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今回の考察もとても興味深いですね!主様のおっしゃるとおり、古代には国という概念はないと考えることがとても重要だということに最大限同意いたします。最新の古代の新しい発掘や発見で私達が想像する以上に古代の人達が世界中を行き来していた事実が明らかになってきています。ワクワクが止まらないってこのことですよね!次の考察も楽しみにしております。
いつも楽しみにしており、待ち望みながら視聴しておりますが、必ず唸らせる内容で、感無量になります❤兎に角次も楽しみです♪😊
ありがとうございます😊
最近遺伝子レベルから見た新しい人類史の組み立てがどんどん出てきていますが、古文書に出てくる名前、漢字ほかに裏打ちされたストーリー、このような仮説と照らし合わせながら見ていると、とっても楽しく納得し拝見させて頂いております。進撃の歴史旅楽しみにしております。
私、dna鑑定サービスやったけどyハプロはo-m117だった。チベットとかブータンの人らだね。秦、漢、楚の人らも私に近いんじゃないかな。
今回もとても興味深く勉強させて頂きました。有り難うございます😄DNAの流れも合わせて解説されているので説得力がありますし、この時代を中華と仰っている所なども細部までこだわった良質な動画だとだなぁ〜と思いながら楽しませて貰っております。壮大なストーリーがどの様になって行くのか楽しみです。👏👏👏
今回も勉強になりました。ありがとうございます。🙏始皇帝は焚書坑儒をし、歴史を改竄しています。500人の儒者を生き埋めにしています。その後に司馬遷により書かれた史記もその影響を受けている事でしょう。📕始皇帝の命令で来日したとされる徐福は斉国の琅邪郡(現在の山東省臨沂市周辺)の出身ですよね。斉国の王族だったと言う説もあります。そうすると徐福も羌族の血を引く事になります。羌族は古代中国のエジプト人とも言われます。いったい地球を何周しているのでしょう。壮大なお話ですね。✨
古代東アジアは中国の影響で漢字が国際語で、記録は漢字で書かれてる(日本書紀も漢文)ので勘違いしやすいが、突厥はトルコだし安氏はペルシャ人。すべてがモンゴロイド(顔の平たい族)の話ではない。
よく考察されてて勉強になります
「考え方の学校」さんでは、斉の伝承と記紀の内容が似ていることを指摘して、日本の皇室の起源が姫氏だと示唆していますね。すると、姫氏に近い秦氏が日本に受け入れられたのも頷けますね。
理路整然のお話ありがとうございます。
穢族も重要です🤗今後も宜しくお願い致します🙇
十分にあり得る仮説ですね❗俺はあなたの説の立証に徐福がいつ日本に来たのか?日本固有種の日本馬がいつ日本に来たのか?おそらく秦氏と一緒に難民逹が命がらがらボートピープルで日本に来るときに人の暮しの便利なアイテムが秦氏等と一緒に日本に入って来たと考察しています❗他にも大陸の食べ物、桃、栗、胡桃、アケビ、梅、さくらんぼ等らがどういう経緯で日本に来たのかが日本人の起源の鍵に成ると考えています❗動画作成頑張って✊😃✊下さい
始皇帝を風貌がコーカソイドだからユダヤ人としていますが、当時のユダヤ人は現在のパレスチナ人、エジプト人の見た目で、コーカソイドというより、オーストラロイドの中東版か、準ネグロイドだと思いますねそれも承知で、パレスチナ人、エジプト人も含めてコーカソイドと言うのなら納得です。確か始皇帝は青い目をしていたとのこと
ありがとうございます😊わかりにくかったようで申し訳ありませんでしたが、むしろ始皇帝を見た目の特徴だけでペルシャ人とかユダヤ人と安易に考察するのは少し違うんじゃないか?という内容ですので、ご指摘の通りだと思います。何なら更に遡ればエジプトやパレスチナにもモンゴロイド系の人達がたくさんいたのではないかと思っています!
