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身勝手だと言われても自殺する権利が欲しいですね。どうせ誰も助けてはくれないし、自分も変われないのだから、せめて終わりにする権利ぐらい欲しいです。死んだあとバカにされても全然構いません。
「自分が死んだら迷惑がかかる、知り合いを悲しませる」がストッパーになっている方もいますけど、逆もあるから難しいですよね「自分が生きてることが迷惑だ、早く死ななきゃ」と考えて、消えちゃう人います
まさに、それがぐるぐる頭が自問自答しています。「もし今、私が死んだら家族のお金が浮くなぁ」とか「私が死んでも社会は何も変わらないよね」とか。私は親しい人や身内自殺したときの、「自分の育て方」親の後悔や身籠った奥様を見ていると、やっぱり踏みとどまってしまいます。そして、こんな考えが過る自分が、とても嫌いです。
自殺する人よりも、自殺したいと思う人が一定数でるような社会の方がよほど身勝手だと思いますね
死んだら無になるので、残された人達が苦しもうが、悩もうが、悪口を言おうが、本人には全く感じられないので、自殺に善も悪も無いと思う。父は自殺で亡くなったけど、自殺するほど人生苦しかったんだから、自ら無を選んだのも無理ないな、と今では納得している自分がいる。
気持ちがつらくなったとき、毎回決まって「生きていることを誰も許してくれないのに、死んでも許してもらえない」「生きているだけで怒られるし、死んだら死んだで怒られる」という考えが延々と巡る苦しいねどうしたら生きるに値すると自分で自分のことを思えるようになるんだろうね
全く同じことを考えてました。
たまに自殺する人の気持ちがわからないという人がいるが、死にたいとばかり考える人からしたら想像できないぐらい豊かな人生、強い人間なんだなって思う。
向こうにいっちゃった人を悪く言わないでください。そして、戻ってきた人に「バカなことをして」と、責めないでください。お願いします。
自殺未遂してその後責められ続けています。つらいです。
私は向こうへいった方の葬儀に参列したことがあるのですが、第一発見者になった父親、姉兄よりも先に自死した末弟に泣きながら語りかけている姿を見ていると、その人を大切にしていた人に一生消えない傷を負わせているようにしか見えませんでした。どうして、こんなに近くにいたのに気付けなかったんだろう。親なのに、息子の心を守れなかった。親失格だ。家族失格だ。私は後追いするのではと、心配でたまりませんでした。だから、少なくとも自殺を選んだ伯父は、最近亡くなった祖父に怒られて、お酒飲んで、たくさん話していてほしいです。
弟に死なれてます もぅ受け入れるのみです 苦しんで考えた末だったと思ってます ただ理解はしないです
本当に苦しくて、死にに行くときも、死んでしまう時も、その後のことなんて考えてられないんじゃないかと思ってしまいます。死語の世界がないならば、自分がなんと言われてるとかわからないわけだから、本当にやってしまう人は黙っていってしまうと思います。本当は幸せに恵まれて生きたかったと思いますので、無念だったろうな…。
例え、親、兄弟、友人がどんなに愛していたとしても私は他者を救うのは不可能だと思います。自死遺族の方にかける言葉は思いつきません。何を言ってもやはり救いにはならないと思うから…。でも、愛しておられたなら…。限界まで耐えたんだといつか許してあげて欲しいです。🙇🌌
私は安楽死は絶対に制度化して欲しいです。安楽死によって救われる人が必ずいるからです。綺麗事では生きられない現実が本当にある世の中では安楽死がないこと自体が拷問です。安楽死があれば無駄な税金を使って頂かなくても良いです。私には安楽死が必要です。私は冤罪被害者です。人生が狂いました。世の中は悪い人間ばかりです。生きていると嫌な事ばかり見なければいけません。戦争だってあるし世の中は地獄です。
私は40になったら自決(自殺)しようと決め、現在終活をしています。社会に嬲り殺しにされるくらいなら潔く自決する方がマシです。
身勝手なのは一体どの立場なんだろう耳障りのいいこと聞きたいのは自殺を考えたことのない人たちなんじゃないかな壮絶で辛い、どうしようもない感情は誰だって知りたくないし味わいなくないだろうし
安楽死がダメなら死ぬまで眠り続けていられる制度とかできないかなって目が醒めた瞬間がもう辛い
益田先生の動画が毎日、本当に救いと癒しになっています。いつも、ありがとうございます!先月、最愛の6年付き合い、精神障害者同士で、結婚もゆめみていた男性が、マンションから、飛び降り、亡くなってしまいました。彼は30年くらい統合失調症の薬を飲み続け、中学の時の命と人生を奪われるくらいのいじめのトラウマで、対人恐怖症になり、ここ20年くらいは、働けなくなり、孤立していました。でも、性格もいいかたで、生活も一生懸命していたけど、やはり、近所の妄想や幻聴などが時々出て、亡くなる3ヶ月前までは、解離性障害で、幻聴、幻覚、多重人格、感情失禁も出ていました。そんななかでも、私の事は私が仕事をしている事もあって、心配したり、大事にしてくれたり、最後の日、すごく不安定で、病院に強引にでも、連れて行っていたら、よかったのか、と悔やみもしますが、ご両親が一緒にいてくれて、ありがとう!と、ほんと、優しくて。これは、彼、本人が選んだ事でなく、病気がそうさせたと、私は、彼の病気との日々の戦いで、そう思います。生きていたら、本当によかったけど、彼は苦しくて、しょうがなかったのだと。今でも、同じマンションに住んでいたので、飛び降りた時の音と発見した時の姿は、なんとも、人生には、こんな事がと、ショックでした。いまでも、生きていた時の笑顔やいろいろな事にときめいていて、一生をかけて、守り、守られたいひとでした。6年間は奇跡で、幸せで、やはり、お互いの主治医や、応援してくれてた方々にも、感謝です。亡くなってしまいましたが、亡くなった本人にも、あなたがいてくれて、私は人生で、喜びと幸せを知り、さらに、悲しみも知れました。彼には、本当に感謝しています。言うのを遅れましたが、私は双極性障害です。彼は私の病気を勉強してくれて、いつも、心配して、応援もしてくれていました。どうか、これから、益田先生のようなお医者さんが増えて、病気を持っていても、日常に負けずに、少しでも、楽しく、生きていける患者様になっていけますように、祈っています。彼も、優しかったから、そう願っていると思います。
10代の頃に姉が自死し、数年前父も自死、母は父の後を追い未遂して医療保護入院、自身も9歳から希死念慮があり、自死目的でODをしたことがあります。今まさに記念日反応で希死念慮が強く、自傷しながらなんとかやっていますが、これでもまだ生きていなければならないのかと思います。毎晩このまま目が覚めなければ良いと思って眠りにつき、目が覚めてがっかりする毎日です。 自分を責め続けていて苦しいです。生きたいと思って生きられるようになる日は来るのでしょうか。 自分の代で終わらせる為に子どもは絶対に産みませんが、やはり自死遺伝子というのはありますか
多分自死遺伝子があったなら、とうのむかしに死滅しているのではないでしょうか。 大変お辛い記憶の中で生きられていると思います。 過去は変えられないし、今の今というのもなかなか変えられないです。 自分は、「悪徳政治家よりは自分の生命の方がはるかに価値がある」と考えていますから生きられます。 「プーチン」や「中国のプーさん」よりは、自分の生命は遥かなる高みに価値があります。 今はそんなどす黒い感情を抱えて生きています。 最近は、「老害プリウスミサイル上級国民よりは」とか「ビッグモーター元副社長よりは」とか、自分が見下すことができる輩が多数発見されていますので、生きやすくなりました。
本当につらいものを背負ってるんだなあと思います。自分もどうにもならない日々が続いてて死にたい死なせてくれと願ってしまいます。けど元気な時期って生きようと思えますし、今は鬱だから死にたい気持ちが強いんだって思うようにしてます。毎日葛藤があって戦いがあると思いますが少しづつ良くなってきますよ!絶対良くなります!
遺伝子というか病気なんだと思います。環境にもよると思う。
一体、何故このような事になってしまうのだろうか。
自害願望は遺伝的なモノだと思いますね。金持ちでも貧困層でも親、兄妹、叔父、叔母辺りに1人でもいるとドンドン増えていく。感情の処理方法なのか、脳の作り方なのか。鬱に成りやすさは遺伝的。心臓病も遺伝的要因。私も重度障害者で遺伝する確率が高いとのことで、子供は諦めました。疾患遺伝子家系は私で終らせなくてはいけない
自殺したら確かに迷惑だと思う人もいるかもしれませんね。私は弟が自殺して見つけたり事情聴取を受けたり部屋の片付け等しても迷惑とは全く思わなかったですが。遺された人の苦しみが〜とか言う人もいます。でも誰より苦しいのは自殺を選んだ本人だと思いますね。
死にたいんじゃなくて楽になりたい。生きる為にやらないといけない拷問とか、不治の病の痛みや苦しみから楽に解放されるんなら他人の評価なんざどうでも良いってのはあるだろな。
「動画では意地悪なことも言う」これは突き詰めると治療やその先の社会復帰も含めて、「社会で生きる以上厳しいことを耐えて乗り越えなきゃいけない」ということがあると思います。問題は、特に自ら人生を終わらせたいと思うほどの思いに駆られている人にとっては「そもそもなんでそんな厳しさに耐えてまで、生きなければならないんだ?理由はなんだ?なぜこうも、『生きることが当たり前』みたいに肯定されているんだ?」という疑問と言うか、「せめてこの苦しみや辛さや厳しさに耐えるだけの明確な理由をくれよ」というような思いがあるのではないでしょうか。昔はそれに対して「神様が見ているから」とか宗教が答えらしきものを与えてくれていましたが、科学技術の発達で様々なものが明らかになり、より便利に安楽にと突き詰め、ひたすらに技術の進歩や社会の経済的発展を無邪気に賛美している現状の社会では、その成功の波に乗ることが出来ていないと「辛い、なぜこうまでして・・・」とまで思い詰める人が出ても、おかしくないような気がします。
言っちゃあ何ですけど、引き留める側も決行する側も所詮はエゴかと。身勝手と言われた所で「身勝手はお互い様でしょ」としか思いません。一部だとは思いますが引き留める側に嫌な仕事を押し付ける相手がいなくて困るという、極めて身勝手な理由の方が散見されますので。
別に死後の評価はどうでもいい今の苦しみから逃れたいから死ぬのです武士の腹切みたいな高尚な話じゃない遺されたひとは悔やめばいいんじゃないですか何も出来なかったと。そして助けられませんから。助けられると思えるとこが傲慢。
本当に頭がいいのね。経営とかも忙しいのに、まるでプロの哲学者…
いつも自分が死んだら家族が悲しむとか自殺した人として心に残るのは悔しいとかで自殺を思いとどまる人を見かけるたびに不思議です。残された側のことなんて死んだら自分の心は無くなるし考えるだけ無駄なんじゃないかと思ってしまいます。私は自殺した人に対してネガティブななイメージはないです。むしろ、甘えだとか逃げだとか言って最後の最後まで攻撃するような人間よりはマシだと思います。
鬱から双極に悪化した者です。約10年です。今年娘が無事社会人となり、独立しました。大学卒業までは授業料と生活費の支援、時に相談相手となり頑張ってきました。中学高校時代、私の鬱のせいで我慢させてしまったと思いますが、娘が誰よりも私のことを思って見守ってくれていました。その娘が旅立った今、目標がないことに気づいてしまいました。診察予約、美容院予約、コンサートチケット購入、全ては「死なない理由」にするためでした。双極に加えて、長年謎の不調がパニック障害だと分かり、その原因が夫だと判明。思えば夫のいない時に不調になったことはありません。なんかもう死なない理由なんて無くなりました。益田先生のウェルテル効果の動画何回見ても腑に落ちないんです。ほんと疲れました。
娘さんの死因は事故ですか?事件ですか?或いは察するに貴女と同じ自害でしょうか?鬱が家族にいると本当に大変で、気を遣いすぎて介護疲れのようになります。遺伝的なのかトラウマなのか学問として気になります。
誤解を招く書き方をしてすみません。娘は社会人として自立しました。遠く離れても、頑張って働いて休みの日は泥のように眠っていると聞いたら、こちらから頻繁に連絡するのも気が引けて…空の巣症候群みたいです…
@@みほりんりん-r4m 旅立ったと言うよりは、巣立ったと言うことでしたか。おめでとうございます。独立するまで育て上げのだから親として、生物としてご立派です(^-^)
自殺は他人から見たら身勝手だし罪だと思いますよ。たとえ私自身が死ぬことになったとしても、他人に理解してもらおうとは全く思いませんね。むしろ、迷惑であって欲しいとすら思うくらいです。それを非難されたとしても私はこの世にいませんから。自殺する人間が社会に責任を持ってるのと同じく、社会も個人に何らかの責任があるはずなので、自殺者が出たらそれは社会に何割か責任があるでしょう(ベストは尽くしてるかもしれませんが)。それでも社会の側も個人に対し責任を取りませんよね。何かしら考えるとは思いますが。むしろ、自殺する人間が死んだ後も「あいつは身勝手だ!死ぬぐらいなら他にできることあるだろ!」と言われるから当人は自殺するんでしょうね。
自殺が身勝手なんて言わないで欲しい。
生まれる時は祝われるのに死ぬ事はなぜネガティブなんでしょうね。入り口があれば勿論出口もある。入り口は選べないかもしれない。でも出口へ行くのは自分の意思決定で選択できるなら自由でいいんじゃないかと思います。
先生いつもありがとう。
身勝手と言ってるのは本人以外のひとでしょう?その人を取り巻く環境も要因である可能性もあるのに、周りから身勝手と言われても…周りのひとがそう思うってことでしょう?押し付けられてる感じがします。私は、なにをしてもどうにもならなくて崖っぷちまで追い詰められて、逃げるにはそこから飛び降りるしかない、みたいな心境でした。認められなかろうがそれしかないと思ってしまう。身勝手、という言葉以外に表現はないのでしょうか?
