鞠子は文太郎と結婚するときに『戸田家にはなんの価値もない。もっとましなところに嫁がせてくれれば良かったのに。なんだよお父さん!』みたいなこと言ってましたよね。つまり広松・文太郎・藤を見下しているわけです。自分より身分が低い人は基本見下しているんでしょう。そして最近まで父が戸田家に嫁がせた真意にも気付いていなかった。更に息子のことを気にかける様子が皆無で死にたいばかり言っている。そして更には、家族のために戦って命からがら江戸に戻ったと思ったら妻は蛮人といちゃついている。結構ひどい女性、妻、母親だと思いますけどね。 『柳緑花紅』 第6話Ladies of the Willow World Willow=柳 第9話Crimson Sky Crimson=紅 掛詞になってるのかなと思いました。
細川ガラシャが詠んだ辞世の句「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」をとんでも知事の川勝が辞職願を出す時に詠みやがった、静岡県民として恥ずかしい。
恋愛感情から言い寄って拒絶される意味あいもあっただろうけど、このドラマにおいてのこのシーンの意味あいは、人生観が共有できない(まりこが遥かに精神性が高い)ことを悟った文太郎の絶望感が表現されたことの方がはるかに大きいように見えました。罪人(親の罪)が故にそれを咎めるのも許す権利もあるという上位の目線でまりこをみていた文太郎。許してやれば、自分も認められるに違いないと思った文太郎。しかしまりこが求めていたのは「死を許される」ことではない。求めてやまないのは「最上の生き方(己の死)」。それはは罪人として死ぬことではない。あくまでも「名誉」ある生き方(形が変われば死に方)、、。
簡単に言えば、文太郎がどれだけ必至になっても届かない「誇り」をまりこは大事にしている。
つまり「下衆な男め」と言われたと同じ。あの文太郎の涙は「失恋」ではない。「侮辱されても言い返さない自分の情けなさ」を悟った「悔しさ」と「絶望」。さらにまりこの「涙」は、そんなことを文太郎さまに求めても得られるはずなどないのに、、ついつい「本音(八重垣の内側)」を話してしまった。。心を揺さぶられるほど文太郎の行為は有り難いが故に本音を話したとも言える。つまりまりこも完全拒絶していたわけでない。文太郎もそれが分かるが故に侮辱されつつ丁重に扱われている(高貴すぎる心根)という日本文化でなければ成立しない(貴人特有の)心理描写、、。
それがまりこの言葉「この期に及んでも、お分かりにならないのですね、、、」に込めれている。
一緒に死のうというプロポーズを拒絶しているわけですから文太郎にとっての「失恋」ではあると思うんですが、確かに鞠子があの場面で文太郎の無能さに絶望したのは確かでしょうね。文太郎はその前の長門を弔うシーンで近江の言葉にも感化されてしまってますが、たとえ無駄死にでも武士として潔く死ぬことに対する美学みたいなものに染まっちゃってる人なんですよね。鞠子は違います。広松とともに、虎長の戦略思考を明言されなくとも目敏く汲み取ることができ、また自分が今後の大阪攻めで重要な役割を果たすために生かされていることを知っているわけです。
妻に「お前は考えずとも良い」と言い放ち、自らも思考を放棄している脳筋文太郎に対して、鞠子は初めからずっと見下した態度をとっていましたが、ここにきて自分の能力と役割への自信と責任感すら抱きはじめているわけで、文太郎に対する「この期に及んでもまだ」の吐き捨てるような言い方には、妻への理解を示したつもりでありながら根本的なところで妻の価値を何ひとつ理解できない文太郎の理解力の無さに対する絶望を表しています。
生花の意味が欠落していますよ。
花は椿の蕾でした。つまり寒い⛄️を乗り越えてこれから花が咲く事を期待しています。
労を労う為の茶と言いながら、実は自分の思いを押し付けようとしています。明智は教養ある名家なので、鞠子は看破したでしょう。
そしてあの言葉。
さぞや呆れたでしょう。
ですからあの返事が出てきます。
将軍は普通の日本人では分からない伏線が網の目のように張り巡らせていますね。
茶花の意味を考えておりました。
お教え頂き感謝します。
@@tk.2931 恐縮です。ただの私見ですから。
ただ、掛軸の柳緑花紅の意味を私は”それぞれのまま、あるがまま”と解釈しましたので、茶花を蕾ではなく咲いた椿の花にし、鞠子に対して今までの事を謝罪したならば、違った対応を得られたかも知れません。
椿は花がポトリと落ちるので死を暗示します。
つまりこれから私は死を覚悟しているという意味にもなります。(一概には言えないですが)
それを前にして互いは違っていて馴染む事は出来なかったが許して欲しいと表せます。
しかし一般的には武家は上記の理由で椿を避けサザンカを用いる事が多いので、サザンカかも知れません。判別は難しいので私にはわかりません。長文失礼致しました。
@@Arere-w7x 様
ご説明頂きありがとうございます。
画面での扱いも小さく椿か山茶花か見極めは難しいですが、蕾であることと共にあの世に旅立いたい提案はミスマッチと私も感じました。
茶室にあれだけの配慮をされているので何らかの意味を込めているだろうとしか分からず、ご意見を拝見して腑に落ちました。
私だけでは思考が行き止まりましたご考察に重ねて感謝します。
茶のシーンの意味を教えていただきありがとうございます。意味がわかりすっきりしました。日本人が監修していることは間違いないと思いますが、アメリカ製作のものにこのようなディティールが表現されていることに驚きを感じます。
そんな思いをした後に、広松から「生きろ」と遺言を残される文太郎…感情移入しないわけにはいかないですね〜
茶室の中ではお互い対等なので、実は文太郎が妻にそう言う場を用意した場面でもあり、対等な立場から鞠子は文太郎に対して酷い事言ったけれど、鞠子は鞠子で少し文太郎に歩み寄ってますよね。
だって夫には憎しみさえ与えないとか言ってた女性ですよ?
