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こういうの聞くとホント現代日本に生まれて良かったと思う。
栄養学も発達していて好きなもの食べられますからね。皮膚病とかビタミン不足で死ぬのは相当な苦しみだと思います。
@@yukkuri_rekishi_gurume からの恋愛でストレスフルでフィジカルもメンタルもボロボロやん😵💫
膝立ち歩きは「衣装が重すぎたから」だそうです。日に当たらない、お出かけの時は(身分の高いお姫様はほぼ外出しませんでしたが)お部屋の所まで牛車が来て乗り降り、ようやくお出かけしても高貴な人は人に顔を見せないように袿などをすっぽり頭からかぶる…しかも栄養の偏った食事、重たい服に長くて自由の利かない髪…これじゃとても健康からは縁遠いですよくこれで子孫を繋いでこられたとある意味感心します
田舎の金持ちが一番いいもの食べてるってのは現代も変わらない気がする
当時のお酒は糖度の高い濁酒が主流で上級貴族は飲み過ぎで糖尿病になる人が多かったそうです。藤原道長もお酒の飲み過ぎで晩年はかなり苦しんでました。
苦しんでまでお酒を飲まなければ良いのにね。お酒を辞めて、普通に食事だけにすればよかったのに!
望月の〜って歌っていたのが嘘のような晩年。
あれが普通の食事だと思います(笑)当時はお酒飲みすぎで糖尿病になるっていう事は分からなかったのではないでしょうか?昔は糖尿病の事を飲水病って呼んでたらしいですが
@@狸郷 さんあ、確かに!末期の糖尿だっけか。
日本人にとって幸運だったのは米がアミノ酸スコアの高い理想的な穀物だったこと。※アミノ酸スコアが高いほど体の維持に必要なたんぱく質を作る必須アミノ酸が多い。ビタミン、ミネラルの多い玄米や少量の雑穀と混ぜて食べれば、少量の豆類や小魚を取れば体を維持出来たというところにある。もっともそのため「塩気のある少量のおかずで大量の飯を食う」という日本の独自の食事スタイルが定着することになったんですが。
@ああ 他の穀物に比べてスコアが1.5倍くらいあるから、玄米と雑穀を混ぜて大豆や魚を少々食べたらそこそこの栄養にはなるかと。
食品のアミノ酸スコアとタンパク質含有量は別なので、アミノ酸スコアが高い=タンパク質が多いと言うわけではないと思います。ご飯のタンパク質含有量は150gで3.8gとかなり少ないですね。
@@mcanthe 他の穀物に比べて、アミノ酸のバランスに優れているという意味かと。
中学生レベルの知識で反論してドヤ顔してたら、ガチ勢に冷静に説破されてて草。
おかず少なくて米ばっかじゃ糖尿になりそう。
11:14 カブは今でも「かぶら」っていいますね。子供のころは「かぶら」と「かぶ」は違う野菜だと思ってました。
「なすび」もですね。
私の周囲の年寄りは ネギ(長葱)をネブカって言うよ
紫ちゃん大好きなイワシを隠れて食べてたとか好き推せる
そりゃ、女性だから愛好するものを列挙したがるよな。清少納言は、随筆集にかき氷、イチゴを、紫式部は、本人が鰯好きで、物語に頻繁に出て来る三日夜の餅。結婚する時に召し上がるので、現在の天皇・皇后の時も出てきましたね。
めっちゃかわいいよな…二人で一緒に食べたい…
再現映像がどうしてもFGOの方で再生されるw
湯漬けの話だとある貴族が太り過ぎに悩んで知り合いの僧に減量法を尋ねたら「湯漬けに熟れ鮨合わせて召し上がれたらよろしいかと」と言われて試したら、美味すぎてお代わりしすぎちゃって余計太ったってエピソードもあったりします
何それ面白い
甘葛の樹液使ってたって芋粥超高級品じゃないか飽きるほど出せる地方豪族やべぇ
言わば当時超高級品のお砂糖や蜂蜜でこれまた超高級品のお米を癖の少ない里芋とかと一緒に煮込んだ超高級スイーツ粥でオーストラリアとかの牛乳で炊いたポリッジに蜂蜜やバターとかして食べる感じか…。それをドカッと食べ放題のオードブルに近い形式で出せるとかめちゃくちゃ金持ちやったんやな…
平安時代は公家の護衛だった武士がだんだんと地方豪族の長へと変わっていく。都ではあまり食べられない猪とか野鳥、鹿とかを狩りなどをして食べたりするから都よりも地方の有力者の方がいい食事をとってたんだろうなー
平安時代後期から鎌倉時代にかけての地方豪族(鎌倉武士)は食糧事情がよかったのと運動をよくしてたせいで他の階級の人間よりもかなり体格が良かったって説も聞いたことがありますね。一般庶民や貴族の平均身長は150cm程度だったのに対して鎌倉武士は平均身長160cm以上あった可能性があるとか
@@rumasa3757 鎌倉時代の武士は今の弓道で使う弓の2倍の張力を持つ弓を使いこなせてやっと1人前と認められたとか・・・・・化け物並みの体力と腕力です。※モンゴル軍の兵隊並みのポテンシャルが武士にはあった模様
@@あぼぼです ディスカバリーチャンネルで検証してましたが鎌倉武士の和弓は非常に重たい矢を使うために射程は短めですが破壊力では歴史的な弓矢の中では最強だとか。(短いと言ってもイギリスのロングボウと同じくらいの射程はありますけど)というのも日本は平野が狭いのであまり長い射程を活かせないため、近距離から中距離で確実に相手を倒すことを重視して破壊力を高める方向に弓術が発展したからだそうです。しかも馬に乗って走りながらその強弓を使いこなせたというのだから敵からしたら相当恐ろしい存在だったと思われます。
院政の黄金時代とも、動乱の源平時代ともいう平安末期。前期、中期、後期、末期(後期は院政へ移行する時期。云わずと知れた院政と源平動乱期)で、後の世の種となります。 別に受け売りではないが、平家は、ブランチでは、白ご飯(お粥)、汁物、香の物、煮昆布、焼き鮭。 夜は左の膳 白ご飯、汁物、香の物、山の幸の物、生物。右の膳 酒(濁り酒)と醤(ひしお)と酢、焼き鳥、焼き物、生物。(現在の置き方と同じに書いている) 源氏を始めとするその他の軍事貴族は、大体が普通、玄米ご飯、香の物、魚類や肉類(肉は狩猟対象の獣類)とされる。 ところで、お話として出てくる「芋粥」は、割りと好き。何しろ、越前国(現在の福井県。武生を中心とした越前と、若狭国に分かれる)が舞台だから。越前国には、父親を心配した紫式部が同伴しています。現在でも、ゆかりの地です。
芥川龍之介の芋粥にも、芋粥を飽きる程食べたいと熱望する下級官吏←五位と呼ばれて、ぎりぎり殿上に上がれる人 が、地方豪族に招かれ、館や調度や、寝具の豪勢さ、ダイナミックに大量の芋粥を作る様を目の当たりにして、お腹いっぱいになって、念願の芋粥が、食べられなくなっちゃう結末が描かれていた。
動画投稿お疲れ様でした。とても興味深い動画でした!
1:23 1:24 1:27 かかくくけか
この時代の雑穀はマジで「不味い」ぞ。現代人が玄米や雑穀米を普通に食べられるのは品種改良の結果
もしかして経験者か?
