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元地元民です。この遭難事故については石碑の存在は知っていましたが、詳細は今回初めて知りました。文中に出てくる「提督」さんは仕事上での知人で、彼がよく松川入に行っていたのを覚えています。松川入集落についてもよく調べてあり、感心しました。力作です。
優しい地元の皆さん、有難うございます。未来ある高校生が亡くなってしまったことは悲しいですが、伝えていくことは大切ですね。
地元民です。このような事故があったこと、知りませんでした。1968年生まれの主婦です。天竜川で遊び、山里で駆け回り育った私ですが、誰からもこのような悲しい事故があったことを聞かされたことはありませんでした。取り上げてくださりありがとうございました。
うちも祖父が飯田出身です。コメ主さんの親世代ぐらいにあたります。飯田の文化・風習についてはたくさん話してくれましたが、この事故に関しては初耳でした。飯田に行く際には高確率で天竜川や山間にも寄るので心に留めておこうと思います。
慰霊碑を見つけると亡くなった人に胸が傷みますが、訪れる人々の安全を願い続けていると信じたいです。😢
事故が起きるまでの背景を語る前日談や事故そのもののルート考察や経緯だけではなく後日談の話にも今回はいつも以上に尺を割いて掘り下げており同時にこのチャンネルが何故この事故を取り上げようと思ったのかという理由にも繋がっていて構成の組み立て方がとても上手い動画だと感じた
提督のご尽力、素晴らしいです。この遭難事故は今まで知りませんでした。事故のみならず、歴史背景まで調べて下さったチャンネル主さんに感謝いたします。
亡くなった皆さんが全員仏教とは限りませんが、一般的に日本では仏教の33回忌もしくは50回忌で亡くなった方の供養に区切りをつけます。おそらく、元消防分団分隊長さんも「33回忌までは」と考えて整備を思い立たれたのではないかな、と思います。そのあと50年後まで供養が続けられたというのは、亡くなった方の親御さんもほぼ鬼籍に入られているであろうことを考えると、ずいぶん丁寧に弔われていて、亡くなった7人も忘れられたとは思わないでしょう。そして動画主さんが、こうやって語り伝えてくだされば、これからも天候を考えて行動することの大切さを知らせる教訓として、決して無駄にはならないはずです。若くして亡くなった7人の方が安らげますように。
ここのアップ主様は一方的に非難したりしないでいやな思いしないから聞いてて安心できます。息子さんを探していたお父さんは息子さんを見つけられたんだろうか。
普通、15mもの高台にある小屋だったら、安全な避難場所と思うでしょうし…誰が悪い、というより、ただただ自然の猛威の前には人の力でどうにも出来ないという事だと思うしかありませんね。この動画を事故を風化させないための貴重な啓発資料として残していって頂きたいですね。
昔、もう15年以上前だと思うけど東北で地震による山崩れだか豪雨の土砂崩れだかで川の岸にある高台の旅館が流され結構な人数が犠牲になった出来事がありました。(犠牲者にちょっと前に鉄道関係のタモリ倶楽部に出演されていた方がいて記憶に残っている)ここも高台ではあったんだけど川幅が狭いので流入量が捌き切れず溢れ出して流されたはずですので高台だからと安心は出来ないですね
@@suzukinkun なるほど。確かに狭いゴルジュでの増水と川幅のある川での増水スピードは全く違う。
@@suzukinkun 岩手・宮城内陸地震で土石流にあった宮城県の駒の湯温泉かと思います。航空写真を見て、広範囲の山々に巨大な地滑りが起きていて恐ろしかったです。
霊夢も言ってるけど周りの木を伐採したせいで保水力が落ちて度々水害が重なった。自然じゃなくて人間の自然破壊の犠牲だな
15mって言ったら6階建てビルくらいの高さ。まぁ安牌だと思うよね。自然のやばさよ
やるせない…まだ前途ある高校生、先生方、天竜川の鉄砲水で流された男性も…慰霊碑が作られ、鎮魂の機会が持たれたことはせめてもの救いですが…うぅ。工高の方々と最後に会い会話をされたきめえ丸さんも辛かったでしょうね。地元でも風化しつつあるこの事故。少ない資料を繋ぎ合わせ時間をかけて作って見せて下さった主さんに感謝します。
この主のゆっくりチャンネルは秀逸だな。編集も構成も最後のまとめも、編集人の優秀さが伺える。
最近はこれまでになかったような大雨が多いですし、こうしてあまり知られていない事故を教訓として取り上げられるのは素晴らしいと思いました。いつもありがとうございます
涙出る😢動画作成ありがとうございます
埋もれた慰霊碑を整備し直したなんてかなりの手間だったはず。またこうして50年以上経ってRUclipsの解説動画に取り上げられる事は時代の不思議であるとも言える。この悲惨な遭難事故の他にも、かつて有った松川入集落の記憶とともに意義のある動画だった。