こう考えると、文太郎の最後の表情って色んな意味が込められてるのだろうなとも思える。後悔とかあるいは歓喜も混ざってるかも知れない。
そして最後の父の言葉が正しく理解できたら、文太郎変わりそうですね。
文太郎の細川只興は実際、晩年は穏やかになったようですね。
@@mamorintan
そうなんですね、知りませんでした。
このドラマがどこまで演出として描いているのか分かりませんが、私が感じたのは文太郎は作法完璧なのに立てたお茶はド下手だったので、多分大事なところを疎かにしてきた人なのだろうなと思いましたし、虎長にわしの言ってることただやってるだけやないかい、そーいうとこやぞってお前~って叱られてますし、父親にも切腹のシーンで、死を許されない者の気持ちが~とか決して殿を見捨てるでないぞ!って所もそうですが、あれ雑に解釈するともっと周囲の人間に関心持って接しろや、そう言うとこやぞお前~って感じに聞こえたので、この人不器用すぎるんだなって思ったんですよね。
逆にそう言う人は気づけるかどうかな所もありますからね。細川さんは気づいたのかも知れませんね。
@@SS-yy6zw
横から失礼します。ぶんたろーの立てたお茶がド下手というのは、どういった描写から測れるでしょうか?
@@ぺけぺけぺー-v7f
私の祖母とその先生が立てたお茶飲んだことがあるからですが、物凄くきめ細かい泡がお茶と渾然一体となって凄くクリーミーなんですよ。見たも文太郎のどす黒い泡だってもいない緑色の液体ではありません。
当時私は12歳でしたが、最初はクリーム入れてると思い込んだほど味わいはクリーミーで、見た目もあんなにどす黒くありませんでした。子供心にインパクト凄かったので今でも覚えてます。
文太郎のは、私が見よう見まねで立てたお茶と大差無いです、私の眼にはね。
泡が酷かったからです。
@@SS-yy6zw
なるほどそんな違いが……
大変勉強になりました!
ありがとうございます!
茶をしばくは80年代に、関西で流行り出した若者(ヤンキー)言葉で、しばくの意味は叩く、殴る、などですが、元々関西の方言で、意味合いの中に叩きのめすが含まれていて、いじめる、いじる時によく使いました。会話の中に「しばく」は口癖で、何にでも使えるワードになっていたのですが、流石に「茶でも行こけ」が「茶でもしばこか」に変換されたのには驚き、最近の若いの(ヤンキー)は茶もしばきよるでって、笑っていたのでした。懐かしい。
時々マメ知識入れてくれるの、イイね。そういう主サン中々いないんだよね。
茶室はホストと客で織りなす独立宇宙というかメタバース的コンセプトで、あらゆる肩書きスペックを超越して腹を割って話せる空間なのだが、
そこですら掛け軸や生花、茶器やポエムで間接表現を駆使する日本文化が奥ゆかし過ぎる
更にブンタローの主体性の無さをダイレクトにフルボッコするマリコさまつよい
素晴らしい解説ありがとうございます。文太郎、、、千年生きながらえた方がましって、ちょっとかわいそうでした。お前様は最上級の敬称だったんですね。おめーとは死にたくねーよ!かと思ってましたw
ヨーダさんの豆知識を視聴して。SYOUGUNの理解が一層深まりました。ありがとうございます。
もう一つ教えていただきたい事があります。8話の終盤、虎長と鞠子が言葉の掛け合いをして、鞠子の勝ちと虎長が言ったシーン。私には理解出来ませんでした。どの様な意味合いだったのか教えて下さい。この部分がわかればもっと深まると思います。
トラ 木の葉しぐれの音 聞こゆなり
マリ 春になお もろきは涙 袖のつゆ
トラ 松ばかりには 冬枯れもなし
マリ 花乱れ 言の葉散りて たき火かな
言葉の掛け合いは「連歌」と呼ばれるもの(5・7・5の発句と7・7の脇句の,長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの歌にしていく)ですね。
適度に調和を保ちつつも、同時に新たな要素を詠み込んで展開をはかるという非常に知的能力が求められる。
