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葬儀で気を付けて頂きたい話です。父の葬儀の時ですが、通夜の夕食時に姉がものすごく訝しげな顔をしていたんです。気になった母方の叔母が姉に聞いた所、「あの男の人、誰?親戚にいた?私、見たことないんだけど」。それを聞いた叔母も見たことがない男性に初めて気付き、周りの親戚全員に男性について聞き始めました。そうしたら、皆が知らないと答え、全員で男を疑いの目で見始めました。その後、男は周りの目に気付いたのか、いつの間にか消えていました。後で葬儀会社に聞いた所、よくある事だそうです。香典泥棒の可能性もありますが、忙しい葬式の最中に紛れ込んでタダ飯を食おうとする悪い輩がいるとの事です。皆さんも気を付けて下さいね。私は葬儀後に初めて知らされました。情けない……後、本当に恐い話です。保険に入っている年老いたご両親や祖父母をお持ちの方は気を付けた方がいい話です。死亡保険ってありますよね。亡くなった故人の遺族へ支払われるものですが。それまで、元気だった故人の時は全うな契約でしたが、年老いて身体を悪くしたりしたら家族や身内が知らない内に契約内容が変更されていることがあります。保険会社の方から故人により良いプランとか言って、契約内容の変更を持ちかけたりします。また、新しい保険会社への変更を持ちかけるんです。今まで信用していた保険会社だから契約内容をよく見ずに素直に応じる方が多いみたいです。これって、実に遺族への死亡保険の受け取りがないものが多いんです。私の父の時がそうでした。私の母は父から聞いていたので保険がおりると思っていたのでしが、保険会社から保険先の変更に伴い死亡保険はおりませんと言われました。保険の契約内容は、しっかり見てください。変更時は特に!
いつも楽しく拝聴させていただいてます。私は葬式ではないのですが、以前介護の仕事をしていたのですがちょっと不思議な経験をしたのでメッセージを送りました。職場の介護施設である入居者さんが夜中に亡くなり、私は翌日出勤したときその方のご遺体を寝かせている部屋に行き最後の挨拶をご本人様にしていると泣いている私には亡くなってたその方の声で「先生、いつも声掛けてくれてありがとうね。お喋りするの楽しかったよ」と聞こえました。その入居者さんはあまり笑ったりなどしない人で、いつも声をかけたりレクリエーションに誘ったりしていた私に本人さんは感謝の言葉を伝えてくれたのかな?と思ってます。ちょっと長くなりましたが、読んでくださりありがとうございます。これからも応援してます。
お葬式の話しで思い出しましたが父が亡くなり3ヶ月ほどあと母も亡くなりました。仲のいい夫婦だったのですぐに出会えるといいねと話しながら告別式を終え家族と帰る最中天気が良かったのに急に大雨に見舞われました。雨はすぐにやみましたが空には大きな虹がかかっておりました。父親が母親を迎えに来たのだなと安心した気持ちになったのを思い出しました。怖い話でなくてごめんなさい。
興味深いお話ばかりでした。しかし皆さん体験自体もさることながら、文章までお上手なのが凄いですね。
都市ボーイズのおふたり、はじめまして。いつも楽しく拝見しております。この回を見て思い出したので初投稿致します。私が高校生の頃、同居していた祖父が、数年間の肺がんとの闘病の末に亡くなりました。初めての身近な人の死で、家族も覚悟していたとは言え悲しみは深く、それでも何とか祖父を荼毘に付してみんなで帰宅した時のことです。自宅の祭壇に祖父のお骨と遺影を置いて、しばらくして戻ってみると、祖父のことが大好きだった愛犬が、祭壇の前に寝転んでいました。それもただ寝転んでいるのではなく、まるで見えない誰かに撫でられているかのようにお腹を上にしてじっとしていて、家族が声をかけても動きませんでした。もしかしてじいちゃんが撫でているのかな、と話しながらみんなで祭壇の前で記念写真を撮り、その日はそれで終わったのですが、現像されて戻ってきた写真を見てびっくり。写真一面に、シャボン玉のようなオーブが写っていました。祖父も愛犬のことを可愛がっていて、祖父が入院中は祖父のパジャマと一緒に寝ていた犬だったので、きっと祖父が撫でに来たのだろうなあと思っています。数年前にその犬も亡くなってしまいましたが、今は祖父と一緒に天国でのんびり散歩でもしていると良いなと思います。怖い話ではなく恐縮ですが、投稿させていただきます。
誰も悲しまないお葬式、認知症高齢者を持つ家庭の今時な話題ですね。よくある話です。身内だからこその大変な思いがあります。早く逝って欲しい思いを私は否定できません。そう思ってしまう人たちを悪く思わないで欲しい。本当に苦労されたと思います。
不謹慎だとは思いません。
先程の続きです。春の雪さんの投稿に同意です。私はグループホームでパート勤めしていますが、手のかかる入居者や、口の悪い(性格が最悪)入居者の家族はなかなか来ません。こんな事言いたくないし、言ってはダメだとわかっていますが、『退去してくれ』とか『早く○んでしまえ』って思う人ほど元気で病気知らずですよ。勤めてから数名が体調崩して入院し亡くなったけれど、なぜか『かわいそう』とは思えず『やっといなくなったか』って思ってしまいました。今もホームには我が子を探して他者の居室ドアをノックもせず勢いよく開閉して覗き見たり、『うちの子供どこにいるの?』とスタッフに声をかけまくってる婆さんがいます。その我が子が会いに来ても誰だかわからないのに・・・。
自分の葬式で「やっと死んでくれた」とか言われないように生きたい。
そう言われる様な事やってるんですか?
エピソード紹介していただき、ありがとうございます❗️他にも不思議な体験がありますので、また投稿させていただきます。
最後の折り鶴のお話を聴いて、人が人を思う思いというものはすごいなと思いました。良いお話ですね☺️
「誰も行かないなら、僕ら行きますよ。安心してください」普段の言動みてるとクソサイコパスやんけと思う時もあるんだけど(時々ね)早瀬さんのこういうところが信用できるんだよなぁと思うし好きそんな早瀬さんにすごい愛されてる岸本さんもきっと良い人
私がもし亡くなったらお二人に身内代わりに手続きして見守って欲しいですねぇ〜😅
自分の身内にも(まだ生きてるけど)もし亡くなったら皆から(姉妹からも子供たちからも)「良かった!ようやく逝ってくれた」と言われるような人がいる。そういう人ってなかなか死なない。
身内が死んで泣いたことはないけど、飼ってた犬が死んだときはひと目も憚らず思いっきり泣きました。しばらく立ち直れなかったなぁ😥
亡くなった方を迎えに来たご先祖様と出会った事があります。十五歳の頃に大好きな祖父は亡くなりました。祖父が心配するから余り泣いては駄目…と思いながらも私の涙腺は三日間止まりませんでした。其れ位厳しくも優しい…私達孫娘や孫息子を大切に育ててくれた祖父でした。なので…やはり辛くて痛かった。最期を看取り、手が冷たくなる瞬間も死後硬直も知りました。…命の重さと死の残酷さと理不尽さ…生死の重さを祖父は自ら最後に教育してくれたのでしょう。…本当に大切に可愛がってくれた祖父何だと感じながら流す涙は止まらず祖父が安置されている部屋の前にある廊下の隅で蹲り泣いていました。その時でした。私の横に腰を降ろすと優しく頭を撫でる人物が現れました。「大丈夫?そっか…まだ小さな体の15歳の女の子には辛かったね。全く…バカ息子め…。酒はアレ程控えろと。栞のお祖父ちゃんは幸せ者だね。ま…孫達を大切にしていただけ上等だな。お祖母ちゃん達の様な美しくて素敵な女性になりたければ今の気持ちを忘れないでいなさい。栞がお祖父ちゃんの最期を看取って死後硬直を見た時に感じた気持ちは人間が学ばないといけない大切な事何だよ。」…と語る白に近いグレーのズボンの主は直感的に四十代位の男性でした。「アレ?おかしい。白いズボン何か誰も履いてないよ!」…と頭を上げた瞬間に飛び込んだのは泣きべそ顔に呆れながらも優しい笑顔の祖母と伯父夫婦でした。頭を撫でた人物の話を語ると馬鹿にするでもなく信じてくれました…。先程の男性は恐らく幼き日に祖父の実家の仏間に飾られた遺影の中にいた人物の1人である曽祖父だろうとの事でした。「人が亡くなると先に亡くなったご先祖様が迎えに来るんだよ。」…と祖母が教えてくれました。今思えば祖父自身も幼き日に死別した曽祖父に曾孫の中で唯一頭を撫でられたのは私だけでした。それに…生まれ付き肉体を失ったご先祖様方が生きている人間と変らない姿で視えている子供は私だけでした。「曾孫が余り泣くから心配したのかもね。」「あんまり泣くと可愛らしい顔が台無しだぞ」「ほれ、泣き虫娘はこれでも食って笑え!ご先祖様を心配させちゃ駄目だぞ!」その場にいた身内達に身柄を捕獲され食べ物責された私を曽祖父は後ろから見ていた。祖父の葬儀中の三日間は不思議な体験が色々でしたね。
子どもの頃、祖父が病院でなくなりました。病に苦しんだというよりはかなり老衰に近い状態で、90歳超えていたこともあり、周りの大人達は悲しさよりも大往生だったね、おじいちゃん頑張ったね、と涙を流しながらも暖かい雰囲気に包まれていました。その後母がお通夜とお葬式の準備のため、遺体とともに祖父の家に向かいました。到着したときはもう真夜中。祖父の住んでいた田舎の小さな集落は街灯も少なく真っ暗で、もう寝ているのか周囲の家からもれる明かりもありませんでした。近所の親戚にすぐに訃報を伝えるべきかと悩んだ母でしたが、起こしてしまっては悪いと思い、ひとまず家の中へ入りました。さっそく準備に取り掛かろうとしたとき、隣のお婆さんが訪ねてきました。お婆さんは寝間着姿で今布団から飛び起きましたって感じで、開口一番「亡くなったの?!」と泣きながら棺の前に座り込んだそうです。お婆さんは「この人はとてもいい人だった、どうしていってしまったんだ」とひどく死を悼んでおり、その様子に母は「おじいちゃんいい人生を送ったんだなぁ、こんなに悲しんでくれる人がいるなんて」ともらい泣きをしそうになりました。しばらくして少し落ち着いたお婆さんが最後にお別れさせてと棺の小窓を開いて一言、「あ、なんだじいさんか」。。。。同時期に祖母も入院していたため、お隣のお婆さんは仲良しの祖母が亡くなったと勘違いしていたようでした。祖母ではなかったことがわかると、お婆さんは速攻で帰っていきました。母の涙もスッと引きました。
毎日配信ありがとうございます。
私の父と兄がそれぞれ病気で闘病中に私と子供達で1000羽鶴を作りました。二人とも願いが叶わず亡くなってしまいまいた。二人とも火葬の際1000羽鶴を一緒に入れたのですが、父の時も兄の時も半分ほどの鶴達が綺麗にその形のまま灰になっていました。お話を聞いてそのことを思い出しました。
私の父が亡くなった時は右側を下にして眠っていたのに右耳に父の時計の音がしました。かなり大きな音だったのでビックリして飛び起きたのを思い出します。霊的な音は脳内に響くのですね
霊的なのかどうか、分からないんですけど脳内に響く音や声って私もありますよー。
身内が亡くなったショックの中泣きながらゲームする少年二人に笑ってしまいました。子供はそのくらいでいいと思います。
誰も悲しまなくなるくらいに家族は苦労してきたんでしょうねボケる前からなのかボケてる期間が長すぎて疲れ果てたのか・・・
誰も悲しまない葬儀の話を聞いて、葬儀は故人が何を残したのかが良くも悪くもはっきりするイベントだと思いました。不謹慎とか怖いとかは思わなくて、ただただそれがその人が生きた結果だったのかなと
「やっと〇んでくれた」の故人は家族にそう思わせる生き方をしてきたんでしょうね。うちにもいました。外面はめちゃくちゃいいけど家族にはモンスターだった人が。
20歳、23歳の時に母方の祖父、父方の祖母が亡くなり、それぞれ2日〜3日間は遺体のある部屋で寝泊まりしていましたが、特になにも起きませんでした…ただどちらの火葬とも、火葬前の最後拝むときに右側の蝋燭だけが風もないのに激しく揺れていたのが印象的でした。片方の蝋燭が揺れているとかは経験された方多いのではないでしょうか?
