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死は存在するしないの有無ではなく本質的には空である。死とは人間が考えた概念に過ぎず生まれてから誰にも死の存在を教えてもらえなければ人間も死を認識する事はない。従って他の動物には当てはまらない。例えばご主人を亡くした飼い犬がある日、玄関からご主人が戻ってくれば喜んで飛びつくだろう。一方人間は死と言うものを明確に定義しているので受け入れられない。五感でしか世界を認識出来ない人間は仮に死ぬ直前までは理解できても死んだかどうか確認できない以上は死を体験した事にならない。生き残った人間だけが「あの人 は死んだ」と死を認識する。死を体験し認識するのは生きている側なのだ。物理的にもそうである。この私は個体ではなく流体で時間と共に食べた物を排泄して1年ほど経てばほとんどの細胞は入れ替わる。胎児も母と父の細胞を一つずつ貰い後はお腹の中で母親が食べた動植物で大きくなる。その母親も元は動植物の集まりである以上、素粒子レベルでは死と言う概念はなく常に集合と解散をしているに過ぎない。我々は138億年間エネルギーでも物質でも常に集合と解散を繰り返してきた。(反物質との対消滅は除く)つまりこの世は縁起であり死ではなく全てのものは集合と解散の歴史である。生命が出来る前、地球が出来る前、太陽系が出来る前も別の恒星だったかもしれない。それが爆発して太陽系が作られとするなら私達の祖先はスターダスト(星屑)でもあるわけだ。もう一度言う死とは人間が勝手に考えた概念であり本来は集合と解散なのである。これが死について私が思う所ででは死後とは何かあるいは解散後の自我がどうなるのかゼロポイントフィールドやアカシックレコード、マイクロチューブル、量子脳理論、あるいはボルツマン脳であってもそれは究極は人間の煩悩の一つにすぎない私は唯識でも唯物でもなく素粒子自身が意識体だと考えるつまり一切衆生悉有仏性であると例え梵我一如でも梵我一如の状態の自我は存在する。正しくは自我ではなく(世界を認識存在)
「死」と言う難しいが全ての人にとって必然のテーマを果敢に取り上げてくださりありがとうございます。ある方のコメントに「すべてのものは集合と解散の歴史である」とあり腑に落ちました。「死」を「解散」と捉えると一般的な死に対する恐怖は軽減する感じがします。そう考えると周りが作り上げた「死」に対するイメージに私たちはとらわれているのかもしれませんね。
いつでも、今のことだけを考えて活きてればいいのです。"今"だけが"存在"です。
コメントありがとうございます!素晴らしいです✨教えてくださり感謝です✨
深いお話ありがとうございます。 僕はやはり天によって完璧に決められていて というのが一番しっくりきます。 次回作も楽しみにしております。
コメントありがとうございます!ホント、そう思います。私も今回の動画つくっててしっくり来ました。教えてくださり感謝です✨
50代後半の男ですが、まだ私にはやるべきことが残っているので、まだ死ぬわけにはいかないという感じですね。仕事でもスポーツでもクタクタになるまでやったら、体力の限界がきてスッと眠りにつけます。人生も生き切れば、楽にその生をまっというできるかなと思っています。10代、20代、30代、40代、50代と10年区切りで自分なりの挑戦をしてきました。挫折したことも、成就したこともあります。これが最後の挑戦となるのか、やり切れるのか頓挫するのかわかりません。また新しい挑戦を見つけることができるかもしれません。ただ、「命には限りがあるから美しい」と感じています。
素晴らしいです。ありがとうございます✨
今回も深いお話ありがとうございます。人は経験・体験するために生まれてきたような気がします。それを自分で決めて。全ては自分が決めた運命。限られた命だから必死で経験しようとできるのかも。
コメントありがとうございます^ ^「人は経験・体験するために生まれてきた。それを自分で決めて」素晴らしいお考えです...!限られた命だから輝くんですよね...おっしゃる通りと思いました。教えてくださり感謝です!✨
大いなるものに委ねて、安心して人生を全うしたいと思いました。
素晴らしいです…✨教えてくださり感謝です✨
自分の経験論から、死への恐怖は生への執着と比例してると考えてましたまた、アプローチは違うのですが、自分も死は存在しないと考えていて、それは並行世界が無数に存在するのなら意識が続いてる世界線しか観測できないと考えているからです。永遠の意識を想像すると怖くもなりますが、そこは時間は存在しないことを信じることで乗り越えられると考えています一瞬も永遠も本質は同じものだと思うからですテセウスの船に近い話ですが、毎時細胞が入れ替わる過去の自分は他人と呼べると考えています。その発展系で他人と自分の差異などないと考えています。だからワンネスの概念を信じていたのですが、元々が1つだったのだから…という動画をみてさらに確信しました。え?