私は自死遺族かつ精神障害者ですので、自死する人のことも、自死された遺族のこともわかります。とても苦しいことです。こういうこともある、それがこの世というものなんだろうな、と思います。この動画で救われたり助かったりする人がいると思います。
いつの間にか知らない内に借金させられている、知らない内に契約させられ、社会に参加させられているという表現、とても分かりやすいです。本当にそうです。幼少期から産まなきゃよかったと親に言われながら虐待を受け、親元を離れた今も、持病や色々な事と戦い続けています。親に産まなきゃよかったと言われた時、心の底から「こっちの台詞だ。人生辛く苦しい事が大半なのに、生まれてきたくなんかなかったよ。本当に迷惑な事を...」と思っていました。希死念慮がある人、実際に自殺する人がたくさん存在する社会自体にとても問題を感じています。死にたい時は、せめて苦しんで自殺する人々をなくす為に安楽死を合法化して欲しいと切実に思います。ただメンタルの状態や体調には波があり、生きていて良かったと思える瞬間も稀にあり、安楽死が合法化されている国でも条件が厳しく設けられている事は理解できます。
現在30代半ばですが、近しい人の自殺を2回、経験しています。1人目は会社の先輩。盛大な結婚式をして、初めての異動で希望に満ちていた先輩は、異動して1ヶ月後、GW前に奥様とお腹のお子さんを残していきました。四十九日が終わったあと、当時の仕事メンバーでお線香を上げたときの係長が「○○君」と仕事野時と同じ呼び方をしていた姿は今でも鮮明に覚えています。2人目は母方の伯父。母方の祖父と二人暮らしで、祖母はパーキンソンで入院中。第一発見者は祖父でした。母は長女で、突然弟が自死したので後を追わないか、とても心配でした。二人とも、突発的でした。正直、当時は怒りがわきました。何故家族を置いて、苦痛から逃げるのか、と。特に伯父には憎しみすらありました。「なんであの世に逃げたんだ」と。一方で、私自身が何度も何度も死にたいと思った時に、大切な人が悲しむ顔が浮かんで、なんとか踏みとどまっているのに。という、勝手な八つ当たりもありました。私は、たぶん孤独になったら行動すると思います。悲しむ人がいなくなって、私の事を忘れてくれたら嬉しいです。
まあ何を言われてもというところではありますよね。
私は自分が自殺をした後は好き勝手言われても何とも思わないんですよね。だって、死んでるからそれを感じ取ることは不可能でしょ?死んだのにまだ生きようとするその感覚が理解できない。自殺未遂を繰り返していると、周囲も慣れるんですよね。人間ってそういう風にできてるんですよね。だから、こちら側としても私の自殺願望は消えないし、例え自死したとしても日常的に臨んでいることなので気にする必要はないと伝えてはありますね。案外、前もって伝えていることでダメージは少ないと思ってます。一応、これが私にできる精一杯の気遣いなんだけど。友達もいないし、ずっと独りですし、何と言うか最後まで周囲の人達ってク○我儘だなとしか思えないんですよね。
生きてきても死んでも迷惑かける
家族にはもう長年以上貢献したので自分の事は自分で決めたいですね。身勝手な人が多いので開放されたいです。
自死することがいけないことと、本人の辛さが認められてないように感じることこの2つが混ざっちゃうと難しく感じます。
色々なことが重なって夫婦ともに鬱状態になり、夫からのモラハラや暴力もあり、地獄でした。それでも前のような温かい関係に戻りたいと思い話し合おうとしましたが彼は通院もやめ、聞き入れませんでした。ある日仕事の後突然子どもの保育園に迎えに行けなくなり、自死しかないと頭に浮かびました。もう何も見たくない、死ねば子どもが苦しむ姿すら見ないで済む、と。結局どうしたら死ねるのか分からなくなり、家に戻り、数日後さらなる罵声を浴びました。それでも日常を続けましたが夫はその1ヶ月後に突然子供を遠くの実家に連れ去りました。這いずるように両親と共に彼の実家に行き、そこで今まで理解者だと思っていた義母から、性格から病気から母としてのあり方から、私が生きていることすら何から何まで全否定され罵声を浴びせられました。それでも、一晩子供を預からせてもらった翌朝「おかあさんと帰りたい」と子どもが絞り出すように訴えました。家裁の調査官には夫の病気は重視されず、わたしの監護者の権利は認められず、別居して週の半々で子の面倒をみています。今は死にたいとは思いません。別居中の夫も少しずつ歩み寄りを見せています。私は自殺を身勝手とは思いませんし、(益田先生の考えを否定するのではありません)自殺なさった方を責める気はありません。本当に自然死に近いような偶然の重なりだと思います。でも死にきれず生き延びてしまった結果さらなる地獄が待っているか、わたしのように前よりはマシな結果が待っているかは賭けでしかないです。少なくとも生きていた方がマシな結果が待っています。そもそも死にたい時に死ねるかどうかさえわかりません。先のことは本当にどうなるか分からないんです。なので自殺はギリギリ自分の意思で止められるのならしないほうがいい。というのが私の意見です。人を殺さず、自殺しよう、と思った時点であなたの中には良心がある。その良心だけで生きていて良いんです。自殺願望が起きた時はできる限り嵐が過ぎ去るのを待つように辛抱することです。後悔しないためにギリギリまで辛抱して欲しい。
こんにちは拝読していて、お子さんの可愛さが身に染みました旦那さんが通院を再開してくださると良いですね義母さんにも言いたい事が沢山おありかと思いますいつか少しでも昇華されますよう🙏
@@mooooonchie さん温かいお言葉ありがとうございます。親バカですが本当におしゃべりでワガママで可愛い子です。わたしは沢山の人に愛されて助けて頂いていたのに、こんな私でも贅沢にも自死を考えてしまったことがある。誰のせいでもなくままならない事なのだと、私個人の感想ですが誰かの心の慰めになりたくて書かせていただきました。義母には罵声を浴びせられたあと「わたしは結婚したことを後悔していません。皆さんにも感謝しています」と言いました。その時の義母のハッとしたような放心したような顔が忘れられません。それ以来会っていませんが、充分だと思っています。
どなたかもおっしゃっていたように思いますが、自死は本能的な部分も大きいかと思います。希死念慮が起こるたびに、配偶者を深く傷つけること、老いた母の心を深くえぐること、兄弟を怒り悲しませること、私の遺体を見た人々のトラウマとなること、特に子供が。そして私と同じ病気、双極性障害、視力障害、下半身の障害、などを持った人々の希望を断つこと、などを考えると、その時をできるだけ引き延ばさなければならないと思っています。ずっとずっと希死念慮と戦っています。絶対生きてやる、絶対生き抜いてやる、は、社会に対してではなく何か動物としての本能のように感じます。そして、たどり着いた結論が自死なら、決して「自分勝手」なものではないと思います。
「身勝手」とは思わないですが、自死を選ばざるを得なかった状況に追い込まれてしまったのだろうかと想像すると、知人でなくとも切ない気持ちになります。複数の道を、社会として提供できなかったのかと。知人ですと、ほんとうに、哀しいです。苦しくて苦しくて苦しくて、そこから逃げたいと思うことは誰しもあり、その究極の表れが自死なのかなと思います。こんなに苦しいから生きていたくないということは、苦しさがなくなれば生きていたいのではないかと思われ、少しでもやさしい社会にしていかないといけないなと思います。
初コメントです。もう既に限界を通り過ぎています。鬱病歴20年以上でアモキサンが服用出来なくなった今は毎日が苦しいです。自殺は身勝手という事は理解していますが、家族との関係等が嫌になり、生きているのが辛く苦しいです。もう無理…という自分に勝てそうもありません。20年以上耐えてきたのでもう限界です。
私は幼少期から家族がどうしても好きになれず成人してすぐ家族と離れました。しかし安住の地はなかなか見つからず、見つかったときもありましたが、永遠には続きません。今は、その時々に理解し合える相手が見つかれば超ラッキー!位の気持ちです。好きになれない家族は、人間的に成長できなかった家族、不本意でも親しい身内と傷つけあうと苦しみが倍増します。絶望感が生きる気力を奪うので、極力非難するようにしましょう。
漢字訂正 非→避難
とても興味深く観ました。上島竜兵さんが亡くなった直後、主治医に伝えことがあります。17年もお世話になっていて、初めて話しました。思わず涙が溢れました。最初の診断は他の病院。「鬱」と告げられた瞬間、2人の幼子と、妹のように可愛がってくれた先輩(鬱、自死)の顔が浮かび「絶対に自殺しない」と心に決めました。先輩がいつも私の中で「Yちゃん、自分の思うように生きて」と励ましてくれている気がするのです。主治医は、そういう気持ちは大切だねと共感してくれました。…因みに私の脳内で不要と信号が送られたらしく、モラハラ夫は浮かびませんでした→離婚😊
身勝手だから何?って話
本人の苦しみは本人にしか分からない😢
浩美さま。苦しみのさなかにいますと、そう思っても仕方ないと思います。しかし、同じような体験をした者は痛いように感じます。あたかも。自分の事のように。私もたくさんたくさん傷ついて来ましたが、まさか、治療も進み、出逢いによっていま生かされています。希望を少しでも良いので持っていただけると嬉しいです❀
@@藻塩-o4p まさかの返信、ありがとうございます♪嬉しいです☺️20年前、旦那からの言葉の暴力により、鬱、パニック障害、喘息を一気に発症してからは地獄でした😢心を病んでいた友が、毎日一品料理持参し話し相手になってくれ次第に笑顔が😄友にお返しをと思う前に、友が自死を😰🥲鬱がぶり返し、毎日泣いて暮らしてましたが知り合いが、泣いてばかりいたらあの人が悲しむよの言葉に前向きになれるようになりました。今では、何とか仕事が出来るまでに回復❤️🩹時々、友を想いながら生活するのが友への恩返しと考えております😊長くなり、ごめんなさい🙇♀️
20代後半にうつ病になってから数年間は毎日自死を考えてました。朝がくるのか辛かったです。また苦しい1日が始まってしまうと思って。それでも踏みとどまった理由はただ臆病だっただけ。死が怖かったからです。臆病だから死ねなかっただけですが、そのお陰で昔よりは自分を受け入れADHDなりに楽に生きられるようになりました。でも自死を選ぶ方は恐怖より今辛かったのだと勝手ながら思っています。ただもし、自分の身内や大切な人が自らの意思で逝ってしまったら「自分たち家族を置いて勝手に」と思ってしまうかも。悲しみが大きすぎて。でもそれ以上にご本人も辛かったってことですよね。
脳の病気や社会の仕組みだと分かっていても、勝手に背負わされた責任には、適応できる人とできない人がいて。できなくて心が一杯一杯になった人が、死にたいとか、消えたいって思っちゃうのだろうなと。いろんな考え方があるのは分かるし、哲学ってすごいなと思うけど、腑に落ちないところも多くあって。結局は消えちゃった方が幸せなのではないかと考えてしまう、人間ってなんなんだろう。
私やあなたが頑張って生きるのも自由だし、死ぬのも自由。悲しむ人はいるかもしれないけど、その人たちが悲しみの中生きていくのも自由だし悲しみに耐えれず自死を選ぶのもその人の選択することであって自由。自分が好きにしたらいい。
夢や希望を抱くことが必要ない状況に陥った時、人は希死念慮を抱くのかもしれない。私は、昔、身近な人から自死は自己愛だよ。と言われ、自死を免れた。今、人生2度目の強い希死念慮を抱く状況に陥った。それは希望と夢を抱く必要がない身体の状況となったから。もしも、この世に神が居るのなら、現実を覆し救われたい。でも、この世には神という実存的人間は居ない。しかし、真に人を救えるのは人である。私は先ず、他者に心を開くことから行わなければ救われないだろう。自身の内省だけで問題を解決することにもう疲れ果てた。少し早すぎるが、そろそろ他者の協力を得なければならない人生の時期がきた。
最近比較的穏やかでいるんですけど、余裕が無く自死に悩むような頃を思い返すとつくづく視野が狭くなっていたと感じます。それが故に「本来他にもある選択肢が見えない状態になる」というのが辛いところです。今悩んでる方がいたら、「状況はだいたい思ったよりも悪くなかったりする」ことを知ってほしいなと思います。
孤独死とどう違うのか、わかりません。両方迷惑と言えば迷惑です。私は独居なので、変わりはないです。死にたい。
身勝手だとわかっていながら人から言われるとつらいのはYouメッセージだからだと気がつきました。
本当に決心された方は周りに悟られる前に実行へ移している方が多いと思うので、当人の中でしか分からない葛藤もあるのだと思います。
死にたい気持ちを抱えながら生きるのは底なし沼にはまった状態から早く上がってこいと急かされている気持ち。進むのを諦めて沈むままにしてしまいたいが、沼の外からは励ましや、的外れなロープが投げ込まれる。誰も問題そのものの『底なし沼』を解決する事はできない。他からは沼なんて無くて独り藻搔いているだけに見えるのかもしれないけど。
益田先生、動画ありがとうございました!「いつの間にかしたくも無い借金をさせられている」というのは寄り添いのある優しくて先生らしい表現ですね今まで沢山の人たちのおかげで生きてこられました未熟な自分を叱らず許してくれた世の大人達(なので私も少しうるさい子供が居ても元気良いなぁで済ませます)おいしい食物を育て運んでくれる方々(なので一食に感謝しフードロスをしないよう励んでいます)私の、この恩返しをしなきゃと思っている感じを言い換えると借金なのかしら?とも思いました。しかし、どんなに借金を返しても、私が受けた融資には届かない気がしていますここでコメントされている皆さんにも勇気をいただいていますありがとうございます☺🙏
アンケートには最近度々コメントさせていただいていますが動画にはおそらく初めてです。今回の自死の件については確かに個人の苦痛の大きさと他者全体の苦痛について思うことががありました。宗教的要素がゼロとはいいませんし、個人的には関係ないと考えています。ただ個人的苦痛を他者が理解すると考えた時にその他者とは?家族?親?主治医?兄弟?友達?といくつか浮かびますがどの1つとして本人のそれより苦痛を上回ることはないと考えます。今の自分の周りに死後を否定する人はいないと思いますが苦痛である今を全てにおいて救えるひとは自分にはいません。仮に自死や病死したとして同情はしてくれる人はいると思いますが何の意味もない。そういうのは親孝行は生きてるうちにというのと同じで死んでからどうのこうのするものではないと思います。人の自死は神秘でもなく諦めの果ての一種かと。1番の苦痛は、生きていたくなくて死にたいけど自死を選ぶことを激しく否定されていたり、働き全うし、生き抜くことを説かれることです。死にたいわけではないけどこのままでは働けない、働きたくない、それで済むならその方が良いけど家族や友人にそうすること、例えば生活保護を受けたりして生きていくことを許容されないという事実がつらい。だってよくなりたいとは思っても=働きたいではないからです。だけど死ぬな?個人の言い分が勝手だというならまわりの言い分も相当勝手だと思います。長くなりすみません。
福祉を受けてはダメだ、という周りの反応が理不尽ですよね
私事ですが、今ちょうど創世記を学んでいて今週は有名な「ノアの箱舟」をやっていました。創世記をはじめて学んだのは学生の頃で、当時は何の事かよく解らず何て残酷なんだ神様は、と思ったのですが、年齢が上がるにつれノアの話は神による「選別」なんじゃないかと思うようになりました。あらすじとしては旧約聖書の創造と破壊の「破壊」で、神は人間を造ったが、人間たちは神の言う事を全然聞かず勝手な事ばかりしているので神が怒って洪水が起き、生き残れたのは箱舟に乗った人間だけだった、というものであります。少し話は飛躍しますが、とくに自死、という考えで捉えるなら私は、自分の意思とは関係なく「箱舟に乗った側」だと思ったのです。一件、自分の意思で生き残っているように感じて、実は違う。生き残れるように「選ばれていた」んじゃないか、と。何故私が生き残る方に選ばれ、今ここに生きているのかは正直わかりません。いつも毎回、教典で説明して申し訳ないのですが、私は、自死はそもそも宗教以外での説明は難しい、と思っているのでご了承ください。旧約聖書でノアの箱舟に乗る乗らないが発生するのは、そもそもは「強い嵐が来たから」。「強い嵐」が実際に起こってしまうと、「生きるか死ぬか」は、もうただ単に神による選別だけ、簡単にいうと、生きるか死ぬかは運のみ、になります。なので大切なのは、「強い嵐が来ないようにする」事なんじゃないか、と思っています。じゃあ具体的にどうすれば防げるか科学的に…という説明は私には出来ないですが、自死の問題は、一件すると社会の問題で、実は自分自身の問題でもあると思っています。命について考える動画をUPしてくれてありがとうございました。活動応援しています。
