Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
初歩のラジオ懐かしいです。中学生の時、BCLが流行していて、ロンドンBBC放送のビックベンの鐘の音が聞けるスカイセンサーが欲しかったのですが、高くて買えませんでした。そこで中波AMのモスクワ放送の日本語を聴いていました。ラジオの野球放送には目もくれずラジオ制作に夢中になっていました。私、運動が苦手でした。
そういえば BCL SWLはやっていましたね 私も運動嫌いでした
もうすぐ70歳の爺さんです。いつも楽しく拝見してます。なんと懐かしい雑誌類、わくわくしていつも後の広告から見てました。中学生のとき父親が買ってくれた0-V-1と5R-66(5球スーパー)のキット、回路図と実体配線図が微妙に違っていたりで、悩みながら組んでました。最初に電源を入れたとき、ヒーターが温まって音が出るまではドキドキでした。最適な動作状態かもわからないまま、なんとか短波の日本語放送を楽しんでました。BCLブームの少し前ですね。・・・その後、科学教材社の近所の東京電機大を卒業して電機メーカーに就職、バブルがはじける前まで深夜残業、休日出勤でへとへとになるまで働いてました。・・・リタイア後に再びいじってみたものの、エアバリコン、バーニヤダイヤル等々、もはや希少で高価すぎて手が出せません。近年はDSPで簡単に高感度、技術の進化が身に沁みます。ありがとうございました。
後期高齢者の私には懐かしの3誌。後ろの宣伝のページは欲しい物ばかりでしたが、貧乏だったので買えませんでした。
昔はCQ誌なんて 記事より広告のほうが多かったですね
初歩のラジオ、模型とラジオ、子供の科学、ラジオの製作これらを愛読した子供たちが日本の電子技術を支えた事に間違えありません。私は小学生5年生の時、叔父に12AU7のVHF超再生単球ラジオKITを買ってもらったのが初めての真空管工作でした。そんで、、科学教材社の広告はとても興味があり、何度も読み返した記憶があります。
までも 超再生のラジオつくりたいですね FMや エアバンド聞けそうですね
科学教材社へは小5か6の頃、横浜から行った覚えがあります。当時は固形燃料を燃やすロケットエンジンを売っていて買いました。 子どもの頃は町に模型店もあり、ちょっと特殊な部品をこういうお店で手に入れられて、良い時代だったと思います。
横浜から科学教材社まで行かれたんですね!遠いところまでお疲れ様でした
「子供の科学」は子煩悩とは真逆の性格だった父親が珍しく買ってくれた雑誌でした。子供心に明日は地震か台風でも来てみんな死んでしまうんじゃないかと思うほど驚きましたが、どうやら父親(戦中派)も子供時代に憧れていた雑誌だったのを本屋で見かけ、我が子にくれてやろうとでも思ったのでしょう。その後愛読書になり、キットを買ったり作ったりは一切できませんでしたが記事は食い入るように読んで、見事理系アタマになりました。真空管の回路図と立体配線図が懐かしいですね。プリント基板はおろかユニバーサル基板もなかった時代ですものね。当時からいろいろ作れた宮甚さんたちがうらやましいです。
いい親父さんだったんですね
科学教材社。懐かしいですね。雑誌の広告をよく見ていました。子供の私にはキットが高くて買えなかったです。広告を見ているだけでワクワクしているだけでした。
ラジオ少年みな同じ思いだったんでしょうね
中学生の頃かな?どうしても欲しい誠文堂新光社の本を求めて秋葉原ガード下の小さな書店のおばちゃんに聞いた。取り寄せになるので、今日ほしいなら誠文堂新光社へ行ってごらんと教えてもらって神保町まで歩いて行きました。壁に木製の本棚が在って、床も木製だったような気がするけど・・・記憶が🤣 50年以上前だから誠文堂新光社を出ると目の前に科学教材社がありました。でも抱えた本を早く読みたくて駅に向かってしまいました。宮甚商店さんのおかげで、小さな冒険のようにドキドキした思い出がよみがえりました。ありがとうございました。
神保町懐かしいですね あの頃はよく行きました
とっても懐かしいですよね。どの雑誌も必ず立ち読みしてました。小学生の頃、科学教材社に行ってみたかったのですが、なかなか機会なく、ある時学校でいつも成績がいい友達が、先生が使う教科書ガイドというものがあってそれを使うと勉強しやすいと聞きました。なんとこの教科書ガイドはいつも学校で使ってる教科書の答えが全部書いてあって神田にある教科書を扱っている書店に売っているということでした。これは買いに行かなきゃということで母と買いに来ました。その帰りに科学教材社にも寄ることができました。本当は宮甚さんが作ったようなキットが欲しかったのですが、高価だったのとまだ小学校低学年だったので買ってもらえず、壁にビニール袋の中にパーツが入って釣って売っていたゲルマニウムラジオを買ってもらいました。ラジオも教科書ガイドも買えてとっても嬉しかったことを覚えています。教科書ガイドの件ですが、それまで先生に質問されてもほとんど答えることができなかったアホな私が急に全部答えられることになったので不思議がっていた先生に教科書ガイド存在がバレて、教科書ガイド禁止令が出てしまいました。勉強はやっぱり自分で努力してしなければならないのですね。
なつかしいですね! 教科書ガイドってありましたね たしか私の方では赤本とか呼んでいたような・・・
懐かしすぎて涙が・・・小学生のとき夏休みの工作で6石スーパーラジオキットを作るってんで神田のお店まで親父に連れてってもらいました。外のウインドウにポリバリコンとかのラジオ部品が飾ってありました。作ったラジオは中学生の時深夜放送を聴くのに活躍しました
いい思い出ですね
いやいや・・・何時も有り難うございます、唯々懐かしくいつも拝聴させて頂いております😀
有り難うございます
昭和のラジオ小僧だったんですね
子供の科学、初歩のラジオ毎号読んでましたね。小学校5年から秋葉原に通い初ラか何かの制作記事みて1石TRラジオを自作し夏休みの自由研究にしたこと思い出しました。まだ実家に残ってるかもしれないです。大変懐かし記事ありがとうございました。
実家にのこっているといいですね 出てきたらたからものですね
いやー 初歩のラジオとかラジオの製作とか毎月買って読んでましたねー。懐かしい。小学生だった私は日曜日など1人で地下鉄で大須のラジオセンターに電子部品を買いに行ったものです。ただ、小学生の小遣いなどしれてますから部品が完全に集まらず完成までに至らなかったものが多かったですね。でもそれでも楽しかったです。店に並んでいる電子部品を眺めながら歩いているだけでも何故か楽しかったことも覚えてます。家庭の事情で田舎に引っ越しそういうこともできなくなり段々と電子工作から離れていきました。もし田舎に引っ越していなければもう少し違った人生を送っていたかもしれません。昔ラジオ少年だった私の回想をダラダラ書いてしまいました。失礼しました。いいものを見せていただきありがとうございます。
大須のラジオセンターって懐かしいですね、わたしも自動車の仕事で名古屋にいったときはいつも立ち寄りましたあの頃は本当に活気があって楽しかったですよね。
懐かしいです。子供の科学と初歩のラジオ。広告は特に子供心をくすぐりましたね。私もトリオの無線機やらBCLラジオが欲しくて欲しくてたまらなかった口です。無線機は免許は取っても買ってもらえませんでしたが、数年後にBCLラジオは買ってもらいました。1970年代。良い時代でした。
良い思い出ですね
歩いて行ける場所に住んでいたので60年ぐらい前によく行きましたよ。アメリカ製の固体燃料模型ロケットなんかも売っていて憧れました。
科学教材社、毎週行ってました。高田馬場から都電で10円かそこらで行けたような気がします。当時流行っていたスロットルレーシングに凝って模型とラジオを読み始めたのがきっかけでしたね。そこでラジオや無線のことを知ってアマチュア無線の免許を取って・・・とお決まりのルートに進んでいくことになったわけです。懐かしいですね
スロットレーシング、あの頃は熱病のようにみんなやってましたね
科学教材社懐かしいです。古いタイル張りの誠文堂新光社の対面にありました、近くに、東京電機大学、共立女子大、金城、正則、顔のYシャツが有りました。美土代町のYWCAの裏に住んでましたので、科学教材社へは、毎日行きました。父はライカ代理店のシュミットに、私は科学教材社に入り浸りでした。
子供の科学はずっと買ってもらっていました。巻頭の写真のPLフィルターがかけられた独特の雰囲気が心に残っています。宮甚さんのように子供時代に自作しなかった私も給料をもらうようになってキットやら実体配線図で作るやらまたギターのマーシャルアンプも加えて、家の中は真空管アンプだらけになりました。自作はロマンなのでしょう。いろいろ思い出させてくださってありがとうございます。チャンネル登録します。
ありがとうございます。うれしいです
私の当時の職場から科学教材社が見えました。子供の頃キットが欲しくてほしくてたまりませんでした。小学校の時お店に行って雑然とした店だなぁと感じていましたが、大手町勤務時代に再訪したところ小学生の時に見たお兄さんとお爺さんが歳も取らずにそのままいらっしゃってびっくりしました。流石に取り扱い商品は少なくなってがっかりしていましたが、スパイダーコイルのゲルマラジオのキットが健在で安心していました。もう無くなっちゃったんですね…
