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待ってました 稲荷町!八代目のお若い頃の音源は気持ち良いですね😊生の高座は一度だけ間に合いました。こういうシュールな噺もお得意だった様ですね(=^_^=)
生で正蔵師匠の噺を聴いたんですか!音源を聴いて、とても存在感のある人のように感じられますから生の口演は凄かったんでしょうね。いや~羨ましい限りです
八代目正蔵師の十八番中の十八番ですね 師の録音のなかでは一番たくさん残ってる噺ではないでしょうか。短い噺ですが 枕がおわるとサゲまでほぼ笑いどころがなく 奇妙な世界観に引き込む力が要求されるので 芝居噺や人情噺が得意だった正蔵師にはぴったりハマり 文楽・圓歌師ら同時代の噺家も 柳朝・圓楽師ら弟子世代の噺家も この噺では右に出られないと思っていたそうです。また若い頃の正蔵師はかなりイカツい顔立ちだったので 妖怪を誘拐して見世物にしようと企てる強欲な香具師が実によく似合ったとのことです。
正蔵師匠の十八番だったんですね!おっしゃる通りこの世界観を作り出し最後まで引っ張る力量は凄いと思います。一流の落語家はたった一人の高座で演劇を超える世界を作り出すことがあるように感じます。私はずっと演劇を観続けてきましたが、落語から演劇以上のイマジネーションを受けることが多々あります。ほんと落語って凄いですね
枕の中ではとぼけてたりしますが 実は正蔵師は大変な芝居オタクで 子供の頃は役者になりたかったが家柄がないと出世できないから噺家を選んだという経緯があります。(実は志ん朝師も同じだったりします) また 草創期の落語には現在のような仕草はなく 上下や人物の演じ分けは芝居から考案されたものです。なので落語は一人芝居の究極形な要素を含んでおり 道を極めた噺家は無限の舞台装置と登場人物を持っていると言ってもいいのではないでしょうか。だから落語は「何度でも聞ける」のかもしれませんね。@@SSgriper
そうだったんですね!正蔵師匠にも志ん朝師匠にも急に親近感が湧きましたよアハハ草創期の落語ですか~興味深いですね、芝居から所作や演じ分けが来ているのなら落語と歌舞伎の親和性の高さも納得のいくところですね芝居も何度も観れるんですよ歌舞伎にハマって夢中になっていた頃に同じ興行の初日、中日、楽日を昼夜で観に行ったことがあります同じ演目を同じ演出で同じ役者が演じているのに毎回惹かれるところや役者の光る部分が違っていて全然違う芝居を6回観たような気になりましたきっと落語と歌舞伎は根底で繋がっているのでしょうね
正蔵師匠と同じ時代に生きたら 話が弾んだかもしれませんねえ・・・。師はお客さんに上から喋るような空気を嫌って普段あまり芝居好きを披露しませんでしたが たまに高座で持論を開陳することがあり 「芝居は総合芸術だから役者はもちろん黒子大道具囃子方まで全員の息が噛み合ってできているので同じ舞台は二度とない」とか「最近は芝居が無闇に大型化する傾向があるが 本来演目によって適切な規模というものがあり 忠臣蔵に代表されるような大芝居は当然豪華な大舞台でないと見劣りするし 怪談や世話物は小さな小屋でみないと本当の迫力や味わいは伝わってこない。」というような事を言ってましたね。@@SSgriper
いや~話が弾んだかもって言うか目をキラキラさせながら何時間でも話せたと思います(^^♪ 劇場の大きさは重要ですよね歌舞伎の初心者の頃に持った違和感は、文七元結や髪結新三で主人公が住んでる長屋が舞台の大きさに合わせるので異様に広いんですよ、貧乏長屋なのに、20畳はありそうな大広間になっちゃう!ありえないでしょ。まぁ三階席や幕見席にも判るように作るので仕方ないんですけどね~。忠臣蔵に関しては私見がありまして、私は仮名手本忠臣蔵の幕では特に大序が大好きで掛かれば必ず観に行くんです。忠臣蔵は人形浄瑠璃から歌舞伎に移されたので元々は人形浄瑠璃の小さな舞台で演じられていたんです。それを歌舞伎の大きな舞台で演じるための工夫がされていて実に面白いんです。まず人形が本日の出演者の紹介を面白おかしく行った後、幕が開くと舞台には、まるで倉庫にしまってある人形のように役者が並んで立っています。ぶら下がっている人形のように動きません。そこに一人ずつスポットが当たります。明かりの中で一瞬ビクっと動いてまるで人形に命が吹き込まれたかのように「人」になるんです。舞台上で順番に「人」が増えていく様は崇高な宗教儀式を観ているようで、全員が人になった時には涙が溢れてしまいます。誰も解説してくれないので私一人で一所懸命に話してるんです。でも~解説されないってことは・・・私がピンズレなのかもしれません(^^♪ この説を正蔵師匠に聞いてほしかったなぁ~アハハ
待ってました 稲荷町!