家族や友達、大事な人達には絶対自殺して欲しくないけど、嵐のなかで自我が歪められる程苦しみ続けてる人に、逃げるな!なんて言いたくないとも思う。生物には自分の命を自分で決める権利があると考えてますが、議論で話す時と、隣人が自殺しそうな時とじゃ考えが変わってしまいそうです……
これだけ社会からダメ人間と知らしめられているのに、それでも周りへの影響を考えて自重しろという論調を感じます。社会が私をいらないといっているのに、社会に馴染む努力をするのも社会のために生きるのも嫌です。誰もが自分の意思で生まれてきたわけではないのであれば、せめて死ぬことは自分の意思で選ばせてもらっても良いのではないでしょうか。何歳くらいでどのような死因で亡くなるのが妥当ですか?また、死ぬ年齢・死因で社会的影響はどのように変わりますか?自殺:10~20代、30~40代、50~60代、70代以降病死、事故死:10~20代、30~40代、50~60代、70代以降周囲の人の受け止め方は病死と事故死と自殺だとどう違うんでしょう。影響が少ないから良いって話ではないんでしょうけど、元々マイナススタートなのに0にする努力が虚しくてもう何も頑張りたくないのです。落伍者扱いされながら頑張れと言われるはもうたくさん。もう普通の人になる努力をしたくない。個人的には、終わりが見えている方がそれまで頑張れそうだと思います。以前、海外で精神疾患でも安楽死が認められた事例があると本で読みました。基準はかなり厳しいようですが、将来的に日本でも安楽死ができるようになれば自分としては生きる気力が湧いてきそうです。それこそ周囲の人の心のため、というのであれば安楽死制度を導入して、事前に周囲への報告や相談ができるようにすれば良いと思います。とはいえ、個人の意思決定権が弱い日本での導入は先が長い話だとは思いますが。
5-60でいく人多いですし、再就職が難しくなる位が落とし所じゃないですかね
人の精神に関わりたい人は活動の目的を死にたい人を救い出そうとするのでなく、生きたいと願う人の手助けに回る方がいいと思う。
同意ですね。生きたがってない人からすればありがた迷惑なことが多々あります
一当事者の意見です。社会から役割を期待されていても、アドラーも言うように、人は他者の期待に応えるために生きているわけではないので、死ぬのも権利、生きるのも権利と思います。あと、私は安楽死制度には賛成です。福祉施設に頼ることができず、重度の障害者の世話をし続けないといけない家族の選択肢を増やすことは急務だと思っています。冷たい意見に聞こえるかもしれませんが。
何度もすみません、これ実体験をそのまま書きますが街中で恫喝されたことを注意喚起として公表した結果「証拠がないから虚言だ」「被害者にも落ち度が」などの誹謗中傷にあったときの話ですあまりにも耐えられなくて自死を決意したとき、それでも家族や友人のことを考えてさいごの力を振り絞りいのちの電話に相談しました「こういうことをされていて、わたしが悪いとしか思えず死ぬことしか思い浮かびません、ほんとにわたしが悪いのでしょうか?」という相談内容です「あなたがそう思うんならあなたが悪いんじゃない?うん、あなたが悪いよ。でもそれで死んでいいの?あなたが悪いのに逃げるの?なら別に死ねばいいんじゃない?他人に迷惑かけるなんて死んでも価値ないんだね」みたいな回答でしたその直後に人生で初めて、入院沙汰になるレベルの自殺未遂をしました。無知すぎて失敗しただけで、知識があれば成功していたと思いますだから「死ぬのは迷惑」なんてなんの抑止力にもならない、むしろ自殺行為の引き金になったんです人を正論で諌めるとはそういうことなんです死ぬのはよくないからがんばろうって縋った先でそれをやられてしまったら、残されているのは死だけなんですよどうか伝われば、とそして、安易にいのちの電話を勧めないでと個人的に思ってしまいます………そこは人によりけりで、ただ話を聞いて貰えるだけで助かる人もいるかもしれないけど、わたしは逆に殺されかけたので一例として
@@amayadori7198 「絶対いる」とは言いきれませんけど、「いのちの電話に助けを求めれば助かる」というのもまた「絶対」ではないな、と、そんな経験をしたわたしは思いますねえ…( ´∵`)精神疾患って他の病気よりも個々の事情や背景が深く関わってくるでしょうから、話を聞く側がそれらを無視した対応をとることのリスクは大きいですよね「これは絶対にしてはいけない」というのをマニュアル化してそこだけは徹底的に守るというふうにしないと相談したせいでより傷つく人はこれからも出てきそうで心配です( ´∵`)
ASDで人と繋がれないの本当苦しい。一生真綿で首絞められ続けるような。健常者の方々には理解できない感覚だろうけど苦しいの認められたいわ。
就労移行支援などの福祉を使うのはどうでしょう?
ASDでずっと友達がいない学生時代を過ごした我が子の辛さを本人からも聞き、親として産んだ事が、ずっと苦しいです。今はA型事業所に通所してますが、就労移行支援事業所も、大学四回生の半年間通いました。そこでも、支援員がASD特性の強い利用者に、差別発言や理解の無い対応をしているのを、目の当たりにして親子で絶望しました。何処にも、心から安心して過ごせる場所は無いのかもしれません。これが現実と受け止めながらも、生きているのは苦しいです。
一生真綿で首をしめつづけられるかのような苦しみ、まさに今それですよね😢
@@桐原仁 働けないわけではないのです…バイトなり作業所なりありますが一緒の空間にいるのに共感や気持ちを察する言語外コミュニケーションが取れなくて人と繋がれなくて孤独感が募っていくんですよ。それが生きてる限り永続で続いてる感じです。
存外福祉施設も障害者の扱い雑ですからね。お試し程度でしか勧められないです
苦しい人には救済ですから😅悪だという人は健康体で安全圏から申してるのでは..❓️
私は、少し前に進めた時に、主治医に頑張ったね、と言ってもらいたいです。家族含め、良かったね、と言ってくれることはあっても、頑張ったね、と言ってもらえることはなく、報われない感じがしてしまって。まだまだ長い道のり、半年に一回でも、頑張りを労ってもらえたらな。
身勝手だという人の気持ちもわかります。自分も父が自死した時そう思ったし著名人だって社会的影響が強いのに、と思いますし公共の場で他人を巻き込んでしまった方にも思います。でもその気持ちは瞬発的というか「自死」という衝撃に対して誰もが最初にもつ感情ではないですか?そして亡くなった方の背景など情報が足され「そんな事があったんか」「それは辛い」など共感や同情が一部で生まれる。それでも身勝手だと思う人もいると思いますが個人的には「身勝手だ」というのもまた「身勝手」なんだと考えますね。別に理解しろ、受け入れろとは言いませんが亡くなった方を責め続けるのは酷だと思います。知らなかった、聞かなかったその人の苦しかった気持ちを考えてあげる事くらいしようよ、と思います。
益田先生は色んな人からたくさん辛いことを言われてるのですね。でも、耳触りりのいい言葉ではなく、敢えて鋭く切り込む信念に私はとても感動してます。先生のお蔭沢山のことが別視点から学べました。今回の自殺な認められないのか、という視点も多角的でとても頷くことが多かったです。私も希死念慮がとても強いですがこの動画を何回も見て、自分の考えを深めます。いつもありがとうございます。応援してます!
解釈難しいですね自分はですが、自殺したいと思っている時は周りは見えません 自分の感情に左右され、日々生きていることに惨めさを感じていますね今日も死ねなかったと その考えが身勝手と言うなら仕方がないですね
語るのが難しい事を動画にしてくださり、ありがとうございます。
普段はできるだけ人に迷惑をかけないよう、負担をかけないように考えておりますが、日々の生活が苦しくて病状も改善せずにいると、この苦しみが永遠に続くような気がして絶望してしまい、この苦しみから逃げ出したい消えてしまいたいという気持ちに囚われてしまいます。消えてしまうことで人に迷惑をかけるから駄目だと言われてしまうと、最後の逃げ道まで絶たれたような…気持ちの遣り場がない感覚になります。いつ限界が訪れて、私を制御できなくなるのかわからないので、そうならないように、日々学びを深めて内省しつつ、できるだけ人には迷惑をかけないよう、準備をしておくことが必要だと思いました。益田先生、いつも皆様に寄り添っていただき、学びの場を提供していただきまして、ありがとうございます。
人に上手に迷惑をかけるのはアリかと。。
𣜿さんは、とても優しい方のように感じます。私も人に迷惑をかけてしまって自分を責めてしまう癖があります。癖が抜けません。でも、最近、私の大切な人たちには自分のことを迷惑な存在と思って生きてほしくないなぁ😢思います。本人から見たら自分のことを迷惑な存在と思ってしまうかもしれませんが、私から見たら大切な家族、友人の1人なので、迷惑どころか、頼ってくれて嬉しい気持ちになります。自分が思っているよりも、案外、相手は迷惑と思っていないこともあると思います。このコメント欄を見ても、𣜿さんの存在に救われている方たちが、たくさんいて、私もその1人です。久しぶりに𣜿さんの姿が見られて嬉しいです。𣜿さん、ありがとうございます。
個人的には衝動的に危ない時があったので、良し悪しは別問題として、自殺はなんだかんだでショックだから臭いものには蓋ではないけど、身勝手と責めることでショックを受けないように防衛してるとも言えるんじゃないかなとも思いますね。やりきれないものがあるし、途方もない無力感が残りそうなので。
自殺は身勝手という言葉は抵抗があります。死んだら自分はわからないのだからなんと言われようがどうでもいい。でも大切な人を悲しませると思うとできない。それは身勝手というより加害に近く…って、もっときつい言葉ですね。あれ?先生はもしかしてマイルドな表現として身勝手とおっしゃってるのでしょうか。ともあれ、自殺は人を傷つけるというならわかります。自分の抑止力になっているのもそちらです。けれど、死を選びたいときにはすべてがどうでもよく、だからこそ自死した人を否定することもできません。人の死によって自分が傷ついても、失った人を身勝手と思いたくないし言われたくないです。
身勝手というのは文字通り身体が勝手にすることだと思っています。鬱は脳のエラーでありますから、身体が勝手に死を選ぼうとしている。何も自殺者が自分のことしか考えてないという訳ではないと思います。
マリリン・マンソンの音楽性のテーマの一つが、そういう感じだったかなという印象がしております。ある種の人にとっての居場所、カルチャーというのも……。
兄弟から死にたい自殺の仕方を教えてもらえない、自殺したら迷惑かかるからって。泣かれてメンタルやばいです。高齢者の父に認知症なのか脳梗塞なのかパーキンソン病なのかっていうとこで親戚との話し合いの最中言われて、生きるってなにが正解なんだろう?って考えます。生きていたくはないけどいざ死ぬとなると怖いがきます。こういうあやふやで曖昧なこう中途半端な気持ちはどうしたらいいでしょうか?先生のTwitterのツイートみてうつ治療中の私はうつ悪化可能性の介護云々一人動いてるわけで。正直今自分でいっぱいいっぱいですが兄弟がなにもしない以上私がやるしかないしとも。先生ーこの複雑な何かをどうしたらいいかの動画をお願いします。もう30代くらいから私みたいな親の介護が必要になってるくるので、どうしたらいいみたいなのもあった方がいいかもしれません。
子供達が死んでしまわないよう、命を守るのに必死だったから、自分がふっと消えたいと思っても、痛く、痺れた自分を叩いて、脳がバグってるんだって言い聞かせています。暑い日に暑い、寒い日に寒いと思えるようになりました。
この動画が、ドクターの言葉が、より多くの悩める人達に届きますように。
でも…どんなに辛い事が あっても 絶対死なない選択しか できない人がもし 居たとしたら その方がかわいそうだと 思う。どんな体の、痛みも どんな神経の痛みも どんなに辛い事でも 絶対耐えなければいけないなんて その 方がかわいそうでないですか?上手く説明できないけど…そう思います。
僕は、自分の存在そのものがあることが許せなかった。自死が他の人の記憶に残ることも許せなかった。だから生きてきました。今、2回目のうつ病闘病中ですが、その若いころに比べたら、ずいぶんと生きるのが楽になりました。
@@木洩れ日でのんびりと さん…良かったですね ~❗ぼちぼち 頑張ってください…。😄😄
がん末期など耐え難い苦痛がある時にはセデーション(鎮静)という手段で意識をなくす医療行為が用意されています。
リリーマリアンヌ様が仰る気持ちと、私は全く同意見を持っています。病気からくる効くお薬が無い身体の激痛の苦しみ。治療法の無い身体の激痛を持ちながら、それでも毎日が苦痛で苦しみながら、生きなきゃいけないの?…って、身体の激痛を、毎日3年我慢しながらもう苦しみにも我慢の限界がきてます。私から見たら、お薬で症状を抑えられる病気なら、こんなに死にたいとは思わないと思います。鬱病が原因で、神経からくる身体の痛みって、本当に痛くて仕方ないんですよね。
頑張り過ぎている人に、頑張らないよう、頑張ってと伝える為に生きています。気に障りましたらごめんなさい。
20代の頃毎日死ぬことを考えていた私は、50歳になった今、以前より穏やかな気持ちで生きています。多くの人達に支えて頂きました。益田先生のお話も、心の支えになっております。いつもありがとうございます。今、苦しんでおられる方が、10年後、20年後に、益田先生のお言葉に救われるのかもしれないと思います。
日にち薬という言葉がある通り、月日が心を癒してくれたのですね。私も現在20代で毎日あの世へ行ってしまいたいと思っていますが、少し希望が見えた気がします。ありがとうございます。
ほんと人類って脆弱なんだよなぁ。だから、ちょっとの不幸は仕方ないのかもしれんなと思う。
もがいていなきゃなかなかうまくいかない向き合おうとしなきゃ、だけど、それが苦しい。わかったように言われたくない気持ちわかります。
自殺は法的に罰せられません自己責任ですしてもいいんですよジル・ボルト・テイラー博士のスピーチ動画を見ました脳科学者の方ですとても面白い見解でした左脳の働きが機能しなくなると苦悩が全てなくなると語っていました私達の感情や苦痛は全て脳の働きによって振り回されているだけのようですそれに気づくまでが人が生きているって事なのかなぁと思いました
僕自身がツラかった時期は家族に当たり散らしたり、破壊行動、問題行動を取っていた。未遂みたいなのもやったし、強制入院もあった。これがある時乗り越えれた。自分の中から、あらゆる感情が出た。自分自身の体験から言うと、出し切った。今、平安かと言えば、仕方ないから生きているだけだし。やはり、そういう時期が来ると待つしかないのかな。精神科デイケアとか、作業所と繋がっていれば、多少は気休めになるかな。つながりって、今、この時代、この場所で出会っているだけで、何かのご縁だとおもうから、大丈夫と思ってもらいたいし、自分自身にも、大丈夫と言ってあげたい。
死にたいわけじゃない生きていたくないからしぬしかないこれから生きて行っても今より良くなれると到底思えない足掻いててでも、みっともなくとも生きることが正しいとも思えないどんどん惨めになる人生なら死を選びたいと考えてしまう迷惑かもしれないが、今死ねば会社からお金が出たり保証があるから、家族にはせめてお金だけでも残せればと思う生きれば生きるほどお金もなくなり何も残せないから努力が足りないのもわかるが、社会から拒絶されて、自分も変われないのであれば仕方ない無理して生きても、生活保護などで生きつなぎたいほど生きていてたいとおもえないそれでも生きたい人は生きればいい
益田先生 こんにちは。どんなに辛くても自殺という手段だけは取ってくれるな、という先生のメッセージは伝わったと思います。
本当は生きたかった。統失で鬱だから思い詰めて家族のために自己犠牲した。家族の愛がたぶん極寒の数日を耐え忍ばせた。探してもらうために。言語環境整えられなかったASDの家族が悪い。本人は全く悪くない。
