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タモさんがもし、そのドアを開けてなかったら今テレビにタモリさんはいない訳だよな。ほんと凄い人生だよ。
タモリとこの人たちの出会いからタモリがスターになるまでの流れを映画化かドラマ化して欲しい
何回聴いても奇跡的な出会い
偶然通り掛かったエセ歌舞伎宴会にエセ歌舞伎で乱入するだけでも奇跡だけど、そこからエセ韓国語にエセ韓国語で返したって伝説だな。
発掘のされ方が唯一無二
50〜70年代って音楽家、作家、演劇人、批評家、お笑い芸人などがクロスオーバーした土俵にいたような感じがするな。
武田鉄矢今朝の3枚おろしで語っていた、タモリさんとのデタラメ外国語でのやり合いエピソードが聞けて良かったです。タモリさんとこの方々が出会ったのは本当に必然だったと思います。
福岡でジャズのジャムセッションが行われた。タモさんはこの日、早稲田のジャズ研の先輩に紹介されて楽器運びのアルバイトをしていたらしい。コンサート終わりに渡辺貞夫さんのマネージャーと中洲で散々飲んで、ホテル内でマネージャーさんと別れて家に帰ろうとした時の事だった。ホテルの一室のドアが少しだけ空いており、中でドンチャン騒ぎしていた。覗き込むとサックスプレイヤーの中村誠一がゴミ箱を被ってデタラメな歌舞伎をやっていた。そこにタモさんが電気のフードを被って歌舞伎の相手役として乱入した。中村さんはタモさんと目が合い、知らない男が立っていたので一瞬止まったタイミングのスキを突いて入っていったらしい。いきなりの事で山下洋輔さんとドラムの森山威男(たけお)さんはびっくりしたが、その事より腹がよじれるほど面白かったらしい。散々密室芸で笑わせた後に朝の4時ぐらいになり、次の日も仕事のタモさんは我に帰り、引き留められたが帰りますと言って帰ろうとした。山下さんが「あんた誰だ?」と問うと「森田です」と言ってタモさんは帰った。森山さんが「珍しい友達ですね」と言うと山下さんは「えー、お前の友達じゃないの?」と言い、3人共ポカーンとなったらしい。この一連の出来事を山下さんはジャズ喫茶ジャックと豆の木にて「九州にもの凄く面白い奴が居る」と吹聴しまくった。その店の常連客には筒井康隆、ジェームス三木など有名な作家や脚本家、演出家などが居た。ある日山下さんがいつもの様に吹聴すると「そんなに面白いなら連れてこい」と誰かが言った(確かジェームス三木さん)。その一言がキッカケで「博多の森田を呼ぶ会」が結成されお金も集まった。半年後に山下トリオが博多でコンサートする事になり、あの森田をどうやって探そうと思ったらしい。ジャズメンばかりが泊まっていたフロアで出会った事でジャズが好きな奴だろうとなった。色々あたっている内に博多のジャズ喫茶コンボのマスターがタモさんの自宅の電話を知っていた。それからコンタクトをとった。※1972年は自宅に電話がある家庭はまだまだ少なかったが、タモさんはお父さんが甘木という地域で洋品店をやっていた関係で、自宅に電話があった。東京に呼ばれる事になったタモさんは、色んな店で密室芸をしまくりウケまくった。ある日寿司屋で密室芸をやっているとウワサを聞きつけた赤塚不二夫さんがやって来た。密室芸を見るなり博多に帰してはいけないと思った。そして「君は面白い、俺の家に住め」と言った。それからの赤塚さんとの関係は皆の知るところである。※いいともに出演時の山下さん中村さんとのトーク。新題名のない音楽会。タモリ倶楽部などの番組からタモさんの経緯をまとめてみた。
そんなことある!?ほんま奇跡としか思えへんわ
タモさんを福岡から東京へ連れてきた功績は、今でも秤しれませんね。
たのしそう
何とfantastikck日本が生きてた時代
100%共感します。
坂田さんが着ているTシャツの絵は、うなぎ犬?