いつまでも覚えているのは難しいのかもしれない…でも、この事故を知った人達が安全意識を心掛けるだけでも報われると思う。
どれだけ気を付けても、その場に応じた正しい判断が出来ていても、運良く助けてくれる人がいても、こういう風にどうしようも無い事故が起きるのはどうにもならないな……
自然は常に人間の想像を超えてくる、どうしようもないケースはかなり多い
山は自然の領分だもんな
忘れないこと。それがいちばんの供養かもしれませんね。地元の人もあまりよく知らないらしいこの事故、詳細に取り上げてくださってありがとうございました。亡くなった方々が今は安らかでありますように…😢
ただただ、泣けてくる。工高の7人の不運にも、元分団長の思いやりにも。
今日、また1人この事故を記憶した。
高台の小屋まで流されるなんて大雨の恐ろしさを改めて知った。線状降水帯という言葉もあるわけだしもう2度と犠牲がおきないよう大雨警報が起きたら登山停止にするよう呼びかけなければならないですね
そんなことがあったのだ…と聞いていたけど、7人が座れる椅子の話の時に涙がとまりませんでした。どうか安らかに。そして、椅子でお休みください🛐
昨年、木曽福島駅から木曽駒ケ岳、空木岳、安平路山、大平宿、飯田駅というルートで全て歩きました。以前は西俣川に沿ったルートがあったようですね。そっちがメインルートだったのでしょうか。現在は廃道のようですね。よって、登山者もいなく、それが慰霊碑が維持管理されていなかった一因でしょうか。いずれにせよ、ご冥福をお祈りします。素晴らしい動画をありがとうございます。
御影工業高校自体が統合で無くなったので、高校の地元民としましては、懐かしさと、そんな不幸があったことに驚きました。
事故が起きたことを、継続して風化させないための努力は、相当な労力が必要なのだろうと思いました。鉄砲水の怖さをとても良く理解できて、今後の悪天候時の川周辺での行動の参考になります。天気予報をきちんと活用して、無理のない登山をしていきたいと改めて思いました。
この頃よく視聴させていただいておりますが、行程など本当にわかりやすく、遭難された方への配慮もあり、感心して見させていただいております。他の方のコメントどおり、本当に力作だと思います。この事故を教えていただいて、感謝します。
いい動画でした
事故当時、御影工業高校の向かいにある御影中学の生徒でした。今でも事故のことは、おぼろ気ながら覚えております。慰霊碑のエピソードは知りませんでした。伝えていただき、ありがとうございました。
その後、御影工業高校も廃校になって今は確か大きな商業施設になっていますね。。時の流れを感じます。。
自然は人間の想像を軽々と超えてくるっていうのを胸に刻んで生きていかないと、と思いました。いつも丁寧に作ってくださりありがとうございます。
今も規格外の大雨が増えているので不安定な天候のシーズンはその日の朝は晴れていても十分に注意して登山をやめるべきときはやめるべきでしょう。特に川沿いはさっきまでおだやかな流れであっても上流で大雨が降ると急に増水したりもします。
規格外の大雨が増えているかどうかは恣意的なデータの取り方でいくらでも論じることが可能なので大いに疑問ですが、水位の大幅な変動については注意しすぎるということはないですね。ただ、どうしても夏休みなどの長期休暇を利用する関係上、このような天候とバッティングすることは避けづらいようにも思います。
未だに遺体が見つかってないのか・・・改めて自然の驚異を思い知りますね。ご遺族がこれを見たらどんな思いをするだろうって、見てないからそんな状態になってるのに優しすぎますね提督。
ここチームの様にどんなに気をつけていても、災害に見舞われる時はそうなる…本当に登山をされる方は、精一杯の準備をして登ってください。
いつも有難うございます!
悲しい事件です、慰霊碑を保護してくださった方に(他人の私ですら)心より感謝です。7名の方にも保護して下さった方にも冥福をお祈り致します。トラックごと落ちた息子さんは見つかったのでしょうか…見つかっていますように。
お疲れさまです!最近気づきましたがサブタイトルも秀逸ですね。昔の話は調べるのもいろいろ大変かと思いますが、わかりやすく説明されるのでいつも納得です。山で起こる事故から様々な教訓をもらっています。
御影高校の名前を聞いた事あるなと思ったら、2年程前に山に遊びに行った時に見かけた所でした。当時少し見た感じですが、とても綺麗に整備されている印象でした。当時気になっていたので、取り上げて下さってありがとうございました。亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りいたします。
兵庫県立御影高校と神戸市立御影工業高校は全く別の高校です。。この事件があったのは神戸市立御影工業高校です。。その神戸市立御影工業高校もいまや廃統合により消滅しました。。時の流れを感じ入ります。。
そうだったですね…!教えて頂きありがとうございます…!