たまたま、動画がアップされた時に、祖母が危篤で、先程、旅立って行きました。祖母の思い出に浸ってから、この動画を大事に拝見しようと思います。このテーマを取り上げていただき、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。それは大変でしたね...ご冥福をお祈りいたします。私の祖母は危篤の連絡が来てから1時間もしないうちに旅立ってしまい、住んでいる場所も離れていたので、本当に何もすることができませんでした。良い思い出も悪い思い出も振り返って、いっぱい泣いて、心の中でいっぱい謝って、いっぱい感謝して、見送った記憶があります。こちらこそ、この動画に出会っていただき感謝いたします。
自身の死であれ、他人の死であれ、死後の現実の不安や恐怖を取り除く事ができれば、死を恐れる事はなくなります。刀根さんのサレンダーは、病気との格闘ではなく、死後の現実から恐怖を取り除く事に取り組み始めたタイミング(死ぬのが前提から、生きる事が前提に変わったタイミング)なのかなと推測します。
面白いテーマですよね。ガリバー旅行記に出てくる不死の人間ストラルドブラグのエピソードも面白かったですよ。
コメントありがとうございます^ ^ガリバー旅行記!情報ありがとうございます!読んでみたいと思います。教えてくださり感謝です✨
3つ目のサレンダーは、投げ槍って訳じゃなくてよく言われてる『人事を尽くして天命を待つ』って事なのかなと思いました。人間は死をはじめ、どうしようもない様々な限界が付き纏う一生ですがその中でどう生きて行くかが人生なのかと思います。煉獄さんみたいに心の底から人間の尊さを訴え叫べるような者に憧れますが、煉獄さんの倍は生きている小生はまだまだその領域には到達出来ておりません(笑)いつかそんな純粋な命の意志というか状態になりたいです。
人は皆死をネガティブなものと捉えがちですが救いと捉える事も出来ますよね。死後の世界については様々な宗教が様々な主張をしていますが結局は自分自身が死を経験しない限りわからないでしょう。生と死は一組であり切り離せません。変化に抗う執着が悲しみを生み出します。
物質的に便宜、上死に対しての対応や、肉体の限界までに生じる欲求をこなすようにふるまう。けど、生きてる状態も死んでる状態も、どちらも空であり大差無いと思うと気楽です。
コメントありがとうございます✨
お父様の話、初めて知りました。話していただきありがとうございました。
死んだ後がどうなるかわからないから死ぬのが怖いし死にたくないと思う。死んだらどうなるかわかっていれば別にいつ死んでも怖いとか思わない。人生どうこうではない
次回の動画も楽しみにしています
ある臨死体験者が、いろいろなことができたけど、私に戻ってよかったとか、死後のような体験をしけど、追い返されて人間に戻ったとか・・・『地上のものに心を一切引かれず、安らぎに永遠に安住できない者が人間として生まれる、しかし、私は人間として生まれた全ての人間を尊重している(神様)』様々なことで戻る運命となり、臨死体験を告白した。
主人公のこと思い出しました。僕は死なない…丁度今週図書館で借りて一読しました。「死」とは何か…永遠のテーマだろうし、人それぞれどういった解釈しているのか?…ということが理解できる動画でした。また、次回期待してます!
コメントありがとうございます^ ^刀根さんの『僕は、死なない』今週読まれたなんてめちゃくちゃタイムリーですね!この動画に出会っていただけて本当にうれしいです✨そうですよね。それぞれ解釈違うし、なかなか人と話す機会のないテーマなので、私もかなり興味があります。次回もぜひ、よろしくお願いします!教えてくださり感謝です✨
「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」という言葉がめちゃくちゃ響きました。老いることに対して恐怖心があったのは、世間的なネガティブキャンペーンに意識がのっとられていたなと。死ぬことに対してはまだ消化しきれていません。死後の世界があると信じればいいのか、意識は宇宙空間に残ると考えればいいのか。自分なりに学び、考えていきたいです。
なにも特別な事じゃないと個人的には思うけど…木に葉っぱができて、咲きに咲いて秋になったらおちるように私たちも似たような事繰り返してるように自分には思います!