少なくとも始皇帝が“顔の平たい族”ではなかった、という事でよろしいかと。
日本列島から出てまた日本に戻った
始皇帝が建造した「阿房(アボウ)宮」は本当はアワ宮と読むのが正しいんじゃないか? と思います。古代の四国と始皇帝一族は確かに関係ありそうです。
泰の本体はマケドニアであると高橋良典氏は主張されていますね。彼の著作物をもっと読まれることを勧めます。
ハットリシリ一世からシュツピルリウマまでのメソポタミア文明やオリエント文明の全ての習俗文化その民族を蓄えて大きく成った國は精神性や文化記録において非常に日本人に似ています呂不偉を武内宿禰命に置き換えると面白い結果が出てくる!誉田別命は秦別の命!
勉強になります。ハプログループD 科学の力が素晴らしい。もっと何かが分かりますよね。工学博士芸人 遼子規キンジロウ
清の時代、統一したのは満族で漢族じゃないもんね。中国5000年の歴史って言うけど日本の様に同じ王朝同種族では無く中国ってのはガラガラ変わってる。新中国なんて80年ポッチ。中国って変な国で本当に面白いよ。笑
誰か有名な漫画家とコンビを組んでこのストーリーの漫画を読みたい。
古代イスラエルとはこう語学的にはエジプトの石板にイスラエルと戦って勝ったと記されているのみという理解ですでは古代イスラエルとは何だったのでしょうかどこかの宗教を否定したいわけではありません現代考古学的によくモデルとされる実在の人物とか取り上げられたりしますよね?考古学的には、ヒッタイトと関係ありそうなのですがいかがでしょうか。エジプトと何度も争い、最終的に最古級の和平条約を結んだ王国その国境線がちょうどエルサレムあたりなのは偶然でしょうか?その後今でもギリシャはたしかDが15%ほどあるとか昔ならもっと比率が高くてもおかしくなくアレキサンダー大王は今回の動画に繋がる人物なのでは無いでしょうか。当然ペルシャも同じかDだったのでしょうけと、近年の考古学的には兵馬俑や新羅のあたりにギリシャが関わっていたとネットです見ることができます聖書で言うところのユダヤの民なのでしょうけど紀元前に日本に来た弥生人は聖書など知りません。なので、星の信仰の十字の一族、原始キリスト教とか、呼び方を変えた方が良いと私は考えてます。イスラエルとは連合國だったりしたのかもしれないとも考えてます。なので、客観的な証拠が出てこないとか?古代イスラエルの歴史考察もしてもらえるとより理解も深まり助かります。また、周王朝からが神武天皇とした場合、秦の始皇帝が応神天皇陵となる説となると徐福は本当にいたのかもしれませんが、何度か行き来してるような日本の古史古伝もあり最終的には秦の始皇帝自信が日本に来て応神天皇になったのでは無いでしょうかそして殷の後きていた同族弥生人は出雲を建国し応神天皇は邪馬台国ことヤマト国を紀元前200年ごろ築いたその後をおい、次々と同族がやって来た、秦の始皇帝の子孫というより同族の秦氏(ヒッタイトからの一族?)、聖書的にはユダヤなのでは無いでしょうか出雲のクロスことカラス一族はメソポタミア後、インド(釈迦や牛頭天王)経由で殷からきた同族がとして八咫烏が導き引き入れたいろんな方から勉強させてもらいながらの個人的な推理考察都市伝説です。
呂不葦はロフィーだと読むと理解できると思う。始皇帝の目はブルーだと言われているからだ。
日本人で、自分のルーツには興味があります。しかしDNAハプログループの分布は「現在の」分布なんですよね。過去の人類の移動を表してはいない。全く分からないという感覚です。そしてAから順に分岐したとすると「D」なんて初期の型が残る方がおかしい。アフリカ・西から来ての東果て日本は島国なのでOKだとしても、他の地には残るはずがないでしょう。また、DNAの変化速度と年代のスケールは合っているのでしょうか。根拠あるグループ分けが出来る程の差異は1万年くらいのタイムスパンが必要なのでは?進化論に準ずるなら環境要因の変化でそれが加速される可能性も想像できますし。つまり、進化の制約条件があるということ。すごく大事な本質の部分です。歴史だけならハプロ「O」系統などのより進んだ人達が世界中で交流して混血した結果のが現代なので、とりあえずここ3千年くらいは想定の範囲内で説明出来そうです。その前、DNAレベルを同じ机上で語れるのか、は疑問です。
紀元前660年は皇紀が始まった年ですね。古事記か日本書紀だかに記述があるそうですよ。又、その年に太陽フレアの異常があり磁気嵐が地球を襲った痕跡があるとの学術論文があるそうです。
ちなみに百済が滅亡したのが「660年」
黄河文明自体がコーカソイド説がありますね
その説もありますよね!