まずいかどうか置いておいて食べてみたい
感謝感謝やな
後、炊飯器のスペックが上がったのも大きい。ワイちょっと頑張って片手する炊飯器購入して玄米毎日食べてるけど普通に美味しいで。
@@boxyouone でも一回食べたいな
そういえば、ある貴族が非常に美しい女性を見て恋心を抱いて、ある日たまたまその女性の家を覗いたら自分でご飯よそって食っているのを見て一気に冷めたという話もあったな
今じゃ真逆やな😂綺麗で庶民的が好かれる
お櫃ごと食べていたからって聞いたことある。
とても面白かったです。聞きながら源氏物語を思い浮かべてました
この時代の刺身の食べ方で鯉の刺身を擦った野蒜を酢に溶かして食べる方法があったそうです。野蒜自体が仏教的にNGでしょうが醤油の代わりを酢が担っていたのは現代の胡椒と酢で餃子を食べる感覚に近いと思います。
唐では茶の生産地から長安までの距離があったから流通に都合の良い団茶が発達したんでしょうね。日本だと大消費地の近くの宇治や狭山が茶どころですからね。
へー、そうなんですね。お詳しい!全くそのこと知りませんでした(笑)。
琵琶湖畔が貴族の別荘地だったので、琵琶湖で捕れる淡水魚がメインディッシュだったのかも。琵琶湖は都に近いので「近つ淡海(ちかつあわうみ)」と呼ばれ、後の近江(おうみ)となり、都から遠い浜名湖が「遠つ淡海(とおつあわうみ)」と呼ばれ、後の遠江(とおとうみ)となり、漁ができる淡水湖は特別な存在だったことが伺えます。京都に近いお茶は宇治茶と土山茶があり、土山に近い信楽は茶器の産地、東海道沿いに鈴鹿山脈を抜けた先が伊勢で、更に東海道を東に行けば静岡茶の一大産地の遠江、その中間地点に庶民向け茶器の瀬戸物の瀬戸があります。後の戦国時代に茶の湯文化が花開いたので、どの地域の特色がどの時代の名残なのかは難しいですが、食文化繋がりで歴史を紐解くのもいろいろ面白そうです。
楽しく見ました。「イワシ」は「いやしい」に似てるから、貴族は食べなかったんだよね。でも紫式部は「岩清水」にはみんなお参りにいくのに、といってやり込めていたらしい。
貴族が肉を食わなかったお陰で庶民は森からやってくる獣たちを自由に食べる事ができた。
貴族は肉は食べてたよ。但し、貴族所有の荘園を管理する武士に依存してただけ。京都は海から遠いので川魚ばかり。各地の国主となった受領という立場の貴族は地方を搾取して米でも肉でもいいものを食べていた。だから京都にいるより国主となる方がいい暮らしができた。肉も配下の武士が荘園で獲ったものを運ばせたが、遠けりゃ干し肉にならざるを得ないだけ。海の魚は塩漬けのものを運ばせ、酒で塩抜きした「酒びて」というのを食べてた。冷蔵庫がないから塩辛いものばかり。
肉食べてる方が体格も良くて、力もあっただろうね!そう言う土地柄なら、筋肉隆々の武士がわんさかいそう!
@@ときいろ一色 戦に使う弓はそのまんま狩りに使ってたし、甲冑は家二軒建つほどの経済力を要したし、日本刀も弓も当時のスーパーウェポンでした。武士とは経済的肉体的エリート中のエリート。世界でも珍しい重装騎馬弓兵。今の感覚でいうならスーパーカーに乗って最新銃器を持つような存在です。屈強な戦士だったので相応の量の肉も食べてたでしょう。
@@evilcutter 重戦車でしょう。
位の高い人が、訳のわからない死に方をするのは 食事のせいも一因にあったのだろうなぁ
栄養失調で失明したのを呪いだーって騒いだりしてそう
意外と貴族や天皇が呪いで死んだとかあるけど意外と変な食事してたからかもね
脚気との戦いは世界中で見られるけど、いろいろな方法で回避してて面白いよね
こんばんは!平安時代の貴族は食事に制限があった事、全く知らずでした。下膨れのお顔は浮腫からとは想像もつかなかったです。更に色々とお勉強をさせて頂きました。とても楽しい動画のお話でした。ありがとうございました!茂木先生のチャンネルは忘草飛鳥先生のツイートで拝聴させて頂いた事があります。早速チャンネル登録させて頂きます。
はい、是非とも茂木先生の動画観て下さい。自分なんかの動画よりも観る価値ありますよ。平安時代の貴族は不健康の塊ですね。平均寿命30代くらいだったという説もあります。
@@yukkuri_rekishi_gurume 様先生いつもコメント返信を頂きありがとうございます!平安時代の平均寿命が30代とは何とも驚きです。脚気とかが当たり前だったのでしょうね。茂木先生の動画も今後楽しませて頂きますが、私には先生の動画を歴史と食を学べる動画としては最高だと思っておりますし、先生の辛い食べ物のお話も、とても楽しく参考になりますので、先生のおすすめの美味しい物も教えて頂ければ幸いです。ブルダック麺シリーズ、購入した麺全て美味しく食べました!ですが、赤い袋のはたまらなく辛かったです。湯麺も同等の辛さでしたが、とろけるチーズと粉チーズでマイルドにして完食しましたが、口の中がビリビリしたので、蜂蜜を口の中で溶かしながら痛みを解消しました。大変辛いながらもまた食べたくなる旨さでした!今後も楽しく学ばせて頂きたい次第です。いつもありがとうございます!
@@kieyama9328さんおお、もう全部食べられたのですね。早い!ちなみに、自分のお勧めの食べ物は辛い物以外では100円ショップとかスーパーで100円で売っているような添加物の入っていない甘いお菓子です。「黒砂糖」とか「あんこ玉」とか「きなこねじり」とか「たまごボーロ」とかそういうの好きですよ。100円で買えるので自分のような貧乏人にも優しいですし、100円の割にはけっこう美味しいです。
@@yukkuri_rekishi_gurume 様返信頂きありがとうございました!100円ショップで購入出来る美味しいお菓子を教えて頂きありがとうございます!買い物に行った際、目的の物しか購入しないので、くまなく売り場を見る事が出来てないので知らない商品がたくさんあります。なので先生から教わったグリーンアイシリーズやブルダック麺も初めて購入出来ました。たまには甘いお菓子も買ってみます。いつもありがとうございます。
@@kieyama9328さんこちらこそいつもコメントありがとうございますです。
2回ずつ押す、が毎回ツボりますwww紫式部さんがまたちょっと好きになった
この動画もっと伸びていいな
今の雑穀はかなり食べやすくしてあるから昔の雑穀と一緒にしちゃいかんでしょ。俺も雑穀米は好きだけど平安時代の雑穀米だったら多分食べる気もしなくなると思う。
前から思ってたけど、主の雑穀愛が凄いw
実際うまいもんなw
@@octdan6648 私も大好きです!でも妹があんま好きじゃないっぽいので普段の食事には出ないですね…ねだったらたまに出るけど
@@sara_nightmarejourney 同じです。俺は雑穀好きだけど、弟が嫌いなので弟が居ない日だけ雑穀にしてもらう。
勉強になりました!ありがとうございます
韓流時代劇で王様の御膳や両班の宴会の料理がやたら数が多く豪華に盛られているのをみて「毎食これだけ食べるの?!量的にありえない。なんかもったいない!」とずっと不思議に思ってたんですが、なるほど!据供御、召供御というものがあったんですね。こちらの動画を拝見して謎が解けました。ありがとうございます😊身体が丈夫で健康的なほうが自然と繁栄するんでしょうね。貴族が廃れて武士の時代になるのは納得でした。わたしも見習います笑
道理で平安初期のまだ食えてた頃のが健康体やったわけや…
雑穀米は栄養価こそあるけど不味いらしく戦時中祖父祖母が食糧不足で食べてたけど、「あんなのは二度と食べたくない」と言っていた
あー、私達の親世代はめちゃくちゃ嫌ってますね(私はアラフィフです)今のお米や炊飯器のレベルが上がってるというのに三つ子の魂なんとやらというか絶対受け付けない。30年くらい前のタイ米の時とか年配の方の嫌々感がもうね…(こち亀のネタにもなってた)まあ正直美味しいかと聞かれたらうーんでしたが(タイ米ごめん)
なんで祖父母世代があんなに玄米とか嫌いなのか謎だったわなるほどね
10:24一日に玄米四合と味噌と少しの野菜をって言うけど味噌が出てくるのは高価だったのね
なんか豪族が城から「何尺何貫の山芋を明日の朝まで持ってこーい!」と叫んだだけで山のような山芋が集まったとかいうサブエピソードもありましたよね。
芋粥……一回食べてみたいなあ……でもたらふくはいいや🙏現代は美味しいものが多くてありがたい……
茂木先生のチャンネル登録済みです。👍👍
高く盛るって、李氏朝鮮時代の宮廷料理にそんな描写あったな米は赤米や黒米も食べていたんでは?楡の木の樹皮の粉って糠漬け風かな(後世に糠で代用したのかも)牛乳といえば、蘇をとっていたのでは?もしや、チーズやバターも食べていたかも
芥川の『芋粥』の援用で、納得度が増しました。