そうそう 子供の頃みたおじさんってすごい歳に見えたけど けっこうわかかったってことありますよね 笑
なつかしいですね~ 。小三ぐらいの頃、一度だけ友達と赤羽から訪れたことがあります。雑多な模型店という感想は宮甚さんと一緒でした。何も買わずに帰ってきました…子供の科学は別冊の「よく飛ぶ紙飛行機集」を作ってよく飛ばしました。
「子供の科学」の広告懐かしいですね。1chから3chのテレビ音声がFMラジオで聴けるコンバーターを作った事あります。マイクロマウスみたいなのも売ってた業者もあったような。「ラジオの製作」は、高円寺北に部品を通信販売している店の広告があって、そこの店のカタログを取り寄せて部品を買ったりしていましたね。
懐かしいネタをありがとうございます。ラジオ小僧(少年) 大昔は ラヂヲ小僧(少年)とか書いてありましたね。今やオーディオばかりの「MJ無線と実験」も「無線と實驗」の頃には本当に無線の記事や実験の記事がありました。
ありがとうございます
この手は中学校時代のラジオの製作ですね。今思うと不思議なんですが、中学校の図書室にありました。よく読んでいました。当時中学校にはアマチュア無線に熱心な先生が数名いたのも関係したかもしれません。アマチュア無線の免許を取ったのもその頃です。当時は国家試験しかなく、隣県まで受けに行っていました。もちろん送迎までしてもらって大変お世話になったものです。DATの記事を見たのもラジオの製作でした。まだ買える訳もなくただただ眺めていただけ。テクニクスのポータブル機の紹介でした。高校時代はトランジスタ技術を眺めていました。僕にはレベル高かったですが背伸びしていましたね。無線クラブにも入り、技術室に入り浸っていました。トリオの管球式の無線機で運用していました。1980年代初頭の頃。
そうそう わたしも中学の図書室で初歩のラジオみていたような気がします いい先生がいたんでしょうね
私も行ったことがあるので懐かしい思いです。蒸気エンジンの汽車モデルなんかがあって古い模型店って感じでしたね。小学生のときはじめて作った6石スーパーのラジオはここで買ったものでした。ベークのプリント基板に回路図みたいに部品が配置されているものでした。じつはヤフーショッピングに科学教材社のストアがあり、住所は神田錦町2-5となっており同様にストリートビューで見ると共同出版社内にあるようです。代表の小川文雄さんはご兄弟かご子息なんでしょうか。通販実務は外神田2-8-9の佐藤商事ビルになっているようです。
その2-5が 白いビルだったんですね 住所検索したらここが出てきましたが マンションのようでした
いつも楽しく拝見しています。昭和36年生まれですが、昭和60年頃、科学教材社にてプラグインコイルボビンを買いました。社長に、誠文堂新光社との関係を問うたところ、「あれは弟の会社だよ、俺のほうが腕が良いんだぜ」と工作の自慢をされていました。
社長さん、面白いですよね! プラグインボビンなつかしいですね
「模型とラジオ」と「子供の科学」は別冊も含めて毎号読んでました。本誌は開業したときに自分の店で販売してしまったのでもう無いですが、付録の模型飛行機の青写真はかなりの量をどこかにしまい込んでいたはずです。当時のボタン式ラジコン通信機やエスケープメント(ゴム動力のサーボモーターのようなもの)もまだどこかにあるはず。懐かしい。
ぜひ探しましょう!
当時の4000円って、少年には到底出せない価格ですよね。巻末の広告を眺めては、買った気分で妄想するしかなかったのを覚えています。
です
やはり中坊時代は初ラが聖書でしたね~。子供の科学・・・うううう~ん懐かしい。
そうでしたね あの頃はラジオ製作が流行りましたね
もうかれこれ50年前殆ど同じような事していたので懐かしい。当時の雑誌もまだ持っているから私も久しぶりに作ってみたいと少年の頃ふと思い出してしまいました。久しぶりに秋葉へ行こうかな(笑
さあ いきましょう!
こんにちは~!宮甚さん。私も子供の頃この3冊はよく読んでいましたね、懐かしいですね!私も、化学教材社のAMラジオを買って制作しましたよ。驚いた事にあの当時の真空管ラジオにしては感度が良くて音量も結構大きかったですね!車に付いてるラジオよりよほどイイ感じでしたね。この他にラジコン技術が出て来てそちらに夢中に成りました。あの配線図を見て作りましたね、良く失敗せづに作れたものです。じゃ、まったね~!
ラジコン技術も懐かしいですね!
宮甚さんいつも楽しく拝見させていただいています動画内にもありましたが、科学教材社発行の「ラジオ制作ABC」という本を小学校4年生の頃購入、大阪駅前の阪神百貨店で部品を購入して作りました。全く知識がないところで工作したので失敗、そのまま放置してしまいました。作成したのは6BA6単球ラジオ。失敗の原因は電源トランスを用いずAC100Vを直に整流してB電圧供給するものでフローティングアースを施していませんでした今となっては懐かしい思い出です。
あの頃はラジオ製作ABCを読んで夢中でラジオを作りましたよね。あの頃のワクワク感が忘れられません。
昭和38年生まれですが子供の科学と初歩のラジオは時々買っていました。東京に住んでいた時は神保町もよく行きました。懐かしいですね。
最近 電子とかバイククルマの本屋さんはみんなネット化して 地方に離散してしまった感じですね
宮甚さんは、昔の雑誌を良くお持ちですね。私も初歩のラジオと子供の科学はいつも買ってました。キットの広告みながら、欲しいなあと思っていましたよ。懐かしい~~~
捨てられないですね 少年の頃の雑誌は
@@miyazin-shoten 私も初歩のラジオ、子供の科学、FMfan、鉄道ジャーナル、モデルガンなど沢山購入して持っていましたが、実家から今の家に引っ越す際に廃棄しちゃいました・・・ちょっと後悔してます・・・
懐かしい。あの0-V-2の画像鮮明な記憶があります。小学生高学年からラジオの製作と初歩のラジオは必読書になりました。さすがに0-V-2はあまりの高さに手が出ませんでした。その当時はゲルマラジオがいいとこでしょうか。6年の時にオャジに秋葉原に連れて行ってもらって、とにかくラジオと思っていたら、すご~く安いトランスレス5球スーパーのキットがあったので、それを買ってもらっちゃいました。確か2100円だったかと思います。0-V-2のはずが、ちょっと高級品から始まりました。その後はトラ技に流れて、ハード・ソフトのPC小僧になって行ったりしています。
なんたってスーパーですね
私は「ラジオの製作」でしたね。昭和35~36年頃にBCLのコーナーにベリカードをおくって掲載された事や読者の製作コーナーへ投書して掲載されたことも有り懐かしく蘇りました。小学校高学年~中学生でした。因みに当方は団塊の世代真っ只中の世代です。今も真空管関係の部品やら球も沢山持っていますがさすがにもう製作は無理ですね。良い記事を"TNX"
真空管関係の部品や球、私もまだ持ってます それだけでも心豊かになれますね
科学教材社は小学生の頃、何度か行きました。美土代町の交差点のすぐそばだった記憶です。木の床で駄菓子屋のようなガラスケースに雑多に商品がならんでおり、模型飛行機が壁際か天井にあったかしら。お小遣いが少なかったので紙でできたラジオぐらいしか買えなかった記憶があります。電機大が神田から越す直前に行く機会がありましたがこの赤い軒のお店がありました。
そうそう、模型飛行機も売ってましたよね
亀戸に居たので科学技術社、行きましたねぇ。ラジオは6石まで作りましたが秋葉原のラジオセンターで買いました。愛読書はUコン技術、見るTV番組はNHK教育のみんなの科学・たのしい実験室。Uコンのエンジンやキットは西荻窪のニットー教材まで行きました。
二ットー教材ってありましたね!なつかしいです
初歩のラジオというと、厚紙をエポキシ接着剤で張り合わせてハトメを打って、基盤にするページがあったのを思いだします。中学生の頃だと思いますが。初歩のラジオとラジオの製作は、毎月購入して頭の中で作る事を妄想をしていました。ところで白色コイルは、最近巻いた物でしょうか、なんか部品が新しいような。
はい わたしはコイルのピンアサインは独自に統一しているので 再生コイルは10本くらい持って居ます。このコイルは比較的あたらしくて10年前くらいに作ったと思います
「初ラ」はほぼ毎号、「ラ製」はいい記事が載っている時のみときどき購読していました。僕は大阪なので、日本橋で部品を買い、いろいろと作って楽しみました。ご多分に漏れず、0-V-2も宮甚さんのとほぼ同じような感じで作り(スピーカはやはり丸穴たくさんで、パネルは青のラッカーで塗っていました)、アマチュア無線バンドを含め短波の電波に聞き耳を立てたものです。
大阪日本橋も 最近はさみしいですね
O-V-2作りましたし科学教材社も行きました。お話の内容全部わかります。プラグインコイルの差し替えでAMラジオ聞いたり、初めて7Mhz聞いて無線の免許取りました。バーニアダイアルがなんかよかったです。シャーシーの加工大変ですよね四角い穴、長孔等シャーシパンチや円錐状のリーマで穴広げたり思い出します。いつもありがとうございます毎回楽しく見ています。
そうですね 当時はハンドにブラーなんて買えませんでしたね
雑誌の、その真空管ラジオキット私子供のころ買い組み立てました。それを今、軽々と作ってしまう宮甚さんはすごいです
いえいえ なかなかオリジナルの設計に性能的には及びません
