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小諸駅と聞いただけで、ちょっと涙してしまいそうになりました。佐久の生まれで中学卒業後、横須賀の自衛隊の学校に入隊した私は、夏・冬・春の休暇の度、信越本線と小海線をを乗り継いで実家に帰省しました。厳しい訓練の日々から解放され、碓氷峠を越えて浅間山を見た時の喜びは、50年近く経った今でも蘇って来ます。特急「あさま」とか、本当に懐かしくてなりません。そんな感傷はさておき、この動画で初めて、佐久・小諸市の間にこんな駆け引きがあったのかと、目から鱗でした。故郷を離れて家庭を築き、たまに行く墓参りも車なので、このような地元情報に触れることもありませんでしたから。詳しく解説して下さり、ありがとうございました。
県民ですがよくここまでリサーチされましたね、流石です。佐久平は佐久地方に全然無かった大型商業施設を充実させたことと道路を整備した事が大きいですね。基本的に車がないと生活出来ない場所。周囲の住人が集まりやすい条件が揃ったのだと思う。残念ながら小諸の周辺には何もありません。小諸は築城に選ばれるくらい、地形的に険しい傾斜地です。駅を挟むように史跡があり、特に南側は懐古園、その先は千曲川が作った高低差の激しい崖です。とてもじゃないが、新駅を整備したり広い道路を通すのに向いている場所が無いし、仮に作ったとしても、それ以上の発展は難しかったと思います。その点、佐久平駅は元々田んぼしかない平坦な地。新たな開発をしやすかったでしょうね。 ただ昭和レトロな小諸駅、私は個人的にとても好きですし、小諸は歴史深い素敵な街です。
我が地元の一部ですが、佐久はいまだに駅そばの田んぼがどんどん住宅地や商業施設になっててびっくりするくらい街が変わっていってます
ちょうど去年の夏にどちらも行きましたが小諸駅の衰退はすごかったですね。廃ホテルがあったり、小諸城も閑散としていたりと新幹線の通る佐久平と比べると活気を失ってしまった感じはありました。ですが、しなの鉄道が頑張っているおかげもあってか鉄道を小諸駅から利用もしくは小諸駅で降りる人はかなりいました。どちらの駅にも頑張ってほしいです。
駅前の話であれば肺ホテルではありませんよ…小諸城も桜と紅葉の時期は凄まじい人だかりです。
隣の上田に父親の実家が有りますが小諸は新幹線も高速道路も反対運動で佐久平になったらしい。お陰で小諸は寂れてしまったと言ってました。
小諸土着の高齢の人達は排他的な人が多いと聞きました⤵️新幹線駅もそれが災いして残念な結果でしたね。最近は若手の移住者もボツボツ増えているそうです。頑張れ小諸!
えッ!小諸が排他的なのですか?旅行者として訪問した時には全く普通でした。そして小諸は落ち着いた静かな町という印象。しかも小綺麗ですよね。ただ、佐久市には名物料理が有りますね。しかも…佐久市の市境に沿って北陸新幹線は見事に小諸市を迂回していますね。まるで新幹線から嫌厭されてるみたい(笑)。
@@小沼浩一 地域性の問題よりも高齢者だけが反対している感じですかね。例えば松本糸魚川道路のジャンクション設置に反対しているのも明科の高齢者、同じく松本糸魚川道路の建設で国道沿いに「土盛道路は要らない」立て看板や幟を掲げているのも大町の高齢者、松本波田道路のジャンクション予定地に反対の看板出しているのも松本の高齢者、ここまでくると害悪でしかない。
明治時代、鉄道の敷設の時も金を失う(鉄)道として嫌われ街道より下の現在の位置に小諸駅ができたとか。でも小諸には江戸の文化と明治の文化が残っているいい街だと思いまし、落ち着いた観光地としての価値があると思います。佐久平はその点文化的には乏しく、それ故にあたらしい町づくりが可能だったともいえます。便利ではあるかもしれませんが、どこにでもあるチェーン店が建ち並ぶこれと言って特徴のない街だと思います。
@@涼風-z9q負け犬
長野新幹線の開業が1997年10月。イオンモール佐久平のオープンが1999年の4月。何も無い所に駅を作ってイオンモールを誘致した事が一番大きい。今でこそイオンモールは全国各地に出来ているが当時はまだ数が少なく珍しかった。車社会の長野県は店に大きな駐車場がある事が何よりも大事で駅前型の店舗は長野駅前であっても衰退していて小諸にあった「ながの東急」が閉店した時も県内では大きく報じられた記憶があります。佐久平はロードサイド店と駅前のハイブリッド型が成功した稀有な例です。
何もない場所のほうが開発認可が降りれば開発しやすいというメリットはある。認可されるかどうかが難しい。地方だって駅前に郊外型の再開発すればうまくいくものです。歩行者対策は歩道を設置するだけでいい。店舗はクルマ前提で余裕を持って配置すること。そこは歩行者なんか無視して良い。「店舗間が遠くて大変」とか歩行者には厳しくても自動車からすればそのくらいの余裕がある方が楽でいい。そして、住宅地は引っ込んだ場所に限定して、主要街道沿道は戸建住宅禁止(建ぺい率や容積率で規制可能)にすること。全国各地の商店街が衰退した理由は「商店街なのに住宅ばかりになった」ことが大きい。
歯切れのよいナレーション、よく調査されているデータや経緯に基づく動画世の中のテレビ番組よりずっと素晴らしい出来です。感心しました。
これは歴史遺産の多い町、あるあるだよね。新規に開発できる余地のある町と無い町との差も大きい。
ちょうど佐久平駅が開業する前後のタイミングの時期に5年間ほど佐久市寄りに位置する小諸市和田に仕事の都合で暮らしていました。当時は自分も20代前半と若く、独身で時間もお金も元気もあり、地域の方たちとの交流も盛んでした。グループで夜遊びしたり温泉にしょっちゅう行ったり、スキースノボもかなり行きました。人生の中で最も楽しい時期でしたね。佐久平駅周辺は何もないだだっ広い畑のようなところでしたが、みるみるうちに国道のバイパスが整備されてホテルができ、イオンができ、大型カインズができ、スーパーができました。新幹線の影響力はすごかったです。地域が発展すると、そこに暮らしている方たちも未来に希望を持つことが出来るので、生き生きとして来るのがとてもよくわかりました。その一方で、小諸駅は変わろうとしていなかったような印象があります。歴史にあぐらではないですが。。佐久市の方が未来を見ていたんだろうと思います。転勤で東京に戻ってきた時は、車と人が多すぎて暮らしにくい!と感じました。佐久地域は晴天率も高いので、その暮らしやすさも発展要因の一つかなと感じます。東京にも出やすいですしね。定年退職後は、また佐久地域で暮らしたいなぁ。高齢化率が上がっちゃうか。
小諸の街を発展するにはあえて昭和と国鉄時代のレトロ感を引き出し懐古園など名所も豊富だから「街歩きや歴史散策」のメリットを活かすのも選択肢です。小諸駅も懐古園も街並みも小諸の貴重な財産です。
50歳にして故郷佐久に帰ってきたので、とても興味深く視聴させていただきました。高校の同窓や先輩には小諸牧野氏の直系の子息もいて、なかなか小諸にも愛着があるので、なんとか共栄の道があればいいなと日々暮らしております。勉強になりました。
佐久にはよく行っても、小諸にはほとんど行くことがなかったのですが、牧野氏が治められていたのですね。私の地元が室町幕府から牧野氏が入られて、江戸幕府前まで領主をされていました。何だか親しみを感じてしまいます。
関東人ですが「雄大な山間に開けた、歴史の香りがする、微妙にさびれた高原都市」という、今の小諸の在りようとたたずまいが味わい深く、心惹かれます。地元の方は見慣れてしまっているのでしょうが、駅の跨線橋から見る、何本にも分かれて夕焼けの山間の向こうに消えていく鉄路は、旅愁と郷愁に満ちて得も言われぬ光景です。小諸は大人の美意識や旅愁に訴える高レベルのアイテムを多数所持、保持している街だと思います。そこをうまく活かしていくことが将来の道なのでは・・簡単ではないでしょうが・・
元小諸市民です。様々な調査、お疲れ様でした小諸市は2001年にジャスコ小諸店が、2002年にこもろ東急が閉店し、大型家電店すら市内に存在しないという状況で、商圏的には終わってます買い物といえば、佐久平駅周辺か、上田に行かざるを得ない状況ですあと、11:00あたりのスタジアムは長野Uスタジアム(サッカー場)で、オリンピックスタジアムはこれの西の方にある野球場(花びらみたいな形)の方ですね
小諸の衰退は新幹線がルートを外れたことも一因としてありますが、鉄道以外に自動車のアクセスもだんだん良くなって遠くへ買い物行けるようになったのも大きいですよね昭和くらいまでの長野県は高速道路もなく、同じ旧佐久郡内であっても小諸と佐久市内の各町が共存できるくらいの生活圏だったのが、平成以降は上田、軽井沢と後発の佐久平に挟まれて商圏拡大できなかったのもあるのでは。今じゃ長野市民も高速道路で上越の道の駅や、群馬のコストコまで買い物に行く時代になりましたから…
ツ、ツルヤがあるもん。。。。。。
素晴らしい数値調査による分析に感服です。
岩村田駅から佐久平駅まで1kmくらいで、小海線乗るより歩いた方が早かったこともあり、新幹線の時間に間に合わせるべく歩いたことありますが、街の雰囲気が全然違いましたね。岩村田は古い街並みでしたが、佐久平近づくに連れて郊外店舗が増える傾向があります。
今年東京から小諸市民になった者です。小諸市がフル企画新幹線に強く反対したのは事実のようです。相生町を中心とする商工会がフル企画ホームの建設が懐古園に影響することで猛反対をした訳です。それによってJRは新幹線ウエルカムだった佐久市を通すようにした訳です。地図で新幹線ルートを見れば分かると思いますが、小諸を避けるように南に迂回しております。つまり小諸市は自ら新幹線を退けた訳です。当時新幹線小諸駅を反対していた人に聞くと、「小諸市は寂れてしまったが、これで良かった…。小諸は坂の町で新幹線が通っても佐久の様に発展するのは難しい」というお話でした。小諸市に活路があるとすれば、御影新田や和田といった佐久平駅に近い所に質の高い住宅地をしっかり開発することです。今佐久平駅は発展の一途を辿っていますが、良くも悪くも普通の住宅地が多いのです。東京の人がIターンしたくなるように景観や景色を大事にした高い品質の宅地開発ができれば富裕層の人口増加を狙えます。高額物件は田舎では売れにくいイメージがありますが、昨年販売された佐久平駅南側のマンションは1億前後でも即完売でした。都内組で狙っている人は多いと思いますので、ここが活路かと思いました。最後に佐久平駅周辺はとても住みやすい所です。・自由席はまず座れます。超繁忙期以外は全く争うこともありません。・動画でもありましたが、駅前に駐車場が沢山あります。満車はまずありません。・駅ロータリーにタクシーが常に待機しており、利用客も少ないので待つことなく乗れます。・高速も駅近くにあり、東京へのアクセスは車やバスも使えます。・周辺の宅地の値段は上がりましたが、まだまだ現実的な値段で留まっています。・ツルヤ、イオン等のスーパーや大きな病院が存在します。一方軽井沢は上記が危うくなります。・自由席は時間と時期によっては危ないときがしばしばあります。・駅前駐車場が少ないです。・タクシーは来るのですが、利用客も多いので待ちが多いです。・高速が遠いです。碓氷軽井沢ICは山の中で繁忙期は渋滞もします。・駅近くの土地は大変高額です。・スーパーはツルヤ、デリシアがありますが、箇所が限られているので混みます。ツルヤ特に混みます。・大きな病院はありません。町医者も少ないので御代田へ来ている方が多い印象です。という訳で、今後の小諸市の取り組みに期待したいと思います。
若干時間がかかるけど那須塩原駅付近よりも住みやすいと思う
小諸に対してぼんやりと感じていた印象の謎解きを見せてくださり、ありがとうございます。蒸気機関車牽引の列車で碓氷トンネルを通過するときに、窓を閉めるのが間に合わず石炭ガラが目に入って大変な思いをしたり、千曲川が氾濫して信越本線が不通になったときに黒姫から小諸まで車で送ってもらって動き出した上り電車に乗ったり、上田へ向かうときに横川駅で峠の釜飯を急いで買って補機の増結作業を見に行ったりしたことも想い出されて懐かしくなりました
スパチャ、ありがとうございます!
以前にHIGH RAIL1375に小諸から乗った時は乗客も少なく、「予約が取れないと言われている割には空いている」と思っていたら佐久平でワンサカ乗ってきて満席に。新幹線の影響は大きいのだと実感したものでした。
鉄坊主さんが小諸を取り上げていただきとても嬉しいです!新幹線が小諸に来ていたら衰退せず盛り上がりを見せてくれていたんだろうなーと思うと少し悲しく思います。今の小諸もとても良い所なので、たくさんの方が小諸を訪れてくれると嬉しいです!
もし小諸に新幹線が来ていたら小諸駅周辺に残る歴史的な建造物や懐古園なども維持できなかったかもしれません。一方で佐久市は地形的にも広い盆地であるなど状況的にも開発しやすく、有力政治家が居たというのも大きかったと思います。小諸は駅周辺まで「山の麓」の一部のような地形で、既存の雑居建造物を含めての再開発があれば大変だったでしょうし、周辺状況からも限られた開発にとどまったと思われます。それぞれに選んだ将来の方向は違いますが、それぞれに独自の発展を進めてほしいです。
@@かけ57 東信地区の旧長野2区の与党政治家は上田市を地盤とする羽田孜と佐久(旧臼田町)を地盤とする井出正一でしたが、フル規格が決定した91年では羽田が初当選から22年経ち次世代リーダーと目されていた(「平時の羽田」)一方で井出は2世とはいえ当選からまだ5年だったので、政治家の力は北高南低だったように思います。自社さ政権になると井出もさきがけの要人として入閣するなど重きをなしましたが、もうこの頃には新幹線は建設中でした。
小諸に新幹線が誘致できたとしても、それだけでは維持できないでしょう。佐久の発展は新幹線だけでなく、商業施設への集客、佐久長聖への通学需要、色々要因があると思います。
小諸駅に新幹線を通すとなると歴史的な建物を壊すことになっていたかもだけど、壊さないようにトンネルなどを堀って、小諸駅近くに新駅を作って通すことはできなかったのでしょうか?もし上手に通すことができればたくさんの観光客の方が新幹線を使い、小諸に訪れていたとおもいます。
車社会なので地域全体が車でアクセスする上では小諸より佐久平の方が良いと思うけどね。小諸に特急あさまが止まってた頃も佐久市や南佐久郡から車で駅前の駐車場に止めて利用する形で栄えていたわけだけど、やはり道路幅とか駐車場規模とかは歴史ある街では限りがありますからねえ。それにやはりイオンが出来たというのが一番大きいし、これは何もない田んぼの土地が必要だった。
いち長野市民です.北陸(長野)新幹線建設の経過とその後の小諸,佐久両市の変遷を統計データを交えて改めて簡潔明快にまとめて頂き,改めて敬意を表します.私は約40年前から仕事やサイクリングで両市へ幾度となく訪れており,この間の変遷を見てきました.直近では2022年11月21日に社用のトラックで中込地区まで納品に行っておりますが,上信越自動車道から分岐する中部横断自動車道ができてからは初めてで,以前の❝脳内navi❞も機能しない程の変わりようでした.高速道路のインターチェンジ近辺はどこも画一的になりがちですが,旧小諸市や岩村田,中込,(佐久)野沢,それに臼田の各地区には街並みが古いからこそ残っている良さを活用し,個性的な商店の活躍で旅情を味わえる街造りを期待したいです.