世の中の別名=『差別』なんですって。やですね。いろんな意味で。
似た様にメンタルを病んでる友人と自殺について語り合ったときもありましたが、やっぱり当時は自分の辛さと社会への疑念でいっぱいで、感情を吐露することしかできなくて、冷静に自分を客観視することも、社会を見ることも、信頼することも、ロジカルに考えようとすることもできていませんでした。益田先生の動画をみながら、客観的な視点を持つことの大切さや、ロジカルに考えること、社会を信頼しようとする姿勢をもつようにもなろうと思い、少しづつ、「ああ、あの頃はもうただ辛くて、当事者同士で闇を深めあったり、傷を舐め合うことしかできなかったんだな」と、考えられるようになってきています。行きつ戻りつではありますが、前進できていると感じています。益田先生の動画を通して、他社視点を見つけたり、主観から少し脱することができるようになっています。お医者さん側の立場、医療者としての立場で自殺を語って下さることの意義も大きく感じております。要求されることが大きくて重たくて、本当に骨の折れる、大変なお仕事だと思います。いつも精一杯に伝えて下さって、ありがとうございます。🙇
自分はどんなキツいことも耐えられると思う。子どもの頃はそう思っていた。ただ、その思いに反して体が動かなくなった今、それを無視して動いて、その直後どうコントロールできなくなるか分からない。誰だって死にたくはない。死にたいと言うのは死にたくないという思いの表れだと思う。実行してしまった人はそんな言葉も周囲に発せずコントロールがきかなくなったんだと思う。それを防ぐために、論理的に考えて、病的思考に支配されずコントロールしていこうね、という話なんだと思う。本心、口に出しているうちは、死にたくない。知りたいのは、生きる方法。それは言葉で伝えるには難しすぎるのかもしれない。
どんなに苦しくても自殺という手段が他者に与える影響を考えない日はありません。消えてしまいたいと思うたびに、そう言った影響を考えたり、そう言った影響を与える他者と繋がりを持とうと試み、それを命綱や重石として今も生きています。私は自死を否定も肯定もしません。ただ、影響は確かにあると思います。少し動画を見たことがある人、写真展の作品にたモデルでさえ、自死を選んだと知ったら悲しみややるせなさを感じます。それが親しい人であるなら尚更。だから、親しい人が危ない時は、亡くなる事で多大な影響を受ける一人として、重石代わりにそばにいるようにしています。ただ、それでも、出来ることなんて微々たるものなんですけどね。
例えば、益田先生が安楽死の合法化されている国で医師をしていた場合、患者から安楽死希望があったらどうしますか?ケースによると思いますが、可とするケースと否とするケースがあれば教えて欲しいです。益田先生(や、日本)では「自死はいけないことだ」という結論ありきの論調が多いように感じます。合法化されている国と益田先生(や日本)を比較して違う点ってどんなところですか
自己決定権が強い国ということなんでしょうが自死もOKの自己責任の国になると、ますます福祉が減りますよ
安楽死問題ですが、もう治らないと言う場合ですね。姉の義弟が難病で、現状は、自身は身動きひとつできなくて、だけど自身が誰だか解っていて意識もある…姉に2年前会ったときは姉は、安楽死には反対していましたがこの夏、会ったときは義弟の御見舞いに行くと目を背けたくなる…って言っていたから安楽死の事を再度訊いたら認められて欲しい!と言っていました…そういう人の心の変化難病の方の本人の状況とか…安楽死は認められて欲しいですよ。自○は、簡単に説明出来ないです。自分の心が空の雲のように形が変わっていくので…なんか上手く書けなくてまとまらなくてごめんなさいm(_ _;)m
あ、なんとなく意識の差があるのがわかった気がします。発達障害に限った話になりますが、ASD当事者のNinoさんのチャンネルで、定型発達のひとは大陸に住んでいて社会の中にするでいるのが当たり前、発達障害の人は島に住んでいて、必要であれば橋をかけて他人にが関わると表現されてました。その通りと思いました。わかりにくいかと思いますが、常識って言われても法律の違う他国から侵略されてる気分になります。例えば自殺したとして、それを違う国に責められてもピンとこない。という自分の理屈ですが、現実は違うのは理解してます。遺族の方のお話を聞いたり、お話を聞いたりして学ぶ必要があるんだろうなと思います。
難しくて分かりませんでした。知覚統合が弱いせいかもしれません。
益田Dr.の動画ってタイトル回収できてないことが多い気がします。益田先生に分かったようなことを言ってほしくない…の件も主題とどう関連するのかよく分からなかったです。動画の最後に結論を端的にまとめていただけたら嬉しいです。
自殺をしてはいけない というのはどうしても、結果が先にあって後付けの理由をなんとか考えている感じがしてどうも納得感がありません人生が不運だからと自殺者が溢れて困るのは社会の運営側ですから、結局運営側の視点から決められ、下々に強要されているルールなのではないかと思うことがあるのですがどうなんでしょうね
結局ただのカルト宗教ですよね。自殺者を出すほどギスギスしてるけどされたら崩壊する程度の脆弱な国なだけです
私は、自死遺族です。自殺は、結末であって予測がつかないことです。人間の思考は、他人からすれば到底理解できない本人の苦しみがあるわけです。本人の苦しみがあったとしても、理解出来ていなかったり、分かっていたとしても知らないフリをしていることもあります。後々の解釈は、人それぞれであるように…良い悪いとかで片付けられないことだと思います。
結末の直後は、何でばかりでしたが、後に考えてみれば、出口のない悩みがあり、将来に失望してしまう気持ちも分かるようになりました。今は本人の苦しみを肯定してあげなきゃいけないと思っています。その場で対処出来なかったことに対する私の贖罪でもあるので。
一つだけ言いたい。「自殺した方は、まず第一に、自殺した人として認識されてしまう」ということ。上島竜兵さんや太宰治氏や岡田有希子さんなど…みんな、自殺というラベルから、まず認識されてしまう…それって、どことなく悔しいことだと思う…
周りの人間は同情した気にはなっている。しかし、本当に精神疾患やこれまで生きてきた中で経験してきた苦しみに理解がある健常者は100人に1人もいない。と感じてしまいます。自分たちマイノリティーは、自分の考えが普通だと主張し救いの手を差し伸べてくれることも無く好き勝手言ってくるマジョリティーに殺されてしまうのでしょう。
いまいち言っていることがまとまっていないのは、先生の立場がはっきりしないからですね。欧米で部分的に安楽死が認められる中で日本では認められていない。自殺をする人の心情にも寄り添いたい。先生ご自身も揺れている感じが伝わりました。
まだ自分は○したいとは考えたことないが、ストレスか、消えたい、起きれない 動けない考えがまとまらないと鬱にはなりましたこの先まだまだ進むと○したくなるねかな?と想像はできます良い 悪い のジャッジは私的にはできないかもな。。。脳がもうキャパオーバーになり、いけないホルモンが湧き出てやってしまうのかな?と予想ですが。。。思考がまとまらず、じゃー○しよう!と結論しちゃうのかな?とも○はいけないとか本人こんな苦しいのに。。。となるかなと。。みんないつから○したいと考えるようになったのかなってきになります。無垢な幼児期くら○したい子はいないかな?となんらかのきっかけ それを払わないとずっーといつまでもついてまわるんじゃないかなって。これは運命的な?とかぐるぐる頭ん中する
いつも、貴重な動画をありがとうございます。51歳ですが、若い世代の自殺は止めてほしいですが高齢者の安楽死は認めてほしいなと思っています。以上、感想ですm(_ _)mこれからも、楽しみにしていますm(_ _)m
自殺は病気の症状の一つでしょう。病気の症状を認めるとか認めないとか言うのは妙な気がします。三島由紀夫も病気でしょう。
ぁーーーーーーこのコメント見て今までなんで益田先生が「自殺は身勝手」と発言する度にゾワゾワするのかなぞが解けました!ありがとうございます!!以下、判明したことについての独り言なので読みたい人だけ読んでください↓医師って誰よりも1番「希死念慮も症状のうちのひとつだから」という対応をするものだと思ってたんですよ(うちの主治医はそうです、病気を病気と認めない以上治らないよといっていました)でも、「自殺は身勝手(だから死のうとするのがよくない)」と繰り返し説明されることによって「精神疾患なんて気の持ちようだ」と言うニュアンスとして捉えるしかなくなってきたんですよね要は、なんだか医療を放棄して根性論でなんとかしてるようにしかきこえないよっていう「死なれたら迷惑だから死ぬな!死のうとするお前が悪い!」なんて、正直素人でも言えるわけじゃないですか。なんならそれ配慮のない素人が言って患者をより追い詰めるやつでは…と思うそういう言い分を医師が認めちゃうのってすごくすごく、医療による回復を目指している前向きな当事者にとってはすごくしんどいことになる医師ならば、そして当事者に生きてほしいと感じているのならば、心無い素人たちには言えないことが絶対言えるはずなのに…というある種の絶望を感じたのかもしれないです、わたしもしかすると、「自殺は身勝手」ということばに傷ついた他の人達もそうなのかもしれない「うつ病なんて甘えじゃん!」とか言って超過ワーク押し付けてくるパワハラ上司と何ら変わんないやんけ、というそんなイメージ病気は病気だし、病気の症状による自死であればそれは病死だし、病気以上に他者からの加害があれば他殺っていうのが医師による見解であってほしいですねじゃなきゃ病気って診断する意味ないし、病気じゃなくて人間性の問題なら治らないですよ〜治るための希望をこれ以上奪わないでって思います
動画で色んなこと言ったら実際の主治医が困らないかなぁ?自殺はダメなものではないと思うよ大病を患ってしまった人そう言う人にとってはある意味で救いの道かもしれない辛くても生きるって本人が自発的に言っているならいいけど周りが生かすために言っているのは自分はナンセンスだと思うまぁ人は感情・心を持った生き物だからこう追うのに縛られるんだろうけどね
はじめまして。私も同感したのでコメントさせてください。益田ドクターは、皆のためにワンクッションツークッション置いて主治医が言えないことをYou Tubeで伝えていると仰っていますが、視聴者さんと主治医の関係性をギクシャクさせると思います。主治医が、益田ドクターに理解があれば違うかもしれませんが。少なくとも私の主治医は(関東)観るのを選んでといいます。失礼しましたm(_ _)m
野生だと社不なりエラー的な存在は真っ先に亡くなるけど現代の人間は辛くても生かされてしまうのよね。「命は大事」ばっかり尊重されて苦しみやQOLの低さは軽視されてる問題ありますね
@@あいあい-z5s 確かにねただモノの順番を考えるっていうところを考えると大体数の人は「死」よりも「生」を選択するのが多いから日本では「安楽死」などの選択は人には与えないのだろうねその後変わりではないけれど保護犬や保護猫、人に害をなした動物などは簡単に殺すけどねエゴと言うやつなのかねぇ
先日の「自殺は身勝手」という動画でムカッ💢ってなった者です…😅今回の動画で益田先生が「(動画内で)わざといじわるなことも言うこともある」とおっしゃってるのを聞いて、わざといじわるなことを言うことがあるのか…と思いました。考えてみると、私は、わざといじわるを言った記憶がありません。自分が良い人だと言いたいわけではなく、発達傾向があるからかもしれませんが、1つの顔しか持ってないといいますか…色んな顔を持つことができないです。その場に応じてお世辞を言ったり世間話をしたりできず、ちょっといじわるなことを言ったりすることができない。少しいじわるを言う、くらいにおさめられたらいいんでしょうけど、相手に物申すときはかなり厳しく言ってしまいます。だから社会に馴染めないのかなと思いました…😂(反省)一面的ではなくもっと多面的というか深みのある性格になりたいものです…。益田先生の動画を見ながら何かヒントを見つけられたらいいなと思います。
身勝手だと言われても自殺する権利が欲しいですね。どうせ誰も助けてはくれないし、自分も変われないのだから、せめて終わりにする権利ぐらい欲しいです。死んだあとバカにされても全然構いません。
「自分が死んだら迷惑がかかる、知り合いを悲しませる」がストッパーになっている方もいますけど、逆もあるから難しいですよね
「自分が生きてることが迷惑だ、早く死ななきゃ」と考えて、消えちゃう人います
まさに、それがぐるぐる頭が自問自答しています。
「もし今、私が死んだら家族のお金が浮くなぁ」とか「私が死んでも社会は何も変わらないよね」とか。
私は親しい人や身内自殺したときの、「自分の育て方」親の後悔や身籠った奥様を見ていると、やっぱり踏みとどまってしまいます。
そして、こんな考えが過る自分が、とても嫌いです。
自殺する人よりも、自殺したいと思う人が一定数でるような社会の方がよほど身勝手だと思いますね
死んだら無になるので、残された人達が苦しもうが、悩もうが、悪口を言おうが、本人には全く感じられないので、自殺に善も悪も無いと思う。
父は自殺で亡くなったけど、自殺するほど人生苦しかったんだから、自ら無を選んだのも無理ないな、と今では納得している自分がいる。
気持ちがつらくなったとき、毎回決まって
「生きていることを誰も許してくれないのに、死んでも許してもらえない」
「生きているだけで怒られるし、死んだら死んだで怒られる」
という考えが延々と巡る
苦しいね
どうしたら生きるに値すると自分で自分のことを思えるようになるんだろうね
全く同じことを考えてました。
たまに自殺する人の気持ちがわからないという人がいるが、死にたいとばかり考える人からしたら想像できないぐらい豊かな人生、強い人間なんだなって思う。
向こうにいっちゃった人を悪く言わないでください。
そして、戻ってきた人に
「バカなことをして」と、責めないでください。
お願いします。
自殺未遂してその後責められ続けています。つらいです。
私は向こうへいった方の葬儀に参列したことがあるのですが、第一発見者になった父親、姉兄よりも先に自死した末弟に泣きながら語りかけている姿を見ていると、その人を大切にしていた人に一生消えない傷を負わせているようにしか見えませんでした。
どうして、こんなに近くにいたのに気付けなかったんだろう。
親なのに、息子の心を守れなかった。親失格だ。家族失格だ。
私は後追いするのではと、心配でたまりませんでした。
だから、少なくとも自殺を選んだ伯父は、最近亡くなった祖父に怒られて、お酒飲んで、たくさん話していてほしいです。
弟に死なれてます もぅ受け入れるのみです 苦しんで考えた末だったと思ってます ただ理解はしないです
本当に苦しくて、死にに行くときも、死んでしまう時も、その後のことなんて考えてられないんじゃないかと思ってしまいます。死語の世界がないならば、自分がなんと言われてるとかわからないわけだから、本当にやってしまう人は黙っていってしまうと思います。本当は幸せに恵まれて生きたかったと思いますので、無念だったろうな…。
例え、親、兄弟、友人がどんなに愛していたとしても
私は他者を救うのは不可能だと思います。
自死遺族の方にかける言葉は思いつきません。
何を言ってもやはり救いにはならないと思うから…。
でも、愛しておられたなら…。
限界まで耐えたんだといつか許してあげて欲しいです。🙇🌌
私は安楽死は絶対に制度化して欲しいです。安楽死によって救われる人が必ずいるからです。綺麗事では生きられない現実が本当にある世の中では安楽死がないこと自体が拷問です。安楽死があれば無駄な税金を使って頂かなくても良いです。私には安楽死が必要です。私は冤罪被害者です。人生が狂いました。世の中は悪い人間ばかりです。生きていると嫌な事ばかり見なければいけません。戦争だってあるし世の中は地獄です。
私は40になったら自決(自殺)しようと決め、現在終活をしています。
社会に嬲り殺しにされるくらいなら潔く自決する方がマシです。
身勝手なのは一体どの立場なんだろう
耳障りのいいこと聞きたいのは自殺を考えたことのない人たちなんじゃないかな
壮絶で辛い、どうしようもない感情は誰だって知りたくないし味わいなくないだろうし
安楽死がダメなら死ぬまで眠り続けていられる制度とかできないかなって
目が醒めた瞬間がもう辛い
益田先生の動画が毎日、本当に救いと癒しになっています。
いつも、ありがとうございます!