楽しく拝見しています。少なくとも30年以上前に、NHKの「歴史への招待」で、遣唐使が日本に伝えた食事を実際に調整して鈴木健二アナが食レポしていました。NHKアーカイブスに遡れば視聴出来るのかもしれませんが、取り上げて頂けたら嬉しいです。
平安時代は不便そうだけど雰囲気が好きだからいつか行ってみたい
芋粥、とある大学が再現してましたね。汁は今の缶詰シロップのような風味だったそうです。昔は贅沢品だったのもうなずけます
明治期ですら天皇が使っていたお褥(座布団)が片付けられていなかった場合、そこに天皇がいるものとして膝歩きをしなければならなかったとか誰かの著書に書いてありました。多分もっと昔は、十二単やそれに準ずる装束を着たまま、天皇皇后、妃方や親王内親王へ付き従ったり、何か仕事中でも身分高い人の前を通るとき膝歩きをしていたんじゃないかと思います。
なるほど!多分仰られている通りだと思います。今回参考文献には載せませんでしたが、けっこう前に平安時代全般のことがイラストや写真付きで載っている本を読んで、それに書いてあったから今回取り上げてみた次第なんです。やっぱり詳しい方いるなぁ。
@@yukkuri_rekishi_gurume 明治宮殿のさんざめきという本と、明治天皇の一日、女官という本に同じ記述があって、そのうち女官という本は実際明治天皇に仕えた女官の著書なので膝歩きは比較的近代まで残っていた風習だと思います。大正天皇の后貞明皇后は夫婦生活の在り方は欧米に倣う等の先進性を受け入れていましたが、昭和天皇が推し進めた宮廷の近代化と改革を嫌い、大正天皇崩御の後も旧来のままの宮廷儀礼や女官制度を昭和に入っても宮廷とは別にして持ち越していたらしいので、確証はないのですがもしかすると古の様々な宮廷儀礼ももっと近い時代まで生き残っていたのかも……また膝歩きとは別に明治の宮廷には面白い習慣があって、何かの折に天皇皇后付きの女官が夫妻と食事を共にする際、地べたに座り腿に肘を乗せるような姿勢で体を折り曲げて食事をするのが決まりだったそうです。著者も【どんなに美味しいものでもこれでは何食べたかわからないので正直迷惑】と記すほどめんどくさい習慣だったそうです。
とっても面白かったです😃💕「へぇ~」「ほぉ」何度口から出てきたことやら。なぜ女性の下膨れの顔が描かれるのかずっと(?_?)でした。今日スッキリしました⤴️次も楽しみにしています☺️
ありがとうございます!次も動画が上がったらまた観に来て下さいませませ。
@@yukkuri_rekishi_gurume はい、勿論です❗️返信有り難うございます😃
平安時代にタイムスリップしたら、ラジオ体操と栄養バランスを流行らせたい。あと、穀物の品種改良も。
いつも面白く見ております。せっかくですので著作物を一冊購入しました。応援しております。ゆっくり実況も楽しみにしております。
面白かった🎵海外もみたーいモギセカは、いつもみてます💕💯
あ、茂木先生の動画観てますか。自分も好きでよく観ています。たまにこのアカウントで茂木先生の動画にコメントさせて頂くのですが、現時点では茂木先生の動画くらいですね、そういうことするのは。すごい喋り上手ですよね。
@@yukkuri_rekishi_gurume わかってくれる人がいたー‼️友達にすすめても、合わなかったようで。。。歴史が 浮き上がって目の前でおこってるようで 楽しいのにーあんま 理解されない(;_;)モギセカは、色んな方向から、解説上手にお話してくれる ドラマがあるんです歴史グルメさんも その時の からみ が、なければわからない食のこと‼️地味に応援し続けます💕
@@あんあん-v7rさんありがとうございます(笑)。これからもマイペースで動画作っていくので、暇な時にでも観に来て下さい(笑)。
とても面白いです!チャンネル登録させて頂きました。おかしなしきたり…私たち現代で、これから意味の無い謎の規制が出てきそうでたまに不安になります…恵まれてるからこそ…今美味しいと思えるものを気軽に食べれることに改めて感謝しなきゃと感じました…これからも応援してます(´∀`)
貴族めんどくさい事多すぎてカワイソス
でも庶民よりマシですしおすし
1年以上前の動画だから突っ込まれ済みだろうけど紫式部の名誉のために…「イワシが大好きだったのは和泉式部」です。出典が「猿源氏草子」だから源氏物語と混じったのかな?
12:26から載せた写真は、台湾の餅茶ではありませんです、それは中国雲南産の餅茶ですよ😄
団茶はね、令和の世ではプーアル茶の名前で、中国茶として一部の人には好まれてますよ。因みに、チベットではこれにヤクのバターを加えてバター茶として飲んでます!バター茶は、、、味は、、、
メモ📝😊平安時代の食事…
プーアル茶みたいなのが合わなかったのかな、一つまみで何回でもお茶が入れられるんでお得な感じはするけど。
据供御、召供御、調べたけど全然出てこない、、、写真とかもみたいのに、何か乗ってる文献ありますか?
確か貴族女性が膝歩きしてたのは、いちいち立つと十二単衣を毎回綺麗に直さないといけなくて面倒だったからって予備校の先生は言ってた。
最後にご紹介された先生の動画もきっと素晴らしいのでしょうが、僕はここのUP主殿が注目し、考察なさる題材こそ非常に興味深く唯一無二で、かつ心強くも感じられ、毎度のごとく感銘を受けております。食事から人類の歴史を読み解く‥これは大変なご偉業ではないでしょうか?謙遜なさっておられますが、これほどの歴史文化民俗紹介チャンネルは他に例がなく、きっと大成なされるものとお見受けいたします。
何よりの褒め言葉です。ありがとうございます!でも謙遜じゃなくて別に大したもの作ってるって思ってないんですよね。
@@yukkuri_rekishi_gurume これは失礼いたしました、本心から謙遜はなさっておられないようで。ご本人は何気なく作っておられるものが結果、非常に意味深いものとなっている、それこそ秀逸と呼べるべきもの❗️ゆっくり解説は好きで良く観ており、数ある中でも今はこのチャンネルに一番どハマりしております。これからもさらなる秀逸な動画を期待し、そして応援申し上げます‼️
貴族化していった平家とゴリゴリの武士だった源氏最終的に平家が負けたのは生活習慣も理由の一つやろうな
いつもすごく勉強になります、供御の存在を初めて知りました。貴族の食事で思い出しましたが、この時代から既に天皇への御献上品が頻繁に届いていて地方色豊かな膳だったそうですね。古い時代のお酒はどこの国でも糖度高めのアルコール低めだったんですねえ。
何でも日本では地方分権的な特色が強いから地方の名産が発達したとかそんな感じらしいですよ。国によっては地方の名産とかそういうの全然ないらしいですからね。アルコールはそうですね、古代には蒸留技術がないのでどうしてもアルコール濃度が低くなってしまうのです。
日本最古のスパークリングや清酒は奈良のお寺で偶然出来たものなんて説もある
伊勢外宮前に宮家の朝食(だったと思う)提供してくれるお店ありますよ。予約出来ない(だったと思う)から並ばないといけないけど。
しかし不思議に思うのは、昔の人も経験則とか自然を観察するのはかなり得意だったのに雑穀米の方が体に良いと長年気づけなかったこと。
でも雑穀より米のほうが美味いやん。それが全て。
@@Tatu-o4w それな
いいね100回押しました
知らないものは知らないんだから食べられなくても不満にはならないけど好きなものをそれは食べちゃダメとか今は食べちゃダメとか言われたら時代も地域も関係なくほっといたれいや!
芥川龍之介の『芋粥』の中に宴会料理を品数が多い割に碌な物は無いと書いてた。
江戸時代は、幕府に予算を絞られた結果、売れ残りの腐りかけの食材をこっそり買ってきて皿数だけは何とか維持していたとか聞いたな
次回は蕎麦など江戸時代の転封で本来の本場以外に広まった食文化をテーマに作ってくれませんか?出石蕎麦(兵庫)や出雲蕎麦が定着したのは、江戸時代の転封で信州から来た大名(当然譜代)が蕎麦職人(農家を含め)を召し抱えて連れて来たからってのは有名ですが他にもあると思えるので。。。転封が当たり前の譜代大名が「蕎麦を喰えなくなるのは嫌じゃ〜。なんとかせい!」とわがままを言ってくれたおかげで、よりバラエティーが増えた(笑)
平安時代の宮中の若い娘の言葉遊び(ギャル語)で、『お○○』と略すのが流行った時代ね。田楽がおでん、音を鳴らすのがおなら・・・、おこわは、こわいいだったのか。。。
当時のお酒、「長屋王」ていう銘柄のものが再現されて発売されていますね♪(陰陽師「どうしてお前はそういう事にばかり回転が早いのだ?;」
団茶は中国でも美味しくないからと廃止されてるんで仕方ないかなと日本人向けに散茶から煎茶になるんでどうやってもなくなる運命だと思う
平安時代の唐果物というと歓喜力行団みたいな名前のお菓子が今もありますよね。いつも名前を忘れてしまいます。
後で味を調整する料理はイギリス料理に近い感じですかね?