地元民です。動画に見知った景色が出てきてワクワクしました。最近の話ですが小諸に遊びに行ったとき駅の隣にある懐古園にいきました。ペンギンが新しくやってきてコロナ禍にもかかわらず賑わいを見せていました。佐久平駅周辺ではまた大規模な都市開発が行われ、佐久平駅を蓼科口をでて南に行くと、動画で言われたカインズホームが移転しており新しくスーパーなどがまた建ちました。どちらも賑わいを見せていってくれると嬉しいですね。
小諸に新幹線の誘致が成功してもすでに旧跡や旧家が多い街だからさほど再開発もできず郊外に商業地が流出するのは既定路線だっただろうな佐久平だから発展したのではなく時代の潮流に偶然佐久平が乗ることに成功できてさらに発展したパターンだ
上田駅も正にそうですよね。新幹線の駅はできましたが街中に作られてしまったので再開発の余地がなく発展も絶望的です。小諸も上田も駅の周りに城や旧家があり歴史的な価値はあるんでしょうが如何んせん市の中心地が佐久と違って狭すぎるんですよね。まあそもそもそんなお金もないんでしょうけど…
確かに今の小諸駅周辺は、ちょっと寂しい感じですよねぇ。一方で佐久平駅やお隣の岩村田駅は新幹線開業後の勢いと中山道の頃の宿場時代の名残と国道と、色々合わさって街並みになかなかの勢いを感じます。
新幹線誘致に関しては、小諸 御代田 軽井沢の推進協議体が、軽井沢停車が決定してからの温度差が浮き彫りになり、小諸が孤立化したことも要因かもしれません。
軽井沢の隣町である御代田は言い方が悪いかもしれませんが「軽井沢のおこぼれをもらえる」恩恵があるのも大きいかと。
御代田は最近町内に進出する工場などが堂々と「西軽井沢」名乗るようになったくらいですからね軽井沢の重要性を国鉄が認識してた、と言うのは初めて聞けた話で面白かったです。新幹線効果で軽井沢も夏だけの避暑地からオールシーズンの観光、商業地に発展しましたねただ碓氷峠の麓から無理にでも軽井沢を通そうとした結果佐久平経由になってしまったと言うことだと思いますが、佐久盆地の端にある小諸に仮に新幹線駅を作れたとしても、ここまでの発展はしなかったのではないかと思います
佐久市に生まれ現在小諸市に住んでいるものです、データに基づく分析ありがとうございました。今後は小諸活性化の為努力していきたいと思っています。
馴染み深い場所を取り上げていただき、面白く視聴しました佐久地域も面白いところですよね昔の街道の時代には、碓氷峠からの中山道が追分で分かれて北国街道が通っていく小諸と、もうちょっと緩やかで女性でも通れることから「姫街道」と呼ばれた道が少し南の入山峠から入ってくる佐久市、佐久市内も昭和の合併まではさらに南の中込とか野沢その他の町が分かれている地域だったんですよね佐久市役所は現在も佐久平近辺ではなく、市域のほぼ中央、もう少し南に立地してます山梨県境の南佐久も視野に入れれば、小諸も佐久平も旧北佐久郡なんですよね
つくづく燕三条と似ているなあと思います。・並行在来線と違う位置にある・並行在来線と分岐したローカル線と直交する・そのローカル線が単線片面ホームで毎時1本程度である・駅前にイオンがある・駅名や高速道路ICの名前で両自治体から揉める(三条燕IC)小諸の場合、特別快速軽井沢リゾート号でさえ通過便があるのが物語っていますね。
桜の懐古園が美しかった。昭和が色濃い小諸駅周辺やしなの鉄道でのんびり向かった篠ノ井駅。雰囲気たっぷりで良かった旧主要駅と新幹線駅との格差もデータを見れば双方根本的な課題を抱えていて対策が必要なのは変わらない。協力して解決していかないと。
小諸市で生まれ半世紀になれますが地元歴史に興味があまりなかった事もありこの動画で幾つかの情報を知る事ができました。ありがとうございます。今後の動画も楽しみにしております。
佐久平駅周辺で生まれました。見慣れた風景に感激しています。ようこそ佐久へ!!!親の代までイオンどころか市街地の気配もなく一面の田園地帯、買い物といえば小諸や上田。そんな田舎が凄まじい事に…。かつて親が歩いた田園の通学路は今や建物で埋まっています。また佐久市の中心地は岩村田以外にも中込駅周辺(市役所もあります)がありましたが、新幹線駅とインターがどちらも市の北部に出来た事で商業の中心地が岩村田側に集中する事となりました。開業から四半世紀を経ても発展は留まるところを知らず、つい最近イオンの向かいに更に新たな商業施設が出来ました。裏道にも住宅が立ち並び、狭い道路の交通量は増える一方です。元は田園風景ばかりだったのに…。祖父の知人も何名か土地を売却、貸与してかなり儲けたと聞いています。佐久はおそらく新幹線の「光」を全国で最も享受した都市の一つではないでしょうか。現地取材を始め佐久と小諸の歴史的関係も交え、深い所まで踏み込んだ動画を作って頂き本当に感謝します。また是非佐久平にいらして下さい!
鐵坊主さんのお考えのとおり、軽井沢駅設置という幸運と佐久市の熱意が成功のカギですね。おそらく宅地開発をしたことで、不便な(失礼)エリアから便利な佐久平駅周辺への移住が促進されたのでしょう。それと、他の視聴者さんのコメントにあるとおり、史跡が無いエリアのほうが開発しやすいと思います。
佐久平駅といい七戸十和田駅といい、当初は不安視されたけれど案外うまくやっている駅は、どれも駅名がしっかりしているように思います。
その地域周辺を表せる駅名にすると周辺地域の理解が得られやすく人口集積地としてのランドマークになりやすくなるのかもしれませんね
今は関東に住んでますが小諸が地元です。私が小学生の頃、母と行った小諸駅を登ったところのあんみつ屋さんが思い出です。小諸はたくさん魅力あって好きです。懐古園も、動物園や遊園地もあります。遊園地は最新ではないですが、あの古い感じがとても好きです。ちょっと悲しかったのが、小諸にあったTSUTAYAと古本市場が佐久平に移転すること。
14:04 懐かしい。小諸駅。高校生の頃だから、36~7年前、ここに2時間ほど滞在した記憶がある。「小諸なる 古城のほとり」の石碑があったことも思い出される。
ありがとうございます!
佐久への吸引力は佐久平駅と言うよりは、中部横断道が無料なのが大きいと思う。車の流れも新和田トンネルが無料化したので佐久から諏訪への通過車両がかなり多くなった。清里方面の車も多く、鉄道、道路共に重要な場所になった
小諸には特別な思い出があります。半世紀近く前の1976(昭和51)年、八ヶ岳高原を舞台にしたTVドラマに感銘を受けた親がロケ地見学経由で小諸の薫風山荘別荘地(貸別荘)にクルマで夏旅行しました。当時は上信越道などもなくひたすら下道を9時間かかりました。朝の17℃の冷気にはびっくりしましたが爽やかな空気が忘れられません。貸別荘の大学生スタッフさんは今頃どうしているのだろうとふと思い出しました。また訪れたいです。
一昨年に小諸に行きました。駅は、ホームが長く、往年は主要駅だったということを忍ばせ、駅前もひっそりしていて寂しかったですが、懐古園、北国街道の町並みは、歴史好きにとっては、忘れられない場所になりました。歴史的な良さも、新幹線沿いでないことで、増していると思います。それを逆に利用して、多くの方々が訪問するようになるといいですね。
私もほぼ同意見です。
北陸新幹線の高崎〜長野間開業前は、最長で12両編成の特急「あさま」や「白山」が、発着する駅だったのですから。
来ねぇよ
元々、佐久平地域の中心に位置するのが佐久市ですから、小諸市より佐久市に駅を設置した方が新幹線による開発効果が大きくできるのが理由でしょう。小諸市は佐久平地域ではあまりにも北端なので新幹線を通しても開発促進効果が小さい。故羽田元首相は地形な問題でフル規格なら佐久市を通すしかないと言ってたし。小諸市はミニ新幹線で通る前提だったので、軽井沢以西がフル規格という時点で小諸ルートは選択肢にはならなかったんです。
👍
東京から駅前のホームセンターに配属になり佐久平に1年住んでました!とっても住みやすく魅力的な町でした!大宮に出るのも50分だし、北陸新幹線は割引も効くので最高です!!日帰り楽勝です。浅間山も綺麗すぎだし食も豊かです。ここにしかないお店が多く、ピータズやベーカリーテテなど通いまくりでした!今は飯田で新宿まで4時間越えの陸の孤島なので、佐久の便利さが羨ましいです。信州が更に好きになるきっかけをくれた街です!PS 岩村田が主要駅だったなんてびっくりです!
今回も大変興味深い動画でした。長野県が新幹線開業によってどう変化したのか、勉強になりました!1点細かいですが、10:59 の「長野オリンピックスタジアム」として映し出されているのはサッカー場の「長野Uスタジアム」で、開会式などで使用されたオリンピックスタジアム(通称オリスタ)は右手側の野球場です。
面白かったです。確かなデータと現地画像を元に展開する動画はなんかNHKスペシャルを見ているような気持ちになりました。いい加減な論法ではなく信頼ある数値の提供は説得力があります。RUclipsのおすすめチャンネルに表示されたのがキッカケですがとても勉強になりました。
長野「行き」新幹線ができた頃、佐久の某職業の方が皆で「便利になり、浅草に夕方飲みに行った」などという発言を聞き、新幹線の威力を感じた。ところで図表からも軽井沢町の位置づけがよくわかると感じた。また当時の新聞報道にあった両市の政治的な暗闘は他になかったのだろうか。軽井沢でわざわざ乗り換える人は極わずかだろうし、布引観音から善光寺にいく人は絶えたことだろう。そんな過去を懐古するしかないとしたら、道路も鉄路も確保した佐久市は間違いなく勝者なのだろう。しかも自動車道工事のおかげで3万年前の遺跡も発見できた。大昔から豊かな土地だったのかもしれない。
佐久は2017年に松本にイオンモールが出来るまで県内唯一のイオンモール(ジャスコ)だったからなぁ、ワイ長野市民もよく買い物に行ったわあと佐久は道路整備も有能。4車線道路がとても多い。あと新幹線だけじゃなくて上信越道も整備されたのがとても大きいと思うわ。今や無料で通れる中部横断道も整備されてますます快適になった。
あの辺りは車で走ってると群馬とか関東ナンバーも多い気がしますね最近は前橋にコストコできて長野からも行く人が出始めたようで、長野県の東端にある立地からも今後は北関東や山梨県の街との競争になっていくのかな…
カ、カタクラモールじゃいかんのか。。。。。
詳しい説明有難う御座います。静岡県在住ですが佐久市出身なのでこの動画に感激し思わずチャンネル登録してしまいました。子供のころ当時佐久より賑やかな小諸にもよく行っていました動画の説明を聞いてちょっと寂しい気もします。最近昭和の街並みが懐かしく感じるので久しぶりに小諸に行って見ようかと思います。 世界的に見れば日本全体が世界の進歩から遅れており人口減少やGDPが30年以上変わらない問題も含め政府が取り組むべき課題が山積してると思います。
小山田いく先生のマンガのファンの下越民です。遅ればせながら、先生のご冥福を申し上げます。先生のほのぼのとしかつ、おとなびた作風に心引かれ、愛読してました。つちころびくんのようなきゃらがいいですね~。先生の作品には、迷家ステーションといった鉄道題材のものもあります。私は阿賀野川水系の者なので、遠出は関東か山形、福島なので、遠い隣の長野県は 、2かいぐらいしか行ったことがありません。横軽廃線前と、あと長野のやまなみなふうけいがいいですね~。こちらはへいたんなとこなので、、、。
国鉄時代に岩村田駅の近くに住んでいました。もちろん最寄り駅は岩村田駅で当時の急行すわ号、のべやま号で上田の祖父母の家に行き来きしてました。佐久平駅が出来るまでは周辺見渡す限り田んぼだった事が嘘のように発展しましたが、小諸の急激な衰退は可哀そうなほどでした。新幹線効果でここまで佐久市と小諸市との間に差が出てしまうとは。またこの動画で勉強になりました。小諸と言えば当時は信越本線と小海線の分岐主要駅で特急あさま、白山(昭和40年代は通過)ほとんどの優等列車の停車駅で当時岩村田から小諸駅駅に行き、よく列車の写真を撮りに行きました(懐かしい)。一つアレっと思ったのが岩村田駅の説明映像中に列車が三岡駅を後に走行しているシーンがあり「岩村田じゃない」なんて思っちゃたりしました。
何名の方がコメントされていますが、小諸市は当初新幹線誘致に反対されていましたね。当時はまだ東海道新幹線が開通したばかりで、その経済効果など誰も想像つかず、景観が崩れることを懸念したのでしょう。これに対して佐久市は熱意を持って誘致されていますが、地元民はどう捉えていたのでしょう?と言うのも、自分は今から40年ほど前、小諸から小海線を使って高校に通っていて、現在の佐久平駅付近は当時は一面の田んぼで、そこにデカデカと「北陸新幹線アセス案断固反対!」の看板があったので。あの辺りで稲作されていた人たちにとっては、新幹線などとんでもない!と思っていたのではないかなと。やがて東北新幹線と上越新幹線が開業し、その経済効果がはっきり表れると同時に、その看板もいつの間にか無くなっていました。
動画ではネガティブに捉えられてたけど、昭和的な町並みをうまく残しながら、その景観を壊さない程度に適度に再開発施設を織り交ぜていて開発上手いと思ったんだよな東京圏だとああいったのは再開発で残ってないから尚更新鮮だったせっかく軽井沢からはしごできる距離なのだから、昭和レトロな町並みや懐古園等活かしてもっとメジャーな観光地になってほしい
小諸は「すくらっぷブック」で憧れの地だったので寂れ具合には悲しいものがありましたね。小諸の市街地へは坂があるんで発展するには難しいかもですが。
逆に言えば小諸の特に駅前の人たちが、街場への新幹線開通を望まなかったり、諸般の事情が合わさって史跡等が状態よく保存されていると考えることもできる昔は東急百貨店があったり、商業地としての賑わいは見る影もないかもしれないが、ここから堪える時間をうまく過ごせれば、今度は歴史的価値と佐久平とのアクセスの良さが再評価される時代が来る可能性もあるのではないかと…いずれにしても日本全体が衰退に向かっていく時代なので、地域間の我慢比べのような感じでずっと行くのかもしれませんが