私の祖母が亡くなった時も通夜の晩は蠟燭と線香を絶やしてはならないと交代で寝ずの番をしていましたよ。そういうのを見ていたので最近亡くなった親戚の通夜に行ったときに誰か起きてないといけないと心配していると親戚の叔父さんから「今はそういうのは無いよ。逆に、危ないので蝋燭の火は必ず消してから寝てくださいと会館のスタッフさんに言われた」と聞かされて、今はそんなもんなのかあと少し寂しく思いました。
私は小学生の頃、学校生活が上手くいかず、友達も一人もいなくて毎日憂鬱でした。死ねば全てから解放されるのかな、とぼんやり思っていたある日、家族に「もし私が死んだらどうする?」と尋ねてみました。心のどこかで、「そんな悲しいこと言わないで」とでも言ってもらいたかったのだと思います。友達がいなくても、家族だけは私のことを大切に思い、必要としてくれていると思いたかったのです。けれど、返って来た言葉は「はあ?死にたきゃ仕方ないんじゃない?」とか、「あんたみたいな呑気な子でも悩みなんかあんの?ww」でした。その時、もし、幽霊というものが本当にいたらと思うととても恐ろしくなりました。もし、私が霊体となり、誰も悲しまない自分のお葬式を自ら目の当たりにすることになってしまえば、もうそれ以上死に逃げることも出来ず、耐えられないと思ったからです。そうして私は自ら命を絶つということを思いとどまり、今も生きています。
折り紙の話ですが、私の父の時も同じように折り鶴の形のまま小さくなって残ってました。同じような事があるんですね。
寝ずの番のお話し、興味深いですね。あの鈴の音と言うのが、共通なのか、我が家でもお盆に仏壇に線香を点け忘れると鈴(りん)が鳴り、場所は確かに当家の仏壇辺りなのですが、音の高さが違うので、『お隣さんの仏壇の音が聴こえて来ているのか?』と思って、聞いたところ、お隣は大きな家で、「ウチの仏壇はそちらの位置には無いですけどね。」と言われました。それ以降、あの高い鈴がなる度、「はーい、ただいまっ!」と仏壇の前に走る様になりました。ただ本当に鈴の高さが違うのが、何故だろう?と訝ってましたが、今回のお話しを拝聴して納得です。
葬儀関係の怖い話を聞くけど、私は昔怖がりだったのに結婚前に湯灌の仕事をしてからは逆に恐怖心が薄れたのか、滅多なことじゃ動じなくなってしまった💦投稿を聞いてると湯灌をして麻痺してた感覚が正常に戻されて浄化されていく気がする。
父は呆気なく亡くなり、母は十年少しかけて認知が進み、孫達に嫌われて可哀想でした。色々整理していると皆の幸せを願い続けていたことがわかり涙が止まりませんでした。親って本当にありがたい存在で毎日感謝を伝えています。彼方の世界で逢えるまで待っててね。親不孝ばかりでごめんなさい。いつの日か
私も初めての金縛りの時は鈴の音がしていたので、悪い意味でないと聞いて今更ながら安心しました。もう30年以上前の話ですが😅誰も悲しまないお葬式はゾッとしますね…心の内はどうあれ取り繕いもしないものなのか😰最後のお話は感動しました😭投稿者様の想いはしっかりお母様に届いていたのですね✨こういう不思議で心温まる話が大好きです❣️今日も素敵なお話をありがとうございました😊
誰も悲しんでいないお葬式で思い出したことがあります。私がカクテルバーをしていた頃常連のドクターが上機嫌で入ってきました。「今日おふくろの葬式でさ」と話し始め、途中で我慢できなくて2階に上がったと言うのです。悲しくて人に涙するのを見られたくないんだろうなと解釈しましたが「笑いが止まらなくてさこれでもう口うるさく言われなくてすむと思ったら嬉しくて嬉しくて」と…本当に嬉しそうに明日オペがあると言うのにどんどん飲んでいました。人の命を助けてくれるドクターが自分の母親の死をこんなにも喜んでいるとは。何かの折りにすぐ思い出してしまう出来事でした。
俺も父親とは仲がよろしくないからやっと死んでくれたは言いそう正直言わなくとも涙も生前の語らいとかもしないかな多分どうにもならないぐらい家族間壊れてるんだろうね3番目の話
お二人共に、ご家族がお亡くなりになった時に泣きながらゲームをされていたと言う子供時代があると聞き、可愛いなぁとほっこりしてしまいましたw
どこでも、お線香絶やさないのはありますね。
私の経験の地獄絵図の様な葬儀は、父方の祖父・祖母の時ですね。周りに人がいる時だけ大声で泣き叫び、失神したおばさん。凄い演技してましたね。後から聞いた話しで、相続財産はしっかり自分の物にしていて、兄弟姉妹がびっくりしていたとか。日頃からこのおばさんの事は分かっていましたが、こういう時には本性が出るとはこの事ですね。
毎回楽しい編集がリッチな感じでスター感がありますぇ、カッコいい☆
おじいさんはそんなことで怒ったりしない気がする。むしろケガをその程度に抑えてくれたのでは?
94歳のお婆さんも10代の美しい頃があったのだから94歳の形のまま天へ上がったとは限らないのでは?
昔聞いた話しです 年寄りが亡くなると自分が一番良かった頃の姿に戻り 反対に子どもが亡くなると成人した姿になるそうです
はやせさんの「あざます〜」好きです♪
悲しすぎて心抉られた悲しいお葬式の話と、悲しい中にも心温まる折り鶴のお話。違う意味で涙が出た2本でした。にしても、今回は特にお話の順序構成が素晴らしかったですね。
うちの地域の葬儀は泣いたり悲しんだりの葬式じゃなく、生を全うされた人もそうでない人もこの世に未練残させないように明るく宴会して送り出す伝統なので、ところ変われば習慣の伝統と違うと思いますが、、、。なので違和感はないです。
寝ずの番(火の番)は風習ではなく浄土宗、浄土真宗の葬儀で行うものですよ
今までに何度もお見送りしていますが、出棺の際に入れた花がそのまま灰になったのを、一度だけ見たことがあります。ご遺族と「きれいに残りましたね」と話した記憶があります。やはり、水分の無い折り鶴の形が残るのは珍しいのだと思います。
1:58 ラップ音?お通夜の時にろうそくと線香を絶やさないように親族が寝ずの番をするのはしきたり?決まり?だと聞いていましたが、岸本さんも早瀬さんもご存知ないってことは地域によって違うのでしょうか?
ゲームしながら泣いた話めっちゃ好き😂
鈴の話で思い出しましたが、友人が泊まりに来た時に夜中にドアの方からチリリンと鈴の音がハッキリと聞こえたことがありました。不思議と怖くはなくて、翌日友人の働いている介護職場で入居者の方が亡くなったと連絡が来ていました。たぶん鈴の音はお別れの挨拶に来たのかなと話していました。
いつもすごいお話有難うございます。毎回動画配信楽しみにしてます😊
自分の叔母も千羽鶴が叔母の遺灰の上だけ形を残したまま灰になっていました。
私の経験した身内の死のお知らせは、仏壇に訪れます。地震でもガタガタ音がしない位重い扉も閉じた仏壇が「ガタガタ!」と深夜急に音を立て、「何事?!」と飛び起きてそれから胸騒ぎがしていたら明け方母の死の知らせが来ました。ああ、知らせに来たんだなと納得しました。次に深夜に仏壇がガタッと音を出した時は今度は誰だ?と思ってたら朝に知らせがあったのは大好きだった叔父の死でした。何故に仏壇かはわからないし、私にも霊感があるとは思わないんですが、母のときも叔父のときも知らせが来たのは私のところだけでした。
葬式での不思議体験① 母方の伯父が17才の時に亡くなり、通夜で耐えられないくらいに眠く、うっつら😪うっつら😪としてしまい両親と兄に怒られました。しっかりと睡眠を取り翌日の葬儀中に、また耐えられないほどの睡魔に襲われました。従兄弟の中にも一人だけ眠くてと訴えており、葬儀後に両親と兄から説教が始まった頃に、住職に止められました。霊的な感受性が強い者の中には、身内の葬儀中に睡魔に襲われることも屡々あるとのことでした。言われて見れば二人以外は、ゼロ感だったかと………😅②大叔父(父方)の通夜の夜のこと、左脇に出来物が一夜にして出来ました。そして出来物が出来た身内は、大叔父の兄弟と嫁達に息子夫婦だけでした。葬儀が終わる頃には消えてました。親しい親族だけ限定で全く同じような物が同じ場所に出来るって普通であり得ないですよね。他にも細かな現象は起きてますが、取り敢えずは、この2つですね。
今夜も楽しみです〜😄
最後の折り鶴の話ですが、私もいとこが病気で入院してる間に折った千羽鶴を折りました。残念ながら一月もしないうちに亡くなり、棺に千羽鶴を入れてもらいました。お骨上げの時びっくりしたのですが、千羽鶴は原型を留めたまま灰になっていました。いとこの小学一年生の娘に、お母さんは鶴に乗ってお空に旅立ったんだよって、涙をこらえながら言ったのを覚えています。すごい火力だと思うのですが、どうして残っていたのか不思議です。
私、祖母が亡くなっても絶対悲しめない葬式行って最後の顔は拝んでやろうと思ってるけど、母は絶対行かないって言ってるしそもそも葬式開いてもらえるんかなってレベルのクソ人間。
いいお話しで終わってホッとしました。
内容に関係あるか分かりませんが、煙の話で思ったのが、お婆様の若い頃もしくはそのお婆様の守護霊であったのではないかな?と思ったのと同時に、人が亡くなるときに本人を守っていた守護霊や取り憑いていた魂などはどうなるのかな?と思いました霊感があり、亡くなった本人の魂などが見えはするのですが、この話を聞いて、そういえば守護霊がどうなるのかは見たことないなと思いましたお二人はどう思われますか?
