衆道とは?なぜ武士の時代にBLが流行したの?

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  • Опубликовано: 23 янв 2025

Комментарии • 63

  • @abbtk14
    @abbtk14 4 года назад +29

    かの水戸光圀は政治を例えて、男色ではなく女色のようにしなければならない、と言ったとか。女色は両方が快楽を得るが男色は片方だけ快楽であり片方にとっては苦痛でしかない、為政者も民も双方が快楽を得ねば…という事で、戦国武将達も統治者としてそういう悟りを拓いたのでしょうか…。

    • @ナカシマ筋肉ン
      @ナカシマ筋肉ン 3 года назад +1

      確かに入れられた側は痛いしヌルヌルするよね

    • @greensuzu2484
      @greensuzu2484 3 года назад +2

      @@ナカシマ筋肉ン
      女でも準備不足だったり体調によっては濡れないし痛いぞ

    • @sounan15
      @sounan15 3 года назад

      男性の入れられる側って、慣れても大概は良くならないもんなのか?

  • @hononi
    @hononi  4 года назад +6

    📝目次📝
    -------------------------------------------------
    目次 00:00
    衆道は機会的同性愛から誕生した 00:30
    女がいない戦場で衆道は始まる 01:41
    江戸時代対等関係の衆道始まる 03:32
    幕末に一時盛んになるも外国人の非難で下火に 05:11
    鶏姦罪という不思議な法律 06:13
    日本史ライターkawausoの独り言 07:19
    💬皆さまのコメントをお待ちしています
    ----------------------------------------------
    あなたは衆道についてどう思いますか?
    参考になった皆様の考察・歴史感をコメント欄に固定化させていただきます。
    ※あなたの考察やご意見をコメント欄までお待ちしています。

  • @tsubitan
    @tsubitan 4 года назад +6

    とても詳しく、わかりやすく興味深い情報がいっぱいでした!

  • @MegaTakaki
    @MegaTakaki 4 года назад +26

    江戸幕府3代将軍の徳川家光は、男色が強く(てか、モーホーだった)女性に興味を示さず、春日局は女性をあてがうのに物凄く苦労したとか。

  • @nbuob19
    @nbuob19 4 года назад +35

    掘られた側が罰を受けるのは草

  • @畑野よしゆき
    @畑野よしゆき 2 года назад +3

    NHKの大河ドラマ(戦国時代編)で男色、衆道についてのシーンを見た事がない。
    大河ドラマでそういうシーンは、今まであったのかな🤔

  • @高橋研司-v7b
    @高橋研司-v7b 4 года назад +20

    平賀源内も陰間が大好きで、陰間遊びのテキストブックまで書いてたそうです(笑)

  • @-chitoitu-3076
    @-chitoitu-3076 3 года назад +7

    一番強い兵とは愛する者と一緒に戦う兵士であることは、戦国より数千年前の古代ギリシャのテーベ神聖隊が証明しています。
    (神聖隊は愛し合う男子同士でバディを組ませそれを集めた部隊で、ギリシャ最強の部隊として語り継がれています。)
    そういうことから、最後の最後で自分を守る小姓集と愛し合うのは、理にかなっていると思われます。
    豊臣政権がああも簡単に滅んだのも、愛し合っていないので命がけで守る武将がいなかったことが原因の一つかと考えます。(秀吉は非男色)

  • @娘ちゃんねる抹茶味
    @娘ちゃんねる抹茶味 4 года назад +12

    農村では乱交や夜這い文化ですので同性愛は殆ど起こらなかったでしょうね
    武将の同性愛ですが、真性の同性愛者ですと異性と致すのはそれこそ『生理的に無理!』というものですので、子をなしてる時点で『嗜みとして』『興味として』の同性愛が殆どではなかってかと思います
    『虐める趣味も虐められる趣味も無いけどSMって少し興味あるなー。』みたいな感覚かな?

  • @ラパス-j4w
    @ラパス-j4w 3 года назад +5

    江戸や戦国の時代と現代では性の概念自体違っていたようですね。男性、女性とは別に「子供」が区切られていてその子供の性では男子も女子も含まれ、だから美少年は恋愛対象になり、おじさんになると恋愛の対象外になったそうです。

  • @オギマルゼミナール
    @オギマルゼミナール 4 года назад +21

    男子校でも多い・・・。

    • @tsubitan
      @tsubitan 4 года назад +9

      ぜひ、くわしく聞かせていただきたい

    • @マーリー-n4z
      @マーリー-n4z 3 года назад

      え、、、、マジ???それって、、、ヤリチンビッtt(((殴

    • @瀧川弥生-j6m
      @瀧川弥生-j6m 3 года назад +3

      女子高がレズが多いのと同じかな

  • @AF-zq6ln
    @AF-zq6ln 4 года назад +9

    女性の同性愛についての古い記録はぜんぜんないのかな。
    男性よりもカモフラージュしやすいし(自分の知ってる百合はほぼ家庭持ち)これはもう分からんよね。

  • @suzukiayato2775
    @suzukiayato2775 4 года назад +14

    何故掘られた側が罰せられるんだ?単純に掘った方を罰せば良いものでは?俺にピンと来ない不都合があったのか?