イギリス料理ってそうなんですか?いや、それが実は自分イギリス料理のことはまだ全然知らないんですよ。産業革命の影響で料理がまずくなったっていうことくらいしか知りません。これからちょっとずつ本を読んでいこうと思います。
そういえばあの長い江戸時代よりももっと長いのか。もう玄米じゃなくて白米? 精米技術(というか概念)っていつ頃からあるのかなロシアかどこかでは石鹸のように固めたお茶を飲んでたと聞くけど、ひょっとして団茶ってやつがそれに該当するんだろうか。
ロシアのお茶のことは詳しくないんですけど、固めたお茶だったら団茶ではないかと思います。言い方は色々あるんですけどね。精米技術は弥生の頃からあるのですが、今回の平安時代のように完全に白にはならずにやっぱりいくらかは糠が残ってしまったみたいです。
中国では碾茶が製造されていましたが茶葉を固形状に固め削って飲んでいたという事ですから保存性を考えていたことだと思います。でもなかなか解けずとっても苦かったようです。それで砂糖やらジャムを入れたり添えたりしたんじゃないかと思います。碾茶と団茶の関連性は不勉強で解りません。また碾茶を細かく挽いて抹茶となり茶道として発展していきます。
サムネイルが良いかんじ
どうもどうも。
400年の間の食事の変遷…終戦から令和に至る迄の72年で日本の食事も大分変わりましたし、むしろ変化が無い方が不自然
餅茶の画像は雲南省の餅茶ですよ~!
是非とも時間奪ってくれ🎵 ゲームもスタミナ切れで時間余ってる テレビもアニメしかない(笑)
現代のヴィーガンや意識高い系もこの時代の貴族と似てる思う。。。。
いや、サムネが寿司とか鯛とかwww
博物館のお雛様の歴史の展示で、展示された資料の絵に、お供えものの料理としてか、平安時代の生活様式の絵内でか、そら豆の鞘ごと揚げた物の料理を描いた絵がありました。平安時代に灯りのなたね油で揚げて食べていた事に非常に驚きました。現代の飲み屋では鞘ごと焼いたおつまみはありますが、、、揚げ物食べてたんだ〜とビックリしました。今の天然の毒性を改良したなたね油ではない筈でお腹大丈夫だったのかな?あの時代って動物の脂肪で揚げた?灯油としてのなたね油だよね?
団茶って、今で言う「烏龍茶」とか「プーアル茶」?
古代中国や朝鮮も動かないことがステータスだったから、理解は出来るけど、原点はどこなんだろう
現代人がこんな時代にタイムリープしたら健康になれますね😃
塩分過多で血圧爆上がりしそう
風水に縛られた生活は今の私には耐えられません。名残は今でも時々散見されます。
子供の頃に読んだ漫画で読む日本の歴史、みたいなやつにも都から地方に出張に役人が、芋粥食べて「こりゃあ旨い、都は堅苦しいしご飯も美味しくないから引っ越したいよ」みたいな話があったな。うろ覚えだけど
雑穀の栄養を保持したまま、食べやすくできる商品ってないのかな・・。
平安時代って太ってるのが美人みたいなイメージあったけど食べるのがはしたないってどうしろと...
チャンネルは非常に面白くて登録やグッドもしました。本当に勉強になって楽しいし、目からウロコが落ちるような知識も豊富で素晴らしいチャンネルだと思います。しかし。物書きをされている方なのに、『食べれる』と、ら抜き言葉を使ったり。『見させて頂いている』というのはなんなのか。そこは拝見してる、視聴している、見ている…でよくないでしょうか。物書きとして言葉を扱う方ならば意識して欲しかったなと。残念です。普段、他の方にはいちいち指摘しないのですが物書きされてるとの事なので反応してしまいました。不躾なのは承知しておりますが、素敵なチャンネルだったものであまりに惜しく。ご容赦ください。
日本で貴族と言われていたのは貴族院議員だけで、平安時代は公家で明治時代以降は華族ではないですか。
平安時代までは貴族で間違ってないですよ武士が台頭した平安末期~鎌倉時代に武家に対応する呼び方として公家と呼ぶようになったらしいまあ、平安時代も上級貴族を公家と呼ぶケースはあったらしい
UP主の美学よ!!
いつの時代もセレブは最新健康法?(変なこだわり)を持っていたのね。
少しでも色が付いてると味が付いてると思ってしまう。
また時間を盗まれた!
主菜、副菜ってそう言う由来なのか
酒の糖度が35度前後という事は現代の甘酒かな。米と麹から作れば酒と同じ製造法だし。貴族の生活は宗教の規制やシャーマニズムから現代から見てとんでも文化で占いで今日はこの方角へは行けないとかどうしても行かなきゃならない時は一旦別方向に行ってから行くなど食生活のみならず不便だったろう。皮膚病が多いのも殆ど風呂には入らず夏は冷水冬はお湯で体をぬぐう事嫌いで現代の寝具のような防寒用は無く重い衣装を年中着っぱなしで重ね着で温度調整するなど百人一首のかるたの視られる優雅な絵とは異なり下世話に言えばかなり「ばっちい」衛生環境。(高校の時の古文で習ったこと)「切れ目、鉤鼻、おちょぼ口」「翠の黒髪、肌の白さ」が平安時代の美人の特徴でよく言われた事ではあるが、今一つの下膨れが塩分過多の食生活に原因がとは知らなかった。白さは室内が暗いから実は白塗りで鉛が使われてていたので薄命の一因だったとも。これは江戸時代まで続いた悲劇の一面ですね。興味深く拝見しました。
蘇が食いてぇ………………………………………
自粛期間に作ってみたんだが…パサパサのチーズって感じであまり美味しいと思えんし、胃もたれ起こして吐いてもうたんや…売ってたりもするらしいけどおすすめはしないなぁkiriとか食べてる方がよっぽどかなと思うよ
@@たやたや-t7h 情報提供ありがとう。
自粛期間中に作りました!パサパサなんだけど焼く前のクッキーのようなクリーミーな味がする、不思議な食べ物でした!
平安時代にサムネのような寿司は無かったような..
これは「ナレズシ」の代用です(笑)。こういうお寿司は江戸時代になってからですね(笑)。まあ、イメージ画像ということで(笑)。
なれ鮓で有名なのが、滋賀県の鮒鮓ですね。
⊂( ・ω・)⊃当時の混ぜご飯はめちゃめちゃ臭かったらしい明治生まれの人曰くだからみんな白米を食べた
臭かったのか!でも確かにアイヌの食事の本で安いお米(確かアメリカで作られた広東米)が臭うって描写ありましたね。そういう誰でも口に出来る系の物って臭かったのかもしれないですね。
だから日本陸軍では徴兵された兵隊の士気向上に軍隊に行けば白米が食べれると宣伝し白米を食べたが脚気が流行し日清、日露戦争での戦病死の大半が脚気が原因だった海軍は実験で麦飯と白米との比較して麦飯で脚気が少ない事が判明したのでパンや麦飯を出したので陸軍と比べて脚気患者は激減し日本で脚気問題が解決したのは戦後に栄養剤のアリナミンが発売されてから。
この時代って白飯ではなくて赤米や黒米とかか?白米って江戸時代に入ってからじゃなかったっけ?
茂木先生の授業は、ホントに面白いよね?有名予備校の先生なのに、堅苦しくなく。鳥瞰的に見たり、深く見たり。たまに演劇のセリフのような語りが入ったり。ドンドン引き込まれる。世界史なんて、ひたすら暗記でしょ!とワイら40年前の受験生は思ってたはず。こんな先生に教えてもらえる今の受験生が羨ましいぜ。あっ、主さんの語りもなかなかですよヽ(^o^)
まあ 「京都」だからってこともありますよね
✅
映えを意識し過ぎて不健康な貴族
現代で言えばシャム=貴族
食生活の縛りを作るって、どの宗教もろくなもんじゃないね
登録ボタン2回押すと登録取り消しになって、Goodボタン2回押すとGood取り消しになるのだがそれは・・・?
宮廷貴族階級食材 仏教寺院
庶民派、何を食べていたんだろう。アワ、ヒエ、等の雑穀、麦は食べていたのだろうか?