鈴の音はそうなんですね。父親も若い頃鈴の音と共に女の霊を見たと言ってました。枕元に立って鈴をリーンリーンと鳴らしていたらしいです。それでも幽霊は信じていないとか(笑)
人は亡くなると自分が一番良かった歳になれるって聞いたことがありますよ。
私も違和感のある葬式というか、残念と家族によるいじめで自殺した、親族の経験があります。妻からの言葉の暴力。息子からガラスの灰皿で殴られる。もっといろいろありましたが、自殺しました。叔父でしたが、山中で練炭自殺し発見後、警察にもなかなか引き取りに行かず、2日以上たってから引き取ったようです。葬儀では息子は遺影写真を片手でブラブラ持ち、妻は葬儀中仏壇を買いに行くと言っていなくなり。私には、自殺する気持ちが理解できるような、とても悲しく救えなかった命が、あの家族が今後幸せでないことを祈る、これもまた私の心の人怖です。
折り鶴が綺麗な形のまま灰になってる話…🥺うるっときました。下駄さんに、こんなことがあるのか聞いてみたいですね。
お葬式で悲しまれない、誰も来ないとか考えると故人も死にきれないでしょうね🥲決して他人事ではない…私も早瀬さんに来てもらいたいです笑
ごきげんよう(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)っ🍵昔、ある日の夜に、オカンから電話がかかってきて、おばあちんがいよいよヤバいと連絡が来たんやけど、どうしよう?との事。と、言われてもおばあちゃんは長崎県に住んでて、電車もなくどうしようもない状態でした。「明日、新幹線で行くしかないやろ❓」と言うのですが「でもでも、、、」てな感じ。日頃嫌いと言いながらもやはり動揺するんかね?と相手をしていたのですが、当時、新幹線は博多駅までで、そこから長崎までだいぶかかるんや。と言い出したので、「じゃぁ、飛行機で行けば?」と言うと、乗った事ないし怖いとの事。ネットもない時代なので調べる事もままならず、あたしも気になりますが、子供もまだ小さいのでどうする事も出来ず、ただただオカンがグズグズ言うのを聞いてました。1時間ほど経っても切りそうになく、イライラして来て、「じゃぁ、今から車で行くかね?」と言ってしまいました💧オカンはこのセリフを待っていたようで、即答で「ほな、はよ行こう!」と言ってきました。うちのオカンはして欲しい事をハッキリ言わず、言うように持っていくと言うか、言うまで諦めんと言うか💧な人種でした。免許を取得したのが11月車が来たのが12月、連絡来たのが2月。免許取りたて、ナビもなく高速に乗った事すらありません。取り敢えず地図をコンビニで買って出発したのが22:30頃超長旅。広島あたりで道が白くて何でやろ?と思ってましたが、普通に雪だったと後に知りました。大阪って雪に馴染みが無いんですよね(´▽`) '` '` '`オカンは寝出すし山でラジオも入らんし、無の中をドライブ。トラックには囲まれたり、寂しすぎてバイカーと並走したり、とんでもない思いで到着。残念な事に、お通夜、葬儀、形見分けまでして帰りました。お通夜でも棺の横に張り付いてましたが、さすがに寝ろ!と言われ仮眠室へ。夢におばあちゃんが出てきたと伝えると、叔父が「何か喋ったか❓」と聞いてきたので、「いや、何も言わんと、ニッコリしてた。」と応えると「じゃぁ、ホンマに婆さんだ」と言って喜んでました。叔父いわく、何か言って来たり話ができると夢だと言ってました。うちの父が入院してて、お見舞いに行ってて、帰宅した途端に弟から電話で、無くなったたと夜中に連絡が来ました。電車は無いのでタクシーで行きました。大分に住むおしい、おばあ、叔父か集まりだし、妹と叔父叔母達が、父の遺体を真ん中にし爆笑しながら話をしてるので、ショックでした。そんな光景を見て、こいつら狂ってると、頭おかしなったと思ってましたね。あたしは、病院の仮眠室で泣いてました。同級生の元嫁の両親とも仲良くさせてもらっててた、お父さんが亡くなった時、通夜から参加させてもらいました。が、平気で寝れるんですね💧ロウソクと線香の見張りは任しとけ!とは言いましたが、マジで(๑°⌓°๑)任されました。ご親族は爆睡してはりました。翌日のお葬式では、ギャン泣きしてましたが、そこまで悲しいのに、寝るのね?と不思議に思いましたね。( ๑≧ꇴ≦)ゞアデュー!!!!
ウチの祖母の火葬でも千羽鶴の金のヤツだけキレイに残ってたな。それを火葬場スタッフがクチャとゴミかのように握り潰し、親戚も「金の色紙は燃えにくい成分が入ってるんやな」という現実的な一族。
自分も寝ずの番があることは12年前に97歳で亡くなった曾祖母の通夜の後初めて知りました。それまでにも身内の葬儀はありましたが、まだ小さかったのでそれを知ったのはそのときが初めてでした。娘である祖母と孫である母親と成人したばかりのひ孫の僕で寝ずの番をやったことを思い出しました。
昔は自宅葬儀で、ご近所の手伝いとか色々あって、子供ながらに大変だなぁって思ったのを覚えています。お線香の寝ずの番、叔母さんが「遺体が起きてきそうで怖い」と言うので、交代まで一緒に居たりして(^_^;ヒトコワ葬式・・・本当にあるんですね。故人も複雑な心境でしょうに (=_=; 近くで見てる・・・かも最後の折鶴で心が洗われました。ありがとうございました。
誰も悲しまない葬式って結構あると思います。数年前に死んだ舅は人付き合いもなく家族にも嫌われていて、夫は早く死んでくれと思っていたと言っていました。コロナ禍前なのに葬儀は夫と義姉の二人だけで行い、義姉は義母の眠る墓に一緒に入れたくないと困ってました。
父方の祖父が亡くなる前に、自転車に乗った祖父が母に挨拶に来たらしいです。何も話す事無く笑顔で会釈していた祖父は生霊だったそうです。きっと、母に感謝の気持ちを伝えたくて来たのだろうね。と母は言ってました。霊感が少しある母です。
私もお葬式のすごい話があるので聞いて頂きたいです!
12:07のとこで、深い深呼吸みたいな音?が入ってます。
決死のコサックダンス好きです✌️😂
人怖って一番怖い。不謹慎ながら、私も母方の祖父に対し早く逝ってくれと仏壇に手を合わせていました。理由は祖父のアル中&DVで、警察沙汰になったり、両親も祖母も辛い思いをしていたからです。ばぁちゃんこだった私は祖母を守りたい気持ちから祈ってしまいました。死に目に立ち会い、ギャン泣きで後悔しました。葬儀の時は何故か一滴だけ涙が出ただけでした。その涙が丁度私が持っていた遺影の祖父の目に落ち、祖父が泣いているようでした。アル中でいろんな病気になり、幼少期の辛い過去から祖父は解放されたんだなと思うようにしています。
いい話だなぁ
少しテーマとずれるかもしれませんが……祖母の葬式を行う準備として、自宅にて祖母の遺体の死化粧等々の準備を親族全員で見守っていました。祖母の長女にあたる叔母が誰よりも泣いていました。叔母は私の斜め前におり、ハンカチで口元を抑えていましたが嗚咽が漏れ、肩を震わせていました。そんな叔母の姿を見ていた私の頭に突然映像が飛び込んできました。言い表すなら、脳内に直接、という感じです。映像の中では一人の少女がおそらく海の底と思われる場所で声を上げて泣いていました。私は何故かその少女が叔母であること、こちらの声が少女には届かないことを直感しました。すぐ映像は消え、また元の光景に戻りました。叔母は今、孤独の中悲しんでいるんだ、と思いそっと叔母の背中を撫でました。そばには親族たちがいる、一緒に悲しむ人が居るんだと念じながら。すると叔母がさらに激しく泣き始めました。先程の映像の中の少女と同じく、声を上げて泣きました。私が見たものを叔母には話しませんでしたので、あの映像が何だったのかはわかりません。なんのオチもない話ですが私が体験した不思議な話でした。
死んでくれてよかったと言われたとかでは全然ないですが私の母が数年前なくなったときに父は香典など目当てで葬儀をあげ、そのため父の会社の人など母とは全くと言って良いほど面識がない人がほとんどな人たちが集まりました。だからだと思いますが、私の家族以外誰も母の話すらしない、全然関係のない話で笑っていたり世間話に花を咲かせている。そんな状態のなか一人娘の私だけが泣いている状態で当時まだ小さすぎて状況の良くわかっていない子供たちの面倒でかなりきつかったのですが、誰一人私に声をかけてくるような人もおらず、話しかけてくるとしたら〇〇の業務をやってほしいなど、この辛い状況の中、さらに追い打ちをかけるようなことを言ってくるだけでした。私自身の葬儀のときには私の葬儀に出たい、私が死んで悲しいと思ってくれる人しか呼ばなくて良いと家族に今から言っていますが、風習や考え方で明るく送り出すなどは良いと思うし別の思想があるのでそれはそれと思いますが、悲しいと思わない人ばかりの葬儀なら葬儀をする意味が解りませんでした。
16:52 はやせさん、あくびしてるやん笑
人の死って深いなぁ。。。
パンくんのこと、短パンチンパンジーって呼ばないでw誰も悲しまないお葬式になりそうな奴は結構いるな…って思ってしまった私は心がきたないんだろうか!
