史史上最高の幸せ者ですねこれは....
宝くじで外れてしまった人達の分も俺たちが頑張らないとな
@@いちごミルク-d7v 戦後かなりいい時代だよね、コロナ無ければね。
@@ちゃふ-d9w なお実際は日本生まれをいいことに他国を嘲笑する輩ばかりの模様
@@zionpark0803 なんで嘲笑うって言葉が出るのか不思議です
衣食足りて礼節を知る。。。
孟子ですね。
そうなんよなー めっちゃわかるわ足りてなかったら動物だよな
『管子』「牧民篇」にある「倉廩實知礼節、衣食足而知榮辱(倉の食物が一杯になれば、礼儀や節度を知り、衣食が足りたなら、誉れと恥を知る)」 が元ネタです。
身を美しく、で「躾」
@χρυσομηλιά もはや別種の種族だろ
家の前に昔からある天明の飢饉の石碑がありますが表面を削られて読めない状態です。当初は子供のいたずらでこうなったと思っていましたが、もしかしたら大人が恥だからと削ったかもしれませんね。
俺らの先祖は飢饉を生き抜いたタフ野郎だ
昔は自然災害も多く飢饉が多かったこの動画の天明の飢饉の後も飢饉は続く。この天明の飢饉の数十年後、再び天保の飢饉1833年(天保4年)~1839年(天保10年)が発生する。関東,東北地方で大風雨,洪水,冷害,疫病等で死者20~30万人、被災者は70万人を超えた。江戸時代265年の間に起きた冷害・旱魃・水害などの異常気象や害虫の異常発生、病害、火山噴火などでの凶作の飢饉は35回あった。
@@fivepointedstar196 マジか…そんな大変な時代を乗り越えてくれたご先祖様がいるから今があるんやなご先祖様には感謝しかないで
先祖のことタフ野郎とか言ってて草
違う。天明の大飢饉とは関係なかった人が生きてただけ。
@@浜辺美波ですよ それなw
某ゲームでも主人公が「3日も食わずにいたら愛国心なんて速攻消え失せちまう」と言うほど飢餓は精神に大きな影響を与えるからな。
気になってyahoo検索しましたが出てこなくって。何のゲームか教えていただけませんか🙏サクナヒメではないですか?
@@カンジャンケジャン-p4t Days Gone(PS4・PC)パンデミックで文明崩壊したアメリカのオレゴン州が舞台のオープンワールドゲーム。主人公のディーコンがコープランドというキャラのラジオ放送に文句言っているシーン。ゲームのかなり初期に聴ける。
@@junichiyamamoto8330 詳しくありがとうございます!
兵隊は飢餓と、マラリアと、連合国軍と戦ってるというのに、「兵隊はその辺の草食っとけ」と、言い放つ大本営参謀。
ダイエットで3日間全く食べないことはザラにあるけど全然、そんな感じはしないな。まあ、ガリガリに痩せていればまた違うんだろうけど
非常におぞましい内容ではありましたが、そんな生き地獄の中からでも繋いでくれた生命のお陰で今日の我々がいると思うと、感謝と哀悼の念を覚えずにはいられませんね。天明年間を生き抜いた、また生き残れなかったご先祖さますべてに合掌です!非常に大切なご教示をありがとうございました!
吉宗の時にサツマイモの栽培が奨励されましたが、サツマイモは東北地方(特に青森など被害の多かった南部藩の領内では)寒すぎて育たないこの時にジャガイモも日本に来てはいたんですが、当時はそれほど重視されなかった この数回の飢饉を経て、日本でもジャガイモの栽培が始まったもよう
ぶっちゃけ、享保の飢饉は西日本被害、江戸の米は東日本が主体だったので、東北から米集めて西日本に送れた天明は東北が大被害で、幕府には送る米がない
そういうことだったんですか。長年の疑問が解けました。
ジャガイモは西日本での定植は難しいのではないか?もちろん栽培は出来るのだが、ジャガイモの場合はウィルス病があってさ感染したジャガイモを植えたらほとんど収穫は出来なくなる北海道などの寒冷地の場合はウィルスを媒介する虫が存在しないから、そこで採取したジャガイモなら種芋として使えるが西日本の場合は現在では、種芋を購入して栽培しても、そこから種芋を取る事は感染のリスクから行われないのだよまあ、江戸時代にそのウィルスが日本に入り込んでいたかどうかはさすがに知らないけど
江戸時代後期に蘭学者グループの尚歯会で日本画家で有名な田原藩家老の渡辺崋山が高野長英のアドバイスを受けて田原藩にジャガイモを栽培した結果、天保の大飢饉で田原藩では餓死者は出なかった。
@@73moto 尚、高野長英は蛮社の獄で幕府に殺された模様。流石、日本人ですわ
東北地方をルーツにもつ母は俺が落ち込んだりするとよく鷹山公の話をして「人間出来んことはない、成せばなるだよ」と励ましてくれたな鷹山公の教えはいまだに山形に色濃く残ってるよね
ルーツが東北かはわからないけど、鷹山公尊敬します〜 山形までお参りに行きました〜
地元の者です。みなさん、綺麗な話しか知りませんが、その言葉の裏にはたくさんの人が苦しんだ事実があります。
@@クローバー-h6l様 他の動画では、地元の方々が酷い目に遭ったという話が出ていました。 いろんな方向から情報を集めないと正確な史実を理解できないと痛感しているところです。
自分の地元は岩手のなのですが、祖母宅は岩手県九戸郡にあり、墓参りの際に行った古い寺に古い飢饉の碑がありました。遠野市にも飢饉の飢饉の碑があります。今衣食住があるのって幸せな事ですね。
縄文時代は東北の方の巨大な部落が千年以上栄えてたらしいのに、稲作文化に成ったら千年と持たずに大飢饉って単なる偶然でしょうか?
@@クマのプー太郎-y9p 偶然というか土地が適してなかったんやろ
@@ところで私のコンタクト知らん 米作の北限付近だから小氷期は北限が南下するだけそれで凶作で飢饉が起きやすくなる
遠野のは、五百羅漢の所あたりにありますね。だいぶ線彫が薄くなったですけどその線が消えた時には極楽往生していて欲しいです。
@@クマのプー太郎-y9p 一口に東北と言っても日本海側の津軽や秋田は天候が良ければ米が獲れるのですが、太平洋側の岩手や八戸は夏場に冷たいヤマセが吹くため農業が発展していない昔は元々米が育たない土地だったのですそこで大昔は粟やヒエを作って食べていたのですが、年貢の制度が出来て育たない土地で稲作を行わなくてはならなくなり、より貧しくなったという訳ですね
餓死ってお腹が空いて意識がボーっとしてそのまま亡くなるんだと思ってた…痛いのはイヤやなぁ…怖いなぁ…
怖いなぁ…怖いなぁ…
その時パッ!と振り向いたんですよ
あるんですねえこんな事って…
意識がこうフーッとね…
これへーって話ですよねぇ…
飢餓の酷かった地域出身ですが、子供の頃校外学習でこの飢餓で残忍なカニバリズムが行われていた事を教えられ軽くトラウマになりました。赤ちゃん、子供、じいさん・ばあさん弱い者から食われてったと...。
NHKでさっき天明の打ちこわしが放送されて、天明の大飢饉がどんなものかを詳しく知りたくて、レイマリによるゆっくり解説を見たのです。大変勉強になりました。BSプレミアムの英雄たちの選択の番組です。
『動物』としての本来の姿だよね。食い物も住む場所も当たり前みたいに確保されている我々の方が自然界ではよほど異常なのさ
たしかに
こんな話が今残ってるのがすごい
マシな方のエピソードでもエグい
自分相馬地方出身なんですが自分たちのご先祖たちがこんなに大変だったなんで知りませんでしたょ勉強になりました
自分も相馬出身です!
『異常な状況では異常な反応をすることが正常なのだ』とは、よく言ったものだ。フランクル博士の『夜と霧』より。
人類の歴史の中でそんなに昔の話じゃないのが怖い
自分の先祖もこんな中を生き抜いてきたのかと思うと自分がどれだけ甘えた人間かって...
時代が時代だから平和な今では甘えて問題ないと思う
共食いによる異常プリオン感染でのプリオン病の類はもっと潜伏期間が長く、実際亡くなった人がその感染源だったかといえば疑問なので、実際はプリオン病ではなくて栄養失調(脚気など)や他の感染症だったんだと思います。人を食うなら虫やらカエルやらも口に入れてるでしょうし、寄生虫でも腫れ物が全身にできるものがあるので。衛生状態に気を遣える状態じゃなかったでしょうし、その知識もどの程度かわからない。あちこち死んでるならハエも湧くし、本当に地獄のような状況だったでしょうね。
八戸生まれのアラフィフですが、私達が学生の頃は郷土の歴史で昔は餓死者の肉を食べて命を繋いでいたと習いましたし、道に人が大勢倒れていて死体を食べている人達もいる当時の絵なども何点も資料集で見ましたまた、祖父母の代だと人肉を食べていた世代の人から直接話を聞いていたりして、死体を食べた人は早く死ぬというのは無いのではないかと思います。寧ろ死肉を食べていたから全滅しなかったと認識していました私達の世代は普通に習っていた事がタブー視され歴史が正しく伝わらなくなっていく事に歯痒さを感じます
@@noz194 「人肉なんかを喰ったからだ」というイメージがどうしても先行するのでしょうね。共食いを防ぐためにも必要な感覚ではあるのでしょうが。肉は肉ですのでそれなりの栄養はあったのでしょう。栄養素などの言葉や薬もなかった時代、死ぬ要素など他にも山ほどあったのに。
少量ならセーフなんかね
@@たき-f3mセーフとは思いますが、血を介して肝炎などの病気もうつる可能性もあるので口にするべきではないと思われます
私は相馬市の山を越えた盆地の出身ですが、子供のころに遠い昔にひどい飢饉があって人肉食をせざるをえない時代があったと聞いたことがあります。もしかしたらそれは天明の飢饉の事だったのかもしれない……。
生まれる時代が今でよかった、、、
前世はその時代に生きてたかもよ?