貴族の食事、これが本当の塩対応ですね。
こういうの聞くとホント現代日本に生まれて良かったと思う。
栄養学も発達していて好きなもの食べられますからね。
皮膚病とかビタミン不足で死ぬのは相当な苦しみだと思います。
@@yukkuri_rekishi_gurume
からの恋愛でストレスフルでフィジカルもメンタルもボロボロやん😵💫
膝立ち歩きは「衣装が重すぎたから」だそうです。日に当たらない、お出かけの時は(身分の高いお姫様はほぼ外出しませんでしたが)お部屋の所まで牛車が来て乗り降り、ようやくお出かけしても高貴な人は人に顔を見せないように袿などをすっぽり頭からかぶる…しかも栄養の偏った食事、重たい服に長くて自由の利かない髪…これじゃとても健康からは縁遠いです
よくこれで子孫を繋いでこられたとある意味感心します
田舎の金持ちが一番いいもの食べてるってのは現代も変わらない気がする
当時のお酒は糖度の高い濁酒が主流で上級貴族は飲み過ぎで糖尿病になる人が多かったそうです。
藤原道長もお酒の飲み過ぎで晩年はかなり苦しんでました。
苦しんでまでお酒を飲まなければ良いのにね。お酒を辞めて、普通に食事だけにすればよかったのに!
望月の〜って歌っていたのが嘘のような晩年。
あれが普通の食事だと思います(笑)
当時はお酒飲みすぎで糖尿病になるっていう事は分からなかったのではないでしょうか?
昔は糖尿病の事を飲水病って呼んでたらしいですが
@@狸郷 さん
あ、確かに!
末期の糖尿だっけか。
日本人にとって幸運だったのは米がアミノ酸スコアの高い理想的な穀物だったこと。※アミノ酸スコアが高いほど体の維持に必要なたんぱく質を作る必須アミノ酸が多い。ビタミン、ミネラルの多い玄米や少量の雑穀と混ぜて食べれば、少量の豆類や小魚を取れば体を維持出来たというところにある。もっともそのため「塩気のある少量のおかずで大量の飯を食う」という日本の独自の食事スタイルが定着することになったんですが。
@ああ 他の穀物に比べてスコアが1.5倍くらいあるから、玄米と雑穀を混ぜて大豆や魚を少々食べたらそこそこの栄養にはなるかと。
食品のアミノ酸スコアとタンパク質含有量は別なので、アミノ酸スコアが高い=タンパク質が多いと言うわけではないと思います。ご飯のタンパク質含有量は150gで3.8gとかなり少ないですね。
@@mcanthe 他の穀物に比べて、アミノ酸のバランスに優れているという意味かと。
中学生レベルの知識で反論してドヤ顔してたら、ガチ勢に冷静に説破されてて草。
おかず少なくて米ばっかじゃ糖尿になりそう。
11:14 カブは今でも「かぶら」っていいますね。子供のころは「かぶら」と「かぶ」は違う野菜だと思ってました。
「なすび」もですね。
私の周囲の年寄りは ネギ(長葱)をネブカって言うよ
紫ちゃん大好きなイワシを隠れて食べてたとか好き推せる
そりゃ、女性だから愛好するものを列挙したがるよな。清少納言は、随筆集にかき氷、イチゴを、紫式部は、本人が鰯好きで、物語に頻繁に出て来る三日夜の餅。結婚する時に召し上がるので、現在の天皇・皇后の時も出てきましたね。
めっちゃかわいいよな…
二人で一緒に食べたい…
再現映像がどうしてもFGOの方で再生されるw
湯漬けの話だと
ある貴族が太り過ぎに悩んで知り合いの僧に減量法を尋ねたら「湯漬けに熟れ鮨合わせて召し上がれたらよろしいかと」と言われて試したら、美味すぎてお代わりしすぎちゃって余計太ったってエピソードもあったりします
何それ面白い
甘葛の樹液使ってたって芋粥超高級品じゃないか
飽きるほど出せる地方豪族やべぇ
言わば当時超高級品のお砂糖や蜂蜜でこれまた超高級品のお米を癖の少ない里芋とかと一緒に煮込んだ超高級スイーツ粥でオーストラリアとかの牛乳で炊いたポリッジに蜂蜜やバターとかして食べる感じか…。それをドカッと食べ放題のオードブルに近い形式で出せるとかめちゃくちゃ金持ちやったんやな…
平安時代は公家の護衛だった武士がだんだんと地方豪族の長へと変わっていく。都ではあまり食べられない猪とか野鳥、鹿とかを狩りなどをして食べたりするから都よりも地方の有力者の方がいい食事をとってたんだろうなー
平安時代後期から鎌倉時代にかけての地方豪族(鎌倉武士)は食糧事情がよかったのと運動をよくしてたせいで他の階級の人間よりもかなり体格が良かったって説も聞いたことがありますね。
一般庶民や貴族の平均身長は150cm程度だったのに対して鎌倉武士は平均身長160cm以上あった可能性があるとか
@@rumasa3757 鎌倉時代の武士は今の弓道で使う弓の2倍の張力を持つ弓を使いこなせてやっと1人前と認められたとか・・・・・化け物並みの体力と腕力です。※モンゴル軍の兵隊並みのポテンシャルが武士にはあった模様
@@あぼぼです ディスカバリーチャンネルで検証してましたが鎌倉武士の和弓は非常に重たい矢を使うために射程は短めですが破壊力では歴史的な弓矢の中では最強だとか。(短いと言ってもイギリスのロングボウと同じくらいの射程はありますけど)
というのも日本は平野が狭いのであまり長い射程を活かせないため、近距離から中距離で確実に相手を倒すことを重視して破壊力を高める方向に弓術が発展したからだそうです。
しかも馬に乗って走りながらその強弓を使いこなせたというのだから敵からしたら相当恐ろしい存在だったと思われます。
院政の黄金時代とも、動乱の源平時代ともいう平安末期。前期、中期、後期、末期(後期は院政へ移行する時期。云わずと知れた院政と源平動乱期)で、後の世の種となります。
別に受け売りではないが、平家は、ブランチでは、白ご飯(お粥)、汁物、香の物、煮昆布、焼き鮭。
夜は左の膳 白ご飯、汁物、香の物、山の幸の物、生物。右の膳 酒(濁り酒)と醤(ひしお)と酢、焼き鳥、焼き物、生物。(現在の置き方と同じに書いている)
源氏を始めとするその他の軍事貴族は、大体が普通、玄米ご飯、香の物、魚類や肉類(肉は狩猟対象の獣類)とされる。
ところで、お話として出てくる「芋粥」は、割りと好き。何しろ、越前国(現在の福井県。武生を中心とした越前と、若狭国に分かれる)が舞台だから。越前国には、父親を心配した紫式部が同伴しています。現在でも、ゆかりの地です。
芥川龍之介の芋粥にも、芋粥を飽きる程食べたいと熱望する下級官吏←五位と呼ばれて、ぎりぎり殿上に上がれる人 が、地方豪族に招かれ、館や調度や、寝具の豪勢さ、ダイナミックに大量の芋粥を作る様を目の当たりにして、お腹いっぱいになって、念願の芋粥が、食べられなくなっちゃう結末が描かれていた。
動画投稿お疲れ様でした。
とても興味深い動画でした!
1:23 1:24 1:27 かかくくけか
この時代の雑穀はマジで「不味い」ぞ。現代人が玄米や雑穀米を普通に食べられるのは品種改良の結果
もしかして経験者か?
まずいかどうか置いておいて食べてみたい
感謝感謝やな
後、炊飯器のスペックが上がったのも大きい。
ワイちょっと頑張って片手する炊飯器購入して玄米毎日食べてるけど普通に美味しいで。
@@boxyouone でも一回食べたいな
そういえば、ある貴族が非常に美しい女性を見て恋心を抱いて、ある日たまたまその女性の家を覗いたら自分でご飯よそって食っているのを見て一気に冷めたという話もあったな
今じゃ真逆やな😂綺麗で庶民的が好かれる
お櫃ごと食べていたからって聞いたことある。
とても面白かったです。聞きながら源氏物語を思い浮かべてました
この時代の刺身の食べ方で鯉の刺身を擦った野蒜を酢に溶かして食べる方法があったそうです。野蒜自体が仏教的にNGでしょうが醤油の代わりを酢が担っていたのは現代の胡椒と酢で餃子を食べる感覚に近いと思います。
唐では茶の生産地から長安までの距離があったから流通に都合の良い団茶が発達したんでしょうね。日本だと大消費地の近くの宇治や狭山が茶どころですからね。
へー、そうなんですね。
お詳しい!
