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私の父の住んでいたところのそばですね。小原で、川にも、役場にも近いです。近くの山の中腹に先祖の墓があったのですが、那知合はその墓のある山の通り越した、奥ですね。明治の水害の話は、父からも聞きました。村の人口が半分になったとか?北海道には、屯田兵として行ったとか、父は言ってました。 大変なところをいかれてますね。お気をつけてくださいね。
さすがに奈良県は南半分以上が秘境と言われるだけはありますね、林業や炭焼で生活の糧を得ていたことは理屈では判りますけれど、何もこんな山の中に住まなくてもと思ってしまいます。😮この集落で暮らしていた住民の方々が多く移民して行った新十津川町て幸せに暮らしていることを祈念しております。今回もミツキさん有り難う御座います。お疲れ様でした。😊🍀
今回も、遠方に出張されましたね。車の通らないところに、こんな場所に建物があることがびっくりです、ここで生活していた人もあったんでしょうね。よくここまで、洗濯機やら便器を運んできたと思います。取材はお一人なので くれぐれもお気をつけて。次回のアップを楽しみにしています。
ここがかつての中心地だったことが驚きですね。この集落は車道を敷設しなかったことによって徒歩でしか辿り着くことは出来ませんが、道路が整備されている斜面にあるような他の集落は、もともとこのような形で大変だったのかもしませんね。
懐かしく思い、動画を拝見しました。私の母の生家も十津川村にあり、徒歩でひと山越えた所にあります。幼少期は夏休みなど、よく過ごし思い出がたくさんあります。今は親戚が車道がある麓に住居をかまえていますが、畑や椎茸栽培、持山の松茸など収穫に行きます。誰も住んでいないとはいえ、勝手に家の中を晒されるのは良い気はしません。認知症になった祖父は、ある日その日何も持たず山に入り滑落して命を落としました。土砂崩れで獣道はあるようでない所がたくさんあります。自然は癒されますが、舐めてたら本当に怖いです。今は携帯もあり便利な時代ですが、山に入る際は本当に気を付けてください。
申し訳ございません。配慮が足りておりませんでした。これからは気をつけたいと思います。十津川村では、道路が通っていない集落がかなり見受けられますね。この集落と同じように山の上から麓まで下りてきて住居を構えている集落が多いと感じました。自然から得られるものが多くあるため、危ないと考えておりませんでしたが心に留めて来たいと思います。有難うございます
よくよく拝見しています。自分の経験で思うのは、十津川辺りと同じ感覚を感じたのは、四国の祖谷辺り。一度行ってみてほしいと思います。
以前に祖谷のかずら橋に行ったことがあります。その際には集落は調べませんでしたが、四国の探索も検討に入れてみます。今年は関東方面の探索に行きたいと思っています。
今回は荒れた山林を歩きましたね😅‼️帰りはまっすぐ帰れたのかな😉⁉️後半の方が墓もあって集落があったように思いますが比較的小さな集落だったかも⁉️ですね😁それにしてもこんな斜面の山腹でどうやって生計をたてていたか⁉️考えると大変苦労された推測しました☺️この前の吊り橋といい今回の丸太の渡し、そろそろ気を付けないと危険だよ😁✌️楽しく拝見させていただきありがとうございました☺️
この集落は明治22年の十津川大水害でほぼ全ての家屋が壊滅したようです。それから転出、転入があり現状の戸数に至ったのだと思います。農地跡は戸数の割に比較的大きかったので自給自足で生計を立てていたのが伺えました。地上から山の上までは索道で物資を運搬していたのでしょうね。
おはようございます🌞いやいやいや!いつも思いますが集落探索って本当に大変ですね!?場所にもよると思うけど?山を開拓して家🏡を建てて暮らす人の大変さが伝わって来ますね!冬になれば雪も積もるでしょうし??子供のいるご家族なら苦労が絶えなかったでしょうし?昔の人はホントに凄いですね!!僕なら絶対に無理ですよ。次回の探索も無理をせず十分気をつけて下さいね😅
十津川周辺は特に山深い場所に集落がありますね。十津川が秘境だといわれるのもよく分かります。最初に開墾した塩崎氏の方は、この山腹で生活しなければならい理由があったのかもしれませんね。しかし、昭和52年頃まで暮らしていた方がいたことが驚きです。
お早うございます❄おじゃまします
熊とか出ないかドキドキです。怪我のないように気をつけてください!いつも楽しませて頂いています!