科学教材社のO-V-2への憧憬は私も宮甚商店さんに負けず劣らずだと思っていますが当時自作するほど知識もパワーもありませんでした。あれから半世紀以上経過してたまにオークションでベラボーな価格で落札されてるのを横目で眺めていますが同じ思いのご同輩は世の中大勢おられるようですね。やはり感性が豊かな時期のインプリンティングは一生ものです。
そうでしたね あの頃はみんな憧れていましたね つりは鮒にはじまりフナに終わるみたいなもんですね 笑
科学教材社はYahooショッピングの「科学教材」というストアとしてまだ存在してますね。
いま見てみたらありました。懐かしいトランジスタ売ってますね。2SC828の6石スーパー作った記憶があります。
検索で2-5がでてきたので 白いビルがそこでしょう
「模型とラジオ」で科学教材社の商品広告を紹介している部分で、裏表紙のチラッと映った多分タミヤの1/25のチーフテンの広告や大滝の1/12のフォード・マスタング マッハ1の広告ページに模型小僧でもあった自分としてはつい見入ってしまった。フォード・マスタング マッハ1も当時のマスタングの部分がムスタング表記なんてところに懐かしさを感じました。
そういえば わたしも自動車会社に入って 若い社員がマスタングというので ムスタングというんだと言って笑われました。
こんばんは、私も子供の科学ー初歩のラジオーCQ誌へと購読してました、科学教材社の広告は見てるだけで楽しかったです。中二の頃だったか・・・0V2に手を出しましたが上手くいきませんでした、不足部品を代用品で済ませたりしてたので駄目だったのでしょうね。Hi福岡の田舎では、部品一つにしても福岡市か小倉まで行かないと駄目でした。
当時 子供がラジオを完成させるというのは 凄いことだった記憶がありますね 夢がありましたね
たぶん同じ世代だと思いますが、雑誌に書いてあるのは田舎なので無理でした。昭和40年前後、STかんの5級スーパーがスクラップ屋さんで100円で買えました。80、42,6ZDH3A、6D6,6WC5、ちょと後のスクラップは5MK9、6AR5,6AV6,6BD,6BE6だったっけ?5級スーパーばらして0V1とか作るとか、、楽しかったなーGT管も忘れちゃったなー6V6,6SN7ぐらいしか覚えてない、、
まいりました、雑誌良く残して有りましたね、懐かしいですが流石に残って無いですわ😁広告も沢山有りましたね、見ているだけでワクワクしてましたが買えませんでしたね😅
子供の科学は、どんなにねだっても買って貰えなかったです。お金持ちは違うな。
昔はすてていましたが 今はもう宝物です
欲しくても 買えませんでした 教材社も 見に行きました 懐かしい 茨城からでは 遠い。
茨城からだと、遠かったでしょうねー。
誠文堂新光社ですかなつかしい。天文小僧だった私は天文ガイドを購読していたんですがそうそうにやめてしまいました。受験もあったのですが空が明るくなり2等星さえ見ることができなくなったのであきらめましたが天文ガイドはまだがんばってます。ラジオは停波停波いわれつつまだやってるのに初歩のラジオはわりと早く休刊してしまいましたね。
そうそう、初歩のラジオは早く休刊してしまいましたね。
この真空管ラジオキット作りました!最初は抵抗から煙を吹きました
いやー懐かしいですね。少年の頃アニキと愛読書同じです。私は技術不足で0-V-2作れなかったです。当時の雑誌をとってあるのも凄い。昭和のラジオ小僧から、今はスマホに苦戦しています。
今はスマホに苦戦しているんですね!私もです
なつかしい!僕は初歩のラジオとかラジオの製作でしたね。娘は、中学卒業まで子供の科学を定期購読してました。うちは大阪の日本橋でパーツ屋でしたので、かなりスパルタで作らされた事がありました。家族でラジオ作ってましたね。
娘さんと趣味があってうらやましいです
@@miyazin-shoten それが、高校生になったら文系になってしまいました。なかなか、思い通りにはなりませんわ。でも、半田付けは上手です。
科学教材社は1995年には営業しておりました、直接店へ行って2石トランジスターラジオキットを買ってきました。
そうでしたか、懐かしいですね
初ラ、ラ製、模ラ、子科、超なつかしいですねw巻末の広告も本当に宝箱のようでしたが、高くてほぼほぼエアプだったなあ。確かに15年くらい前までビルはありました。ついに取り壊されていたんですね。通販サイトは残っているようですが。いやはや。
ラジオのキット、広告見るだけでわくわくしてました。真空管式のは高くてカタログ見てるだけでしたね。それでも楽しかった少年期。
中学生の時、母から2500円貰って秋葉原で部品を購入し、6SN7の0V1を作りました。懐かしいです。
あっと言う間に1万回視聴、宮甚さんは凄い、旧川崎球場なら満員ですね。人気教授の授業みたいで皆んな履修届け出すけど単位貰うには辛いという感じですね。
0‐V‐2… 6BM8… 懐かしいやらなんやら 😂中学生の頃 地元にもパーツ売ってる店はあり買いに行ってました。0‐V‐2は結局作れませんでしたが。 科学教材社で初めて注文したのがウソ発見器だった記憶があります。小学校6年だったはす…
ありましたねうそ発見器・・・当時はほんとに嘘を見抜けると信じていました
@@miyazin-shoten 私も信じていました。🤣
2002年頃に科学教材社に初めて行きました。その時既に棚の商品はまばらで、店員も見えるところにはいませんでした。子供の頃からのあこがれの場所のあまりの寂れように愕然としたものです。今では店舗もなくなってしまったのですね。
あれから20年以上経つんですね。時の流れは早いものです。
うわぁ😊沢山持ってたけど無くなっちゃってる本達だ!初歩のラヂオ見ながらコイル巻いて真空管ソケットへ挿してましたねえケースの変異としては、タッパー→タカチのアルミケース→(お金が無くて)お菓子や柿の種の空き缶 ですねぇパネルはアルミ板でしたけど😂後は不動のJUNKを買って来てバラしてケースを使うとか能動素子は実は真空管では無くトランジスタの世代ですただし取り付け穴ピッチが30mmとかの大きな奴かC372とかボールペンの軸みたいな直径のプラかアルミ缶でしたから中の配線はサンハヤトの蛇の目基板では無くラグ板による立体配線(真空管と変わらない)でしただから方向キー付き8pin真空管ソケットにコイル巻いてたりするのですよね😎まあ、会社勤めの頃には蛇の目基板にチップ部品でペラッペラのを作ってましたけど😮最近は何も作ってないなぁ・・・・
そうそう 昔はタッパウエアはやりましたね 子供の頃 アルミは加工が大変で 樹脂は火箸で穴あけ楽でした
初歩のラジオは内容が難しくて理解できなかったので、ラジオの製作を買ってました。単球レフレックスラジオの実体配線図とか、河原でラジオの残骸を拾ったり、通信販売で部品を買って組み立ててました。KITなんて買えなかったですね。なので未だに塹壕ラジオとか作ってます。短波帯まで何か聞こえます。(笑)
たしかにラジオの製作と 初歩のラジオをくらべると ちょっと初歩のラジオの方が むずかしいところありましたね でも名前が初歩って・・・へんですよね 当時中学生には難しい本でした
当時の送料400円、650円が今と大きく変わってないのがやばいですね。
動画のようなラジオは中坊の頃、憧れでした。当時は川島電機が同種のキットを出していたと思います。もちろん買えませんでした。
懐かしいですね、川島電機もよく名前を聞きました。
懐かしい。「こか」と初ラと、「ラ製」を買ってました。でも二冊買うと小遣いが足りないので、どういう順番で買うか真剣に悩みました
そうそう 子かとか読んでいましたね なつかしいです
御サムネイルに飛びつきました!科学教材社のキットは似たシャーシで低出力のトランシーバーもあったのです。1972年、中学1年の夏休みに組み立てて工作の宿題として提出したら、理科の教師が「この綺麗な半田付はあり得んぞ。親父さんが作ったんだろ」と信じてくれませんでした ◆ ハムはもっぱら聞くばかりでしたが、あるとき送信スイッチを上げたままクリスタルマイクに何を話せばいいのか分からず黙っていたら「だれだ!この無変調は」と叱られて驚きました。
中一で 科学教材社のトランシーバーとはすごいですね
子供の科学読んだことあります。その頃も電子工作系で科学教材社のキットも買ったことあったと思います。普通の科学雑誌になってるけど今も売ってるのに驚きました😲
子供の科学懐かしいですね
小学生だった1970年代、東京都しかも秋葉原は遙か彼方、異国のような存在でした。科学教材社には人生初の郵便振替をした思い出があります。子供の汚い字に担当の方は難儀したのではないでしょうか。辛い話ですが、今後、中波帯の局数が減ってしまったら、選択度の高さは性能の指標では無くなってしまい、ストレート・ラジオが再び市民権を得るかもしれませんね。
そういえばむかしは通販で 小包でやりとりして 2週間くらいかかりましたね 子供なので待ちきれませんでした
11:46 東京電機大学の「機」が「気」になってますが、当時はそれで正しかったのか誤りなのか?大学生の頃その辺をよくうろついてました。誠文堂新光社の本は今もいくつか持っており大切にしています。
まあ 当時はけっこうこのへんはラフだったんでしょうね 笑
「ラジオは自作すると高税率の物品税が掛からないぜ!」って事で、古の時代から自作ラジオ指南書が売られてるんでしたっけ?
