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初めてコメントさせていただきます。ちょっと前にこのチャンネルを知り、英語学言語学のことを勉強させていただいてます。私、中国古代史に少々詳しいのですが、今回英語の月名の由来を聞いて、中国古代史と英語史の中に偶然の一致を発見してコメントさせていただきました。中国の春秋戦国時代(前8世紀〜前3世紀)の長江中流域(現在の湖北省など)に楚という国があって、この国では月名に独特の名称が使われていました。例えば、六月は「享月」、十二月は「献馬」などのように(他の月名は通常の文字コードで出せない文字が使われているのでこの二例を挙げました)。これらの月名の由来についてははっきりとは分かっていないのですが、祭祀に関連する用語がしばしば使われているので、祭祀関連の由来かもしれません。このように楚では独特の月名が使われているのですが、八月、九月、十月だけは「八月」「九月」「十月」というそのままの名称が使われていて、これがまさに英語のOctober,November,Decemberの8、9、10という数字そのままの由来と偶然にも一致しているのです。両者の偶然の一致に何か理由があるのか(例えば農繁期や農閑期とか、あるいは天文的な要因なのか)は全くわかりませんが、非常に面白い事例だと思いコメントした次第です。以上、長文になって誠に申し訳ありません。これからも動画楽しみにしております。
10ヶ月制の暦、1ヶ月36日くらいかと思ったら今と同じ約30日制と「残り60日あまり」みたいな扱いだったのか。農耕できない寒い時期って思えば雑に扱われてもしょうがなかったのかな、、
曜日についてもお願いします!ドイツ語の水曜が“週の真ん中”という意味で、ドイツ語と英語は同じ流れじゃなかったのか??となっているところです。
今回も面白かったです。有難うございます。月もそうですが、曜日の語源も気になります。Mondayに対して月曜日や、Sundayに対して日曜日など日英が対応しているように思えますが、これは日本語の名称が英語から来ているのでしょうか。あるいは共通する大元の語源があるのでしょうか。
週と曜日の概念は中東には非常に古くからあり、帝政ローマの時代に、東のアルサケス朝から曜日制が入ってきた。アルサケス朝はローマとの間で和睦と戦争をくりかえしたライバル的な国であったが、両国の間で貿易は盛んに行われていて、中東風のものが金持ちの間でもてはやされることもあった。しかし曜日の名前をそのまま使うのはなじみがないので、ローマ風に神の名前におきかえた名称を使った。1.Lunae dies(月の日)2.Martis dies(マルス神の日) 3.Mercurii dies(メルクリウス神の日)4.Jovis dies(ユピテル神の日)5.Veneris dies(ウェヌス神の日)6.Saturni dies(サトゥルヌス神の日)7 Solis dies(太陽の日)のちに曜日制が定着し、この表現が一般化していく。一方、ローマ帝国は北の方面ではゲルマン人と交易があり、曜日制がある程度定着したころに、北のゲルマン人にも曜日制が伝わった。このときゲルマン人はローマ人の神の名前にはなじみがなかったので、自分たちの知っている神の名前におきかえた。ただし6日目は置き換えられなかった。1.月の日、2.ティーウ神の日、3.オーディン神の日、4.トール神の日、5.フレイヤ神の日、6.サトゥルヌス神の日、7.太陽の日のちにキリスト教が普及してくると、「休日」の意味のsabbath(サバト)が6日目の名前に加わりSabbatum、Sabbati diesとも言うようになり、また7日目もdominica dies(主の日)とも呼ばれるようになった。のちに東方教会の勢力圏となるギリシャでは古くはこの曜日名を用いたがのちに教会による独自の名称が作られる。またスラブ圏では、キリスト教の布教が行われる際に曜日の概念も普及することになったので、布教に用いる訳語として、ギリシャ系の曜日名を参考にしつつ独自に別系統の名称が作られ、それが普及した。ヨーロッパの曜日名は、ローマ系、ゲルマン系、ギリシャ系、スラブ系、その他の5つに分けられる。