よくこんな寂しげな場所に単独でいきますねえ〜私は怖くて行けません、以前見た平家の落人集落も怖かったですが!凄いですね。
朝方は霧が出て薄暗い雰囲気が漂っていましたが、日が昇ると光が差し込んで鳥のさえずりも聞こえてきて落ち着く場所でした。印象的な集落でした
平成の頃までは本住人の方が手入れに来られてたんでしょうね。他の廃村より建物多いですよね😮お墓をみると土葬でしょうし人は死して土に帰るとの意味が伝わりますね😃
建物自体は古いと思うのですが、奈良周辺にある廃村は建物の状態が良いですよね。造りが違うんでしょうか。日当たりの良さや環境にも左右されるかもしれません。しかし、ここまで古い墓石を見たのは初めてかもしれません。
山奥のバス停に自販機。。。。利用する人居るのか!😅そして新十津川に移転、平坦地だけど森林や泥炭地に悩まされながら良くぞ開拓を成功したものです、昔の人の忍耐力には頭が下がる。私の妻の先祖も奈良、十津川の出身。
私の母も十津川村出身です。生家は車道から、獣道を徒歩でひと山歩きます。
追記ですが 23分25秒あたりの 農機具 おそらく脱穀機ではと。30分1秒当たりのものは、唐箕(とうみ)でしょう。この回転軸を回して、風を起こし、それで、米ともみ殻を分けたりしていたようです。wiki にもあります。
すごいところですよね、無事帰れたが心配しました、
特に問題なく帰れました。この後食事してから第二ラウンド峰切集落に向かうことになります。さすがに疲れましたね
当時の集落の写真を市町村機関で集めてコーピーを掲載するとリアルですね。洗濯機を見ると、戦後も村人は居たのでしょうね。当時の村の風景を見てみたい。
16分40秒当たりの手書きの文字を見たときドキッとしました。家屋とか残置物は「物」でしかないですが「手書き文字」は人柄とか個性がでますからね。確かにそこに人が住んで生活していたんだなと色々と考えちゃいました。楽しかったです。
十津川村は凄いですね、さすが集落が一番多いだけありますね!しかし登りもですが丸太の橋も凄い。 中原集落行かれた時の吊り橋よりはマシですね😊 ほんと昔の人は健脚で凄いですよね。まだまだ十津川には廃村がありますし僕も探索出来ればと思います🏡 くれぐれも怪我など気をつけてくださいね😁
私の住んでいる我が岩国市も集落はかなり多い方ですが、十津川村は更に多いですね。旅に出るのときは一週間ぐらい余裕がないと探索は難しいです。丸太の橋は冒険している気分でワクワクしましたね。本当に十津川村は最高ですね。近くに住むハルキンぐぅさんが羨ましいです。何れコラボが出来たら良いですね。有難うございます!
@@GodsTravels ほんと素晴らしい集落多いですね🏘️ 色々見てまわりたいですね。 また奈良県に来られるのをお待ちしております😄😄
30分辺りの、ミシンて言ってたやつは、唐箕(とうみ )といって、米や豆類をゴミから風で分ける農具ですね⤴️今でも使います👍
調べてみましたら確かにに唐箕でした!今でも利用されているのですね。今の時代機械に頼っているのでこんな道具があるのは初めて知りました。ということはこの集落には水田があったということですね。確かに水が引かれているホースも有りましたので合点がいきました!ご教授いただき有難うございます!
Sehr schönes Video. Am besten fand ich die alten Motoren. Bitte seien Sie vorsichtig bei Ihren Wanderungen. Viele Grüße aus Deutschland.
Das freut mich zu hören! Ich danke Ihnen vielmals!