  • @shion-akechi
    @shion-akechi 4 года назад +8

    いわゆる「サークルクラッシャー」は異性愛者の女性だけではなかったのでしょうね。

  • @ヴラド魔王
    @ヴラド魔王 4 года назад +5

    いさじさん♂の元に成る人々が古の時代から脈々と継承されてますなぁ。
    ウホッ いい男ヤラナイカ?  野郎だらけだとBLに目覚める人達もいますから、世界でも。

  • @あちちあちち
    @あちちあちち 4 года назад +10

    徳川家達は明治維新以降も男色の傾向があったそうであまりいい目で見られてなかったそうです

  • @やまたたけのこ
    @やまたたけのこ 2 года назад +2

    卒業論文のテーマこれにしよ

  • @bure8552
    @bure8552 4 года назад +12

    「あなたは衆道についてどう思いますか?」一部、女人禁制を支持していた武将は存在していたと思いますが、戦国時代の武将は多種多様な考えの方の集まりであり、女人禁制を嫌う武将ばかりではありません。先日大河ドラマで行われた「本圀寺の変」は京都のど真ん中、戦場に女性は沢山いますし、戦闘期間は1/5-1/6の2日間、機会的同性愛=「異性を得られない環境下で、代償行為として同性を恋愛や性行為の対象に選択」ではないと思います。例えば、織田信長が、1つの戦場に半年間以上留まることは無かったと思いますので、機会的同性愛ではなかったと思います。織田信長クラスになりますと「異性を得られない環境下」はない、織田信長は沢山のお子様がいますので、自由自在な環境だったと私は考えています。ただ包囲戦をよく行った豊臣秀吉の家臣団の中には「異性を得られない環境下」になるケースはあったかもです。いずれにしてもこのような長期にわたるケースはまれで、ほとんどの場合「異性を得られない環境下」は少なく、衆道、男色に関しては、「男性も好き」もしくは「男性が好き」が正しい認識と思います。戦国時代の恋愛は現代よりも自由だったのではないでしょうか。

    • @MegaTakaki
      @MegaTakaki 4 года назад +7

      武将が戦場に小姓を連れて行き、男性といたしていたのは、
      女性は生理などで出血する事から、戦場に於いて「縁起が悪い」という意味合いがあったようです。
      まぁ、遊女連中が戦場に赴いて、体を売ってた事もあったようですが、これは
      自分らが連れて行ってない事から、例外扱いだったようです。

    • @bure8552
      @bure8552 4 года назад +2

      @@MegaTakaki 「戦場に於いて「縁起が悪い」という意味合い」という事を支持していた武将もいてたとは思いますが、戦国時代の武将は多種多様な考えの方の集まりであり、女人禁制を嫌う武将ばかりでは無かった思います。「本圀寺の変」のように都市部での戦闘になることもありますし、総構えの城郭では、町屋や寺町が城域にあり、攻城戦になると戦場には女性が沢山います。また「本圀寺の変」のように現実には2日間、短期間で決戦することが多く、ほとんどの場合「異性を得られない環境下」ではないと思います。「男性も好き」もしくは「男性が好き」が正しい認識と思います。

  • @赤ベコ111
    @赤ベコ111 4 года назад +19

    そこにANAがあったから!

  • @tenkenhan2
    @tenkenhan2 4 года назад +11

    1番気になるのがその当時ローションに代わるものとして何を使っていたのか
    やっぱりローション無しで行為をするしかなかったのかなぁ😓

    • @娘ちゃんねる抹茶味
      @娘ちゃんねる抹茶味 4 года назад +8

      海藻なんかから作ったローションがあったらしいですよ
      お口に入れても粘膜についても安心です

    • @あちちあちち
      @あちちあちち 4 года назад +1

      @@娘ちゃんねる抹茶味 一石二鳥ですね!

