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聞いていて涙が出て止まりませんでした。御英霊の方々へもどうか安らかにと願う気持ちで祈らずには居れません。御心に響くこの歌われてる方の英霊の方々へのご深いお気持ちがこちらにも強く伝わってきました。 いつまでも聞いて居たくもなり何だか淋しくもなり・・・。この強風の中でもお気持ちが深く深く伝わって来ました。 合掌
何度聴いても涙が出てきます。硫黄島で亡くなられた英霊の皆様に心から感謝いたします。20年ほど前に亡くなった妻の父は予科練に入隊し、笠之原特攻基地で訓練中に終戦を迎えました。国を守るために勇敢に戦われた英霊の皆様に恥じぬよう生きたいと思いますが、反省することばかりの情けない自分です。
この歌、平和な故郷で聴かせたかった・・・皆様、国を守る為に戦場に散っていかれたんですよね。いまも国を守る為に、頑張ってくれている自衛隊の皆様には、感謝あるのみです。彼らを非難する人達がいますが、日本人ならそんな事はしないと強く思います。
故郷、父母、兄弟姉妹、子供達を想い亡くなられた英霊の方々の御冥福を祈ります。
忘れてはならない我々は、先人の屍の上に立っている
何度聞いても涙があふれます。心を込めた鎮魂の歌に感動します。未だに島で眠る魂に心痛みます。
素晴らしい「里の秋」この島で亡くなられた方々の気持ちを思うと涙が溢れます、英霊に心よりの感謝と哀悼の意を捧げます。
きっと英霊の方々にも歌声は届いたことでしょう。今の私は涙を流す事しか出来ないのが残念です。
考えて考えて。この歌でこの場所、涙が出ないなら悲しい日本人です。
涙が溢れました。お国の為に散華された英霊に感謝を捧げます。
権力
リアルね
心を込めて歌っていただき、ありがとうございます。魂が揺さぶられました。日本が今、平和であることに心から感謝したいと思います。そして、平和を維持するためには、努力と知恵が必要であることを再認識した次第です。先人達が必死に繋いでくれたバトンを無駄にしないためにも。。
40歳も過ぎましたが、初めてこの曲の歌詞の意味を知り、涙ボロボロです。結婚して10年経ち子供に恵まれ無かった中、縁あり女の子を迎えました。で、実際に子を持つ親となり、物の観方や考え方がずいぶん変わりました。そうなる前までは、なんとなく秋の唄としか聞いていなかったのですが、唄の深意に触れた事で感極まってしまいました。父性として、この歌詞にあるような事情を抱える家庭が生まれるような事態は、今後も二度と作ってはいけない。と強く考えます。
涙が出てきました
英霊の方々、日本を守って下さり有り難うございました。どうぞふるさとにお帰り下さり、安らかにお休み下さい。
言葉が出ない・・・ 涙。また涙・・・
歌詞の内容と対比して、無事に本土に帰還出来なかった御英霊の皆様方の事を思うと涙が出て来ます。皆様方全員のメッセージを謙虚に受け止め今後の課題として生かして参りましょう。御英霊の皆様方の死を決して無駄にしない事を国民全員でご英霊の御前でお誓い申し上げましょう。 合掌
ただ、ただ、ありがとうございます。安らかに。
英霊たちの激戦を思うと、切なすぎて聞いていられない。彼らがいなければ今の僕たちは存在しない。英霊たちには心から感謝したい。
戦死なさった英霊の方たちもこの美しい歌声を聴いてきっと穏やかで安心した気持ちになってると思います。安らかにお眠りください。
唄を聴いていると戦場にいて明日も知れぬ日に若者たちが国に帰りかっただろうと思うと胸が詰まります
noo kei 本当に~です
里の秋は、ただの抒情唱歌ではありません。3番の歌詞でその意味がわかります。この歌は戦前から題名も異なっていました。「ああ、父さんよ~ご無事でと♪」
そもそも硫黄島で戦死された兵隊さん達は「里の秋」は知りません、これは戦後の歌ですから。でも良い歌です、知らずに亡くなった兵隊さん達に聴かせてあげたかった。
おもわず泣けて来ます、硫黄島で激しく戦った英霊達も静かに聞いているでしょうね。生きているうちに日本内地の土を踏むことの出来なかった悔しい気持ちが私達には分かります。どんな気持ちで戦ったのでしょう。激しい戦闘で多くの犠牲者を出しました。もう戦争はこりごりです。里の秋の美しい声が母の声で英霊の皆様に愛しく届いたことでしょう。安らかに眠りなさい。日本はもう二度と戦争体験は致しません。素晴らしい国になりました。ありがとう、英霊のみなさんに熱い思いを伝えたいです。里の秋は日本人の心の歌です。
うようよシソウねいたいいたいてね
合掌す
心が揺さぶられます。思いをはせて涙ぐんでしまいました。とてもうまい歌手です。
さよならさよなら椰子の島~お船に揺られて帰られる~ああ父さんよご無事でと~今夜も母さんと祈ります~
ありがとうございました。
硫黄島のご英霊に、ただただ感謝です。安らかにお眠りください。