自分の父親はまだ健在ですが、、・とにかくケチ。社員の給料上げず、自分の給料だけ上げる・気分のムラが激しく、すぐに大声で威圧する・車屋さんのブラックリストに入っている・上にはヘコヘコ下には暴言の嵐・自分の思い通りにならないと気が済まない・娘の結婚式場を安いという理由だけでそこに決めさせようとする・泥棒が入ったかもしれない!そう言って母に様子を見にいかせるクズ野郎・ちかんにあった自分に「お前が悪い」と言い放つクソ野郎まだまだありますが、こんな生き方している人間の葬儀、どんなものになるでしょうね♪
折り鶴の件ですが、私の母親が他界したとき火葬場の職員さんが言ってました。灰になっても形が崩れない特殊な加工紙で折られた鶴を納棺時にいれる葬儀社があるらしいです。母親の場合も綺麗に残っていました。これは私のケースでの話ですが。
3番目の話ですけど、私もありました。母方の姉、叔母の夫が亡くなったときが、マジでこんな葬式でした。親戚の中では、接点のある叔父ではありましたが、会うたびにイヤなこと言う人でハッキリ嫌いでした。私はともかく、叔父夫婦には子供4人いて、その嫁、婿、孫、しまいには、妻である叔母までも誰一人と泣いていませんでした。傍から見たら異様な光景だったと思います。親戚だけの少人数の葬儀だからこそ、味わった悲しい?葬儀でした。後から母にその事伝えたら、そりゃ泣く人なんて、いない。って言われました。
14:58~これはある意味正常ですよ。特に、個人がとても高齢であり、自然死であればなおさらです。故人が人生をやり遂げたことによりなにも悔いが無い状態ですね。ですのでこれはある意味大変めでたい事ですね。かつ、誰も悲しまないのは余計にめでたいですね。なぜなら故人がほぼ間違いなく高い所に行けたからですね。低い所に行けば誰でも悲しみますし、鬼は怖いので怖がります(特にお子様)神のように成られますと、温かく明るいですので悲しむことも少なくなりますね。(子供もまず泣きません)特に子供は感情的に敏感ですからね。
たとえ生前好かれていない人間でも葬式の時ぐらいはきちんとするべきだと思う。祟られる可能性がある。
母の骨あげの時、葬儀会館の職員さんが、折り紙を用意してくださり、宜しかったら、折り鶴を棺に入れてあげてくださいと言われ皆で50羽折って、花びらの上に兄嫁が羽を広げてのせてくれました。そして施設に入ってまして千羽鶴を飾ってたのも一緒に入れました。折り鶴が7、8羽と千羽鶴の一部が灰色になって崩れずに残ってました。4年半過ぎましたが何故残ったのか、誰か経験された人はいないのかなとずっと思っていたので同じ経験された人がいると知って投稿しました。
20年以上前の夏に祖母が他界した日の話ですが、その夜遺体が家に運ばれ親戚は一階で集まり話をしていました。私は眠れなかったので2階で暗い部屋の中ぼーとしていると、急に右腕を誰かに掴まれたかの様な人肌の温もりを感じビックリして「うわっ」となってしまいました。そしてしばらくしてから寝ているとその当時自分の部屋に冷房がなかったので父母と同じ部屋で寝ていました。すると人生初めての金縛りにあい目を開けると白い煙の様なもやもやした顔があり、私に何か言いたそうに口をパクパクさせていました。怖くて思い切り体に力を入れて咄嗟に「お母さん…」とか細い声を振り絞りました。すると母が寝ぼけながら「なーにー?」と返事をするとその顔はもう消えていました。妹もあまり詳しくは話さないのですが家で祖母の霊を見たり声を聞いたことがあると言っていました。あと話は変わりますが従兄妹の親父さんが亡くなった日に家のコンクリートに埋め込まれた大理石の表札が落ちて割れていたこともありました。長くなりましたがこの様な体験をしました。
いつも拝見しております。いろいろ不思議な体験があるのですが、今回のお題に合いそうな話がありましたのでコメントさせていただきます。父方の祖母が亡くなった時の話母と祖母は嫁姑関係が悪く、娘の私も17年ほど会っていませんでした。私も大人になり、祖母だけが悪いのではなく、母も悪いところがあったんじゃないかとか、お裁縫得意だったから学んでおけば良かったんじゃないかと思うようになりました。そんなある日、父から祖母入院した事を聞きました。今さら顔を出せるわけもなく、御見舞いに行きたいけど、、、気持ちだけでも送ってみようなんて思っていました。数日後の仕事終わり、駐車場に停めておいた自分の車だけびしょ濡れでした。祖母が亡くなったのかもしれないと思い、帰宅するとその通りでした。お通夜に行くと、親戚の叔父が「○○ちゃん(私)、よく来てくれた。お祖母さんが亡くなる前に、○○ちゃんが御見舞いに来てくれたよって言ってたんだよ」と言っていました。思いは伝わるんだなと思いました。怖い話でなくて恐縮です。長文失礼しました。
母の祖父母の葬式その後の1周忌3~といつもカナブンが式場(家)に、いますその他日は、まったく見ない不思議です。あとよく最高の日は最悪の日プラマイゼロ言われてるので注意してたのですが私の誕生日に父親は、道で事故にあい頭と身体を打って、帰ってきたですが容態が自分の結婚式の日に悪くなり会社の退職パーティーの日に亡くなり49日は、私の弟が生まれて区役所に届けを父親と行った日で、私の古い日時の記憶がある日で本来は、楽しい記憶のはずが、昔から暗い気持ちになっていました(ほかにも、いろいろあるのですが、このへんで)
5:16に唸り声が聞こえる
早瀬さんの唸り声w
あれ?毎日6時間都市ボーイズなのに、最近編集者さん加わったことなんて仰ってるのありましたっけ?でも編集がはやせさんとちがうきがします、、、。素敵ですね☆
入ると鈴が鳴ったり、煙りって、天国は昔の喫茶店みたいですね。どうせなら楽しいといいな。地獄はごめんです。
誰も望まないお葬式⁉️怖い❗️今夜も↑
早瀬さん、お疲れのご様子…体調を崩さぬ様頑張って下さい^_^❣️応援してます✨✨
ひいおばあが亡くなったとき、爺ちゃんがロウソク一晩中見てて、何してるんだろって思ったけどそんな意味があるんですね。5歳くらいだったんで意味を知らなかった😅私も覚えておかなければ。
自分も19の時に幼馴染みが亡くなりお葬式に行く事になったけどその前の日に友人とお笑いライブに行く予定があり行った。ネタは面白く笑っていたけど、どこかで楽しめなかった。お葬式では号泣していた。
今晩わん!岸本さん眼鏡の色変わったかな?似合ってるぅ 私も岸本さんと同じ事を考えました チリン早瀬さんと岸本さん同類(笑)
父の葬式の時、若い頃の日記を棺桶に入れました。彼女ズの話なんかが書いてあったようですが、母が「読まない、知らん」と言って。長らく病んだ75歳の父のお骨はボロボロでしたが、顔の近くに置いた日記はパラパラ開いていましたかがしっかり焼け残っていて凄い不思議でした。仕事人間だと思われていましたが、父にも青春があったって事かな。分かったよ。
こんばんは!
正直言って相手がいくら嫌いだとしても人の死を喜べる人間が同じ日本に住んでいることに少し恐怖心が湧く。
天国ではなくて極楽とおっしゃっていただきたいです。
通夜の火については今ではあんまりうるさくなくなりましたね。祖父の時は私を含め寝ずの人もいましたが、祖母の時はもうみんな眠りました。私は不思議な体験はありませんでした。じいちゃんが死に目に会いたかったのに行かないから、もう😠🔥誰にも悲しんでくれない故人なんと辛い話しですね、かわいそうです😭🙏折り鶴の件は下駄さんに質問しましょう。
子ども🧒も聞いているのでバカなんていわないでくださいね‼︎
「お通夜のざぶとん」岸本パス様、早瀬王子、奥様社長、ネギ坊主様?、初めてコメントさせて頂きます。いつも興味深いお話ありがとうございます。私はウツ診断にて自宅療養中ですが、日々の一番の楽しみにさせて頂いております。二十数年前、20代の時の話ですが、私の奥さんの祖母のお葬式のときのことです。おばあさんが亡くなった時、私は会社の慰安旅行2日目で札幌におりました。訃報を奥さんからもらい、すぐに飛行機で四国に帰りました(不謹慎ですが当日チケットは凄く高かったのを覚えています)。お通夜やお葬式は自宅ではなく葬祭場で行われ、お通夜はみんなで葬祭場で泊まりました。その際、お棺のおかれた部屋とは別の部屋で家族で過ごしていましたが、何かの用事で私だけがお棺のある部屋に行きました。他の人はおらず私一人だったのですが、おばあさんのお棺を怖がるのも申し訳なく思い、ご遺体に挨拶しておこうと開いているお棺の小窓からそっと見ました。その時です、その部屋の隅に積んであった座布団がバサバサッと崩れ落ちました。ぎょっとしましたが、おばあさんはいつもキッチリとした身なりの方でしたので、孫の夫が興味本位で自分の遺体を覗いたと思って気分を害されたのか、とも思いました。でも、亡くなった方は神様のようになんでもお見通しだと当時の私は考えていたために、なぜ怒るのだろうと、不思議にも感じていました。しかし、都市ボーイズさんやハヤトモさんはじめ、皆さんが亡くなった方も生きている普通の人と同じですよ、と話されているのを聞き、やっと合点がいきました。あの時は、おばあさん、気分を害していたんだなと理解出来ました。52年間の中で唯一の不思議な体験ですが、あまり大したことのない乱文ですみません。皆様、これからもご自愛頂き、ますますご活躍されることをお祈り申し上げます。なお、別嬪の愛娘が来月から大学を一年間だけ休学し、フリーランスのカメラマンに挑戦しますので(あまり怖くない関西方面の)ロケ等でお写真のご用命がありましたらお申し付けくださいませ😀
特定の相手を想った折り鶴は意味がありますが、どこかに自己満足で送るものはただのゴミになります
葬儀で気を付けて頂きたい話です。
父の葬儀の時ですが、通夜の夕食時に姉がものすごく訝しげな顔をしていたんです。気になった母方の叔母が姉に聞いた所、「あの男の人、誰?親戚にいた?私、見たことないんだけど」。それを聞いた叔母も見たことがない男性に初めて気付き、周りの親戚全員に男性について聞き始めました。そうしたら、皆が知らないと答え、全員で男を疑いの目で見始めました。その後、男は周りの目に気付いたのか、いつの間にか消えていました。後で葬儀会社に聞いた所、よくある事だそうです。香典泥棒の可能性もありますが、忙しい葬式の最中に紛れ込んでタダ飯を食おうとする悪い輩がいるとの事です。皆さんも気を付けて下さいね。私は葬儀後に初めて知らされました。情けない……
後、本当に恐い話です。保険に入っている年老いたご両親や祖父母をお持ちの方は気を付けた方がいい話です。死亡保険ってありますよね。亡くなった故人の遺族へ支払われるものですが。それまで、元気だった故人の時は全うな契約でしたが、年老いて身体を悪くしたりしたら家族や身内が知らない内に契約内容が変更されていることがあります。保険会社の方から故人により良いプランとか言って、契約内容の変更を持ちかけたりします。また、新しい保険会社への変更を持ちかけるんです。今まで信用していた保険会社だから契約内容をよく見ずに素直に応じる方が多いみたいです。これって、実に遺族への死亡保険の受け取りがないものが多いんです。私の父の時がそうでした。私の母は父から聞いていたので保険がおりると思っていたのでしが、保険会社から保険先の変更に伴い死亡保険はおりませんと言われました。保険の契約内容は、しっかり見てください。変更時は特に!