コメントありがとうございます^ ^すごい...!達観されている!私はまだ死に恐怖を感じているようです。でも冷静に考えればおっしゃる通りですよね。すべては自然の流れということですよね。シンプルでパワフルなお言葉でした。教えてくださり感謝です✨
@@simpleeelife いつもありがとうございます!次回も楽しみにしてます^ ^
生きる意味もないし死ぬ意味もない。産まれる前の記憶も無いし死後に生きていた時の記憶は失くなるだろうと私は思う。大いなる摂理が私に遊んでおいでと意識を与えてくれたと思って私は楽しみ苦しみただこの世を遊んでいる。
❤素晴らしい紙芝居が欲しいです
そんな事に悩むのは無駄。死んだ事あってその後を説明できる人は存在しない。死が怖いんじゃなく、死ぬ過程でどうなるかが怖いんじゃないかなと思う。自分は危篤状態になってたらしいがその間の記憶は無くそれを聞くまで信じてなかった。苦しまなく寝るように逝けたら良いかな。
最近考えました。人は死にます。意識は細胞が作る妄想のようなもののように思います。人は死に意識もなくなりますが、細胞は遺伝によって伝わり、その伝わった細胞がまた妄想である別の意識を作りますが、意識は連続性を錯覚します。ちょうど人の細胞は毎日置き換わっているのに、昨日と同じ自分であると認識することと同じです。人間から見る宇宙と宇宙から見る宇宙は違うと思います。これは最近見つけた私の仮説ですがどう思われますか。
毎日 いつ死亡しても後悔しない様に心掛けて居ます😊一つの答えとして『死』とは私が後の人間から忘れられる時and ドラキュラみたいに死なないと言うのは人間にとっては一番の拷問か大罰だと私は思う😅宗教の無い科学は欠陥であり 科学の無い宗教は盲目であるアインシュタインと同じ意見で嬉しい😆
コメントありがとうございます^ ^素晴らしいですね✨見習います!「死なない」というのが一番の拷問...そうかもしれませんね。手塚治虫の火の鳥でもたしかそんな苦しみが描かれていたような...「宗教の無い科学は欠陥であり 科学の無い宗教は盲目である」アインシュタインの素晴らしい言葉を教えてくださり感謝です✨
物や金のことよりも、人間の尊重が人間としての良識。神からの良識とされることを大事にしないといけない。死んだらと考えるのでなく、皆思っているような、死んだら意識活動も無く思考も無く人間の苦しみを味わうことの無い、無に帰すると思っていればよい。それから、人間の思考が及ばない安らぎに帰するか、再び『人間でいたいという人間に生まれ戻るか』その人の生前の行いで決まる。
いつもありがとうございます✨✨✨🙏✨✨✨お祖母様❤は、とても美しい方ですね✨(シンプティさんも😆かわいい✨)ご家族の事を隠さず紹介して頂き光栄です🙏✨死は怖くは無いけど、タイムリミットに問題がありますね😂一先ず、全力で生きています🫡✨
コメントありがとうございます^ ^いつもうれしいです✨この写真を見るたび、涙腺がゆるみますwタイムリミットが分からないからこそ、いまを全力で生きるってことですよね。いつも思いますが、おっちょこ。さんはすごいお方です。見習います!いつも刺激をありがとうございます!教えてくださり感謝です✨
「死後の世界なんてない」そう思っても、天国や冥福と言うように、我々は死後の世界を信じたいと心では思っていますから。死んだらそれまでだよと思うなら、とくに弔わなくてもいいわけで、その死という問題を明らかにし、解決したのが宗教。輪廻転生を信じつつ、成仏してほしいと願った一つの答えなのだと思います。
いつも楽しく動画を拝見してます。私見ではありますが、「死」とは「肉体」の消滅であり、「脳」も「肉体」の一部です。よって「脳」に付随する機能も「死」と共に消滅すると考えています。基本的には、「思考」や「記憶」「自我」は「脳」に付随する物なので消滅します。異論はあると思いますが、わたし的には「意識」も「脳」の機能だと思っていますので、これも消滅するのではないでしょうか?人間は幼少期には、「自意識」を持ちません。成長に伴い「脳」が発達するにつれ、徐々に「自意識」が芽生えます。よく「物心が付く」という言い方をしますが、これは「意識」の発生を意味していると思っています。ただ、それらの物が全て消滅しても、何かが残ると思っています。それは「魂」かもしれませんし、「真我」かもしれません。まあ、色々心配せずとも、死ねば全てが分かるのでしょうか?何かが分かる主体が存在すればの話ですが。度々の長文失礼しました。このチャンネルの益々のご発展をお祈りします。
コメントありがとうございます^ ^私見をしっかり持たれていること、それを整理して伝える力、すごいと思いました。私も意識は脳の機能だと思いました。だからやはり、物理主義的に見れば肉体活動がストップすることで意識も消滅するのだと思います。意識が消滅しても、何かが残る、というのも興味深いです。本当の死を体験した人は、この世界にはいないんですよね...結局は、考えたり妄想することしかできないのが、むしろポイントな感じがしてきます。教えてくださり感謝です✨