面白いね古代は
キングダムのラストは秦の始皇帝が徐福と共にきて、応神天皇になったりして…とラストが楽しみです
う~ん、納得したく成るし日本人自体が貴重と思いたく成るがそれは傲慢なのかな、
傲慢じゃないと思います😊僕もそう考えたくなる部分もありますが、動画では色んな方が見るのであまり縄文讃美日本人讃美になり過ぎないように気を付けています!
伝説のトルフイーバルブを探す為に旅に出た
三国志好きだったので「キングダム」も初めの方は観ました。ただ大局をざっと流しw武将単独の小競り合いの戦局をメインにする話しがちっちゃすぎて次第に興味が薄すれw統一という名目で多民族の業績を奪い、そして浄化していくやり方が4千年前から変わっていない国がソコ。頑張れD!
中央アジアにいるD1a1a1a1a1b2はごくわずかに日本にいますが、縄文人系のD1a2とは4万年くらい前に分離したD1a1のサブグループであり、縄文人との関係を述べるのはあまり適切とは言えないのでは?D系統を一括りにするのはどうなのだろうか?日本にいるD1a1a1a1a1b2が秦の嬴政で、その末裔が秦氏でわずかに日本に残っていることは否定できないが、それを肯定するのはかなり割りの悪いカケのようです。秦氏の多くは断絶したということかもしれませんが。
一括りにはしていませんよ😊D1a1〜とD1a2は仰る通り4万年以上前に分岐していると思っています。簡潔に説明するとD1a2は東に向かい今度は一部が西に向かってから再び東に向かったという事です。最終的に失われた10支族となって文字通り行方がからなくなったあと東に向かって日本で集結しているという考えですね!お時間あれば他の動画もご覧になってみて下さい。
@@shingekinobumasa 何かD1a2が西に移動した痕跡が残されているということなのですね。どのような痕跡が確認されているのか、勉強してみます。
ハプログループD
日本中国の言葉の違いからから考えて交流は考え難い、ウラルアルタイ語の地域は漢民族地域の交流は難しい
面白いけど、出ていった縄文人が態々何故帰って来るのかがピンとこない。
移動ルートやグループを見やすくする為に縄文とかハプログループDとして説明していますが、大陸の方に移動してから戻って来るまでに数千年前の開きがあるので彼らが縄文人の子孫だと認識して戻って来た訳ではないかもしれませんね😊ユーラシア大陸の東の端で海にも囲まれている地理的要因から、たまたま最終的に人や文明が辿り着く場所になっているのかなと思ったりしています!
今更感を感じないか?~?イッパシの大学教授様は?~ 今の今迄でいったい何を生徒に教授してたんだろな~?
大学も邪馬台国論争みたく学会の派閥とかあるし、学校の教科書も中韓の影響受けすぎてますからねー😅
今回の考察もとても興味深いですね!
