【ゆっくり解説】毛利輝元編その8ー秀吉との国境画定「中国国分け」の顛末

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  • Опубликовано: 21 дек 2024

Комментарии • 35

  • @キル-c8c
    @キル-c8c 4 месяца назад +6

    休みの土曜日の朝にこの動画を見るのが楽しみなのです^_^

  • @schnellbart
    @schnellbart 4 месяца назад +9

    いつもながら面白かったです。割譲対象国衆の処遇は難しいですね。天正壬午の乱の後、家康も北条との領域確定で与力国衆の真田と揉めて結局大坂の陣まで引きずってしまいましたよね。
    四国征伐の恩賞として伊予土佐二か国を輝元に秀吉が提示しましたが、その後の秀吉のやり口から見ると毛利を南へずらして石見を擁する出雲を取り上げる魂胆があったのではと勘ぐってしまいますね。

  • @えびせん-f7d
    @えびせん-f7d 4 месяца назад +10

    外交官として毛利と交渉し続けた蜂須賀小六正勝さんをいい加減、大河ドラマで筋肉バカのプロレスラーに演じさせるのをやめてほしい。実際は小柄で髭も少ない優しいおじさんだったのですよ。甲冑も小さいし。信長の野望の能力値がまさに参謀能力です。あれがリアルな蜂須賀小六正勝さんです。

    • @redspiderlily01
      @redspiderlily01 3 месяца назад +1

      蜂須賀小六は出自が川並衆だから…というのも、おかしい。他の川並衆は、毛むくじゃらのクマ親父ではない。

    • @力哉-l5t
      @力哉-l5t 3 месяца назад +5

      松永久秀と同じで過去のイメージを覆すのは時間が掛かるのです。
      斎藤道三の国盗りも親子二代に渡るものが史料的に判明したのは40年以上前でしたが、一般的になったのは最近です。
      武田信玄の髭ダルマ像を未だに本人像としている人などは言うまでもありません。

    • @kobayashitommy6521
      @kobayashitommy6521 2 месяца назад +1

      プロレス頭良くないとできん。

  • @ヨーカン-q6c
    @ヨーカン-q6c 4 месяца назад +11

    毛利自身が大内・尼子間の国分けを切欠に大内を離反したわけですし、そりゃ国分けにも慎重で強硬ですよね

  • @MrTakorosu
    @MrTakorosu 4 месяца назад +4

    面白い

  • @AI-DOROMI
    @AI-DOROMI 4 месяца назад +2

    長宗我部ぇ…
    いつでも「ついでに」扱い😢

  • @DH-bn1be
    @DH-bn1be 4 месяца назад +6

    未だ輝元働かず…
    杉原氏の誅殺と碁を打ってただけだった
    いや、来週こそ活躍するはず
    楽しみに待ってます!

  • @佐竹ラスベガス
    @佐竹ラスベガス 4 месяца назад +5

    毛利が柴田勝家か羽柴秀吉かで天秤にかけていて、賤ヶ岳の戦いで勝った秀吉が圧力をかけていた話は
    何処も同じような感じでしたし、毛利が特別用心された訳ではないと思います
    (多分ガタガタな毛利よりも旧武田領を吸収し強大に成りつつある徳川の存在が秀吉にとっては脅威だったと考える)
    むしろ毛利はまだ光秀を討った後秀吉に戦勝祝いをしている分マシに済んだのかな、と
    本能寺の変の後、柴田、徳川&織田信雄と手を組んで対秀吉を続けた結果、後に退けなくなって
    四国征伐で土佐一国まで減らされた長宗我部元親を見ていると思いますね

  • @えびせん-f7d
    @えびせん-f7d 4 месяца назад +7

    この交渉は蜂須賀小六正勝さんが頑張りました。

  • @伝説の麻婆豆腐
    @伝説の麻婆豆腐 4 месяца назад +4

    伊予だけでなく土佐もか
    長宗我部が讃岐と阿波と人質まで譲っても纏まらないね

  • @conekeiba
    @conekeiba 4 месяца назад +2

    勢いの差、調略の差

  • @個人メール-q3x
    @個人メール-q3x 4 месяца назад +5

    この時期は秀吉が天下人たるかを見極めようとしていた時期で、小牧・長久手の戦いの終結をもって、秀吉の天下人が確定したのかな。
    この時の毛利の基本戦略は、中央集権化による体制強化で、秀吉からの圧力を名目に国衆の締め付けを強めていたのでしょう。

  • @しましま-t4q
    @しましま-t4q 4 месяца назад

    国衆の土地を割譲したなら、そこの国衆の処遇も秀吉に丸投げで気を遣う必要なくなる(反対して居座っても討伐するのは秀吉)と思うのですが、

  • @アメアメフレフレ
    @アメアメフレフレ 4 месяца назад +2

    領土割譲って言っているが毛利の領土ってわけじゃないからな。毛利に従う国衆の領土でしかない。勝手に上で決めたところで国衆が従うかはわからないからな。毛利所属のままなら代替え地が必要、秀吉側へ行くにしても身分の保障をしないと納得するわけがないし。

  • @hayakawamikan
    @hayakawamikan 4 месяца назад +2

    シリーズが始まってここまで、輝元何もしてないって印象しかないんだがw
    武田勝頼「輝元が俺と同じぐらい積極的だったらなぁ。織田の戦力が分散してくれただろうに