@@aaaaa-kq1dh 小諸の駅前の人とか集めてから言ってね
私も愛読してました小諸を知り、ひいては信州に興味を持つきっかけになった作品でした
ところでMori ritzさん、アカウント乗っ取られていません?成りすましかなぁと思って確認したら、同じアカウント上で粘着アンチみたいなコメントと普通のコメントが混在しているので。(単なるダブスタなら、別に構いませんが…)
私も「小諸」と言えばその作品が頭に浮かぶ世代です。一度だけ懐古園に行ったことが有るのですが、そこの展望台だったかな?そこで作中に描かれていた風景がそのまま広がっていたのが今でも感動と共に蘇ってきます。そして同時に、さだまさしさんの「案山子」の歌がアタマを流れます。「城跡から見下ろせば、青く細い川、橋のたもとに造り酒屋の煉瓦煙突」の部分です。 あの歌詞は偶然の産物だったのかと今でも不思議に思っています、
大学2年生の春、サークルの合宿が別所温泉だったので特に上田周辺の文化財は多く回りました。その時の集合場所が上田駅で、私は時間に間に合うよう「白山」に乗ったのですが懐古園などに行きたかった一部の学生はそのさらに1本前の「あさま」に乗って小諸で降り、観光の後集合しました。いやあその手があったか!と当時次はそのようにしようと思っていたのですがしかし新幹線が開通し小諸に特急が止まらなくなってからむしろ疎遠になってしまいました。その割には上田城にはもう一度行っています。やはり特急が止まらなくなるというのは公共交通機関による観光の度合いを下げてしまうと思います。上田城ならまだ駐車場もありますが懐古園は確かあっても小さかったように思いますがしかし現在懐古園と上田城を回ろうと思えばマイカーが便利です。小諸は高速鉄道からも高速道路からも離れた場所になってしまいました。これこそ暇坊主チャンネルでおっしゃられていた、鉄道と連携するバスを各史跡へと確実に走らせるようなことをやらなければ客足は遠のくだろうと思います。そのうえでの佐久市の施策だと私は思っています、開通時からこれは言われていたことではあったので。
小諸はゆかりの漫画家がいたせいで個人的には身近な存在なのですが、実際訪れてみると昭和を感じます佐久平はいわゆる地方都市といった感じでイオンの存在が大きいですね新幹線駅=発展というわけではないのは事実ですが、それを契機に都市開発を行った佐久市のお役人のすごさということでしょうか(個人的にはさびれた小諸駅も好きです)
2000年代半ばから10年ほどその地域に住んでおりました。東京へ行く時新幹線が使えるので便利でした。ジャスコ(現イオンモール)やカインズも便利でよく利用しておりました。その地域は車社会で、単に駅を誘致できたことだけが成功要因ではないです。特に整備されていない農業用地メインの場所に駅が作られたこと、それをランドマークとして商業施設や道路など周辺が整備されたこと、モータリゼーションで郊外化が進んでいたところにマッチしていたことがあげられます。小諸駅周辺以外に佐久市でも岩村田商店街(岩村田駅とちょっと離れています)や中込などもともと中心市街地だったところは大きく衰退していますし、長野駅、上田駅周辺でも新幹線開業以降ストロー現象や元々進んでいた郊外化で百貨店や大型スーパーが続々とつぶれています。仮に小諸や中込に新幹線駅ができてたとしても同じことになっていたかと考えられます。新幹線が欲しがる地域はまだたくさんありますが、本質を見誤ると市街地衰退を加速させることを覚えておいて欲しいです。
私もそのように感じました。実は車社会に適合したおかげで発展したのに、新幹線効果がすごくて発展したように見えるという、鉄道全体にとってはいいのか悪いのか微妙な話です。
佐久平の街にしても大手のチェーン店とかホテルが進出してきたのであって、地元にどこまでお金が落ちているのかはわからない感じもありますよね長野市の衰退は県外の人はあまり知らないかもしれないけど結構深刻です97年の新幹線開業から2000年にそごう閉店、ダイエーが撤退して市管理の施設になったのちこれから数年のうちに取り壊し、長崎屋が入っていたビルも開業五年後くらいに別の商業施設になりましたが昨年閉館、駅前から少し離れた権堂アーケードにあったイトーヨーカ堂も一昨年にビルを縮小したスーパーになりました。新幹線開業からの四半世紀の動きを追っていくとうろ覚えですがこんな感じ。今長野市の中心的な商業地は駅前から犀川を跨いだ市南部の篠ノ井に移っているかもしれません今年あたりには長野市の東隣須坂市との境にあるインターチェンジあたりの出店が進んでいて、どんどん空洞化が進んでいる気がします
@@aaaaa-kq1dh 様、地元在住ですが、ご指摘はかなり当たっています。北陸新幹線の建設が具体化する前、篠ノ井駅前には「考えよう!いつまで続く陸の孤島」という立て看板が立っており、当時の長野市長らも新幹線さえ来れば長野市の飛躍的な発展が期待できると目論んでいました。現実には、約50~60年前に周辺約20km圏の山村部から長野市中心部へバスで出かけるのと同様な感覚で長野市から首都圏まで買い物やレジャー等に出かけることも可能になったため、特に高級・高価格の商品は都内の専門店で選び求める傾向が強くなっているように思います。現在、須坂長野東インターチェンジ附近に大規模商業施設の建設が進められていますが、当然、須坂市内中心部の商店街、それに長野電鉄の輸送人員にも良くない影響が現れることが予想されます。
新幹線が長野まで通って最初に出た変化は、長野、上田、小諸に行っても宿泊せずに首都圏に日帰りしてしまう現象でした。新幹線と高速道路が日帰りを後押しして、オリンピック直後、宿泊施設の閉鎖が続いたのではなかったか?かく言う私も、小諸への出張も、善光寺のご開帳も泊まらずに日帰りでしたから。早く移動できることは必ずしも良いことには思えません。
@@maironef 確かに、50年前と言わず新幹線が開通する以前の四半世紀前の時代まで長野はそうだったのかも…特急あさま時代の長野はおそらく時間距離的には松本と同じような雰囲気だったんでしょうね今やその松本が、商圏を少しずつ拡大して五輪以降衰退している長野と肩を並べつつある…
よく調べた動画となっており、そうだったなと思い返しています。ただ、当初の北陸新幹線の北側ルートはただの技術的なたたき台に過ぎず、軽井沢駅を通らないルートは有り得ませんでした。鉄道ファンは政治的な動きを軽視しがちですが、多くの政治家や財界人が別荘を持つ軽井沢を通らないルートは有り得ませんでした。小諸は新幹線が駅南側の小諸城域に掛かる事を理由に反対運動が有り、佐久が漁夫の利を得た感じですね。あの当時反対運動をしていた年寄り達はとっくに天に行っていますが、地元の衰退を見下ろしてどう思っているんでしょうね…
動画の着眼点が素晴らしい!
佐久の発展は新幹線だけでなく、上信越道・佐久ICとのセットで考えた方がいいでしょう。新幹線駅と高速道路のICがさほど離れた距離ではないので一体的に開発できたのが大きいと思います。
動画を見終えてからgoogle map及び地理院地図から現在と70年代半ばの航空写真を比較しましたが、やはり「後出しジャンケンは強い」。歴史的な街であれば開発も進んでおり、それ以上の開発余地が少ない。一方、「村」程度であれば開発の余地はいくらでもある。八方丸くなんて行きませんわなぁ
2023/1に公開された新幹線駅シリーズ、上毛高原、嬉野温泉、そしてこの佐久平は、鐵坊主先生の、超 力作です。みなさん、ぜひ、見るべきですよ! (過去作にも、高クオリティーの力作・労作はいっぱいありますが。)
ありがとうございます。苦労が報われました!
佐久の場合は新幹線開業もあるけど、実は結構道路事情も恵まれてたりする。どっちも国道18号沿いなんだけど、佐久には南行きの141号があるのと、少し南に下がれば254号や142号もあるので。141号は清里から韮崎に、254号は松本に、142号は諏訪方面に通じてるから、南信方面への交通が充実してる。
小諸の旧市街地は1960年代の18号線の小諸バイパスの完成ですでに成長は終わっているんですよ。
小諸は、城下町より城郭のほうが標高が低い(しかも城郭の南側は崖、その下に千曲川が流れている)という特殊な街並みに加えて、浅間山の裾野にできた町なので市街地が北東(浅間山頂)側から南西になだらかに傾斜しています。これだと新幹線駅を誘致したところで大規模商業施設や工場・物流倉庫などが建つはずもなく、衰退するのも無理はないと思います。
単なる思い出話で恐縮ですが、長野新幹線が開業したばかりの頃に軽井沢と小諸へ家族旅行で訪れました。開業フィーバーもあったのか軽井沢〜小諸で乗車した169系の車内は賑わっていて、動物園が併設?されていた小諸城は当時子供だった自分でも楽しい時間を過ごせた記憶があります。
地域交通の基幹が鉄道の時代であれば小諸一択だったでしょうが、自動車による移動が主流になった現代では地域の中心に位置して、開発の余地が充分にある佐久に新幹線の駅を設置するのが正しい判断でしたね。加えて佐久市の新幹線を利用してもらおうと様々な補助や開発を推進している行政は本当に羨ましく感じます。小諸については新幹線は衰退の起因ではなくダメ押しであったんだなぁと知れました。このまま衰退するのではなく、佐久とは東信地方の強敵(とも)な関係であり続けて欲しいです。
レポートありがとうございます。人間とは勝手なもので、特急で長野⇄上野間3時間を若い頃に風景ごと身につけてしまい、長野まで東京から新幹線で遅いものでも2時間未満な上にトンネルが多いと不満が残る者です。はい、小諸駅は景観破壊がイヤで長野新幹線を拒否したと聞いていましたが、駅前の発展まで拒否したかのような惨状の映像、衝撃的すぎます。佐久平駅付近は発展しているようですが、気になるのは中央資本・他県資本の全国チェーンのお店、商業施設、ビジネスホテルが多いように見えること。結局は、佐久平駅エリアを舞台に長野県以外の会社間でお金がめぐってるだけにも思えます。商業施設がオープンすると他所から店長やらスーパーバイザーがやって来て、住居を借り上げようにも供給不足だと他所のディベロッパーがマンションを建てたり…。統計では見られない実情もありそう。でも、見事な解説・解析です。
軽井沢の存在と、軽井沢駅を国鉄が主要駅と考えていた事が小諸市と佐久市の明暗を分けてしまったと思います。小諸駅が信越線からしなの鉄道になってからは横川軽井沢間が廃止になったので東京まで乗り換え無しで行けなくなり、しかも三セク化で運賃は値上げされたので小諸市が一人負けしてしまったように思ます。
仮に小諸(平原)に新幹線駅ができていたとしても、河岸段丘沿いの土地では開発はうまく行かなかったのではないかなあ、と思います。
昔20年程前、秋の終わりから半年ほど小諸に住んでいたけど、坂道が多くてきつかったな、って印象だった。休みの日に佐久平によく行ってたけど、こっちの方が住みやすそうで良いなって思った。今は、遥か南に住んでますけど。今となっては、いい思い出です。
小諸市は最近お洒落街になってきました。老舗の喫茶店やカフェ、美味しい蕎麦屋も多い場所です。
小諸は伝統を大事にしようとしたのだから、今の小諸駅が市民の望む姿。これで、良いのでは。
今の小諸もとても良い所ですが、新幹線が通った小諸駅も見てみたいと思います。
そうだよな。今更文句言ってるのはお門違い。自分達の欲と先見性の無さを八つ当たりしてるだけ。
佐久だ小諸だと... その内合併しないと立ち行かなくなる
@@aska-pp3570 それは名案!小諸佐久市の爆誕だ!
~pka
Beautiful landscape,,,amazing hello from Papua Indonesia
佐久平は開発できるポテンシャルがもともとあったというのもポイントかと思います。小諸市にも行きましたが、駅南側は川とか河岸段丘?の崖があるわ、北側はすぐ緩くない坂があるわ...で佐久平に比べると余地無いと思いました。北国街道の町並みは良かったですが…あと上田駅も動画上げる予定ありますか?そちらにも行ったことがありますので、どういう動画になるか楽しみです。
土地がたくさんあったのは要因ですよねあと長野県内でも割と大きな盆地の真ん中で、人口が元々結構あったと思います
懐古園の小諸城は、確かに河岸段丘を利用した造りになっていますね。そこは上田城とも共通点があると思います。上田盆地も河岸段丘の多い地形ですから。
歴史好き城好きの私としては佐久平駅よりも小諸駅の方に思い入れがあるので、小諸駅及び小諸市には頑張ってほしいのですが。最も、小諸駅周辺に感じる昭和ノスタルジーが好きな私としては、真新しい街並みに変わってしまうのも寂しさを感じてしまいます。
小諸市には、主に旧北国街道の屋並を活かした観光振興に力を入れてはと思いますね。また、小諸駅の上田寄りから湯ノ丸山麓の方(上信越自動車道の小諸IC付近より上)へ登ると、快晴で空気が特別に澄み切った日には富士山の山頂も見ることができます。
後から移住してますが、佐久・軽井沢を仕事と生活の拠点にしてる小諸市民です。まぁ、政治と思惑が裏にあるんでしょうね。佐久平周辺は生活には便利ですし、長野県内を移動するより東京まで1時間ちょっとと早いというメリットもあります。でも、懐古園や坂の街・小諸の古い町並みは他にはない魅力があるんですよね~。写真を趣味にしてますが、懐古園の夜桜、小諸の古い街並みをカメラ片手に撮って歩く楽しみは、佐久平には皆無です。こうやってうまく受け入れてる方も多いのでは?
佐久平駅の設置は、軽井沢駅を挟んで反対側の安中榛名駅とは対照的な成功例ですね。北陸新幹線の路線を地図で見ると、小諸市の市域を全く通らずに敢えて南側を迂回しているように見えます。
安中榛名は整備新幹線の面倒くさい補填の一つ。(ちなみに群馬県も作るつもりはそこまで無かった。施策でつくらないといけないし、だったらお金の分を駅じゃ無く高崎駅の停車本数にって言ったけど政治とお金の絡みでこのざまです)
小諸の旧市街地は河岸段丘の上にあるので鉄道をしくとすると微妙に迂回する形になります。たぶん、避けたわけではないと思いますよ!