必ず数多の英霊に届いていると信じます。有難う。日本人の歌だ。
不本意だったかもしれないけれど、亡くなっていった方々にとって、しかし自衛隊というある意味仲間に迎えにきてもらうと言うのはなんだか、民間の追悼より意味があるような気がします。里の秋もすばらしい。
英霊の方々のことを想うと涙が止まりません。日本がんばれ。
硫黄島で激しく戦って頂いた英霊の皆様に、感謝の思いしかありません。過去に遡りお力になることは出来ませんが、せめて今日から真南に向け、キリリと冷やしたお水を捧げます。ありがとうございます。
英霊に敬礼安らかに
御英霊の御霊は靖国に還られているとはいるとは思いますが、早々のご遺骨のご帰還を心より祈念申し上げます。
皆様の時代には居なかった軍楽隊ソプラノ担当の松永美智子伍長の歌声は届いてますか。東京音楽学校(現東京藝術大学)出の才媛ですよ。お里で復員を待つ妻子の元へと帰る事は叶わなかったけど精魂込めて戦った皆様を誇りに思います。
硫黄島で平和に歌が風にのる。。そうでしたか3番の歌詞は。記憶を風化させずに続けて行くこと日本人の精神性を受け継いで行くことが何より尊いこと。右や左の話ではない、口先だけの政治 活動家の方が余程平和の破壊、妨害をしている。
皆さんのコメント見ていると泣けてきます胸が締め付けられ悲しくなってきます。
どうしてだろう、もういい年なのに涙がポタポタ頬を伝います。
叔父は祭部隊所属、インパールで草生す屍となりました。自衛隊さん是非インパールで多くの未だ帰らない英霊にも聞かせてください。
里の秋をつくられた斎藤信夫さんは我が家の近くに住んでいました毎年秋になると里の秋のメロデーが5時になると防災無線で流れます。
何回見ても、泣いてしまいます。硫黄島の戦いは世界中で、語り継がれていると聞いています。硫黄島を修学旅行先にしてほしい。
家庭のごく普通のお父さんが、決死の戦場に配置され、決死の持久戦を戦った。「我々の子供等が日本で一日でも長く安泰に暮らせるならば、我々がこの島を守る一日には意味があるんです」栗林中将の言葉のように帝国陸海軍(お父さん)が戦われたと思うと涙がとまりません。間違いなく当時があるおかげで現在があると思います。遺骨の収集はお金がかかる事業ですが、英霊の思いに応えて弔うことは日本国民の責務だと思います。
平和・日本の秋が、今年もまたやって来る。おそらく、この戦史に特筆される硫黄島の激闘で戦没した兵士らは、いま万感の思いを以てこの陸士の美声を聴いているのではないだろうか。唐突に、栗林指揮官のあの訣別電がよみがえる。戦局、最後の関頭に直面せり。敵来攻以来、麾下将兵の敢闘は真に鬼神を泣かしむるものあり。今や弾丸尽き水涸れ、全員反撃し、最後の敢闘を行わんとす・・・・・・とこしえにお別れ申し上ぐ。UPに感謝。
尊い御霊を捧げてくださった英霊様、心より感謝を申し上げますと同時にご冥福をお祈りします。合掌。
美しい響の声 涙が止まりません。黙祷
「お父さんは、お家に帰ってお母さんとたこちゃんを連れて町をあるいている夢などを時々見ますが、それは中々出来ない事です。たこちゃん、お父さんはたこちゃんが早く大きくなって、お母さんの力になれる人になる事ばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言付をよく守り、お父さんに安心させる様にして下さい」栗林忠道
3番の歌詞に真の意味がある!さよならさよなら 椰子の島お舟にゆられて 帰られるああ(注) 父さんよ御無事でと今夜も 母さんと 祈ります
因みに3番、きれいな きれいな 椰子の島、しっかり 護って くださいと、ああ 父さんの ご武運を、今夜も ひとりで 祈ります。4番、大きく大きくなったなら、兵隊さんだようれしいな、ねえ 母さんよ 僕だって、必ず お国を 護ります。GHQにより3番の歌詞が変えられ、4番が抹殺されました。
@@yoshiofujimoto8178 その歌は改変される前の星月夜という歌の歌詞ですね。戦後に今の形に成ったそうです。
栗林の見事な闘ひを犬死にしてはならない。
私はこの歌の事をよく知らない時に、この歌は支那事変の歌だと思っていました、椰子の島ておかしいな海南島か台湾かと思っていました。後でこの里の秋は戦後に作られた歌で、南方からの引き揚げ兵士を迎える歌だと知って納得しました。
世界人類共通の願いは、絶対世界平和であってほしい!英霊の皆様、御苦労さまでした。
これは戦後の歌で現世では英霊の方々は知らなかったが、英霊の心に響く歌に違いないと思う。
敬礼!!!!!!!!!!!そして黙祷!
国の政策と故郷と両親家族や恋人の為に命を捨てて我々の未来を守って下さった靖國神社にいる兵隊さん(ご先祖様)に感謝。そこに総理大臣が頭下げ手を合わせないってふざけた話はないと思います。
Beautiful voice.
