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ほんと、貴重な動画だなー(感激)プリンス R380 は、我が人生でこれほどに憧れ、ドキドキした車は無いだろうな!と思える名車。この後の、日産 R380.381.382.383とかには無かった憧れでした。
プロジェクトX死ぬほど見たなぁ。 技術者魂に痺れまくった。
R380のエンジンを櫻井さんがかけて「OKサイン」…あの櫻井さんのサインの瞬間にいつも泣きます…
日本の技術者がいかに優れていたか、技術者だけではなくピットの力、運転者の力、全ての力の結集力でポルシェに勝利!昭和にプリンスGT平成、令和と時代は流れて現在のGTRに受け継がれて来て誇らしく感じて居ます!
こんな貴重な動画をありがとう。ベストモーターリング公式チャンネルさん。
日産ではない、航空機メーカーをルーツとするプリンスの栄光である
日産がゴーンしている今だからこそプリンススカイラインを思い出して欲しい
貴重な映像が見れて良かったモノってのは、発展途上の段階の奴が、設計者の個性だったり試行錯誤の跡が感じられて面白い
プリンス・日産は名車が多い。スカイラインクーペ(初代)もブルーバードSSSケンメリもみんな好き。
貴重な映像とお話ですよね。僕の車の理想・思想に影響を与えた櫻井さん・・・あなたがいたから私はスカイライン=車を好きになりました。ありがとうございます!
自分は子どもの頃によくスカイラインのイベントに連れてってもらいプリンス&スカイラインミュウジアムなどで櫻井さんの講演を何度も聞いたことあります。忘れられない思い出です。
正に、名実共に日本スーパースポーツカーの先駆けでしたね!
日本最初のスーパーカーです!
かつて、伊藤修令さんにGR8とS20の排気量がなぜ違うのか聞いたところ「焼きついてOSピストンを入れても2リッターを超えないように」との事でした。
0:50 元プリンス社員ドライバーの古平勝さんがいじられる姿が微笑ましい。このレストアに尽力された方。
全く関係ないけど、今の方が映像は圧倒的に綺麗になったのに当時の映像ほどの迫力とか興奮みたいな何とも言えないアツい何かが足りないような気がする…
私、高校時代から車に今日があり、大学は機械工学科理工学部に行きました。夢は車の設計でしたが、夢半ばイヤ夢前半であっさり砕けてしまいました。私の脳味噌が付いて行けなかったのです。すみません。でも、なんとか、4年過ぎてプリンスデーラーでサービスの仕事ができました。3年間でしたが、毎日小さいながら夢の中でした。休出、残業なんか屁でもなかったです。仕事後自分の車(PC10WT)いじったり友人の車いじったり、自分の車には社内価格でラリーキットを買い夜通しで交換し、明け方そのまま試運転に行ったり、とにかく3年間は全てが車と自分の時間でした。今は・・・毎日日曜日の堕落した最低の生活です。
北野元とか櫻井眞一郎クラスはもう「神」であって私らは「北野さん」とか「櫻井さん」とか言わない。お名前がそのまま「尊称」になってしまっている。カーグラフィック編集長がコースをフェアレディZで走っていて(後ろのZが北野だ!)と思った瞬間ぶち抜かれていた話は感動した。カーグラフィックの編集者だってダブルクラッチを綺麗にこなせるような腕前なんだよ。しかし神には勝てない。
gorgeous looks and noise. thanks for video
レースの内容、レーサーの顔ぶれから、R380はカレラ6とほぼ互角の性能であった事が想像されます。素晴らしいの一言ですね。ただ、エンジンサウンドは空冷フラット6より、ストレート6方が断然良い✨👍
トヨタ2000GTより今で例えるならR380はえげつない価値がつくんだろうな 1台だけ誰かが所有してるとの話だが もはやお金とかではないんだよな 勝ちたい 今の大谷選手と同じ気持ちなんだろうな
小学五年生の時、富士スピードウエイで第3回日本GPで開催され、白黒TVでレースを見てた。R380 を見て? ポルシェ904?レースはワークスチームの力で優勝したな。プリンス自動車の技術力は凄かった。
この頃の国内最速レーシングカーはレーシングドライバーの中でも乗りこなせるのは一握りだけど、最近の国内最速レーシングカー(ハコ車)はレーシングドライバーなら乗りこなせる人が多そう。ってこの動画見て思った。
この頃から日産はピット作業が早かったとは。
プリンス「空母のチームワークだ!」これで互角だったポルシェにピットタイムで大差つけ、R380はぶっちぎり優勝した。極秘の秘密兵器、ピット作業の猛練習などで「プリンスの優勝」がある。日産がプリンス吸収の際日産「あなたたちの技術を私達に教えてください!」そこでプリンスが軸になってフラッグシップモデルのスカイラインとかが日産のブランド(日産プリンスとかディーラーもあった)を支え続けた。
当時、R382は6L、V12気筒で600馬力以上の出力、グループ7カテゴリーでプロトタイプレーシングカー、市販車ベースではない純粋なレーシングカーである。しかし、現在、日産GTR、R35は市販車で600馬力を出している、其も4輪駆動ときている、技術の進歩はめだましいもので有ります。
マジかよ、半世紀以上前に車で280km/h も出してたのか… 信じられん…恐るべき技術力、やっちゃってるね!(笑)
2000cc未満NA キャブ コンピューターなし、で280kmhですしね!