餓死とコロナ😁どっちがいい?
令和の未来の日本だよ笑
こういうことを振り返ってみると、神への祈りって時代が遡るほど真摯なものだったんだろうなって思う機械もない時代、人の力だけで土を耕して稲植えて、水を通す為の整地なんかもして自然との真っ向勝負だから、今日は良くても明日何が起こるか分からない。無事に稲穂が立っても、翌日嵐が来て流されてしまえば、苗植えからの数ヶ月間が全て無になってしまう。雨が多すぎてもいけないし、日が照りすぎてもいけない半年近くもの間、日々が賭けみたいなもので、しかもそこに人の命が直結してるんだもの
わかりみが深い
東北地方は江戸で高く売れる米を無理に作ろうとしたので、冷害などが起こればすぐに食糧不足になる。吉宗の頃に年貢率が厳しくなり、田沼時代で経済優先になってしまって、どこの藩も米を売ろうと躍起になり最期は自分たちの領民などの大量死につながる。田沼意次と松平定信はセットで語られることが多いですが、どちらも一長一短ですね。※今回の動画は田沼に対して厳しめですが
その反省から貨幣主流の経済へと移行したらしいからね。そして商人の力がよくも悪くも強くなっていく。
「いただきます」と「ごちそうさまでした」の有り難みが増す動画
前者はあくまで生物に対してでは?
なんかこういうこと書かないと殺されるデスゲームでもやってるの?
ほんと腹立つコメントだなこれ
日本史を選択してないからもう勉強することはないけど、今までで一番興味を持てました!また学び直そうかな
昔読んだ小説に、主人公が精神世界で極限の飢えを疑似体験するってシーンがあって、そこで自分が気付かないうちに自分の指を食べちゃって、その事にハッと気付いた時、異常な行動をとったショックなんかより、流れる血を見て飲まなきゃ勿体ないって考えが浮かんだ。って描写があったのを思い出した
痛みはどこにいったの?
多分リゼロの4章のシーンだね
青森に人肉食を記念した石碑(後に削られる)ができたときの飢饉か
学校の授業で飢饉の話が好きな先生が多くて、農民が飢えても武士は普通に暮らしてたって何度も言ってたのをよく覚えてる。それも結局真実かどうかは判らない。
この時期に普通に暮らせる武士はかなりの上流細々と暮らしてる下級武士は農民と同じように死んでいった
やっぱ鷹山公は偉大なんやなって
そうですよね。政治家としても経営者としても、先見の明があり公平性があり尊敬する人の一人です。
@@MCCDY175 ありがとうございます。山形県は米沢市の奇妙にも見える生垣食の文化もこの飢饉を乗り切るための鷹山公の機転でしたかね。
@@Kenkenbytiruno 様そうですね。そうやって植えた生け垣や、野山の草本の食べ方をまとめた「かてもの」という本まで出版して普及しました。
@@Kenkenbytiruno 「生垣食」とは、「ウコギ」のことですね。幹や枝にトゲがあるので防犯の役目があるし、新芽を摘んでおひたしや天ぷらにすると美味しいです。
@@toyo-rex4899 うどやタラの芽もウコギ科
アンデス山脈の聖贄とかいうのを思い出した。人間って食うものがなくなったらなんでも食うんだな。動物になる。
まあ石器時代とか死者を悼んで食べたりしてたしな
どこかで見たんだが、人間の脳ってのは内側は他の動物とほぼ一緒なんだそうだ。つまり人間の人間たらしめているのは大脳皮質っていう外側だけで本質は獣と変わらんのだろうね
@@tyouseitounyuu まあ元々人間は動物やね。
中学の時は天明の飢饉っていう単語だけ覚えさせられたけどこんなに酷かったなんて
俺も覚えさせられたけど、それだけ大変な物事だったってことさ。
日本史の授業で学んで気になっていたので助かります。ありがとうございます。
「衣食足りて礼節を知る」とは言うけど、本当に極限の状況になったら仏が鬼になることもザラなんだろうなあ・・・
48時間水だけ断食したら胃痛汗書きまくり頭痛でやばかったわ
それ好転反応
多分普段フルに使ってた臓器が休まって、好転反応がおきたのかな?(無知)
2日でここまでなるか?
@@女装剤 二日間水を飲まない日がないからわかんねぇや
@@user-zh2fk9vo1u 水だけ断食って水だけ飲んで食いものは食わないってものやで
これを耐え抜いた祖先すごいな
食べたいときに好きなものが食べれて空腹に困らない今に感謝ですな(´・ω・`)
本当に! ビール飲みながら観てます〜 失礼します〜
年間何百万トンもの食品ロスが出てる現代、タイムマシンかなんかで過去に送れればなぁと思う
@@月亭ほうせいさん 缶詰とかパスタ、お米等は廃棄せずに困ってるとこに送れないのですかねー?
その「今」も10年後か20年後には塗り替えられるような気がしてならないです。
中学のとき社会の先生に授業のわからんとこ話聞き行ったときにこれについて詳しく教えてくれた。昔の人は凄い。今、たらふくご飯が食べれることに本当に感謝しなければならない
どっかの石碑に飢饉のことが書かれてたけど共食いしたところだけ削られてるとこあったよね
こんばんは!今の現代では食べ物に恵まれておりますが、万が一飢餓状態になってしまったら思考が狂い理性を失うと思います。最も食べる事が生きる事に対して重要な事がよく解ります。配信ありがとうございました!
日本は食糧のほとんどが輸入に頼っていると言う事をお忘れなく!
田沼と松平では比較ができない。田沼は日本全国を見て行動する必要があったけど、松平は自分の藩民が餓死しなければいいからいい。要は他藩が餓死者でても知らないから、自分の藩に米を買い入れたということ。一方、田沼は重商主義の観点からこの対策に乗り出たけど、既得権を持つ他の大名・旗本の反対にあって対策が取れなかった。
実際たった一年で「白河の清き流れに魚住まず、濁れる田沼今や恋しき」と狂歌が流行ることに理想主義者の定信の方が市長クラスの能力だったと思います
地方では名士だった人に国を任せたら大変な事になった典型的例だもな。どんな人間だって失敗はあるし、全ての人間を救うのは無理。失敗したから無能、成功したから有能の二元論は危険。
津軽地方在住です。よく飢餓がどうこうと書いてある石碑を見ます。怖いなぁと思いつつ、先祖が生き延びてくれたから自分も今こうして生きているんだと実感もしますね
米が純粋な食糧ではなくて実質上の金銭として流通していたので金融の影響を受けてしまうという面もありましたね。今年飢饉だから商人に支払い待ってもらうとはならず、米価上昇=インフレだから借金は今こそ返そうという発想になってしまう・・・
スタグフレーションかな取れる量は少ないのに税だけは上がって物価が上がり続けるという負の連鎖
今パン食べながら聞いてるけど、改めて食に感謝しないとなって思った。パンありがとう
パン『気にすんな』
パン「お前が美味しそうに食べてるだけで俺は幸せだよ」
パン「さあ、お顔をお食べ」
パンイケメンすぎわろたw
飢えの苦しみは実際飢えた者にしかわからない
東北は麦を作るべきだったのに、麦は金にならないから米作をさせたっていうのも理由としてはあったと思う(´・ω・`)
武士の俸給やそれの元になる石高などを米を基準に考える米本位制の経済構造の限界という側面がありますねえ
なるほど、ヨーロッパのように寒い地域では麦文化ですもんね、ご明察です!…まぁ今の時代に言うてもしゃあないけど笑。
麦は中近東レバント発祥な事からも分かるとおり乾燥した気候が必須の植物(年間降水量1000mm以下が適当らしい)。ここまで言えば何故長野や山梨で発達した麦耕作が東北では行われなかったかわかるな?w 寒けりゃいいわけじゃねーんだよw
@@sepa3435 東北では麦は絶対に作れなかったりするんですか?東北の年間降水量は1000㎜を越えますが、太平洋側の降水量は夏場に集中していて大麦が育つ冬場はひと月当たり100㎜に届かず、他国の麦生産地と同じくらいです。スコットランドのローランド地方は年間降水量が1000㎜を越えるところも珍しくありませんが麦生産は行われていますし、東北地方も現在4000t以上の麦を生産していますよ?