電気が通じていたみたいですね。ここに住んでいた人もすごいけれど、電気を通していた日本人もスゴイと思う。 ここを降りられた方が、日本のどこかで、活躍されていると思うと嬉しくなります。
日時表示のポップアップ良いですね
心境の変化によって少し編集を変えてみました。これからは撮影した日を表示したいと思います。編集は見やすいようにテンポよく、徐々に上達できればと思います。
いつも何時間位滞在しているのかなと気になっていたので40分動画で3時間滞在だと結構カットされてるので編集お疲れさまです
何ヶ所か炭焼き窯の跡がありましたね。トタン屋根が残っているものや屋根がなくなったものもありました。廃屋の中には脱穀機や精米機が残っており動画に映っていました。外にあったヤンマーは発動機で、たぶんワイヤー架線を使い荷物の揚げ降ろし作業に使っていたのでしょう。この集落は自給用に陸稲、稗、粟などを作り、換金用に炭焼きをしていたのでしょう。1960年頃、非常に安価なプロパンガスが入ってきたため炭相場は暴落しました。生計の元がなくなり、折からの高度成長の恩恵で町に勤め口ができたことから皆山を下りました。上がっていく途中、ヒノキ林が延々と続きましたが、樹齢が皆同じなので炭焼き用の広葉樹林を皆伐して農林省(当時)推奨のヒノキを植えたのでしょう--タダで苗木を配布していましたから。ヒノキは下枝を払ってありましたから、昔の住民が植えて2、30年は手入れをしていたのでしょう。この様な林道の整備されていない山林では、立った状態のヒノキはたとえ60年経ったものでもタダです。報われることのなかった元住民の労苦は本当に気の毒です。
いつも拝見させております。道路もない所によく住んでいましたね、資材は全部手運びだったのでしょうか?明治期に水害被害になったようで、北海道に入植し後の新十津川町の始まりとなったようですね。
索道で物資を運んでいたようです。索道とは、空中に架け渡した索条(ワイヤーロープ)に搬器を懸垂して旅客・貨物を運送する施設のことをいいます。 車両や運搬車等で建設資材を運べない山岳地帯の輸送手段として利用されています。
十津川には、良い温泉が、たくさん有りますので宜しく♨️ 隣の野迫川村も素晴らしい自然が、残ったよい所ですので是非とも。
Very interesting especially knowing that grave stone was from 1827, nearly 200 years ago. 😊
The history of this settlement seems quite deep. There must have been a reason why people had to live here.
@@GodsTravels 👍
40分いっき見。脳が回復します。
有難うございます!
大変興味深く拝見させて頂きました。十津川辺りに限らずですが、日本はいろいろな場所で廃集落のが増えて来て昔を知る人間からは、仕方ないのですが寂しい思いがあります。ところで、山々を分け入った場所に行くは結構なのですが、地主に侵入許可を得てますか?当然ですが崩れてしまった家屋にも所有権があります。撮影許可を得てますか?喋り方を聞くと紀州の方では無さそうですよね。面白半分で山や集落を荒らさないでください。いつかきっと後悔します。
【編集に進化有り。😀】?
有難うございます!実は少しレベルアップしてみました!徐々に編集が上達してきているような気がします。
@@GodsTravels 様へ其の分時間が。地名などは文字だと画面に入り込んで行きやすいです、すぐ忘れてしまうけれど漢字の学習にも。
十津川村集落は、日本のマチピチュと言われてたそうです。十津川村ruclips.net/video/JwIUPiPijTA/видео.html
私の父の住んでいたところのそばですね。小原で、川にも、役場にも近いです。近くの山の中腹に先祖の墓があったのですが、那知合はその墓のある山の通り越した、奥ですね。明治の水害の話は、父からも聞きました。村の人口が半分になったとか?北海道には、屯田兵として行ったとか、父は言ってました。
大変なところをいかれてますね。お気をつけてくださいね。
さすがに奈良県は南半分以上が秘境と言われるだけはありますね、林業や炭焼で生活の糧を得ていたことは理屈では判りますけれど、何もこんな山の中に住まなくてもと思ってしまいます。😮この集落で暮らしていた住民の方々が多く移民して行った新十津川町て幸せに暮らしていることを祈念しております。今回もミツキさん有り難う御座います。お疲れ様でした。😊🍀
今回も、遠方に出張されましたね。車の通らないところに、こんな場所に建物があることがびっくりです、ここで生活していた人もあったんでしょうね。
よくここまで、洗濯機やら便器を運んできたと思います。
取材はお一人なので くれぐれもお気をつけて。次回のアップを楽しみにしています。
ここがかつての中心地だったことが驚きですね。
この集落は車道を敷設しなかったことによって徒歩でしか辿り着くことは出来ませんが、