この状況から、そのあと一部で名称の置き換えと発音のなまりが起きていき、言語によって若干くいちがっているが、5者それぞれの内部では全体的に共通の体系になっている。中国では古くから、太陽、月と5つの惑星(金星、木星、火星、土星、水星)は空に見える中で特殊な動きをするので例外的な星と認識されていた。また何かに別のものの区分をわりあてて順番付けするという手法は、十干十二支に見られるように、中国で一般的であり、中東から7つの位格で一体とする概念も一部では入ってきていた。のち、明のころにポルトガル、スペイン人が中国にやってきて貿易と布教のためにヨーロッパの文化を一部伝えたが、そこに曜日制も含まれていた。そしてこのころは、星占いにローマの神の名前が結び付けられていて、「火星は赤く火と血を連想させるので戦いの神マルス神の星」「金星は明るく美しいので美の神ウェヌス神の日」「水星は動きが速いので俊足のメルクリウス神の星」「木星は神たちの長であるユピテル神の星」「土星は余ったサトゥルヌス神の星」ということにされていた。そこでそれを聞いたごくごく少数の中国人の間で「あーはいはい、遠い西の蛮族も「火星の神の日」みたいなそういう感じで名前つけるのねー」というふうに曜日制が知識として成立する。さらにあとの時代の日本で、当時世界を侵略していたヨーロッパ諸国にならって大規模に新しい制度を取り入れる動きが起きる。これに曜日制も含まれており、中国の辞典類の言及を下敷きにして、神の名前を持つ曜日―その神と対応する惑星―その惑星の名前 の三者の関係をもとに、火曜日(マルス神の星=火星 の属性の日)、水曜日(メルクリウス神の星=水星 の属性の日)、木曜日(ユピテル神の星=木星 の属性の日)、金曜日(ウェヌス神の星=金星 の属性の日)、土曜日(サトゥルヌス神の星=土星 の属性の日)というワンクッションおいた名前を作った。残り二つについては、太陽の日と月の日という意味なのでそのまま日曜日、月曜日とした。
berについて誰も教えてくれなかったのはそう言う理由があったのか……七曜はなぜこの順番なのでしょう?明るさ順なら日月金火木水土五行相生なら火土金水木五行相剋なら火金木土水と絶妙にどれにも合わない順番ですね。
初めてコメントさせていただきます。ちょっと前にこのチャンネルを知り、英語学言語学のことを勉強させていただいてます。
私、中国古代史に少々詳しいのですが、今回英語の月名の由来を聞いて、中国古代史と英語史の中に偶然の一致を発見してコメントさせていただきました。
中国の春秋戦国時代(前8世紀〜前3世紀)の長江中流域(現在の湖北省など)に楚という国があって、この国では月名に独特の名称が使われていました。例えば、六月は「享月」、十二月は「献馬」などのように(他の月名は通常の文字コードで出せない文字が使われているのでこの二例を挙げました)。
これらの月名の由来についてははっきりとは分かっていないのですが、祭祀に関連する用語がしばしば使われているので、祭祀関連の由来かもしれません。
このように楚では独特の月名が使われているのですが、八月、九月、十月だけは「八月」「九月」「十月」というそのままの名称が使われていて、これがまさに英語のOctober,November,Decemberの8、9、10という数字そのままの由来と偶然にも一致しているのです。
両者の偶然の一致に何か理由があるのか(例えば農繁期や農閑期とか、あるいは天文的な要因なのか)は全くわかりませんが、非常に面白い事例だと思いコメントした次第です。
以上、長文になって誠に申し訳ありません。
これからも動画楽しみにしております。
10ヶ月制の暦、1ヶ月36日くらいかと思ったら今と同じ約30日制と「残り60日あまり」みたいな扱いだったのか。農耕できない寒い時期って思えば雑に扱われてもしょうがなかったのかな、、
曜日についてもお願いします!ドイツ語の水曜が“週の真ん中”という意味で、ドイツ語と英語は同じ流れじゃなかったのか??となっているところです。
今回も面白かったです。有難うございます。
月もそうですが、曜日の語源も気になります。Mondayに対して月曜日や、Sundayに対して日曜日など日英が対応しているように思えますが、これは日本語の名称が英語から来ているのでしょうか。あるいは共通する大元の語源があるのでしょうか。