新幹線開通前〜開通後信越担当としてこの沿線で営業していたので栄枯盛衰を肌で感じました。それでも当時佐久平はだだっ広い場所にポツンポツンと店が増え始めた頃で小諸はそこそこ活気があったと記憶してます。去年20数年ぶりに当地を訪ねて佐久平駅周辺の著しい発展、小諸では当時の人気蕎麦屋が廃業し駅前にも人影が有りませんでした。最後に懐古園から信濃川の夕景を眺め感慨に浸りました。
小諸と佐久で暮らしたことがあるので、新幹線をめぐる経緯がとてもよくわかりました。ありがとうございます😊チャンネル登録させて頂きました。
小諸市は現在の市長、小泉さんになってからとても街が明るく活気が出ました。昔はいろいろ生活面でも不便だったり、なんか雰囲気も暗くて小諸に住むメリットが感じられませんでした。今は若い人たちが毎週イベントを開催したり、商店街の方もインスタで情報発信したり、とても活気付いています。スマートカートも小諸の町だからこそ運用できるもので、近隣の市や町(佐久市や東御市、軽井沢や御代田)は小諸のようにコンパクトで独特な個性的な市街地がないので運用は無理な物です。小諸のスマートカート運用は本当に良く考えたなと感心します。小諸市街は城下町なので道が入り組んでいて、住宅地や昭和の香りプンプンの歓楽街を走り、短時間でもとても楽しめますよ。
動画だと分かりにくいですが、小諸駅は北に向かって昇り斜面で駅南はお城。平地が少なくて地形が悪過ぎますよね。佐久市は、佐久市中込、野沢から当時の南佐久郡臼田町や佐久町、小海町まで市街地が連続していて商圏規模はかなり広かったですし。ただ、佐久市はそろそろ中心市街地を設定してデザインしてほしいです。つい最近まで人口が増加してたのに現在減少に転じた原因てそこではないかと思います。佐久平駅、岩村田、中込、野沢等そこそこ栄えてますが、10万人都市の中心となると弱いんですよね。佐久平駅岩村田と中込野沢臼田の間が何も無い、市役所がありますが。同じ長野県内に、佐久市と人口規模が似ている飯田市郊外にリニア駅が設置されますが、飯田市は飯田駅を中心に市街地が形成されてて郊外にあるリニア駅周辺をどうデザインするか楽しみです。
うわぁー♪懐かしいっ!昔、小諸ロイヤルホテル地下レストランと、ガーデンの場所にあった喫茶店で働いていました。駅周辺の面影がほとんど変わらず、個人的にはむしろ嬉しいです!遠い故郷の空を懐かしむことが出来ました。動画ありがとうございます。
私は40年ほど前上田市に数年間住んだ事あります。その頃よく小諸駅周辺をよくうろつきました、とても歴史を感じる町で酒蔵なんかもあった記憶があります。とても落ち着いた街でした最近は行く機会がないのでどうなったかわかりませんがあの頃の町並みを新幹線ごときに壊して欲しく無いです。
名称については、揉めますよね。新潟の燕三条駅、三条燕ICが典型的ではないでしょうか。。
実家が近くに引っ越してから20年弱、佐久平と小諸の変化を見てきましたが、佐久平があんなに発展していくとは思いませんでした。それに比べ小諸駅周辺のゴーストタウン化はひどいですね。初めて見た時は衝撃でした。
すばらしい! この動画、保存版です!! 新幹線新駅の中で佐久平駅が数少ない成功例になった理由がわかりました。長野県民なのでこの件はフォローしてきたつもりですが、全然ダメだったと痛感しました。鐵坊主氏、項目の立て方と分析が実に的確です。こういうふうにやらないといけないんだ……鐵坊主チャンネル、すばらしいです。(語彙が尽きました)
現地取材すごいですね。小諸駅は昭和が残っていますが、それにしては老朽化は抑えられており、鉄道が大事にされてそうですね。
データに基づいた説得力のある動画でした。佐久市は、北斗の拳についてもセンスのよいアピールをしていますね。
数年前から佐久平駅前にマンホールを置いたり、道の駅やSAでキャラクター入りのドロップ缶売ったり、原作の武論尊先生の故郷のよしみで漫画塾開いたり地道な取り組みを続けてきたけど、この度の連載開始四十年の記念イベントで盛り上がりが一つピークにきた感じ。この一週間、長野の地元では連日ニュースで取り上げられている市外だけど南佐久出身、野沢北高卒の新海誠がいるし、漫画アニメの文化という意味でも、標高の高くて夜空が澄んだ地域という意味で北斗七星→天体観測にもつなげられそうだし、平成以降の新興都市でいまいち文化が弱い点も何か補える街の顔になりそうな期待は感じられる
小諸と佐久の関係は富山県の黒部市と魚津市の関係にも似ています。黒部市に新幹線駅ができてそれまでこの地域の中心だった魚津市が小諸のような道を辿っているように見えますが、黒部市に全く変化が無く佐久市のような発展を遂げられなかったのが残念。
単純に佐久市VS小諸市の新幹線誘致合戦の結果という図式ではないと思います。佐久市は市域も広く既存の市街地や周辺部も一様に発展しているわけではないでしょう。佐久平駅の場所が文字通り小諸市も含む佐久平の地理的中心で、高速道路のインターも近く、用地の確保しやすい開発の余地がある場所であったこと、それが車社会にマッチして、発展に繋がったということではないでしょうか。むしろ新幹線の方がその将来性に目をつけたというべきかと。
その通りだと思います。自治体間の覇権争いというよりは、佐久地域の中心的な拠点として発展した街がどこか、という話かと小諸は旧北国街道や国道18号、旧信越本線の沿線にあり、東京対長野(〜新潟・北陸)の長距離輸送のルート上で商業地として発達した街でも人口20万を擁する佐久地域(佐久平)の地勢上「端っこ」だったのと、街としても新幹線を引いてこれ以上の拡大を図るポテンシャルがなかったのではかつて佐久(地域・郡)は広すぎたために明治の頃に南佐久郡と北佐久郡に分かれています南は臼田、北は岩村田に郡役所、その後県の出先機関が置かれ、昭和の頃まで運用しているそのほか南は中込、野沢あり、北には小諸や軽井沢と拠点が分散していて、警察署も近年統合が進むまでは佐久は他の地域より署が多く置かれていました(今でも小諸、軽井沢は佐久警察署と別に署があります)県行政の方では、南北佐久の機関を統合して間をとった場所(中込、野沢に近い)に合同庁舎を移している詳細な場所は都度変遷がありながら、小諸よりも佐久市の方が地勢上のアドバンテージが元々あったんですね
鉄道が来なかったが故に、歴史的建造物が守られた小諸や海野宿。特に歴史的建造物が無かったからこそ、何の憂いもなく新幹線を誘致出来た佐久。確かに今の小諸は寂れた印象は否めないが、観光地として言えば小諸の方に断然惹かれるものを感じる。失礼を承知で書くが、佐久に何かを見に行こうと思わせる物が有るだろうか?佐久にも行った事はあるが、ただの地方都市としか感じなかったが、小諸には歴史と人の触れ合いが残っていると感じる。だからこそ私は40数年も年に数回、小諸に通っている。
新しい街はビジネスや商業関係には機能的ではありますが、旅情には欠けますね。特にインターチェンジの近辺はおしなべて画一的になりがちです。
今回は、信越本線の要衝だった小諸駅と、北陸新幹線(長野行新幹線)の佐久平駅ですね。小諸駅は、以前に特急「白山」で通った事がある駅であり、いかにも国鉄時代からの要衝駅という印象のある立派な駅でした。1998年の長野五輪に先立ち、五輪輸送を担うべく開業した長野行新幹線(北陸新幹線)の長野県内の駅が、軽井沢、上田、長野と、いずれの駅も信越本線の駅と併設され、長野県内の路線も、比較的、従来の信越本線に沿った形なのに、なぜ小諸駅ではなく、佐久平駅になったのか、今一つはっきりとしませんでしたが、今回の鐵坊主さんの動画で分かりやすく解説して頂き、理解出来たような気がします。もともと地域の中心地であった城下町の小諸市に対して、佐久市側が対抗意識が強かったのだろうと思います。メインルートである信越本線に小諸駅が設置され、佐久市が外れた事で、対抗意識がより高くなった部分があると思います。新幹線駅誘致の為に、執念と言えるほどの積極果敢な動きをしてきた佐久市側に対して、軽井沢町、御代田町と協力して新軽井沢駅誘致に動き、小諸駅に新幹線駅併設を望まなかった時点で、既に小諸市側の消極的姿勢が目立ちます。当時の国鉄が、新軽井沢駅設置でなく、避暑地の玄関口の軽井沢駅に新幹線駅併設を望んだ事で、新軽井沢駅設置に動いた小諸市は、梯子を外された格好になりました。この時点で、小諸市の動きはマズいのですが、トドメを刺したのが、佐久市に設置される新幹線駅の駅名が佐久平駅に決定した事です。佐久平とは、地域一帯を指す名称でありながら、佐久市の「佐久」は駅名に含まれる一方で、小諸市が最後まで望んだ「小諸」の文字が新幹線駅の駅名に入る事はありませんでした。佐久市の執念の圧勝、小諸市の惨敗は、もはや決定的になりました。小諸市は、新幹線駅を誘致出来なかったばかりか、信越本線並行在来線経営分離により、幹線の要衝駅から転落した小諸駅を、引き続き小諸市の玄関口とせざるを得ない状況になってしまいました。自分も、「鉄印帳」が出来た時に、しなの鉄道に乗って小諸駅に鉄印を貰いに伺った事があります。鉄印帳に直接記入して下さる駅員さんに感謝しながらも、列車待ち時間に、小諸駅と周辺を見て周りましたが、小諸駅周辺に残る史跡と同じく、昭和の面影残る駅周辺に、特急「白山」「あさま」が発着した当時のままの長いプラットホームと、もはや小諸駅自体が時代に取り残された史跡の一部であるかのような印象を受けました。一方で、北陸新幹線「はくたか」に乗った時に停車する事がある佐久平駅の周辺は、イオンモールなどの様々な商業施設や、東横インといった宿泊施設、広い駐車場と、見るからに活気のある街並みでした。勝ち組の佐久平駅と、負け組の小諸駅といえばそれまでですが、これだけの差がついたのは、新幹線駅と新幹線駅を活かした街づくりに燃える佐久市の執念と、極めて消極的な動きしかして来なかった小諸市の差だと思います。幹線の主要駅が、新幹線駅が併設されずに寂れた小諸駅の姿は、我が地元富山県にある魚津駅の姿を見ているようで、何だか悲しくなります。富山県魚津市にある魚津駅も、かつては特急列車が殆ど停車する富山県東部の主要駅でしたが、北陸新幹線金沢開業後は、第三セクターあいの風とやま鉄道の駅として、ローカル輸送に撤しています。かつて特急「雷鳥」「サンダーバード」が発着した長いプラットホームが、往時の栄光を物語っています。今後も、新たに新幹線が開業する度に、小諸駅や魚津駅のような駅が出てくる事になるんでしょうね。
北陸も、昔よく特急はくたかに乗ったことがありましたが、新幹線開業でかなりスッキリしてしまった感じがありますねかつての金沢駅の各方面への特急、はくたか、北越、しらさぎ、サンダーバードと出ていく賑やかな感じはこれこそ「ターミナル駅」だと思ってました佐久市の新幹線駅誘致と佐久平地区の開発は相当戦略的なものがあったのか、と思いますが、元々岩村田や中込など小さな町がいくつもあった旧市内での利害の調整が大変だったんじゃないかと想像します
そもそも小諸はフル新幹線反対でしょ?いっちょ前にミニ新幹線ならいいよ?と言う条件で誘致許可出してたんだからそもそも席に着いてない状態。
かつて、小諸駅で、地元のひしやさんが「藤村の一膳めし」と言う駅弁を販売していましたね。それから、ひしやさんは、小諸駅の信越本線のホームで、駅蕎麦も担当されてましたね。
軽井沢経由は別荘持ちの財界人の鶴の一声で決定したと思う。佐久平が発展してるのも軽井沢のような日本屈指の別荘地が影響しているだろう。小諸は開発が難しい河岸段丘上に駅がある。佐久平の発展をみればこちらで正解だったと思う。小諸近辺は道も狭く日中酷い渋滞になっている。
軽井沢を通らない南まわりルートは上信越自動車道で採用されましたね。しかも上信越自動車道は、佐久と小諸の両方を通ってますw
私は1980年に就職した最初の任地で小諸駅に降り立ちました。小諸は良くも悪くも当時と変わっていません。田んぼしかなかったところに佐久平駅ができて街らしいものができ、佐久市内もバイパスが通ってずいぶん変わったような気もしますが,決して栄えてるって感じはありません。小諸市が敗者で佐久市が勝者っていう単純な結果では終わらないのでは?長野新幹線の名前もなくなり、長野県全体が通過県となって埋没していくような気もします。
新幹線を全国に整備する計画を作ったのがもう50年くらい前の1970年代の話そこから平成に至るまで、新幹線駅を誘致して繁栄したかに見える佐久市の「成功」は、大都会東京とのアクセスによって定住、交流人口が拡大している停滞期の日本の一時的なものではないかと思いますここから先の時代は日本は長期の人口減少、縮小に入る。隣町同士の地域間競争で勝った、負けたと争っている余裕もないくらいにみんなで縮んでいく。一方で世界中のどこの国かもわからない人がインターネットで見た地域の画像、動画で「あ、ここ行ってみたい」と思えば、どんなに遠かろうが時間がかかろうがそこを訪れて、そういう人が増えて、リピートしてくれれば地域の魅力に気づいて広めてくれる人も増える。交通の便の良さだの人口の多い少ないだのでは、地域の力を測り切ることが難しい時代に入ってるのでは、と思ったりもします
母親の実家がこの地域なので、街の発展がよく分かりました。当時、ここまでの発展が想定されてたら住んでたかもしれません。それから、これと同じ事例が、小田急江ノ島線の湘南台と長後も似たような関係ですよね。
佐久平駅の発展は新横浜駅と共通点があります。新幹線駅開業の成功例ですね。
以前車で両市を通りかかりました。小諸市は高低差があり道も狭いためなかなか走りにくく古めの建物も多かった印象でしたが、佐久市に入った途端に綺麗に区画整理されたマンション群が現れその先にこれから開発されるであろう広めの更地もあり、両市の差が顕著に表れていました。佐久市はこれからもっと成長するはずなのでこのままの勢いで上田市を抜かして、どうぞ
駅周辺や郊外の拡張性の差もあるかもしれませんねマンションや商業施設などの新規民間投資額が街の発展をよく示してると思います元々栄えていた場所だと土地所有者の権利調整や道路拡張が難しく時代に取り残されてしまいます地元だと藤枝駅と焼津駅が対照的でどちらも良し悪しがあり都市開発の題材として面白いですよ
父が小諸市出身で、小諸駅も時々ですが利用します。小諸駅前は一時はもっと寂れていました。駅舎内の野菜の直売所なども、なかった時期があったと記憶しております。停車場ガーデンは比較的新しい施設ですし、駅を出て左手には、旧みどりの窓口を利用したカフェができています。(カフェにはJR信越本線時代の発車時刻表などもあり、胸熱でした!)少し前の話ですがアニメの舞台となるなどしており、様々なものを利用して、近年はよく盛り返してきていると思います。上記の自分の肌感覚は、ご提示いただいたデータにも現れており、直近の数値の増減ポイントについて、佐久市が前回調査比でマイナスでも、小諸市はプラスといったところが複数見られました。先日2022年11月にも訪問しましたが、観光客の方も多く、おそらく地域としてがんばっているんだろうなと感じました。1997年当時と比べると、だいぶ衰退した印象となるのはやむを得ないのですが、時折訪れる者からすると、賑わいを取り戻すべく、よく奮闘していると思います。ひいき目も入ってはいるものの、小諸は、開発を免れたからこそ、懐古園周りの自然の多さ、歴史的情緒、それらの調和などが感じられて、大変良い地域だと思います。コメント欄をご覧のかたも、お近くにおいでの際には、少し足を伸ばして、小諸にもお越しいただけると嬉しいです。鐵坊主さん、小諸のことを取り上げてくださり、また、小諸にご訪問いただき、ありがとうございました!
地名も四谷とか都心の地名と被るものが多くて面白いです。地名のゆらいなどは詳しくないのですが、ありがちな地名なのかな。小諸を通る時は信号機の名称を確認しちゃいます。
@@しゅみカツ さん軽く調べてみたら、四つの谷があると四ツ谷って付きがちとか、道の分岐点に相生(あいおい)って付きがち、みたいな話がありました。(小諸市の市役所が相生町です)地名も見ていくと面白いですよね。小諸市古城という地名もあり、これは、まさに小諸!って感じがしますw。
@@mototama5310 私は初期のブラタモリで、地名は面白いと感じた記憶があります。信号機の名称は裏表で違うこともあるので、赤信号の時は必ず確認しています。池袋の五差路、以前は五差路って呼んでましたけど、今は五差路なの?って思ったりします。東京で働いていますが、通勤中も周囲の景色や人の動きなんかを観察しています。顔は前向いているのに何も見えてない人が多く、あるきスマホじゃなくて、そもそも周囲を見る習慣がないと感じます。周囲にあるものを観察すると、いろんな発見があり毎日が楽しくなるのに。そうそう、小諸でしたね、サンラインから富士山見えるって元小諸市民の叔父に伝えたら驚いてました。富士山、浅間山、八ヶ岳に北アルプス。眺望も贅沢すぎます。
小諸市は自然が豊かで歴史学的に観光する場所や歴史上の人財もおり、反面、佐久平市は特にさしたる地域では無いのですが「歴史学に見るべき内容は無い代わりに施設建設や敷地面積が広いことが少し開けた要因」かと思われます。小諸市は自然豊かで歴史学や人財素晴らしい内容に新幹線を敷設し無いことは有り得ないことです。噂や資料を精査した原因は「地元の人達の反対活動と柔軟性があった」ならば「小諸市停車駅と街の繁栄や歴史上の歴史物移転を柔軟な施策を実行」した際は新感線敷設は為されたことと思われます。
めちゃくちゃ興味深い内容でした!たしかに最近は佐久の駅周辺が綺麗になったなという印象を思っていました。都心との接続が生まれたおかげで地方の活性化がより進んでくれると嬉しいですね!