道路が整備されている斜面にあるような他の集落は、もともとこのような形で大変だったのかもしませんね。
懐かしく思い、動画を拝見しました。私の母の生家も十津川村にあり、徒歩でひと山越えた所にあります。幼少期は夏休みなど、よく過ごし思い出がたくさんあります。
今は親戚が車道がある麓に住居をかまえていますが、畑や椎茸栽培、持山の松茸など収穫に行きます。
誰も住んでいないとはいえ、勝手に家の中を晒されるのは良い気はしません。
認知症になった祖父は、ある日その日何も持たず山に入り滑落して命を落としました。
土砂崩れで獣道はあるようでない所がたくさんあります。
自然は癒されますが、舐めてたら本当に怖いです。
今は携帯もあり便利な時代ですが、山に入る際は本当に気を付けてください。
申し訳ございません。配慮が足りておりませんでした。これからは気をつけたいと思います。
十津川村では、道路が通っていない集落がかなり見受けられますね。
この集落と同じように山の上から麓まで下りてきて住居を構えている集落が多いと感じました。
自然から得られるものが多くあるため、危ないと考えておりませんでしたが心に留めて来たいと思います。有難うございます
よくよく拝見しています。自分の経験で思うのは、十津川辺りと同じ感覚を感じたのは、四国の祖谷辺り。一度行ってみてほしいと思います。
以前に祖谷のかずら橋に行ったことがあります。その際には集落は調べませんでしたが、四国の探索も検討に入れてみます。
今年は関東方面の探索に行きたいと思っています。
今回は荒れた山林を歩きましたね😅‼️帰りはまっすぐ帰れたのかな😉⁉️後半の方が墓もあって集落があったように思いますが比較的小さな集落だったかも⁉️ですね😁それにしてもこんな斜面の山腹でどうやって生計をたてていたか⁉️考えると大変苦労された推測しました☺️この前の吊り橋といい今回の丸太の渡し、そろそろ気を付けないと危険だよ😁✌️楽しく拝見させていただきありがとうございました☺️
この集落は明治22年の十津川大水害でほぼ全ての家屋が壊滅したようです。
それから転出、転入があり現状の戸数に至ったのだと思います。農地跡は戸数の割に比較的大きかったので自給自足で生計を立てていたのが伺えました。地上から山の上までは索道で物資を運搬していたのでしょうね。
おはようございます🌞
いやいやいや!いつも思いますが集落探索って本当に大変ですね!?場所にもよると思うけど?山を開拓して家🏡を建てて暮らす人の大変さが伝わって来ますね!冬になれば雪も積もるでしょうし??子供のいるご家族なら苦労が絶えなかったでしょうし?昔の人はホントに凄いですね!!僕なら絶対に無理ですよ。次回の探索も無理をせず十分気をつけて下さいね😅
十津川周辺は特に山深い場所に集落がありますね。十津川が秘境だといわれるのもよく分かります。
最初に開墾した塩崎氏の方は、この山腹で生活しなければならい理由があったのかもしれませんね。
しかし、昭和52年頃まで暮らしていた方がいたことが驚きです。
お早うございます❄
おじゃまします
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朝方は霧が出て薄暗い雰囲気が漂っていましたが、日が昇ると光が差し込んで鳥のさえずりも聞こえてきて落ち着く場所でした。印象的な集落でした
平成の頃までは本住人の方が手入れに来られてたんでしょうね。
他の廃村より建物多いですよね😮
お墓をみると土葬でしょうし人は死して土に帰るとの意味が伝わりますね😃
建物自体は古いと思うのですが、奈良周辺にある廃村は建物の状態が良いですよね。造りが違うんでしょうか。
日当たりの良さや環境にも左右されるかもしれません。
しかし、ここまで古い墓石を見たのは初めてかもしれません。
山奥のバス停に自販機。。。。利用する人居るのか!😅そして新十津川に移転、平坦地だけど森林や泥炭地に悩まされながら良くぞ開拓を成功したものです、昔の人の忍耐力には頭が下がる。私の妻の先祖も奈良、十津川の出身。
私の母も十津川村出身です。
生家は車道から、獣道を徒歩でひと山歩きます。
追記ですが 23分25秒あたりの 農機具 おそらく脱穀機ではと。
30分1秒当たりのものは、唐箕(とうみ)でしょう。
この回転軸を回して、風を起こし、それで、米ともみ殻を分けたりしていたようです。
wiki にもあります。
すごいところですよね、無事帰れたが心配しました、
特に問題なく帰れました。この後食事してから第二ラウンド峰切集落に向かうことになります。さすがに疲れましたね
当時の集落の写真を市町村機関で集めてコーピーを掲載するとリアルですね。洗濯機を見ると、戦後も村人は居たのでしょうね。当時の村の風景を見てみたい。
16分40秒当たりの手書きの文字を見たときドキッとしました。家屋とか残置物は「物」でしかないですが「手書き文字」は人柄とか個性がでますからね。
確かにそこに人が住んで生活していたんだなと色々と考えちゃいました。楽しかったです。
十津川村は凄いですね、さすが集落が一番多いだけありますね!