そういえば理系学生のバイトって言う時代だったんでしょうね
秋葉原へ父親と真空管ラジオキットを買いに行き、私は再生式ラジオを希望したのですが、店員は4球スーパー(5球目の整流管はシリコンダイオードになってました)推し。あの時、店員の意見に押し切られ4球スーパーキットを購入せず、再生式キットを選べば、エンジニアになれたかもしれないと妄想しています。(笑)
再生式ラジオ、いいですね!奥がふかいですからね
「初歩の科学」は中学の図書館にあり貪るように読んでいた。土木工作の教師がインターホンキットの制作を募集して応募したのが私を含めて三人。初めてはんだごてを使用し指示通りに組み立てたが導通はしているのにブザーが鳴らなかった。成功したのは一人だけ。これですっかり自信を無くし自分は向いてないと諦めた。手先が器用な宮甚さんが羨ましい。
なんか 良い思い出ですね
行きましたよ昔、並四コイルとエアバリコン買いに。もう40年以上前でしたよ。石井スポーツで登山靴買ったり。でも、面影無いですね。
石井スポーツもよく行きましたね
こんにちは初ラ 懐かしいです 弟も 購読してました倉庫改築の際 誰も貰ってくれないので処分しました BCLもロングワイヤー引いて自分で組み立てた RIGでやってましたついでに 30MHZ帯の警察無線発見しました弟の 大手柄でした
懐かしいですね 私もBCLやってました 確か あの頃は 警察無線が聞けたような・・・
ショラ、コカ、モラですね。小学生の頃、見よう見まねでモラの記事を製作してどうしても動作せず、親が科学教材社に連れていってくれました。お店の奥の方で半田付けの仕方を教えてもらい、その後ちゃんと完成しました。
懐かしいですね、科学教材社で半田付けを教えてもらった思い出は宝物ですね。
なつかしいですね。なにも知らないので0V1なんて、スーパーより高性能と思っていました。プラグインコイル、すごい発明ですね
これ 切替SW不要でシンプル 最高の機構ですね
Я подписан на ваш канал. Я очень старый человек, 1969 год - времена моей молодости. В моей коллекции более 300 ЯПОНСКИХ винтажных аппаратов. Я из России.
コメントありがとうございます。国は違いますが同じ時代に青春時代を過ごしたものとしてうれしくおもいます。ロシアの真空管は品質も安定していますね
В 60-х, 70-х, 80-х годах Япония производила чудесные технологичные аппараты, которые удивляют весь мир. Жаль что это закончилось.......
@@miyazin-shoten Спасибо ЯПОНСКОМУ народу за чудесные аппараты, которые удивляют весь мир.
中学生の時にゲルマニュウム・ラジオに始まり、5級スーパーは無理でしたがAMが聞ける真空管のラジオを部品を集めて作りました。ゲルマニュウム・ラジオの方がクリアに受信できる様な真空管ラジオでしたが(笑)
それ あるあるですね
誠文堂新光社「初歩のラジオ」の編集長さんの名前は、竹内王子 さんだったんですよね。当時、女性か男性かをネタに、読者コーナーに投稿したことあります。 イラストも何度か掲載されたことがありますよ。田舎だから、なんにちか遅れて発売されるんですけど、月に一度が待ち遠しかったです。
おー なつかしいですね わたしもよくイラスト送っていました 一度 電気部品でオートバイのイラスト書いたら採用してくれて その後表紙になりました。 その時東芝のトランシーバー2台をいただき天にも昇る思いでした
@@miyazin-shoten イラスト投稿されていたんですね。懐かしいです...☺
カーステレオにもプアエンドってあるんですか?
当然あると思います
中学生の70年代に科学教材社に行って固形燃料を使ったロケッティーを買ってきました。無線機の方は秋葉少年隊?だったのでこちらは興味がなかったです。当時秋葉にはまだベトナム戦争時代のジャンク屋とか面白いとこがありましたから…でも教材社では中年の背広着たおじさんが熱心に色々教えてくれました。確か5R66とかっていう通信型受信機?があって盛んに進められましたけど…9R59のパクリみたいでねぇいやーなつかしいなぁ
5R66・・・なつかしいですね わたしもこの記事みて 造りました だいぶ形は違いますが回路通りで・・・ でも昔処分してしまい いまでは人生最大の後悔です
タイガーロケッティー持ってました。A型はバルサのミラージュⅢを飛ばし、B型は2個付けたヘリコプターを叔父に買ってもらいました。
今、Yahoo! オークションに 5R-66 受信機が出品されています。5R-66 という型番は出ていないので、オークションのページで「トランスレス受信機」を検索すると出ます。今はまだ3,700円です。
『子供の科学』巻末の広告を指咥えて眺めていました。100円/月の小遣いでは手も足も出ませんでした。1970年代の思い出です。
あの巻末広告は憧れでしたよね
科学教材社は残念でしたね。「諸行無常」といったところでしょうか。
そうなんですよ、本当に残念です。
いまみると感電のリスク高い状態で中学生がいじっていましたねえ。
当時はそんなこと気にせずやってましたね!笑
アルペンやらなんやらって無駄に多かったのにねww
ほんと あのころは毎年スキー板買い換えて・・今思うとなんだったんだろうと・・・リフトも混んでいましたね
誠文堂新光社と科学教材社は、私の出身校(東京電機大学:千代田区神田錦町2-2)の近くにあって、模型とラジオの世代としては懐かしかったです。神保町駅よりも、神田駅からの方が近いです。大学も北千住に都落ちしてしまって、寂しい限りです。
懐かしいですね!あの頃は神田が模型とラジオの聖地でしたねたしかに神保町のほうが遠かったです 笑
こういう雑誌は見た気がします。難しくてチンプンカンプン。ところで Audio survivalさんがコンクリート製スピーカーを作られましたよ。とってもいい音。おんがくほーるで聴いたような印象でした。 ruclips.net/video/bP1XxnOgvbg/видео.html
すんごいですねこれ! 重さと金のかけ方が素晴らしいです
@@miyazin-shoten さんへ これが本当の「黄金比率」なんっち。(*´艸`*)
最近、面白くない。ぼちぼちネタ切れですか〜。
そうですね たしかに70歳以下のガキには当時のことも知らないだろうし 面白くない内容ですね。数百件の他のコメント見てから投稿したほうがいいですよ
初歩のラジオ懐かしいです。中学生の時、BCLが流行していて、ロンドンBBC放送のビックベンの鐘の音が聞けるスカイセンサーが欲しかったのですが、高くて買えませんでした。そこで中波AMのモスクワ放送の日本語を聴いていました。ラジオの野球放送には目もくれずラジオ制作に夢中になっていました。私、運動が苦手でした。
そういえば BCL SWLはやっていましたね 私も運動嫌いでした
もうすぐ70歳の爺さんです。いつも楽しく拝見してます。
なんと懐かしい雑誌類、わくわくしていつも後の広告から見てました。中学生のとき父親が買ってくれた0-V-1と5R-66(5球スーパー)のキット、回路図と実体配線図が微妙に違っていたりで、悩みながら組んでました。最初に電源を入れたとき、ヒーターが温まって音が出るまではドキドキでした。最適な動作状態かもわからないまま、なんとか短波の日本語放送を楽しんでました。BCLブームの少し前ですね。・・・その後、科学教材社の近所の東京電機大を卒業して電機メーカーに就職、バブルがはじける前まで深夜残業、休日出勤でへとへとになるまで働いてました。・・・リタイア後に再びいじってみたものの、エアバリコン、バーニヤダイヤル等々、もはや希少で高価すぎて手が出せません。近年はDSPで簡単に高感度、技術の進化が身に沁みます。ありがとうございました。