八代目のお若い頃の音源は気持ち良いですね😊生の高座は一度だけ間に合いました。こういうシュールな噺もお得意だった様ですね(=^_^=)
生で正蔵師匠の噺を聴いたんですか!音源を聴いて、とても存在感のある人のように感じられますから生の口演は凄かったんでしょうね。いや~羨ましい限りです
八代目正蔵師の十八番中の十八番ですね 師の録音のなかでは一番たくさん残ってる噺ではないでしょうか。短い噺ですが 枕がおわるとサゲまでほぼ笑いどころがなく 奇妙な世界観に引き込む力が要求されるので 芝居噺や人情噺が得意だった正蔵師にはぴったりハマり 文楽・圓歌師ら同時代の噺家も 柳朝・圓楽師ら弟子世代の噺家も この噺では右に出られないと思っていたそうです。また若い頃の正蔵師はかなりイカツい顔立ちだったので 妖怪を誘拐して見世物にしようと企てる強欲な香具師が実によく似合ったとのことです。
正蔵師匠の十八番だったんですね!おっしゃる通りこの世界観を作り出し最後まで引っ張る力量は凄いと思います。一流の落語家はたった一人の高座で演劇を超える世界を作り出すことがあるように感じます。私はずっと演劇を観続けてきましたが、落語から演劇以上のイマジネーションを受けることが多々あります。ほんと落語って凄いですね
枕の中ではとぼけてたりしますが 実は正蔵師は大変な芝居オタクで 子供の頃は役者になりたかったが家柄がないと出世できないから噺家を選んだという経緯があります。(実は志ん朝師も同じだったりします) また 草創期の落語には現在のような仕草はなく 上下や人物の演じ分けは芝居から考案されたものです。なので落語は一人芝居の究極形な要素を含んでおり 道を極めた噺家は無限の舞台装置と登場人物を持っていると言ってもいいのではないでしょうか。だから落語は「何度でも聞ける」のかもしれませんね。@@SSgriper
そうだったんですね!正蔵師匠にも志ん朝師匠にも急に親近感が湧きましたよアハハ
草創期の落語ですか~興味深いですね、芝居から所作や演じ分けが来ているのなら落語と歌舞伎の親和性の高さも納得のいくところですね
芝居も何度も観れるんですよ歌舞伎にハマって夢中になっていた頃に同じ興行の初日、中日、楽日を昼夜で観に行ったことがあります
同じ演目を同じ演出で同じ役者が演じているのに毎回惹かれるところや役者の光る部分が違っていて全然違う芝居を6回観たような気になりました
きっと落語と歌舞伎は根底で繋がっているのでしょうね
正蔵師匠と同じ時代に生きたら 話が弾んだかもしれませんねえ・・・。師はお客さんに上から喋るような空気を嫌って普段あまり芝居好きを披露しませんでしたが たまに高座で持論を開陳することがあり 「芝居は総合芸術だから役者はもちろん黒子大道具囃子方まで全員の息が噛み合ってできているので同じ舞台は二度とない」とか「最近は芝居が無闇に大型化する傾向があるが 本来演目によって適切な規模というものがあり 忠臣蔵に代表されるような大芝居は当然豪華な大舞台でないと見劣りするし 怪談や世話物は小さな小屋でみないと本当の迫力や味わいは伝わってこない。」というような事を言ってましたね。@@SSgriper
いや~話が弾んだかもって言うか目をキラキラさせながら何時間でも話せたと思います(^^♪ 劇場の大きさは重要ですよね歌舞伎の初心者の頃に持った違和感は、文七元結や髪結新三で主人公が住んでる長屋が舞台の大きさに合わせるので異様に広いんですよ、貧乏長屋なのに、20畳はありそうな大広間になっちゃう!ありえないでしょ。まぁ三階席や幕見席にも判るように作るので仕方ないんですけどね~。忠臣蔵に関しては私見がありまして、私は仮名手本忠臣蔵の幕では特に大序が大好きで掛かれば必ず観に行くんです。忠臣蔵は人形浄瑠璃から歌舞伎に移されたので元々は人形浄瑠璃の小さな舞台で演じられていたんです。それを歌舞伎の大きな舞台で演じるための工夫がされていて実に面白いんです。まず人形が本日の出演者の紹介を面白おかしく行った後、幕が開くと舞台には、まるで倉庫にしまってある人形のように役者が並んで立っています。ぶら下がっている人形のように動きません。そこに一人ずつスポットが当たります。明かりの中で一瞬ビクっと動いてまるで人形に命が吹き込まれたかのように「人」になるんです。舞台上で順番に「人」が増えていく様は崇高な宗教儀式を観ているようで、全員が人になった時には涙が溢れてしまいます。誰も解説してくれないので私一人で一所懸命に話してるんです。でも~解説されないってことは・・・私がピンズレなのかもしれません(^^♪ この説を正蔵師匠に聞いてほしかったなぁ~アハハ