いつも楽しく拝聴させていただいてます。
私は葬式ではないのですが、
以前介護の仕事をしていたのですが
ちょっと不思議な経験をしたのでメッセージを送りました。
職場の介護施設である入居者さんが夜中に亡くなり、私は翌日出勤したとき
その方のご遺体を寝かせている部屋に行き
最後の挨拶をご本人様にしていると
泣いている私には亡くなってたその方の声で
「先生、いつも声掛けてくれてありがとうね。
お喋りするの楽しかったよ」
と聞こえました。
その入居者さんはあまり笑ったりなどしない人で、いつも声をかけたりレクリエーションに誘ったりしていた私に
本人さんは感謝の言葉を伝えてくれたのかな?と思ってます。
ちょっと長くなりましたが、
読んでくださりありがとうございます。
これからも応援してます。
お葬式の話しで思い出しましたが父が亡くなり3ヶ月ほどあと母も亡くなりました。
仲のいい夫婦だったのですぐに出会えるといいねと話しながら告別式を終え家族と帰る最中天気が良かったのに急に大雨に見舞われました。
雨はすぐにやみましたが空には大きな虹がかかっておりました。
父親が母親を迎えに来たのだなと安心した気持ちになったのを思い出しました。
怖い話でなくてごめんなさい。
興味深いお話ばかりでした。
しかし皆さん体験自体もさることながら、文章までお上手なのが凄いですね。
都市ボーイズのおふたり、はじめまして。いつも楽しく拝見しております。
この回を見て思い出したので初投稿致します。
私が高校生の頃、同居していた祖父が、数年間の肺がんとの闘病の末に亡くなりました。
初めての身近な人の死で、家族も覚悟していたとは言え悲しみは深く、それでも何とか祖父を荼毘に付してみんなで帰宅した時のことです。
自宅の祭壇に祖父のお骨と遺影を置いて、しばらくして戻ってみると、祖父のことが大好きだった愛犬が、祭壇の前に寝転んでいました。
それもただ寝転んでいるのではなく、まるで見えない誰かに撫でられているかのようにお腹を上にしてじっとしていて、家族が声をかけても動きませんでした。
もしかしてじいちゃんが撫でているのかな、と話しながらみんなで祭壇の前で記念写真を撮り、その日はそれで終わったのですが、現像されて戻ってきた写真を見てびっくり。写真一面に、シャボン玉のようなオーブが写っていました。
祖父も愛犬のことを可愛がっていて、祖父が入院中は祖父のパジャマと一緒に寝ていた犬だったので、きっと祖父が撫でに来たのだろうなあと思っています。
数年前にその犬も亡くなってしまいましたが、今は祖父と一緒に天国でのんびり散歩でもしていると良いなと思います。
怖い話ではなく恐縮ですが、投稿させていただきます。
誰も悲しまないお葬式、認知症高齢者を持つ家庭の今時な話題ですね。よくある話です。
身内だからこその大変な思いがあります。早く逝って欲しい思いを私は否定できません。
そう思ってしまう人たちを悪く思わないで欲しい。本当に苦労されたと思います。
不謹慎だとは思いません。
先程の続きです。
春の雪さんの投稿に同意です。私はグループホームでパート勤めしていますが、手のかかる入居者や、口の悪い(性格が最悪)入居者の家族はなかなか来ません。
こんな事言いたくないし、言ってはダメだとわかっていますが、『退去してくれ』とか『早く○んでしまえ』って思う人ほど元気で病気知らずですよ。
勤めてから数名が体調崩して入院し亡くなったけれど、なぜか『かわいそう』とは思えず『やっといなくなったか』って思ってしまいました。
今もホームには我が子を探して他者の居室ドアをノックもせず勢いよく開閉して覗き見たり、『うちの子供どこにいるの?』とスタッフに声をかけまくってる婆さんがいます。その我が子が会いに来ても誰だかわからないのに・・・。
自分の葬式で「やっと死んでくれた」とか言われないように生きたい。
そう言われる様な事やってるんですか?
エピソード紹介していただき、ありがとうございます❗️
他にも不思議な体験がありますので、また投稿させていただきます。
最後の折り鶴のお話を聴いて、人が人を思う思いというものはすごいなと思いました。良いお話ですね☺️
「誰も行かないなら、僕ら行きますよ。安心してください」
普段の言動みてるとクソサイコパスやんけと思う時もあるんだけど(時々ね)早瀬さんのこういうところが信用できるんだよなぁと思うし好き
そんな早瀬さんにすごい愛されてる岸本さんもきっと良い人
私がもし亡くなったらお二人に身内代わりに手続きして見守って欲しいですねぇ〜😅
自分の身内にも(まだ生きてるけど)もし亡くなったら皆から(姉妹からも子供たちからも)「良かった!ようやく逝ってくれた」と言われるような人がいる。
そういう人ってなかなか死なない。
身内が死んで泣いたことはないけど、飼ってた犬が死んだときはひと目も憚らず思いっきり泣きました。
しばらく立ち直れなかったなぁ😥
亡くなった方を迎えに来たご先祖様と出会った事があります。
十五歳の頃に大好きな祖父は亡くなりました。
祖父が心配するから余り泣いては駄目…と思いながらも私の涙腺は三日間止まりませんでした。
其れ位厳しくも優しい…私達孫娘や孫息子を大切に育ててくれた祖父でした。
なので…やはり辛くて痛かった。
最期を看取り、手が冷たくなる瞬間も死後硬直も知りました。
…命の重さと死の残酷さと理不尽さ…生死の重さを祖父は自ら最後に教育してくれたのでしょう。
…本当に大切に可愛がってくれた祖父何だと感じながら流す涙は止まらず祖父が安置されている部屋の前にある廊下の隅で蹲り泣いていました。
その時でした。
私の横に腰を降ろすと優しく頭を撫でる人物が現れました。
「大丈夫?そっか…まだ小さな体の15歳の女の子には辛かったね。全く…バカ息子め…。酒はアレ程控えろと。栞のお祖父ちゃんは幸せ者だね。ま…孫達を大切にしていただけ上等だな。お祖母ちゃん達の様な美しくて素敵な女性になりたければ今の気持ちを忘れないでいなさい。栞がお祖父ちゃんの最期を看取って死後硬直を見た時に感じた気持ちは人間が学ばないといけない大切な事何だよ。」…と語る白に近いグレーのズボンの主は直感的に四十代位の男性でした。
「アレ?おかしい。白いズボン何か誰も履いてないよ!」…と頭を上げた瞬間に飛び込んだのは泣きべそ顔に呆れながらも優しい笑顔の祖母と伯父夫婦でした。
頭を撫でた人物の話を語ると馬鹿にするでもなく信じてくれました…。
先程の男性は恐らく幼き日に祖父の実家の仏間に飾られた遺影の中にいた人物の1人である曽祖父だろうとの事でした。
「人が亡くなると先に亡くなったご先祖様が迎えに来るんだよ。」…と祖母が教えてくれました。
今思えば祖父自身も幼き日に死別した曽祖父に曾孫の中で唯一頭を撫でられたのは私だけでした。
それに…生まれ付き肉体を失ったご先祖様方が生きている人間と変らない姿で視えている子供は私だけでした。
「曾孫が余り泣くから心配したのかもね。」
「あんまり泣くと可愛らしい顔が台無しだぞ」
「ほれ、泣き虫娘はこれでも食って笑え!ご先祖様を心配させちゃ駄目だぞ!」
その場にいた身内達に身柄を捕獲され食べ物責された私を曽祖父は後ろから見ていた。
祖父の葬儀中の三日間は不思議な体験が色々でしたね。
子どもの頃、祖父が病院でなくなりました。病に苦しんだというよりはかなり老衰に近い状態で、90歳超えていたこともあり、周りの大人達は悲しさよりも大往生だったね、おじいちゃん頑張ったね、と涙を流しながらも暖かい雰囲気に包まれていました。
その後母がお通夜とお葬式の準備のため、遺体とともに祖父の家に向かいました。到着したときはもう真夜中。祖父の住んでいた田舎の小さな集落は街灯も少なく真っ暗で、もう寝ているのか周囲の家からもれる明かりもありませんでした。近所の親戚にすぐに訃報を伝えるべきかと悩んだ母でしたが、起こしてしまっては悪いと思い、ひとまず家の中へ入りました。
さっそく準備に取り掛かろうとしたとき、隣のお婆さんが訪ねてきました。お婆さんは寝間着姿で今布団から飛び起きましたって感じで、開口一番「亡くなったの?!」と泣きながら棺の前に座り込んだそうです。お婆さんは「この人はとてもいい人だった、どうしていってしまったんだ」とひどく死を悼んでおり、その様子に母は「おじいちゃんいい人生を送ったんだなぁ、こんなに悲しんでくれる人がいるなんて」ともらい泣きをしそうになりました。
しばらくして少し落ち着いたお婆さんが最後にお別れさせてと棺の小窓を開いて一言、「あ、なんだじいさんか」。。。。
同時期に祖母も入院していたため、お隣のお婆さんは仲良しの祖母が亡くなったと勘違いしていたようでした。祖母ではなかったことがわかると、お婆さんは速攻で帰っていきました。母の涙もスッと引きました。
毎日配信ありがとうございます。
私の父と兄がそれぞれ病気で闘病中に私と子供達で1000羽鶴を作りました。二人とも願いが叶わず亡くなってしまいまいた。二人とも火葬の際1000羽鶴を一緒に入れたのですが、父の時も兄の時も半分ほどの鶴達が綺麗にその形のまま灰になっていました。お話を聞いてそのことを思い出しました。
私の父が亡くなった時は右側を下にして眠っていたのに右耳に父の時計の音がしました。かなり大きな音だったのでビックリして飛び起きたのを思い出します。霊的な音は脳内に響くのですね
霊的なのかどうか、分からないんですけど脳内に響く音や声って私もありますよー。
身内が亡くなったショックの中泣きながらゲームする少年二人に笑ってしまいました。
子供はそのくらいでいいと思います。
誰も悲しまなくなるくらいに家族は苦労してきたんでしょうね
ボケる前からなのかボケてる期間が長すぎて疲れ果てたのか・・・
誰も悲しまない葬儀の話を聞いて、葬儀は故人が何を残したのかが良くも悪くもはっきりするイベントだと思いました。不謹慎とか怖いとかは思わなくて、ただただそれがその人が生きた結果だったのかなと
「やっと〇んでくれた」の故人は家族にそう思わせる生き方をしてきたんでしょうね。うちにもいました。
外面はめちゃくちゃいいけど家族にはモンスターだった人が。
20歳、23歳の時に母方の祖父、父方の祖母が亡くなり、それぞれ2日〜3日間は遺体のある部屋で寝泊まりしていましたが、特になにも起きませんでした…
ただどちらの火葬とも、火葬前の最後拝むときに右側の蝋燭だけが風もないのに激しく揺れていたのが印象的でした。片方の蝋燭が揺れているとかは経験された方多いのではないでしょうか?