後期高齢者の私には懐かしの3誌。
後ろの宣伝のページは欲しい物ばかりでしたが、貧乏だったので買えませんでした。
昔はCQ誌なんて 記事より広告のほうが多かったですね
初歩のラジオ、模型とラジオ、子供の科学、ラジオの製作
これらを愛読した子供たちが日本の電子技術を支えた事に間違えありません。
私は小学生5年生の時、叔父に12AU7のVHF超再生単球ラジオKITを買ってもらったのが初めての真空管工作でした。
そんで、、科学教材社の広告はとても興味があり、何度も読み返した記憶があります。
までも 超再生のラジオつくりたいですね FMや エアバンド聞けそうですね
科学教材社へは小5か6の頃、横浜から行った覚えがあります。当時は固形燃料を燃やすロケットエンジンを売っていて買いました。 子どもの頃は町に模型店もあり、ちょっと特殊な部品をこういうお店で手に入れられて、良い時代だったと思います。
横浜から科学教材社まで行かれたんですね!遠いところまでお疲れ様でした
「子供の科学」は子煩悩とは真逆の性格だった父親が珍しく買ってくれた雑誌でした。
子供心に明日は地震か台風でも来てみんな死んでしまうんじゃないかと思うほど驚きましたが、どうやら父親(戦中派)も子供時代に憧れていた雑誌だったのを本屋で見かけ、我が子にくれてやろうとでも思ったのでしょう。
その後愛読書になり、キットを買ったり作ったりは一切できませんでしたが記事は食い入るように読んで、見事理系アタマになりました。
真空管の回路図と立体配線図が懐かしいですね。プリント基板はおろかユニバーサル基板もなかった時代ですものね。
当時からいろいろ作れた宮甚さんたちがうらやましいです。
いい親父さんだったんですね
科学教材社。
懐かしいですね。
雑誌の広告をよく見ていました。
子供の私にはキットが高くて買えなかったです。
広告を見ているだけでワクワクしているだけでした。
ラジオ少年みな同じ思いだったんでしょうね
中学生の頃かな?どうしても欲しい誠文堂新光社の本を求めて秋葉原ガード下の小さな書店のおばちゃんに聞いた。
取り寄せになるので、今日ほしいなら誠文堂新光社へ行ってごらんと教えてもらって神保町まで歩いて行きました。
壁に木製の本棚が在って、床も木製だったような気がするけど・・・記憶が🤣 50年以上前だから
誠文堂新光社を出ると目の前に科学教材社がありました。でも抱えた本を早く読みたくて駅に向かってしまいました。
宮甚商店さんのおかげで、小さな冒険のようにドキドキした思い出がよみがえりました。ありがとうございました。
神保町懐かしいですね あの頃はよく行きました
とっても懐かしいですよね。どの雑誌も必ず立ち読みしてました。小学生の頃、科学教材社に行ってみたかったのですが、なかなか機会なく、ある時学校でいつも成績がいい友達が、先生が使う教科書ガイドというものがあってそれを使うと勉強しやすいと聞きました。なんとこの教科書ガイドはいつも学校で使ってる教科書の答えが全部書いてあって神田にある教科書を扱っている書店に売っているということでした。これは買いに行かなきゃということで母と買いに来ました。その帰りに科学教材社にも寄ることができました。本当は宮甚さんが作ったようなキットが欲しかったのですが、高価だったのとまだ小学校低学年だったので買ってもらえず、壁にビニール袋の中にパーツが入って釣って売っていたゲルマニウムラジオを買ってもらいました。ラジオも教科書ガイドも買えてとっても嬉しかったことを覚えています。教科書ガイドの件ですが、それまで先生に質問されてもほとんど答えることができなかったアホな私が急に全部答えられることになったので不思議がっていた先生に教科書ガイド存在がバレて、教科書ガイド禁止令が出てしまいました。勉強はやっぱり自分で努力してしなければならないのですね。
なつかしいですね! 教科書ガイドってありましたね たしか私の方では赤本とか呼んでいたような・・・
懐かしすぎて涙が・・・
小学生のとき夏休みの工作で6石スーパーラジオキットを作るってんで
神田のお店まで親父に連れてってもらいました。
外のウインドウにポリバリコンとかのラジオ部品が飾ってありました。
作ったラジオは中学生の時深夜放送を聴くのに活躍しました
いい思い出ですね
いやいや・・・何時も有り難うございます、唯々懐かしくいつも拝聴させて頂いております😀
有り難うございます
昭和のラジオ小僧だったんですね
子供の科学、初歩のラジオ毎号読んでましたね。小学校5年から秋葉原に通い初ラか何かの制作記事みて1石TRラジオを自作し夏休みの自由研究にしたこと思い出しました。まだ実家に残ってるかもしれないです。大変懐かし記事ありがとうございました。
実家にのこっているといいですね 出てきたらたからものですね
いやー 初歩のラジオとかラジオの製作とか毎月買って読んでましたねー。懐かしい。小学生だった私は日曜日など1人で地下鉄で大須のラジオセンターに電子部品を買いに行ったものです。
ただ、小学生の小遣いなどしれてますから部品が完全に集まらず完成までに至らなかったものが多かったですね。でもそれでも楽しかったです。店に並んでいる電子部品を眺めながら歩いているだけでも何故か楽しかったことも覚えてます。家庭の事情で田舎に引っ越しそういうこともできなくなり段々と電子工作から離れていきました。もし田舎に引っ越していなければもう少し違った人生を送っていたかもしれません。昔ラジオ少年だった私の回想をダラダラ書いてしまいました。失礼しました。いいものを見せていただきありがとうございます。
大須のラジオセンターって懐かしいですね、わたしも自動車の仕事で名古屋にいったときはいつも立ち寄りました
あの頃は本当に活気があって楽しかったですよね。
懐かしいです。
子供の科学と初歩のラジオ。
広告は特に子供心をくすぐりましたね。
私もトリオの無線機やらBCLラジオが欲しくて欲しくてたまらなかった口です。
無線機は免許は取っても買ってもらえませんでしたが、数年後にBCLラジオは買ってもらいました。
1970年代。
良い時代でした。
良い思い出ですね
歩いて行ける場所に住んでいたので60年ぐらい前によく行きましたよ。アメリカ製の固体燃料模型ロケットなんかも売っていて憧れました。
科学教材社、毎週行ってました。高田馬場から都電で10円かそこらで行けたような気がします。当時流行っていたスロットルレーシングに凝って模型とラジオを読み始めたのがきっかけでしたね。そこでラジオや無線のことを知ってアマチュア無線の免許を取って・・・とお決まりのルートに進んでいくことになったわけです。懐かしいですね
スロットレーシング、あの頃は熱病のようにみんなやってましたね
科学教材社懐かしいです。古いタイル張りの誠文堂新光社の対面にありました、近くに、東京電機大学、共立女子大、金城、正則、顔のYシャツが有りました。
美土代町のYWCAの裏に住んでましたので、科学教材社へは、毎日行きました。父はライカ代理店のシュミットに、私は科学教材社に入り浸りでした。
子供の科学はずっと買ってもらっていました。巻頭の写真のPLフィルターがかけられた独特の雰囲気が心に残っています。宮甚さんのように子供時代に自作しなかった私も給料をもらうようになってキットやら実体配線図で作るやらまたギターのマーシャルアンプも加えて、家の中は真空管アンプだらけになりました。自作はロマンなのでしょう。いろいろ思い出させてくださってありがとうございます。チャンネル登録します。
ありがとうございます。うれしいです
私の当時の職場から科学教材社が見えました。