短絡的ですね。
【人間が生きようとする人間を何よりも大切にすることも、死の恐れも神がなさったこと】死があるから生きる人間を大切にする、それが人間の目的であり、通常、健康な人こそ死んだらなあと考えず暮らしている。死んだら?と考えるのは人間をつくった存在から不健康。死後がある、神がいる、そう考える者はむしろ人間でいたいという人間を何よりも大切にしなければいけない。
人の種とは、その人を記憶する人がいなくなれば、この霊魂が維持出来なくなり正目の差」生命の❤木に飛び込まれるとおもってます
思考や人間の意識活動は、人間でいたい生存状態に必要だから与えた。神は人間でいたいと生まれた一切の人間を尊重され、自分を愛しい人間(自分を愛する)に人間の状態にされた。死への恐れも亡くなった気の毒という人間の思いも、一切の人間を尊重する神から与えれたもの。しかし、霊=莫大なパワーとひとつ(宇宙以前の状態を思考でわかるとできない)⇒宇宙の不思議(人間と同じ物質界)でも私の考えで全て理解できますという人を実際は警戒しなければならないように、宇宙でさえ完全に理解できない。
田坂先生は、我々は未熟な自己でエゴを抱えながらい生きていると、言われてました。deathの解釈もその延長で論じられているのが多いですよね。私は肉体も精神·思考も、自分が認識出来る範囲の外の存在を容認してます。今から刀根健の解説が楽しみです。
臨死的体験があり、死なないのか・・・では、そんな安らぎに満ちた世界があるのになぜこの世があるの?しかも、悪いものに従って人間の思考や意識活動がある状態に戻った、私たちは悪なの?釈迦や修行僧のように静けさを目指し妄執を滅ぼす修行をしなければならないの?逆に迷いが生じてしまった。数年が経ち神様の言葉(人格神がいることは全く驚かなかった=臨死的体験を既にしていたから)
それだと矛盾が生ずる
今の自分たちの経済や私利私欲をもっともっとと滅びのパワーに従わず、有能な識者こそ、人類の未来のことまで考える。知能が高い低いは神から全く差はありません!人々の愛に支えられ生きている人、自分が生きるために熱心にならなければならない人も全く差別はない。莫大なパワーから離れ人間の状態になっても、全ての人間を尊重されるからです。
祖父は、坊主崩れでしたが、死の間際人払いをしました。そして亡くなりました。いまだにそれがわかりません?この歳なのに。みんなに認められて死んでいくのがと思ってもいますし、死ってわかるのでしょうか?
最近、こちらのチャンネルを知りました大変学びが多いです♪声も話し方も要約の仕方も分かりやすい!20歳の頃に母が亡くなり、死についてものすごくものすごく考えました今でもずっと考え続けていますし、これからも考えると思いますいつか死ぬ、と考えることで『今』を大切に生きられているような気がします
いつもありがとうございます。例えば自分が一粒のしづくならば川の流れは変えられない とすると この自分の意思は何なんだろう?って考えてしまいますね。紹介されている映画や本、見てみたいです。
コメントありがとうございます^ ^川の流れのたとえはめちゃくちゃわかりやすいですし、刺さりました。ホント、そうですね。教えてくださり感謝です✨
サレンダーって、阿弥陀仏にお任せする浄土宗や浄土真宗の教えに似てると思いました。面白かったです。
コメントありがとうございます^ ^そうなんですね!大乗仏教も勉強したいと思います。ありがとうございました!✨
苦しみ絶えない人生を幸せに生きるための大船がありますよ、と浄土真宗で教えられていますね。
私という意識が保存するとは誰もいっていない。
死後の魂については、今の科学は科学的解明といういみでは議論の足場すらなく、意識については、AI、脳科学の発展に伴い議論の始まっている所であり、意識のアップロードについても、まだ実現可能かどうか、さまざまな議論がある現状です。その辺の議論については、シンギュラリティーサロン オンラインというチャンネルで議論されていますので良かったら御参考してみて下さい
参考になると思いますが。木内鶴彦さんのRUclips動画を見て下さい。私は信じます。とっても有名な人です。私はなが~い間、読んだり考えたりしてきましたが、日本に居ました。これが、真実だと思います。
バガボンドを出してきたセンス
コメントありがとうございます^ ^視聴者さんに教えていただきました✨うれしいです!教えてくださり感謝です!✨
永遠に生きやんでええから、過去に戻らしてほしいわ永遠はただの苦しみでしょ楽しいなら永遠がいいでしょうね
死とは生の終わりです存在します、存在しないのは死後の世界です。
もっとゆっくり話してくだい。
やっと意識世界のSF小説出版しました。「時空を飛翔する量子たち」私は虚構であるのは死んでみないとわかりませんが、その謎を解くのは100%量子であると思います。お父さんをどうぞお大切に。
まだ理解が浅いのではないでしょうか。臨床医の矢作直樹さんの著書を読むとまた新たな視点を得られると思います。