私の祖母が亡くなった時も通夜の晩は蠟燭と線香を絶やしてはならないと交代で寝ずの番をしていましたよ。そういうのを見ていたので最近亡くなった親戚の通夜に行ったときに
誰か起きてないといけないと心配していると親戚の叔父さんから「今はそういうのは無いよ。逆に、危ないので蝋燭の火は必ず消してから寝てくださいと会館のスタッフさんに言われた」
と聞かされて、今はそんなもんなのかあと少し寂しく思いました。
私は小学生の頃、学校生活が上手くいかず、友達も一人もいなくて毎日憂鬱でした。
死ねば全てから解放されるのかな、とぼんやり思っていたある日、家族に「もし私が死んだらどうする?」と尋ねてみました。
心のどこかで、「そんな悲しいこと言わないで」とでも言ってもらいたかったのだと思います。
友達がいなくても、家族だけは私のことを大切に思い、必要としてくれていると思いたかったのです。
けれど、返って来た言葉は「はあ?死にたきゃ仕方ないんじゃない?」とか、「あんたみたいな呑気な子でも悩みなんかあんの?ww」でした。
その時、もし、幽霊というものが本当にいたらと思うととても恐ろしくなりました。
もし、私が霊体となり、誰も悲しまない自分のお葬式を自ら目の当たりにすることになってしまえば、もうそれ以上死に逃げることも出来ず、耐えられないと思ったからです。
そうして私は自ら命を絶つということを思いとどまり、今も生きています。
折り紙の話ですが、私の父の時も同じように折り鶴の形のまま小さくなって残ってました。同じような事があるんですね。
寝ずの番のお話し、興味深いですね。あの鈴の音と言うのが、共通なのか、我が家でもお盆に仏壇に線香を点け忘れると鈴(りん)が鳴り、場所は確かに当家の仏壇辺りなのですが、音の高さが違うので、『お隣さんの仏壇の音が聴こえて来ているのか?』と思って、聞いたところ、お隣は大きな家で、「ウチの仏壇はそちらの位置には無いですけどね。」と言われました。
それ以降、あの高い鈴がなる度、「はーい、ただいまっ!」と仏壇の前に走る様になりました。ただ本当に鈴の高さが違うのが、何故だろう?と訝ってましたが、今回のお話しを拝聴して納得です。
葬儀関係の怖い話を聞くけど、
私は昔怖がりだったのに結婚前に湯灌の仕事をしてからは逆に恐怖心が薄れたのか、滅多なことじゃ動じなくなってしまった💦
投稿を聞いてると湯灌をして麻痺してた感覚が正常に戻されて浄化されていく気がする。
父は呆気なく亡くなり、母は十年少しかけて認知が進み、孫達に嫌われて可哀想でした。色々整理していると皆の幸せを願い続けていたことがわかり涙が止まりませんでした。親って本当にありがたい存在で毎日感謝を伝えています。彼方の世界で逢えるまで待っててね。親不孝ばかりでごめんなさい。いつの日か
私も初めての金縛りの時は鈴の音がしていたので、悪い意味でないと聞いて今更ながら安心しました。
もう30年以上前の話ですが😅
誰も悲しまないお葬式はゾッとしますね…心の内はどうあれ取り繕いもしないものなのか😰
最後のお話は感動しました😭
投稿者様の想いはしっかりお母様に届いていたのですね✨
こういう不思議で心温まる話が大好きです❣️
今日も素敵なお話をありがとうございました😊
誰も悲しんでいないお葬式で
思い出したことがあります。
私がカクテルバーをしていた頃
常連のドクターが上機嫌で入ってきました。「今日おふくろの葬式でさ」と話し始め、途中で我慢できなくて2階に上がったと言うのです。悲しくて人に涙するのを見られたくないんだろうなと解釈しましたが「笑いが止まらなくてさこれでもう口うるさく言われなくてすむと思ったら嬉しくて嬉しくて」と…本当に嬉しそうに明日オペがあると言うのにどんどん飲んでいました。
人の命を助けてくれるドクターが
自分の母親の死をこんなにも喜んでいるとは。何かの折りにすぐ思い出してしまう出来事でした。
俺も父親とは仲がよろしくないからやっと死んでくれたは言いそう
正直言わなくとも涙も生前の語らいとかもしないかな
多分どうにもならないぐらい家族間壊れてるんだろうね3番目の話
お二人共に、ご家族がお亡くなりになった時に泣きながらゲームをされていたと言う子供時代があると聞き、可愛いなぁとほっこりしてしまいましたw
どこでも、お線香絶やさないのはありますね。
私の経験の地獄絵図の様な葬儀は、父方の祖父・祖母の時ですね。周りに人がいる時だけ大声で泣き叫び、失神したおばさん。凄い演技してましたね。後から聞いた話しで、相続財産はしっかり自分の物にしていて、兄弟姉妹がびっくりしていたとか。日頃からこのおばさんの事は分かっていましたが、こういう時には本性が出るとはこの事ですね。
毎回楽しい
編集がリッチな感じでスター感がありますぇ、カッコいい☆
おじいさんはそんなことで怒ったりしない気がする。
むしろケガをその程度に抑えてくれたのでは?
94歳のお婆さんも10代の美しい頃が
あったのだから94歳の形のまま天へ
上がったとは限らないのでは?
昔聞いた話しです 年寄りが亡くなると自分が一番良かった頃の姿に戻り 反対に子どもが亡くなると成人した姿になるそうです
はやせさんの「あざます〜」好きです♪
悲しすぎて心抉られた悲しいお葬式の話と、悲しい中にも心温まる折り鶴のお話。
違う意味で涙が出た2本でした。
にしても、今回は特にお話の順序構成が素晴らしかったですね。
うちの地域の葬儀は泣いたり悲しんだりの葬式じゃなく、生を全うされた人もそうでない人もこの世に未練残させないように明るく宴会して送り出す伝統なので、ところ変われば習慣の伝統と違うと思いますが、、、。なので違和感はないです。
寝ずの番(火の番)は風習ではなく浄土宗、浄土真宗の葬儀で行うものですよ
今までに何度もお見送りしていますが、出棺の際に入れた花がそのまま灰になったのを、一度だけ見たことがあります。
ご遺族と「きれいに残りましたね」と話した記憶があります。
やはり、水分の無い折り鶴の形が残るのは珍しいのだと思います。
1:58 ラップ音?
お通夜の時にろうそくと線香を絶やさないように親族が寝ずの番をするのはしきたり?決まり?だと聞いていましたが、岸本さんも早瀬さんもご存知ないってことは地域によって違うのでしょうか?
ゲームしながら泣いた話めっちゃ好き😂
鈴の話で思い出しましたが、友人が泊まりに来た時に夜中にドアの方からチリリンと鈴の音がハッキリと聞こえたことがありました。不思議と怖くはなくて、翌日友人の働いている介護職場で入居者の方が亡くなったと連絡が来ていました。たぶん鈴の音はお別れの挨拶に来たのかなと話していました。
いつもすごいお話有難うございます。毎回動画配信楽しみにしてます😊
自分の叔母も千羽鶴が叔母の遺灰の上だけ
形を残したまま灰になっていました。
私の経験した身内の死のお知らせは、仏壇に訪れます。
地震でもガタガタ音がしない位重い扉も閉じた仏壇が「ガタガタ!」と深夜急に音を立て、「何事?!」と飛び起きてそれから胸騒ぎがしていたら明け方母の死の知らせが来ました。ああ、知らせに来たんだなと納得しました。次に深夜に仏壇がガタッと音を出した時は今度は誰だ?と思ってたら朝に知らせがあったのは大好きだった叔父の死でした。何故に仏壇かはわからないし、私にも霊感があるとは思わないんですが、母のときも叔父のときも知らせが来たのは私のところだけでした。
葬式での不思議体験
① 母方の伯父が17才の時に亡くなり、通夜で耐えられないくらいに眠く、うっつら😪うっつら😪としてしまい両親と兄に怒られました。
しっかりと睡眠を取り翌日の葬儀中に、また耐えられないほどの睡魔に襲われました。従兄弟の中にも一人だけ眠くてと訴えており、葬儀後に両親と兄から説教が始まった頃に、住職に止められました。霊的な感受性が強い者の中には、身内の葬儀中に睡魔に襲われることも屡々あるとのことでした。
言われて見れば二人以外は、ゼロ感だったかと………😅
②大叔父(父方)の通夜の夜のこと、左脇に出来物が一夜にして出来ました。そして出来物が出来た身内は、大叔父の兄弟と嫁達に息子夫婦だけでした。葬儀が終わる頃には消えてました。親しい親族だけ限定で全く同じような物が同じ場所に出来るって普通であり得ないですよね。
他にも細かな現象は起きてますが、取り敢えずは、この2つですね。
今夜も楽しみです〜😄
最後の折り鶴の話ですが、私もいとこが病気で入院してる間に折った千羽鶴を折りました。
残念ながら一月もしないうちに亡くなり、棺に千羽鶴を入れてもらいました。
お骨上げの時びっくりしたのですが、千羽鶴は原型を留めたまま灰になっていました。
いとこの小学一年生の娘に、お母さんは鶴に乗ってお空に旅立ったんだよって、涙をこらえながら言ったのを覚えています。
すごい火力だと思うのですが、どうして残っていたのか不思議です。
私、祖母が亡くなっても絶対悲しめない
葬式行って最後の顔は拝んでやろうと思ってるけど、母は絶対行かないって言ってるしそもそも葬式開いてもらえるんかなってレベルのクソ人間。
いいお話しで終わってホッとしました。
内容に関係あるか分かりませんが、煙の話で思ったのが、お婆様の若い頃もしくはそのお婆様の守護霊であったのではないかな?と思ったのと同時に、人が亡くなるときに本人を守っていた守護霊や取り憑いていた魂などはどうなるのかな?と思いました
霊感があり、亡くなった本人の魂などが見えはするのですが、この話を聞いて、そういえば守護霊がどうなるのかは見たことないなと思いました
お二人はどう思われますか?