@@nuruosan4398 「絶対に」の訳がねえw育てようと思えば東京でも北陸でも育つ。問題は経済活動として成り立つだけの収率があがるかどうかさwちなみに「現在の生産ランキング」では東北勢はトップ10にひとつも入ってねえ。ようするにそういう事さw
出てくる地名が地元と近かったり知ってるところ多くて怖いわ、、、この時代を生き抜いてくれた先祖様すごいな、、
状況を数字でしか見ようとしない為政者によって飢餓輸出なんかが行われるんでしょうが、この時の東北諸藩や田沼意次も同じような感じですね。
幕閣にしてみりゃ奥州の外様藩の事なんざ知ったこっちゃない。むしろ弱ってくれりゃ万々歳じゃね?w俺たちが「敵である北朝鮮の飢餓を実は喜んでいる」様になw
青森県民の津軽地方ですが、私達のご先祖様たちがなんとか息繋いで今日まで繋いできた命なんだなぁ…と当たり前の事のように思ってた自分がアホらしくなるな…わいらのご先祖様良く生き抜いてくれた。
13:34 ここの馬の話で思い出したことがある。うちは岩手のものすごい田舎で育って、古いものが色々と残ってる。家の近くの道端に、お寺でもなんでもないのにお墓があって、なぜなのかおばあちゃんに聞いたら「昔は農業で使う馬のお墓を作ったんだよ。今は道路を作るので寄せられちゃったけど。」って言ってたな。岩手ではチャグチャグ馬っこもあるし、馬をほんとに大切にしてたんだなと思った。
冷害で餓死者が出た地域の話しでまだ死者を喰わずとも済んだ時期に村々で矢張り死者が出て葬式で坊主が忙しかった。ある村を訪れた僧侶が法事の後に帰り道を歩いていたら痩せ細った侍2人が目の前に現れて「何を食ろうた?」と問われ「蕎麦餅を出されたが水も飲まずに流し込んだ」と僧侶が言ったら侍は僧侶の胴を斬りつけ、胃の中から蕎麦餅を取り出して食った。と言う話しが残っています。
江戸時代は今より地方分権だったわけで、幕府と藩は今の日本政府と都道府県のような関係じゃないんですよね。だから、基本的に藩内のことは藩内で処理するのが道理で幕府は口を出さないんですね。ここでは田沼を叩きまくってますが、田沼が何もしなかったのは当時としては普通だったんじゃないでしょうか。
仙台藩は寛文8年(1668)「百姓条目」で農民が米を食べるのを禁じた。農村には、わずかの米しか残らなかった。 ほとんどの米は、江戸や大阪へ運ばれた後、転売され藩財政になった。 多少の差はあれど、東北諸藩の米偏重政策の結果の飢饉で田沼のせいはおかしいよな。
@@fivepointedstar196 仙台藩では収穫されたコメの大半を江戸や大坂に回したために、豊作だと積年の借金がチャラになる程財政が潤ったり、飢饉だと農民はおろか武士階級にまで餓死者が出たみたいです。まさに「コメ資本主義」です。
多分失脚後に松平定信がネガキャンしたのが大きいんだろうね
@@jupiter123 白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき
お米は当時ある意味、大名にとっては貨幣代わりでしたからね。貨幣は貨幣で存在していましたが。。
今の生活に感謝するために定期的に見返したい動画
マシなエピソードですらかなりエグい。そう考えると伊能忠敬さんってすごい手腕だったんだなぁと。
地図作る以外に何をなさったんですか?
@@鼻毛-b8q 色々肩書きあるんですよね問屋だったり。間違っていたらすいません。ざっくりですが、伊能忠敬さんは佐原村の名主だった時期に天明の飢饉が起り、その時に以前に借金をしながら関西から買入れた米やら金銭を配ったり質入れしやすくしたりを貧民救済を行い、餓死者も打ちこわしも佐原村からは出なかったという。地図作成は隠居後に夢を叶えたいからと一念発起しての偉業という。地図で有名ですが何やら色々凄い御人です。
@@星の宮とーとつに なるほど...まったく知りませんでした詳しく教えてくださりありがとうございます😊
やっぱり西日本と東北では生きるハードルの高さが全然違うな…他の動画で砂漠でイスラムやキリスト、ユダヤといった一神教が生まれたのは、強い強い唯一絶対神をつくって人々の生活を統制しないと生きていけないからって言ってたやつ思い出した…
江戸時代って意外と身近な年代で、1960年前後生まれの人は江戸時代生まれの人と会ってるのだとか私も祖父の祖父が江戸時代生まれと知って「江戸時代って近い」と思った。もしかしたら飢饉について、上からどうだったか語り付かれた形で当時を聞かされてる人は今も居るのかななお、515事件辺りの時代の教科書の話に生きてる人は現存7:21なお、東京の今の食料自給率は1%。大災害起きた時、道路含めインフラ死んだら食べ物は届かず…備蓄の食料はそこへアクセスできなければ届かず…こういうこと知ると都市機能の分散を早める必要、南海トラフで都民ヤバいってのは想像しやすいと思う
日本史の先生が言ってたんだけど、やっぱり身内を食べるのは辛いから、近所同士で家族の誰かが死んだら違う家の誰かの死体と交換して飢えをしのごうとしてたらしいです。最低の倫理観は流石にあったんですね、、
アイスランドのラキ火山の大噴火で北半球の気温が2度下がったと言われている
生きてるうちに食べ物に困らなければそれだけで万々歳だなと思う
そんな中生き抜いた先祖すげぇ
会津ではこの時、家老の田中玄宰が鯉の養殖を進めた事で飢饉を乗り越えたとされます。鯉は「薬魚」とも呼ばれるぐらいに、栄養価の高い魚らしいです。
お上の失政や欲で民が犠牲になる。いつの時代もそうなんだね、現代でも。
今こうやって命が繋がれてるのは人を屠ったからってのもあるんだなぁ…
日本の「人食い山姥」が出てくる民話はこの時代の記憶が元になっているのかもしれないなと思った。そして、グリム童話にも人肉を食べる話は結構出てくるよね。あれは民話になって語り継がれたものを編纂していることから、飢饉があったのは1700年代以前であることが推測され、じゃがいもの普及前は飢饉が多かったということから、やっぱりこれに近しい地獄があったのかなあと思う。そう思うと、食糧難で食べるものがない、と言っても太平洋戦争の頃の時代、さすがに市井でこんな話はきかないんだよね。戦地での話を聞くと割りととんでもない話が出てきてしまうので、時代が進んで人間の感覚が変わったせいというよりは作物の貯蔵技術の発達や、いも類をよく作れるようになったことが影響している気がする。ってことは、現代に生きる私たちだってほんとに飢えたらどうなるかわかんないよね。倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知るとはよく言ったものだなと思う。
確かに思う
食料自給率が大切だと学ぶ良い機会です。
昔読んだ絵本?みたいなやつに飢饉があってある親子がいたんだけど、息子が自分の指を泣きながら食べてるのを見た父親が家にあるものを売って、どうにか手に入れた食料で腹を満たして心中する。それを知ったお嫁にいった娘が自分の父と弟を食べるっていう話でした。
この話を聞いてひどいって思いよりも、そうまでして生き延びようとするなんて逞しいと思う。自分なら横たわったまま衰弱して死ぬだけだ。
それは無理
私もそう思っていますが、極限状態に置かれたらどうでしょうねw
ええ… この話って本当に餓えたことがないと人間、普段どういう性格だろうと何するかわからないって話なんじゃ?
激しい痛みが続いていたら、どんな人でも食べちゃうと思うな。周りに食ってる人がいたら、つられて………みたいな。本能には抗えない!
俺も若い頃 1ヶ月ほぼ水だけで暮らしたけどまず寝れない胃が痛くはならなかったけど体に力は入らないし神経は冴えてるから変な感じだったな夜中にラーメン屋の前に置いてあるモヤシや菓子運んでる軽トラから盗もうと何度思った事か…体重も40キロ以下になったしなもうあんな思いは二度としたくないわ
この頃は世界的に寒冷化していましたテムズ川が凍ったりアイスランドなんかは島の周りが何キロ以上も凍りついたり、ニューヨークもマンハッタン島まで歩いて行けるぐらい凍りついたりして寒かったそうですね原因は浅間山の噴火どころじゃないでしょうね
江戸時代の飢饉の要因の一つが小氷期による寒冷化だとよく言われますね。雪景色の江戸の町を描いた絵が多いのもそのせいだという話があります。今よりも降雪が多かったせいだとか。
わたしが生きてる間にそういう事が起きたら、一番先に食べてもらいたいな…食べられるところを残しておかないといけないか。
長野と群馬の境目にある栄村へ行った時、名所の中に饑餓で全滅した集落跡にくつかありました。身近に起こった事なんですね。
今の平和に感謝したい気持ちです飢饉が起こりひとの理性がなくなり、まるで地獄絵図😱😱いろんなジャンルのRUclipsを載せていらっしゃりどれもわかりやすく勉強になります👍👏「ねえ、まりさ」と言うのが心地よく耳から離れないW
飢饉で何が起こったかというエピソードは生存者たちが自分たちを正当化するために脚色したり盛ったりしてる可能性もあるから鵜呑みにはできない。例えば誰かが人を殺したから仕方なく村人たちが私刑に処したという話も、実施は前段の「人を殺したから」という部分が本当にあったのかどうかわからない。殺してから「人を殺したから」という事にしてしまった可能性もある。歴史上の事なので物証もなく確認のしようもないし、それらをイチイチ確認するのは意味も価値もない。それよりも何で飢饉が起こったか、どうやって収束したのかの方がよっぽど興味深い。おそらく人肉を食うくらいだから食べられるものは種籾さえ食ってしまっただろうし、働き手もかなり減ったはずなのに、現地での農業生産再開はどうやったのかとか、その辺に触れている人や書籍が少ないので触れてほしかった気がした(´・ω・`)
まさに地獄絵図・・・。しかし最後の私刑をした人たちは、殺した相手の肉を食べなかったって事だろ?やはりカニバリズムに流れずそのまま死んでいった人もいたと思う。実話をもとにした『生きてこそ』って映画でも確か食べなかった人もいたはず。
こういう凄惨なことがあっても人はすぐ忘れる。だからこそ食べ物に感謝し「いただきます」「ごちそうさまでした」を忘れては行けない。
こういった悲惨な歴史を踏まえて、現代の日本は生活能力が無い人には最悪の場合、生活保護という仕組みが生まれたのではないかと思います。ですから今を生きる日本人は、ご先祖様に感謝しながらより良い国とする為に、一人一人が考えて行動する必要があるのではないでしょうか。国民一人一人がそういった思いを共有できれば、日本はもう一度返り咲く事が出来る筈です。戦後にこの思想を某国に奪われたと考えていますが。しかしそれこそが愛国心だと思いますし、先人の苦労を無駄にしてはならない。国力の衰退が止まらない我が国の現状を打破する源となるのではと思います。頑張ろう日本!! 当然私も頑張ります。
生活保護に代表される憲法上の基本的人権(生存権)は、西洋で生まれた思想ですよ。産業革命時に大量のホームレスが発生して生み出された人権です。大日本帝国憲法は、日本で作られた思想ですけど。
飢えは頭がクリアで痛みに苦しむ。 今も、実の親からやられてる現実。 食べ物をあたえず飢え死にニュース。
今食品ロスが問題になってるけど、そういう食べ物をこの時代とか食糧不足の国に送れたらっていつも思うわ
ラキ火山の大噴火で冷夏、浅間山の噴火の年は凶作確定だったんだよ。
浅間の大噴火の痕跡は長野原町(群馬県、八ッ場ダム周辺)に史跡として保存されています。実は近年古文書も発見されていて、当時の壮絶な様子を伝えています。伝聞ですが聞いた話を書いておきますね。泥流で多くの人が流され、田畑も使い物にならなくなり、人々は雑草や木の皮まで食べた。余りの惨状に小さな子供(乳幼児)は川へ返された。これは川が冥界へ通じてると信じられていた為なのですが、親が率先して乳幼児を川へ流すんですね。食い扶持を減らすため、生きて辛い思いをさせないため、色々な解釈ができます。あの世で幸せになって欲しかったのだと信じたいです。吾妻川の淀みにはそういった遺体が溜まり地獄絵図さながらだったとか。遺骸の処置は他の地域と同じ傾向が見られますね。次に誰を食べるかは談合で決められたようです。 江戸の武士の話もどこかで目にしました。妻の遺骸を食べて生を繋ぐ己の浅ましさを懺悔する内容だったと記憶しています。せめてもの救いはこれらの行為がやむに止まれず行われたであろう事ですね。誰だって人肉など口にしたくないわけで。他に食べる物があればこのような事は起きなかった。中国の屠蜀とは文化背景が大きく異なるので、考察する際はその辺の知識と理解が不可欠ですね。日本での類似話にコケシや姥捨がありますが、それらも生きる為の選択肢だったと思います。
隣の嬬恋村にある「鬼押出し」や「鎌原観音堂」も、浅間山大噴火の遺構として有名ですね。吾妻川流域の村むらを泥流が襲い、村人たちの遺体が江戸川下流の小岩付近にまで流されたそうです。江戸川区南小岩にある善養寺には、犠牲者の供養塔があります。
今はコロナが姥捨みたいな役割担っているね...