本土で聴いた歌。硫黄島で聴いた英霊、涙が出ます。
死の間際に「おかあさ~ん」と叫んで死んでいった若き兵士に対し「敬礼!」
「若き兵士」だけではありません、母の従兄弟で妻子有る「老兵」もこの硫黄島で戦死されました、遺骨もまだふるさとに戻っていないようです。
それを思うと本当に抱きしめたいほど胸が痛みます。わたしたちは矢面に立たせ、そして、現在、奴隷ではないわたしたちがあるわけですね…。現在のわたしたちは日本に、次の世代に何を残せるのでしょうね。この国を育みたいです。
此処にも居られましたか自衛隊の歌姫が??童謡って何時聞いても郷愁を誘いますね。最近ではめっきり聞けなくなり淋しいかぎりです。(涙)
この松永美智子さんは数度にわたり海外に派遣される等、華々しい場にも立っておりますが、国内では国民の目に触れない場所で重いお役目を担い続けておられます。このような人を私は応援したいと思っております。
里の秋は多くの歌手によって歌い継がれていますが、これほど胸を打つ歌手に出会ったことはありません。
今も硫黄島の下には、日本の兵士が眠っていると思うといたたまれません。戦争をゲーム感覚で論じる若者がいます。悲しい限りです。この歌声に亡くなった両軍の兵士が癒されていると思います。
平和な世界を!英霊の皆様の願いだと思います。
栗林さんは、信州の松代出身で、栗の産地で秋には、歌の世界が、米国が、上陸するまでは、過酷な、塹壕掘りばかり、食料増産のためやってきた、農学生達は、15歳位で、帰りたいと、毎日旅愁を歌っていたそうです。
ありがとうございました。強風の中で・・。 こんな歌唱力で失礼な・・。と言われた方へ。歌われている方は音大でソプラノ専攻された方・・こんな方です。
英霊に下すら感謝あるのみ。ご冥福をお祈ります。
全然、下手ではありません😨きっと感極まってたまにブレたように聞こえるのではないでしょうか?里の秋は聞いたことありましたが、歌をじっくり聞いたり、どういう内容の歌かは知りませんでした。戦地で戦う父親を思う歌だったのですね、涙が止まりませんでした。硫黄島で亡くなられた方のご冥福をお祈りしますm(__)m
こういう事実があったということを後世に伝えなくてはいけないと思います。英霊に対し合掌。
どれだけの人が故郷に帰りたかったか、どれだけの人が家族の帰りを待ったことか。この歌を聴くと考えさせられますね。(。´Д⊂)
日本の歴史からするとたった80年にも満たない年月だよ曲がってしまったものは同じだけかけても元に戻せばいいんだましてや日本人は世界一だよ本気でやる気になればすぐに取り戻せるんだよ英霊に感謝し少しづつかもしれませんが日本を取り戻しましょう
一般の日本人に出来る事をしたい。俺は一般の日本人だから。投票するとかは出来るけど、もっと出来る事をしたい。青山繁晴さんの虎ノ門ニュースで知ったけど、たまらん。
「BS日本 こころの歌」(月曜夜)で〝里の秋〟を始めてフルコーラスで聴き、出征兵士ご家族の想いが込められた曲と知ってからは涙なくして歌うことも聴くこともできません。先の大戦で亡くなられた方すべてに心から感謝致します。
感動した
こんな歌唱力では、英霊に失礼とか言っている人、ご英霊の皆様はそんなこと思っていない、あなたの考え方のほうがよほど失礼だよ。
失礼なのは戦後生まれの私たちです滑走路下の遺骨を回収して弔ってあげないと・・・・
映画を見たり詩人の伝記を読んで硫黄島に行った兵隊さん達は東京都の方が多いと聞きます。数日前秋祭りに船で西宮から和田岬に行った時に海上自衛隊の建物を海上から眺められました。陸の平和を海から見たら支える人が居ると確り判った後でこの動画を見られたのでチャンネル登録しました。現地での歌有難う御座います😭✨。
良かった
涙 必ず必ず祖国に帰れる日を
硫黄島では15歳前後の少年兵たちが夕方になると「故郷の空を」合唱していたといいます。おそらく「里の秋」も歌ったことでしょう。歌声を耳にした海軍の市丸利之助少将は下士官を制して咎めず、涙を浮かべ歌うがままにさせていたということです。
硫黄島で戦われた21000名のうちいまだ10000命が、土の中に眠られてるのですよね。 その御霊をご供養するためにも毎年慰霊祭で歌を唄ってあげてほしいです
天皇陛下萬歲...日本...萬歲...萬歲...萬歲...我是大日本國皇民...台灣人
謝謝。台湾と日本加油!
向硫磺島 英雄 致敬🙇♂️
この歌を亡くなられた兵隊さんたちも歌っていたのだろうか。涙なしに聞けません。
この強風は、千の風になった英霊たちの感謝の気持ちだと思います(^◇^)
長文失礼します。歌い手の松永美智子さんは音大を卒業した2014年に陸上自衛隊初の声楽要員として入隊しました。入隊前からメディアに注目され入隊後にはCDも多数出すような華々しい活躍をしている鶫真衣さんと同期入隊でしたが、松永さんが中央音楽隊に配属され、鶫さんは中部方面音楽隊に配属されて現在に至っております。松永さんはこの硫黄島での献唱を非常に大切なものと考えており、海外の軍楽祭等でも重要な役割を任され華々しい活躍をしているのですがインタビューでもそのような栄誉については触れずに硫黄島戦没者追悼顕彰式の意義について語っているような謙虚な人です。今後の活動に期待しております。
栗林中将は進藤さんのお祖父様と安倍総理のアメリカの演説で知りました日本の優しい未來を思い描いて命を懸けて戦ってくれた英霊に感謝します進藤議員日本の若者の為に日本を守って下さい
英霊の方々に恥ずかしく無い祖国・日本にしなければなりませんよ。ねえ、新藤さん!