子供の頃キットが欲しくてほしくてたまりませんでした。
小学校の時お店に行って雑然とした店だなぁと感じていましたが、大手町勤務時代に再訪したところ
小学生の時に見たお兄さんとお爺さんが歳も取らずにそのままいらっしゃってびっくりしました。
流石に取り扱い商品は少なくなってがっかりしていましたが、スパイダーコイルのゲルマラジオのキットが健在で安心していました。
もう無くなっちゃったんですね…
そうそう 子供の頃みたおじさんってすごい歳に見えたけど けっこうわかかったってことありますよね 笑
なつかしいですね~ 。小三ぐらいの頃、一度だけ友達と赤羽から訪れたことがあります。
雑多な模型店という感想は宮甚さんと一緒でした。何も買わずに帰ってきました…
子供の科学は別冊の「よく飛ぶ紙飛行機集」を作ってよく飛ばしました。
「子供の科学」の広告懐かしいですね。1chから3chのテレビ音声がFMラジオで聴けるコンバーターを作った事あります。マイクロマウスみたいなのも売ってた業者もあったような。
「ラジオの製作」は、高円寺北に部品を通信販売している店の広告があって、そこの店のカタログを取り寄せて部品を買ったりしていましたね。
懐かしいネタをありがとうございます。ラジオ小僧(少年) 大昔は ラヂヲ小僧(少年)とか書いてありましたね。
今やオーディオばかりの「MJ無線と実験」も「無線と實驗」の頃には本当に無線の記事や実験の記事がありました。
ありがとうございます
この手は中学校時代のラジオの製作ですね。
今思うと不思議なんですが、中学校の図書室にありました。よく読んでいました。
当時中学校にはアマチュア無線に熱心な先生が数名いたのも関係したかもしれません。
アマチュア無線の免許を取ったのもその頃です。
当時は国家試験しかなく、隣県まで受けに行っていました。もちろん送迎までしてもらって大変お世話になったものです。
DATの記事を見たのもラジオの製作でした。
まだ買える訳もなくただただ眺めていただけ。
テクニクスのポータブル機の紹介でした。
高校時代はトランジスタ技術を眺めていました。
僕にはレベル高かったですが背伸びしていましたね。
無線クラブにも入り、技術室に入り浸っていました。
トリオの管球式の無線機で運用していました。
1980年代初頭の頃。
そうそう わたしも中学の図書室で初歩のラジオみていたような気がします いい先生がいたんでしょうね
私も行ったことがあるので懐かしい思いです。蒸気エンジンの汽車モデルなんかがあって古い模型店って感じでしたね。
小学生のときはじめて作った6石スーパーのラジオはここで買ったものでした。ベークのプリント基板に回路図みたいに部品が配置されているものでした。
じつはヤフーショッピングに科学教材社のストアがあり、住所は神田錦町2-5となっており同様にストリートビューで見ると共同出版社内にあるようです。
代表の小川文雄さんはご兄弟かご子息なんでしょうか。通販実務は外神田2-8-9の佐藤商事ビルになっているようです。
その2-5が 白いビルだったんですね 住所検索したらここが出てきましたが マンションのようでした
いつも楽しく拝見しています。昭和36年生まれですが、昭和60年頃、科学教材社にてプラグインコイルボビンを買いました。社長に、誠文堂新光社との関係を問うたところ、「あれは弟の会社だよ、俺のほうが腕が良いんだぜ」と工作の自慢をされていました。
社長さん、面白いですよね! プラグインボビンなつかしいですね
「模型とラジオ」と「子供の科学」は別冊も含めて毎号読んでました。本誌は開業したときに自分の店で販売してしまったのでもう無いですが、付録の模型飛行機の青写真はかなりの量をどこかにしまい込んでいたはずです。当時のボタン式ラジコン通信機やエスケープメント(ゴム動力のサーボモーターのようなもの)もまだどこかにあるはず。懐かしい。
ぜひ探しましょう!
当時の4000円って、少年には到底出せない価格ですよね。
巻末の広告を眺めては、買った気分で妄想するしかなかったのを覚えています。
です
やはり中坊時代は初ラが聖書でしたね~。子供の科学・・・うううう~ん懐かしい。
そうでしたね あの頃はラジオ製作が流行りましたね
もうかれこれ50年前殆ど同じような事していたので懐かしい。当時の雑誌もまだ持っているから私も久しぶりに作ってみたいと少年の頃ふと思い出してしまいました。久しぶりに秋葉へ行こうかな(笑
さあ いきましょう!
こんにちは~!宮甚さん。私も子供の頃この3冊はよく読んでいましたね、懐かしいですね!私も、化学教材社のAMラジオを買って制作しましたよ。
驚いた事にあの当時の真空管ラジオにしては感度が良くて音量も結構大きかったですね!車に付いてるラジオよりよほどイイ感じでしたね。
この他にラジコン技術が出て来てそちらに夢中に成りました。あの配線図を見て作りましたね、良く失敗せづに作れたものです。じゃ、まったね~!
ラジコン技術も懐かしいですね!
宮甚さん
いつも楽しく拝見させていただいています
動画内にもありましたが、科学教材社発行の「ラジオ制作ABC」という本を
小学校4年生の頃購入、大阪駅前の阪神百貨店で部品を購入して作りました。
全く知識がないところで工作したので失敗、そのまま放置してしまいました。
作成したのは6BA6単球ラジオ。失敗の原因は電源トランスを用いずAC100V
を直に整流してB電圧供給するものでフローティングアースを施していませんでした
今となっては懐かしい思い出です。
あの頃はラジオ製作ABCを読んで夢中でラジオを作りましたよね。あの頃のワクワク感が忘れられません。
昭和38年生まれですが子供の科学と初歩のラジオは時々買っていました。東京に住んでいた時は神保町もよく行きました。懐かしいですね。
最近 電子とかバイククルマの本屋さんはみんなネット化して 地方に離散してしまった感じですね
宮甚さんは、昔の雑誌を良くお持ちですね。
私も初歩のラジオと子供の科学はいつも買ってました。
キットの広告みながら、欲しいなあと思っていましたよ。
懐かしい~~~
捨てられないですね 少年の頃の雑誌は
@@miyazin-shoten 私も初歩のラジオ、子供の科学、FMfan、鉄道ジャーナル、モデルガンなど
沢山購入して持っていましたが、実家から今の家に引っ越す際に廃棄しちゃいました・・・
ちょっと後悔してます・・・
懐かしい。あの0-V-2の画像鮮明な記憶があります。小学生高学年からラジオの製作と初歩のラジオは必読書になりました。さすがに0-V-2はあまりの高さに手が出ませんでした。その当時はゲルマラジオがいいとこでしょうか。6年の時にオャジに秋葉原に連れて行ってもらって、とにかくラジオと思っていたら、すご~く安いトランスレス5球スーパーのキットがあったので、それを買ってもらっちゃいました。確か2100円だったかと思います。0-V-2のはずが、ちょっと高級品から始まりました。その後はトラ技に流れて、ハード・ソフトのPC小僧になって行ったりしています。
なんたってスーパーですね
私は「ラジオの製作」でしたね。昭和35~36年頃にBCLのコーナーにベリカードをおくって掲載された事や読者の製作コーナーへ投書して掲載されたことも有り懐かしく蘇りました。小学校高学年~中学生でした。因みに当方は団塊の世代真っ只中の世代です。今も真空管関係の部品やら球も沢山持っていますがさすがにもう製作は無理ですね。良い記事を"TNX"
真空管関係の部品や球、私もまだ持ってます それだけでも心豊かになれますね
科学教材社は小学生の頃、何度か行きました。美土代町の交差点のすぐそばだった記憶です。木の床で駄菓子屋のようなガラスケースに雑多に商品がならんでおり、模型飛行機が壁際か天井にあったかしら。お小遣いが少なかったので紙でできたラジオぐらいしか買えなかった記憶があります。電機大が神田から越す直前に行く機会がありましたがこの赤い軒のお店がありました。