先月、最愛の6年付き合い、精神障害者同士で、結婚もゆめみていた男性が、マンションから、飛び降り、亡くなってしまいました。
彼は30年くらい統合失調症の薬を飲み続け、中学の時の命と人生を奪われるくらいのいじめのトラウマで、対人恐怖症になり、ここ20年くらいは、働けなくなり、孤立していました。
でも、性格も
いいかたで、生活も一生懸命していたけど、やはり、近所の妄想や幻聴などが時々出て、
亡くなる3ヶ月前までは、解離性障害で、幻聴、幻覚、多重人格、感情失禁も出ていました。
そんななかでも、私の事は私が仕事をしている事もあって、心配したり、大事にしてくれたり、
最後の日、すごく不安定で、病院に強引にでも、連れて行っていたら、よかったのか、と悔やみもしますが、ご両親が一緒にいてくれて、ありがとう!と、ほんと、優しくて。
これは、彼、本人が選んだ事でなく、病気がそうさせたと、私は、彼の病気との日々の戦いで、そう思います。
生きていたら、本当によかったけど、彼は苦しくて、しょうがなかったのだと。
今でも、同じマンションに住んでいたので、飛び降りた時の音と発見した時の姿は、なんとも、人生には、こんな事がと、ショックでした。
いまでも、生きていた時の笑顔やいろいろな事にときめいていて、一生をかけて、守り、守られたいひとでした。
6年間は奇跡で、幸せで、
やはり、お互いの主治医や、応援してくれてた方々にも、感謝です。
亡くなってしまいましたが、
亡くなった本人にも、あなたがいてくれて、私は人生で、喜びと幸せを知り、さらに、悲しみも知れました。
彼には、本当に感謝しています。
言うのを遅れましたが、私は双極性障害です。
彼は私の病気を勉強してくれて、いつも、心配して、応援もしてくれていました。
どうか、これから、益田先生のようなお医者さんが増えて、病気を持っていても、日常に負けずに、少しでも、楽しく、生きていける患者様になっていけますように、祈っています。
彼も、優しかったから、そう願っていると思います。
10代の頃に姉が自死し、数年前父も自死、母は父の後を追い未遂して医療保護入院、自身も9歳から希死念慮があり、自死目的でODをしたことがあります。
今まさに記念日反応で希死念慮が強く、自傷しながらなんとかやっていますが、これでもまだ生きていなければならないのかと思います。
毎晩このまま目が覚めなければ良いと思って眠りにつき、目が覚めてがっかりする毎日です。
自分を責め続けていて苦しいです。
生きたいと思って生きられるようになる日は来るのでしょうか。
自分の代で終わらせる為に子どもは絶対に産みませんが、やはり自死遺伝子というのはありますか
多分自死遺伝子があったなら、とうのむかしに死滅しているのではないでしょうか。
大変お辛い記憶の中で生きられていると思います。
過去は変えられないし、今の今というのもなかなか変えられないです。
自分は、「悪徳政治家よりは自分の生命の方がはるかに価値がある」と考えていますから生きられます。
「プーチン」や「中国のプーさん」よりは、自分の生命は遥かなる高みに価値があります。
今はそんなどす黒い感情を抱えて生きています。
最近は、「老害プリウスミサイル上級国民よりは」とか「ビッグモーター元副社長よりは」とか、自分が見下すことができる輩が多数発見されていますので、生きやすくなりました。
本当につらいものを背負ってるんだなあと思います。自分もどうにもならない日々が続いてて死にたい死なせてくれと願ってしまいます。けど元気な時期って生きようと思えますし、今は鬱だから死にたい気持ちが強いんだって思うようにしてます。毎日葛藤があって戦いがあると思いますが少しづつ良くなってきますよ!絶対良くなります!
遺伝子というか病気なんだと思います。環境にもよると思う。
一体、何故このような事になってしまうのだろうか。
自害願望は遺伝的なモノだと思いますね。金持ちでも貧困層でも親、兄妹、叔父、叔母辺りに1人でもいるとドンドン増えていく。感情の処理方法なのか、脳の作り方なのか。鬱に成りやすさは遺伝的。心臓病も遺伝的要因。私も重度障害者で遺伝する確率が高いとのことで、子供は諦めました。疾患遺伝子家系は私で終らせなくてはいけない
自殺したら確かに迷惑だと思う人もいるかもしれませんね。私は弟が自殺して見つけたり事情聴取を受けたり部屋の片付け等しても迷惑とは全く思わなかったですが。
遺された人の苦しみが〜とか言う人もいます。でも誰より苦しいのは自殺を選んだ本人だと思いますね。
死にたいんじゃなくて楽になりたい。
生きる為にやらないといけない拷問とか、不治の病の痛みや苦しみから楽に解放されるんなら他人の評価なんざどうでも良いってのはあるだろな。
「動画では意地悪なことも言う」
これは突き詰めると治療やその先の社会復帰も含めて、
「社会で生きる以上厳しいことを耐えて乗り越えなきゃいけない」
ということがあると思います。
問題は、特に自ら人生を終わらせたいと思うほどの思いに駆られている人にとっては
「そもそもなんでそんな厳しさに耐えてまで、生きなければならないんだ?理由はなんだ?なぜこうも、『生きることが当たり前』みたいに肯定されているんだ?」
という疑問と言うか、
「せめてこの苦しみや辛さや厳しさに耐えるだけの明確な理由をくれよ」
というような思いがあるのではないでしょうか。
昔はそれに対して「神様が見ているから」とか宗教が答えらしきものを与えてくれていましたが、科学技術の発達で様々なものが明らかになり、より便利に安楽にと突き詰め、ひたすらに技術の進歩や社会の経済的発展を無邪気に賛美している現状の社会では、その成功の波に乗ることが出来ていないと
「辛い、なぜこうまでして・・・」
とまで思い詰める人が出ても、おかしくないような気がします。
言っちゃあ何ですけど、引き留める側も決行する側も所詮はエゴかと。身勝手と言われた所で「身勝手はお互い様でしょ」としか思いません。
一部だとは思いますが引き留める側に嫌な仕事を押し付ける相手がいなくて困るという、極めて身勝手な理由の方が散見されますので。
別に死後の評価はどうでもいい
今の苦しみから逃れたいから死ぬのです
武士の腹切みたいな高尚な話じゃない
遺されたひとは悔やめばいいんじゃないですか
何も出来なかったと。そして助けられませんから。
助けられると思えるとこが傲慢。
本当に頭がいいのね。
経営とかも忙しいのに、まるでプロの哲学者…
いつも
自分が死んだら家族が悲しむとか自殺した人として心に残るのは悔しいとかで自殺を思いとどまる人を見かけるたびに不思議です。
残された側のことなんて死んだら自分の心は無くなるし考えるだけ無駄なんじゃないかと思ってしまいます。
私は自殺した人に対してネガティブななイメージはないです。むしろ、甘えだとか逃げだとか言って最後の最後まで攻撃するような人間よりはマシだと思います。
鬱から双極に悪化した者です。約10年です。
今年娘が無事社会人となり、独立しました。大学卒業までは授業料と生活費の支援、時に相談相手となり頑張ってきました。
中学高校時代、私の鬱のせいで我慢させてしまったと思いますが、娘が誰よりも私のことを思って見守ってくれていました。
その娘が旅立った今、目標がないことに気づいてしまいました。
診察予約、美容院予約、コンサートチケット購入、全ては「死なない理由」にするためでした。
双極に加えて、長年謎の不調がパニック障害だと分かり、その原因が夫だと判明。
思えば夫のいない時に不調になったことはありません。
なんかもう死なない理由なんて無くなりました。
益田先生のウェルテル効果の動画何回見ても腑に落ちないんです。
ほんと疲れました。
娘さんの死因は事故ですか?事件ですか?或いは察するに貴女と同じ自害でしょうか?
鬱が家族にいると本当に大変で、気を遣いすぎて介護疲れのようになります。遺伝的なのかトラウマなのか学問として気になります。
誤解を招く書き方をしてすみません。娘は社会人として自立しました。
遠く離れても、頑張って働いて休みの日は泥のように眠っていると聞いたら、こちらから頻繁に連絡するのも気が引けて…
空の巣症候群みたいです…
@@みほりんりん-r4m 旅立ったと言うよりは、巣立ったと言うことでしたか。おめでとうございます。独立するまで育て上げのだから親として、生物としてご立派です(^-^)
自殺は他人から見たら身勝手だし罪だと思いますよ。
たとえ私自身が死ぬことになったとしても、他人に理解してもらおうとは全く思いませんね。
むしろ、迷惑であって欲しいとすら思うくらいです。
それを非難されたとしても私はこの世にいませんから。
自殺する人間が社会に責任を持ってるのと同じく、社会も個人に何らかの責任があるはずなので、自殺者が出たらそれは社会に何割か責任があるでしょう(ベストは尽くしてるかもしれませんが)。
それでも社会の側も個人に対し責任を取りませんよね。
何かしら考えるとは思いますが。
むしろ、自殺する人間が死んだ後も「あいつは身勝手だ!死ぬぐらいなら他にできることあるだろ!」と言われるから当人は自殺するんでしょうね。
自殺が身勝手なんて言わないで欲しい。
生まれる時は祝われるのに死ぬ事はなぜネガティブなんでしょうね。
入り口があれば勿論出口もある。入り口は選べないかもしれない。でも出口へ行くのは自分の意思決定で選択できるなら自由でいいんじゃないかと思います。
先生いつもありがとう。
身勝手と言ってるのは本人以外のひとでしょう?その人を取り巻く環境も要因である可能性もあるのに、周りから身勝手と言われても…周りのひとがそう思うってことでしょう?押し付けられてる感じがします。私は、なにをしてもどうにもならなくて崖っぷちまで追い詰められて、逃げるにはそこから飛び降りるしかない、みたいな心境でした。認められなかろうがそれしかないと思ってしまう。身勝手、という言葉以外に表現はないのでしょうか?