tears in my eyes
目頭を気にしている方もいらっしゃいました。わかるなあ。余計だけど、「かあさん」「とうさん」より、「かあさま」「とうさま」を美しく感じる。わしも父親だが「とうさま」と呼ばれたくない。だから主張が矛盾してるんだよなあ。
涙
思いを・・・
なぜか安倍さんもこの歌に重ねてしまう。皆様どうか安らかに。
安倍さんの事を思うと目頭が熱くなります。
ご英霊に対して、心から感謝申しあげます。この歌を聴き涙が出ました。😂🎌
唱歌というものは涙を誘うもんですね。 (==;)
すみません涙が止まりません・・・・
歌をきいてて 涙がでてきた こんな おだやかな 場所で こんな人から こんなきれいなおだやかな歌 聞かされて・・ いったい あの戦いは なんだったんだ!なんだったんだ! もう涙 涙だ! こんなの みてると いままで 本や画像で山のように仮想体験してきた 地獄の戦場が まざまざと フラッシュバック してきて もう 頭の中は あの76年前の 砲弾の炸裂と臭い 銃弾の音 悲鳴・・ もう消えないよ あんたねえ この静かな情景と風景の中に わたし 地獄が 見えるんだよ 消えないよ 消えないよ 涙がでるよ・・・ ところでね わたしは 言うよ、小さいときから 平和平和平和憲法はすばらしい と おそわってきた 子供たちに 言うよ おまえら!必ず戦争を ふっかけられるよ! おまえら 「近現代史=戦争の歴史」 をばかにして 学んでないから いかに日本が この極東の崖っぷちで 周りの民族から狙われているか 全くわかっていない!もうすぐはじまるよ 「尖閣だ!」 いやなら半年で核兵器作れ! だめというなら 満州国の最後のとき日本人の女子供がどうなったか真剣に学んでおけ!追記:日本には、原子炉級プルトニウムが山のようにあるが、ブースト式起爆なら十分核爆発するこれを 起爆薬として トリチウム化リチウムを主爆薬とすれば 出力可変の核爆弾(水爆)ができる。はやぶさ2で成功した「成形炸薬弾(自己鍛造弾)」の技術は、プルトニウムの爆縮起爆技術そのものだ。 「こんなもの爆発しないよ(確認実験できてないから)」と まわりの国に 説明しても 彼らは 怖くて怖くて日本にはちょっかいだせなくなる・・核兵器は 戦争抑止にしか使えないというのが国際間の暗黙の了解だ。いや現実の常識だ。こんな兵器 どこのだれが使うというのだ 各国の軍人がその怖さを一番知っている。
英霊の方々には 深く深く祈るしかありません、ありがとうございました!! ただ配信者は 貴女方英霊の皆様に 背を向け国賊と成り果てました💢
栗林中将の御子孫だからこそ解っていると思います。
母の従兄が硫黄島で戦死されたそうです、遺骨はまだ故郷に帰っていません。
英霊に伝いたい東南アジア解放しました安らかに安らかに
祖国のために戦ってありがとうございます。滑走路の下にたる皆様の遺骨を早く滑走路を引き剝がす様に安倍総理にもお願いしてあります。必ずや実現します議員の青山繫晴氏も応援して頂いております。
かつての私もそうだったが、今は違う視点も持っている。遺骨は亡骸でしかない。そこに遺された私たちがいつまでも縛られるのはどうかとも考える。むろん、今も遺されているものをどうでもいいとは毛頭思っていない。そうではなく、彼らの魂こそが今も生きる大切なものであって、それを私たちは本当に供養し、彼らの遺産であるこの国を良くしているのだろうかと考えること、それを行動に移していくことこそ彼らが求めていることではないだろうか。哀しいかな、私たちは何も答えてなどいない現状を猛省するべきだろう。
歌詞を見ないで歌っている! 大したものだ!
ここに参列してる政治家らしい連中がいかに真の心を持っているかだ。
丸岡秀則 いや、心を持っていない奴は来ない。
虚無病患者 ゴメン~最近スッカリ政治不信に成っているので
丸岡秀則 まあそうなるのも仕方ないですよね
常に諸子の先頭に在り、の精神で。
WE, THOSE WHO REMAIN.
うちの爺さんの兄も硫黄島で、海軍の整備兵で戦死してます😢北海道出身だから、最後にはシャッコイ水飲みてえ❗だったかも😢なんせ暑い硫黄島だったから、最後には北海道の雪や冷たい氷柱を思いながら😢だったかも😢
母さん、母さん!みんな赤ちゃんだった。敵も味方も。
いくらテレサ・テンへのオマージュがあったとしてもこの歌を聞いたら大陸では歌うひとはいなくなるだろうな!