週と曜日の概念は中東には非常に古くからあり、帝政ローマの時代に、東のアルサケス朝から曜日制が入ってきた。アルサケス朝はローマとの間で和睦と戦争をくりかえしたライバル的な国であったが、両国の間で貿易は盛んに行われていて、中東風のものが金持ちの間でもてはやされることもあった。しかし曜日の名前をそのまま使うのはなじみがないので、ローマ風に神の名前におきかえた名称を使った。
1.Lunae dies(月の日)2.Martis dies(マルス神の日) 3.Mercurii dies(メルクリウス神の日)4.Jovis dies(ユピテル神の日)5.Veneris dies(ウェヌス神の日)6.Saturni dies(サトゥルヌス神の日)7 Solis dies(太陽の日)
のちに曜日制が定着し、この表現が一般化していく。一方、ローマ帝国は北の方面ではゲルマン人と交易があり、曜日制がある程度定着したころに、北のゲルマン人にも曜日制が伝わった。このときゲルマン人はローマ人の神の名前にはなじみがなかったので、自分たちの知っている神の名前におきかえた。ただし6日目は置き換えられなかった。
1.月の日、2.ティーウ神の日、3.オーディン神の日、4.トール神の日、5.フレイヤ神の日、6.サトゥルヌス神の日、7.太陽の日
のちにキリスト教が普及してくると、「休日」の意味のsabbath(サバト)が6日目の名前に加わりSabbatum、Sabbati diesとも言うようになり、また7日目もdominica dies(主の日)とも呼ばれるようになった。のちに東方教会の勢力圏となるギリシャでは古くはこの曜日名を用いたがのちに教会による独自の名称が作られる。またスラブ圏では、キリスト教の布教が行われる際に曜日の概念も普及することになったので、布教に用いる訳語として、ギリシャ系の曜日名を参考にしつつ独自に別系統の名称が作られ、それが普及した。ヨーロッパの曜日名は、ローマ系、ゲルマン系、ギリシャ系、スラブ系、その他の5つに分けられる。
この状況から、そのあと一部で名称の置き換えと発音のなまりが起きていき、言語によって若干くいちがっているが、5者それぞれの内部では全体的に共通の体系になっている。
中国では古くから、太陽、月と5つの惑星(金星、木星、火星、土星、水星)は空に見える中で特殊な動きをするので例外的な星と認識されていた。また何かに別のものの区分をわりあてて順番付けするという手法は、十干十二支に見られるように、中国で一般的であり、中東から7つの位格で一体とする概念も一部では入ってきていた。のち、明のころにポルトガル、スペイン人が中国にやってきて貿易と布教のためにヨーロッパの文化を一部伝えたが、そこに曜日制も含まれていた。そしてこのころは、星占いにローマの神の名前が結び付けられていて、「火星は赤く火と血を連想させるので戦いの神マルス神の星」「金星は明るく美しいので美の神ウェヌス神の日」「水星は動きが速いので俊足のメルクリウス神の星」「木星は神たちの長であるユピテル神の星」「土星は余ったサトゥルヌス神の星」ということにされていた。そこでそれを聞いたごくごく少数の中国人の間で「あーはいはい、遠い西の蛮族も「火星の神の日」みたいなそういう感じで名前つけるのねー」というふうに曜日制が知識として成立する。
さらにあとの時代の日本で、当時世界を侵略していたヨーロッパ諸国にならって大規模に新しい制度を取り入れる動きが起きる。これに曜日制も含まれており、中国の辞典類の言及を下敷きにして、神の名前を持つ曜日―その神と対応する惑星―その惑星の名前 の三者の関係をもとに、火曜日(マルス神の星=火星 の属性の日)、水曜日(メルクリウス神の星=水星 の属性の日)、木曜日(ユピテル神の星=木星 の属性の日)、金曜日(ウェヌス神の星=金星 の属性の日)、土曜日(サトゥルヌス神の星=土星 の属性の日)というワンクッションおいた名前を作った。残り二つについては、太陽の日と月の日という意味なのでそのまま日曜日、月曜日とした。
berについて誰も教えてくれなかったのはそう言う理由があったのか……
七曜はなぜこの順番なのでしょう?
明るさ順なら
日月金火木水土
五行相生なら
火土金水木
五行相剋なら
火金木土水
と絶妙にどれにも合わない順番ですね。