  • @一面道中の岩
    @一面道中の岩 21 день назад

    結局割譲したとはいえ、拘ってた児島郡で宿敵宇喜多に鷹狩をやられたとあっては、毛利家の面々はムカついただろうなぁ

  • @あさくらばねじん-y3d
    @あさくらばねじん-y3d 2 месяца назад

    毛利の 決断の 遅さ より、織田〜秀吉側の ガバナンスの 強さを、むしろ 異常と とらえて、その 構造を 分析したい ですね。
    例えば 賤ヶ岳の 合戦で、岐阜から 近江に 素早く 移動した 件を NHKの 歴史大実験で 分析してました けど、当時の 常識では 騎馬武者には 数人の お供が ついていた。しかし、騎馬と 歩兵が 混じる だけで、岐阜 大垣城から でるまでに 大渋滞が 起こって しまう。つまり、トライアスロンで、自転車を マラソンの 前に するのと 同じで、小走りの 騎馬を 先に 出して、後から 徒歩の部隊を 出さないと、そもそも 大垣から 出られない。また、夜だから 道に 松明も 必要。しかも 途中に 何ヶ所も 握り飯が 食える 補給所が あった。
    これが ないと マラソンや トライアスロンの 選手に 起こる ブラック アウトが おこり かねない。いくら 石田三成の 地元だと しても、騎馬と 歩兵を すぐに 分け、松明や 補給所を 用意する。こんな 芸当が 毛利に できない のは むしろ 当たり前 だと 思います。が しかし、なんで 織田〜秀吉(実は 柴田勝家も 早い 移動を したことは ある らしい)つまり 織田軍団の ガバナンスの 強さは どこから 来たのか? それが 知りたい ですね。

  • @メカスライム
    @メカスライム 4 месяца назад +4

    京に戻れたところで幕府復興なんてありえないのに。義昭、執念深いですね。まぁ秀吉も敵が多かったのですぐに動けないと言うのは本心ではあったけどめんどくさいと言うのもまた本心ではないですかね?

    • @moridaichi377
      @moridaichi377 4 месяца назад +3

      後世から見たら復興可能性ゼロゼロだけど、当時はまだ足利ブランドは十分生きてた(徳川政権下ですら特別待遇)わけだし、応仁の乱以降の各将軍も追放↔帰還を繰り返してたから、幕府再興は無理でも京に戻り権威を振るうくらいは十分可能と思ってたんだろうね。

  • @虎門伯昌
    @虎門伯昌 3 месяца назад

    南条氏は長宗我部攻めの最中に、尾高城の元の城主である行松氏を支援して、八橋城奪還と伯耆西部の毛利領駆逐行動を起こします。結果は、八橋城の奪還に成功するも、行松氏の尾高城復帰と毛利領の駆逐は失敗します。
    豊臣家と毛利家の和睦が合っても、末端の現場は油断していると、直ぐに紛争を起こしてしまいます。

    • @ゆっくり真実の戦国史
      @ゆっくり真実の戦国史  3 месяца назад +1

      コメントありがとうございます!国衆からは片時も目が離せないですよね。

  • @紫雲改
    @紫雲改 4 месяца назад +1

    ちょっと領国持ってかれてドミノで滅亡だから戦国時代は難しいな。北条も武田に上野取られて大騒ぎする訳だ。

  • @yuuisi9962
    @yuuisi9962 4 месяца назад

    輝元がどうこう言うより安国寺恵瓊が有能過ぎるな
    日本がずーっと苦手にしてる機動力と兵站に対してこれだけ的確だとは

  • @山田カイチ
    @山田カイチ 4 месяца назад

    戦国最大級のイベント本能寺の変の前後、怒濤の急展開の織田家を尻目にドタバタしながら結局あまり変わらないように見える毛利家。そして今回も居るのか居ないのか分からない輝元君。なんだけどこの間に毛利家も国人連合から急速に脱却して近世大名とも言いうべき集権体制になってる。お父ちゃんは分かり易いのに爺さんの元就と輝元はマジで謎が多い。

  • @matukawatositane
    @matukawatositane 4 месяца назад +1

    損切り名人感ある

  • @yasunori_suzuki
    @yasunori_suzuki 4 месяца назад

    この当時はまだまだ成り上がり領主だった毛利が、中国地方の過半を安堵して貰ったんだから秀吉に感謝した方が良いだろ、下手すりゃ本拠地の安芸だけにされた可能性も。

    • @正木茂雄
      @正木茂雄 4 месяца назад +1

      織田信長、豊臣秀吉も成り上がりものだか。

  • @山田カイチ
    @山田カイチ 4 месяца назад

    毛利輝元スレからちょっとズレるが、今回の話のように足利義昭は秀吉や勝家にもちょっかいを出してるし、そこそこ色よい返事をもらってる。ここから本能寺の変の黒幕が義昭はあり得ない。長宗我部は開戦前に国割の話が出るほどの弱小勢力だし、取次だっただけで特に親しい間柄でもない長宗我部のために命がけで謀反を起こすなど妄想も酷すぎる。

  • @reiko0486
    @reiko0486 4 месяца назад +2

    何か今の所、照元が定説道理の無能にしか思えんのだが

  • @ヨシだ吉田
    @ヨシだ吉田 4 месяца назад

    2次大戦時のドイツ軍の電撃戦での覚せい剤効果は認められているけど、この当時の日本は?