全くそのこと知りませんでした(笑)。
琵琶湖畔が貴族の別荘地だったので、琵琶湖で捕れる淡水魚がメインディッシュだったのかも。琵琶湖は都に近いので「近つ淡海(ちかつあわうみ)」と呼ばれ、後の近江(おうみ)となり、都から遠い浜名湖が「遠つ淡海(とおつあわうみ)」と呼ばれ、後の遠江(とおとうみ)となり、漁ができる淡水湖は特別な存在だったことが伺えます。京都に近いお茶は宇治茶と土山茶があり、土山に近い信楽は茶器の産地、東海道沿いに鈴鹿山脈を抜けた先が伊勢で、更に東海道を東に行けば静岡茶の一大産地の遠江、その中間地点に庶民向け茶器の瀬戸物の瀬戸があります。後の戦国時代に茶の湯文化が花開いたので、どの地域の特色がどの時代の名残なのかは難しいですが、食文化繋がりで歴史を紐解くのもいろいろ面白そうです。
楽しく見ました。
「イワシ」は「いやしい」に似てるから、貴族は食べなかったんだよね。でも紫式部は「岩清水」にはみんなお参りにいくのに、といってやり込めていたらしい。
貴族が肉を食わなかったお陰で庶民は森からやってくる獣たちを自由に食べる事ができた。
貴族は肉は食べてたよ。但し、貴族所有の荘園を管理する武士に依存してただけ。
京都は海から遠いので川魚ばかり。各地の国主となった受領という立場の貴族は地方を搾取して米でも
肉でもいいものを食べていた。だから京都にいるより国主となる方がいい暮らしができた。
肉も配下の武士が荘園で獲ったものを運ばせたが、遠けりゃ干し肉にならざるを得ないだけ。
海の魚は塩漬けのものを運ばせ、酒で塩抜きした「酒びて」というのを食べてた。
冷蔵庫がないから塩辛いものばかり。
肉食べてる方が体格も良くて、力もあっただろうね!そう言う土地柄なら、筋肉隆々の武士がわんさかいそう!
@@ときいろ一色
戦に使う弓はそのまんま狩りに使ってたし、甲冑は家二軒建つほどの経済力を要したし、日本刀も弓も当時のスーパーウェポンでした。武士とは経済的肉体的エリート中のエリート。世界でも珍しい重装騎馬弓兵。今の感覚でいうならスーパーカーに乗って最新銃器を持つような存在です。屈強な戦士だったので相応の量の肉も食べてたでしょう。
@@evilcutter
重戦車でしょう。
位の高い人が、訳のわからない死に方をするのは 食事のせいも一因にあったのだろうなぁ
栄養失調で失明したのを呪いだーって騒いだりしてそう
意外と貴族や天皇が呪いで死んだとかあるけど意外と変な食事してたからかもね
脚気との戦いは世界中で見られるけど、いろいろな方法で回避してて面白いよね
こんばんは!
平安時代の貴族は食事に制限があった事、
全く知らずでした。下膨れのお顔は
浮腫からとは想像もつかなかったです。
更に色々とお勉強をさせて頂きました。
とても楽しい動画のお話でした。
ありがとうございました!
茂木先生のチャンネルは
忘草飛鳥先生のツイートで拝聴させて頂いた事があります。早速チャンネル登録させて頂きます。
はい、是非とも茂木先生の動画観て下さい。
自分なんかの動画よりも観る価値ありますよ。
平安時代の貴族は不健康の塊ですね。
平均寿命30代くらいだったという説もあります。
@@yukkuri_rekishi_gurume 様
先生いつもコメント返信を頂きありがとうございます!
平安時代の平均寿命が30代とは
何とも驚きです。脚気とかが当たり前だったのでしょうね。
茂木先生の動画も今後楽しませて頂きますが、
私には先生の動画を歴史と食を学べる動画としては最高だと思っておりますし、
先生の辛い食べ物のお話も、とても楽しく参考になりますので、先生のおすすめの美味しい物も教えて頂ければ幸いです。
ブルダック麺シリーズ、購入した麺
全て美味しく食べました!
ですが、赤い袋のはたまらなく辛かったです。
湯麺も同等の辛さでしたが、
とろけるチーズと粉チーズで
マイルドにして完食しましたが、
口の中がビリビリしたので、蜂蜜を口の中で溶かしながら痛みを解消しました。
大変辛いながらもまた食べたくなる
旨さでした!
今後も楽しく学ばせて頂きたい次第です。
いつもありがとうございます!
@@kieyama9328さん
おお、もう全部食べられたのですね。
早い!
ちなみに、自分のお勧めの食べ物は辛い物以外では100円ショップとかスーパーで100円で売っているような添加物の入っていない甘いお菓子です。
「黒砂糖」とか「あんこ玉」とか「きなこねじり」とか「たまごボーロ」とかそういうの好きですよ。
100円で買えるので自分のような貧乏人にも優しいですし、100円の割にはけっこう美味しいです。
@@yukkuri_rekishi_gurume 様
返信頂きありがとうございました!
100円ショップで購入出来る美味しいお菓子を
教えて頂きありがとうございます!
買い物に行った際、目的の物しか購入しないので、くまなく売り場を見る事が出来てないので
知らない商品がたくさんあります。
なので先生から教わったグリーンアイシリーズやブルダック麺も初めて購入出来ました。
たまには甘いお菓子も買ってみます。
いつもありがとうございます。
@@kieyama9328さん
こちらこそいつもコメントありがとうございますです。
2回ずつ押す、が毎回ツボりますwww紫式部さんがまたちょっと好きになった
この動画もっと伸びていいな
今の雑穀はかなり食べやすくしてあるから昔の雑穀と一緒にしちゃいかんでしょ。
俺も雑穀米は好きだけど平安時代の雑穀米だったら多分食べる気もしなくなると思う。
前から思ってたけど、主の雑穀愛が凄いw
実際うまいもんなw
@@octdan6648 私も大好きです!でも妹があんま好きじゃないっぽいので普段の食事には出ないですね…ねだったらたまに出るけど
@@octdan6648 私も大好きです!でも妹があんま好きじゃないっぽいので普段の食事には出ないですね…ねだったらたまに出るけど
@@sara_nightmarejourney 同じです。俺は雑穀好きだけど、弟が嫌いなので弟が居ない日だけ雑穀にしてもらう。
勉強になりました!ありがとうございます
韓流時代劇で王様の御膳や両班の宴会の料理がやたら数が多く豪華に盛られているのをみて「毎食これだけ食べるの?!量的にありえない。なんかもったいない!」とずっと不思議に思ってたんですが、なるほど!据供御、召供御というものがあったんですね。
こちらの動画を拝見して謎が解けました。ありがとうございます😊
身体が丈夫で健康的なほうが自然と繁栄するんでしょうね。貴族が廃れて武士の時代になるのは納得でした。わたしも見習います笑
道理で平安初期のまだ食えてた頃のが健康体やったわけや…
雑穀米は栄養価こそあるけど不味いらしく戦時中祖父祖母が食糧不足で食べてたけど、「あんなのは二度と食べたくない」と言っていた
あー、私達の親世代はめちゃくちゃ嫌ってますね(私はアラフィフです)
今のお米や炊飯器のレベルが上がってるというのに三つ子の魂なんとやらというか絶対受け付けない。
30年くらい前のタイ米の時とか年配の方の嫌々感がもうね…(こち亀のネタにもなってた)
まあ正直美味しいかと聞かれたらうーんでしたが(タイ米ごめん)
なんで祖父母世代があんなに玄米とか嫌いなのか謎だったわ
なるほどね
10:24
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を
って言うけど味噌が出てくるのは高価だったのね
なんか豪族が城から「何尺何貫の山芋を明日の朝まで持ってこーい!」と叫んだだけで山のような山芋が集まったとかいうサブエピソードもありましたよね。
芋粥……一回食べてみたいなあ……でもたらふくはいいや🙏
現代は美味しいものが多くてありがたい……
茂木先生のチャンネル登録済みです。👍👍
高く盛るって、李氏朝鮮時代の宮廷料理にそんな描写あったな
米は赤米や黒米も食べていたんでは?
楡の木の樹皮の粉って糠漬け風かな(後世に糠で代用したのかも)
牛乳といえば、蘇をとっていたのでは?もしや、チーズやバターも食べていたかも
芥川の『芋粥』の援用で、納得度が増しました。
楽しく拝見しています。
少なくとも30年以上前に、NHKの「歴史への招待」で、遣唐使が日本に伝えた食事を実際に調整して鈴木健二アナが食レポしていました。NHKアーカイブスに遡れば視聴出来るのかもしれませんが、取り上げて頂けたら嬉しいです。
平安時代は不便そうだけど雰囲気が好きだからいつか行ってみたい
芋粥、とある大学が再現してましたね。
汁は今の缶詰シロップのような風味だったそうです。昔は贅沢品だったのもうなずけます
明治期ですら天皇が使っていたお褥(座布団)が片付けられていなかった場合、そこに天皇がいるものとして膝歩きをしなければならなかったとか誰かの著書に書いてありました。
多分もっと昔は、十二単やそれに準ずる装束を着たまま、天皇皇后、妃方や親王内親王へ付き従ったり、何か仕事中でも身分高い人の前を通るとき膝歩きをしていたんじゃないかと思います。
なるほど!