正に匠、
Rー380のフレームを見ましたがビックリするほど細いです。
プリンス自動車は、立川飛行機をルーツとする多摩電気自動車が前身のですが、中島飛行機の技術者も加わっていると言う事ですかね??
プリンスは1954年に旧中島飛行機系の企業の「富士精密工業」と合併して、社名もプリンスから富士精密工業となっていたからでしょう。その後1961年に再度プリンスへと社名変更しました。航空機会社としても中島の方が上だったようですし、中島は零戦のイメージが強いので高性能なイメージで立川よりも前に名前が出るのかなと思います。
This car will be on Gran Turismo Sport but it’ll cost 20 million credits and no one will be able to afford it :/
すげ~~~~。排気音がまさに野獣の咆哮。
感動するのだが、冷静に考えると、給油作業がもし仮に同じくらいの時間かかるとしたら…
なんで昔のBGMって怖いんだろう 7:29くらいから
花山耕作 ちょっとガンダムっぽい
ピッタリじゃん
ホンマや、ガンダムはもしかして…ここから引用?
デザインのイメージは、苦杯を舐めさせられたポルシェ904だったりして・・・
今時の1秒のピットインwww😁
あっ3こめ
櫻井さんのようなバカになります!
ほんと、貴重な動画だなー(感激)
プリンス R380 は、我が人生で
これほどに憧れ、ドキドキした車は無いだろうな!と思える名車。
この後の、日産 R380.381.382.383
とかには無かった憧れでした。
プロジェクトX死ぬほど見たなぁ。 技術者魂に痺れまくった。
R380のエンジンを櫻井さんがかけて「OKサイン」…あの櫻井さんのサインの瞬間にいつも泣きます…
日本の技術者がいかに優れていたか、技術者だけではなくピットの力、運転者の力、全ての力の結集力でポルシェに勝利!昭和にプリンスGT平成、令和と時代は流れて現在のGTRに受け継がれて来て誇らしく感じて居ます!
こんな貴重な動画をありがとう。
ベストモーターリング公式チャンネルさん。
日産ではない、航空機メーカーをルーツとするプリンスの栄光である
日産がゴーンしている今だからこそプリンススカイラインを思い出して欲しい
貴重な映像が見れて良かった
モノってのは、発展途上の段階の奴が、設計者の個性だったり試行錯誤の跡が感じられて面白い
プリンス・日産は名車が多い。
スカイラインクーペ(初代)も
ブルーバードSSSケンメリもみんな好き。
貴重な映像とお話ですよね。
僕の車の理想・思想に影響を与えた櫻井さん・・・
あなたがいたから私はスカイライン=車を好きになりました。ありがとうございます!
自分は子どもの頃によくスカイラインのイベントに連れてってもらいプリンス&スカイラインミュウジアムなどで櫻井さんの講演を何度も聞いたことあります。
忘れられない思い出です。
正に、名実共に日本スーパースポーツカーの先駆けでしたね!
日本最初のスーパーカーです!
