『礎 渋沢栄一と赤レンガ』
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- Опубликовано: 25 окт 2024
- 『礎 渋沢栄一と赤レンガ』
ナレーション :美村里江
監督 :熊谷まどか
プロデューサー:関口万里
©2021埼玉県/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ
「近代日本経済の父」とも言われる渋沢栄一が、生まれ育った深谷に設立した「日本煉瓦製造」。そこから出荷されたレンガは日本近代建築の礎となっていきました。
設立当初の苦難を乗り越えたその歴史や、「レンガのまち」深谷に今も残る遺構を紹介しながら、渋沢栄一の思想と信念を探ります。よろしければ、ご感想をコメント欄にお寄せください。
SKIPシティの映像公開ライブラリーが所蔵するアーカイブ映像を再活用して、新たな映像作品が完成しました。映像公開ライブラリーでは常時3万点を超えるアーカイブ映像を無料でご覧頂けます。ぜひお越し下さい。
渋沢先生は誠に日本人としての誇りです
いつも学ばさせていただいております。
曽祖父、八十島親徳が渋沢倉庫の社長、渋沢栄一の右腕でした。東京駅には、高祖父の西村勝三の品川白煉瓦も使われています。先日見に行ってきました。いつ見ても東京駅は素晴らしい建物ですね。
主人の曾祖父と従兄弟になる渋沢栄一さんです。栄一宅が中ん家で分家の前ん家が主人の実家です。一万円札から始まり今年一年の大河ドラマをとおして今更のように歴史を学ばせて頂いているところです。主人と楽しんでいます。
私の曽祖父、八十島親徳が渋沢栄一の右腕としてやっていました。こんなところでご親戚の方とお会いできるなんて、インターネット様様ですね。
我が家も成塚の親戚が渋沢家の女性と一緒になったって言っていたなぁ。血洗島のことは「ちゃらじま」と発音していた。
近代日本の父と言われるだけあって、深谷で赤レンガを製造し冨岡製糸場や深谷駅 東京駅 等にも使われ 凄い事を成し遂げ 大変勉強に成ります‼️
現在放送中の大河ドラマの主人公に抜擢されるのが凄くワカリマス。👍東京駅の美しい姿は渋沢栄一翁が起こした煉瓦工場製の御蔭なのですね!群馬県の信越本線第3橋梁(眼鏡橋)や旧線跡の煉瓦造りのトンネルもそして我々が御世話に生命保険、瓦斯、鉄道も此の御方の御蔭ですよね!
チャンネル残
このような素晴らしい動画こそ世の中で流布する必要がある。社会のあるべき指針を示す貴重な動画である。
だから、埼玉会館には渋沢栄一翁の肖像画が飾ってあるんだ。
すごく興味深く勉強になりました☺️
これからの日本の見本に。いまの政治家や実ぎょう家が見直し。日本のために。こくみんもきょう力して日本の為にがんばらなくては。
ホフマン輪窯もレンガだけど、そのレンガってどこから何処から持ってきたんだろう。
輸送したなら結構金ががってるね。
血洗島ですか、訳ありの地域みたいですがね。
小名木先生は渋沢栄一にそっくりですが、ひょっとして生まれ変わりだったりしてね。
実業界でお世話になった武蔵国児玉郡児玉出身児玉党末裔、久米良作氏の親族として澁澤先生への御礼と記念コメント。
道徳経済合一のご主張が、現在社会に於いても重要な指針であることを再確認する必要があると思います。
心して新一万円紙幣を使わせて頂きます✨😌✨
2024年〜ですね!
中、高校時代習った記憶なし、1941生まれは、まだ話題する時代でなかったのかな?
1941年生まれってあなたのこと?渋沢翁は1840年生まれ、1931年逝去だが。
あとね、渋沢栄一はかつて有名過ぎたんだよ。誰でも知っててあえて教える必要すらなかった。昭和初期には天皇と総理大臣の間くらいの人というほどに神格化されてた。今でいえば長嶋茂雄みたいなもんだ(もっとも長嶋茂雄もそろそろ若い人たち...30代以下にはなんで有名なのか知らん人も多くなってそうだが)。40年くらい前までの日本近代史に触れた本なんかだとなんの紹介も説明もなく「渋沢栄一」の名が登場する。説明の必要がないくらい有名だったからだ。そんな時代がしばらく続いてたもんで「うっかり説明するのを失念していた」状況になってしまった。
2時みんな寝てるかな?
レンガ土製造け
SKIPシティがこれ作ったのか。こりゃ良いプログラムだわ、是非ともテレ玉かJ:COM埼玉で放映してくれ。NHK BS1でもBSプレミアムでもいい。
欲を言えば日本煉瓦の最初の工場屋の設計は後に東京駅を設計する辰野金吾がやったというのも触れておいてほしかったな。辰野金吾のほとんど最初期の設計仕事だ。もちろん渋沢栄一の手配で確か建設も清水組だったはず。
今は深谷市に移設されてる誠之堂の正面の屋根近くにある灯り取りの窓に日本煉瓦製造の社章がデザインされてるというのはあまり知られてない小ネタ。多分設計した田辺淳吉のサービス精神の表れだろう。