多分仰られている通りだと思います。
今回参考文献には載せませんでしたが、けっこう前に平安時代全般のことがイラストや写真付きで載っている本を読んで、それに書いてあったから今回取り上げてみた次第なんです。
やっぱり詳しい方いるなぁ。
@@yukkuri_rekishi_gurume 明治宮殿のさんざめきという本と、明治天皇の一日、女官という本に同じ記述があって、そのうち女官という本は実際明治天皇に仕えた女官の著書なので膝歩きは比較的近代まで残っていた風習だと思います。
大正天皇の后貞明皇后は夫婦生活の在り方は欧米に倣う等の先進性を受け入れていましたが、昭和天皇が推し進めた宮廷の近代化と改革を嫌い、大正天皇崩御の後も旧来のままの宮廷儀礼や女官制度を昭和に入っても宮廷とは別にして持ち越していたらしいので、確証はないのですがもしかすると古の様々な宮廷儀礼ももっと近い時代まで生き残っていたのかも……
また膝歩きとは別に明治の宮廷には面白い習慣があって、何かの折に天皇皇后付きの女官が夫妻と食事を共にする際、地べたに座り腿に肘を乗せるような姿勢で体を折り曲げて食事をするのが決まりだったそうです。著者も【どんなに美味しいものでもこれでは何食べたかわからないので正直迷惑】と記すほどめんどくさい習慣だったそうです。
とっても面白かったです😃💕
「へぇ~」「ほぉ」
何度口から出てきたことやら。
なぜ女性の下膨れの顔が描かれるのかずっと(?_?)でした。
今日スッキリしました⤴️
次も楽しみにしています☺️
ありがとうございます!
次も動画が上がったらまた観に来て下さいませませ。
@@yukkuri_rekishi_gurume
はい、勿論です❗️
返信有り難うございます😃
平安時代にタイムスリップしたら、ラジオ体操と栄養バランスを流行らせたい。あと、穀物の品種改良も。
いつも面白く見ております。せっかくですので著作物を一冊購入しました。応援しております。ゆっくり実況も楽しみにしております。
面白かった🎵
海外もみたーい
モギセカは、いつもみてます💕💯
あ、茂木先生の動画観てますか。
自分も好きでよく観ています。
たまにこのアカウントで茂木先生の動画にコメントさせて頂くのですが、現時点では茂木先生の動画くらいですね、そういうことするのは。
すごい喋り上手ですよね。
@@yukkuri_rekishi_gurume わかってくれる人がいたー‼️
友達にすすめても、合わなかったようで。。。
歴史が 浮き上がって目の前でおこってるようで 楽しいのにー
あんま 理解されない(;_;)
モギセカは、色んな方向から、解説上手にお話してくれる ドラマがあるんです
歴史グルメさんも その時の からみ が、なければわからない食のこと‼️
地味に応援し続けます💕
@@あんあん-v7rさん
ありがとうございます(笑)。
これからもマイペースで動画作っていくので、暇な時にでも観に来て下さい(笑)。
とても面白いです!チャンネル登録させて頂きました。
おかしなしきたり…
私たち現代で、これから意味の無い謎の規制が出てきそうでたまに不安になります…恵まれてるからこそ…
今美味しいと思えるものを気軽に食べれることに改めて感謝しなきゃと感じました…
これからも応援してます(´∀`)
貴族めんどくさい事多すぎてカワイソス
でも庶民よりマシですしおすし
1年以上前の動画だから突っ込まれ済みだろうけど紫式部の名誉のために…「イワシが大好きだったのは和泉式部」です。
出典が「猿源氏草子」だから源氏物語と混じったのかな?
12:26から載せた写真は、台湾の餅茶ではありませんです、それは中国雲南産の餅茶ですよ😄
団茶はね、令和の世ではプーアル茶の名前で、中国茶として一部の人には好まれてますよ。因みに、チベットではこれにヤクのバターを加えてバター茶として飲んでます!バター茶は、、、味は、、、
メモ📝😊平安時代の食事…
プーアル茶みたいなのが合わなかったのかな、一つまみで何回でもお茶が入れられるんでお得な感じはするけど。
据供御、召供御、調べたけど全然出てこない、、、写真とかもみたいのに、何か乗ってる文献ありますか?
確か貴族女性が膝歩きしてたのは、いちいち立つと十二単衣を毎回綺麗に直さないといけなくて面倒だったからって予備校の先生は言ってた。
最後にご紹介された先生の動画もきっと素晴らしいのでしょうが、僕はここのUP主殿が注目し、考察なさる題材こそ非常に興味深く唯一無二で、かつ心強くも感じられ、毎度のごとく感銘を受けております。食事から人類の歴史を読み解く‥これは大変なご偉業ではないでしょうか?謙遜なさっておられますが、これほどの歴史文化民俗紹介チャンネルは他に例がなく、きっと大成なされるものとお見受けいたします。
何よりの褒め言葉です。
ありがとうございます!
でも謙遜じゃなくて別に大したもの作ってるって思ってないんですよね。
@@yukkuri_rekishi_gurume これは失礼いたしました、本心から謙遜はなさっておられないようで。
ご本人は何気なく作っておられるものが結果、非常に意味深いものとなっている、それこそ秀逸と呼べるべきもの❗️
ゆっくり解説は好きで良く観ており、数ある中でも今はこのチャンネルに一番どハマりしております。
これからもさらなる秀逸な動画を期待し、そして応援申し上げます‼️
貴族化していった平家とゴリゴリの武士だった源氏
最終的に平家が負けたのは生活習慣も理由の一つやろうな
いつもすごく勉強になります、供御の存在を初めて知りました。
貴族の食事で思い出しましたが、この時代から既に天皇への御献上品が頻繁に届いていて地方色豊かな膳だったそうですね。
古い時代のお酒はどこの国でも糖度高めのアルコール低めだったんですねえ。
何でも日本では地方分権的な特色が強いから地方の名産が発達したとかそんな感じらしいですよ。
国によっては地方の名産とかそういうの全然ないらしいですからね。
アルコールはそうですね、古代には蒸留技術がないのでどうしてもアルコール濃度が低くなってしまうのです。
日本最古のスパークリングや清酒は奈良のお寺で偶然出来たものなんて説もある
伊勢外宮前に宮家の朝食(だったと思う)提供してくれるお店ありますよ。
予約出来ない(だったと思う)から並ばないといけないけど。
しかし不思議に思うのは、昔の人も経験則とか自然を観察するのはかなり得意だったのに雑穀米の方が体に良いと長年気づけなかったこと。
でも雑穀より米のほうが美味いやん。それが全て。
@@Tatu-o4w
それな
いいね100回押しました
知らないものは知らないんだから食べられなくても不満にはならないけど
好きなものをそれは食べちゃダメとか今は食べちゃダメとか言われたら
時代も地域も関係なく
ほっといたれいや!
芥川龍之介の『芋粥』の中に宴会料理を品数が多い割に碌な物は無いと書いてた。
江戸時代は、幕府に予算を絞られた結果、売れ残りの腐りかけの食材をこっそり買ってきて皿数だけは何とか維持していたとか聞いたな
次回は蕎麦など江戸時代の転封で本来の本場以外に広まった食文化をテーマに作ってくれませんか?
出石蕎麦(兵庫)や出雲蕎麦が定着したのは、江戸時代の転封で信州から来た大名(当然譜代)が蕎麦職人(農家を含め)を召し抱えて連れて来たからってのは有名ですが他にもあると思えるので。。。
転封が当たり前の譜代大名が「蕎麦を喰えなくなるのは嫌じゃ〜。なんとかせい!」とわがままを言ってくれたおかげで、よりバラエティーが増えた(笑)
平安時代の宮中の若い娘の言葉遊び(ギャル語)で、『お○○』と略すのが流行った時代ね。
田楽がおでん、音を鳴らすのがおなら
・・・、おこわは、こわいいだったのか。。。
当時のお酒、「長屋王」ていう銘柄のものが再現されて発売されていますね♪
(陰陽師「どうしてお前はそういう事にばかり回転が早いのだ?;」
団茶は中国でも美味しくないからと廃止されてるんで仕方ないかなと
日本人向けに散茶から煎茶になるんでどうやってもなくなる運命だと思う
平安時代の唐果物というと歓喜力行団みたいな名前のお菓子が今もありますよね。
いつも名前を忘れてしまいます。
後で味を調整する料理はイギリス料理に近い感じですかね?