将来ある若い人が犠牲になった事故、遭難は悲しいなぁ。この動画を教訓にして少しでも犠牲となる人が減ってほしい。
御影工業高校の卒業生です。50歳を過ぎ、登山にハマり出して登山関係のRUclipsを見るよになってこの遭難事故を知りました。私が生まれる1年前の出来事です。在学中もこの話しは聞いた事がありませんでしたので、ショックでした。在学当時、ミカコウには山岳部もありませんでした。機会があれば慰霊碑に拝礼したいと思います。
初めてこの事故を知りました。悲しい事故でした。提督は優しい人ですね。鉄砲水恐るべし。こうして動画でこの事故を知り、非力ながら私も記憶に刻みます。心からのご冥福をお祈りいたします。遺族、関係者の皆さまの心が慰められますように。
人の気持が受け継がれていくのは素晴らしい事だな😢 24:27
15mはマンション5階ぐらいの高さみたいなのに、鉄砲水って恐ろしい。雨が降っている時は高台でも川沿いには滞在しない方がいいということですね。
御霊を想う事、それすなわち鎮魂。7人の魂が、安からんことをお祈りいたします。決して、自己満足ではない。この動画を見た人はみな、御霊に想いを致したはずだから。心のこもった動画でした。
慰霊碑を見たら1年生も2人いて、「中学を出てすぐの子まで💦」と心が痛みました。地元民ですが、神戸でも2008年に都賀川の鉄砲水事故がありました。(児童や園児を含む5名が犠牲になりました😢)
元分団長良い人だな。天国で七人にお礼言われてると思いたい。
動画ありがとうございますー。
解説お疲れ様です。小屋ごと流されたなんて。土石流に巻かれたなら、原形は...ご冥福をお祈りします...でも、慰霊碑が埋まってたって...ご遺族が慰霊登山とかもできないくらい山行が大変な山なんでしょうね
多数の人が救助に乗り出したにもかかわらず、いずれは忘れ去られてしまう。一方で当時にはなかった天気予報やこのような動画など、悲劇を避け、伝える手段は発達している。歳月の残酷さと、それでも前に進み続ける人の逞しさを感じますね。
慰霊碑や逸話が残ることで、「鉄砲水はこの高さまで届く」という知識も受け継がれて、のちの世の犠牲を未然に防ぎ続けてくれているのでしょうね!毎回学びの多い動画をありがとうございます!😊
お疲れ様です。更新ありがとうございます。鉄砲水は本当に唐突に起きるんですよね。今でこそエリア別とか雨雲レーダーとか手軽に見れますが、天気から感覚で災害に起きる起きないと思うのは今でもあると思います。地元の山でも鉄砲水が起きたことあるので、他人事とは思えませんでした。ご冥福をお祈りします。
いつも自然は予想を超えてくるんですね。知れてよかったです。
明確なミスや無謀な行動があったわけではないのに、いったん自然が猛威を振るうとなすすべがないな
慰霊碑が綺麗になって本当によかった・・・とてもあたたかい気持ちになれました。
今回のはさすがに運が悪過ぎたとしか言いよう無いけど、それでも「いざとなった時はすぐに撤退する決意」が必要なんだと思います
墓守りの話は感動するけど、やはりいつかは限界が来るなと思う事故の記憶を残すのも大変なんですね
地元なのに全く知りませんでした慰霊碑を綺麗にしたら捜索をしたり地元民として誇らしいです
15メートルも高い場所に避難すれば大丈夫と普通は思いますよね。もしも雨が弱まることがなければ、避難小屋が利用できない状態だったならば、と考えてしまいます。この事件同様、私たちの住んでいる地域でも忘れ去られた慰霊碑があるとしたら…
ソロハイカーです。単独行は遭難時の死亡率がグループの約2倍あり危険だと言われますが、グループ登山ゆえのリスクもあるかな、と思いました。少人数ならきめぇ丸の車に乗せてもらうという回避の選択肢がワンチャンありえたかも。そもそも地元の方にも想定外の大水害で危険を感じていなかったようなので厳しいとは思いますが。計画変更しにくい、一番遅い人のペースになる、などグループ登山特有の身動き取れなくなるリスクを認識して、Go/No Goの判断にはいっそう慎重にならないといけませんね。
しっかり準備してても当日の天気ひとつで変わってしまう…山って難しいですね
仕事でたまに松川入、西俣川へ行きます。西俣川の方面へ進んでいくと遭難の碑があるの見ていましてがそういう事故だったのですね。地元に居ながら知らなかったのが恥ずかしいです。いつも綺麗な碑だったので最近のものだと思っていましたが、きちんと管理されていたのですね。今度行った時にはしっかりと手をあわせてきたいと思います。
いつもお疲れ様です。
「掃苔」という言葉をご存知の方いらっしゃるかな。名もない苔むした墓石や、このような慰霊碑を綺麗に掃除して花と線香を手向けて手を合わせる「趣味」の事です。この慰霊碑も人の心で建てたなら、維持するのも人の気持ちなんですね。
登山組はその時でベストの判断をされたというのに、何ともやるせない話です…
痛ましい事故により亡くなられた七人の高校生の死を悼み建てられた慰霊碑が30年という月日が経過して訪れる人もなく忘れ去られて行く。提督さんが見つけ行動に移して下さったからいつまでも途切れることの無い供養にされた御尽力に心から感謝致します🍀🍀🍀
いい動画だと思う自己満足と言ってるけど、少なくとも私は全く知らなかった彼らのことを学んで悼む気持ちになったし、改めて自然の怖さを考えたよ
きっと、提督は天国で七人の若者に感謝されてるだろうな…
1969年にJRで大阪駅から飯田駅までその日のうちにたりつけるだけでも相当大変なのに。今でも特急使っても8時間くらいはかかると思う。
規格外の大雨が近年もあるから、これは教訓にすべきです。😢
地元の話ですが初めて知りました。鉄砲水は起こることは知ってました。
検索してもあまり出てこない事故ですね。解説してくださりありがとうございます。一人が見つかった飯田線小和田駅は今では秘境駅で有名ですよね。現場からは相当離れているので、鉄砲水の勢いはかなりのものだったのでしょうね。調べてみたらきれいな川のようですし、近くに趣きある大平宿もありますので慰霊に行ってみようかなと思いました。
辛い話でした。大雨が予測されていたら山には入ってはいけないと思いました。
東灘区在住ですが、地元の高校の話、知りませんでした。御影工業高校の件について2点。1.地図上の場所が違います。正しくは阪神御影駅北のエリアです。2.御影工業高校は事故から50年の2019年に廃校になっており(別の高校と合併移転し科学技術高校となっている)今後の慰霊の在り方が気になります。
ああ、良い動画だった。
待ってましたー!