叔父が同じ物を着ていたので間違い無いかと。
山下先生に私の、曲,ワンフィンガーツーストレートロックを評価もらいたい,アール,シード,サイファー
タモリ
タモさんがもし、そのドアを開けてなかったら今テレビにタモリさんはいない訳だよな。ほんと凄い人生だよ。
タモリとこの人たちの出会いからタモリがスターになるまでの流れを
映画化かドラマ化して欲しい
何回聴いても奇跡的な出会い
偶然通り掛かったエセ歌舞伎宴会にエセ歌舞伎で乱入するだけでも奇跡だけど、そこからエセ韓国語にエセ韓国語で返したって伝説だな。
発掘のされ方が唯一無二
50〜70年代って音楽家、作家、演劇人、批評家、お笑い芸人などがクロスオーバーした土俵にいたような感じがするな。
武田鉄矢今朝の3枚おろしで語っていた、タモリさんとのデタラメ外国語でのやり合いエピソードが聞けて良かったです。
タモリさんとこの方々が出会ったのは本当に必然だったと思います。
福岡でジャズのジャムセッションが行われた。タモさんはこの日、早稲田のジャズ研の先輩に紹介されて楽器運びのアルバイトをしていたらしい。コンサート終わりに渡辺貞夫さんのマネージャーと中洲で散々飲んで、ホテル内でマネージャーさんと別れて家に帰ろうとした時の事だった。ホテルの一室のドアが少しだけ空いており、中でドンチャン騒ぎしていた。覗き込むとサックスプレイヤーの中村誠一がゴミ箱を被ってデタラメな歌舞伎をやっていた。そこにタモさんが電気のフードを被って歌舞伎の相手役として乱入した。中村さんはタモさんと目が合い、知らない男が立っていたので一瞬止まったタイミングのスキを突いて入っていったらしい。いきなりの事で山下洋輔さんとドラムの森山威男(たけお)さんはびっくりしたが、その事より腹がよじれるほど面白かったらしい。散々密室芸で笑わせた後に朝の4時ぐらいになり、次の日も仕事のタモさんは我に帰り、引き留められたが帰りますと言って帰ろうとした。山下さんが「あんた誰だ?」と問うと「森田です」と言ってタモさんは帰った。森山さんが「珍しい友達ですね」と言うと山下さんは「えー、お前の友達じゃないの?」と言い、3人共ポカーンとなったらしい。この一連の出来事を山下さんはジャズ喫茶ジャックと豆の木にて「九州にもの凄く面白い奴が居る」と吹聴しまくった。その店の常連客には筒井康隆、ジェームス三木など有名な作家や脚本家、演出家などが居た。ある日山下さんがいつもの様に吹聴すると「そんなに面白いなら連れてこい」と誰かが言った(確かジェームス三木さん)。その一言がキッカケで「博多の森田を呼ぶ会」が結成されお金も集まった。半年後に山下トリオが博多でコンサートする事になり、あの森田をどうやって探そうと思ったらしい。ジャズメンばかりが泊まっていたフロアで出会った事でジャズが好きな奴だろうとなった。色々あたっている内に博多のジャズ喫茶コンボのマスターがタモさんの自宅の電話を知っていた。それからコンタクトをとった。※1972年は自宅に電話がある家庭はまだまだ少なかったが、タモさんはお父さんが甘木という地域で洋品店をやっていた関係で、自宅に電話があった。東京に呼ばれる事になったタモさんは、色んな店で密室芸をしまくりウケまくった。ある日寿司屋で密室芸をやっているとウワサを聞きつけた赤塚不二夫さんがやって来た。密室芸を見るなり博多に帰してはいけないと思った。そして「君は面白い、俺の家に住め」と言った。それからの赤塚さんとの関係は皆の知るところである。
※いいともに出演時の山下さん中村さんとのトーク。新題名のない音楽会。タモリ倶楽部などの番組からタモさんの経緯をまとめてみた。
そんなことある!?ほんま奇跡としか思えへんわ
タモさんを福岡から東京へ連れてきた功績は、今でも秤しれませんね。
たのしそう
何とfantastikck
日本が生きてた時代
100%共感します。
坂田さんが着ているTシャツの絵は、うなぎ犬?
叔父が同じ物を着ていたので間違い無いかと。
山下先生に私の、曲,ワンフィンガーツーストレートロックを評価もらいたい,アール,シード,サイファー
タモリ