ありがとうございます✨
死は存在するしないの有無ではなく本質的には空である。
死とは人間が考えた概念に過ぎず生まれてから誰にも死の存在を教えてもらえなければ人間も死を認識する事はない。
従って他の動物には当てはまらない。
例えばご主人を亡くした飼い犬がある日、玄関からご主人が戻ってくれば喜んで飛びつくだろう。
一方人間は死と言うものを明確に定義しているので受け入れられない。
五感でしか世界を認識出来ない人間は仮に死ぬ直前までは理解できても死んだかどうか確認できない以上は死を体験した事にならない。
生き残った人間だけが「あの人 は死んだ」と死を認識する。
死を体験し認識するのは生きている側なのだ。
物理的にもそうである。
この私は個体ではなく流体で時間と共に食べた物を排泄して1年ほど経てばほとんどの細胞は入れ替わる。
胎児も母と父の細胞を一つずつ貰い後はお腹の中で母親が食べた動植物で大きくなる。
その母親も元は動植物の集まりである以上、素粒子レベルでは死と言う概念はなく常に集合と解散をしているに過ぎない。
我々は138億年間エネルギーでも物質でも常に集合と解散を繰り返してきた。(反物質との対消滅は除く)
つまりこの世は縁起であり死ではなく全てのものは集合と解散の歴史である。
生命が出来る前、地球が出来る前、太陽系が出来る前も別の恒星だったかもしれない。
それが爆発して太陽系が作られとするなら私達の祖先はスターダスト(星屑)でもあるわけだ。
もう一度言う
死とは人間が勝手に考えた概念であり本来は集合と解散なのである。
これが死について私が思う所で
では死後とは何か
あるいは解散後の自我がどうなるのか
ゼロポイントフィールドやアカシックレコード、マイクロチューブル、量子脳理論、あるいはボルツマン脳であってもそれは究極は人間の煩悩の一つにすぎない
私は唯識でも唯物でもなく素粒子自身が意識体だと考える
つまり一切衆生悉有仏性であると
例え梵我一如でも梵我一如の状態の自我は存在する。
正しくは自我ではなく(世界を認識存在)
「死」と言う難しいが全ての人にとって必然のテーマを果敢に取り上げてくださりありがとうございます。ある方のコメントに「すべてのものは集合と解散の歴史である」とあり腑に落ちました。「死」を「解散」と捉えると一般的な死に対する恐怖は軽減する感じがします。そう考えると周りが作り上げた「死」に対するイメージに私たちはとらわれているのかもしれませんね。
いつでも、今のことだけを考えて活きてればいいのです。"今"だけが"存在"です。
コメントありがとうございます!
素晴らしいです✨
教えてくださり感謝です✨
深いお話ありがとうございます。 僕はやはり天によって完璧に決められていて というのが一番しっくりきます。 次回作も楽しみにしております。
コメントありがとうございます!
ホント、そう思います。私も今回の動画つくっててしっくり来ました。
教えてくださり感謝です✨
50代後半の男ですが、まだ私にはやるべきことが残っているので、まだ死ぬわけにはいかないという感じですね。
仕事でもスポーツでもクタクタになるまでやったら、体力の限界がきてスッと眠りにつけます。
人生も生き切れば、楽にその生をまっというできるかなと思っています。
10代、20代、30代、40代、50代と10年区切りで自分なりの挑戦をしてきました。
挫折したことも、成就したこともあります。
これが最後の挑戦となるのか、やり切れるのか頓挫するのかわかりません。
また新しい挑戦を見つけることができるかもしれません。
ただ、「命には限りがあるから美しい」と感じています。
素晴らしいです。
ありがとうございます✨
今回も深いお話ありがとうございます。
人は経験・体験するために生まれてきたような気がします。それを自分で決めて。
全ては自分が決めた運命。限られた命だから必死で経験しようとできるのかも。
コメントありがとうございます^ ^
「人は経験・体験するために生まれてきた。それを自分で決めて」
素晴らしいお考えです...!
限られた命だから輝くんですよね...
おっしゃる通りと思いました。
教えてくださり感謝です!✨
大いなるものに委ねて、安心して人生を全うしたいと思いました。
素晴らしいです…✨
教えてくださり感謝です✨
自分の経験論から、死への恐怖は生への執着と比例してると考えてました
また、アプローチは違うのですが、自分も死は存在しないと考えていて、それは並行世界が無数に存在するのなら意識が続いてる世界線しか観測できないと考えているからです。永遠の意識を想像すると怖くもなりますが、そこは時間は存在しないことを信じることで乗り越えられると考えています
一瞬も永遠も本質は同じものだと思うからです
テセウスの船に近い話ですが、毎時細胞が入れ替わる過去の自分は他人と呼べると考えています。その発展系で他人と自分の差異などないと考えています。だからワンネスの概念を信じていたのですが、元々が1つだったのだから…という動画をみてさらに確信しました。
え?