私は自死遺族かつ精神障害者ですので、自死する人のことも、自死された遺族のこともわかります。とても苦しいことです。こういうこともある、それがこの世というものなんだろうな、と思います。
この動画で救われたり助かったりする人がいると思います。
いつの間にか知らない内に借金させられている、知らない内に契約させられ、社会に参加させられているという表現、とても分かりやすいです。本当にそうです。
幼少期から産まなきゃよかったと親に言われながら虐待を受け、親元を離れた今も、持病や色々な事と戦い続けています。親に産まなきゃよかったと言われた時、心の底から「こっちの台詞だ。人生辛く苦しい事が大半なのに、生まれてきたくなんかなかったよ。本当に迷惑な事を...」と思っていました。
希死念慮がある人、実際に自殺する人がたくさん存在する社会自体にとても問題を感じています。
死にたい時は、せめて苦しんで自殺する人々をなくす為に安楽死を合法化して欲しいと切実に思います。ただメンタルの状態や体調には波があり、生きていて良かったと思える瞬間も稀にあり、安楽死が合法化されている国でも条件が厳しく設けられている事は理解できます。
現在30代半ばですが、近しい人の自殺を2回、経験しています。
1人目は会社の先輩。盛大な結婚式をして、初めての異動で希望に満ちていた先輩は、異動して1ヶ月後、GW前に奥様とお腹のお子さんを残していきました。
四十九日が終わったあと、当時の仕事メンバーでお線香を上げたときの係長が「○○君」と仕事野時と同じ呼び方をしていた姿は今でも鮮明に覚えています。
2人目は母方の伯父。母方の祖父と二人暮らしで、祖母はパーキンソンで入院中。第一発見者は祖父でした。母は長女で、突然弟が自死したので後を追わないか、とても心配でした。
二人とも、突発的でした。
正直、当時は怒りがわきました。
何故家族を置いて、苦痛から逃げるのか、と。
特に伯父には憎しみすらありました。「なんであの世に逃げたんだ」と。
一方で、私自身が何度も何度も死にたいと思った時に、大切な人が悲しむ顔が浮かんで、なんとか踏みとどまっているのに。という、勝手な八つ当たりもありました。
私は、たぶん孤独になったら行動すると思います。悲しむ人がいなくなって、私の事を忘れてくれたら嬉しいです。
まあ何を言われてもというところではありますよね。
私は自分が自殺をした後は好き勝手言われても何とも思わないんですよね。
だって、死んでるからそれを感じ取ることは不可能でしょ?
死んだのにまだ生きようとするその感覚が理解できない。
自殺未遂を繰り返していると、周囲も慣れるんですよね。
人間ってそういう風にできてるんですよね。
だから、こちら側としても私の自殺願望は消えないし、例え自死したとしても日常的に臨んでいることなので気にする必要はないと伝えてはありますね。
案外、前もって伝えていることでダメージは少ないと思ってます。
一応、これが私にできる精一杯の気遣いなんだけど。
友達もいないし、ずっと独りですし、何と言うか最後まで周囲の人達ってク○我儘だなとしか思えないんですよね。
生きてきても死んでも迷惑かける
家族にはもう長年以上貢献したので自分の事は自分で決めたいですね。身勝手な人が多いので開放されたいです。
自死することがいけないことと、本人の辛さが認められてないように感じること
この2つが混ざっちゃうと難しく感じます。
色々なことが重なって夫婦ともに鬱状態になり、夫からのモラハラや暴力もあり、地獄でした。それでも前のような温かい関係に戻りたいと思い話し合おうとしましたが彼は通院もやめ、聞き入れませんでした。
ある日仕事の後突然子どもの保育園に迎えに行けなくなり、自死しかないと頭に浮かびました。もう何も見たくない、死ねば子どもが苦しむ姿すら見ないで済む、と。
結局どうしたら死ねるのか分からなくなり、家に戻り、数日後さらなる罵声を浴びました。それでも日常を続けましたが夫はその1ヶ月後に突然子供を遠くの実家に連れ去りました。
這いずるように両親と共に彼の実家に行き、そこで今まで理解者だと思っていた義母から、性格から病気から母としてのあり方から、私が生きていることすら何から何まで全否定され罵声を浴びせられました。
それでも、一晩子供を預からせてもらった翌朝「おかあさんと帰りたい」と子どもが絞り出すように訴えました。
家裁の調査官には夫の病気は重視されず、わたしの監護者の権利は認められず、別居して週の半々で子の面倒をみています。
今は死にたいとは思いません。別居中の夫も少しずつ歩み寄りを見せています。
私は自殺を身勝手とは思いませんし、(益田先生の考えを否定するのではありません)自殺なさった方を責める気はありません。本当に自然死に近いような偶然の重なりだと思います。でも死にきれず生き延びてしまった結果さらなる地獄が待っているか、わたしのように前よりはマシな結果が待っているかは賭けでしかないです。少なくとも生きていた方がマシな結果が待っています。
そもそも死にたい時に死ねるかどうかさえわかりません。先のことは本当にどうなるか分からないんです。
なので自殺はギリギリ自分の意思で止められるのならしないほうがいい。というのが私の意見です。人を殺さず、自殺しよう、と思った時点であなたの中には良心がある。その良心だけで生きていて良いんです。自殺願望が起きた時はできる限り嵐が過ぎ去るのを待つように辛抱することです。
後悔しないためにギリギリまで辛抱して欲しい。
こんにちは
拝読していて、お子さんの可愛さが身に染みました
旦那さんが通院を再開してくださると良いですね
義母さんにも言いたい事が沢山おありかと思います
いつか少しでも昇華されますよう🙏
@@mooooonchie さん
温かいお言葉ありがとうございます。親バカですが本当におしゃべりでワガママで可愛い子です。
わたしは沢山の人に愛されて助けて頂いていたのに、こんな私でも贅沢にも自死を考えてしまったことがある。誰のせいでもなくままならない事なのだと、私個人の感想ですが誰かの心の慰めになりたくて書かせていただきました。
義母には罵声を浴びせられたあと「わたしは結婚したことを後悔していません。皆さんにも感謝しています」と言いました。その時の義母のハッとしたような放心したような顔が忘れられません。それ以来会っていませんが、充分だと思っています。
どなたかもおっしゃっていたように思いますが、
自死は本能的な部分も大きいかと思います。
希死念慮が起こるたびに、
配偶者を深く傷つけること、老いた母の心を深くえぐること、兄弟を怒り悲しませること、
私の遺体を見た人々のトラウマとなること、特に子供が。
そして私と同じ病気、双極性障害、視力障害、下半身の障害、などを持った人々の希望を断つこと、などを考えると、
その時をできるだけ引き延ばさなければならないと思っています。
ずっとずっと希死念慮と戦っています。
絶対生きてやる、絶対生き抜いてやる、は、社会に対してではなく何か動物としての本能のように感じます。
そして、たどり着いた結論が自死なら、決して「自分勝手」なものではないと思います。
「身勝手」とは思わないですが、自死を選ばざるを得なかった状況に追い込まれてしまったのだろうかと想像すると、知人でなくとも切ない気持ちになります。複数の道を、社会として提供できなかったのかと。
知人ですと、ほんとうに、哀しいです。
苦しくて苦しくて苦しくて、そこから逃げたいと思うことは誰しもあり、その究極の表れが自死なのかなと思います。
こんなに苦しいから生きていたくないということは、苦しさがなくなれば生きていたいのではないかと思われ、少しでもやさしい社会にしていかないといけないなと思います。
初コメントです。もう既に限界を通り過ぎています。鬱病歴20年以上でアモキサンが服用出来なくなった今は毎日が苦しいです。自殺は身勝手という事は理解していますが、家族との関係等が嫌になり、生きているのが辛く苦しいです。もう無理…という自分に勝てそうもありません。20年以上耐えてきたのでもう限界です。
私は幼少期から家族がどうしても好きになれず成人してすぐ家族と離れました。しかし安住の地はなかなか見つからず、見つかったときもありましたが、永遠には続きません。今は、その時々に理解し合える相手が見つかれば超ラッキー!位の気持ちです。好きになれない家族は、人間的に成長できなかった家族、不本意でも親しい身内と傷つけあうと苦しみが倍増します。絶望感が生きる気力を奪うので、極力非難するようにしましょう。
漢字訂正 非→避難
とても興味深く観ました。
上島竜兵さんが亡くなった直後、主治医に伝えことがあります。17年もお世話になっていて、初めて話しました。思わず涙が溢れました。
最初の診断は他の病院。「鬱」と告げられた瞬間、2人の幼子と、妹のように可愛がってくれた先輩(鬱、自死)の顔が浮かび「絶対に自殺しない」と心に決めました。
先輩がいつも私の中で「Yちゃん、自分の思うように生きて」と励ましてくれている気がするのです。
主治医は、そういう気持ちは大切だねと共感してくれました。
…因みに私の脳内で不要と信号が送られたらしく、モラハラ夫は浮かびませんでした→離婚😊
身勝手だから何?って話
本人の苦しみは本人にしか分からない😢
浩美さま。
苦しみのさなかにいますと、そう思っても仕方ないと思います。
しかし、同じような体験をした者は痛いように感じます。あたかも。自分の事のように。
私もたくさんたくさん傷ついて来ましたが、まさか、治療も進み、出逢いによっていま生かされています。
希望を少しでも良いので持っていただけると嬉しいです❀
@@藻塩-o4p
まさかの返信、ありがとうございます♪
嬉しいです☺️
20年前、旦那からの言葉の暴力により、鬱、パニック障害、喘息を一気に発症してからは地獄でした😢
心を病んでいた友が、毎日一品料理持参し話し相手になってくれ次第に笑顔が😄
友にお返しをと思う前に、友が自死を😰🥲
鬱がぶり返し、毎日泣いて暮らしてましたが知り合いが、泣いてばかりいたらあの人が悲しむよの言葉に前向きになれるようになりました。
今では、何とか仕事が出来るまでに回復❤️🩹
時々、友を想いながら生活するのが友への恩返しと考えております😊
長くなり、ごめんなさい🙇♀️
20代後半にうつ病になってから数年間は毎日自死を考えてました。朝がくるのか辛かったです。また苦しい1日が始まってしまうと思って。それでも踏みとどまった理由はただ臆病だっただけ。死が怖かったからです。臆病だから死ねなかっただけですが、そのお陰で昔よりは自分を受け入れADHDなりに楽に生きられるようになりました。
でも自死を選ぶ方は恐怖より今辛かったのだと勝手ながら思っています。ただもし、自分の身内や大切な人が自らの意思で逝ってしまったら「自分たち家族を置いて勝手に」と思ってしまうかも。悲しみが大きすぎて。でもそれ以上にご本人も辛かったってことですよね。
脳の病気や社会の仕組みだと分かっていても、勝手に背負わされた責任には、適応できる人とできない人がいて。
できなくて心が一杯一杯になった人が、死にたいとか、消えたいって思っちゃうのだろうなと。
いろんな考え方があるのは分かるし、哲学ってすごいなと思うけど、腑に落ちないところも多くあって。結局は消えちゃった方が幸せなのではないかと考えてしまう、人間ってなんなんだろう。
私やあなたが頑張って生きるのも自由だし、死ぬのも自由。悲しむ人はいるかもしれないけど、その人たちが悲しみの中生きていくのも自由だし悲しみに耐えれず自死を選ぶのもその人の選択することであって自由。自分が好きにしたらいい。
夢や希望を抱くことが必要ない状況に陥った時、人は希死念慮を抱くのかもしれない。
私は、昔、身近な人から自死は自己愛だよ。と言われ、自死を免れた。今、人生2度目の強い希死念慮を抱く状況に陥った。それは希望と夢を抱く必要がない身体の状況となったから。もしも、この世に神が居るのなら、現実を覆し救われたい。でも、この世には神という実存的人間は居ない。
しかし、真に人を救えるのは人である。私は先ず、他者に心を開くことから行わなければ救われないだろう。自身の内省だけで問題を解決することにもう疲れ果てた。少し早すぎるが、そろそろ他者の協力を得なければならない人生の時期がきた。
最近比較的穏やかでいるんですけど、余裕が無く自死に悩むような
頃を思い返すとつくづく視野が狭くなっていたと感じます。
それが故に「本来他にもある選択肢が見えない状態になる」というのが
辛いところです。今悩んでる方がいたら、
「状況はだいたい思ったよりも悪くなかったりする」ことを
知ってほしいなと思います。
孤独死とどう違うのか、わかりません。両方迷惑と言えば迷惑です。私は独居なので、変わりはないです。死にたい。
身勝手だとわかっていながら人から言われるとつらいのはYouメッセージだからだと気がつきました。
本当に決心された方は周りに悟られる前に実行へ移している方が多いと思うので、
当人の中でしか分からない葛藤もあるのだと思います。
死にたい気持ちを抱えながら生きるのは底なし沼にはまった状態から早く上がってこいと急かされている気持ち。
進むのを諦めて沈むままにしてしまいたいが、沼の外からは励ましや、的外れなロープが投げ込まれる。
誰も問題そのものの『底なし沼』を解決する事はできない。
他からは沼なんて無くて独り藻搔いているだけに見えるのかもしれないけど。
益田先生、動画ありがとうございました!
「いつの間にかしたくも無い借金をさせられている」というのは
寄り添いのある優しくて先生らしい表現ですね
今まで沢山の人たちのおかげで生きてこられました
未熟な自分を叱らず許してくれた世の大人達
(なので私も少しうるさい子供が居ても元気良いなぁで済ませます)
おいしい食物を育て運んでくれる方々
(なので一食に感謝しフードロスをしないよう励んでいます)
私の、この恩返しをしなきゃと思っている感じを言い換えると借金なのかしら?とも思いました。
しかし、どんなに借金を返しても、私が受けた融資には届かない気がしています
ここでコメントされている皆さんにも勇気をいただいています
ありがとうございます☺🙏
アンケートには最近度々コメントさせていただいていますが動画にはおそらく初めてです。
今回の自死の件については確かに個人の苦痛の大きさと他者全体の苦痛について思うことががありました。宗教的要素がゼロとはいいませんし、個人的には関係ないと考えています。
ただ個人的苦痛を他者が理解すると考えた時にその他者とは?家族?親?主治医?兄弟?友達?といくつか浮かびますがどの1つとして本人のそれより苦痛を上回ることはないと考えます。
今の自分の周りに死後を否定する人はいないと思いますが苦痛である今を全てにおいて救えるひとは自分にはいません。
仮に自死や病死したとして同情はしてくれる人はいると思いますが何の意味もない。そういうのは親孝行は生きてるうちにというのと同じで死んでからどうのこうのするものではないと思います。人の自死は神秘でもなく諦めの果ての一種かと。
1番の苦痛は、生きていたくなくて死にたいけど自死を選ぶことを激しく否定されていたり、働き全うし、生き抜くことを説かれることです。死にたいわけではないけどこのままでは働けない、働きたくない、それで済むならその方が良いけど家族や友人にそうすること、例えば生活保護を受けたりして生きていくことを許容されないという事実がつらい。だってよくなりたいとは思っても=働きたいではないからです。だけど死ぬな?個人の言い分が勝手だというならまわりの言い分も相当勝手だと思います。長くなりすみません。
福祉を受けてはダメだ、という周りの反応が理不尽ですよね
私事ですが、今ちょうど創世記を学んでいて今週は有名な「ノアの箱舟」をやっていました。創世記をはじめて学んだのは学生の頃で、当時は何の事かよく解らず何て残酷なんだ神様は、と思ったのですが、年齢が上がるにつれノアの話は神による「選別」なんじゃないかと思うようになりました。
あらすじとしては旧約聖書の創造と破壊の「破壊」で、神は人間を造ったが、人間たちは神の言う事を全然聞かず勝手な事ばかりしているので神が怒って洪水が起き、生き残れたのは箱舟に乗った人間だけだった、というものであります。
少し話は飛躍しますが、とくに自死、という考えで捉えるなら私は、自分の意思とは関係なく「箱舟に乗った側」だと思ったのです。一件、自分の意思で生き残っているように感じて、実は違う。生き残れるように「選ばれていた」んじゃないか、と。
何故私が生き残る方に選ばれ、今ここに生きているのかは正直わかりません。
いつも毎回、教典で説明して申し訳ないのですが、私は、自死はそもそも宗教以外での説明は難しい、と思っているのでご了承ください。
旧約聖書でノアの箱舟に乗る乗らないが発生するのは、そもそもは「強い嵐が来たから」。「強い嵐」が実際に起こってしまうと、「生きるか死ぬか」は、もうただ単に神による選別だけ、簡単にいうと、生きるか死ぬかは運のみ、になります。なので大切なのは、「強い嵐が来ないようにする」事なんじゃないか、と思っています。
じゃあ具体的にどうすれば防げるか科学的に…という説明は私には出来ないですが、自死の問題は、一件すると社会の問題で、実は自分自身の問題でもあると思っています。
命について考える動画をUPしてくれてありがとうございました。活動応援しています。
家族や友達、大事な人達には絶対自殺して欲しくないけど、嵐のなかで自我が歪められる程苦しみ続けてる人に、逃げるな!なんて言いたくないとも思う。
生物には自分の命を自分で決める権利があると考えてますが、議論で話す時と、隣人が自殺しそうな時とじゃ考えが変わってしまいそうです……
これだけ社会からダメ人間と知らしめられているのに、それでも周りへの影響を考えて自重しろという論調を感じます。
社会が私をいらないといっているのに、社会に馴染む努力をするのも社会のために生きるのも嫌です。
誰もが自分の意思で生まれてきたわけではないのであれば、せめて死ぬことは自分の意思で選ばせてもらっても良いのではないでしょうか。
何歳くらいでどのような死因で亡くなるのが妥当ですか?
