Munch | Ghosts | Ibsen, ムンク|幽霊|イプセン
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- Опубликовано: 5 окт 2024
- 第七劇場 × 愛知県芸術劇場 × 愛知県美術館
ムンク|幽霊|イプセン
Dainanagekijo x Aichi Prefectural Art Theater x Aichi Prefectural Museum of Art
Munch | Ghosts | Ibsen
原作:エドヴァルド・ムンク、ヘンリック・イプセン
adaptation of Edvard Munch and Henrik Ibsen
構成・演出・翻訳:鳴海康平
conception, direction and translation : NARUMI Kouhei
2020.1.8 - 13
/ munch-ghosts-ibsen
●会場 venue
美術館パフォーマンス:愛知県美術館[コレクション展]展示室4
museum performance : Aichi Prefectural Museum of Art
劇場パフォーマンス:愛知県芸術劇場 小ホール
theatre performance : Aichi Prefectural Art Theater, Mini theater
●出演 cast
[劇場パフォーマンス theatre performance]
木母千尋、三浦真樹 / 桑折現 / 山形龍平、諏訪七海
KIBO Chihiro, MIURA Masaki, KORI Gen, YAMAGATA Ryohei, SUWA Nanami
[美術館パフォーマンス museum performance]
菊原真結 / 上条拳斗、藤沢理子、藤島えり子、松本広子、三木美智代
KIKUHARA Mayu, KAMIJO Kento, FUJISAWA Riko, FUJISHIMA Eriko, MATSUMOTO Hiroko, MIKI Michiyo
●スタッフ staff
舞台美術:杉浦充 scenography : SUGIURA Mitsuru
舞台監督:北方こだち stage manager : KITAGATA Kodachi
照明:島田雄峰(LST)lighting : SHIMADA Yuho
音響:平岡希樹(現場サイド)sound : HIRAOKA Mareki
衣装:川口知美(COSTUME80+)costume : KAWAGUCHI Tomomi
フライヤーレイアウト:橋本デザイン室 advertising art : Hashimoto design room
スチール:松原豊 photo : MATSUBARA Yutaka
主催:合同会社第七劇場、愛知県芸術劇場、愛知県美術館
協力:長久手市、猫町倶楽部、三重県文化会館
日本語字幕協力:NPO法人 名古屋難聴者・中途失聴者支援協会
製作:第七劇場
助成:芸術文化振興基金
produce : Dainanagekijo, Aichi Prefectural Art Theater, Aichi Prefectural Museum of Art
cooperation : Nagakute shi, Nekomachi club, Mie Center For the Arts
japanese subtitle : NPO to enhance welfare of people with hearing loss in Japan
production : Dainanagekijo
supported by Japan Arts Council
[初演時プログラム掲載のノートより]
イプセンは、この「幽霊」の副題を[三幕の家庭劇]としています。
2017年に第七劇場でイプセン「人形の家」を上演したとき、プログラム掲載のノートで私はこう聞きました。
「あなたは何をもって家族と呼びますか?」
この問いは2年前とはまた少し変わって響きます。
ムンクは幼い頃に母と姉を亡くし、父とは疎遠、妹は心を病み、弟は結婚してすぐに亡くなってしまいます。ムンクは生涯独身で、家族とは最後まで離れて暮らしました。母代わりだった叔母の葬儀を離れたところから見守り、最後に残った最愛の妹ですらも自分の死に際に呼びませんでした。
ムンクが特殊というわけではなく、家族の形はさまざまです。同様に父親、母親、パートナーなどの関係や役割もさまざまに広がり、変わってきています。女らしさ、男らしさという言葉がジェンダーフリーの視点としては性差別であるように、母親らしさ、父親らしさが親/保護者に重圧を与えることもあり、逆に親/保護者がありもしない「理想の母親像/父親像」を追うことが子どもにとってストレスになることもあるでしょう。
フィリップ・アリエスやミシェル・フーコーなどによって剥がされた「家族」の自明性は、日本においても落合恵美子らによって日本の特性をふまえて脱構築されました。「近代家族」の先へと、私たちは少しずつですが、歩んでいる途上です。私たちが持っている古い家族という肖像は描き換えられていきます。それだけではなく女、男、母、父、子、さまざまな肖像も同様に。
16世紀、カトリックの再形成からプロテスタントが生まれたとき、ヨーロッパでは死後の天国行きか地獄行きかの不安から逆説的に自由になることが可能になりました。そしてその代わり「神が喜ぶように一生懸命に生きる」ことが展開拡大し、利潤追求や資本主義の発達につながったともいわれ、その結果、人間は資本家と労働者という支配関係に置かれることになりました。
そして今、私たちは家族やジェンダーの鎖から自由になろうとするとき、その先で何かに縛られてしまうような不安も、私は感じます。何かから自由になるとき、そこに選択という強制が働きます。その選択に耐えうる体力を、倫理を、寛容を私たちは持っているのだろうか。誤解がないように付言しておくなら、私は家族やジェンダーに対する意識の書き換えは必要だと感じています。卵が先か鶏が先か問題ではありませんが、そこから自由になると同時に、その自由に耐えうる力も身に付けていかなければならないのでしょう。個人においても、社会においても。
ノルウェーの2人の巨人、イプセンとムンクをつないだ「幽霊」という戯曲を透かして、2人を振り返ってみると、イプセンはさまざまな肖像を描き換え、個人や社会を縛っていた鎖に光をあてて、そこから自由になることとその苦しさを描き、ムンクは刻々と変わる欧州社会や自由に対する国家間のギャップの中でどうにか自身を保つ、もしくは守るための倫理を必死に追いかけていたように感じます。ムンクはおそらく物心ついてから死ぬまで、このことについて悩み、苦しみ、考えていたひとだったのだろうと思います。そして同時に、このことに悩み、苦しみ、考え続けることが自身のアイデンティティにも深く食い込み、一部にもなっていたように、私には感じられます。ニーチェのようなひんやりとした清々しいニヒリズムではなく、もっと青臭い、生臭い部分で問いを抱き続けていたのではないかなと想像しています。ムンク美術館の膨大なアーカイブにある手紙や手記を、今回の公演のために読み進めるうちに、そう思うようになりました。
ムンクが自分を守るために考え続けた倫理、イプセンが暴こうとした目に見えない鎖と自由の過酷さは、今の私たちにも切実な課題です。2つの会場での体験を通して、あらためて自分自身や身の回りを見つめ直し、ささやかでも古い肖像の描き替えにつながる機会になればと切に願っています。
最後になりましたが、今回劇場と美術館との協働企画は、愛知県芸術劇場ではイプセン「幽霊」を主に原作とした演劇作品(90分くらい)、愛知県美術館ではムンクの手記や手紙を主なテキストとしたモノローグパフォーマンス(20分くらい)を上演しています。この貴重な機会をくださった愛知県芸術劇場、愛知県美術館に厚く御礼申し上げます。
そしてご協力、応援してくださったみなさん、ご来場のみなさんに、心からの感謝を。
鳴海康平
第七劇場 演出家、Théâtre de Belleville 芸術監督