たまたま、動画がアップされた時に、祖母が危篤で、先程、旅立って行きました。祖母の思い出に浸ってから、この動画を大事に拝見しようと思います。このテーマを取り上げていただき、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
それは大変でしたね...ご冥福をお祈りいたします。
私の祖母は危篤の連絡が来てから1時間もしないうちに旅立ってしまい、住んでいる場所も離れていたので、本当に何もすることができませんでした。
良い思い出も悪い思い出も振り返って、いっぱい泣いて、心の中でいっぱい謝って、いっぱい感謝して、見送った記憶があります。
こちらこそ、この動画に出会っていただき感謝いたします。
自身の死であれ、他人の死であれ、死後の現実の不安や恐怖を取り除く事ができれば、死を恐れる事はなくなります。
刀根さんのサレンダーは、病気との格闘ではなく、死後の現実から恐怖を取り除く事に取り組み始めたタイミング(死ぬのが前提から、生きる事が前提に変わったタイミング)なのかなと推測します。
面白いテーマですよね。ガリバー旅行記に出てくる不死の人間ストラルドブラグのエピソードも面白かったですよ。
コメントありがとうございます^ ^
ガリバー旅行記!情報ありがとうございます!
読んでみたいと思います。
教えてくださり感謝です✨
3つ目のサレンダーは、投げ槍って訳じゃなくてよく言われてる『人事を尽くして天命を待つ』って事なのかなと思いました。
人間は死をはじめ、どうしようもない様々な限界が付き纏う一生ですがその中でどう生きて行くかが人生なのかと思います。
煉獄さんみたいに心の底から人間の尊さを訴え叫べるような者に憧れますが、煉獄さんの倍は生きている小生はまだまだその領域には到達出来ておりません(笑)
いつかそんな純粋な命の意志というか状態になりたいです。
人は皆死をネガティブなものと捉えがちですが救いと捉える事も出来ますよね。
死後の世界については様々な宗教が様々な主張をしていますが結局は自分自身が死を経験しない限りわからないでしょう。生と死は一組であり切り離せません。変化に抗う執着が悲しみを生み出します。
物質的に便宜、上死に対しての対応や、肉体の限界までに生じる欲求をこなすようにふるまう。
けど、生きてる状態も死んでる状態も、どちらも空であり大差無いと思うと気楽です。
コメントありがとうございます✨
お父様の話、初めて知りました。話していただきありがとうございました。
死んだ後がどうなるかわからないから死ぬのが怖いし死にたくないと思う。
死んだらどうなるかわかっていれば別にいつ死んでも怖いとか思わない。
人生どうこうではない
次回の動画も楽しみにしています
ある臨死体験者が、いろいろなことができたけど、私に戻ってよかったとか、死後のような体験をしけど、追い返されて人間に
戻ったとか・・・『地上のものに心を一切引かれず、安らぎに永遠に安住できない者が人間として生まれる、しかし、私は人間と
して生まれた全ての人間を尊重している(神様)』様々なことで戻る運命となり、臨死体験を告白した。
主人公のこと思い出しました。僕は死なない…丁度今週図書館で借りて一読しました。
「死」とは何か…永遠のテーマだろうし、人それぞれどういった解釈しているのか?…ということが理解できる動画でした。また、次回期待してます!
コメントありがとうございます^ ^
刀根さんの『僕は、死なない』今週読まれたなんてめちゃくちゃタイムリーですね!
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老いることに対して恐怖心があったのは、世間的なネガティブキャンペーンに意識がのっとられていたなと。
死ぬことに対してはまだ消化しきれていません。死後の世界があると信じればいいのか、意識は宇宙空間に残ると考えればいいのか。
自分なりに学び、考えていきたいです。
なにも特別な事じゃないと個人的には思うけど…
木に葉っぱができて、咲きに咲いて秋になったらおちるように私たちも似たような事繰り返してるように自分には思います!