また、死ぬ年齢・死因で社会的影響はどのように変わりますか?
自殺:10~20代、30~40代、50~60代、70代以降
病死、事故死:10~20代、30~40代、50~60代、70代以降
周囲の人の受け止め方は病死と事故死と自殺だとどう違うんでしょう。
影響が少ないから良いって話ではないんでしょうけど、元々マイナススタートなのに0にする努力が虚しくてもう何も頑張りたくないのです。
落伍者扱いされながら頑張れと言われるはもうたくさん。
もう普通の人になる努力をしたくない。
個人的には、終わりが見えている方がそれまで頑張れそうだと思います。
以前、海外で精神疾患でも安楽死が認められた事例があると本で読みました。
基準はかなり厳しいようですが、将来的に日本でも安楽死ができるようになれば自分としては生きる気力が湧いてきそうです。
それこそ周囲の人の心のため、というのであれば安楽死制度を導入して、事前に周囲への報告や相談ができるようにすれば良いと思います。
とはいえ、個人の意思決定権が弱い日本での導入は先が長い話だとは思いますが。
5-60でいく人多いですし、再就職が難しくなる位が落とし所じゃないですかね
人の精神に関わりたい人は活動の目的を死にたい人を救い出そうとするのでなく、生きたいと願う人の手助けに回る方がいいと思う。
同意ですね。生きたがってない人からすればありがた迷惑なことが多々あります
一当事者の意見です。社会から役割を期待されていても、アドラーも言うように、人は他者の期待に応えるために生きているわけではないので、死ぬのも権利、生きるのも権利と思います。あと、私は安楽死制度には賛成です。福祉施設に頼ることができず、重度の障害者の世話をし続けないといけない家族の選択肢を増やすことは急務だと思っています。冷たい意見に聞こえるかもしれませんが。
何度もすみません、これ実体験をそのまま書きますが
街中で恫喝されたことを注意喚起として公表した結果「証拠がないから虚言だ」「被害者にも落ち度が」などの誹謗中傷にあったときの話です
あまりにも耐えられなくて自死を決意したとき、それでも家族や友人のことを考えてさいごの力を振り絞りいのちの電話に相談しました
「こういうことをされていて、わたしが悪いとしか思えず死ぬことしか思い浮かびません、ほんとにわたしが悪いのでしょうか?」という相談内容です
「あなたがそう思うんならあなたが悪いんじゃない?うん、あなたが悪いよ。でもそれで死んでいいの?あなたが悪いのに逃げるの?なら別に死ねばいいんじゃない?他人に迷惑かけるなんて死んでも価値ないんだね」みたいな回答でした
その直後に人生で初めて、入院沙汰になるレベルの自殺未遂をしました。無知すぎて失敗しただけで、知識があれば成功していたと思います
だから「死ぬのは迷惑」なんてなんの抑止力にもならない、むしろ自殺行為の引き金になったんです
人を正論で諌めるとはそういうことなんです
死ぬのはよくないからがんばろうって縋った先でそれをやられてしまったら、残されているのは死だけなんですよ
どうか伝われば、と
そして、安易にいのちの電話を勧めないでと個人的に思ってしまいます………そこは人によりけりで、ただ話を聞いて貰えるだけで助かる人もいるかもしれないけど、わたしは逆に殺されかけたので一例として
@@amayadori7198
「絶対いる」とは言いきれませんけど、「いのちの電話に助けを求めれば助かる」というのもまた「絶対」ではないな、と、そんな経験をしたわたしは思いますねえ…( ´∵`)
精神疾患って他の病気よりも個々の事情や背景が深く関わってくるでしょうから、話を聞く側がそれらを無視した対応をとることのリスクは大きいですよね
「これは絶対にしてはいけない」というのをマニュアル化してそこだけは徹底的に守るというふうにしないと相談したせいでより傷つく人はこれからも出てきそうで心配です( ´∵`)
ASDで人と繋がれないの本当苦しい。一生真綿で首絞められ続けるような。健常者の方々には理解できない感覚だろうけど苦しいの認められたいわ。
就労移行支援などの福祉を使うのはどうでしょう?
ASDでずっと友達がいない学生時代を過ごした我が子の辛さを本人からも聞き、親として産んだ事が、ずっと苦しいです。今はA型事業所に通所してますが、就労移行支援事業所も、大学四回生の半年間通いました。そこでも、支援員がASD特性の強い利用者に、差別発言や理解の無い対応をしているのを、目の当たりにして親子で絶望しました。何処にも、心から安心して過ごせる場所は無いのかもしれません。これが現実と受け止めながらも、生きているのは苦しいです。
一生真綿で首をしめつづけられるかのような苦しみ、まさに今それですよね😢
@@桐原仁
働けないわけではないのです…バイトなり作業所なりありますが一緒の空間にいるのに共感や気持ちを察する言語外コミュニケーションが取れなくて人と繋がれなくて孤独感が募っていくんですよ。それが生きてる限り永続で続いてる感じです。
存外福祉施設も障害者の扱い雑ですからね。お試し程度でしか勧められないです
苦しい人には救済ですから😅
悪だという人は健康体で安全圏から申してるのでは..❓️
私は、少し前に進めた時に、主治医に頑張ったね、と言ってもらいたいです。家族含め、良かったね、と言ってくれることはあっても、頑張ったね、と言ってもらえることはなく、報われない感じがしてしまって。まだまだ長い道のり、半年に一回でも、頑張りを労ってもらえたらな。
身勝手だという人の気持ちもわかります。自分も父が自死した時そう思ったし著名人だって社会的影響が強いのに、と思いますし公共の場で他人を巻き込んでしまった方にも思います。
でもその気持ちは瞬発的というか「自死」という衝撃に対して誰もが最初にもつ感情ではないですか?
そして亡くなった方の背景など情報が足され「そんな事があったんか」「それは辛い」など共感や同情が一部で生まれる。
それでも身勝手だと思う人もいると思いますが個人的には「身勝手だ」というのもまた「身勝手」なんだと考えますね。
別に理解しろ、受け入れろとは言いませんが亡くなった方を責め続けるのは酷だと思います。
知らなかった、聞かなかったその人の苦しかった気持ちを考えてあげる事くらいしようよ、と思います。
益田先生は色んな人からたくさん辛いことを言われてるのですね。
でも、耳触りりのいい言葉ではなく、敢えて鋭く切り込む信念に私はとても感動してます。
先生のお蔭沢山のことが別視点から学べました。
今回の自殺な認められないのか、という視点も多角的でとても頷くことが多かったです。
私も希死念慮がとても強いですがこの動画を何回も見て、自分の考えを深めます。
いつもありがとうございます。
応援してます!
解釈難しいですね
自分はですが、自殺したいと思っている時は周りは見えません 自分の感情に左右され、日々生きていることに惨めさを感じていますね
今日も死ねなかったと その考えが身勝手と言うなら仕方がないですね
語るのが難しい事を動画にしてくださり、ありがとうございます。
普段はできるだけ人に迷惑をかけないよう、負担をかけないように考えておりますが、日々の生活が苦しくて病状も改善せずにいると、この苦しみが永遠に続くような気がして絶望してしまい、この苦しみから逃げ出したい消えてしまいたいという気持ちに囚われてしまいます。
消えてしまうことで人に迷惑をかけるから駄目だと言われてしまうと、最後の逃げ道まで絶たれたような…気持ちの遣り場がない感覚になります。
いつ限界が訪れて、私を制御できなくなるのかわからないので、そうならないように、日々学びを深めて内省しつつ、できるだけ人には迷惑をかけないよう、準備をしておくことが必要だと思いました。
益田先生、いつも皆様に寄り添っていただき、学びの場を提供していただきまして、ありがとうございます。
人に上手に迷惑をかけるのはアリかと。。
𣜿さんは、とても優しい方のように感じます。私も人に迷惑をかけてしまって自分を責めてしまう癖があります。癖が抜けません。
でも、最近、私の大切な人たちには自分のことを迷惑な存在と思って生きてほしくないなぁ😢思います。
本人から見たら自分のことを迷惑な存在と思ってしまうかもしれませんが、私から見たら大切な家族、友人の1人なので、迷惑どころか、頼ってくれて嬉しい気持ちになります。
自分が思っているよりも、案外、相手は迷惑と思っていないこともあると思います。
このコメント欄を見ても、𣜿さんの存在に救われている方たちが、たくさんいて、私もその1人です。久しぶりに𣜿さんの姿が見られて嬉しいです。𣜿さん、ありがとうございます。
個人的には衝動的に危ない時があったので、良し悪しは別問題として、自殺はなんだかんだでショックだから臭いものには蓋ではないけど、身勝手と責めることでショックを受けないように防衛してるとも言えるんじゃないかなとも思いますね。やりきれないものがあるし、途方もない無力感が残りそうなので。
自殺は身勝手という言葉は抵抗があります。
死んだら自分はわからないのだからなんと言われようがどうでもいい。でも大切な人を悲しませると思うとできない。
それは身勝手というより加害に近く…って、もっときつい言葉ですね。あれ?先生はもしかしてマイルドな表現として身勝手とおっしゃってるのでしょうか。
ともあれ、自殺は人を傷つけるというならわかります。自分の抑止力になっているのもそちらです。
けれど、死を選びたいときにはすべてがどうでもよく、だからこそ自死した人を否定することもできません。人の死によって自分が傷ついても、失った人を身勝手と思いたくないし言われたくないです。
身勝手というのは文字通り身体が勝手にすることだと思っています。鬱は脳のエラーでありますから、身体が勝手に死を選ぼうとしている。何も自殺者が自分のことしか考えてないという訳ではないと思います。
マリリン・マンソンの音楽性のテーマの一つが、そういう感じだったかなという印象がしております。ある種の人にとっての居場所、カルチャーというのも……。
兄弟から死にたい自殺の仕方を教えてもらえない、自殺したら迷惑かかるからって。泣かれてメンタルやばいです。高齢者の父に認知症なのか脳梗塞なのかパーキンソン病なのかっていうとこで親戚との話し合いの最中言われて、生きるってなにが正解なんだろう?って考えます。
生きていたくはないけどいざ死ぬとなると怖いがきます。
こういうあやふやで曖昧なこう中途半端な気持ちはどうしたらいいでしょうか?