かつて、伊藤修令さんにGR8とS20の排気量がなぜ違うのか聞いたところ「焼きついてOSピストンを入れても2リッターを超えないように」との事でした。
0:50 元プリンス社員ドライバーの
古平勝さんがいじられる姿が微笑ましい。このレストアに尽力された方。
全く関係ないけど、今の方が映像は圧倒的に綺麗になったのに当時の映像ほどの迫力とか興奮みたいな何とも言えないアツい何かが足りないような気がする…
私、高校時代から車に今日があり、大学は機械工学科理工学部に行きました。夢は車の設計でしたが、夢半ばイヤ夢前半であっさり砕けてしまいました。私の脳味噌が付いて行けなかったのです。すみません。
でも、なんとか、4年過ぎてプリンスデーラーでサービスの仕事ができました。3年間でしたが、毎日小さいながら夢の中でした。休出、残業なんか屁でもなかったです。仕事後自分の車(PC10WT)いじったり友人の車いじったり、自分の車には社内価格でラリーキットを買い夜通しで交換し、明け方そのまま試運転に行ったり、とにかく3年間は全てが車と自分の時間でした。
今は・・・毎日日曜日の堕落した最低の生活です。
北野元とか櫻井眞一郎クラスはもう「神」であって私らは「北野さん」とか
「櫻井さん」とか言わない。お名前がそのまま「尊称」になってしまっている。
カーグラフィック編集長がコースをフェアレディZで走っていて
(後ろのZが北野だ!)と思った瞬間ぶち抜かれていた話は感動した。
カーグラフィックの編集者だってダブルクラッチを綺麗にこなせるような
腕前なんだよ。しかし神には勝てない。
gorgeous looks and noise. thanks for video
レースの内容、レーサーの顔ぶれから、R380はカレラ6とほぼ互角の性能であった事が想像されます。素晴らしいの一言ですね。ただ、エンジンサウンドは空冷フラット6より、ストレート6方が断然良い✨👍
トヨタ2000GTより今で例えるなら
R380はえげつない価値がつくんだろうな 1台だけ誰かが所有してるとの話だが もはやお金とかではないんだよな 勝ちたい 今の大谷選手と同じ気持ちなんだろうな
小学五年生の時、富士スピードウエイで第3回日本GPで開催され、白黒TVでレースを見てた。R380 を見て? ポルシェ904?レースはワークスチームの力で優勝したな。プリンス自動車の技術力は凄かった。
この頃の国内最速レーシングカーはレーシングドライバーの中でも乗りこなせるのは一握りだけど、最近の国内最速レーシングカー(ハコ車)はレーシングドライバーなら乗りこなせる人が多そう。
ってこの動画見て思った。
この頃から日産はピット作業が早かったとは。
プリンス「空母のチームワークだ!」
これで互角だったポルシェにピットタイムで大差つけ、R380はぶっちぎり優勝した。極秘の秘密兵器、ピット作業の猛練習などで「プリンスの優勝」がある。
日産がプリンス吸収の際
日産「あなたたちの技術を私達に教えてください!」
そこでプリンスが軸になってフラッグシップモデルのスカイラインとかが日産のブランド(日産プリンスとかディーラーもあった)を支え続けた。
当時、R382は6L、V12気筒で600馬力以上の出力、グループ7カテゴリーでプロトタイプレーシングカー、市販車ベースではない純粋なレーシングカーである。しかし、現在、日産GTR、R35は市販車で600馬力を出している、其も4輪駆動ときている、技術の進歩はめだましいもので有ります。
マジかよ、半世紀以上前に車で280km/h も出してたのか… 信じられん…
恐るべき技術力、やっちゃってるね!(笑)
2000cc未満NA キャブ コンピューターなし、で280kmhですしね!
正に匠、
Rー380のフレームを見ましたがビックリするほど細いです。
プリンス自動車は、立川飛行機をルーツとする多摩電気自動車が前身のですが、中島飛行機の技術者も加わっていると言う事ですかね??
プリンスは1954年に旧中島飛行機系の企業の「富士精密工業」と合併して、社名もプリンスから富士精密工業となっていたからでしょう。
その後1961年に再度プリンスへと社名変更しました。
航空機会社としても中島の方が上だったようですし、中島は零戦のイメージが強いので高性能なイメージで立川よりも前に名前が出るのかなと思います。
This car will be on Gran Turismo Sport but it’ll cost 20 million credits and no one will be able to afford it :/
すげ~~~~。排気音がまさに野獣の咆哮。
感動するのだが、冷静に考えると、給油作業がもし仮に同じくらいの時間かかるとしたら…
なんで昔のBGMって怖いんだろう 7:29くらいから
花山耕作 ちょっとガンダムっぽい
ピッタリじゃん
ホンマや、ガンダムはもしかして…ここから引用?
デザインのイメージは、苦杯を舐めさせられたポルシェ904だったりして・・・
今時の
1秒のピットインwww😁
あっ3こめ
櫻井さんのようなバカになります!