@@鼻毛-b8q さん姥捨は悲惨な伝承が多いですが、老人が集まって暮らしていたデンデラノ集落跡なども残っているんですよ。東北地方には「隠居小屋」という文化が近年までありました。老人は家族から独立して暮らすんですね。老人がほんとに捨てられてきたのかについては様々な議論がなされています。ひとつ言えるのは、老人になると既存の集団から離れて別の集団に属する文化が存在した。という事です。自分には詳細は分かりませんが、どれもこれも生き延びる知恵なのでしょうね。
@@toyo-rex4899 さん小石川まで流れていたのは知りませんでした。補足情報を教えて下さってありがとうございます。
第一次産業に従事しておられる方々に感謝申し上げます。
20歳の頃、自殺しようと決意したものの首をつる勇気がなかったため食を断ち死ぬことにした。水は飲んでいたが、2日程度で頭痛はもちろん鎖骨背中膝など身体中が痛み始め、こんなに苦しいのかと絶望しました。結局10日ほど粘りましたが死にきれず断念。死を前に頭がクリアなのはつらいね。
10:00ここ夜と霧みたいだなぁ
こないだ相馬行ったとき塚と看板があって何気なく見てみたら、天明飢饉の供養のだった。
連綿と命を繋いできてくれた先祖に感謝。
青森の八戸出身者です。出身者であれば、飢饉の話は小中高で大なり小なり先生や授業の間に聞いた経験がある人が多いと思います。一個今でも覚えているカッコーの名前の由来の小話があります。昔々、誰も彼も食べるものがない時代に2人の姉妹がいた。本当に食べるものがない時、芋を2人で分け合うことにしたが、妹は全く足りないと感じた。その妹は姉がたくさん芋を食べたと思い込み姉を殺しその胃の中を改めたところ、胃の中には芋の皮しかなかったと。嘆いた妹はカッコーとなり、いまも「皮っこ」と鳴いています。この話は実際先生から聞いたし、八戸市立図書館にある南部・津軽民族話の書籍にも書いていました。他にも飢餓の話が沢山あるので、八戸来る時は是非市立図書館で調べて見てみてほしいです。
大学で全く同じことを習いましたが、一番興味をそそられた15時間でした、、
「東北地方だけで」っていうか、東北地方の被害がいちばん酷かったようね。幕府の「御救」も翌年に疫病が蔓延してからようやくのことで、完全に手遅れだったみたい。東北地方なら漁業があるじゃん!て思うけれど、不漁が重なって初期の段階で漁師が餓死したり、一時凌ぎのために漁船を売ってしまったことやインフレもあいまって、流通が滞ってしまったのが痛かったみたいね。大漁に恵まれたところもあったのに残念よね。もっとも、魚だけ食べても栄養足りなくて病気になってしまうし、普段食べなれてない農村の人が浜辺の海藻を無闇に食べて病気になったりということもあった様子。当時の餓死者のほとんどは栄養不足で感染症への抵抗力がなくなり病死ってのが定説みたいね。そんなふうに汚染されてることも知らずに「腐る前に食べなくちゃ❕」って、感染体を食べちゃった人は、さらに異常をきたして死亡というループだったようね。タンパク源には、農民もお侍さんも、もっぱら犬猫馬を食べてたんだってさ。現代みたいに調理器具も整ってない時代だから、そりゃぁ病気になりますわな。山に行けば鹿やイノシシが食える❕って思うけど、鹿やイノシシが人前に出るようになったのは戦後の開発が進んでからのことで、当時はほぼ人前には姿を見せなかったんだってね。そういえば、秋田の檜山納豆ってこの時生まれたって聞いたことあるわ。
5:07 天明の飢饉で巨大なダメージを受けた藩ほど備蓄米がなくなるについてですが、備蓄米がない藩ほど天明の飢饉で巨大なダメージをうけるのではないですか?
コンビニ行ったら好きなものが食べれるって奇跡だよな
某研究機関によると地球は2030年代から天明の大飢饉並みの寒冷期に入るらしい。
熱帯地域に移動移住するのが得策か❓タイとか、、、
@@ぞうさん-c7e 穀物に関しては東北・北海道は小麦やいも類等寒さに強い作物を集中させて、米は北陸・西日本に集中させる。野菜とか果物は完全ハウス栽培になるだろうな。
@@3910-u6s ないない。農業にはまず土地が必要。日本は元々、土地が広くないし、権利者の問題で使用できる土地が制限されるから大規模農業自体ができない。おまけに農業には金がかかる。補助金を増やそうにもコロナ等の問題で日本には農業に振り分けるだけの資金はないよ。
@@antiJJ 日本はインフレ5%までなら金刷り放題だから大丈夫。てか寒冷化は緊急事態なんだから農業が最優先になるはず。
@younagimenagi そうですよ。寒冷化対策より温暖化対策の方が儲かるっていうのもある
こういう動画とか見るといつも以上に飯が美味いし生きてるだけで幸せになるなぁ……俺は遊ぶよりも人を愛するよりもこういう幸せが一番好きだ。
メシウマ状態!🍚
二宮金次郎がナスを食べた時にその時期の味が違う事に気付き、畑を調べたら少し枯れていた事から飢饉が来るって予想して出来るだけ早く食料を貯蔵しておいてその村ではあまり餓死者は出なかったらしい。
気候変動、天変地異を土で察するとかなろう系主人公かな
金次郎「ペロ・・・これは飢饉の予兆!!」
@@eeewo33329
コナン君?
青酸カリ!?
やっぱ誰もが知ってるような凄い人ってレベルが違うんだなぁ
餓死で最も苦しいのは最初から食べずに死ぬより、最初は備蓄があり、段々と食糧が減って緩やかに衰弱する方だそうです。長ければ長いほど地獄の苦しみを受ける様はまさに生き地獄と相応しいですね。
兵糧攻めですね。
なるほど…。
個人の備蓄も苦しみが長く為るだけって事で良いのでしょうか?
@@クマのプー太郎-y9p 極端スギィ。今は輸送網が発達してるから地球規模の災害じゃない限り大丈夫。
@@スピファ信者 戦争状態なら?
大震災のときに日本人のマナーがいいとかいろいろ言われてたけど
学者の先生がマナーの問題じゃなくて今の日本はインフラがしっかりしてるから
極限状況に追い込まれてないだけっていってた。
避難所では喧嘩とかイジメとか色々起きてたみたいだけどね
それに人口が少ない国土もそこまで広大ではない
流通が麻痺したとしても修復は比較的容易
人口が多く国土は無駄に広大でインフラは破壊され何も入って来ない
そこで野草や樹木に土(!)まで食しいよいよ何も無い…おやっ!そこに「二足歩行する羊さん」が居ますねとなる
@@kuritamobiletruth 馬鹿は傾向の話をしてる事が分からない
数日耐えればどうにかこうにか支援が来るって信じられるから、その間を極力平穏に乗り切ろうと頑張れるんやろうな。
いつ食えるようになるか分からないままだったらパニックになっていくわけか。
避難所でのうんぬんはデマだぞ。我慢して居る所じゃないからな。
江戸時代はプチ氷河期とも言われまして、相当に寒かったんだと思います。日本に限らず気候変動が歴史を動かすことは多いです。税が米納であることも寒冷地に不利にはたらいた要因だったかと。
ロシアで○兵器を使用した可能性。(一日一食 OMAD エンドウ)RUclips 世界的気温低下 あくまでも説
フランスでも飢饉で国民の間でカニバリズムが蔓延。
ルイ16世が権力者達から税を徴収しようとしたけど、猛反発を受けて失敗。
自分達が飢えてるのに上流階級が豊かな暮らしをしてるとして平民ブチギレ。
ルイとアントワネットは巻き添えで処刑。
よく日本は無血開城ですんだもんだ。
江戸時代は寒くて、冬には江戸の隅田川が凍るほどでしたから
江戸時代は寒いイメージあったけどガチで寒かったんや
@@ネギトロー ルイとアントワネット、特に後者はほんっとうに長い年月風評被害と言うか、デマゴーグ被害に遭ってた歴史の人物だと思うよな。今でも思い違いしてる人多い気はするけど。「パンが無ければ~」とか書かれたその本が出た頃、アントワネットさんは9歳くらいじゃい!