先生のTwitterのツイートみてうつ治療中の私はうつ悪化可能性の介護云々一人動いてるわけで。正直今自分でいっぱいいっぱいですが兄弟がなにもしない以上私がやるしかないしとも。
先生ーこの複雑な何かをどうしたらいいかの動画をお願いします。もう30代くらいから私みたいな親の介護が必要になってるくるので、どうしたらいいみたいなのもあった方がいいかもしれません。
子供達が死んでしまわないよう、命を守るのに必死だったから、自分がふっと消えたいと思っても、痛く、痺れた自分を叩いて、脳がバグってるんだって言い聞かせています。
暑い日に暑い、寒い日に寒いと思えるようになりました。
この動画が、ドクターの言葉が、より多くの悩める人達に届きますように。
でも…どんなに辛い事が あっても 絶対死なない選択しか できない人がもし 居たとしたら その方がかわいそうだと 思う。どんな体の、痛みも どんな神経の痛みも どんなに辛い事でも 絶対耐えなければいけないなんて その 方がかわいそうでないですか?上手く説明できないけど…そう思います。
僕は、自分の存在そのものがあることが許せなかった。
自死が他の人の記憶に残ることも許せなかった。
だから生きてきました。
今、2回目のうつ病闘病中ですが、その若いころに比べたら、ずいぶんと生きるのが楽になりました。
@@木洩れ日でのんびりと さん…良かったですね ~❗ぼちぼち 頑張ってください…。😄😄
がん末期など耐え難い苦痛がある時にはセデーション(鎮静)という手段で意識をなくす医療行為が用意されています。
リリーマリアンヌ様が仰る気持ちと、私は全く同意見を持っています。
病気からくる効くお薬が無い身体の激痛の苦しみ。
治療法の無い身体の激痛を持ちながら、それでも毎日が苦痛で苦しみながら、生きなきゃいけないの?…って、身体の激痛を、毎日3年我慢しながらもう苦しみにも我慢の限界がきてます。
私から見たら、お薬で症状を抑えられる病気なら、こんなに死にたいとは思わないと思います。
鬱病が原因で、神経からくる身体の痛みって、本当に痛くて仕方ないんですよね。
頑張り過ぎている人に、頑張らないよう、頑張ってと伝える為に生きています。気に障りましたらごめんなさい。
20代の頃毎日死ぬことを考えていた私は、50歳になった今、以前より穏やかな気持ちで生きています。
多くの人達に支えて頂きました。
益田先生のお話も、心の支えになっております。いつもありがとうございます。
今、苦しんでおられる方が、10年後、20年後に、益田先生のお言葉に救われるのかもしれないと思います。
日にち薬という言葉がある通り、月日が心を癒してくれたのですね。
私も現在20代で毎日あの世へ行ってしまいたいと思っていますが、少し希望が見えた気がします。ありがとうございます。
ほんと人類って脆弱なんだよなぁ。だから、ちょっとの不幸は仕方ないのかもしれんなと思う。
もがいていなきゃなかなかうまくいかない
向き合おうとしなきゃ、だけど、それが苦しい。
わかったように言われたくない気持ちわかります。
自殺は法的に罰せられません自己責任ですしてもいいんですよ
ジル・ボルト・テイラー博士のスピーチ動画を見ました脳科学者の方です
とても面白い見解でした左脳の働きが機能しなくなると苦悩が全てなくなると語っていました
私達の感情や苦痛は全て脳の働きによって振り回されているだけのようです
それに気づくまでが人が生きているって事なのかなぁと思いました
僕自身がツラかった時期は家族に当たり散らしたり、破壊行動、問題行動を取っていた。未遂みたいなのもやったし、強制入院もあった。これがある時乗り越えれた。自分の中から、あらゆる感情が出た。自分自身の体験から言うと、出し切った。今、平安かと言えば、仕方ないから生きているだけだし。やはり、そういう時期が来ると待つしかないのかな。精神科デイケアとか、作業所と繋がっていれば、多少は気休めになるかな。つながりって、今、この時代、この場所で出会っているだけで、何かのご縁だとおもうから、大丈夫と思ってもらいたいし、自分自身にも、大丈夫と言ってあげたい。
死にたいわけじゃない
生きていたくないからしぬしかない
これから生きて行っても今より良くなれると到底思えない
足掻いててでも、みっともなくとも生きることが正しいとも思えない
どんどん惨めになる人生なら死を選びたいと考えてしまう
迷惑かもしれないが、今死ねば会社からお金が出たり保証があるから、家族にはせめてお金だけでも残せればと思う
生きれば生きるほどお金もなくなり何も残せないから
努力が足りないのもわかるが、社会から拒絶されて、自分も変われないのであれば仕方ない
無理して生きても、生活保護などで生きつなぎたいほど生きていてたいとおもえない
それでも生きたい人は生きればいい
益田先生 こんにちは。どんなに辛くても自殺という手段だけは取ってくれるな、という先生のメッセージは伝わったと思います。
本当は生きたかった。統失で鬱だから思い詰めて家族のために自己犠牲した。家族の愛がたぶん極寒の数日を耐え忍ばせた。探してもらうために。言語環境整えられなかったASDの家族が悪い。本人は全く悪くない。
世の中の別名=『差別』なんですって。やですね。いろんな意味で。
似た様にメンタルを病んでる友人と自殺について語り合ったときもありましたが、やっぱり当時は自分の辛さと社会への疑念でいっぱいで、感情を吐露することしかできなくて、冷静に自分を客観視することも、社会を見ることも、信頼することも、ロジカルに考えようとすることもできていませんでした。
益田先生の動画をみながら、客観的な視点を持つことの大切さや、ロジカルに考えること、社会を信頼しようとする姿勢をもつようにもなろうと思い、少しづつ、「ああ、あの頃はもうただ辛くて、当事者同士で闇を深めあったり、傷を舐め合うことしかできなかったんだな」と、考えられるようになってきています。行きつ戻りつではありますが、前進できていると感じています。
益田先生の動画を通して、他社視点を見つけたり、主観から少し脱することができるようになっています。
お医者さん側の立場、医療者としての立場で自殺を語って下さることの意義も大きく感じております。
要求されることが大きくて重たくて、本当に骨の折れる、大変なお仕事だと思います。いつも精一杯に伝えて下さって、ありがとうございます。🙇
自分はどんなキツいことも耐えられると思う。子どもの頃はそう思っていた。ただ、その思いに反して体が動かなくなった今、それを無視して動いて、その直後どうコントロールできなくなるか分からない。
誰だって死にたくはない。死にたいと言うのは死にたくないという思いの表れだと思う。実行してしまった人はそんな言葉も周囲に発せずコントロールがきかなくなったんだと思う。
それを防ぐために、論理的に考えて、病的思考に支配されずコントロールしていこうね、という話なんだと思う。
本心、口に出しているうちは、死にたくない。
知りたいのは、生きる方法。
それは言葉で伝えるには難しすぎるのかもしれない。
どんなに苦しくても自殺という手段が他者に与える影響を考えない日はありません。消えてしまいたいと思うたびに、そう言った影響を考えたり、そう言った影響を与える他者と繋がりを持とうと試み、それを命綱や重石として今も生きています。私は自死を否定も肯定もしません。ただ、影響は確かにあると思います。少し動画を見たことがある人、写真展の作品にたモデルでさえ、自死を選んだと知ったら悲しみややるせなさを感じます。それが親しい人であるなら尚更。だから、親しい人が危ない時は、亡くなる事で多大な影響を受ける一人として、重石代わりにそばにいるようにしています。ただ、それでも、出来ることなんて微々たるものなんですけどね。
例えば、益田先生が安楽死の合法化されている国で医師をしていた場合、患者から安楽死希望があったらどうしますか?
ケースによると思いますが、可とするケースと否とするケースがあれば教えて欲しいです。
益田先生(や、日本)では「自死はいけないことだ」という結論ありきの論調が多いように感じます。
合法化されている国と益田先生(や日本)を比較して違う点ってどんなところですか
自己決定権が強い国ということなんでしょうが
自死もOKの自己責任の国になると、ますます福祉が減りますよ
安楽死問題ですが、もう治らない
と
言う場合ですね。
姉の義弟が難病で、現状は、自身は身動きひとつできなくて、だけど
自身が誰だか解っていて意識もある…
姉に2年前会ったときは
姉は、安楽死には反対していましたが
この夏、会ったときは
義弟の御見舞いに行くと
目を背けたくなる…って言っていたから
安楽死の事を再度訊いたら
認められて欲しい!と言っていました…
そういう人の心の変化
難病の方の本人の状況とか…
安楽死は認められて欲しいですよ。
自○は、簡単に説明出来ないです。
自分の心が空の雲のように形が変わっていくので…
なんか上手く書けなくてまとまらなくてごめんなさいm(_ _;)m
あ、なんとなく意識の差があるのがわかった気がします。
発達障害に限った話になりますが、ASD当事者のNinoさんのチャンネルで、定型発達のひとは大陸に住んでいて社会の中にするでいるのが当たり前、発達障害の人は島に住んでいて、必要であれば橋をかけて他人にが関わると表現されてました。その通りと思いました。わかりにくいかと思いますが、常識って言われても法律の違う他国から侵略されてる気分になります。
例えば自殺したとして、それを違う国に責められてもピンとこない。
という自分の理屈ですが、現実は違うのは理解してます。
遺族の方のお話を聞いたり、お話を聞いたりして学ぶ必要があるんだろうなと思います。
難しくて分かりませんでした。知覚統合が弱いせいかもしれません。
益田Dr.の動画ってタイトル回収できてないことが多い気がします。
益田先生に分かったようなことを言ってほしくない…の件も主題とどう関連するのかよく分からなかったです。
動画の最後に結論を端的にまとめていただけたら嬉しいです。
自殺をしてはいけない というのはどうしても、結果が先にあって後付けの理由をなんとか考えている感じがしてどうも納得感がありません
人生が不運だからと自殺者が溢れて困るのは社会の運営側ですから、結局運営側の視点から決められ、下々に強要されているルールなのではないかと思うことがあるのですがどうなんでしょうね
結局ただのカルト宗教ですよね。自殺者を出すほどギスギスしてるけどされたら崩壊する程度の脆弱な国なだけです
私は、自死遺族です。
自殺は、結末であって
予測がつかないことです。
人間の思考は、他人からすれば到底理解できない本人の苦しみがあるわけです。
本人の苦しみがあったとしても、理解出来ていなかったり、分かっていたとしても知らないフリをしていることもあります。
後々の解釈は、人それぞれであるように…
良い悪いとかで片付けられないことだと思います。
結末の直後は、何でばかりでしたが、
後に考えてみれば、出口のない悩みがあり、
将来に失望してしまう気持ちも分かるようになりました。今は本人の苦しみを肯定してあげなきゃいけないと思っています。
その場で対処出来なかったことに対する私の贖罪でもあるので。
一つだけ言いたい。「自殺した方は、まず第一に、自殺した人として認識されてしまう」ということ。上島竜兵さんや太宰治氏や岡田有希子さんなど…みんな、自殺というラベルから、まず認識されてしまう…それって、どことなく悔しいことだと思う…
周りの人間は同情した気にはなっている。しかし、本当に精神疾患やこれまで生きてきた中で経験してきた苦しみに理解がある健常者は100人に1人もいない。と感じてしまいます。自分たちマイノリティーは、自分の考えが普通だと主張し救いの手を差し伸べてくれることも無く好き勝手言ってくるマジョリティーに殺されてしまうのでしょう。
いまいち言っていることがまとまっていないのは、先生の立場がはっきりしないからですね。欧米で部分的に安楽死が認められる中で日本では認められていない。自殺をする人の心情にも寄り添いたい。先生ご自身も揺れている感じが伝わりました。
まだ自分は○したいとは考えたことないが、
ストレスか、消えたい、起きれない 動けない
考えがまとまらない
と鬱にはなりました
この先まだまだ進むと○したくなるねかな?と想像はできます
良い 悪い のジャッジは私的にはできないかもな。。。
脳がもうキャパオーバーになり、
いけないホルモンが湧き出てやってしまうのかな?と
予想ですが。。。
思考がまとまらず、
じゃー○しよう!と結論しちゃうのかな?とも
○はいけない
とか本人こんな苦しいのに。。。となるかなと。。
みんないつから○したいと考えるようになったのかなってきになります。
無垢な幼児期くら○したい子はいないかな?と
なんらかのきっかけ それを払わないと
ずっーといつまでもついてまわるんじゃないかなって。これは運命的な?
とか
ぐるぐる頭ん中する
いつも、貴重な動画をありがとうございます。51歳ですが、若い世代の自殺は止めてほしいですが高齢者の安楽死は認めてほしいなと思っています。以上、感想ですm(_ _)mこれからも、楽しみにしていますm(_ _)m
自殺は病気の症状の一つでしょう。病気の症状を認めるとか認めないとか言うのは妙な気がします。三島由紀夫も病気でしょう。
ぁーーーーーーこのコメント見て今までなんで益田先生が「自殺は身勝手」と発言する度にゾワゾワするのかなぞが解けました!ありがとうございます!!
以下、判明したことについての独り言なので読みたい人だけ読んでください↓
医師って誰よりも1番「希死念慮も症状のうちのひとつだから」という対応をするものだと思ってたんですよ(うちの主治医はそうです、病気を病気と認めない以上治らないよといっていました)
でも、「自殺は身勝手(だから死のうとするのがよくない)」と繰り返し説明されることによって「精神疾患なんて気の持ちようだ」と言うニュアンスとして捉えるしかなくなってきたんですよね
要は、なんだか医療を放棄して根性論でなんとかしてるようにしかきこえないよっていう
「死なれたら迷惑だから死ぬな!死のうとするお前が悪い!」なんて、正直素人でも言えるわけじゃないですか。なんならそれ配慮のない素人が言って患者をより追い詰めるやつでは…と思う
そういう言い分を医師が認めちゃうのってすごくすごく、医療による回復を目指している前向きな当事者にとってはすごくしんどいことになる
医師ならば、そして当事者に生きてほしいと感じているのならば、心無い素人たちには言えないことが絶対言えるはずなのに…というある種の絶望を感じたのかもしれないです、わたし
もしかすると、「自殺は身勝手」ということばに傷ついた他の人達もそうなのかもしれない
「うつ病なんて甘えじゃん!」とか言って超過ワーク押し付けてくるパワハラ上司と何ら変わんないやんけ、というそんなイメージ
病気は病気だし、病気の症状による自死であればそれは病死だし、病気以上に他者からの加害があれば他殺っていうのが医師による見解であってほしいですね
じゃなきゃ病気って診断する意味ないし、病気じゃなくて人間性の問題なら治らないですよ〜治るための希望をこれ以上奪わないでって思います
動画で色んなこと言ったら
実際の主治医が困らないかなぁ?
自殺はダメなものではないと思うよ
大病を患ってしまった人
そう言う人にとってはある意味で救いの道かもしれない
辛くても生きるって本人が自発的に言っているならいいけど
周りが生かすために言っているのは自分はナンセンスだと思う
まぁ人は感情・心を持った生き物だからこう追うのに縛られるんだろうけどね
はじめまして。
私も同感したのでコメントさせてください。
益田ドクターは、皆のためにワンクッションツークッション置いて主治医が言えないことをYou Tubeで伝えていると仰っていますが、視聴者さんと主治医の関係性をギクシャクさせると思います。
主治医が、益田ドクターに理解があれば違うかもしれませんが。
少なくとも私の主治医は(関東)観るのを選んでといいます。
失礼しましたm(_ _)m
野生だと社不なりエラー的な存在は真っ先に亡くなるけど現代の人間は辛くても生かされてしまうのよね。「命は大事」ばっかり尊重されて苦しみやQOLの低さは軽視されてる問題ありますね
@@あいあい-z5s
確かにね
ただモノの順番を考えるっていうところを考えると
大体数の人は「死」よりも「生」を選択するのが多いから
日本では「安楽死」などの選択は人には与えないのだろうね
その後変わりではないけれど
保護犬や保護猫、人に害をなした動物などは簡単に殺すけどね
エゴと言うやつなのかねぇ
先日の「自殺は身勝手」という動画でムカッ💢ってなった者です…😅
今回の動画で益田先生が「(動画内で)わざといじわるなことも言うこともある」とおっしゃってるのを聞いて、わざといじわるなことを言うことがあるのか…と思いました。
考えてみると、私は、わざといじわるを言った記憶がありません。
自分が良い人だと言いたいわけではなく、発達傾向があるからかもしれませんが、1つの顔しか持ってないといいますか…色んな顔を持つことができないです。
その場に応じてお世辞を言ったり世間話をしたりできず、ちょっといじわるなことを言ったりすることができない。
少しいじわるを言う、くらいにおさめられたらいいんでしょうけど、相手に物申すときはかなり厳しく言ってしまいます。だから社会に馴染めないのかなと思いました…😂(反省)
一面的ではなくもっと多面的というか深みのある性格になりたいものです…。益田先生の動画を見ながら何かヒントを見つけられたらいいなと思います。