小諸駅と聞いただけで、ちょっと涙してしまいそうになりました。佐久の生まれで中学卒業後、横須賀の自衛隊の学校に入隊した私は、夏・冬・春の休暇の度、信越本線と小海線をを乗り継いで実家に帰省しました。厳しい訓練の日々から解放され、碓氷峠を越えて浅間山を見た時の喜びは、50年近く経った今でも蘇って来ます。特急「あさま」とか、本当に懐かしくてなりません。
そんな感傷はさておき、この動画で初めて、佐久・小諸市の間にこんな駆け引きがあったのかと、目から鱗でした。
故郷を離れて家庭を築き、たまに行く墓参りも車なので、このような地元情報に触れることもありませんでしたから。
詳しく解説して下さり、ありがとうございました。
県民ですがよくここまでリサーチされましたね、流石です。
佐久平は佐久地方に全然無かった大型商業施設を充実させたことと道路を整備した事が大きいですね。基本的に車がないと生活出来ない場所。周囲の住人が集まりやすい条件が揃ったのだと思う。残念ながら小諸の周辺には何もありません。小諸は築城に選ばれるくらい、地形的に険しい傾斜地です。駅を挟むように史跡があり、特に南側は懐古園、その先は千曲川が作った高低差の激しい崖です。とてもじゃないが、新駅を整備したり広い道路を通すのに向いている場所が無いし、仮に作ったとしても、それ以上の発展は難しかったと思います。その点、佐久平駅は元々田んぼしかない平坦な地。新たな開発をしやすかったでしょうね。 ただ昭和レトロな小諸駅、私は個人的にとても好きですし、小諸は歴史深い素敵な街です。
我が地元の一部ですが、佐久はいまだに駅そばの田んぼがどんどん住宅地や商業施設になっててびっくりするくらい街が変わっていってます
ちょうど去年の夏にどちらも行きましたが小諸駅の衰退はすごかったですね。廃ホテルがあったり、小諸城も閑散としていたりと新幹線の通る佐久平と比べると活気を失ってしまった感じはありました。ですが、しなの鉄道が頑張っているおかげもあってか鉄道を小諸駅から利用もしくは小諸駅で降りる人はかなりいました。どちらの駅にも頑張ってほしいです。
駅前の話であれば肺ホテルではありませんよ…小諸城も桜と紅葉の時期は凄まじい人だかりです。
隣の上田に父親の実家が有りますが小諸は新幹線も高速道路も反対運動で佐久平になったらしい。お陰で小諸は寂れてしまったと言ってました。
小諸土着の高齢の人達は排他的な人が多いと聞きました⤵️新幹線駅もそれが災いして残念な結果でしたね。
最近は若手の移住者もボツボツ増えているそうです。頑張れ小諸!
えッ!小諸が排他的なのですか?
旅行者として訪問した時には全く普通でした。
そして小諸は落ち着いた静かな町という印象。
しかも小綺麗ですよね。
ただ、佐久市には名物料理が有りますね。
しかも…佐久市の市境に沿って北陸新幹線は見事に小諸市を迂回していますね。
まるで新幹線から嫌厭されてるみたい(笑)。
@@小沼浩一 地域性の問題よりも高齢者だけが反対している感じですかね。
例えば松本糸魚川道路のジャンクション設置に反対しているのも明科の高齢者、同じく松本糸魚川道路の建設で国道沿いに「土盛道路は要らない」立て看板や幟を掲げているのも大町の高齢者、松本波田道路のジャンクション予定地に反対の看板出しているのも松本の高齢者、ここまでくると害悪でしかない。
明治時代、鉄道の敷設の時も金を失う(鉄)道として嫌われ街道より下の現在の位置に小諸駅ができたとか。でも小諸には江戸の文化と明治の文化が残っているいい街だと思いまし、落ち着いた観光地としての価値があると思います。佐久平はその点文化的には乏しく、それ故にあたらしい町づくりが可能だったともいえます。便利ではあるかもしれませんが、どこにでもあるチェーン店が建ち並ぶこれと言って特徴のない街だと思います。
@@涼風-z9q
負け犬
長野新幹線の開業が1997年10月。イオンモール佐久平のオープンが1999年の4月。何も無い所に駅を作ってイオンモールを誘致した事が一番大きい。今でこそイオンモールは全国各地に出来ているが当時はまだ数が少なく珍しかった。車社会の長野県は店に大きな駐車場がある事が何よりも大事で駅前型の店舗は長野駅前であっても衰退していて小諸にあった「ながの東急」が閉店した時も県内では大きく報じられた記憶があります。
佐久平はロードサイド店と駅前のハイブリッド型が成功した稀有な例です。
何もない場所のほうが開発認可が降りれば
開発しやすいというメリットはある。
認可されるかどうかが難しい。
地方だって駅前に郊外型の再開発すればうまくいくものです。
歩行者対策は歩道を設置するだけでいい。
店舗はクルマ前提で余裕を持って配置すること。
そこは歩行者なんか無視して良い。
「店舗間が遠くて大変」とか歩行者には厳しくても
自動車からすればそのくらいの余裕がある方が楽でいい。
そして、住宅地は引っ込んだ場所に限定して、
主要街道沿道は戸建住宅禁止(建ぺい率や容積率で規制可能)にすること。
全国各地の商店街が衰退した理由は
「商店街なのに住宅ばかりになった」ことが大きい。
歯切れのよいナレーション、よく調査されているデータや経緯に基づく動画
世の中のテレビ番組よりずっと素晴らしい出来です。感心しました。
これは歴史遺産の多い町、あるあるだよね。
新規に開発できる余地のある町と無い町との差も大きい。
ちょうど佐久平駅が開業する前後のタイミングの時期に5年間ほど佐久市寄りに位置する小諸市和田に仕事の都合で暮らしていました。当時は自分も20代前半と若く、独身で時間もお金も元気もあり、地域の方たちとの交流も盛んでした。グループで夜遊びしたり温泉にしょっちゅう行ったり、スキースノボもかなり行きました。人生の中で最も楽しい時期でしたね。佐久平駅周辺は何もないだだっ広い畑のようなところでしたが、みるみるうちに国道のバイパスが整備されてホテルができ、イオンができ、大型カインズができ、スーパーができました。新幹線の影響力はすごかったです。地域が発展すると、そこに暮らしている方たちも未来に希望を持つことが出来るので、生き生きとして来るのがとてもよくわかりました。その一方で、小諸駅は変わろうとしていなかったような印象があります。歴史にあぐらではないですが。。佐久市の方が未来を見ていたんだろうと思います。転勤で東京に戻ってきた時は、車と人が多すぎて暮らしにくい!と感じました。佐久地域は晴天率も高いので、その暮らしやすさも発展要因の一つかなと感じます。東京にも出やすいですしね。定年退職後は、また佐久地域で暮らしたいなぁ。高齢化率が上がっちゃうか。
小諸の街を発展するにはあえて昭和と国鉄時代のレトロ感を引き出し懐古園など名所も豊富だから「街歩きや歴史散策」のメリットを活かすのも選択肢です。小諸駅も懐古園も街並みも小諸の貴重な財産です。
50歳にして故郷佐久に帰ってきたので、とても興味深く視聴させていただきました。高校の同窓や先輩には小諸牧野氏の直系の子息もいて、なかなか小諸にも愛着があるので、なんとか共栄の道があればいいなと日々暮らしております。勉強になりました。
佐久にはよく行っても、小諸にはほとんど行くことがなかったのですが、牧野氏が治められていたのですね。
私の地元が室町幕府から牧野氏が入られて、江戸幕府前まで領主をされていました。
何だか親しみを感じてしまいます。
関東人ですが「雄大な山間に開けた、歴史の香りがする、微妙にさびれた高原都市」という、
今の小諸の在りようとたたずまいが味わい深く、心惹かれます。
地元の方は見慣れてしまっているのでしょうが、
駅の跨線橋から見る、何本にも分かれて夕焼けの山間の向こうに消えていく鉄路は、
旅愁と郷愁に満ちて得も言われぬ光景です。
小諸は大人の美意識や旅愁に訴える高レベルのアイテムを多数所持、保持している街だと思います。
そこをうまく活かしていくことが将来の道なのでは・・簡単ではないでしょうが・・
元小諸市民です。様々な調査、お疲れ様でした
小諸市は2001年にジャスコ小諸店が、2002年にこもろ東急が閉店し、
大型家電店すら市内に存在しないという状況で、商圏的には終わってます
買い物といえば、佐久平駅周辺か、上田に行かざるを得ない状況です
あと、11:00あたりのスタジアムは長野Uスタジアム(サッカー場)で、
オリンピックスタジアムはこれの西の方にある野球場(花びらみたいな形)の方ですね
小諸の衰退は新幹線がルートを外れたことも一因としてありますが、鉄道以外に自動車のアクセスもだんだん良くなって遠くへ買い物行けるようになったのも大きいですよね
昭和くらいまでの長野県は高速道路もなく、同じ旧佐久郡内であっても小諸と佐久市内の各町が共存できるくらいの生活圏だったのが、
平成以降は上田、軽井沢と後発の佐久平に挟まれて商圏拡大できなかったのもあるのでは。
今じゃ長野市民も高速道路で上越の道の駅や、群馬のコストコまで買い物に行く時代になりましたから…
ツ、ツルヤがあるもん。。。。。。
素晴らしい数値調査による分析に感服です。
岩村田駅から佐久平駅まで1kmくらいで、小海線乗るより歩いた方が早かったこともあり、新幹線の時間に間に合わせるべく歩いたことありますが、街の雰囲気が全然違いましたね。岩村田は古い街並みでしたが、佐久平近づくに連れて郊外店舗が増える傾向があります。
今年東京から小諸市民になった者です。
小諸市がフル企画新幹線に強く反対したのは事実のようです。相生町を中心とする商工会がフル企画ホームの建設が懐古園に影響することで猛反対をした訳です。それによってJRは新幹線ウエルカムだった佐久市を通すようにした訳です。地図で新幹線ルートを見れば分かると思いますが、小諸を避けるように南に迂回しております。つまり小諸市は自ら新幹線を退けた訳です。
当時新幹線小諸駅を反対していた人に聞くと、「小諸市は寂れてしまったが、これで良かった…。小諸は坂の町で新幹線が通っても佐久の様に発展するのは難しい」というお話でした。
小諸市に活路があるとすれば、御影新田や和田といった佐久平駅に近い所に質の高い住宅地をしっかり開発することです。今佐久平駅は発展の一途を辿っていますが、良くも悪くも普通の住宅地が多いのです。東京の人がIターンしたくなるように景観や景色を大事にした高い品質の宅地開発ができれば富裕層の人口増加を狙えます。高額物件は田舎では売れにくいイメージがありますが、昨年販売された佐久平駅南側のマンションは1億前後でも即完売でした。都内組で狙っている人は多いと思いますので、ここが活路かと思いました。
最後に佐久平駅周辺はとても住みやすい所です。
・自由席はまず座れます。超繁忙期以外は全く争うこともありません。
・動画でもありましたが、駅前に駐車場が沢山あります。満車はまずありません。
・駅ロータリーにタクシーが常に待機しており、利用客も少ないので待つことなく乗れます。
・高速も駅近くにあり、東京へのアクセスは車やバスも使えます。
・周辺の宅地の値段は上がりましたが、まだまだ現実的な値段で留まっています。
・ツルヤ、イオン等のスーパーや大きな病院が存在します。
一方軽井沢は上記が危うくなります。
・自由席は時間と時期によっては危ないときがしばしばあります。
・駅前駐車場が少ないです。
・タクシーは来るのですが、利用客も多いので待ちが多いです。
・高速が遠いです。碓氷軽井沢ICは山の中で繁忙期は渋滞もします。
・駅近くの土地は大変高額です。
・スーパーはツルヤ、デリシアがありますが、箇所が限られているので混みます。ツルヤ特に混みます。
・大きな病院はありません。町医者も少ないので御代田へ来ている方が多い印象です。
という訳で、今後の小諸市の取り組みに期待したいと思います。
若干時間がかかるけど那須塩原駅付近よりも住みやすいと思う
小諸に対してぼんやりと感じていた印象の謎解きを見せてくださり、ありがとうございます。
蒸気機関車牽引の列車で碓氷トンネルを通過するときに、窓を閉めるのが間に合わず石炭ガラが目に入って大変な思いをしたり、千曲川が氾濫して信越本線が不通になったときに黒姫から小諸まで車で送ってもらって動き出した上り電車に乗ったり、上田へ向かうときに横川駅で峠の釜飯を急いで買って補機の増結作業を見に行ったりしたことも想い出されて懐かしくなりました
スパチャ、ありがとうございます!
以前にHIGH RAIL1375に小諸から乗った時は乗客も少なく、「予約が取れないと言われている割には空いている」と思っていたら佐久平でワンサカ乗ってきて満席に。新幹線の影響は大きいのだと実感したものでした。
鉄坊主さんが小諸を取り上げていただきとても嬉しいです!新幹線が小諸に来ていたら衰退せず盛り上がりを見せてくれていたんだろうなーと思うと少し悲しく思います。今の小諸もとても良い所なので、たくさんの方が小諸を訪れてくれると嬉しいです!
もし小諸に新幹線が来ていたら小諸駅周辺に残る歴史的な建造物や懐古園なども維持できなかったかもしれません。
一方で佐久市は地形的にも広い盆地であるなど状況的にも開発しやすく、有力政治家が居たというのも大きかったと思います。
小諸は駅周辺まで「山の麓」の一部のような地形で、既存の雑居建造物を含めての再開発があれば大変だったでしょうし、周辺状況からも限られた開発にとどまったと思われます。
それぞれに選んだ将来の方向は違いますが、それぞれに独自の発展を進めてほしいです。
@@かけ57 東信地区の旧長野2区の与党政治家は上田市を地盤とする羽田孜と佐久(旧臼田町)を地盤とする井出正一でしたが、フル規格が決定した91年では羽田が初当選から22年経ち次世代リーダーと目されていた(「平時の羽田」)一方で井出は2世とはいえ当選からまだ5年だったので、政治家の力は北高南低だったように思います。自社さ政権になると井出もさきがけの要人として入閣するなど重きをなしましたが、もうこの頃には新幹線は建設中でした。
小諸に新幹線が誘致できたとしても、それだけでは維持できないでしょう。
佐久の発展は新幹線だけでなく、商業施設への集客、佐久長聖への通学需要、色々要因があると思います。
小諸駅に新幹線を通すとなると歴史的な建物を壊すことになっていたかもだけど、壊さないようにトンネルなどを堀って、小諸駅近くに新駅を作って通すことはできなかったのでしょうか?もし上手に通すことができればたくさんの観光客の方が新幹線を使い、小諸に訪れていたとおもいます。
車社会なので地域全体が車でアクセスする上では小諸より佐久平の方が良いと思うけどね。小諸に特急あさまが止まってた頃も佐久市や南佐久郡から車で駅前の駐車場に止めて利用する形で栄えていたわけだけど、やはり道路幅とか駐車場規模とかは歴史ある街では限りがありますからねえ。それにやはりイオンが出来たというのが一番大きいし、これは何もない田んぼの土地が必要だった。
いち長野市民です.北陸(長野)新幹線建設の経過とその後の小諸,佐久両市の変遷を統計データを交えて改めて簡潔明快にまとめて頂き,改めて敬意を表します.
私は約40年前から仕事やサイクリングで両市へ幾度となく訪れており,この間の変遷を見てきました.直近では2022年11月21日に社用のトラックで中込地区まで納品に行っておりますが,上信越自動車道から分岐する中部横断自動車道ができてからは初めてで,以前の❝脳内navi❞も機能しない程の変わりようでした.
高速道路のインターチェンジ近辺はどこも画一的になりがちですが,旧小諸市や岩村田,中込,(佐久)野沢,それに臼田の各地区には街並みが古いからこそ残っている良さを活用し,
個性的な商店の活躍で旅情を味わえる街造りを期待したいです.