提督氏は私費を投じて、現地に花壇を作ったりトイレや建物を建てたりなさったそうで😢ご立派な方ですよね😢
そんな前の50年。もう50年と、感じ方が変わるように...ひとはどうしても忘れてしまう生き物ですから。定期的に取り上げてもらえる方が、山への正しい畏怖に繋がってほしいものです。追伸、空を見上げれば、数時間後・数分後の天候は容易に想像できますから。
この事件は初めて知りました。事件は時間とともに風化してしまいますね。今や神戸市立御影工業高校も地元の三つの高校と廃統合され場所も移転し高校名も変わり自然消滅しましたね。。この事件は慰霊碑とともに人々に永く記憶され後世に教訓を残し続けてほしいです。。慰霊碑の整備、保存、清掃に尽力されてる地元の方々に敬意を表し感謝いたします。。
後日談が美談ですね😢悲劇は繰り返さないように慰霊碑を後世に残す事が供養にも繋がると思います😮ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
風化させないようにしたいですね。飛騨川バス転落事故なども知らない方が多いですよ。
比較的注意しながら判断していったと思うのに…雨で土地勘のないところは気をつけなければですね。まだご遺体が見つかっていないとのこと、不憫ですが、その後の彼らを思う人々の交流には心が温まりました。
部活で…稀な未知の災害だったんだろうが、まだ子供の未熟な生徒たちは山の本当の怖さを知らず部活を選んだろうし、まだまだ長い未来を失ってしまい可哀想にご遺族もいたたまれないだろうな…
水害ってのは人智を遥かに超える勢いで瞬く間に人が住む場所を無に返す改めて鉄砲水の怖さを思い知ったな
本当に素晴らしい動画です。解説とともに水難事故を風化させない、めちゃくちゃ大事!ためになるし一石二鳥です
飯田駅付近からスタートして、小和田駅まで流されたとなると相当な距離を流されたんだなあ。
詰んだ、まさにその通りだったのだと思います。悲劇を教訓にするしか後世の人間になす事はありません。
SNSの時代だからこそ伝えていきましょう。
事故にあった7人の犠牲は残念だったけど、その後提督のような方がいてその行動を受け継ぐ人も出てきたことがせめてもの慰めだな。提督は本当に優しい方だったんだろうな。天国で7人と会ってきっと感謝されているよ。
鉄砲水って本当に恐ろしいな。
よく拝見しておりますが、今回の件は地史的な案内もあったことで一層印象に残りました。
初コメです。親世代の言い方を借りると、こればかりは(天から定めらえた)寿命だったとあきらめるしかない、それにしても痛ましすぎる事故でしたね。せめて、PC前から合掌を。あとは、せめていつの日か、5人の方の遺骨が見つかればよいと念じます。
うp主は登山アプリの中の人なのか? ってくらい、本来知り得ないルートや計画に通じていて、なかなか造詣の深さを感じる
この遭難以降、同じような遭難事故の発生がなかったのか気になりました。西俣川で検索すると確かに情報があまり出てこないのですが、上流に大型砂防ダムが作られたとの情報があったので、砂防ダムも含め何かしらの対策により事故が発生しづらくなったのでしょうか。ただ、保水能力の下がった山林にある「暴れ川」が今後も暴れない保証もないので、こういう情報は語り継いだ方がいいでしょうね。
他コメントを読んでると、真偽は分かりませんが「(西俣川に沿ったルートは)現在は廃道のようですね」とありました。これが正しいとしたら、大きな遭難事故が発生していないのも納得。「暴れ川」沿いに進む登山道が廃止されるのは正しい判断だと考えます。
県民感覚から言うと8月は天気予報と関係無く突然豪雨(雷雨)が来て当たり前のところが有ります。川も急流故に普段の水量と雨の日のそれはずいぶん違いますね。
自然災害は気を付けようがない。7人のご冥福をお祈り申し上げます。
いい登山すると感覚を誰かと共有したくなる 天候とか季節とか少しで別モノも想像の中の景色は綺麗で 太陽光で木を切るは動画初の話と似てますね ドイツは日本の3倍の森管理の専門職がいるそうです 他国と調整に加えて国内体制も作りましょう
本人らに大きな過失が無いだけに、気の毒な😢
松川からの安平路ルート 今では考えられませんが確かに古い踏み後がありますわ 人気の山だったんですね 廃小屋の残骸もありますー
小和田まで流されていくとはマジでやばめ
山では何が起こるか分からない雪崩で崩壊した山小屋も数多くあるようです😭鉄砲水で無くなる方も毎年後をたちませんね😭
なんかもう、山あいではなくても、車が流されたり橋が壊れたり流されたり…水だけでなく、樹木やらなんやら流れて来るんだろうなあ。
何気なく見ていたら地元のよく知る高校名が出てきて驚ました。
悲惨すぎる…
運が悪かったとしか言えねぇ。でも、意地の悪い言い方になるけど、たかはしの遺体を発見した男性の息子さんに比べれば、7人で派手に被災したおかげで大規模な捜索が行われ慰霊碑を建てて保守までしてもらえてるだけマシかな。近年は山間部だけでなく低地でも集中豪雨の被害が著しいので住む場所はよーく考えて選ばないとなぁ。
昭和20年ってのは満蒙開拓団が夢破れて帰ってきたことにより、国内の高台、台地、そして山峡や高原に開拓村が作られたり僻地の再開拓が行われたりした。最近しられるようになった話だと、奥羽本線赤岩駅の乗降客は20年代にかなり増えたって話がある。しかし、薪炭業だったら下士官などの職業軍人が参加した可能性が高いな。あと戦時中にやたらな伐採があり、全国で禿山ができたのは有名な話。水害の原因は薪炭よりはこちらの可能性が高い。全国的に山が荒れて土砂の流出が酷く水害の被害も大きかったのだ。
椅子を作ってくださったなんて素晴らしいですね。