アイヌが食物を高倉にこれでもかと保存するのは「戦争が起きたら安全な場所に逃げる事ができる。恐ろしいのは飢饉だ」と言う事で、越冬に必要な量以上に保存食を備蓄するんだそうです。
この享保や天明の大飢饉とかも影響があったと思っている。
まぁとにかく準備のしすぎってことはないからな
ほー。👀
@kazuto kohara 怖いですねぇ。😧
ヒンナヒンナ・・
現代の人の心が豊かなのは食べ物があるからっていう大前提があるからなのかなあって。
まじでそれなんだよな
中村哲さんも「食べ物が無いから戦争が起きる」みたいな事言ってた希ガス
日清食品の百福社長も同様のことを。
人工爆発したらどうなるんかな?
日本は減り続けてるからまあ大丈夫なんだろうけど
@@半ダム-v1f 日本は減ってても世界では増えてんのよ
こんな時代を生き抜いた先祖がいんのに
俺の代で終わっちまうよ😢
俺も
わたしもやで(レズだから)
先祖「百合ktkr」
ミームを伝えていこうな
@@Mint-Bomb 泣いた
当たり前のように「人=食べ物」って認識になってる事自体が恐ろしい
比較的平和な江戸時代ですらこんな事があったんだから現代に生まれたことに感謝しかない
今はものが溢れてるから何か強烈な飢餓感に襲われて口に何かを衝動的に放り込みたくなっても、人食べれるかな?ってなる前に、観葉植物食えるかな?とか石鹸食えるかな?って色々クッションがあるけど、昔みたいに有機物がほとんど周りにないとやっぱり空腹を満たせそうなものは人だ。ってなるんだろうね。
この時代に生まれたってだけで宝くじに当たる以上の幸運なんだな
@@いちごミルク-d7v 人類史史上最高の幸せ者ですねこれは....
宝くじで外れてしまった人達の分も俺たちが頑張らないとな
@@いちごミルク-d7v 戦後かなりいい時代だよね、コロナ無ければね。
@@ちゃふ-d9w なお実際は日本生まれをいいことに他国を嘲笑する輩ばかりの模様
@@zionpark0803 なんで嘲笑うって言葉が出るのか不思議です
衣食足りて礼節を知る。。。
孟子ですね。
そうなんよなー めっちゃわかるわ
足りてなかったら動物だよな
『管子』「牧民篇」にある
「倉廩實知礼節、衣食足而知榮辱(倉の食物が一杯になれば、礼儀や節度を知り、衣食が足りたなら、誉れと恥を知る)」
が元ネタです。
身を美しく、で「躾」
@χρυσομηλιά もはや別種の種族だろ
家の前に昔からある天明の飢饉の石碑がありますが表面を削られて読めない状態です。当初は子供のいたずらでこうなったと思っていましたが、もしかしたら大人が恥だからと削ったかもしれませんね。
俺らの先祖は飢饉を生き抜いたタフ野郎だ
昔は自然災害も多く飢饉が多かった
この動画の天明の飢饉の後も飢饉は続く。
この天明の飢饉の数十年後、再び天保の飢饉1833年(天保4年)~1839年(天保10年)が発生する。
関東,東北地方で大風雨,洪水,冷害,疫病等で死者20~30万人、被災者は70万人を超えた。
江戸時代265年の間に起きた冷害・旱魃・水害などの異常気象や害虫の異常発生、病害、火山噴火など
での凶作の飢饉は35回あった。
@@fivepointedstar196
マジか…
そんな大変な時代を乗り越えてくれた
ご先祖様がいるから今があるんやな
ご先祖様には感謝しかないで
先祖のことタフ野郎とか言ってて草
違う。天明の大飢饉とは関係なかった人が生きてただけ。
@@浜辺美波ですよ それなw
某ゲームでも主人公が「3日も食わずにいたら愛国心なんて速攻消え失せちまう」と言うほど飢餓は精神に大きな影響を与えるからな。
気になってyahoo検索しましたが出てこなくって。
何のゲームか教えていただけませんか🙏
サクナヒメではないですか?
@@カンジャンケジャン-p4t
Days Gone(PS4・PC)
パンデミックで文明崩壊したアメリカのオレゴン州が舞台のオープンワールドゲーム。
主人公のディーコンがコープランドというキャラのラジオ放送に文句言っているシーン。
ゲームのかなり初期に聴ける。
@@junichiyamamoto8330 詳しくありがとうございます!
兵隊は飢餓と、マラリアと、連合国軍と戦ってるというのに、「兵隊はその辺の草食っとけ」と、言い放つ大本営参謀。
ダイエットで3日間全く食べないことはザラにあるけど全然、そんな感じはしないな。まあ、ガリガリに痩せていればまた違うんだろうけど
非常におぞましい内容ではありましたが、そんな生き地獄の中からでも繋いでくれた生命のお陰で今日の我々がいると思うと、感謝と哀悼の念を覚えずにはいられませんね。天明年間を生き抜いた、また生き残れなかったご先祖さますべてに合掌です!非常に大切なご教示をありがとうございました!
吉宗の時にサツマイモの栽培が奨励されましたが、サツマイモは東北地方(特に青森など被害の多かった南部藩の領内では)寒すぎて育たない
この時にジャガイモも日本に来てはいたんですが、当時はそれほど重視されなかった
この数回の飢饉を経て、日本でもジャガイモの栽培が始まったもよう
ぶっちゃけ、享保の飢饉は西日本被害、江戸の米は東日本が主体だったので、東北から米集めて西日本に送れた
天明は東北が大被害で、幕府には送る米がない
そういうことだったんですか。長年の疑問が解けました。
ジャガイモは西日本での定植は難しいのではないか?
もちろん栽培は出来るのだが、ジャガイモの場合はウィルス病があってさ
感染したジャガイモを植えたらほとんど収穫は出来なくなる
北海道などの寒冷地の場合はウィルスを媒介する虫が存在しないから、そこで採取したジャガイモなら種芋として使えるが
西日本の場合は現在では、種芋を購入して栽培しても、そこから種芋を取る事は感染のリスクから行われないのだよ
まあ、江戸時代にそのウィルスが日本に入り込んでいたかどうかはさすがに知らないけど
江戸時代後期に蘭学者グループの尚歯会で日本画家で有名な田原藩家老の渡辺崋山が高野長英のアドバイスを受けて田原藩にジャガイモを栽培した結果、天保の大飢饉で田原藩では餓死者は出なかった。
@@73moto 尚、高野長英は蛮社の獄で幕府に殺された模様。
流石、日本人ですわ
東北地方をルーツにもつ母は俺が落ち込んだりするとよく鷹山公の話をして「人間出来んことはない、成せばなるだよ」と励ましてくれたな
鷹山公の教えはいまだに山形に色濃く残ってるよね
ルーツが東北かはわからないけど、鷹山公尊敬します〜 山形までお参りに行きました〜
地元の者です。みなさん、綺麗な話しか知りませんが、その言葉の裏にはたくさんの人が苦しんだ事実があります。
@@クローバー-h6l様 他の動画では、地元の方々が酷い目に遭ったという話が出ていました。 いろんな方向から情報を集めないと正確な史実を理解できないと痛感しているところです。
自分の地元は岩手のなのですが、祖母宅は岩手県九戸郡にあり、墓参りの際に行った古い寺に古い飢饉の碑がありました。
遠野市にも飢饉の飢饉の碑があります。
今衣食住があるのって幸せな事ですね。
縄文時代は東北の方の巨大な部落が千年以上栄えてたらしいのに、稲作文化に成ったら千年と持たずに大飢饉って単なる偶然でしょうか?
@@クマのプー太郎-y9p 偶然というか土地が適してなかったんやろ
@@ところで私のコンタクト知らん 米作の北限付近だから小氷期は北限が南下するだけ
それで凶作で飢饉が起きやすくなる
遠野のは、五百羅漢の所あたりにありますね。
だいぶ線彫が薄くなったですけど
その線が消えた時には極楽往生していて欲しいです。
@@クマのプー太郎-y9p
一口に東北と言っても日本海側の津軽や秋田は天候が良ければ米が獲れるのですが、太平洋側の岩手や八戸は夏場に冷たいヤマセが吹くため農業が発展していない昔は元々米が育たない土地だったのです
そこで大昔は粟やヒエを作って食べていたのですが、年貢の制度が出来て育たない土地で稲作を行わなくてはならなくなり、より貧しくなったという訳ですね
餓死ってお腹が空いて意識がボーっとしてそのまま亡くなるんだと思ってた…
痛いのはイヤやなぁ…怖いなぁ…
怖いなぁ…怖いなぁ…
その時パッ!と振り向いたんですよ
あるんですねえこんな事って…
意識がこうフーッとね…
これへーって話ですよねぇ…
飢餓の酷かった地域出身ですが、子供の頃校外学習でこの飢餓で残忍なカニバリズムが行われていた事を教えられ軽くトラウマになりました。赤ちゃん、子供、じいさん・ばあさん弱い者から食われてったと...。
NHKでさっき天明の打ちこわしが放送されて、天明の大飢饉がどんなものかを詳しく知りたくて、レイマリによるゆっくり解説を見たのです。大変勉強になりました。BSプレミアムの英雄たちの選択の番組です。
『動物』としての本来の姿だよね。
食い物も住む場所も当たり前みたいに確保されている我々の方が自然界ではよほど異常なのさ
たしかに
こんな話が今残ってるのがすごい
マシな方のエピソードでもエグい
自分相馬地方出身なんですが
自分たちのご先祖たちがこんなに大変だったなんで
知りませんでしたょ
勉強になりました
自分も相馬出身です!