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私はまだ死に恐怖を感じているようです。
でも冷静に考えればおっしゃる通りですよね。すべては自然の流れということですよね。
シンプルでパワフルなお言葉でした。
教えてくださり感謝です✨
@@simpleeelife いつもありがとうございます!次回も楽しみにしてます^ ^
生きる意味もないし死ぬ意味もない。産まれる前の記憶も無いし死後に生きていた時の記憶は失くなるだろうと私は思う。大いなる摂理が私に遊んでおいでと意識を与えてくれたと思って私は楽しみ苦しみただこの世を遊んでいる。
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そんな事に悩むのは無駄。死んだ事あってその後を説明できる人は存在しない。死が怖いんじゃなく、死ぬ過程でどうなるかが怖いんじゃないかなと思う。自分は危篤状態になってたらしいがその間の記憶は無くそれを聞くまで信じてなかった。苦しまなく寝るように逝けたら良いかな。
最近考えました。
人は死にます。意識は細胞が作る妄想のようなもののように思います。
人は死に意識もなくなりますが、細胞は遺伝によって伝わり、その伝わった細胞がまた妄想である別の意識を作りますが、意識は連続性を錯覚します。ちょうど人の細胞は毎日置き換わっているのに、昨日と同じ自分であると認識することと同じです。
人間から見る宇宙と宇宙から見る宇宙は違うと思います。
これは最近見つけた私の仮説ですがどう思われますか。
毎日 いつ死亡しても後悔しない様に心掛けて居ます😊一つの答えとして
『死』とは私が後の人間から忘れられる時and ドラキュラみたいに死なないと言うのは人間にとっては一番の拷問か大罰だと私は思う😅宗教の無い科学は欠陥であり 科学の無い宗教は盲目であるアインシュタインと同じ意見で嬉しい😆
コメントありがとうございます^ ^
素晴らしいですね✨見習います!
「死なない」というのが一番の拷問...そうかもしれませんね。
手塚治虫の火の鳥でもたしかそんな苦しみが描かれていたような...
「宗教の無い科学は欠陥であり 科学の無い宗教は盲目である」
アインシュタインの素晴らしい言葉を教えてくださり感謝です✨
物や金のことよりも、人間の尊重が人間としての良識。神からの良識とされることを大事にしないといけない。死んだらと考えるのでなく、皆思って
いるような、死んだら意識活動も無く思考も無く人間の苦しみを味わうことの無い、無に帰すると思っていればよい。それから、人間の思考が及ばない
安らぎに帰するか、再び『人間でいたいという人間に生まれ戻るか』その人の生前の行いで決まる。
いつもありがとうございます✨✨✨🙏✨✨✨
お祖母様❤は、とても美しい方ですね✨(シンプティさんも😆かわいい✨)
ご家族の事を隠さず紹介して頂き光栄です🙏✨
死は怖くは無いけど、タイムリミットに問題がありますね😂
一先ず、全力で生きています🫡✨
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いつもうれしいです✨
この写真を見るたび、涙腺がゆるみますw
タイムリミットが分からないからこそ、いまを全力で生きるってことですよね。
いつも思いますが、おっちょこ。さんはすごいお方です。
見習います!いつも刺激をありがとうございます!
教えてくださり感謝です✨
「死後の世界なんてない」
そう思っても、天国や冥福と言うように、我々は死後の世界を信じたいと心では思っていますから。
死んだらそれまでだよと思うなら、とくに弔わなくてもいいわけで、その死という問題を明らかにし、解決したのが宗教。
輪廻転生を信じつつ、成仏してほしいと願った一つの答えなのだと思います。
いつも楽しく動画を拝見してます。
私見ではありますが、「死」とは「肉体」の消滅であり、「脳」も「肉体」の一部です。よって「脳」に付随する機能も「死」と共に消滅すると考えています。
基本的には、「思考」や「記憶」「自我」は「脳」に付随する物なので消滅します。異論はあると思いますが、わたし的には「意識」も「脳」の機能だと思っていますので、これも消滅するのではないでしょうか?
人間は幼少期には、「自意識」を持ちません。成長に伴い「脳」が発達するにつれ、徐々に「自意識」が芽生えます。よく「物心が付く」という言い方をしますが、これは「意識」の発生を意味していると思っています。
ただ、それらの物が全て消滅しても、何かが残ると思っています。それは「魂」かもしれませんし、「真我」かもしれません。
まあ、色々心配せずとも、死ねば全てが分かるのでしょうか?何かが分かる主体が存在すればの話ですが。
度々の長文失礼しました。このチャンネルの益々のご発展をお祈りします。
コメントありがとうございます^ ^
私見をしっかり持たれていること、それを整理して伝える力、すごいと思いました。
私も意識は脳の機能だと思いました。だからやはり、物理主義的に見れば肉体活動がストップすることで意識も消滅するのだと思います。
意識が消滅しても、何かが残る、というのも興味深いです。
本当の死を体験した人は、この世界にはいないんですよね...