元地元民です。この遭難事故については石碑の存在は知っていましたが、詳細は今回初めて知りました。文中に出てくる「提督」さんは仕事上での知人で、彼がよく松川入に行っていたのを覚えています。松川入集落についてもよく調べてあり、感心しました。力作です。
優しい地元の皆さん、有難うございます。
未来ある高校生が亡くなってしまったことは悲しいですが、伝えていくことは大切ですね。
地元民です。
このような事故があったこと、知りませんでした。
1968年生まれの主婦です。
天竜川で遊び、山里で駆け回り育った私ですが、誰からもこのような悲しい事故があったことを聞かされたことはありませんでした。
取り上げてくださりありがとうございました。
うちも祖父が飯田出身です。コメ主さんの親世代ぐらいにあたります。飯田の文化・風習についてはたくさん話してくれましたが、この事故に関しては初耳でした。
飯田に行く際には高確率で天竜川や山間にも寄るので心に留めておこうと思います。
慰霊碑を見つけると亡くなった人に胸が傷みますが、訪れる人々の安全を願い続けていると信じたいです。😢
事故が起きるまでの背景を語る前日談や事故そのもののルート考察や経緯だけではなく
後日談の話にも今回はいつも以上に尺を割いて掘り下げており
同時にこのチャンネルが何故この事故を取り上げようと思ったのかという理由にも繋がっていて
構成の組み立て方がとても上手い動画だと感じた
提督のご尽力、素晴らしいです。この遭難事故は今まで知りませんでした。事故のみならず、歴史背景まで調べて下さったチャンネル主さんに感謝いたします。
亡くなった皆さんが全員仏教とは限りませんが、一般的に日本では仏教の33回忌もしくは50回忌で亡くなった方の供養に区切りをつけます。おそらく、元消防分団分隊長さんも「33回忌までは」と考えて整備を思い立たれたのではないかな、と思います。
そのあと50年後まで供養が続けられたというのは、亡くなった方の親御さんもほぼ鬼籍に入られているであろうことを考えると、ずいぶん丁寧に弔われていて、亡くなった7人も忘れられたとは思わないでしょう。
そして動画主さんが、こうやって語り伝えてくだされば、これからも天候を考えて行動することの大切さを知らせる教訓として、決して無駄にはならないはずです。若くして亡くなった7人の方が安らげますように。
ここのアップ主様は
一方的に非難したりしないでいやな思いしないから聞いてて安心できます。
息子さんを探していたお父さんは息子さんを見つけられたんだろうか。
普通、15mもの高台にある小屋だったら、安全な避難場所と思うでしょうし…
誰が悪い、というより、ただただ自然の猛威の前には人の力でどうにも出来ないという事だと思うしかありませんね。
この動画を事故を風化させないための貴重な啓発資料として残していって頂きたいですね。
昔、もう15年以上前だと思うけど東北で地震による山崩れだか豪雨の土砂崩れだかで川の岸にある高台の旅館が流され結構な人数が犠牲になった出来事がありました。(犠牲者にちょっと前に鉄道関係のタモリ倶楽部に出演されていた方がいて記憶に残っている)
ここも高台ではあったんだけど川幅が狭いので流入量が捌き切れず溢れ出して流されたはずですので
高台だからと安心は出来ないですね
@@suzukinkun なるほど。確かに狭いゴルジュでの増水と川幅のある川での増水スピードは全く違う。
@@suzukinkun 岩手・宮城内陸地震で土石流にあった宮城県の駒の湯温泉かと思います。航空写真を見て、広範囲の山々に巨大な地滑りが起きていて恐ろしかったです。
霊夢も言ってるけど周りの木を伐採したせいで保水力が落ちて度々水害が重なった。自然じゃなくて人間の自然破壊の犠牲だな
15mって言ったら6階建てビルくらいの高さ。まぁ安牌だと思うよね。
自然のやばさよ
やるせない…
まだ前途ある高校生、先生方、天竜川の鉄砲水で流された男性も…
慰霊碑が作られ、鎮魂の機会が持たれたことはせめてもの救いですが…うぅ。
工高の方々と最後に会い会話をされたきめえ丸さんも辛かったでしょうね。
地元でも風化しつつあるこの事故。少ない資料を繋ぎ合わせ時間をかけて作って見せて下さった主さんに感謝します。
この主のゆっくりチャンネルは秀逸だな。編集も構成も最後のまとめも、編集人の優秀さが伺える。
最近はこれまでになかったような大雨が多いですし、こうしてあまり知られていない事故を教訓として取り上げられるのは素晴らしいと思いました。
いつもありがとうございます
涙出る😢
動画作成ありがとうございます
埋もれた慰霊碑を整備し直したなんてかなりの手間だったはず。またこうして50年以上経ってRUclipsの解説動画に取り上げられる事は時代の不思議であるとも言える。この悲惨な遭難事故の他にも、かつて有った松川入集落の記憶とともに意義のある動画だった。
いつまでも覚えているのは難しいのかもしれない…
でも、この事故を知った人達が安全意識を心掛けるだけでも報われると思う。
どれだけ気を付けても、その場に応じた正しい判断が出来ていても、運良く助けてくれる人がいても、こういう風にどうしようも無い事故が起きるのはどうにもならないな……
自然は常に人間の想像を超えてくる、どうしようもないケースはかなり多い
山は自然の領分だもんな
忘れないこと。それがいちばんの供養かもしれませんね。
地元の人もあまりよく知らないらしいこの事故、詳細に取り上げてくださってありがとうございました。
亡くなった方々が今は安らかでありますように…😢
ただただ、泣けてくる。工高の7人の不運にも、元分団長の思いやりにも。
今日、また1人この事故を記憶した。
高台の小屋まで流されるなんて
大雨の恐ろしさを改めて知った。
線状降水帯という言葉もあるわけだし
もう2度と犠牲がおきないよう
