中臣氏は何者だったのか。【ゆっくり解説 】
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- Опубликовано: 15 окт 2024
- 「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
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前回から話すスピード1、5倍になってない?
ながらだと全然聞き取れない
速すぎるなら再生速度変えたらいいのに
前提とか公理とかみたいに扱われてる記紀の記述を疑わないと「真理追究・史実追究」は何も始まらない。
そりゃ現在とは少しカタチが違ったかもしれないけれど、物理的にデ~ンと存在したはずの富士山に関して何の記述もない文献を「正史はこれだ、ほかは偽書だ」で学問を始めてる限りは「ホント」には永遠に辿りつけない。
現在の戦後歴史学は記紀を否定することから始まってるんですが。神武東征・欠史八代すら全否定しているわけで、前提でも公理でもありません。
天孫降臨とは300年頃に北九州の邪馬台国が畿内に東遷して来た事と思われ、中臣氏は天孫降臨で畿内に来ている事から出身は北九州で邪馬台国系と思われます。その後中臣氏の一部が畿内から関東に移り関東にも中臣一族がいるようになったのであり、中臣氏が関東出身と言うのは間違いと思われます。そしてその後鎌足が中臣氏に養子に入り鎌足の妻が関東の中臣氏出身だったために鎌足関東出身説が出てきたようですが鎌足は百済からの渡来人と思われます。
三韓討伐はいつだと思いますか?
@@aiueiueo西暦300年頃 邪馬台国が九州から畿内に東遷した後に狗奴国が330年頃九州を統一し九州王朝をつくり、三韓征伐は360年頃で九州王朝の武内宿禰が三韓征伐をしたのであり、畿内大和王朝は三韓征伐とは無関係だと思います。
@@どうく-p8u
そのような話は1145年に出来た半島の偽書にも載ってないと思います。
四国出身の◯藤系統の子孫ですが、Y染色体ハプロはO1b2a1a1でした。奥州の藤原秀衡のミイラも同じなので鎌足も同じと思います。発掘当時抜き取ってた髪の毛か何かでもう調べてるかもしれませんが。。。この系統は朝鮮南部に今もいるので、百済と関係はあるかもしれません。ただしこのYハプロは、数千年前から渡来して今は日本80%と朝鮮に😊20%くらい、と中国にちょびっとしかいない。刺青入れて呉を率いた太伯の末裔とも言われるいわゆる弥生系倭人です。なので百済と関係があったとしても、その朝鮮南部も含めて弥生系の倭人民族なので、大和人ということでいいと思います。 O1b2a1a1が四国に多いのが何故なのかは気になってるけど。
全然ゆっくりじゃなかった
内容は良いのに解説が早すぎて聞き取れなくて残念
しゃべるの速いな。苛つく。もう少し何とかするべき。
面白いが、残念ながら速くて聞きとれない。
藤原氏先祖は天之御中主でさらに先祖は中華倭国殷王朝中王だ。10000年の王朝を難民西周に与えた。下っ端天皇だ。
早すぎて 私にはムリだ
鎌足の孫、藤原房前の正妻は牟漏女王。当時臣下は女王を娶れなかったから、この一族は実は王族って言ってたのは東大の倉本一宏さん。中臣氏は王族なんだよ。これが謎の一端。
早口過ぎて何言ってるかわからない
近衛文麿「ヒャッハー
国民「迷惑なヤツだなー
そいつは共産主義者に騙されて日本を大東亜戦争に誘導した最悪の人物です。