イギリス料理ってそうなんですか?
いや、それが実は自分イギリス料理のことはまだ全然知らないんですよ。
産業革命の影響で料理がまずくなったっていうことくらいしか知りません。
これからちょっとずつ本を読んでいこうと思います。
そういえばあの長い江戸時代よりももっと長いのか。
もう玄米じゃなくて白米? 精米技術(というか概念)っていつ頃からあるのかな
ロシアかどこかでは石鹸のように固めたお茶を飲んでたと聞くけど、ひょっとして団茶ってやつがそれに該当するんだろうか。
ロシアのお茶のことは詳しくないんですけど、固めたお茶だったら団茶ではないかと思います。
言い方は色々あるんですけどね。
精米技術は弥生の頃からあるのですが、今回の平安時代のように完全に白にはならずにやっぱりいくらかは糠が残ってしまったみたいです。
中国では碾茶が製造されていましたが茶葉を固形状に固め削って飲んでいたという事ですから保存性を考えていたことだと思います。でもなかなか解けずとっても苦かったようです。それで砂糖やらジャムを入れたり添えたりしたんじゃないかと思います。碾茶と団茶の関連性は不勉強で解りません。また碾茶を細かく挽いて抹茶となり茶道として発展していきます。
サムネイルが良いかんじ
どうもどうも。
400年の間の食事の変遷…終戦から令和に至る迄の72年で日本の食事も大分変わりましたし、むしろ変化が無い方が不自然
餅茶の画像は雲南省の餅茶ですよ~!
是非とも時間奪ってくれ🎵 ゲームもスタミナ切れで時間余ってる テレビもアニメしかない(笑)
現代のヴィーガンや意識高い系もこの時代の貴族と似てる思う。。。。
いや、サムネが寿司とか鯛とかwww
博物館のお雛様の歴史の展示で、展示された資料の絵に、お供えものの料理としてか、平安時代の生活様式の絵内でか、そら豆の鞘ごと揚げた物の料理を描いた絵がありました。平安時代に灯りのなたね油で揚げて食べていた事に非常に驚きました。
現代の飲み屋では鞘ごと焼いたおつまみはありますが、、
、揚げ物食べてたんだ〜とビックリしました。
今の天然の毒性を改良したなたね油ではない筈でお腹大丈夫だったのかな?
あの時代って動物の脂肪で揚げた?灯油としてのなたね油だよね?
団茶って、今で言う「烏龍茶」とか「プーアル茶」?
古代中国や朝鮮も動かないことがステータスだったから、理解は出来るけど、原点はどこなんだろう
現代人がこんな時代にタイムリープしたら健康になれますね😃
塩分過多で血圧爆上がりしそう
風水に縛られた生活は今の私には耐えられません。名残は今でも時々散見されます。
子供の頃に読んだ漫画で読む日本の歴史、みたいなやつにも都から地方に出張に役人が、芋粥食べて「こりゃあ旨い、都は堅苦しいしご飯も美味しくないから引っ越したいよ」みたいな話があったな。うろ覚えだけど
雑穀の栄養を保持したまま、食べやすくできる商品ってないのかな・・。
平安時代って太ってるのが美人みたいなイメージあったけど食べるのがはしたないってどうしろと...
チャンネルは非常に面白くて登録やグッドもしました。
本当に勉強になって楽しいし、目からウロコが落ちるような知識も豊富で素晴らしいチャンネルだと思います。
しかし。
物書きをされている方なのに、『食べれる』と、ら抜き言葉を使ったり。
『見させて頂いている』というのはなんなのか。そこは拝見してる、視聴している、見ている…でよくないでしょうか。
物書きとして言葉を扱う方ならば意識して欲しかったなと。残念です。
普段、他の方にはいちいち指摘しないのですが物書きされてるとの事なので反応してしまいました。
不躾なのは承知しておりますが、素敵なチャンネルだったものであまりに惜しく。
ご容赦ください。
日本で貴族と言われていたのは貴族院議員だけで、平安時代は公家で明治時代以降は華族ではないですか。
平安時代までは貴族で間違ってないですよ
武士が台頭した平安末期~鎌倉時代に武家に対応する呼び方として公家と呼ぶようになったらしい
まあ、平安時代も上級貴族を公家と呼ぶケースはあったらしい
UP主の美学よ!!
いつの時代もセレブは最新健康法?(変なこだわり)を持っていたのね。
少しでも色が付いてると味が付いてると思ってしまう。
また時間を盗まれた!
主菜、副菜ってそう言う由来なのか
酒の糖度が35度前後という事は現代の甘酒かな。米と麹から作れば酒と同じ製造法だし。貴族の生活は宗教の規制やシャーマニズムから現代から見てとんでも文化で占いで今日はこの方角へは行けないとかどうしても行かなきゃならない時は一旦別方向に行ってから行くなど食生活のみならず不便だったろう。皮膚病が多いのも殆ど風呂には入らず夏は冷水冬はお湯で体をぬぐう事嫌いで現代の寝具のような防寒用は無く重い衣装を年中着っぱなしで重ね着で温度調整するなど百人一首のかるたの視られる優雅な絵とは異なり下世話に言えばかなり「ばっちい」衛生環境。(高校の時の古文で習ったこと)「切れ目、鉤鼻、おちょぼ口」「翠の黒髪、肌の白さ」が平安時代の美人の特徴でよく言われた事ではあるが、今一つの下膨れが塩分過多の食生活に原因がとは知らなかった。白さは室内が暗いから実は白塗りで鉛が使われてていたので薄命の一因だったとも。これは江戸時代まで続いた悲劇の一面ですね。興味深く拝見しました。
蘇が食いてぇ………………………………………
自粛期間に作ってみたんだが…パサパサのチーズって感じであまり美味しいと思えんし、胃もたれ起こして吐いてもうたんや…売ってたりもするらしいけどおすすめはしないなぁ
kiriとか食べてる方がよっぽどかなと思うよ
@@たやたや-t7h 情報提供ありがとう。
自粛期間中に作りました!パサパサなんだけど焼く前のクッキーのようなクリーミーな味がする、不思議な食べ物でした!
平安時代にサムネのような寿司は無かったような..
これは「ナレズシ」の代用です(笑)。
こういうお寿司は江戸時代になってからですね(笑)。
まあ、イメージ画像ということで(笑)。
なれ鮓で有名なのが、滋賀県の鮒鮓ですね。
⊂( ・ω・)⊃当時の混ぜご飯はめちゃめちゃ臭かったらしい明治生まれの人曰く
だからみんな白米を食べた
臭かったのか!
でも確かにアイヌの食事の本で安いお米(確かアメリカで作られた広東米)が臭うって描写ありましたね。
そういう誰でも口に出来る系の物って臭かったのかもしれないですね。
だから日本陸軍では徴兵された兵隊の士気向上に軍隊に行けば白米が食べれると宣伝し白米を食べたが脚気が流行し日清、日露戦争での戦病死の大半が脚気が原因だった海軍は実験で麦飯と白米との比較して麦飯で脚気が少ない事が判明したのでパンや麦飯を出したので陸軍と比べて脚気患者は激減し日本で脚気問題が解決したのは戦後に栄養剤のアリナミンが発売されてから。
この時代って白飯ではなくて赤米や黒米とかか?白米って江戸時代に入ってからじゃなかったっけ?
茂木先生の授業は、ホントに面白いよね?
有名予備校の先生なのに、堅苦しくなく。鳥瞰的に見たり、深く見たり。たまに演劇のセリフのような語りが入ったり。ドンドン引き込まれる。
世界史なんて、ひたすら暗記でしょ!とワイら40年前の受験生は思ってたはず。こんな先生に教えてもらえる今の受験生が羨ましいぜ。
あっ、主さんの語りもなかなかですよヽ(^o^)
まあ 「京都」だからってこともありますよね
✅
映えを意識し過ぎて不健康な貴族
現代で言えば
シャム=貴族
食生活の縛りを作るって、
どの宗教もろくなもんじゃないね
登録ボタン2回押すと登録取り消しになって、Goodボタン2回押すとGood取り消しになるのだがそれは・・・?
宮廷貴族階級食材 仏教寺院
庶民派、何を食べていたんだろう。アワ、ヒエ、等の雑穀、麦は食べていたのだろうか?
貴族の食事、これが本当の塩対応ですね。