聞いていて涙が出て止まりませんでした。御英霊の方々へもどうか安らかにと願う気持ちで祈らずには居れません。御心に響くこの歌われてる方の英霊の方々へのご深いお気持ちがこちらにも強く伝わってきました。 いつまでも聞いて居たくもなり何だか淋しくもなり・・・。この強風の中でもお気持ちが深く深く伝わって来ました。 合掌
何度聴いても涙が出てきます。硫黄島で亡くなられた英霊の皆様に心から感謝いたします。20年ほど前に亡くなった妻の父は予科練に入隊し、笠之原特攻基地で訓練中に終戦を迎えました。国を守るために勇敢に戦われた英霊の皆様に恥じぬよう生きたいと思いますが、反省することばかりの情けない自分です。
この歌、平和な故郷で聴かせたかった・・・
皆様、国を守る為に戦場に散っていかれたんですよね。
いまも国を守る為に、頑張ってくれている自衛隊の皆様には、感謝あるのみです。
彼らを非難する人達がいますが、日本人ならそんな事はしないと強く思います。
故郷、父母、兄弟姉妹、子供達を想い亡くなられた英霊の方々の御冥福を祈ります。
忘れてはならない
我々は、先人の屍の上に立っている
何度聞いても涙があふれます。心を込めた鎮魂の歌に感動します。未だに島で眠る魂に心痛みます。
素晴らしい「里の秋」この島で亡くなられた方々の気持ちを思うと涙が溢れます、英霊に心よりの感謝と哀悼の意を捧げます。
きっと英霊の方々にも歌声は届いたことでしょう。
今の私は涙を流す事しか出来ないのが残念です。
考えて考えて。
この歌でこの場所、涙が出ないなら悲しい日本人です。
涙が溢れました。お国の為に散華された英霊に感謝を捧げます。
権力
リアルね
心を込めて歌っていただき、ありがとうございます。
魂が揺さぶられました。
日本が今、平和であることに心から感謝したいと思います。
そして、平和を維持するためには、努力と知恵が必要であることを再認識した次第です。
先人達が必死に繋いでくれたバトンを無駄にしないためにも。。
40歳も過ぎましたが、初めてこの曲の歌詞の意味を知り、涙ボロボロです。結婚して10年経ち子供に恵まれ無かった中、縁あり女の子を迎えました。で、実際に子を持つ親となり、物の観方や考え方がずいぶん変わりました。そうなる前までは、なんとなく秋の唄としか聞いていなかったのですが、唄の深意に触れた事で感極まってしまいました。父性として、この歌詞にあるような事情を抱える家庭が生まれるような事態は、今後も二度と作ってはいけない。と強く考えます。
涙が出てきました
英霊の方々、日本を守って下さり有り難うございました。どうぞふるさとにお帰り下さり、安らかにお休み下さい。
言葉が出ない・・・ 涙。また涙・・・
歌詞の内容と対比して、無事に本土に帰還出来なかった御英霊の皆様方の事を思うと涙が出て来ます。皆様方全員のメッセージを謙虚に受け止め今後の課題として生かして参りましょう。御英霊の皆様方の死を決して無駄にしない事を国民全員でご英霊の御前でお誓い申し上げましょう。 合掌
ただ、ただ、ありがとうございます。
安らかに。
英霊たちの激戦を思うと、切なすぎて聞いていられない。彼らがいなければ今の僕たちは存在しない。英霊たちには心から感謝したい。
戦死なさった英霊の方たちもこの美しい歌声を聴いてきっと穏やかで安心した気持ちになってると思います。
安らかにお眠りください。
唄を聴いていると戦場にいて明日も知れぬ日に若者たちが国に帰りかっただろうと思うと
胸が詰まります
noo kei 本当に~です
里の秋は、ただの抒情唱歌ではありません。3番の歌詞でその意味がわかります。この歌は戦前から題名も異なっていました。「ああ、父さんよ~ご無事でと♪」
そもそも硫黄島で戦死された兵隊さん達は「里の秋」は知りません、これは戦後の歌ですから。
でも良い歌です、知らずに亡くなった兵隊さん達に聴かせてあげたかった。
おもわず泣けて来ます、硫黄島で激しく戦った英霊達も静かに聞いているでしょうね。生きているうちに日本内地の土を踏むことの出来なかった悔しい気持ちが私達には分かります。どんな気持ちで戦ったのでしょう。激しい戦闘で多くの犠牲者を出しました。もう戦争はこりごりです。里の秋の美しい声が母の声で英霊の皆様に愛しく届いたことでしょう。安らかに眠りなさい。日本はもう二度と戦争体験は致しません。素晴らしい国になりました。ありがとう、英霊のみなさんに熱い思いを伝えたいです。里の秋は日本人の心の歌です。
うようよシソウねいたいいたいてね
合掌す
心が揺さぶられます。思いをはせて涙ぐんでしまいました。とてもうまい歌手です。
さよならさよなら椰子の島~お船に揺られて帰られる~ああ父さんよご無事でと~今夜も母さんと祈ります~
ありがとうございました。
硫黄島のご英霊に、ただただ感謝です。安らかにお眠りください。
必ず数多の英霊に届いていると信じます。有難う。日本人の歌だ。