『異常な状況では異常な反応をすることが正常なのだ』とは、よく言ったものだ。
フランクル博士の『夜と霧』より。
人類の歴史の中でそんなに昔の話じゃないのが怖い
自分の先祖もこんな中を生き抜いてきたのかと思うと自分がどれだけ甘えた人間かって...
時代が時代だから平和な今では甘えて問題ないと思う
共食いによる異常プリオン感染でのプリオン病の類はもっと潜伏期間が長く、実際亡くなった人がその感染源だったかといえば疑問なので、実際はプリオン病ではなくて栄養失調(脚気など)や他の感染症だったんだと思います。
人を食うなら虫やらカエルやらも口に入れてるでしょうし、寄生虫でも腫れ物が全身にできるものがあるので。
衛生状態に気を遣える状態じゃなかったでしょうし、その知識もどの程度かわからない。
あちこち死んでるならハエも湧くし、本当に地獄のような状況だったでしょうね。
八戸生まれのアラフィフですが、私達が学生の頃は郷土の歴史で昔は餓死者の肉を食べて命を繋いでいたと習いましたし、道に人が大勢倒れていて死体を食べている人達もいる当時の絵なども何点も資料集で見ました
また、祖父母の代だと人肉を食べていた世代の人から直接話を聞いていたりして、死体を食べた人は早く死ぬというのは無いのではないかと思います。寧ろ死肉を食べていたから全滅しなかったと認識していました
私達の世代は普通に習っていた事がタブー視され歴史が正しく伝わらなくなっていく事に歯痒さを感じます
@@noz194 「人肉なんかを喰ったからだ」というイメージがどうしても先行するのでしょうね。
共食いを防ぐためにも必要な感覚ではあるのでしょうが。
肉は肉ですのでそれなりの栄養はあったのでしょう。
栄養素などの言葉や薬もなかった時代、死ぬ要素など他にも山ほどあったのに。
少量ならセーフなんかね
@@たき-f3m
セーフとは思いますが、血を介して肝炎などの病気もうつる可能性もあるので口にするべきではないと思われます
私は相馬市の山を越えた盆地の出身ですが、子供のころに遠い昔にひどい飢饉があって人肉食をせざるをえない時代があったと聞いたことがあります。もしかしたらそれは天明の飢饉の事だったのかもしれない……。
生まれる時代が今でよかった、、、
前世はその時代に生きてたかもよ?
餓死とコロナ😁どっちがいい?
令和の未来の日本だよ笑
こういうことを振り返ってみると、神への祈りって時代が遡るほど真摯なものだったんだろうなって思う
機械もない時代、人の力だけで土を耕して稲植えて、水を通す為の整地なんかもして
自然との真っ向勝負だから、今日は良くても明日何が起こるか分からない。無事に稲穂が立っても、翌日嵐が来て流されてしまえば、苗植えからの数ヶ月間が全て無になってしまう。雨が多すぎてもいけないし、日が照りすぎてもいけない
半年近くもの間、日々が賭けみたいなもので、しかもそこに人の命が直結してるんだもの
わかりみが深い
東北地方は江戸で高く売れる米を無理に作ろうとしたので、冷害などが起こればすぐに食糧不足になる。
吉宗の頃に年貢率が厳しくなり、田沼時代で経済優先になってしまって、どこの藩も米を売ろうと躍起になり
最期は自分たちの領民などの大量死につながる。
田沼意次と松平定信はセットで語られることが多いですが、どちらも一長一短ですね。※今回の動画は田沼に対して厳しめですが
その反省から貨幣主流の経済へと移行したらしいからね。
そして商人の力がよくも悪くも強くなっていく。
「いただきます」と「ごちそうさまでした」の有り難みが増す動画
前者はあくまで生物に対してでは?
なんかこういうこと書かないと殺されるデスゲームでもやってるの?
ほんと腹立つコメントだなこれ
日本史を選択してないからもう勉強することはないけど、今までで一番興味を持てました!また学び直そうかな
昔読んだ小説に、主人公が精神世界で極限の飢えを疑似体験するってシーンがあって、そこで自分が気付かないうちに自分の指を食べちゃって、その事にハッと気付いた時、異常な行動をとったショックなんかより、流れる血を見て飲まなきゃ勿体ないって考えが浮かんだ。って描写があったのを思い出した
痛みはどこにいったの?
多分リゼロの4章のシーンだね
青森に人肉食を記念した石碑(後に削られる)ができたときの飢饉か
学校の授業で飢饉の話が好きな先生が多くて、農民が飢えても武士は普通に暮らしてたって何度も言ってたのをよく覚えてる。それも結局真実かどうかは判らない。
この時期に普通に暮らせる武士はかなりの上流
細々と暮らしてる下級武士は農民と同じように死んでいった
やっぱ鷹山公は偉大なんやなって
そうですよね。政治家としても経営者としても、先見の明があり公平性があり
尊敬する人の一人です。
@@MCCDY175
ありがとうございます。
山形県は米沢市の奇妙にも見える生垣食の文化もこの飢饉を乗り切るための鷹山公の機転でしたかね。
@@Kenkenbytiruno 様
そうですね。そうやって植えた生け垣や、野山の草本の食べ方をまとめた「かてもの」という本まで出版して普及しました。
@@Kenkenbytiruno 「生垣食」とは、「ウコギ」のことですね。
幹や枝にトゲがあるので防犯の役目があるし、新芽を摘んでおひたしや天ぷらにすると美味しいです。
@@toyo-rex4899 うどやタラの芽もウコギ科
アンデス山脈の聖贄とかいうのを思い出した。
人間って食うものがなくなったらなんでも食うんだな。動物になる。
まあ石器時代とか死者を悼んで食べたりしてたしな
どこかで見たんだが、人間の脳ってのは内側は他の動物とほぼ一緒なんだそうだ。つまり人間の人間たらしめているのは大脳皮質っていう外側だけで本質は獣と変わらんのだろうね
@@tyouseitounyuu まあ元々人間は動物やね。
中学の時は天明の飢饉っていう単語だけ覚えさせられたけどこんなに酷かったなんて
俺も覚えさせられたけど、
それだけ大変な物事だったってことさ。
日本史の授業で学んで気になっていたので助かります。
ありがとうございます。
「衣食足りて礼節を知る」とは言うけど、本当に極限の状況になったら仏が鬼になることもザラなんだろうなあ・・・
48時間水だけ断食したら胃痛汗書きまくり頭痛でやばかったわ
それ好転反応
多分普段フルに使ってた臓器が休まって、好転反応がおきたのかな?(無知)
2日でここまでなるか?
@@女装剤 二日間水を飲まない日がないからわかんねぇや
@@user-zh2fk9vo1u 水だけ断食って水だけ飲んで食いものは食わないってものやで
これを耐え抜いた祖先すごいな
食べたいときに好きなものが食べれて空腹に困らない今に感謝ですな(´・ω・`)
本当に! ビール飲みながら観てます〜 失礼します〜
年間何百万トンもの食品ロスが出てる現代、タイムマシンかなんかで過去に送れればなぁと思う
@@月亭ほうせいさん 缶詰とかパスタ、お米等は廃棄せずに困ってるとこに送れないのですかねー?
その「今」も10年後か20年後には塗り替えられるような気がしてならないです。
中学のとき社会の先生に授業のわからんとこ話聞き行ったときにこれについて詳しく教えてくれた。昔の人は凄い。今、たらふくご飯が食べれることに本当に感謝しなければならない
どっかの石碑に飢饉のことが書かれてたけど共食いしたところだけ削られてるとこあったよね
こんばんは!
今の現代では食べ物に恵まれておりますが、
万が一飢餓状態になってしまったら思考が狂い理性を失うと思います。最も食べる事が生きる事に対して重要な事がよく解ります。
配信ありがとうございました!
日本は食糧のほとんどが輸入に頼っていると言う事をお忘れなく!
田沼と松平では比較ができない。田沼は日本全国を見て行動する必要があったけど、松平は自分の藩民が餓死しなければいいからいい。要は他藩が餓死者でても知らないから、自分の藩に米を買い入れたということ。
一方、田沼は重商主義の観点からこの対策に乗り出たけど、既得権を持つ他の大名・旗本の反対にあって対策が取れなかった。
実際たった一年で「白河の清き流れに魚住まず、濁れる田沼今や恋しき」と狂歌が流行ることに
理想主義者の定信の方が市長クラスの能力だったと思います
地方では名士だった人に国を任せたら大変な事になった典型的例だもな。
どんな人間だって失敗はあるし、全ての人間を救うのは無理。
失敗したから無能、成功したから有能の二元論は危険。
津軽地方在住です。よく飢餓がどうこうと書いてある石碑を見ます。怖いなぁと思いつつ、先祖が生き延びてくれたから自分も今こうして生きているんだと実感もしますね
米が純粋な食糧ではなくて実質上の
金銭として流通していたので金融の
影響を受けてしまうという面もありましたね。
今年飢饉だから商人に支払い待って
もらうとはならず、米価上昇=インフレだから借金は今こそ返そうという発想になってしまう・・・
スタグフレーションかな
取れる量は少ないのに税だけは上がって物価が上がり続けるという負の連鎖
今パン食べながら聞いてるけど、改めて食に感謝しないとなって思った。
パンありがとう
パン『気にすんな』
パン
「お前が美味しそうに食べてるだけで俺は幸せだよ」
パン「さあ、お顔をお食べ」
パンイケメンすぎわろたw
飢えの苦しみは実際飢えた者にしかわからない
東北は麦を作るべきだったのに、麦は金にならないから米作をさせたっていうのも理由としてはあったと思う(´・ω・`)
武士の俸給やそれの元になる石高などを米を基準に考える米本位制の経済構造の限界という側面がありますねえ
なるほど、ヨーロッパのように寒い地域では麦文化ですもんね、ご明察です!…まぁ今の時代に言うてもしゃあないけど笑。
麦は中近東レバント発祥な事からも分かるとおり乾燥した気候が必須の植物(年間降水量1000mm以下が適当らしい)。ここまで言えば何故長野や山梨で発達した麦耕作が東北では行われなかったかわかるな?w 寒けりゃいいわけじゃねーんだよw
@@sepa3435 東北では麦は絶対に作れなかったりするんですか?
