民俗芸能出前公演

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  • Опубликовано: 2 янв 2025
  • 民俗芸能出前公演
    令和6年12月1日
    【岡谷地南部神楽】(登米市登米町)
     岡谷地神楽は、明治32 年(1899)頃に錦織村嵯峨立より登米町岡谷地に伝えられ、青年たちが始めたものです。長らく旧県社登米八幡神社の秋季例祭に奉納され、現在、「登米秋祭り」の「森舞台」でも演じられます。平成8年(1996)と平成12 年(2000)には、米国テキサス州の各都市での海外公演を果たすなど日米文化交流に貢献しています。
     南部神楽のお囃子は、「締太鼓」と「鉦」で構成され、「締太鼓」は両面打ちとなります。本公演、登米市立登米中学校の2 年生、3 年生が舞手となります。練習の成果をご覧ください。
    【崩し舞】
     南部神楽の基本所作すべての舞が集約されています。テンポが速く、踏み、跳ね、旋回を繰り返す激しい舞です。
    【笹流加賀野神楽】
     「笹流神楽」は岩手県西磐井郡萩荘村赤荻笹谷(現一関市)から若柳町(現栗原市)に婿養子に入った南部神楽師「高橋忠右衛門」が興した流派で、その後、志波姫町(現栗原市)生まれの「鹿野吉三郎」が師匠となり各地に広めたのもので、現在、栗原市志波姫に「南部笹流大平神楽」として伝承されています。
     明治43年(1910)、「鹿野吉三郎」を師匠に招き中田町石森野元の「千葉源吾」宅において修練を積み、「野元神楽」として始めたのが「加賀野神楽」の前身で昭和20年(1945)頃まで盛んに演じられましたが、戦後は高度経済成長による社会情勢の変化や後継者不足のため行われなくなりました。
     昭和53年(1978)11月、長らく途絶えていたこの神楽を残そうと加賀野地区の青年たちが中心となり同系統の南部神楽である「新井田神楽」から手ほどきを受け、「加賀野神楽」として復活、「なかだの秋まつり」をはじめ各種イベントや大会に出演、現在、若い後継者も育っています。
     「南部神楽」のお囃子は、「締太鼓」と「鉦」で構成され、「締太鼓」は両面打ちとなります。
    【八幡舞】
     第14代仲哀天皇と神功皇后の子で、全国各地にある戦の神様で八幡神社の祭神として祀られている第15代応神天皇の来歴にまつわる神楽を演じます。
    【三番叟】
    五穀豊穣・無病息災・家内安全などを祈る舞。三番叟には本来「一番叟」「二番叟」「三番叟」と三つの舞があり、「一番叟」は舞台の異常の有無を確かめる舞、「二番叟」は舞台の異常が無いと確かめ塩と水で清める舞、「三番叟」は舞台に異常が無く塩と水で清められた舞台で華やかに踊り始める舞を言います。しかしながら、「一番叟」「二番叟」は形式的なものであったため実際には演じられず、「三番叟」だけが演じられたと言われています。

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