結局は、考えたり妄想することしかできないのが、むしろポイントな感じがしてきます。
教えてくださり感謝です✨
短絡的ですね。
【人間が生きようとする人間を何よりも大切にすることも、死の恐れも神がなさったこと】死があるから生きる人間を大切にする、それが人間の目的であ
り、通常、健康な人こそ死んだらなあと考えず暮らしている。死んだら?と考えるのは人間をつくった存在から不健康。死後がある、神がいる、そう考える
者はむしろ人間でいたいという人間を何よりも大切にしなければいけない。
人の種とは、その人を記憶する人がいなくなれば、この霊魂が維持出来なくなり正目の差」生命の❤木に飛び込まれるとおもってます
思考や人間の意識活動は、人間でいたい生存状態に必要だから与えた。神は人間でいたいと生まれた一切の人間を尊重され、自分を愛しい人間
(自分を愛する)に人間の状態にされた。死への恐れも亡くなった気の毒という人間の思いも、一切の人間を尊重する神から与えれたもの。
しかし、霊=莫大なパワーとひとつ(宇宙以前の状態を思考でわかるとできない)⇒宇宙の不思議(人間と同じ物質界)でも私の考えで全て理解
できますという人を実際は警戒しなければならないように、宇宙でさえ完全に理解できない。
田坂先生は、我々は未熟な自己でエゴを抱えながらい生きていると、言われてました。deathの解釈もその延長で論じられているのが多いですよね。私は肉体も精神·思考も、自分が認識出来る範囲の外の存在を容認してます。今から刀根健の解説が楽しみです。
臨死的体験があり、死なないのか・・・では、そんな安らぎに満ちた世界があるのになぜこの世があるの?しかも、悪いものに
従って人間の思考や意識活動がある状態に戻った、私たちは悪なの?釈迦や修行僧のように静けさを目指し妄執を滅ぼす修行を
しなければならないの?逆に迷いが生じてしまった。数年が経ち神様の言葉(人格神がいることは全く驚かなかった=臨死的体
験を既にしていたから)
それだと矛盾が生ずる
今の自分たちの経済や私利私欲をもっともっとと滅びのパワーに従わず、有能な識者こそ、人類の未来のことまで考える。知能が高い
低いは神から全く差はありません!人々の愛に支えられ生きている人、自分が生きるために熱心にならなければならない人も全く差別
はない。莫大なパワーから離れ人間の状態になっても、全ての人間を尊重されるからです。
祖父は、坊主崩れでしたが、死の間際人払いをしました。そして亡くなりました。いまだにそれがわかりません?この歳なのに。みんなに認められて死んでいくのがと思ってもいますし、死ってわかるのでしょうか?
最近、こちらのチャンネルを知りました
大変学びが多いです♪
声も話し方も要約の仕方も分かりやすい!
20歳の頃に母が亡くなり、死についてものすごくものすごく考えました
今でもずっと考え続けていますし、これからも考えると思います
いつか死ぬ、と考えることで『今』を大切に生きられているような気がします
いつもありがとうございます。例えば自分が一粒のしづくならば川の流れは変えられない とすると この自分の意思は何なんだろう?
って考えてしまいますね。
紹介されている映画や本、見てみたいです。
コメントありがとうございます^ ^
川の流れのたとえはめちゃくちゃわかりやすいですし、刺さりました。
ホント、そうですね。
教えてくださり感謝です✨
サレンダーって、阿弥陀仏にお任せする浄土宗や浄土真宗の教えに似てると思いました。面白かったです。
コメントありがとうございます^ ^
そうなんですね!大乗仏教も勉強したいと思います。
ありがとうございました!✨
苦しみ絶えない人生を幸せに生きるための大船がありますよ、と浄土真宗で教えられていますね。
私という意識が保存するとは誰もいっていない。
死後の魂については、今の科学は科学的解明といういみでは議論の足場すらなく、意識については、AI、脳科学の発展に伴い議論の始まっている所であり、意識のアップロードについても、まだ実現可能かどうか、さまざまな議論がある現状です。
その辺の議論については、シンギュラリティーサロン オンラインというチャンネルで議論されていますので良かったら御参考してみて下さい
参考になると思いますが。木内鶴彦さんのRUclips動画を見て下さい。私は信じます。とっても有名な人です。
私はなが~い間、読んだり考えたりしてきましたが、日本に居ました。これが、真実だと思います。
バガボンドを出してきたセンス
コメントありがとうございます^ ^
視聴者さんに教えていただきました✨
うれしいです!
教えてくださり感謝です!✨
永遠に生きやんでええから、過去に戻らしてほしいわ
永遠はただの苦しみでしょ楽しいなら永遠がいいでしょうね
死とは生の終わりです存在します、存在しないのは死後の世界です。
もっとゆっくり話してくだい。
やっと意識世界のSF小説出版しました。
「時空を飛翔する量子たち」
私は虚構であるのは死んでみないとわかりませんが、その謎を解くのは100%量子であると思います。
お父さんをどうぞお大切に。
まだ理解が浅いのではないでしょうか。
臨床医の矢作直樹さんの著書を読むとまた新たな視点を得られると思います。
ありがとうございます✨