東北の年間降水量は1000㎜を越えますが、太平洋側の降水量は夏場に集中していて大麦が育つ冬場はひと月当たり100㎜に届かず、他国の麦生産地と同じくらいです。スコットランドのローランド地方は年間降水量が1000㎜を越えるところも珍しくありませんが麦生産は行われていますし、東北地方も現在4000t以上の麦を生産していますよ?
@@nuruosan4398 「絶対に」の訳がねえw育てようと思えば東京でも北陸でも育つ。
問題は経済活動として成り立つだけの収率があがるかどうかさw
ちなみに「現在の生産ランキング」では東北勢はトップ10にひとつも入ってねえ。ようするにそういう事さw
出てくる地名が地元と近かったり知ってるところ多くて怖いわ、、、この時代を生き抜いてくれた先祖様すごいな、、
状況を数字でしか見ようとしない為政者によって飢餓輸出なんかが行われるんでしょうが、この時の東北諸藩や田沼意次も同じような感じですね。
幕閣にしてみりゃ奥州の外様藩の事なんざ知ったこっちゃない。
むしろ弱ってくれりゃ万々歳じゃね?w
俺たちが「敵である北朝鮮の飢餓を実は喜んでいる」様になw
青森県民の津軽地方ですが、私達のご先祖様たちがなんとか息繋いで今日まで繋いできた命なんだなぁ…と当たり前の事のように思ってた自分がアホらしくなるな…わいらのご先祖様良く生き抜いてくれた。
13:34 ここの馬の話で思い出したことがある。
うちは岩手のものすごい田舎で育って、古いものが色々と残ってる。
家の近くの道端に、お寺でもなんでもないのにお墓があって、なぜなのかおばあちゃんに聞いたら「昔は農業で使う馬のお墓を作ったんだよ。今は道路を作るので寄せられちゃったけど。」って言ってたな。
岩手ではチャグチャグ馬っこもあるし、馬をほんとに大切にしてたんだなと思った。
冷害で餓死者が出た地域の話しでまだ死者を喰わずとも済んだ時期に村々で矢張り死者が出て葬式で坊主が忙しかった。ある村を訪れた僧侶が法事の後に帰り道を歩いていたら痩せ細った侍2人が目の前に現れて「何を食ろうた?」と問われ「蕎麦餅を出されたが水も飲まずに流し込んだ」と僧侶が言ったら侍は僧侶の胴を斬りつけ、胃の中から蕎麦餅を取り出して食った。と言う話しが残っています。
江戸時代は今より地方分権だったわけで、幕府と藩は今の日本政府と都道府県のような関係じゃないんですよね。だから、基本的に藩内のことは藩内で処理するのが道理で幕府は口を出さないんですね。ここでは田沼を叩きまくってますが、田沼が何もしなかったのは当時としては普通だったんじゃないでしょうか。
仙台藩は寛文8年(1668)「百姓条目」で農民が米を食べるのを禁じた。
農村には、わずかの米しか残らなかった。
ほとんどの米は、江戸や大阪へ運ばれた後、転売され藩財政になった。
多少の差はあれど、東北諸藩の米偏重政策の結果の飢饉で田沼のせいはおかしいよな。
@@fivepointedstar196 仙台藩では収穫されたコメの大半を江戸や大坂に回したために、豊作だと積年の借金がチャラになる程財政が潤ったり、飢饉だと農民はおろか武士階級にまで餓死者が出たみたいです。まさに「コメ資本主義」です。
多分失脚後に松平定信がネガキャンしたのが大きいんだろうね
@@jupiter123 白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき
お米は当時ある意味、大名にとっては貨幣代わりでしたからね。貨幣は貨幣で存在していましたが。。
今の生活に感謝するために定期的に見返したい動画
マシなエピソードですらかなりエグい。そう考えると伊能忠敬さんってすごい手腕だったんだなぁと。
地図作る以外に何をなさったんですか?
@@鼻毛-b8q 色々肩書きあるんですよね問屋だったり。間違っていたらすいません。ざっくりですが、伊能忠敬さんは佐原村の名主だった時期に天明の飢饉が起り、その時に以前に借金をしながら関西から買入れた米やら金銭を配ったり質入れしやすくしたりを貧民救済を行い、餓死者も打ちこわしも佐原村からは出なかったという。地図作成は隠居後に夢を叶えたいからと一念発起しての偉業という。地図で有名ですが何やら色々凄い御人です。
@@星の宮とーとつに
なるほど...まったく知りませんでした
詳しく教えてくださりありがとうございます😊
やっぱり西日本と東北では生きるハードルの高さが全然違うな…
他の動画で砂漠でイスラムやキリスト、ユダヤといった一神教が生まれたのは、強い強い唯一絶対神をつくって人々の生活を統制しないと生きていけないからって言ってたやつ思い出した…
江戸時代って意外と身近な年代で、1960年前後生まれの人は江戸時代生まれの人と会ってるのだとか
私も祖父の祖父が江戸時代生まれと知って「江戸時代って近い」と思った。
もしかしたら飢饉について、上からどうだったか語り付かれた形で当時を聞かされてる人は今も居るのかな
なお、515事件辺りの時代の教科書の話に生きてる人は現存
7:21
なお、東京の今の食料自給率は1%。大災害起きた時、道路含めインフラ死んだら食べ物は届かず…備蓄の食料はそこへアクセスできなければ届かず…
こういうこと知ると都市機能の分散を早める必要、南海トラフで都民ヤバいってのは想像しやすいと思う
日本史の先生が言ってたんだけど、やっぱり身内を食べるのは辛いから、近所同士で家族の誰かが死んだら違う家の誰かの死体と交換して飢えをしのごうとしてたらしいです。最低の倫理観は流石にあったんですね、、
アイスランドのラキ火山の大噴火で北半球の気温が2度下がったと言われている
生きてるうちに食べ物に困らなければそれだけで万々歳だなと思う
そんな中生き抜いた先祖すげぇ
会津ではこの時、家老の田中玄宰が鯉の養殖を進めた事で飢饉を乗り越えたとされます。
鯉は「薬魚」とも呼ばれるぐらいに、栄養価の高い魚らしいです。
お上の失政や欲で民が犠牲になる。
いつの時代もそうなんだね、現代でも。
今こうやって命が繋がれてるのは人を屠ったからってのもあるんだなぁ…
日本の「人食い山姥」が出てくる民話はこの時代の記憶が元になっているのかもしれないなと思った。
そして、グリム童話にも人肉を食べる話は結構出てくるよね。あれは民話になって語り継がれたものを編纂していることから、飢饉があったのは1700年代以前であることが推測され、じゃがいもの普及前は飢饉が多かったということから、やっぱりこれに近しい地獄があったのかなあと思う。
そう思うと、食糧難で食べるものがない、と言っても太平洋戦争の頃の時代、さすがに市井でこんな話はきかないんだよね。戦地での話を聞くと割りととんでもない話が出てきてしまうので、時代が進んで人間の感覚が変わったせいというよりは作物の貯蔵技術の発達や、いも類をよく作れるようになったことが影響している気がする。
ってことは、現代に生きる私たちだってほんとに飢えたらどうなるかわかんないよね。
倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知るとはよく言ったものだなと思う。
確かに思う
食料自給率が大切だと学ぶ良い機会です。
昔読んだ絵本?みたいなやつに
飢饉があってある親子がいたんだけど、息子が自分の指を泣きながら食べてるのを見た父親が家にあるものを売って、どうにか手に入れた食料で腹を満たして心中する。
それを知ったお嫁にいった娘が自分の父と弟を食べるっていう話でした。
この話を聞いてひどいって思いよりも、そうまでして生き延びようとするなんて逞しいと思う。自分なら横たわったまま衰弱して死ぬだけだ。
それは無理
私もそう思っていますが、極限状態に置かれたらどうでしょうねw
ええ… この話って本当に餓えたことがないと人間、普段どういう性格だろうと何するかわからないって話なんじゃ?
激しい痛みが続いていたら、どんな人でも食べちゃうと思うな。
周りに食ってる人がいたら、つられて………みたいな。
本能には抗えない!