不本意だったかもしれないけれど、亡くなっていった方々にとって、しかし自衛隊というある意味仲間に迎えにきてもらうと言うのはなんだか、民間の追悼より意味があるような気がします。里の秋もすばらしい。
英霊の方々のことを想うと涙が止まりません。日本がんばれ。
硫黄島で激しく戦って頂いた英霊の皆様に、感謝の思いしかありません。
過去に遡りお力になることは出来ませんが、せめて今日から真南に向け、キリリと冷やしたお水を捧げます。
ありがとうございます。
英霊に敬礼
安らかに
御英霊の御霊は靖国に還られているとはいるとは思いますが、早々のご遺骨のご帰還を心より祈念申し上げます。
皆様の時代には居なかった軍楽隊ソプラノ担当の松永美智子伍長の歌声は届いてますか。東京音楽学校(現東京藝術大学)出の才媛ですよ。お里で復員を待つ妻子の元へと帰る事は叶わなかったけど精魂込めて戦った皆様を誇りに思います。
硫黄島で平和に歌が風にのる。。そうでしたか3番の歌詞は。記憶を風化させずに続けて行くこと日本人の精神性を受け継いで行くことが何より尊いこと。右や左の話ではない、口先だけの政治 活動家の方が余程平和の破壊、妨害をしている。
皆さんのコメント見ていると泣けてきます胸が締め付けられ
悲しくなってきます。
どうしてだろう、もういい年なのに涙がポタポタ頬を伝います。
叔父は祭部隊所属、インパールで草生す屍となりました。自衛隊さん是非インパールで多くの未だ帰らない英霊にも聞かせてください。
里の秋をつくられた斎藤信夫さんは我が家の近くに住んでいました毎年秋になると里の秋のメロデーが5時になると防災無線で流れます。
何回見ても、泣いてしまいます。
硫黄島の戦いは世界中で、語り継がれていると聞いています。
硫黄島を修学旅行先にしてほしい。
家庭のごく普通のお父さんが、決死の戦場に配置され、決死の持久戦を戦った。
「我々の子供等が日本で一日でも長く安泰に暮らせるならば、我々がこの島を守る一日には意味があるんです」栗林中将の言葉のように帝国陸海軍(お父さん)が戦われたと思うと涙がとまりません。
間違いなく当時があるおかげで現在があると思います。
遺骨の収集はお金がかかる事業ですが、英霊の思いに応えて弔うことは日本国民の責務だと思います。
平和・日本の秋が、今年もまたやって来る。おそらく、この戦史に特筆される硫黄島の激闘で戦没した兵士らは、いま万感の思いを以てこの陸士の美声を聴いているのではないだろうか。唐突に、栗林指揮官のあの訣別電がよみがえる。
戦局、最後の関頭に直面せり。敵来攻以来、麾下将兵の敢闘は真に鬼神を泣かしむるものあり。今や弾丸尽き水涸れ、全員反撃し、最後の敢闘を行わんとす・・・・・・とこしえにお別れ申し上ぐ。UPに感謝。
尊い御霊を捧げてくださった英霊様、心より感謝を申し上げますと同時にご冥福をお祈りします。
合掌。
美しい響の声 涙が止まりません。黙祷
「お父さんは、お家に帰ってお母さんとたこちゃんを連れて町をあるいている夢などを時々見ますが、それは中々出来ない事です。
たこちゃん、お父さんはたこちゃんが早く大きくなって、お母さんの力になれる人になる事ばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言付をよく守り、お父さんに安心させる様にして下さい」栗林忠道
3番の歌詞に真の意味がある!
さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ(注) 父さんよ御無事でと
今夜も 母さんと 祈ります
因みに3番、きれいな きれいな 椰子の島、しっかり 護って くださいと、ああ 父さんの ご武運を、今夜も ひとりで 祈ります。4番、大きく大きくなったなら、兵隊さんだようれしいな、ねえ 母さんよ 僕だって、必ず お国を 護ります。GHQにより3番の歌詞が変えられ、4番が抹殺されました。
@@yoshiofujimoto8178 その歌は改変される前の星月夜という歌の歌詞ですね。戦後に今の形に成ったそうです。
栗林の見事な闘ひを犬死にしてはならない。
私はこの歌の事をよく知らない時に、この歌は支那事変の歌だと思っていました、
椰子の島ておかしいな海南島か台湾かと思っていました。
後でこの里の秋は戦後に作られた歌で、南方からの引き揚げ兵士を迎える歌だと知って納得しました。
世界人類共通の願いは、絶対世界平和であってほしい!英霊の皆様、御苦労さまでした。
これは戦後の歌で現世では英霊の方々は知らなかったが、英霊の心に響く歌に違いないと思う。
敬礼!!!!!!!!!!!そして黙祷!
国の政策と故郷と両親家族や恋人の為に命を捨てて我々の未来を守って下さった靖國神社にいる兵隊さん(ご先祖様)に感謝。そこに総理大臣が頭下げ手を合わせないってふざけた話はないと思います。
Beautiful voice.