    • @かずみ-z4l
      @かずみ-z4l 3 года назад

      @@娘ちゃんねる抹茶味 なんか美味しそう

    • @sounan15
      @sounan15 3 года назад +1

      丁子油ってもんを使っていたとか。江戸時代まで下ると、水を加えて使うローションが商品として粉状で売ってあったらしいな

    • @瀧川弥生-j6m
      @瀧川弥生-j6m 3 года назад

      海藻は美容にいいから益々小姓が美しくなる。

  • @wtarako
    @wtarako 4 года назад +10

    この歴史は知っているんですけど、ただ「女がいないから男で代用」できるもんなんですか?美少年だって少ないでしょうし。
    「男は無理!だったら我慢する方がマシ!」よりも「男でもおk」になるのが、女からするとキョトーンなところがあります。
    そうか……できるもんなのか……。

    • @ウルトララトルウ
      @ウルトララトルウ 4 года назад +2

      絶対出来ません❗️代用は手ックスのみです😫

    • @booitsjohnny
      @booitsjohnny 3 года назад

      美少年は少なくないです。

    • @sounan15
      @sounan15 3 года назад

      正直、圧迫する力が女性の膣より男性の肛門のが強いから根付いたんじゃないかなーと個人的に思ってます。本能的に同性に発情しなくても、いっぺん同性の肛門の強さに慣れたら女性では物足りなくなるんじゃ?と。

  • @キノコを愛するアタオカ
    @キノコを愛するアタオカ 4 года назад +5

    蘆名盛隆、、、

  • @山口美和-o5x
    @山口美和-o5x 3 года назад +4

    「しゅうどう」 ではなく 「しゅどう」 ではないのですか?

  • @gg-hz7wu
    @gg-hz7wu 3 года назад +5

    「しゅうどう」ではありません。「しゅどう」です。

    • @畑野よしゆき
      @畑野よしゆき 2 года назад +1

      中国清朝→「セイチョウ」ではなくて「シンチョウ」です

  • @hana_no_wemahi
    @hana_no_wemahi 4 года назад +11

    高評価したけれども、流行って違うんじゃない。LGBTは天地開闢以来あったと思うよ。同性愛も異性愛も、昔の人は普通のこととして受け入れていたんじゃないかな。西洋の場合、キリスト教以後、日本の場合、明治以後、禁忌とされて、差別偏見の対象になっちゃたんじゃないのかな。男色は特殊なことでは全くなくて、普通のことです。

    • @bure8552
      @bure8552 4 года назад +2

      「男色は特殊なことでは全くなくて、普通のことです。」多分、戦国時代以前は、仏教以外では機会的同性愛は殆どなく、私も普通ではと思います。ただ「江戸初期に諸藩において衆道を厳しく取り締まる動きも現れた」という事らしいので、封建社会が復活した江戸時代になると、問題視される社会情勢になっていったかもしれませんね。ただこれも武士の世界だけで、農村、町衆まで厳しく取り締まったという事ではないので、問題視することはあったとしても、自由、強制するまでには至らなかったんでしょうね。

    • @娘ちゃんねる抹茶味
      @娘ちゃんねる抹茶味 4 года назад +4

      ただやはり同性愛は歓迎されるものではなかったというか、ある意味で蔑まれるものであったと思いますよ
      趣味程度なら『遊び』として笑い話にもなりますが、ガチになりますと『子をなせない』という忌むべき事になるからです
      年金もないし、老後の面倒は子孫が見る時代において 『子供、婿、嫁、孫』が絶たれる同性愛はやはり許容されにくかったのでは無いでしょうか

    • @kyokutousega
      @kyokutousega 3 года назад +1

      池田光政とか有名だけど、雨森芳洲みたいな人もいるし。好色一代男、雨月物語、東海道中膝栗毛とか江戸時代はかなり男色が浸透していたのは確か。

  • @izuru.orihara
    @izuru.orihara 4 года назад +4

    ウヒョ…なんだウヒョ…

  • @黒田松寿丸
    @黒田松寿丸 4 года назад +8

    こてこてのゲイもいるでしょうが、ビジネスゲイもいるでしょう。
    ただ、渋々女といたした子は、大抵ろくでなし。

  • @ウルトララトルウ
    @ウルトララトルウ 4 года назад +6

    信じられない❗️歯医者でさえ「◯◯市 歯科 女医」で検索して探すオレには絶対ムリ😫

  • @あちちあちち
    @あちちあちち 4 года назад +8

    しゅどうですよ。

    • @FooFooPanda-v6f
      @FooFooPanda-v6f 3 года назад +3

      さらに清朝を「せいちょう」と読んだのも中々

  • @林のくまくま
    @林のくまくま Год назад

    コンドームが無かった時代、尿道炎による頻尿になったと思うけどよくやるな~。!(^^)!