【特集】妹と2人きりで焼け野原を生きた 戦災孤児の男性の記憶
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- Опубликовано: 24 июл 2024
- 戦争で家族を失い、妹と2人、戦災孤児として焼け野原を生きた男性がいます。
街の景色は変わっても、鮮明に残る当時の記憶を語ってもらいました。
【制作著作】サンテレビ
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神戸出身です。あの三ノ宮駅の高架下を歩いたら内藤様のお母様のことを思い出して心の中でご冥福をお祈りさせていただきたいと思います。たくさんの方々が戦災で大変な思いをされた事を思い起こして私なりにできる事をやりながら今を生きたいと改めて思いました。
拝見して、涙が溢れて来ました
映画、火垂るの墓を
思い出しました。
内藤さん、奥様と共に
これからもお元気で益々
長生きして頂きたいと思います。大事な映像ですね。
昔の良き日本人です。私たちはいつまでもこうあってほしいです。
なんて悲しいんだでもここまで生きてくれて私達の代に伝えてくれてよかったこれからも長生きしてください
お母さまは観音様。つらい思い出を話してくれてありがとうございます。
こういう戦争体験談こそ学校教育で教えなければいけないと思います🇯🇵
可愛い奥様
私は今30代半ばですが、10年前に父は病死、5歳離れた姉がいましたが残念ながら7年前にやはり病で他界してしまいました。
そして残された家族として70代前半の母がおりますが、手のかかる子供だったであろ私のことを、実家に帰ると今でも愛されてるなぁと思うこの幸せを、強く噛み締めています。
内藤さんのお母様におかれましては、終戦直後の混乱を極めた時期に、悲劇の死とも思える最期であったと思います。
内藤さんがおっしゃるように、最後まで内藤さんのことを思いつつ、それでもあえなく力尽き命を落としてしまった事は、お母様にとっては本当に心残りだったことと思います。
そんなお母様は、今でも元気に生活している内藤さんを、天国から温かく見守っておられることと思います。
現世において母親が健康で健在でいてくれている私としては、いつか来るであろう母親の最期のその時まで、いやその後も、母のことを愛し続けていきたいと思います。
改めて、家族の尊さを再認識することができました。
ありがとうございます。
涙が溢れました😥😥😥😥
リアルほたるの墓…
あのアニメでは兄妹とも亡くなってしまったがこの方は生き残って辛い体験を伝えて下さった。生きていて下さって有難うございます。本当に胸に迫ります。今の思考であの頃を理解するのは本当に難しいですが、悲劇は日本中の家族の数だけあったと思います。ウチも父母両方の実家に戦争によってもたらされた悲しい物語があります。
皆さんも是非戦争を体験されたお身内が健在のうちに我が家の戦争物語を聞いておいて欲しいと思います。
貴重な特集だと思います。だが、何とも言えない。こういう事はあってはならない事ですが、こういう方には、いつまでもいつまでも長生きして欲しい。
自分の母親が亡くなったところに行くのは辛いな………
おじが戦後食べるものがなくてさつまいもの茎などばかり食べていたという話を思い出しました
悲しい
この方、上皇陛下や藤子不二雄と同い年。当時の方は現代人には想像がつかない壮絶な生活をしていたことを忘れない様にしないと。
うちの親父が東京大空襲を経験してる。
とにかく食い物がなかったらさい
貴重な映像をありがとうございます
あの焼夷弾の数。衝撃的。
川の中、危ないとこ歩かせてんなあ。手が滑ったらアウトなのに。
三宮駅って火垂るの墓ででてましたね。
どーでもいいけどこういう真面目な動画に変なCM入れるのはどうかと思う
今では評価が変わり戦争の犠牲者の様にとらえているが、戦後しばらくは不良のならず者と思われていた。事実やくざ組織のメンバーになったり暴力団そのものに成長(?)した。
おじさんもまだ子供ですね
来年から穏やかじゃない生活が待ってます