主様のおっしゃるとおり、古代には
国という概念はないと考えることが
とても重要だということに最大限
同意いたします。
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ワクワクが止まらないってこのこと
ですよね!
次の考察も楽しみにしております。
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ありがとうございます😊
最近遺伝子レベルから見た新しい人類史の組み立てがどんどん出てきていますが、古文書に出てくる名前、漢字ほかに裏打ちされたストーリー、このような仮説と照らし合わせながら見ていると、とっても楽しく納得し拝見させて頂いております。進撃の歴史旅楽しみにしております。
私、dna鑑定サービスやったけど
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秦、漢、楚の人らも私に近いんじゃないかな。
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今回も勉強になりました。ありがとうございます。🙏
始皇帝は焚書坑儒をし、歴史を改竄しています。
500人の儒者を生き埋めにしています。
その後に司馬遷により書かれた史記もその影響を受けている事でしょう。📕
始皇帝の命令で来日したとされる徐福は斉国の琅邪郡(現在の山東省臨沂市周辺)の出身ですよね。
斉国の王族だったと言う説もあります。
そうすると徐福も羌族の血を引く事になります。
羌族は古代中国のエジプト人とも言われます。
いったい地球を何周しているのでしょう。
壮大なお話ですね。✨
古代東アジアは中国の影響で漢字が国際語で、記録は漢字で書かれてる(日本書紀も漢文)ので勘違いしやすいが、突厥はトルコだし安氏はペルシャ人。すべてがモンゴロイド(顔の平たい族)の話ではない。
よく考察されてて勉強になります
「考え方の学校」さんでは、斉の伝承と記紀の内容が似ていることを指摘して、日本の皇室の起源が姫氏だと示唆していますね。すると、姫氏に近い秦氏が日本に受け入れられたのも頷けますね。
理路整然のお話ありがとうございます。
穢族も重要です🤗今後も宜しくお願い致します🙇
十分にあり得る仮説ですね❗
俺はあなたの説の立証に
徐福がいつ日本に来たのか?
日本固有種の日本馬がいつ日本に来たのか?
おそらく秦氏と一緒に難民逹が命がらがら
ボートピープルで日本に来るときに
人の暮しの便利なアイテムが
秦氏等と一緒に日本に入って来たと考察しています❗
他にも大陸の食べ物、
桃、栗、胡桃、アケビ、梅、さくらんぼ
等らがどういう経緯で日本に来たのかが
日本人の起源の鍵に成ると考えています❗
動画作成頑張って✊😃✊下さい
始皇帝を風貌がコーカソイドだからユダヤ人としていますが、当時のユダヤ人は現在のパレスチナ人、エジプト人の見た目で、コーカソイドというより、オーストラロイドの中東版か、準ネグロイドだと思いますね
それも承知で、パレスチナ人、エジプト人も含めてコーカソイドと言うのなら納得です。確か始皇帝は青い目をしていたとのこと
ありがとうございます😊
わかりにくかったようで申し訳ありませんでしたが、むしろ始皇帝を見た目の特徴だけでペルシャ人とかユダヤ人と安易に考察するのは少し違うんじゃないか?という内容ですので、ご指摘の通りだと思います。
何なら更に遡ればエジプトやパレスチナにもモンゴロイド系の人達がたくさんいたのではないかと思っています!
少なくとも始皇帝が“顔の平たい族”ではなかった、という事でよろしいかと。
日本列島から出てまた日本に戻った
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古代の四国と始皇帝一族は確かに関係ありそうです。
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清の時代、統一したのは満族で漢族じゃないもんね。中国5000年の歴史って言うけど日本の様に同じ王朝同種族では無く中国ってのはガラガラ変わってる。新中国なんて80年ポッチ。中国って変な国で本当に面白いよ。笑
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古代イスラエルとはこう語学的にはエジプトの石板にイスラエルと戦って勝ったと記されているのみという理解です
では古代イスラエルとは何だったのでしょうか
どこかの宗教を否定したいわけではありません
現代考古学的によくモデルとされる実在の人物とか取り上げられたりしますよね?