鈴の音はそうなんですね。
父親も若い頃鈴の音と共に女の霊を見たと言ってました。
枕元に立って鈴をリーンリーンと鳴らしていたらしいです。
それでも幽霊は信じていないとか(笑)
人は亡くなると自分が一番良かった歳になれるって聞いたことがありますよ。
私も違和感のある葬式というか、残念と家族によるいじめで自殺した、親族の経験があります。
妻からの言葉の暴力。息子からガラスの灰皿で殴られる。もっといろいろありましたが、自殺しました。
叔父でしたが、山中で練炭自殺し発見後、警察にもなかなか引き取りに行かず、2日以上たってから引き取ったようです。葬儀では息子は遺影写真を片手でブラブラ持ち、妻は葬儀中仏壇を買いに行くと言っていなくなり。
私には、自殺する気持ちが理解できるような、とても悲しく救えなかった命が、あの家族が今後幸せでないことを祈る、これもまた私の心の人怖です。
折り鶴が綺麗な形のまま灰になってる話…🥺うるっときました。
下駄さんに、こんなことがあるのか聞いてみたいですね。
お葬式で悲しまれない、誰も来ないとか考えると故人も死にきれないでしょうね🥲決して他人事ではない…私も早瀬さんに来てもらいたいです笑
ごきげんよう(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)っ🍵
昔、ある日の夜に、オカンから電話がかかってきて、おばあちんがいよいよヤバいと連絡が来たんやけど、どうしよう?との事。と、言われてもおばあちゃんは長崎県に住んでて、電車もなくどうしようもない状態でした。
「明日、新幹線で行くしかないやろ❓」と言うのですが「でもでも、、、」てな感じ。日頃嫌いと言いながらもやはり動揺するんかね?と相手をしていたのですが、当時、新幹線は博多駅までで、そこから長崎までだいぶかかるんや。と言い出したので、「じゃぁ、飛行機で行けば?」と言うと、乗った事ないし怖いとの事。ネットもない時代なので調べる事もままならず、あたしも気になりますが、子供もまだ小さいのでどうする事も出来ず、ただただオカンがグズグズ言うのを聞いてました。1時間ほど経っても切りそうになく、イライラして来て、「じゃぁ、今から車で行くかね?」と言ってしまいました💧オカンはこのセリフを待っていたようで、即答で「ほな、はよ行こう!」と言ってきました。うちのオカンはして欲しい事をハッキリ言わず、言うように持っていくと言うか、言うまで諦めんと言うか💧な人種でした。免許を取得したのが11月車が来たのが12月、連絡来たのが2月。免許取りたて、ナビもなく高速に乗った事すらありません。取り敢えず地図をコンビニで買って出発したのが22:30頃
超長旅。広島あたりで道が白くて何でやろ?と思ってましたが、普通に雪だったと後に知りました。大阪って雪に馴染みが無いんですよね(´▽`) '` '` '`
オカンは寝出すし山でラジオも入らんし、無の中をドライブ。トラックには囲まれたり、寂しすぎてバイカーと並走したり、とんでもない思いで到着。残念な事に、お通夜、葬儀、形見分けまでして帰りました。お通夜でも棺の横に張り付いてましたが、さすがに寝ろ!と言われ仮眠室へ。夢におばあちゃんが出てきたと伝えると、叔父が「何か喋ったか❓」と聞いてきたので、「いや、何も言わんと、ニッコリしてた。」と応えると「じゃぁ、ホンマに婆さんだ」と言って喜んでました。叔父いわく、何か言って来たり話ができると夢だと言ってました。
うちの父が入院してて、お見舞いに行ってて、帰宅した途端に弟から電話で、無くなったたと夜中に連絡が来ました。電車は無いのでタクシーで行きました。大分に住むおしい、おばあ、叔父か集まりだし、妹と叔父叔母達が、父の遺体を真ん中にし爆笑しながら話をしてるので、ショックでした。そんな光景を見て、こいつら狂ってると、頭おかしなったと思ってましたね。あたしは、病院の仮眠室で泣いてました。
同級生の元嫁の両親とも仲良くさせてもらっててた、お父さんが亡くなった時、通夜から参加させてもらいました。が、平気で寝れるんですね💧ロウソクと線香の見張りは任しとけ!とは言いましたが、マジで(๑°⌓°๑)任されました。ご親族は爆睡してはりました。翌日のお葬式では、ギャン泣きしてましたが、そこまで悲しいのに、
寝るのね?と不思議に思いましたね。( ๑≧ꇴ≦)ゞアデュー!!!!
ウチの祖母の火葬でも千羽鶴の金のヤツだけキレイに残ってたな。
それを火葬場スタッフがクチャとゴミかのように握り潰し、親戚も「金の色紙は燃えにくい成分が入ってるんやな」という現実的な一族。
自分も寝ずの番があることは12年前に97歳で亡くなった曾祖母の通夜の後初めて知りました。それまでにも身内の葬儀はありましたが、まだ小さかったのでそれを知ったのはそのときが初めてでした。
娘である祖母と孫である母親と成人したばかりのひ孫の僕で寝ずの番をやったことを思い出しました。
昔は自宅葬儀で、ご近所の手伝いとか色々あって、子供ながらに大変だなぁって思ったのを覚えています。
お線香の寝ずの番、叔母さんが「遺体が起きてきそうで怖い」と言うので、交代まで一緒に居たりして(^_^;
ヒトコワ葬式・・・本当にあるんですね。故人も複雑な心境でしょうに (=_=; 近くで見てる・・・かも
最後の折鶴で心が洗われました。ありがとうございました。
誰も悲しまない葬式って結構あると思います。
数年前に死んだ舅は人付き合いもなく家族にも嫌われていて、夫は早く死んでくれと思っていたと言っていました。
コロナ禍前なのに葬儀は夫と義姉の二人だけで行い、義姉は義母の眠る墓に一緒に入れたくないと困ってました。
父方の祖父が亡くなる前に、自転車に乗った祖父が母に挨拶に来たらしいです。何も話す事無く
笑顔で会釈していた祖父は生霊だったそうです。
きっと、母に感謝の気持ちを伝えたくて来たのだろうね。と母は言ってました。霊感が少しある母です。
私もお葬式のすごい話があるので聞いて頂きたいです!
12:07のとこで、深い深呼吸みたいな音?が入ってます。
決死のコサックダンス好きです✌️😂
人怖って一番怖い。
不謹慎ながら、私も母方の祖父に対し早く逝ってくれと仏壇に手を合わせていました。
理由は祖父のアル中&DVで、警察沙汰になったり、両親も祖母も辛い思いをしていたからです。ばぁちゃんこだった私は祖母を守りたい気持ちから祈ってしまいました。
死に目に立ち会い、ギャン泣きで後悔しました。
葬儀の時は何故か一滴だけ涙が出ただけでした。
その涙が丁度私が持っていた遺影の祖父の目に落ち、祖父が泣いているようでした。
アル中でいろんな病気になり、幼少期の辛い過去から祖父は解放されたんだなと思うようにしています。
いい話だなぁ
少しテーマとずれるかもしれませんが……
祖母の葬式を行う準備として、自宅にて祖母の遺体の死化粧等々の準備を親族全員で見守っていました。
祖母の長女にあたる叔母が誰よりも泣いていました。
叔母は私の斜め前におり、ハンカチで口元を抑えていましたが嗚咽が漏れ、肩を震わせていました。
そんな叔母の姿を見ていた私の頭に突然映像が飛び込んできました。
言い表すなら、脳内に直接、という感じです。
映像の中では一人の少女がおそらく海の底と思われる場所で声を上げて泣いていました。
私は何故かその少女が叔母であること、こちらの声が少女には届かないことを直感しました。
すぐ映像は消え、また元の光景に戻りました。
叔母は今、孤独の中悲しんでいるんだ、と思いそっと叔母の背中を撫でました。
そばには親族たちがいる、一緒に悲しむ人が居るんだと念じながら。
すると叔母がさらに激しく泣き始めました。
先程の映像の中の少女と同じく、声を上げて泣きました。
私が見たものを叔母には話しませんでしたので、あの映像が何だったのかはわかりません。
なんのオチもない話ですが私が体験した不思議な話でした。
死んでくれてよかったと言われたとかでは全然ないですが
私の母が数年前なくなったときに父は香典など目当てで葬儀をあげ、
そのため父の会社の人など母とは全くと言って良いほど面識がない人がほとんど
な人たちが集まりました。
だからだと思いますが、私の家族以外誰も母の話すらしない、
全然関係のない話で笑っていたり世間話に花を咲かせている。
そんな状態のなか一人娘の私だけが泣いている状態で
当時まだ小さすぎて状況の良くわかっていない子供たちの面倒でかなりきつかったのですが、誰一人私に声をかけてくるような人もおらず、話しかけてくるとしたら
〇〇の業務をやってほしいなど、この辛い状況の中、さらに追い打ちをかけるようなことを言ってくるだけでした。
私自身の葬儀のときには私の葬儀に出たい、私が死んで悲しいと思ってくれる人しか呼ばなくて良いと家族に今から言っていますが、風習や考え方で明るく送り出すなどは良いと思うし別の思想があるのでそれはそれと思いますが、
悲しいと思わない人ばかりの葬儀なら葬儀をする意味が解りませんでした。
16:52 はやせさん、あくびしてるやん笑
人の死って深いなぁ。。。
パンくんのこと、短パンチンパンジーって呼ばないでw
誰も悲しまないお葬式になりそうな奴は結構いるな…って思ってしまった私は心がきたないんだろうか!