俺も若い頃 1ヶ月ほぼ水だけで暮らしたけど
まず寝れない
胃が痛くはならなかったけど体に力は入らないし
神経は冴えてるから変な感じだったな
夜中にラーメン屋の前に置いてあるモヤシや菓子運んでる軽トラから盗もうと何度思った事か…
体重も40キロ以下になったしな
もうあんな思いは二度としたくないわ
この頃は
世界的に寒冷化していました
テムズ川が凍ったりアイスランドなんかは島の周りが何キロ以上も凍りついたり、ニューヨークもマンハッタン島まで歩いて行けるぐらい凍りついたりして寒かったそうですね
原因は浅間山の噴火どころじゃないでしょうね
江戸時代の飢饉の要因の一つが小氷期による寒冷化だとよく言われますね。
雪景色の江戸の町を描いた絵が多いのもそのせいだという話があります。
今よりも降雪が多かったせいだとか。
わたしが生きてる間にそういう事が起きたら、一番先に食べてもらいたいな…
食べられるところを残しておかないといけないか。
長野と群馬の境目にある栄村へ行った時、名所の中に饑餓で全滅した集落跡にくつかありました。身近に起こった事なんですね。
今の平和に感謝したい気持ちです
飢饉が起こりひとの理性がなくなり、まるで地獄絵図😱😱
いろんなジャンルのRUclips
を載せていらっしゃりどれもわかりやすく
勉強になります👍👏
「ねえ、まりさ」と言うのが
心地よく耳から離れないW
飢饉で何が起こったかというエピソードは生存者たちが自分たちを正当化するために脚色したり盛ったりしてる可能性もあるから鵜呑みにはできない。
例えば誰かが人を殺したから仕方なく村人たちが私刑に処したという話も、実施は前段の「人を殺したから」という部分が本当にあったのかどうかわからない。殺してから「人を殺したから」という事にしてしまった可能性もある。
歴史上の事なので物証もなく確認のしようもないし、それらをイチイチ確認するのは意味も価値もない。
それよりも何で飢饉が起こったか、どうやって収束したのかの方がよっぽど興味深い。
おそらく人肉を食うくらいだから食べられるものは種籾さえ食ってしまっただろうし、働き手もかなり減ったはずなのに、現地での農業生産再開はどうやったのかとか、その辺に触れている人や書籍が少ないので触れてほしかった気がした(´・ω・`)
まさに地獄絵図・・・。しかし最後の私刑をした人たちは、殺した相手の肉を食べなかったって事だろ?やはりカニバリズムに流れずそのまま死んでいった人もいたと思う。実話をもとにした『生きてこそ』って映画でも確か食べなかった人もいたはず。
こういう凄惨なことがあっても人はすぐ忘れる。だからこそ食べ物に感謝し「いただきます」「ごちそうさまでした」を忘れては行けない。
こういった悲惨な歴史を踏まえて、現代の日本は生活能力が無い人には最悪の場合、生活保護という仕組みが生まれたのではないかと思います。
ですから今を生きる日本人は、ご先祖様に感謝しながらより良い国とする為に、一人一人が考えて行動する必要があるのではないでしょうか。
国民一人一人がそういった思いを共有できれば、日本はもう一度返り咲く事が出来る筈です。戦後にこの思想を某国に奪われたと考えていますが。
しかしそれこそが愛国心だと思いますし、先人の苦労を無駄にしてはならない。国力の衰退が止まらない我が国の現状を打破する源となるのではと思います。
頑張ろう日本!! 当然私も頑張ります。
生活保護に代表される憲法上の基本的人権(生存権)は、西洋で生まれた思想ですよ。
産業革命時に大量のホームレスが発生して生み出された人権です。
大日本帝国憲法は、日本で作られた思想ですけど。
飢えは頭がクリアで痛みに苦しむ。 今も、実の親からやられてる現実。 食べ物をあたえず飢え死にニュース。
今食品ロスが問題になってるけど、そういう食べ物をこの時代とか食糧不足の国に送れたらっていつも思うわ
ラキ火山の大噴火で冷夏、浅間山の噴火の年は凶作確定だったんだよ。
浅間の大噴火の痕跡は長野原町(群馬県、八ッ場ダム周辺)に史跡として保存されています。
実は近年古文書も発見されていて、当時の壮絶な様子を伝えています。伝聞ですが聞いた話を書いておきますね。
泥流で多くの人が流され、田畑も使い物にならなくなり、人々は雑草や木の皮まで食べた。
余りの惨状に小さな子供(乳幼児)は川へ返された。これは川が冥界へ通じてると信じられていた為なのですが、親が率先して乳幼児を川へ流すんですね。食い扶持を減らすため、生きて辛い思いをさせないため、色々な解釈ができます。あの世で幸せになって欲しかったのだと信じたいです。吾妻川の淀みにはそういった遺体が溜まり地獄絵図さながらだったとか。遺骸の処置は他の地域と同じ傾向が見られますね。次に誰を食べるかは談合で決められたようです。 江戸の武士の話もどこかで目にしました。妻の遺骸を食べて生を繋ぐ己の浅ましさを懺悔する内容だったと記憶しています。せめてもの救いはこれらの行為がやむに止まれず行われたであろう事ですね。誰だって人肉など口にしたくないわけで。他に食べる物があればこのような事は起きなかった。
中国の屠蜀とは文化背景が大きく異なるので、考察する際はその辺の知識と理解が不可欠ですね。
日本での類似話にコケシや姥捨がありますが、それらも生きる為の選択肢だったと思います。
隣の嬬恋村にある「鬼押出し」や「鎌原観音堂」も、浅間山大噴火の遺構として有名ですね。吾妻川流域の村むらを泥流が襲い、村人たちの遺体が江戸川下流の小岩付近にまで流されたそうです。江戸川区南小岩にある善養寺には、犠牲者の供養塔があります。
今はコロナが姥捨みたいな役割担っているね...
@@鼻毛-b8q さん
姥捨は悲惨な伝承が多いですが、老人が集まって暮らしていたデンデラノ集落跡なども残っているんですよ。
東北地方には「隠居小屋」という文化が近年までありました。老人は家族から独立して暮らすんですね。
老人がほんとに捨てられてきたのかについては様々な議論がなされています。
ひとつ言えるのは、老人になると既存の集団から離れて別の集団に属する文化が存在した。という事です。
自分には詳細は分かりませんが、どれもこれも生き延びる知恵なのでしょうね。
@@toyo-rex4899 さん
小石川まで流れていたのは知りませんでした。補足情報を教えて下さってありがとうございます。
第一次産業に従事しておられる方々に感謝申し上げます。
20歳の頃、自殺しようと決意したものの首をつる勇気がなかったため食を断ち死ぬことにした。
水は飲んでいたが、2日程度で頭痛はもちろん鎖骨背中膝など身体中が痛み始め、こんなに苦しいのかと絶望しました。結局10日ほど粘りましたが死にきれず断念。死を前に頭がクリアなのはつらいね。
10:00ここ夜と霧みたいだなぁ
こないだ相馬行ったとき塚と看板があって何気なく見てみたら、天明飢饉の供養のだった。
連綿と命を繋いできてくれた先祖に感謝。
青森の八戸出身者です。出身者であれば、飢饉の話は小中高で大なり小なり先生や授業の間に聞いた経験がある人が多いと思います。
一個今でも覚えているカッコーの名前の由来の小話があります。
昔々、誰も彼も食べるものがない時代に2人の姉妹がいた。本当に食べるものがない時、芋を2人で分け合うことにしたが、妹は全く足りないと感じた。その妹は姉がたくさん芋を食べたと思い込み姉を殺しその胃の中を改めたところ、胃の中には芋の皮しかなかったと。
嘆いた妹はカッコーとなり、いまも「皮っこ」と鳴いています。
この話は実際先生から聞いたし、八戸市立図書館にある南部・津軽民族話の書籍にも書いていました。
他にも飢餓の話が沢山あるので、八戸来る時は是非市立図書館で調べて見てみてほしいです。
大学で全く同じことを習いましたが、一番興味をそそられた15時間でした、、
「東北地方だけで」っていうか、東北地方の被害がいちばん酷かったようね。幕府の「御救」も翌年に疫病が蔓延してからようやくのことで、完全に手遅れだったみたい。東北地方なら漁業があるじゃん!て思うけれど、不漁が重なって初期の段階で漁師が餓死したり、一時凌ぎのために漁船を売ってしまったことやインフレもあいまって、流通が滞ってしまったのが痛かったみたいね。大漁に恵まれたところもあったのに残念よね。もっとも、魚だけ食べても栄養足りなくて病気になってしまうし、普段食べなれてない農村の人が浜辺の海藻を無闇に食べて病気になったりということもあった様子。当時の餓死者のほとんどは栄養不足で感染症への抵抗力がなくなり病死ってのが定説みたいね。そんなふうに汚染されてることも知らずに「腐る前に食べなくちゃ❕」って、感染体を食べちゃった人は、さらに異常をきたして死亡というループだったようね。タンパク源には、農民もお侍さんも、もっぱら犬猫馬を食べてたんだってさ。現代みたいに調理器具も整ってない時代だから、そりゃぁ病気になりますわな。山に行けば鹿やイノシシが食える❕って思うけど、鹿やイノシシが人前に出るようになったのは戦後の開発が進んでからのことで、当時はほぼ人前には姿を見せなかったんだってね。そういえば、秋田の檜山納豆ってこの時生まれたって聞いたことあるわ。
5:07 天明の飢饉で巨大なダメージを受けた藩ほど備蓄米がなくなる
についてですが、備蓄米がない藩ほど天明の飢饉で巨大なダメージをうける
のではないですか?
コンビニ行ったら好きなものが食べれるって奇跡だよな
某研究機関によると地球は2030年代から天明の大飢饉並みの寒冷期に入るらしい。
熱帯地域に移動移住するのが得策か❓タイとか、、、
@@ぞうさん-c7e
穀物に関しては東北・北海道は小麦やいも類等寒さに強い作物を集中させて、米は北陸・西日本に集中させる。
野菜とか果物は完全ハウス栽培になるだろうな。
@@3910-u6s ないない。
農業にはまず土地が必要。
日本は元々、土地が広くないし、権利者の問題で使用できる土地が制限されるから大規模農業自体ができない。
おまけに農業には金がかかる。
補助金を増やそうにもコロナ等の問題で日本には農業に振り分けるだけの資金はないよ。
@@antiJJ
日本はインフレ5%までなら金刷り放題だから大丈夫。
てか寒冷化は緊急事態なんだから農業が最優先になるはず。
@younagimenagi
そうですよ。
寒冷化対策より温暖化対策の方が儲かるっていうのもある
こういう動画とか見るといつも以上に飯が美味いし生きてるだけで幸せになるなぁ……俺は遊ぶよりも人を愛するよりもこういう幸せが一番好きだ。
メシウマ状態!🍚