地元民です。動画に見知った景色が出てきてワクワクしました。最近の話ですが小諸に遊びに行ったとき駅の隣にある懐古園にいきました。ペンギンが新しくやってきてコロナ禍にもかかわらず賑わいを見せていました。佐久平駅周辺ではまた大規模な都市開発が行われ、佐久平駅を蓼科口をでて南に行くと、動画で言われたカインズホームが移転しており新しくスーパーなどがまた建ちました。どちらも賑わいを見せていってくれると嬉しいですね。
小諸に新幹線の誘致が成功してもすでに旧跡や旧家が多い街だからさほど再開発もできず郊外に商業地が流出するのは既定路線だっただろうな
佐久平だから発展したのではなく時代の潮流に偶然佐久平が乗ることに成功できてさらに発展したパターンだ
上田駅も正にそうですよね。新幹線の駅はできましたが街中に作られてしまったので再開発の余地がなく発展も絶望的です。小諸も上田も駅の周りに城や旧家があり歴史的な価値はあるんでしょうが如何んせん市の中心地が佐久と違って狭すぎるんですよね。まあそもそもそんなお金もないんでしょうけど…
確かに今の小諸駅周辺は、ちょっと寂しい感じですよねぇ。
一方で佐久平駅やお隣の岩村田駅は新幹線開業後の勢いと中山道の頃の宿場時代の名残と国道と、色々合わさって街並みになかなかの勢いを感じます。
新幹線誘致に関しては、小諸 御代田 軽井沢の推進協議体が、軽井沢停車が決定してからの温度差が浮き彫りになり、小諸が孤立化したことも要因かもしれません。
軽井沢の隣町である御代田は言い方が悪いかもしれませんが「軽井沢のおこぼれをもらえる」恩恵があるのも大きいかと。
御代田は最近町内に進出する工場などが堂々と「西軽井沢」名乗るようになったくらいですからね
軽井沢の重要性を国鉄が認識してた、と言うのは初めて聞けた話で面白かったです。新幹線効果で軽井沢も夏だけの避暑地からオールシーズンの観光、商業地に発展しましたね
ただ碓氷峠の麓から無理にでも軽井沢を通そうとした結果佐久平経由になってしまったと言うことだと思いますが、
佐久盆地の端にある小諸に仮に新幹線駅を作れたとしても、ここまでの発展はしなかったのではないかと思います
佐久市に生まれ現在小諸市に住んでいるものです、データに基づく分析ありがとうございました。今後は小諸活性化の為努力していきたいと思っています。
馴染み深い場所を取り上げていただき、面白く視聴しました
佐久地域も面白いところですよね
昔の街道の時代には、碓氷峠からの中山道が追分で分かれて北国街道が通っていく小諸と、
もうちょっと緩やかで女性でも通れることから「姫街道」と呼ばれた道が少し南の入山峠から入ってくる佐久市、
佐久市内も昭和の合併まではさらに南の中込とか野沢その他の町が分かれている地域だったんですよね
佐久市役所は現在も佐久平近辺ではなく、市域のほぼ中央、もう少し南に立地してます
山梨県境の南佐久も視野に入れれば、小諸も佐久平も旧北佐久郡なんですよね
つくづく燕三条と似ているなあと思います。
・並行在来線と違う位置にある
・並行在来線と分岐したローカル線と直交する
・そのローカル線が単線片面ホームで毎時1本程度である
・駅前にイオンがある
・駅名や高速道路ICの名前で両自治体から揉める(三条燕IC)
小諸の場合、特別快速軽井沢リゾート号でさえ通過便があるのが物語っていますね。
桜の懐古園が美しかった。昭和が色濃い小諸駅周辺やしなの鉄道でのんびり向かった篠ノ井駅。雰囲気たっぷりで良かった
旧主要駅と新幹線駅との格差もデータを見れば双方根本的な課題を抱えていて対策が必要なのは変わらない。協力して解決していかないと。
小諸市で生まれ半世紀になれますが
地元歴史に興味があまりなかった事もあり
この動画で幾つかの情報を知る事ができました。
ありがとうございます。
今後の動画も楽しみにしております。
佐久平駅周辺で生まれました。見慣れた風景に感激しています。ようこそ佐久へ!!!
親の代までイオンどころか市街地の気配もなく一面の田園地帯、買い物といえば小諸や上田。そんな田舎が凄まじい事に…。かつて親が歩いた田園の通学路は今や建物で埋まっています。
また佐久市の中心地は岩村田以外にも中込駅周辺(市役所もあります)がありましたが、新幹線駅とインターがどちらも市の北部に出来た事で商業の中心地が岩村田側に集中する事となりました。
開業から四半世紀を経ても発展は留まるところを知らず、つい最近イオンの向かいに更に新たな商業施設が出来ました。裏道にも住宅が立ち並び、狭い道路の交通量は増える一方です。元は田園風景ばかりだったのに…。
祖父の知人も何名か土地を売却、貸与してかなり儲けたと聞いています。佐久はおそらく新幹線の「光」を全国で最も享受した都市の一つではないでしょうか。
現地取材を始め佐久と小諸の歴史的関係も交え、深い所まで踏み込んだ動画を作って頂き本当に感謝します。また是非佐久平にいらして下さい!
鐵坊主さんのお考えのとおり、軽井沢駅設置という幸運と佐久市の熱意が成功のカギですね。
おそらく宅地開発をしたことで、不便な(失礼)エリアから便利な佐久平駅周辺への移住が促進されたのでしょう。
それと、他の視聴者さんのコメントにあるとおり、史跡が無いエリアのほうが開発しやすいと思います。
佐久平駅といい七戸十和田駅といい、当初は不安視されたけれど案外うまくやっている駅は、どれも駅名がしっかりしているように思います。
その地域周辺を表せる駅名にすると周辺地域の理解が得られやすく
人口集積地としてのランドマークになりやすくなるのかもしれませんね
今は関東に住んでますが小諸が地元です。私が小学生の頃、母と行った小諸駅を登ったところのあんみつ屋さんが思い出です。
小諸はたくさん魅力あって好きです。懐古園も、動物園や遊園地もあります。遊園地は最新ではないですが、あの古い感じがとても好きです。ちょっと悲しかったのが、小諸にあったTSUTAYAと古本市場が佐久平に移転すること。
14:04 懐かしい。小諸駅。高校生の頃だから、36~7年前、ここに2時間ほど滞在した記憶がある。「小諸なる 古城のほとり」の石碑があったことも思い出される。
ありがとうございます!
佐久への吸引力は佐久平駅と言うよりは、中部横断道が無料なのが大きいと思う。車の流れも新和田トンネルが無料化したので佐久から諏訪への通過車両がかなり多くなった。清里方面の車も多く、鉄道、道路共に重要な場所になった
小諸には特別な思い出があります。半世紀近く前の1976(昭和51)年、八ヶ岳高原を舞台にしたTVドラマに感銘を受けた親がロケ地見学経由で小諸の薫風山荘別荘地(貸別荘)にクルマで夏旅行しました。当時は上信越道などもなくひたすら下道を9時間かかりました。朝の17℃の冷気にはびっくりしましたが爽やかな空気が忘れられません。貸別荘の大学生スタッフさんは今頃どうしているのだろうとふと思い出しました。また訪れたいです。
一昨年に小諸に行きました。駅は、ホームが長く、往年は主要駅だったということを忍ばせ、駅前もひっそりしていて寂しかったですが、懐古園、北国街道の町並みは、歴史好きにとっては、忘れられない場所になりました。歴史的な良さも、新幹線沿いでないことで、増していると思います。それを逆に利用して、多くの方々が訪問するようになるといいですね。
私もほぼ同意見です。
北陸新幹線の高崎〜長野間開業前は、最長で12両編成の特急「あさま」や「白山」が、発着する駅だったのですから。
来ねぇよ
元々、佐久平地域の中心に位置するのが佐久市ですから、小諸市より佐久市に駅を設置した方が新幹線による開発効果が大きくできるのが理由でしょう。小諸市は佐久平地域ではあまりにも北端なので新幹線を通しても開発促進効果が小さい。
故羽田元首相は地形な問題でフル規格なら佐久市を通すしかないと言ってたし。
小諸市はミニ新幹線で通る前提だったので、軽井沢以西がフル規格という時点で小諸ルートは選択肢にはならなかったんです。
👍
スパチャ、ありがとうございます!
東京から駅前のホームセンターに配属になり佐久平に1年住んでました!
とっても住みやすく魅力的な町でした!
大宮に出るのも50分だし、北陸新幹線は割引も効くので最高です!!日帰り楽勝です。
浅間山も綺麗すぎだし食も豊かです。
ここにしかないお店が多く、ピータズやベーカリーテテなど通いまくりでした!
今は飯田で新宿まで4時間越えの陸の孤島なので、佐久の便利さが羨ましいです。
信州が更に好きになるきっかけをくれた街です!
PS 岩村田が主要駅だったなんてびっくりです!
今回も大変興味深い動画でした。
長野県が新幹線開業によってどう変化したのか、勉強になりました!
1点細かいですが、10:59 の「長野オリンピックスタジアム」として映し出されているのはサッカー場の「長野Uスタジアム」で、開会式などで使用されたオリンピックスタジアム(通称オリスタ)は右手側の野球場です。
面白かったです。
確かなデータと現地画像を元に展開する動画はなんか
NHKスペシャルを見ているような気持ちになりました。
いい加減な論法ではなく信頼ある数値の提供は説得力があります。
RUclipsのおすすめチャンネルに表示されたのがキッカケですが
とても勉強になりました。
長野「行き」新幹線ができた頃、佐久の某職業の方が皆で「便利になり、浅草に夕方飲みに行った」などという発言を聞き、新幹線の威力を感じた。ところで図表からも軽井沢町の位置づけがよくわかると感じた。また当時の新聞報道にあった両市の政治的な暗闘は他になかったのだろうか。軽井沢でわざわざ乗り換える人は極わずかだろうし、布引観音から善光寺にいく人は絶えたことだろう。そんな過去を懐古するしかないとしたら、道路も鉄路も確保した佐久市は間違いなく勝者なのだろう。しかも自動車道工事のおかげで3万年前の遺跡も発見できた。大昔から豊かな土地だったのかもしれない。
佐久は2017年に松本にイオンモールが出来るまで県内唯一のイオンモール(ジャスコ)だったからなぁ、ワイ長野市民もよく買い物に行ったわ
あと佐久は道路整備も有能。4車線道路がとても多い。
あと新幹線だけじゃなくて上信越道も整備されたのがとても大きいと思うわ。今や無料で通れる中部横断道も整備されてますます快適になった。
あの辺りは車で走ってると群馬とか関東ナンバーも多い気がしますね
最近は前橋にコストコできて長野からも行く人が出始めたようで、
長野県の東端にある立地からも今後は北関東や山梨県の街との競争になっていくのかな…
カ、カタクラモールじゃいかんのか。。。。。
詳しい説明有難う御座います。静岡県在住ですが佐久市出身なのでこの動画に感激し思わずチャンネル登録してしまいました。子供のころ当時佐久より賑やかな小諸にもよく行っていました動画の説明を聞いてちょっと寂しい気もします。最近昭和の街並みが懐かしく感じるので久しぶりに小諸に行って見ようかと思います。 世界的に見れば日本全体が世界の進歩から遅れており人口減少やGDPが30年以上変わらない問題も含め政府が取り組むべき課題が山積してると思います。
小山田いく先生のマンガのファンの下越民です。遅ればせながら、先生のご冥福を申し上げます。先生のほのぼのとしかつ、おとなびた作風に心引かれ、愛読してました。つちころびくんのようなきゃらがいいですね~。先生の作品には、迷家ステーションといった鉄道題材のものもあります。私は阿賀野川水系の者なので、遠出は関東か山形、福島なので、遠い隣の長野県は 、2かいぐらいしか行ったことがありません。横軽廃線前と、あと長野のやまなみなふうけいがいいですね~。こちらはへいたんなとこなので、、、。
国鉄時代に岩村田駅の近くに住んでいました。もちろん最寄り駅は岩村田駅で当時の急行すわ号、のべやま号で上田の祖父母の家に行き来きしてました。
佐久平駅が出来るまでは周辺見渡す限り田んぼだった事が嘘のように発展しましたが、小諸の急激な衰退は可哀そうなほどでした。新幹線効果でここまで佐久市と小諸市との間に差が出てしまうとは。またこの動画で勉強になりました。小諸と言えば当時は信越本線と小海線の分岐主要駅で特急あさま、白山(昭和40年代は通過)ほとんどの優等列車の停車駅で当時岩村田から小諸駅駅に行き、よく列車の写真を撮りに行きました(懐かしい)。
一つアレっと思ったのが岩村田駅の説明映像中に列車が三岡駅を後に走行しているシーンがあり「岩村田じゃない」なんて思っちゃたりしました。
何名の方がコメントされていますが、小諸市は当初新幹線誘致に反対されていましたね。当時はまだ東海道新幹線が開通したばかりで、その経済効果など誰も想像つかず、景観が崩れることを懸念したのでしょう。
これに対して佐久市は熱意を持って誘致されていますが、地元民はどう捉えていたのでしょう?と言うのも、自分は今から40年ほど前、小諸から小海線を使って高校に通っていて、現在の佐久平駅付近は当時は一面の田んぼで、そこにデカデカと「北陸新幹線アセス案断固反対!」の看板があったので。あの辺りで稲作されていた人たちにとっては、新幹線などとんでもない!と思っていたのではないかなと。やがて東北新幹線と上越新幹線が開業し、その経済効果がはっきり表れると同時に、その看板もいつの間にか無くなっていました。
動画ではネガティブに捉えられてたけど、昭和的な町並みをうまく残しながら、その景観を壊さない程度に適度に再開発施設を織り交ぜていて開発上手いと思ったんだよな
東京圏だとああいったのは再開発で残ってないから尚更新鮮だった
せっかく軽井沢からはしごできる距離なのだから、昭和レトロな町並みや懐古園等活かしてもっとメジャーな観光地になってほしい
小諸は「すくらっぷブック」で憧れの地だったので寂れ具合には悲しいものがありましたね。小諸の市街地へは坂があるんで発展するには難しいかもですが。
逆に言えば小諸の特に駅前の人たちが、街場への新幹線開通を望まなかったり、諸般の事情が合わさって史跡等が状態よく保存されていると考えることもできる
昔は東急百貨店があったり、商業地としての賑わいは見る影もないかもしれないが、
ここから堪える時間をうまく過ごせれば、今度は歴史的価値と佐久平とのアクセスの良さが再評価される時代が来る可能性もあるのではないかと…
いずれにしても日本全体が衰退に向かっていく時代なので、地域間の我慢比べのような感じでずっと行くのかもしれませんが
@@aaaaa-kq1dh 小諸の駅前の人とか集めてから言ってね
私も愛読してました
小諸を知り、ひいては信州に興味を持つきっかけになった作品でした
ところでMori ritzさん、アカウント乗っ取られていません?
成りすましかなぁと思って確認したら、同じアカウント上で粘着アンチみたいなコメントと普通のコメントが混在しているので。
(単なるダブスタなら、別に構いませんが…)
私も「小諸」と言えばその作品が頭に浮かぶ世代です。
一度だけ懐古園に行ったことが有るのですが、そこの展望台だったかな?