本土で聴いた歌。硫黄島で聴いた英霊、涙が出ます。
死の間際に「おかあさ~ん」と叫んで死んでいった若き兵士に対し「敬礼!」
「若き兵士」だけではありません、母の従兄弟で妻子有る「老兵」もこの硫黄島で戦死されました、遺骨もまだふるさとに戻っていないようです。
それを思うと本当に抱きしめたいほど胸が痛みます。
わたしたちは矢面に立たせ、そして、現在、奴隷ではないわたしたちがあるわけですね…。現在のわたしたちは日本に、次の世代に何を残せるのでしょうね。
この国を育みたいです。
此処にも居られましたか自衛隊の歌姫が??
童謡って何時聞いても郷愁を誘いますね。
最近ではめっきり聞けなくなり淋しいかぎりです。(涙)
この松永美智子さんは数度にわたり海外に派遣される等、華々しい場にも立っておりますが、
国内では国民の目に触れない場所で重いお役目を担い続けておられます。
このような人を私は応援したいと思っております。
里の秋は多くの歌手によって歌い継がれていますが、これほど胸を打つ歌手に出会ったことはありません。
今も硫黄島の下には、日本の兵士が眠っていると思うといたたまれません。戦争をゲーム感覚で論じる若者がいます。悲しい限りです。この歌声に亡くなった両軍の兵士が癒されていると思います。
平和な世界を!英霊の皆様の願いだと思います。
栗林さんは、信州の松代出身で、栗の産地で秋には、歌の世界が、米国が、上陸するまでは、過酷な、塹壕掘りばかり、食料増産のためやってきた、農学生達は、15歳位で、帰りたいと、毎日旅愁を歌っていたそうです。
ありがとうございました。強風の中で・・。 こんな歌唱力で失礼な・・。と言われた方へ。歌われている方は音大でソプラノ専攻された方・・こんな方です。
英霊に下すら感謝あるのみ。ご冥福をお祈ります。
全然、下手ではありません😨
きっと感極まってたまにブレたように聞こえるのではないでしょうか?
里の秋は聞いたことありましたが、歌をじっくり聞いたり、どういう内容の歌かは知りませんでした。
戦地で戦う父親を思う歌だったのですね、涙が止まりませんでした。
硫黄島で亡くなられた方のご冥福をお祈りしますm(__)m
こういう事実があったということを後世に伝えなくてはいけないと思います。英霊に対し合掌。
どれだけの人が故郷に帰りたかったか、どれだけの人が家族の帰りを待ったことか。この歌を聴くと考えさせられますね。
(。´Д⊂)
日本の歴史からするとたった80年にも満たない年月だよ
曲がってしまったものは同じだけかけても元に戻せばいいんだ
ましてや日本人は世界一だよ
本気でやる気になればすぐに取り戻せるんだよ
英霊に感謝し少しづつかもしれませんが日本を取り戻しましょう
一般の日本人に出来る事をしたい。
俺は一般の日本人だから。
投票するとかは出来るけど、もっと出来る事をしたい。
青山繁晴さんの虎ノ門ニュースで知ったけど、たまらん。
「BS日本 こころの歌」(月曜夜)で〝里の秋〟を始めてフルコーラスで聴き、出征兵士ご家族の想いが込められた曲と知ってからは涙なくして歌うことも聴くこともできません。先の大戦で亡くなられた方すべてに心から感謝致します。
感動した
こんな歌唱力では、英霊に失礼とか言っている人、ご英霊の皆様はそんなこと思っていない、あなたの考え方のほうがよほど失礼だよ。
失礼なのは戦後生まれの私たちです
滑走路下の遺骨を回収して弔ってあげないと・・・・
映画を見たり詩人の伝記を読んで硫黄島に行った兵隊さん達は東京都の方が多いと聞きます。
数日前秋祭りに船で西宮から和田岬に行った時に海上自衛隊の建物を海上から眺められました。
陸の平和を海から見たら支える人が居ると確り判った後でこの動画を見られたのでチャンネル登録しました。
現地での歌有難う御座います😭✨。
良かった
涙 必ず必ず祖国に帰れる日を
硫黄島では15歳前後の少年兵たちが夕方になると「故郷の空を」合唱していたといいます。おそらく「里の秋」も歌ったことでしょう。歌声を耳にした海軍の市丸利之助少将は下士官を制して咎めず、涙を浮かべ歌うがままにさせていたということです。
硫黄島で戦われた21000名のうち
いまだ10000命が、土の中に眠られてる
のですよね。
その御霊をご供養するためにも
毎年慰霊祭で歌を唄ってあげてほしいです
天皇陛下萬歲...日本...萬歲...萬歲...萬歲...我是大日本國皇民...台灣人
謝謝。
台湾と日本加油!
向硫磺島 英雄 致敬🙇♂️
この歌を亡くなられた兵隊さんたちも歌っていたのだろうか。涙なしに聞けません。
この強風は、千の風になった英霊たちの感謝の気持ちだと思います(^◇^)
長文失礼します。歌い手の松永美智子さんは音大を卒業した2014年に陸上自衛隊初の声楽要員として入隊しました。入隊前からメディアに注目され入隊後にはCDも多数出すような華々しい活躍をしている鶫真衣さんと同期入隊でしたが、松永さんが中央音楽隊に配属され、鶫さんは中部方面音楽隊に配属されて現在に至っております。
松永さんはこの硫黄島での献唱を非常に大切なものと考えており、海外の軍楽祭等でも重要な役割を任され華々しい活躍をしているのですがインタビューでもそのような栄誉については触れずに硫黄島戦没者追悼顕彰式の意義について語っているような謙虚な人です。
今後の活動に期待しております。
栗林中将は進藤さんのお祖父様と安倍総理のアメリカの演説で知りました日本の優しい未來を思い描いて命を懸けて戦ってくれた英霊に感謝します進藤議員日本の若者の為に日本を守って下さい
英霊の方々に恥ずかしく無い祖国・日本にしなければなりませんよ。ねえ、新藤さん!