そうそう、模型飛行機も売ってましたよね
亀戸に居たので科学技術社、行きましたねぇ。ラジオは6石まで作りましたが秋葉原のラジオセンターで買いました。愛読書はUコン技術、見るTV番組はNHK教育のみんなの科学・たのしい実験室。Uコンのエンジンやキットは西荻窪のニットー教材まで行きました。
二ットー教材ってありましたね!なつかしいです
初歩のラジオというと、厚紙をエポキシ接着剤で張り合わせてハトメを打って、
基盤にするページがあったのを思いだします。中学生の頃だと思いますが。初歩
のラジオとラジオの製作は、毎月購入して頭の中で作る事を妄想をしていました。
ところで白色コイルは、最近巻いた物でしょうか、なんか部品が新しいような。
はい わたしはコイルのピンアサインは独自に統一しているので 再生コイルは10本くらい持って居ます。このコイルは比較的あたらしくて10年前くらいに作ったと思います
「初ラ」はほぼ毎号、「ラ製」はいい記事が載っている時のみときどき購読していました。
僕は大阪なので、日本橋で部品を買い、いろいろと作って楽しみました。
ご多分に漏れず、0-V-2も宮甚さんのとほぼ同じような感じで作り(スピーカはやはり丸穴たくさんで、パネルは青のラッカーで塗っていました)、アマチュア無線バンドを含め短波の電波に聞き耳を立てたものです。
大阪日本橋も 最近はさみしいですね
O-V-2作りましたし科学教材社も行きました。お話の内容全部わかります。
プラグインコイルの差し替えでAMラジオ聞いたり、初めて7Mhz聞いて無線の免許取りました。
バーニアダイアルがなんかよかったです。
シャーシーの加工大変ですよね四角い穴、長孔等シャーシパンチや円錐状のリーマで穴広げたり思い出します。
いつもありがとうございます毎回楽しく見ています。
そうですね 当時はハンドにブラーなんて買えませんでしたね
雑誌の、その真空管ラジオキット私子供のころ買い組み立てました。
それを今、軽々と作ってしまう宮甚さんはすごいです
いえいえ なかなかオリジナルの設計に性能的には及びません
科学教材社のO-V-2への憧憬は私も宮甚商店さんに負けず劣らずだと思っていますが当時自作するほど知識もパワーもありませんでした。あれから半世紀以上経過してたまにオークションでベラボーな価格で落札されてるのを横目で眺めていますが同じ思いのご同輩は世の中大勢おられるようですね。やはり感性が豊かな時期のインプリンティングは一生ものです。
そうでしたね あの頃はみんな憧れていましたね つりは鮒にはじまりフナに終わるみたいなもんですね 笑
科学教材社はYahooショッピングの「科学教材」というストアとしてまだ存在してますね。
いま見てみたらありました。懐かしいトランジスタ売ってますね。2SC828の6石スーパー作った記憶があります。
検索で2-5がでてきたので 白いビルがそこでしょう
「模型とラジオ」で科学教材社の商品広告を紹介している部分で、裏表紙のチラッと映った多分タミヤの1/25のチーフテンの広告や大滝の1/12のフォード・マスタング マッハ1の広告ページに模型小僧でもあった自分としてはつい見入ってしまった。
フォード・マスタング マッハ1も当時のマスタングの部分がムスタング表記なんてところに懐かしさを感じました。
そういえば わたしも自動車会社に入って 若い社員がマスタングというので ムスタングというんだと言って笑われました。
こんばんは、私も子供の科学ー初歩のラジオーCQ誌へと購読してました、科学教材社の広告は見てるだけで楽しかったです。
中二の頃だったか・・・0V2に手を出しましたが上手くいきませんでした、不足部品を代用品で済ませたりしてたので駄目だったのでしょうね。Hi
福岡の田舎では、部品一つにしても福岡市か小倉まで行かないと駄目でした。
当時 子供がラジオを完成させるというのは 凄いことだった記憶がありますね 夢がありましたね
たぶん同じ世代だと思いますが、雑誌に書いてあるのは田舎なので無理でした。
昭和40年前後、STかんの5級スーパーがスクラップ屋さんで100円で買えました。
80、42,6ZDH3A、6D6,6WC5、
ちょと後のスクラップは
5MK9、6AR5,6AV6,6BD,6BE6だったっけ?
5級スーパーばらして0V1とか作るとか、、楽しかったなー
GT管も忘れちゃったなー
6V6,6SN7ぐらいしか覚えてない、、
まいりました、雑誌良く残して有りましたね、懐かしいですが流石に残って無いですわ😁
広告も沢山有りましたね、見ているだけでワクワクしてましたが買えませんでしたね😅
子供の科学は、どんなにねだっても買って貰えなかったです。お金持ちは違うな。
昔はすてていましたが 今はもう宝物です
欲しくても 買えませんでした 教材社も 見に行きました 懐かしい 茨城からでは 遠い。
茨城からだと、遠かったでしょうねー。
誠文堂新光社ですかなつかしい。天文小僧だった私は天文ガイドを購読していたんですがそうそうにやめてしまいました。受験もあったのですが空が明るくなり2等星さえ見ることができなくなったのであきらめましたが天文ガイドはまだがんばってます。ラジオは停波停波いわれつつまだやってるのに初歩のラジオはわりと早く休刊してしまいましたね。
そうそう、初歩のラジオは早く休刊してしまいましたね。
この真空管ラジオキット作りました!
最初は抵抗から煙を吹きました
いやー懐かしいですね。少年の頃アニキと愛読書同じです。私は技術不足で0-V-2作れなかったです。当時の雑誌をとってあるのも凄い。昭和のラジオ小僧から、今はスマホに苦戦しています。
今はスマホに苦戦しているんですね!私もです
なつかしい!
僕は初歩のラジオとかラジオの製作でしたね。
娘は、中学卒業まで子供の科学を定期購読してました。
うちは大阪の日本橋でパーツ屋でしたので、かなりスパルタで作らされた事がありました。家族でラジオ作ってましたね。
娘さんと趣味があってうらやましいです
@@miyazin-shoten それが、高校生になったら文系になってしまいました。
なかなか、思い通りにはなりませんわ。
でも、半田付けは上手です。
科学教材社は1995年には営業しておりました、直接店へ行って2石トランジスターラジオキットを買ってきました。
そうでしたか、懐かしいですね
初ラ、ラ製、模ラ、子科、超なつかしいですねw
巻末の広告も本当に宝箱のようでしたが、高くてほぼほぼエアプだったなあ。
確かに15年くらい前までビルはありました。ついに取り壊されていたんですね。通販サイトは残っているようですが。いやはや。
ラジオのキット、広告見るだけでわくわくしてました。真空管式のは高くてカタログ見てるだけでしたね。それでも楽しかった少年期。
中学生の時、母から2500円貰って秋葉原で部品を購入し、6SN7の0V1を作りました。懐かしいです。
あっと言う間に1万回視聴、宮甚さんは凄い、旧川崎球場なら満員ですね。人気教授の授業みたいで皆んな履修届け出すけど単位貰うには辛いという感じですね。
0‐V‐2… 6BM8… 懐かしいやらなんやら 😂
中学生の頃 地元にもパーツ売ってる店はあり買いに行ってました。
0‐V‐2は結局作れませんでしたが。
科学教材社で初めて注文したのがウソ発見器だった記憶があります。小学校6年だったはす…
ありましたねうそ発見器・・・当時はほんとに嘘を見抜けると信じていました
@@miyazin-shoten 私も信じていました。🤣
2002年頃に科学教材社に初めて行きました。その時既に棚の商品はまばらで、店員も見えるところにはいませんでした。子供の頃からのあこがれの場所のあまりの寂れように愕然としたものです。今では店舗もなくなってしまったのですね。
あれから20年以上経つんですね。時の流れは早いものです。
うわぁ😊沢山持ってたけど無くなっちゃってる本達だ!