そこで作中に描かれていた風景がそのまま広がっていたのが今でも感動と共に蘇ってきます。
そして同時に、さだまさしさんの「案山子」の歌がアタマを流れます。
「城跡から見下ろせば、青く細い川、橋のたもとに造り酒屋の煉瓦煙突」の部分です。
あの歌詞は偶然の産物だったのかと今でも不思議に思っています、
大学2年生の春、サークルの合宿が別所温泉だったので特に上田周辺の文化財は多く回りました。その時の集合場所が上田駅で、私は時間に間に合うよう「白山」に乗ったのですが懐古園などに行きたかった一部の学生はそのさらに1本前の「あさま」に乗って小諸で降り、観光の後集合しました。いやあその手があったか!と当時次はそのようにしようと思っていたのですがしかし新幹線が開通し小諸に特急が止まらなくなってからむしろ疎遠になってしまいました。その割には上田城にはもう一度行っています。やはり特急が止まらなくなるというのは公共交通機関による観光の度合いを下げてしまうと思います。上田城ならまだ駐車場もありますが懐古園は確かあっても小さかったように思いますがしかし現在懐古園と上田城を回ろうと思えばマイカーが便利です。小諸は高速鉄道からも高速道路からも離れた場所になってしまいました。これこそ暇坊主チャンネルでおっしゃられていた、鉄道と連携するバスを各史跡へと確実に走らせるようなことをやらなければ客足は遠のくだろうと思います。そのうえでの佐久市の施策だと私は思っています、開通時からこれは言われていたことではあったので。
小諸はゆかりの漫画家がいたせいで個人的には身近な存在なのですが、実際訪れてみると昭和を感じます
佐久平はいわゆる地方都市といった感じでイオンの存在が大きいですね
新幹線駅=発展というわけではないのは事実ですが、それを契機に都市開発を行った佐久市のお役人のすごさということでしょうか
(個人的にはさびれた小諸駅も好きです)
2000年代半ばから10年ほどその地域に住んでおりました。
東京へ行く時新幹線が使えるので便利でした。ジャスコ(現イオンモール)やカインズも便利でよく利用しておりました。
その地域は車社会で、単に駅を誘致できたことだけが成功要因ではないです。特に整備されていない農業用地メインの場所に駅が作られたこと、それをランドマークとして商業施設や道路など周辺が整備されたこと、モータリゼーションで郊外化が進んでいたところにマッチしていたことがあげられます。
小諸駅周辺以外に佐久市でも岩村田商店街(岩村田駅とちょっと離れています)や中込などもともと中心市街地だったところは大きく衰退していますし、長野駅、上田駅周辺でも新幹線開業以降ストロー現象や元々進んでいた郊外化で百貨店や大型スーパーが続々とつぶれています。仮に小諸や中込に新幹線駅ができてたとしても同じことになっていたかと考えられます。
新幹線が欲しがる地域はまだたくさんありますが、本質を見誤ると市街地衰退を加速させることを覚えておいて欲しいです。
私もそのように感じました。
実は車社会に適合したおかげで発展したのに、新幹線効果がすごくて発展したように見えるという、鉄道全体にとってはいいのか悪いのか微妙な話です。
佐久平の街にしても大手のチェーン店とかホテルが進出してきたのであって、地元にどこまでお金が落ちているのかはわからない感じもありますよね
長野市の衰退は県外の人はあまり知らないかもしれないけど結構深刻です
97年の新幹線開業から2000年にそごう閉店、ダイエーが撤退して市管理の施設になったのちこれから数年のうちに取り壊し、
長崎屋が入っていたビルも開業五年後くらいに別の商業施設になりましたが昨年閉館、駅前から少し離れた権堂アーケードにあったイトーヨーカ堂も一昨年にビルを縮小したスーパーになりました。
新幹線開業からの四半世紀の動きを追っていくとうろ覚えですがこんな感じ。今長野市の中心的な商業地は駅前から犀川を跨いだ市南部の篠ノ井に移っているかもしれません
今年あたりには長野市の東隣須坂市との境にあるインターチェンジあたりの出店が進んでいて、どんどん空洞化が進んでいる気がします
@@aaaaa-kq1dh 様、地元在住ですが、ご指摘はかなり当たっています。北陸新幹線の建設が具体化する前、篠ノ井駅前には「考えよう!いつまで続く陸の孤島」という立て看板が立っており、当時の長野市長らも新幹線さえ来れば長野市の飛躍的な発展が期待できると目論んでいました。
現実には、約50~60年前に周辺約20km圏の山村部から長野市中心部へバスで出かけるのと同様な感覚で長野市から首都圏まで買い物やレジャー等に出かけることも可能になったため、特に高級・高価格の商品は都内の専門店で選び求める傾向が強くなっているように思います。
現在、須坂長野東インターチェンジ附近に大規模商業施設の建設が進められていますが、当然、須坂市内中心部の商店街、それに長野電鉄の輸送人員にも
良くない影響が現れることが予想されます。
新幹線が長野まで通って最初に出た変化は、長野、上田、小諸に行っても宿泊せずに首都圏に日帰りしてしまう現象でした。新幹線と高速道路が日帰りを後押しして、オリンピック直後、宿泊施設の閉鎖が続いたのではなかったか?
かく言う私も、小諸への出張も、善光寺のご開帳も泊まらずに日帰りでしたから。早く移動できることは必ずしも良いことには思えません。
@@maironef 確かに、50年前と言わず新幹線が開通する以前の四半世紀前の時代まで長野はそうだったのかも…
特急あさま時代の長野はおそらく時間距離的には松本と同じような雰囲気だったんでしょうね
今やその松本が、商圏を少しずつ拡大して五輪以降衰退している長野と肩を並べつつある…
よく調べた動画となっており、そうだったなと思い返しています。
ただ、当初の北陸新幹線の北側ルートはただの技術的なたたき台に過ぎず、軽井沢駅を通らないルートは有り得ませんでした。鉄道ファンは政治的な動きを軽視しがちですが、多くの政治家や財界人が別荘を持つ軽井沢を通らないルートは有り得ませんでした。
小諸は新幹線が駅南側の小諸城域に掛かる事を理由に反対運動が有り、佐久が漁夫の利を得た感じですね。
あの当時反対運動をしていた年寄り達はとっくに天に行っていますが、地元の衰退を見下ろしてどう思っているんでしょうね…
動画の着眼点が素晴らしい!
佐久の発展は新幹線だけでなく、上信越道・佐久ICとのセットで考えた方がいいでしょう。新幹線駅と高速道路のICがさほど離れた距離ではないので一体的に開発できたのが大きいと思います。
動画を見終えてからgoogle map及び地理院地図から現在と70年代半ばの航空写真を比較しましたが、やはり「後出しジャンケンは強い」。
歴史的な街であれば開発も進んでおり、それ以上の開発余地が少ない。一方、「村」程度であれば開発の余地はいくらでもある。
八方丸くなんて行きませんわなぁ
2023/1に公開された新幹線駅シリーズ、上毛高原、嬉野温泉、そしてこの佐久平は、鐵坊主先生の、超 力作です。
みなさん、ぜひ、見るべきですよ! (過去作にも、高クオリティーの力作・労作はいっぱいありますが。)
ありがとうございます。
苦労が報われました!
佐久の場合は新幹線開業もあるけど、実は結構道路事情も恵まれてたりする。
どっちも国道18号沿いなんだけど、佐久には南行きの141号があるのと、少し南に下がれば254号や142号もあるので。
141号は清里から韮崎に、254号は松本に、142号は諏訪方面に通じてるから、南信方面への交通が充実してる。
小諸の旧市街地は1960年代の18号線の小諸バイパスの完成ですでに成長は終わっているんですよ。
小諸は、城下町より城郭のほうが標高が低い(しかも城郭の南側は崖、その下に千曲川が流れている)という特殊な街並みに加えて、浅間山の裾野にできた町なので市街地が北東(浅間山頂)側から南西になだらかに傾斜しています。
これだと新幹線駅を誘致したところで大規模商業施設や工場・物流倉庫などが建つはずもなく、衰退するのも無理はないと思います。
単なる思い出話で恐縮ですが、長野新幹線が開業したばかりの頃に軽井沢と小諸へ家族旅行で訪れました。
開業フィーバーもあったのか軽井沢〜小諸で乗車した169系の車内は賑わっていて、動物園が併設?されていた小諸城は当時子供だった自分でも楽しい時間を過ごせた記憶があります。
地域交通の基幹が鉄道の時代であれば小諸一択だったでしょうが、自動車による移動が主流になった現代では地域の中心に位置して、開発の余地が充分にある佐久に新幹線の駅を設置するのが正しい判断でしたね。
加えて佐久市の新幹線を利用してもらおうと様々な補助や開発を推進している行政は本当に羨ましく感じます。
小諸については新幹線は衰退の起因ではなくダメ押しであったんだなぁと知れました。
このまま衰退するのではなく、佐久とは東信地方の強敵(とも)な関係であり続けて欲しいです。
レポートありがとうございます。人間とは勝手なもので、特急で長野⇄上野間3時間を若い頃に風景ごと身につけてしまい、長野まで東京から新幹線で遅いものでも2時間未満な上にトンネルが多いと不満が残る者です。
はい、小諸駅は景観破壊がイヤで長野新幹線を拒否したと聞いていましたが、駅前の発展まで拒否したかのような惨状の映像、衝撃的すぎます。
佐久平駅付近は発展しているようですが、気になるのは中央資本・他県資本の全国チェーンのお店、商業施設、ビジネスホテルが多いように見えること。結局は、佐久平駅エリアを舞台に長野県以外の会社間でお金がめぐってるだけにも思えます。商業施設がオープンすると他所から店長やらスーパーバイザーがやって来て、住居を借り上げようにも供給不足だと他所のディベロッパーがマンションを建てたり…。統計では見られない実情もありそう。でも、見事な解説・解析です。
軽井沢の存在と、軽井沢駅を国鉄が主要駅と考えていた事が小諸市と佐久市の明暗を分けてしまったと思います。
小諸駅が信越線からしなの鉄道になってからは横川軽井沢間が廃止になったので東京まで乗り換え無しで行けなくなり、しかも三セク化で運賃は値上げされたので小諸市が一人負けしてしまったように思ます。
仮に小諸(平原)に新幹線駅ができていたとしても、河岸段丘沿いの土地では開発はうまく行かなかったのではないかなあ、と思います。
昔20年程前、秋の終わりから半年ほど小諸に住んでいたけど、坂道が多くてきつかったな、って印象だった。
休みの日に佐久平によく行ってたけど、こっちの方が住みやすそうで良いなって思った。
今は、遥か南に住んでますけど。今となっては、いい思い出です。
小諸市は最近お洒落街になってきました。老舗の喫茶店やカフェ、美味しい蕎麦屋も多い場所です。
小諸は伝統を大事にしようとしたのだから、今の小諸駅が市民の望む姿。これで、良いのでは。
今の小諸もとても良い所ですが、新幹線が通った小諸駅も見てみたいと思います。
そうだよな。今更文句言ってるのはお門違い。
自分達の欲と先見性の無さを八つ当たりしてるだけ。
佐久だ小諸だと... その内合併しないと立ち行かなくなる
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それは名案!小諸佐久市の爆誕だ!
~pka
Beautiful landscape,,,amazing hello from Papua Indonesia
佐久平は開発できるポテンシャルがもともとあったというのもポイントかと思います。
小諸市にも行きましたが、駅南側は川とか河岸段丘?の崖があるわ、北側はすぐ緩くない坂があるわ...で
佐久平に比べると余地無いと思いました。北国街道の町並みは良かったですが
…あと上田駅も動画上げる予定ありますか?そちらにも行ったことがありますので、どういう動画になるか楽しみです。
土地がたくさんあったのは要因ですよね
あと長野県内でも割と大きな盆地の真ん中で、人口が元々結構あったと思います
懐古園の小諸城は、確かに河岸段丘を利用した造りになっていますね。そこは上田城とも共通点があると思います。上田盆地も河岸段丘の多い地形ですから。
歴史好き城好きの私としては佐久平駅よりも小諸駅の方に思い入れがあるので、小諸駅及び小諸市には頑張ってほしいのですが。
最も、小諸駅周辺に感じる昭和ノスタルジーが好きな私としては、真新しい街並みに変わってしまうのも寂しさを感じてしまいます。
小諸市には、主に旧北国街道の屋並を活かした観光振興に力を入れてはと思いますね。また、小諸駅の上田寄りから湯ノ丸山麓の方(上信越自動車道の小諸IC付近より上)へ登ると、快晴で空気が特別に澄み切った日には富士山の山頂も見ることができます。
後から移住してますが、佐久・軽井沢を仕事と生活の拠点にしてる小諸市民です。
まぁ、政治と思惑が裏にあるんでしょうね。
佐久平周辺は生活には便利ですし、長野県内を移動するより東京まで1時間ちょっとと早いというメリットもあります。
でも、懐古園や坂の街・小諸の古い町並みは他にはない魅力があるんですよね~。
写真を趣味にしてますが、懐古園の夜桜、小諸の古い街並みをカメラ片手に撮って歩く楽しみは、佐久平には皆無です。
こうやってうまく受け入れてる方も多いのでは?
佐久平駅の設置は、軽井沢駅を挟んで反対側の安中榛名駅とは対照的な成功例ですね。
北陸新幹線の路線を地図で見ると、小諸市の市域を全く通らずに敢えて南側を迂回しているように見えます。
安中榛名は整備新幹線の面倒くさい補填の一つ。(ちなみに群馬県も作るつもりはそこまで無かった。施策でつくらないといけないし、だったらお金の分を駅じゃ無く高崎駅の停車本数にって言ったけど政治とお金の絡みでこのざまです)
小諸の旧市街地は河岸段丘の上にあるので鉄道をしくとすると微妙に迂回する形になります。たぶん、避けたわけではないと思いますよ!