大雨警報が起きたら登山停止にするよう呼びかけなければならないですね
そんなことがあったのだ…と聞いていたけど、7人が座れる椅子の話の時に涙がとまりませんでした。どうか安らかに。そして、椅子でお休みください🛐
昨年、木曽福島駅から木曽駒ケ岳、空木岳、安平路山、大平宿、飯田駅というルートで全て歩きました。以前は西俣川に沿ったルートがあったようですね。そっちがメインルートだったのでしょうか。現在は廃道のようですね。よって、登山者もいなく、それが慰霊碑が維持管理されていなかった一因でしょうか。いずれにせよ、ご冥福をお祈りします。素晴らしい動画をありがとうございます。
御影工業高校自体が統合で無くなったので、高校の地元民としましては、懐かしさと、そんな不幸があったことに驚きました。
事故が起きたことを、継続して風化させないための努力は、相当な労力が必要なのだろうと思いました。鉄砲水の怖さをとても良く理解できて、今後の悪天候時の川周辺での行動の参考になります。
天気予報をきちんと活用して、無理のない登山をしていきたいと改めて思いました。
この頃よく視聴させていただいておりますが、行程など本当にわかりやすく、遭難された方への配慮もあり、感心して見させていただいております。
他の方のコメントどおり、本当に力作だと思います。
この事故を教えていただいて、感謝します。
いい動画でした
事故当時、御影工業高校の向かいにある御影中学の生徒でした。
今でも事故のことは、おぼろ気ながら覚えております。
慰霊碑のエピソードは知りませんでした。伝えていただき、ありがとうございました。
その後、御影工業高校も廃校になって今は確か大きな商業施設になっていますね。。時の流れを感じます。。
自然は人間の想像を軽々と超えてくるっていうのを胸に刻んで生きていかないと、と思いました。
いつも丁寧に作ってくださりありがとうございます。
今も規格外の大雨が増えているので不安定な天候のシーズンはその日の朝は晴れていても十分に注意して登山をやめるべきときはやめるべきでしょう。特に川沿いはさっきまでおだやかな流れであっても上流で大雨が降ると急に増水したりもします。
規格外の大雨が増えているかどうかは恣意的なデータの取り方でいくらでも論じることが可能なので大いに疑問ですが、
水位の大幅な変動については注意しすぎるということはないですね。
ただ、どうしても夏休みなどの長期休暇を利用する関係上、このような天候とバッティングすることは避けづらいようにも思います。
未だに遺体が見つかってないのか・・・改めて自然の驚異を思い知りますね。
ご遺族がこれを見たらどんな思いをするだろうって、見てないからそんな状態になってるのに優しすぎますね提督。
ここチームの様にどんなに気をつけていても、災害に見舞われる時はそうなる…本当に登山をされる方は、精一杯の準備をして登ってください。
いつも有難うございます!
悲しい事件です、慰霊碑を保護してくださった方に(他人の私ですら)心より感謝です。
7名の方にも保護して下さった方にも冥福をお祈り致します。
トラックごと落ちた息子さんは見つかったのでしょうか…見つかっていますように。
お疲れさまです!
最近気づきましたがサブタイトルも秀逸ですね。
昔の話は調べるのもいろいろ大変かと思いますが、わかりやすく説明されるのでいつも納得です。
山で起こる事故から様々な教訓をもらっています。
御影高校の名前を聞いた事あるなと思ったら、2年程前に山に遊びに行った時に見かけた所でした。
当時少し見た感じですが、とても綺麗に整備されている印象でした。
当時気になっていたので、取り上げて下さってありがとうございました。
亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りいたします。
兵庫県立御影高校と神戸市立御影工業高校は全く別の高校です。。この事件があったのは神戸市立御影工業高校です。。その神戸市立御影工業高校もいまや廃統合により消滅しました。。時の流れを感じ入ります。。
そうだったですね…!
教えて頂きありがとうございます…!
将来ある若い人が犠牲になった事故、遭難は悲しいなぁ。この動画を教訓にして少しでも犠牲となる人が減ってほしい。
御影工業高校の卒業生です。
50歳を過ぎ、登山にハマり出して登山関係のRUclipsを見るよになってこの遭難事故を知りました。
私が生まれる1年前の出来事です。
在学中もこの話しは聞いた事がありませんでしたので、ショックでした。
在学当時、ミカコウには山岳部もありませんでした。
機会があれば慰霊碑に拝礼したいと思います。
初めてこの事故を知りました。悲しい事故でした。
提督は優しい人ですね。
鉄砲水恐るべし。
こうして動画でこの事故を知り、非力ながら私も記憶に刻みます。
心からのご冥福をお祈りいたします。
遺族、関係者の皆さまの心が慰められますように。
人の気持が受け継がれていくのは素晴らしい事だな😢 24:27
15mはマンション5階ぐらいの高さみたいなのに、鉄砲水って恐ろしい。雨が降っている時は高台でも川沿いには滞在しない方がいいということですね。
御霊を想う事、それすなわち鎮魂。
7人の魂が、安からんことをお祈りいたします。
決して、自己満足ではない。
この動画を見た人はみな、御霊に想いを致したはずだから。
心のこもった動画でした。
慰霊碑を見たら1年生も2人いて、「中学を出てすぐの子まで💦」と心が痛みました。地元民ですが、神戸でも2008年に都賀川の鉄砲水事故がありました。(児童や園児を含む5名が犠牲になりました😢)
元分団長良い人だな。天国で七人にお礼言われてると思いたい。
動画ありがとうございますー。
解説お疲れ様です。
小屋ごと流されたなんて。
土石流に巻かれたなら、原形は...