考古学的には、
ヒッタイトと関係ありそうなのですがいかがでしょうか。
エジプトと何度も争い、最終的に最古級の和平条約を結んだ王国
その国境線がちょうどエルサレムあたりなのは偶然でしょうか?
その後今でもギリシャはたしかDが15%ほどあるとか
昔ならもっと比率が高くてもおかしくなく
アレキサンダー大王は今回の動画に繋がる人物なのでは無いでしょうか。当然ペルシャも同じかDだったのでしょうけと、
近年の考古学的には兵馬俑や新羅のあたりにギリシャが関わっていたとネットです見ることができます
聖書で言うところのユダヤの民なのでしょうけど
紀元前に日本に来た弥生人は
聖書など知りません。
なので、星の信仰の十字の一族、原始キリスト教とか、呼び方を変えた方が良いと私は考えてます。
イスラエルとは連合國だったりしたのかもしれないとも考えてます。
なので、客観的な証拠が出てこないとか?
古代イスラエルの歴史考察もしてもらえるとより理解も深まり助かります。
また、周王朝からが神武天皇とした場合、秦の始皇帝が応神天皇陵となる説
となると徐福は本当にいたのかもしれませんが、何度か行き来してるような日本の古史古伝もあり
最終的には秦の始皇帝自信が日本に来て応神天皇になったのでは無いでしょうか
そして殷の後きていた同族弥生人は出雲を建国し
応神天皇は邪馬台国ことヤマト国を紀元前200年ごろ築いた
その後をおい、次々と同族がやって来た、秦の始皇帝の子孫というより同族の秦氏(ヒッタイトからの一族?)、聖書的にはユダヤなのでは無いでしょうか
出雲のクロスことカラス一族は
メソポタミア後、インド(釈迦や牛頭天王)経由で殷からきた同族がとして
八咫烏が導き引き入れた
いろんな方から勉強させてもらいながらの個人的な推理考察都市伝説です。
呂不葦はロフィーだと読むと理解できると思う。始皇帝の目はブルーだと言われているからだ。
日本人で、自分のルーツには興味があります。
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また、DNAの変化速度と年代のスケールは合っているのでしょうか。根拠あるグループ分けが出来る程の差異は1万年くらいのタイムスパンが必要なのでは?進化論に準ずるなら環境要因の変化でそれが加速される可能性も想像できますし。つまり、進化の制約条件があるということ。すごく大事な本質の部分です。
歴史だけならハプロ「O」系統などのより進んだ人達が世界中で交流して混血した結果のが現代なので、とりあえずここ3千年くらいは想定の範囲内で説明出来そうです。
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その説もありますよね!
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キングダムのラストは秦の始皇帝が徐福と共にきて、応神天皇になったりして…とラストが楽しみです
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僕もそう考えたくなる部分もありますが、動画では色んな方が見るのであまり縄文讃美日本人讃美になり過ぎないように気を付けています!
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統一という名目で多民族の業績を奪い、そして浄化していくやり方が4千年前から変わっていない国がソコ。頑張れD!
中央アジアにいるD1a1a1a1a1b2はごくわずかに日本にいますが、
縄文人系のD1a2とは4万年くらい前に分離したD1a1のサブグループであり、縄文人との関係を述べるのはあまり適切とは言えないのでは?
D系統を一括りにするのはどうなのだろうか?
日本にいるD1a1a1a1a1b2が秦の嬴政で、その末裔が秦氏でわずかに日本に残っていることは否定できないが、それを肯定するのはかなり割りの悪いカケのようです。
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一括りにはしていませんよ😊
D1a1〜とD1a2は仰る通り4万年以上前に分岐していると思っています。
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面白いけど、出ていった縄文人が態々何故帰って来るのかがピンとこない。
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