初歩のラヂオ見ながらコイル巻いて真空管ソケットへ挿してましたねえ
ケースの変異としては、タッパー→タカチのアルミケース→(お金が無くて)お菓子や柿の種の空き缶 ですねぇ
パネルはアルミ板でしたけど😂
後は不動のJUNKを買って来てバラしてケースを使うとか
能動素子は実は真空管では無くトランジスタの世代です
ただし取り付け穴ピッチが30mmとかの大きな奴かC372とかボールペンの軸みたいな直径のプラかアルミ缶でしたから
中の配線はサンハヤトの蛇の目基板では無くラグ板による立体配線(真空管と変わらない)でした
だから方向キー付き8pin真空管ソケットにコイル巻いてたりするのですよね😎
まあ、会社勤めの頃には
蛇の目基板にチップ部品でペラッペラのを作ってましたけど😮
最近は何も作ってないなぁ・・・・
そうそう 昔はタッパウエアはやりましたね 子供の頃 アルミは加工が大変で 樹脂は火箸で穴あけ楽でした
初歩のラジオは内容が難しくて理解できなかったので、ラジオの製作を買ってました。
単球レフレックスラジオの実体配線図とか、河原でラジオの残骸を拾ったり、通信販売
で部品を買って組み立ててました。KITなんて買えなかったですね。
なので未だに塹壕ラジオとか作ってます。短波帯まで何か聞こえます。(笑)
たしかにラジオの製作と 初歩のラジオをくらべると ちょっと初歩のラジオの方が むずかしいところありましたね でも名前が初歩って・・・へんですよね 当時中学生には難しい本でした
当時の送料400円、650円が今と大きく変わってないのがやばいですね。
動画のようなラジオは中坊の頃、憧れでした。当時は川島電機が同種のキットを出していたと思います。もちろん買えませんでした。
懐かしいですね、川島電機もよく名前を聞きました。
懐かしい。「こか」と初ラと、「ラ製」を買ってました。でも二冊買うと小遣いが足りないので、どういう順番で買うか真剣に悩みました
そうそう 子かとか読んでいましたね なつかしいです
御サムネイルに飛びつきました!科学教材社のキットは似たシャーシで低出力のトランシーバーもあったのです。1972年、中学1年の夏休みに組み立てて工作の宿題として提出したら、理科の教師が「この綺麗な半田付はあり得んぞ。親父さんが作ったんだろ」と信じてくれませんでした ◆ ハムはもっぱら聞くばかりでしたが、あるとき送信スイッチを上げたままクリスタルマイクに何を話せばいいのか分からず黙っていたら「だれだ!この無変調は」と叱られて驚きました。
中一で 科学教材社のトランシーバーとはすごいですね
子供の科学読んだことあります。その頃も電子工作系で科学教材社のキットも買ったことあったと思います。
普通の科学雑誌になってるけど今も売ってるのに驚きました😲
子供の科学懐かしいですね
小学生だった1970年代、東京都しかも秋葉原は遙か彼方、異国のような存在でした。科学教材社には人生初の郵便振替をした思い出があります。子供の汚い字に担当の方は難儀したのではないでしょうか。
辛い話ですが、今後、中波帯の局数が減ってしまったら、選択度の高さは性能の指標では無くなってしまい、ストレート・ラジオが再び市民権を得るかもしれませんね。
そういえばむかしは通販で 小包でやりとりして 2週間くらいかかりましたね 子供なので待ちきれませんでした
11:46 東京電機大学の「機」が「気」になってますが、当時はそれで正しかったのか誤りなのか?
大学生の頃その辺をよくうろついてました。
誠文堂新光社の本は今もいくつか持っており大切にしています。
まあ 当時はけっこうこのへんはラフだったんでしょうね 笑
「ラジオは自作すると高税率の物品税が掛からないぜ!」って事で、古の時代から自作ラジオ指南書が売られてるんでしたっけ?
そういえば理系学生のバイトって言う時代だったんでしょうね
秋葉原へ父親と真空管ラジオキットを買いに行き、私は再生式ラジオを希望したのですが、店員は4球スーパー(5球目の整流管はシリコンダイオードになってました)推し。あの時、店員の意見に押し切られ4球スーパーキットを購入せず、再生式キットを選べば、エンジニアになれたかもしれないと妄想しています。(笑)
再生式ラジオ、いいですね!奥がふかいですからね
「初歩の科学」は中学の図書館にあり貪るように読んでいた。土木工作の教師がインターホンキットの制作を募集して応募したのが私を含めて三人。初めてはんだごてを使用し指示通りに組み立てたが導通はしているのにブザーが鳴らなかった。成功したのは一人だけ。これですっかり自信を無くし自分は向いてないと諦めた。手先が器用な宮甚さんが羨ましい。
なんか 良い思い出ですね
行きましたよ昔、並四コイルとエアバリコン買いに。もう40年以上前でしたよ。
石井スポーツで登山靴買ったり。でも、面影無いですね。
石井スポーツもよく行きましたね
こんにちは
初ラ 懐かしいです 弟も 購読してました
倉庫改築の際 誰も貰ってくれないので
処分しました BCLもロングワイヤー引いて
自分で組み立てた RIGでやってました
ついでに 30MHZ帯の警察無線発見しました
弟の 大手柄でした
懐かしいですね 私もBCLやってました 確か あの頃は 警察無線が聞けたような・・・
ショラ、コカ、モラですね。小学生の頃、見よう見まねでモラの記事を製作してどうしても動作せず、親が科学教材社に連れていってくれました。お店の奥の方で半田付けの仕方を教えてもらい、その後ちゃんと完成しました。
懐かしいですね、科学教材社で半田付けを教えてもらった思い出は宝物ですね。
なつかしいですね。
なにも知らないので0V1なんて、スーパーより高性能と思っていました。
プラグインコイル、すごい発明ですね
これ 切替SW不要でシンプル 最高の機構ですね
Я подписан на ваш канал. Я очень старый человек, 1969 год - времена моей молодости. В моей коллекции более 300 ЯПОНСКИХ винтажных аппаратов. Я из России.
コメントありがとうございます。国は違いますが同じ時代に青春時代を過ごしたものとしてうれしくおもいます。ロシアの真空管は品質も安定していますね
В 60-х, 70-х, 80-х годах Япония производила чудесные технологичные аппараты, которые удивляют весь мир. Жаль что это закончилось.......
@@miyazin-shoten Спасибо ЯПОНСКОМУ народу за чудесные аппараты, которые удивляют весь мир.
中学生の時にゲルマニュウム・ラジオに始まり、5級スーパーは無理でしたが
AMが聞ける真空管のラジオを部品を集めて作りました。
ゲルマニュウム・ラジオの方がクリアに受信できる様な真空管ラジオでしたが(笑)
それ あるあるですね
誠文堂新光社「初歩のラジオ」の編集長さんの名前は、竹内王子 さんだったんですよね。
当時、女性か男性かをネタに、読者コーナーに投稿したことあります。 イラストも何度か掲載されたことがありますよ。
田舎だから、なんにちか遅れて発売されるんですけど、月に一度が待ち遠しかったです。
おー なつかしいですね わたしもよくイラスト送っていました 一度 電気部品でオートバイのイラスト書いたら採用してくれて その後表紙になりました。 その時東芝のトランシーバー2台をいただき天にも昇る思いでした
@@miyazin-shoten イラスト投稿されていたんですね。懐かしいです...☺
カーステレオにもプアエンドってあるんですか?
当然あると思います
中学生の70年代に科学教材社に行って固形燃料を使ったロケッティーを買ってきました。
無線機の方は秋葉少年隊?だったのでこちらは興味がなかったです。
当時秋葉にはまだベトナム戦争時代のジャンク屋とか面白いとこがありましたから…
でも教材社では中年の背広着たおじさんが熱心に色々教えてくれました。
確か5R66とかっていう通信型受信機?があって盛んに進められましたけど…9R59のパクリみたいでねぇ
いやーなつかしいなぁ
5R66・・・なつかしいですね わたしもこの記事みて 造りました だいぶ形は違いますが回路通りで・・・ でも昔処分してしまい いまでは人生最大の後悔です
タイガーロケッティー持ってました。A型はバルサのミラージュⅢを飛ばし、B型は2個付けたヘリコプターを叔父に買ってもらいました。
今、Yahoo! オークションに 5R-66 受信機が出品されています。5R-66 という型番は出ていないので、オークションのページで「トランスレス受信機」を検索すると出ます。今はまだ3,700円です。
『子供の科学』巻末の広告を指咥えて眺めていました。100円/月の小遣いでは手も足も出ませんでした。1970年代の思い出です。
あの巻末広告は憧れでしたよね
科学教材社は残念でしたね。
「諸行無常」といったところでしょうか。
そうなんですよ、本当に残念です。
いまみると感電のリスク高い状態で中学生がいじっていましたねえ。
当時はそんなこと気にせずやってましたね!笑
アルペンやらなんやらって無駄に多かったのにねww
ほんと あのころは毎年スキー板買い換えて・・今思うとなんだったんだろうと・・・リフトも混んでいましたね
誠文堂新光社と科学教材社は、私の出身校(東京電機大学:千代田区神田錦町2-2)の近くにあって、模型とラジオの世代としては懐かしかったです。神保町駅よりも、神田駅からの方が近いです。
大学も北千住に都落ちしてしまって、寂しい限りです。
懐かしいですね!あの頃は神田が模型とラジオの聖地でしたね
たしかに神保町のほうが遠かったです 笑
こういう雑誌は見た気がします。難しくてチンプンカンプン。ところで
Audio survivalさんがコンクリート製スピーカーを作られましたよ。とってもいい音。おんがくほーるで聴いたような印象でした。 ruclips.net/video/bP1XxnOgvbg/видео.html
すんごいですねこれ! 重さと金のかけ方が素晴らしいです
@@miyazin-shoten さんへ これが本当の「黄金比率」なんっち。(*´艸`*)
最近、面白くない。ぼちぼちネタ切れですか〜。
そうですね たしかに70歳以下のガキには当時のことも知らないだろうし 面白くない内容ですね。数百件の他のコメント見てから投稿したほうがいいですよ