ご冥福をお祈りします...
でも、慰霊碑が埋まってたって...ご遺族が慰霊登山とかもできないくらい山行が大変な山なんでしょうね
多数の人が救助に乗り出したにもかかわらず、いずれは忘れ去られてしまう。
一方で当時にはなかった天気予報やこのような動画など、悲劇を避け、伝える手段は発達している。
歳月の残酷さと、それでも前に進み続ける人の逞しさを感じますね。
慰霊碑や逸話が残ることで、「鉄砲水はこの高さまで届く」という知識も受け継がれて、のちの世の犠牲を未然に防ぎ続けてくれているのでしょうね!
毎回学びの多い動画をありがとうございます!😊
お疲れ様です。更新ありがとうございます。
鉄砲水は本当に唐突に起きるんですよね。
今でこそエリア別とか雨雲レーダーとか手軽に見れますが、
天気から感覚で災害に起きる起きないと思うのは今でもあると思います。
地元の山でも鉄砲水が起きたことあるので、他人事とは思えませんでした。
ご冥福をお祈りします。
いつも自然は予想を超えてくるんですね。
知れてよかったです。
明確なミスや無謀な行動があったわけではないのに、いったん自然が猛威を振るうとなすすべがないな
慰霊碑が綺麗になって本当によかった・・・
とてもあたたかい気持ちになれました。
今回のはさすがに運が悪過ぎたとしか言いよう無いけど、それでも「いざとなった時はすぐに撤退する決意」が必要なんだと思います
墓守りの話は感動するけど、やはりいつかは限界が来るなと思う
事故の記憶を残すのも大変なんですね
地元なのに全く知りませんでした
慰霊碑を綺麗にしたら
捜索をしたり地元民として誇らしいです
15メートルも高い場所に避難すれば大丈夫と普通は思いますよね。
もしも雨が弱まることがなければ、避難小屋が利用できない状態だったならば、と考えてしまいます。
この事件同様、私たちの住んでいる地域でも忘れ去られた慰霊碑があるとしたら…
ソロハイカーです。単独行は遭難時の死亡率がグループの約2倍あり危険だと言われますが、グループ登山ゆえのリスクもあるかな、と思いました。
少人数ならきめぇ丸の車に乗せてもらうという回避の選択肢がワンチャンありえたかも。そもそも地元の方にも想定外の大水害で危険を感じていなかったようなので厳しいとは思いますが。
計画変更しにくい、一番遅い人のペースになる、などグループ登山特有の身動き取れなくなるリスクを認識して、Go/No Goの判断にはいっそう慎重にならないといけませんね。
しっかり準備してても当日の天気ひとつで変わってしまう…山って難しいですね
仕事でたまに松川入、西俣川へ行きます。西俣川の方面へ進んでいくと遭難の碑があるの見ていましてがそういう事故だったのですね。
地元に居ながら知らなかったのが恥ずかしいです。
いつも綺麗な碑だったので最近のものだと思っていましたが、きちんと管理されていたのですね。
今度行った時にはしっかりと手をあわせてきたいと思います。
いつもお疲れ様です。
「掃苔」という言葉をご存知の方いらっしゃるかな。
名もない苔むした墓石や、このような慰霊碑を
綺麗に掃除して花と線香を手向けて手を合わせる「趣味」の事です。
この慰霊碑も人の心で建てたなら、維持するのも人の気持ちなんですね。
登山組はその時でベストの判断をされたというのに、何ともやるせない話です…
痛ましい事故により亡くなられた七人の高校生の死を悼み建てられた慰霊碑が30年という月日が経過して訪れる人もなく忘れ去られて行く。提督さんが見つけ行動に移して下さったからいつまでも途切れることの無い供養にされた御尽力に心から感謝致します
🍀🍀🍀
いい動画だと思う
自己満足と言ってるけど、少なくとも私は全く知らなかった彼らのことを学んで悼む気持ちになったし、改めて自然の怖さを考えたよ
きっと、提督は天国で七人の若者に感謝されてるだろうな…
1969年にJRで大阪駅から飯田駅までその日のうちにたりつけるだけでも相当大変なのに。今でも特急使っても8時間くらいはかかると思う。
規格外の大雨が近年もあるから、これは教訓にすべきです。😢
地元の話ですが初めて知りました。鉄砲水は起こることは知ってました。
検索してもあまり出てこない事故ですね。解説してくださりありがとうございます。
一人が見つかった飯田線小和田駅は今では秘境駅で有名ですよね。現場からは相当離れているので、鉄砲水の勢いはかなりのものだったのでしょうね。
調べてみたらきれいな川のようですし、近くに趣きある大平宿もありますので慰霊に行ってみようかなと思いました。
辛い話でした。大雨が予測されていたら山には入ってはいけないと思いました。
東灘区在住ですが、地元の高校の話、知りませんでした。御影工業高校の件について2点。1.地図上の場所が違います。正しくは阪神御影駅北のエリアです。2.御影工業高校は事故から50年の2019年に廃校になっており(別の高校と合併移転し科学技術高校となっている)今後の慰霊の在り方が気になります。
ああ、良い動画だった。
待ってましたー!
提督氏は私費を投じて、現地に花壇を作ったりトイレや建物を建てたりなさったそうで😢ご立派な方ですよね😢
そんな前の50年。もう50年と、感じ方が変わるように...
