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この台輪の「猩々」は先代の村上塩町屋台のものを譲り受けたそうです。山脇三作という人は、18歳で安良町屋台の彫刻を残したとは、本当に驚きです。新潟県下越地域別には「屋台祭」が新発田や新津にもありますが、村上で製作されたものが現在でも残っています。
塩町はすでに先代が隠居様としてあるのでその前のものということになるんでしょうかね。下越の祭りには村上色が今なお垣間見れますが、当時通信も交通も今のように無い時代にどういった経緯で話が決まり運搬されたのかなど想像は止みません😌
@@jyokamurakami 塩町の先代の猩々様であるご隠居は現在の屋台が造られてからのもののようです。先代の塩町屋台は一回り小ぶりだったので、猩々様も小ぶりでした。その猩々様が中条に譲渡されて、台輪に乗せられています。ずっとむかしから塩町の乗せものが猩々様というのは、能楽の六番の演目でもあった事から、屋台の順番も当時から六番だったのかも知れません。
@@SuperFour-ng6im 深い話ですね〜🫢こういった話もっといっぱいあるんでしょうね🧐
この台輪の「猩々」は先代の村上塩町屋台のものを譲り受けたそうです。
山脇三作という人は、18歳で安良町屋台の彫刻を残したとは、本当に驚きです。
新潟県下越地域別には「屋台祭」が新発田や新津にもありますが、村上で製作されたものが現在でも残っています。
塩町はすでに先代が隠居様としてあるのでその前のものということになるんでしょうかね。
下越の祭りには村上色が今なお垣間見れますが、当時通信も交通も今のように無い時代にどういった経緯で話が決まり運搬されたのかなど想像は止みません😌
@@jyokamurakami
塩町の先代の猩々様であるご隠居は現在の屋台が造られてからのもののようです。
先代の塩町屋台は一回り小ぶりだったので、猩々様も小ぶりでした。
その猩々様が中条に譲渡されて、台輪に乗せられています。
ずっとむかしから塩町の乗せものが猩々様というのは、能楽の六番の演目でもあった事から、屋台の順番も当時から六番だったのかも知れません。
@@SuperFour-ng6im 深い話ですね〜🫢
こういった話もっといっぱいあるんでしょうね🧐