新幹線開通前〜開通後信越担当としてこの沿線で営業していたので栄枯盛衰を肌で感じました。それでも当時佐久平はだだっ広い場所にポツンポツンと店が増え始めた頃で小諸はそこそこ活気があったと記憶してます。
去年20数年ぶりに当地を訪ねて佐久平駅周辺の著しい発展、小諸では当時の人気蕎麦屋が廃業し駅前にも人影が有りませんでした。最後に懐古園から信濃川の夕景を眺め感慨に浸りました。
小諸と佐久で暮らしたことがあるので、新幹線をめぐる経緯がとてもよくわかりました。
ありがとうございます😊
チャンネル登録させて頂きました。
小諸市は現在の市長、小泉さんになってからとても街が明るく活気が出ました。昔はいろいろ生活面でも不便だったり、なんか雰囲気も暗くて小諸に住むメリットが感じられませんでした。今は若い人たちが毎週イベントを開催したり、商店街の方もインスタで情報発信したり、とても活気付いています。スマートカートも小諸の町だからこそ運用できるもので、近隣の市や町(佐久市や東御市、軽井沢や御代田)は小諸のようにコンパクトで独特な個性的な市街地がないので運用は無理な物です。
小諸のスマートカート運用は本当に良く考えたなと感心します。小諸市街は城下町なので道が入り組んでいて、住宅地や昭和の香りプンプンの歓楽街を走り、短時間でもとても楽しめますよ。
動画だと分かりにくいですが、小諸駅は北に向かって昇り斜面で駅南はお城。平地が少なくて地形が悪過ぎますよね。
佐久市は、佐久市中込、野沢から当時の南佐久郡臼田町や佐久町、小海町まで市街地が連続していて商圏規模はかなり広かったですし。
ただ、佐久市はそろそろ中心市街地を設定してデザインしてほしいです。
つい最近まで人口が増加してたのに現在減少に転じた原因てそこではないかと思います。
佐久平駅、岩村田、中込、野沢等そこそこ栄えてますが、10万人都市の中心となると弱いんですよね。
佐久平駅岩村田と中込野沢臼田の間が何も無い、市役所がありますが。
同じ長野県内に、佐久市と人口規模が似ている飯田市郊外にリニア駅が設置されますが、飯田市は飯田駅を中心に市街地が形成されてて郊外にあるリニア駅周辺をどうデザインするか楽しみです。
うわぁー♪懐かしいっ!昔、小諸ロイヤルホテル地下レストランと、ガーデンの場所にあった喫茶店で働いていました。駅周辺の面影がほとんど変わらず、個人的にはむしろ嬉しいです!遠い故郷の空を懐かしむことが出来ました。動画ありがとうございます。
私は40年ほど前上田市に数年間住んだ事あります。その頃よく小諸駅周辺をよくうろつきました、とても歴史を感じる町で酒蔵なんかもあった記憶があります。とても落ち着いた街でした最近は行く機会がないのでどうなったかわかりませんがあの頃の町並みを新幹線ごときに壊して欲しく無いです。
名称については、揉めますよね。
新潟の燕三条駅、三条燕ICが典型的ではないでしょうか。。
実家が近くに引っ越してから20年弱、佐久平と小諸の変化を見てきましたが、
佐久平があんなに発展していくとは思いませんでした。
それに比べ小諸駅周辺のゴーストタウン化はひどいですね。初めて見た時は衝撃でした。
すばらしい! この動画、保存版です!! 新幹線新駅の中で佐久平駅が数少ない成功例になった理由がわかりました。長野県民なのでこの件はフォローしてきたつもりですが、全然ダメだったと痛感しました。鐵坊主氏、項目の立て方と分析が実に的確です。こういうふうにやらないといけないんだ……鐵坊主チャンネル、すばらしいです。(語彙が尽きました)
現地取材すごいですね。小諸駅は昭和が残っていますが、それにしては老朽化は抑えられており、
鉄道が大事にされてそうですね。
データに基づいた説得力のある動画でした。佐久市は、北斗の拳についてもセンスのよいアピールをしていますね。
数年前から佐久平駅前にマンホールを置いたり、道の駅やSAでキャラクター入りのドロップ缶売ったり、
原作の武論尊先生の故郷のよしみで漫画塾開いたり地道な取り組みを続けてきたけど、
この度の連載開始四十年の記念イベントで盛り上がりが一つピークにきた感じ。
この一週間、長野の地元では連日ニュースで取り上げられている
市外だけど南佐久出身、野沢北高卒の新海誠がいるし、漫画アニメの文化という意味でも、
標高の高くて夜空が澄んだ地域という意味で北斗七星→天体観測にもつなげられそうだし、
平成以降の新興都市でいまいち文化が弱い点も何か補える街の顔になりそうな期待は感じられる
小諸と佐久の関係は富山県の黒部市と魚津市の関係にも似ています。黒部市に新幹線駅ができてそれまでこの地域の中心だった魚津市が小諸のような道を辿っているように見えますが、黒部市に全く変化が無く佐久市のような発展を遂げられなかったのが残念。
単純に佐久市VS小諸市の新幹線誘致合戦の結果という図式ではないと思います。
佐久市は市域も広く既存の市街地や周辺部も一様に発展しているわけではないでしょう。
佐久平駅の場所が文字通り小諸市も含む佐久平の地理的中心で、高速道路のインターも近く、用地の確保しやすい開発の余地がある場所であったこと、それが車社会にマッチして、発展に繋がったということではないでしょうか。
むしろ新幹線の方がその将来性に目をつけたというべきかと。
その通りだと思います。自治体間の覇権争いというよりは、佐久地域の中心的な拠点として発展した街がどこか、という話かと
小諸は旧北国街道や国道18号、旧信越本線の沿線にあり、東京対長野(〜新潟・北陸)の長距離輸送のルート上で商業地として発達した街
でも人口20万を擁する佐久地域(佐久平)の地勢上「端っこ」だったのと、街としても新幹線を引いてこれ以上の拡大を図るポテンシャルがなかったのでは
かつて佐久(地域・郡)は広すぎたために明治の頃に南佐久郡と北佐久郡に分かれています
南は臼田、北は岩村田に郡役所、その後県の出先機関が置かれ、昭和の頃まで運用している
そのほか南は中込、野沢あり、北には小諸や軽井沢と拠点が分散していて、警察署も近年統合が進むまでは佐久は他の地域より署が多く置かれていました
(今でも小諸、軽井沢は佐久警察署と別に署があります)
県行政の方では、南北佐久の機関を統合して間をとった場所(中込、野沢に近い)に合同庁舎を移している
詳細な場所は都度変遷がありながら、小諸よりも佐久市の方が地勢上のアドバンテージが元々あったんですね
鉄道が来なかったが故に、歴史的建造物が守られた小諸や海野宿。
特に歴史的建造物が無かったからこそ、何の憂いもなく新幹線を誘致出来た佐久。
確かに今の小諸は寂れた印象は否めないが、観光地として言えば小諸の方に断然惹かれるものを感じる。
失礼を承知で書くが、佐久に何かを見に行こうと思わせる物が有るだろうか?
佐久にも行った事はあるが、ただの地方都市としか感じなかったが、小諸には歴史と人の触れ合いが残っていると感じる。
だからこそ私は40数年も年に数回、小諸に通っている。
新しい街はビジネスや商業関係には機能的ではありますが、旅情には欠けますね。特にインターチェンジの近辺はおしなべて画一的になりがちです。
今回は、信越本線の要衝だった小諸駅と、北陸新幹線(長野行新幹線)の佐久平駅ですね。
小諸駅は、以前に特急「白山」で通った事がある駅であり、いかにも国鉄時代からの要衝駅という印象のある立派な駅でした。
1998年の長野五輪に先立ち、五輪輸送を担うべく開業した長野行新幹線(北陸新幹線)の長野県内の駅が、軽井沢、上田、長野と、いずれの駅も信越本線の駅と併設され、長野県内の路線も、比較的、従来の信越本線に沿った形なのに、なぜ小諸駅ではなく、佐久平駅になったのか、今一つはっきりとしませんでしたが、今回の鐵坊主さんの動画で分かりやすく解説して頂き、理解出来たような気がします。
もともと地域の中心地であった城下町の小諸市に対して、佐久市側が対抗意識が強かったのだろうと思います。
メインルートである信越本線に小諸駅が設置され、佐久市が外れた事で、対抗意識がより高くなった部分があると思います。
新幹線駅誘致の為に、執念と言えるほどの積極果敢な動きをしてきた佐久市側に対して、
軽井沢町、御代田町と協力して新軽井沢駅誘致に動き、小諸駅に新幹線駅併設を望まなかった時点で、既に小諸市側の消極的姿勢が目立ちます。
当時の国鉄が、新軽井沢駅設置でなく、避暑地の玄関口の軽井沢駅に新幹線駅併設を望んだ事で、新軽井沢駅設置に動いた小諸市は、梯子を外された格好になりました。
この時点で、小諸市の動きはマズいのですが、トドメを刺したのが、佐久市に設置される新幹線駅の駅名が佐久平駅に決定した事です。
佐久平とは、地域一帯を指す名称でありながら、佐久市の「佐久」は駅名に含まれる一方で、小諸市が最後まで望んだ「小諸」の文字が新幹線駅の駅名に入る事はありませんでした。
佐久市の執念の圧勝、小諸市の惨敗は、もはや決定的になりました。
小諸市は、新幹線駅を誘致出来なかったばかりか、信越本線並行在来線経営分離により、幹線の要衝駅から転落した小諸駅を、引き続き小諸市の玄関口とせざるを得ない状況になってしまいました。
自分も、「鉄印帳」が出来た時に、しなの鉄道に乗って小諸駅に鉄印を貰いに伺った事があります。
鉄印帳に直接記入して下さる駅員さんに感謝しながらも、列車待ち時間に、小諸駅と周辺を見て周りましたが、小諸駅周辺に残る史跡と同じく、昭和の面影残る駅周辺に、特急「白山」「あさま」が発着した当時のままの長いプラットホームと、もはや小諸駅自体が時代に取り残された史跡の一部であるかのような印象を受けました。
一方で、北陸新幹線「はくたか」に乗った時に停車する事がある佐久平駅の周辺は、イオンモールなどの様々な商業施設や、東横インといった宿泊施設、広い駐車場と、見るからに活気のある街並みでした。
勝ち組の佐久平駅と、負け組の小諸駅といえばそれまでですが、これだけの差がついたのは、新幹線駅と新幹線駅を活かした街づくりに燃える佐久市の執念と、極めて消極的な動きしかして来なかった小諸市の差だと思います。
幹線の主要駅が、新幹線駅が併設されずに寂れた小諸駅の姿は、我が地元富山県にある魚津駅の姿を見ているようで、何だか悲しくなります。
富山県魚津市にある魚津駅も、かつては特急列車が殆ど停車する富山県東部の主要駅でしたが、北陸新幹線金沢開業後は、第三セクターあいの風とやま鉄道の駅として、ローカル輸送に撤しています。
かつて特急「雷鳥」「サンダーバード」が発着した長いプラットホームが、往時の栄光を物語っています。
今後も、新たに新幹線が開業する度に、小諸駅や魚津駅のような駅が出てくる事になるんでしょうね。
北陸も、昔よく特急はくたかに乗ったことがありましたが、新幹線開業でかなりスッキリしてしまった感じがありますね
かつての金沢駅の各方面への特急、はくたか、北越、しらさぎ、サンダーバードと出ていく賑やかな感じはこれこそ「ターミナル駅」だと思ってました
佐久市の新幹線駅誘致と佐久平地区の開発は相当戦略的なものがあったのか、と思いますが、
元々岩村田や中込など小さな町がいくつもあった旧市内での利害の調整が大変だったんじゃないかと想像します
そもそも小諸はフル新幹線反対でしょ?いっちょ前にミニ新幹線ならいいよ?と言う条件で誘致許可出してたんだからそもそも席に着いてない状態。
かつて、小諸駅で、地元のひしやさんが「藤村の一膳めし」と言う駅弁を販売していましたね。
それから、ひしやさんは、小諸駅の信越本線のホームで、駅蕎麦も担当されてましたね。
軽井沢経由は別荘持ちの財界人の鶴の一声で決定したと思う。佐久平が発展してるのも軽井沢のような日本屈指の別荘地が影響しているだろう。
小諸は開発が難しい河岸段丘上に駅がある。佐久平の発展をみればこちらで正解だったと思う。小諸近辺は道も狭く日中酷い渋滞になっている。
軽井沢を通らない南まわりルートは上信越自動車道で採用されましたね。しかも上信越自動車道は、佐久と小諸の両方を通ってますw
私は1980年に就職した最初の任地で小諸駅に降り立ちました。
小諸は良くも悪くも当時と変わっていません。
田んぼしかなかったところに佐久平駅ができて街らしいものができ、佐久市内もバイパスが通ってずいぶん変わったような気もしますが,決して栄えてるって感じはありません。
小諸市が敗者で佐久市が勝者っていう単純な結果では終わらないのでは?
長野新幹線の名前もなくなり、長野県全体が通過県となって埋没していくような気もします。
新幹線を全国に整備する計画を作ったのがもう50年くらい前の1970年代の話
そこから平成に至るまで、新幹線駅を誘致して繁栄したかに見える佐久市の「成功」は、
大都会東京とのアクセスによって定住、交流人口が拡大している停滞期の日本の一時的なものではないかと思います
ここから先の時代は日本は長期の人口減少、縮小に入る。
隣町同士の地域間競争で勝った、負けたと争っている余裕もないくらいにみんなで縮んでいく。
一方で世界中のどこの国かもわからない人がインターネットで見た地域の画像、動画で「あ、ここ行ってみたい」と思えば、
どんなに遠かろうが時間がかかろうがそこを訪れて、そういう人が増えて、リピートしてくれれば地域の魅力に気づいて広めてくれる人も増える。
交通の便の良さだの人口の多い少ないだのでは、地域の力を測り切ることが難しい時代に入ってるのでは、と思ったりもします
母親の実家がこの地域なので、街の発展がよく分かりました。
当時、ここまでの発展が想定されてたら住んでたかもしれません。
それから、これと同じ事例が、小田急江ノ島線の湘南台と長後も似たような関係ですよね。
佐久平駅の発展は新横浜駅と共通点があります。新幹線駅開業の成功例ですね。
以前車で両市を通りかかりました。小諸市は高低差があり道も狭いためなかなか走りにくく古めの建物も多かった印象でしたが、佐久市に入った途端に綺麗に区画整理されたマンション群が現れその先にこれから開発されるであろう広めの更地もあり、両市の差が顕著に表れていました。佐久市はこれからもっと成長するはずなのでこのままの勢いで上田市を抜かして、どうぞ
駅周辺や郊外の拡張性の差もあるかもしれませんね
マンションや商業施設などの新規民間投資額が街の発展をよく示してると思います
元々栄えていた場所だと土地所有者の権利調整や道路拡張が難しく時代に取り残されてしまいます
地元だと藤枝駅と焼津駅が対照的でどちらも良し悪しがあり都市開発の題材として面白いですよ
父が小諸市出身で、小諸駅も時々ですが利用します。
小諸駅前は一時はもっと寂れていました。
駅舎内の野菜の直売所なども、なかった時期があったと記憶しております。
停車場ガーデンは比較的新しい施設ですし、駅を出て左手には、旧みどりの窓口を利用したカフェができています。(カフェにはJR信越本線時代の発車時刻表などもあり、胸熱でした!)
少し前の話ですがアニメの舞台となるなどしており、様々なものを利用して、近年はよく盛り返してきていると思います。
上記の自分の肌感覚は、ご提示いただいたデータにも現れており、直近の数値の増減ポイントについて、佐久市が前回調査比でマイナスでも、小諸市はプラスといったところが複数見られました。
先日2022年11月にも訪問しましたが、観光客の方も多く、おそらく地域としてがんばっているんだろうなと感じました。
1997年当時と比べると、だいぶ衰退した印象となるのはやむを得ないのですが、時折訪れる者からすると、賑わいを取り戻すべく、よく奮闘していると思います。
ひいき目も入ってはいるものの、小諸は、開発を免れたからこそ、懐古園周りの自然の多さ、歴史的情緒、それらの調和などが感じられて、大変良い地域だと思います。
コメント欄をご覧のかたも、お近くにおいでの際には、少し足を伸ばして、小諸にもお越しいただけると嬉しいです。
鐵坊主さん、小諸のことを取り上げてくださり、また、小諸にご訪問いただき、ありがとうございました!
地名も四谷とか都心の地名と被るものが多くて面白いです。
地名のゆらいなどは詳しくないのですが、ありがちな地名なのかな。
小諸を通る時は信号機の名称を確認しちゃいます。
@@しゅみカツ さん
軽く調べてみたら、四つの谷があると四ツ谷って付きがちとか、道の分岐点に相生(あいおい)って付きがち、みたいな話がありました。(小諸市の市役所が相生町です)
地名も見ていくと面白いですよね。
小諸市古城という地名もあり、これは、まさに小諸!って感じがしますw。
@@mototama5310
私は初期のブラタモリで、地名は面白いと感じた記憶があります。
信号機の名称は裏表で違うこともあるので、赤信号の時は必ず確認しています。
池袋の五差路、以前は五差路って呼んでましたけど、今は五差路なの?って思ったりします。
東京で働いていますが、通勤中も周囲の景色や人の動きなんかを観察しています。
顔は前向いているのに何も見えてない人が多く、あるきスマホじゃなくて、そもそも周囲を見る習慣がないと感じます。
周囲にあるものを観察すると、いろんな発見があり毎日が楽しくなるのに。
そうそう、小諸でしたね、サンラインから富士山見えるって元小諸市民の叔父に伝えたら驚いてました。
富士山、浅間山、八ヶ岳に北アルプス。
眺望も贅沢すぎます。
小諸市は自然が豊かで歴史学的に観光する場所や歴史上の人財もおり、反面、佐久平市は特にさしたる地域では無いのですが「歴史学に見るべき内容は無い代わりに施設建設や敷地面積が広いことが少し開けた要因」かと思われます。小諸市は自然豊かで歴史学や人財素晴らしい内容に新幹線を敷設し無いことは有り得ないことです。噂や資料を精査した原因は「地元の人達の反対活動と柔軟性があった」ならば「小諸市停車駅と街の繁栄や歴史上の歴史物移転を柔軟な施策を実行」した際は新感線敷設は為されたことと思われます。
めちゃくちゃ興味深い内容でした!たしかに最近は佐久の駅周辺が綺麗になったなという印象を思っていました。都心との接続が生まれたおかげで地方の活性化がより進んでくれると嬉しいですね!