ひとはどうしても忘れてしまう生き物ですから。
定期的に取り上げてもらえる方が、山への正しい畏怖に繋がってほしいものです。
追伸、空を見上げれば、数時間後・数分後の天候は容易に想像できますから。
この事件は初めて知りました。事件は時間とともに風化してしまいますね。今や神戸市立御影工業高校も地元の三つの高校と廃統合され場所も移転し高校名も変わり自然消滅しましたね。。この事件は慰霊碑とともに人々に永く記憶され後世に教訓を残し続けてほしいです。。慰霊碑の整備、保存、清掃に尽力されてる地元の方々に敬意を表し感謝いたします。。
後日談が美談ですね😢
悲劇は繰り返さないように慰霊碑を後世に残す事が供養にも繋がると思います😮
ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
風化させないようにしたいですね。
飛騨川バス転落事故なども知らない方が多いですよ。
比較的注意しながら判断していったと思うのに…雨で土地勘のないところは気をつけなければですね。
まだご遺体が見つかっていないとのこと、不憫ですが、その後の彼らを思う人々の交流には心が温まりました。
部活で…
稀な未知の災害だったんだろうが、まだ子供の未熟な生徒たちは山の本当の怖さを知らず部活を選んだろうし、まだまだ長い未来を失ってしまい可哀想に
ご遺族もいたたまれないだろうな…
水害ってのは人智を遥かに超える勢いで
瞬く間に人が住む場所を無に返す
改めて鉄砲水の怖さを思い知ったな
本当に素晴らしい動画です。解説とともに水難事故を風化させない、めちゃくちゃ大事!
ためになるし一石二鳥です
飯田駅付近からスタートして、小和田駅まで流されたとなると相当な距離を流されたんだなあ。
詰んだ、まさにその通りだったのだと思います。悲劇を教訓にするしか後世の人間になす事はありません。
SNSの時代だからこそ伝えていきましょう。
事故にあった7人の犠牲は残念だったけど、その後提督のような方がいてその行動を受け継ぐ人も出てきたことが
せめてもの慰めだな。提督は本当に優しい方だったんだろうな。天国で7人と会ってきっと感謝されているよ。
鉄砲水って本当に恐ろしいな。
よく拝見しておりますが、今回の件は地史的な案内もあったことで一層印象に残りました。
初コメです。
親世代の言い方を借りると、こればかりは(天から定めらえた)寿命だったとあきらめるしかない、それにしても痛ましすぎる事故でしたね。
せめて、PC前から合掌を。
あとは、せめていつの日か、5人の方の遺骨が見つかればよいと念じます。
うp主は登山アプリの中の人なのか? ってくらい、本来知り得ないルートや計画に通じていて、なかなか造詣の深さを感じる
この遭難以降、同じような遭難事故の発生がなかったのか気になりました。
西俣川で検索すると確かに情報があまり出てこないのですが、上流に大型砂防ダムが作られたとの情報があったので、砂防ダムも含め何かしらの対策により事故が発生しづらくなったのでしょうか。
ただ、保水能力の下がった山林にある「暴れ川」が今後も暴れない保証もないので、こういう情報は語り継いだ方がいいでしょうね。
他コメントを読んでると、真偽は分かりませんが「(西俣川に沿ったルートは)現在は廃道のようですね」とありました。
これが正しいとしたら、大きな遭難事故が発生していないのも納得。「暴れ川」沿いに進む登山道が廃止されるのは正しい判断だと考えます。
県民感覚から言うと8月は天気予報と関係無く突然豪雨(雷雨)が来て当たり前のところが有ります。川も急流故に普段の水量と雨の日のそれはずいぶん違いますね。
自然災害は気を付けようがない。7人のご冥福をお祈り申し上げます。
いい登山すると感覚を誰かと共有したくなる 天候とか季節とか少しで別モノも想像の中の景色は綺麗で 太陽光で木を切るは動画初の話と似てますね ドイツは日本の3倍の森管理の専門職がいるそうです 他国と調整に加えて国内体制も作りましょう
本人らに大きな過失が無いだけに、気の毒な😢
松川からの安平路ルート 今では考えられませんが確かに古い踏み後がありますわ 人気の山だったんですね 廃小屋の残骸もありますー
小和田まで流されていくとはマジでやばめ
山では何が起こるか分からない雪崩で崩壊した山小屋も数多くあるようです😭鉄砲水で無くなる方も毎年後をたちませんね😭
なんかもう、山あいではなくても、車が流されたり橋が壊れたり流されたり…
水だけでなく、樹木やらなんやら流れて来るんだろうなあ。
何気なく見ていたら地元のよく知る高校名が出てきて驚ました。
悲惨すぎる…
運が悪かったとしか言えねぇ。
でも、意地の悪い言い方になるけど、たかはしの遺体を発見した男性の息子さんに比べれば、7人で派手に被災したおかげで大規模な捜索が行われ慰霊碑を建てて保守までしてもらえてるだけマシかな。
近年は山間部だけでなく低地でも集中豪雨の被害が著しいので住む場所はよーく考えて選ばないとなぁ。
昭和20年ってのは満蒙開拓団が夢破れて帰ってきたことにより、国内の高台、台地、そして山峡や高原に開拓村が作られたり僻地の再開拓が行われたりした。最近しられるようになった話だと、奥羽本線赤岩駅の乗降客は20年代にかなり増えたって話がある。
しかし、薪炭業だったら下士官などの職業軍人が参加した可能性が高いな。あと戦時中にやたらな伐採があり、全国で禿山ができたのは有名な話。水害の原因は薪炭よりはこちらの可能性が高い。全国的に山が荒れて土砂の流出が酷く水害の被害も大きかったのだ。
椅子を作ってくださったなんて素晴らしいですね。