tears in my eyes
目頭を気にしている方もいらっしゃいました。わかるなあ。
余計だけど、「かあさん」「とうさん」より、「かあさま」「とうさま」を美しく感じる。
わしも父親だが「とうさま」と呼ばれたくない。だから主張が矛盾してるんだよなあ。
涙
思いを・・・
なぜか安倍さんもこの歌に重ねてしまう。皆様どうか安らかに。
安倍さんの事を思うと目頭が熱くなります。
ご英霊に対して、心から感謝申しあげます。この歌を聴き涙が出ました。😂🎌
唱歌というものは涙を誘うもんですね。 (==;)
すみません涙が止まりません・・・・
歌をきいてて 涙がでてきた こんな おだやかな 場所で こんな人から こんなきれいなおだやかな歌 聞かされて・・ いったい あの戦いは なんだったんだ!なんだったんだ! もう涙 涙だ!
こんなの みてると いままで 本や画像で山のように仮想体験してきた 地獄の戦場が まざまざと フラッシュバック してきて もう 頭の中は あの76年前の 砲弾の炸裂と臭い 銃弾の音 悲鳴・・ もう消えないよ
あんたねえ この静かな情景と風景の中に わたし 地獄が 見えるんだよ 消えないよ 消えないよ 涙がでるよ・・・
ところでね わたしは 言うよ、小さいときから 平和平和平和憲法はすばらしい と おそわってきた 子供たちに 言うよ
おまえら!必ず戦争を ふっかけられるよ! おまえら 「近現代史=戦争の歴史」 をばかにして 学んでないから
いかに日本が この極東の崖っぷちで 周りの民族から狙われているか 全くわかっていない!
もうすぐはじまるよ 「尖閣だ!」
いやなら半年で核兵器作れ! だめというなら 満州国の最後のとき日本人の女子供がどうなったか真剣に学んでおけ!
追記:
日本には、原子炉級プルトニウムが山のようにあるが、
ブースト式起爆なら十分核爆発する
これを 起爆薬として トリチウム化リチウムを主爆薬
とすれば 出力可変の核爆弾(水爆)ができる。
はやぶさ2で成功した「成形炸薬弾(自己鍛造弾)」の技術は、プルトニウムの爆縮起爆技術
そのものだ。
「こんなもの爆発しないよ(確認実験できてないから)」と まわりの国に
説明しても 彼らは 怖くて怖くて日本にはちょっかい
だせなくなる・・
核兵器は 戦争抑止にしか使えないというのが国際間の暗黙の了解だ。いや現実の常識だ。
こんな兵器 どこのだれが使うというのだ 各国の軍人がその怖さを一番知っている。
英霊の方々には 深く深く祈るしかありません、ありがとうございました!! ただ配信者は 貴女方英霊の皆様に 背を向け国賊と成り果てました💢
栗林中将の御子孫だからこそ解っていると思います。
母の従兄が硫黄島で戦死されたそうです、遺骨はまだ故郷に帰っていません。
英霊に伝いたい
東南アジア解放しました
安らかに安らかに
祖国のために戦ってありがとうございます。滑走路の下にたる皆様の遺骨を早く滑走路を引き剝がす様に安倍総理にもお願いしてあります。必ずや実現します議員の青山繫晴氏も応援して頂いております。
かつての私もそうだったが、今は違う視点も持っている。遺骨は亡骸でしかない。そこに遺された私たちがいつまでも縛られるのはどうかとも考える。むろん、今も遺されているものをどうでもいいとは毛頭思っていない。そうではなく、彼らの魂こそが今も生きる大切なものであって、それを私たちは本当に供養し、彼らの遺産であるこの国を良くしているのだろうかと考えること、それを行動に移していくことこそ彼らが求めていることではないだろうか。哀しいかな、私たちは何も答えてなどいない現状を猛省するべきだろう。
歌詞を見ないで歌っている! 大したものだ!
ここに参列してる政治家らしい連中がいかに真の心を持っているかだ。
丸岡秀則 いや、心を持っていない奴は来ない。
虚無病患者 ゴメン~最近スッカリ政治不信に成っているので
丸岡秀則 まあそうなるのも仕方ないですよね
常に諸子の先頭に在り、の精神で。
WE, THOSE WHO REMAIN.
うちの爺さんの兄も硫黄島で、海軍の
整備兵で戦死してます😢北海道出身だから、最後にはシャッコイ水飲みてえ❗だったかも😢なんせ暑い硫黄島だったから、最後には北海道の雪や
冷たい氷柱を思いながら😢だったかも😢
母さん、母さん!みんな赤ちゃんだった。敵も味方も。
いくらテレサ・テンへのオマージュがあったとしてもこの歌を聞いたら大陸では歌うひとはいなくなるだろうな!