自分の父親はまだ健在ですが、、
・とにかくケチ。社員の給料上げず、自分の給料だけ上げる
・気分のムラが激しく、すぐに大声で威圧する
・車屋さんのブラックリストに入っている
・上にはヘコヘコ下には暴言の嵐
・自分の思い通りにならないと気が済まない
・娘の結婚式場を安いという理由だけでそこに決めさせようとする
・泥棒が入ったかもしれない!そう言って母に様子を見にいかせるクズ野郎
・ちかんにあった自分に「お前が悪い」と言い放つクソ野郎
まだまだありますが、こんな生き方している人間の葬儀、どんなものになるでしょうね♪
折り鶴の件ですが、私の母親が他界したとき火葬場の職員さんが言ってました。灰になっても形が崩れない特殊な加工紙で折られた鶴を納棺時にいれる葬儀社があるらしいです。母親の場合も綺麗に残っていました。これは私のケースでの話ですが。
3番目の話ですけど、私もありました。母方の姉、叔母の夫が亡くなったときが、マジでこんな葬式でした。親戚の中では、接点のある叔父ではありましたが、会うたびにイヤなこと言う人でハッキリ嫌いでした。私はともかく、
叔父夫婦には子供4人いて、その嫁、婿、孫、しまいには、妻である叔母までも誰一人と泣いていませんでした。傍から見たら異様な光景だったと思います。親戚だけの少人数の葬儀だからこそ、味わった悲しい?葬儀でした。後から母にその事伝えたら、そりゃ泣く人なんて、いない。って言われました。
14:58~
これはある意味正常ですよ。
特に、個人がとても高齢であり、自然死であればなおさらです。
故人が人生をやり遂げたことによりなにも悔いが無い状態ですね。
ですのでこれはある意味大変めでたい事ですね。
かつ、誰も悲しまないのは余計にめでたいですね。
なぜなら故人がほぼ間違いなく高い所に行けたからですね。
低い所に行けば誰でも悲しみますし、鬼は怖いので怖がります(特にお子様)
神のように成られますと、温かく明るいですので悲しむことも少なくなりますね。(子供もまず泣きません)
特に子供は感情的に敏感ですからね。
たとえ生前好かれていない人間でも葬式の時ぐらいはきちんとするべきだと思う。祟られる可能性がある。
母の骨あげの時、葬儀会館の職員さんが、折り紙を用意してくださり、宜しかったら、折り鶴を棺に入れてあげてくださいと言われ皆で50羽折って、花びらの上に兄嫁が羽を広げてのせてくれました。そして施設に入ってまして千羽鶴を飾ってたのも一緒に入れました。折り鶴が7、8羽と千羽鶴の一部が灰色になって崩れずに残ってました。4年半過ぎましたが何故残ったのか、誰か経験された人はいないのかなとずっと思っていたので同じ経験された人がいると知って投稿しました。
20年以上前の夏に祖母が他界した日の話ですが、その夜遺体が家に運ばれ親戚は一階で集まり話をしていました。
私は眠れなかったので2階で暗い部屋の中ぼーとしていると、急に右腕を誰かに掴まれたかの様な人肌の温もりを感じビックリして「うわっ」となってしまいました。
そしてしばらくしてから寝ていると
その当時自分の部屋に冷房がなかったので父母と同じ部屋で寝ていました。
すると人生初めての金縛りにあい目を開けると白い煙の様なもやもやした顔があり、私に何か言いたそうに口をパクパクさせていました。
怖くて思い切り体に力を入れて咄嗟に「お母さん…」とか細い声を振り絞りました。
すると母が寝ぼけながら「なーにー?」と返事をするとその顔はもう消えていました。
妹もあまり詳しくは話さないのですが家で祖母の霊を見たり声を聞いたことがあると言っていました。
あと話は変わりますが従兄妹の親父さんが亡くなった日に家のコンクリートに埋め込まれた大理石の表札が落ちて割れていたこともありました。
長くなりましたがこの様な体験をしました。
いつも拝見しております。
いろいろ不思議な体験があるのですが、今回のお題に合いそうな話がありましたのでコメントさせていただきます。
父方の祖母が亡くなった時の話
母と祖母は嫁姑関係が悪く、娘の私も17年ほど会っていませんでした。
私も大人になり、祖母だけが悪いのではなく、母も悪いところがあったんじゃないかとか、お裁縫得意だったから学んでおけば良かったんじゃないかと思うようになりました。
そんなある日、父から祖母入院した事を聞きました。今さら顔を出せるわけもなく、御見舞いに行きたいけど、、、気持ちだけでも送ってみようなんて思っていました。
数日後の仕事終わり、駐車場に停めておいた自分の車だけびしょ濡れでした。
祖母が亡くなったのかもしれないと思い、帰宅するとその通りでした。
お通夜に行くと、親戚の叔父が「○○ちゃん(私)、よく来てくれた。お祖母さんが亡くなる前に、○○ちゃんが御見舞いに来てくれたよって言ってたんだよ」と言っていました。思いは伝わるんだなと思いました。
怖い話でなくて恐縮です。
長文失礼しました。
母の祖父母の葬式その後の1周忌3~といつもカナブンが式場(家)に、います
その他日は、まったく見ない不思議です。
あと
よく最高の日は最悪の日
プラマイゼロ言われてるので注意してたのですが
私の誕生日に父親は、道で事故にあい
頭と身体を打って、帰ってきたですが
容態が自分の結婚式の日に悪くなり
会社の退職パーティーの日に亡くなり
49日は、私の弟が生まれて区役所に届けを父親と行った日で、私の古い日時の記憶がある日で
本来は、楽しい記憶のはずが、昔から暗い気持ちになっていました
(ほかにも、いろいろ
あるのですが、このへんで)
5:16に唸り声が聞こえる
早瀬さんの唸り声w
あれ?毎日6時間都市ボーイズなのに、最近編集者さん加わったことなんて仰ってるのありましたっけ?でも編集がはやせさんとちがうきがします、、、。素敵ですね☆
入ると鈴が鳴ったり、煙りって、天国は昔の喫茶店みたいですね。どうせなら楽しいといいな。地獄はごめんです。
誰も望まないお葬式⁉️怖い❗️今夜も↑
早瀬さん、お疲れのご様子…
体調を崩さぬ様
頑張って下さい^_^❣️
応援してます✨✨
ひいおばあが亡くなったとき、爺ちゃんがロウソク一晩中見てて、何してるんだろって思ったけどそんな意味があるんですね。5歳くらいだったんで意味を知らなかった😅私も覚えておかなければ。
自分も19の時に幼馴染みが亡くなりお葬式に行く事になったけどその前の日に友人とお笑いライブに行く予定があり行った。ネタは面白く笑っていたけど、どこかで楽しめなかった。お葬式では号泣していた。
今晩わん!岸本さん眼鏡の色変わったかな?似合ってるぅ 私も岸本さんと同じ事を考えました チリン
早瀬さんと岸本さん同類(笑)
父の葬式の時、若い頃の日記を棺桶に入れました。彼女ズの話なんかが書いてあったようですが、母が「読まない、知らん」と言って。
長らく病んだ75歳の父のお骨はボロボロでしたが、顔の近くに置いた日記はパラパラ開いていましたかがしっかり焼け残っていて凄い不思議でした。
仕事人間だと思われていましたが、父にも青春があったって事かな。分かったよ。
こんばんは!
正直言って相手がいくら嫌いだとしても人の死を喜べる人間が同じ日本に住んでいることに少し恐怖心が湧く。
天国ではなくて極楽とおっしゃっていただきたいです。
通夜の火については今ではあんまりうるさくなくなりましたね。祖父の時は私を含め寝ずの人もいましたが、祖母の時はもうみんな眠りました。私は不思議な体験はありませんでした。じいちゃんが死に目に会いたかったのに行かないから、もう😠🔥誰にも悲しんでくれない故人なんと辛い話しですね、かわいそうです😭🙏折り鶴の件は下駄さんに質問しましょう。
子ども🧒も聞いているのでバカなんていわないでくださいね‼︎
「お通夜のざぶとん」
岸本パス様、早瀬王子、奥様社長、ネギ坊主様?、初めてコメントさせて頂きます。
いつも興味深いお話ありがとうございます。
私はウツ診断にて自宅療養中ですが、日々の一番の楽しみにさせて頂いております。
二十数年前、20代の時の話ですが、私の奥さんの祖母のお葬式のときのことです。
おばあさんが亡くなった時、私は会社の慰安旅行2日目で札幌におりました。
訃報を奥さんからもらい、すぐに飛行機で四国に帰りました
(不謹慎ですが当日チケットは凄く高かったのを覚えています)。
お通夜やお葬式は自宅ではなく葬祭場で行われ、お通夜はみんなで葬祭場で泊まりました。
その際、お棺のおかれた部屋とは別の部屋で家族で過ごしていましたが、
何かの用事で私だけがお棺のある部屋に行きました。
他の人はおらず私一人だったのですが、おばあさんのお棺を怖がるのも申し訳なく思い、
ご遺体に挨拶しておこうと開いているお棺の小窓からそっと見ました。
その時です、その部屋の隅に積んであった座布団がバサバサッと崩れ落ちました。
ぎょっとしましたが、おばあさんはいつもキッチリとした身なりの方でしたので、
孫の夫が興味本位で自分の遺体を覗いたと思って気分を害されたのか、とも思いました。
でも、亡くなった方は神様のようになんでもお見通しだと当時の私は考えていたために、
なぜ怒るのだろうと、不思議にも感じていました。
しかし、都市ボーイズさんやハヤトモさんはじめ、皆さんが
亡くなった方も生きている普通の人と同じですよ、と話されているのを聞き、やっと合点がいきました。
あの時は、おばあさん、気分を害していたんだなと理解出来ました。
52年間の中で唯一の不思議な体験ですが、あまり大したことのない乱文ですみません。
皆様、これからもご自愛頂き、ますますご活躍されることをお祈り申し上げます。
なお、別嬪の愛娘が来月から大学を一年間だけ休学し、フリーランスのカメラマンに挑戦しますので
(あまり怖くない関西方面の)ロケ等でお写真のご用命がありましたらお申し付けくださいませ😀
特定の相手を想った折り鶴は意味がありますが、どこかに自己満足で送るものはただのゴミになります