しかし登りもですが丸太の橋も凄い。 中原集落行かれた時の吊り橋よりはマシですね😊 ほんと昔の人は健脚で凄いですよね。
まだまだ十津川には廃村がありますし僕も探索出来ればと思います🏡 くれぐれも怪我など気をつけてくださいね😁
私の住んでいる我が岩国市も集落はかなり多い方ですが、十津川村は更に多いですね。
旅に出るのときは一週間ぐらい余裕がないと探索は難しいです。
丸太の橋は冒険している気分でワクワクしましたね。本当に十津川村は最高ですね。近くに住むハルキンぐぅさんが羨ましいです。
何れコラボが出来たら良いですね。有難うございます!
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30分辺りの、ミシンて言ってたやつは、唐箕(とうみ
)といって、米や豆類をゴミから風で分ける農具ですね⤴️今でも使います👍
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ということはこの集落には水田があったということですね。確かに水が引かれているホースも有りましたので合点がいきました!
ご教授いただき有難うございます!
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ここを降りられた方が、日本のどこかで、活躍されていると思うと嬉しくなります。
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心境の変化によって少し編集を変えてみました。
これからは撮影した日を表示したいと思います。
編集は見やすいようにテンポよく、徐々に上達できればと思います。
いつも何時間位滞在しているのかなと気になっていたので40分動画で3時間滞在だと結構カットされてるので編集お疲れさまです
何ヶ所か炭焼き窯の跡がありましたね。トタン屋根が残っているものや屋根がなくなったものもありました。廃屋の中には脱穀機や精米機が残っており動画に映っていました。外にあったヤンマーは発動機で、たぶんワイヤー架線を使い荷物の揚げ降ろし作業に使っていたのでしょう。この集落は自給用に陸稲、稗、粟などを作り、換金用に炭焼きをしていたのでしょう。1960年頃、非常に安価なプロパンガスが入ってきたため炭相場は暴落しました。生計の元がなくなり、折からの高度成長の恩恵で町に勤め口ができたことから皆山を下りました。
上がっていく途中、ヒノキ林が延々と続きましたが、樹齢が皆同じなので炭焼き用の広葉樹林を皆伐して農林省(当時)推奨のヒノキを植えたのでしょう--タダで苗木を配布していましたから。ヒノキは下枝を払ってありましたから、昔の住民が植えて2、30年は手入れをしていたのでしょう。この様な林道の整備されていない山林では、立った状態のヒノキはたとえ60年経ったものでもタダです。報われることのなかった元住民の労苦は本当に気の毒です。
いつも拝見させております。道路もない所によく住んでいましたね、資材は全部手運びだったのでしょうか?
明治期に水害被害になったようで、北海道に入植し後の新十津川町の始まりとなったようですね。
索道で物資を運んでいたようです。
索道とは、空中に架け渡した索条(ワイヤーロープ)に搬器を懸垂して旅客・貨物を運送する施設のことをいいます。 車両や運搬車等で建設資材を運べない山岳地帯の輸送手段として利用されています。
十津川には、良い温泉が、たくさん有りますので宜しく♨️ 隣の野迫川村も素晴らしい自然が、残ったよい所ですので是非とも。
Very interesting especially knowing that grave stone was from 1827, nearly 200 years ago. 😊
The history of this settlement seems quite deep. There must have been a reason why people had to live here.
@@GodsTravels 👍
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有難うございます!
大変興味深く拝見させて頂きました。
十津川辺りに限らずですが、日本はいろいろな場所で廃集落のが増えて来て昔を知る人間からは、仕方ないのですが寂しい思いがあります。
ところで、山々を分け入った場所に行くは結構なのですが、地主に侵入許可を得てますか?
当然ですが崩れてしまった家屋にも所有権があります。
撮影許可を得てますか?
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面白半分で山や集落を荒らさないでください。
いつかきっと後悔します。
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地名などは文字だと画面に入り込んで行きやすいです、すぐ忘れてしまうけれど漢字の学習にも。
十津川村集落は、日本のマチピチュと言われてたそうです。
十津川村
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