この一連の流れで「クスっW」となる展開ないですか? 虎永が「ふっ、、」となる理由が分かると、いろんなものが見えてきます。それが日本伝統文化のひとつ「連歌」
ヒント
松は「待つ」ともとれる 。
松は「たいまつ」に使われるほど、油分が多いため火がつきやすく燃焼時間も長い。。
面白かった
利休はとっくにしんでるっしょ
文太郎に対して、欧米の女性の目は特に厳しい批判が多いですね。たぶん、いつもDVしてたわけじゃないと思う。あんな鞠子の態度なら、イラっと来ると思う。文太郎は、なぎなたの稽古見てるときにすでに惚れてた。文太郎が直接の仇的でもないし、あそこまで憎むのが理解できない。もう少し思いやりがほしかった。でも細川ガラシャがモデルだからね。あれくらいキツいし、自分の悲しみが一番心締めちゃうのは解かる。信心してるのに、冷たすぎるわ。9話で死ぬよね。鞠子。「おまえさま」は普通に正しい呼び方。「お前様」というセリフを入れたこと凄いと思った。昔は大河でも使ってたけどね。文太郎は「死ねない人生」になるのかな。最後まで残りそうだ。心開けば、もう少し幸せな夫婦になれてただろうな。鞠子、冷たすぎ。あんなきわどい不倫しちゃって、結構、ヤバめの女。
政治的なフェミニズムを利かせてる感ありますよね、男はライバルで敵!女性の柔らかさ、暖かさは弱み!!みたいな。おまけにWokeなディズニーですからね!
実際に、広勝のモデルとされている細川忠興は千利休の弟子だったからねw
そして、
8:25 ないないw 利休役の登場はないw なぜなら、描かれている時代が関ヶ原直前だから、利休はもう死んでいるので
動画内で言われてたな
「お前(御前)」、「貴様」とか本来の意味と違っていて草
「しばく」は徳島県の方言だと思ってました・・・。ちなみに愛媛県では「しばく」は、叩くあるいは殴ると言う意味になります。
風林火山、茶道、そして風林火山
いまや綾鷹
鞠子は文太郎と結婚するときに『戸田家にはなんの価値もない。もっとましなところに嫁がせてくれれば良かったのに。なんだよお父さん!』みたいなこと言ってましたよね。つまり広松・文太郎・藤を見下しているわけです。自分より身分が低い人は基本見下しているんでしょう。そして最近まで父が戸田家に嫁がせた真意にも気付いていなかった。更に息子のことを気にかける様子が皆無で死にたいばかり言っている。そして更には、家族のために戦って命からがら江戸に戻ったと思ったら妻は蛮人といちゃついている。結構ひどい女性、妻、母親だと思いますけどね。
『柳緑花紅』
第6話Ladies of the Willow World
Willow=柳
第9話Crimson Sky
Crimson=紅
掛詞になってるのかなと思いました。
女性は昔から強かった‼️って事で…
そして子を産み育て無敵になる。
それ以外、難しい事は良く分からないが丁寧に色々な考察には凄いなぁと感じずにはいられない🙇
空海や最澄が持ち帰ったのは茶の木の種だけですよ。
茶道ではないです。
けれど抹茶に近い粉末緑茶に加工してたので、茶道に近い淹れ方だったそうです。
お前様は怖かった…
exempli gratia
お前とか貴様とか、喧嘩するときの二人称が、謙譲語的なのが不思議。
部下に説教する時とかも
君ねぇ とか言うし。
君て、国歌的には天皇陛下のことだったりするのに。
上司の説教の『君』は敬意漸減(の法則)だと思う。間違ってたらごめん。
ついでに、詩の内容も解説して下さい😂
両方ともよろしく😃✌️
この時代、利休は切腹していないし、話の流れに関係ないから回想も入る事は無いでしょう。
DVなのに愛されるわけないじゃんね。愛しちゃう馬鹿もいるけど。ていうか昔の私だけど。
「愛」と「恋」は違うのです。
「愛」は、相手本位。
「恋」は、自分本位。
嫉妬で妻を傷つけるのは、自分本位の一方的な「恋」でしかない。
広勝が愛しているのは鞠子ではなく自分自身。
どこまでも自分勝手な男。