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こういうのをみんなつらつら書いて読んで楽しんでるというのもまた教養の賜物よなぁ…
こういうネタをぽんぽん出せるのは本当に教養が無いと出来ないから、義務教育勝利してるのかな
聖ウンス会はずるいw
大僧正「触れ合ひは手のひらにす」
お上『岡部君(ぎみ)。』
すまん笑いすぎて腹筋崩壊した
帝の背
「大僧正殿は今日も平常運転におじゃる」
大僧正「なにごとも、たやすけれ」
視聴前「こんなネタで15分以上の動画を?」視聴後「これは納得の17分ですわ」
有馬の競馬にて武豊「小栗の君よ、そなた、己を誰と心得る。小栗の君なり。」そう言ひて、武豊小栗の君を勇む。小栗の君、めでたき勝利を立ち装ふ。
物言わぬ日曜日鈴鹿の君、御身果て給ひぬ。武豊、泣きつつ酒を飲み、初めて酔ひ乱れ給ひけり。そのさまいとつらく見るにも堪へざりき。
この投稿、すごく好きです。
これちょっと教科書乗ってそうで好き
江田照命(えだてらすのみこと)で大爆笑してしまった
数年に1回しかご利益をもたらさないところでダメ押しくらって余計ウケた😂
1998年3月28日、江田照命は天神将軍(テンジンショウグン)に中山への出陣を命じ、加藤和宏らを成敗(前日経の役)。また、2012年3月24日には、御自ら中山に赴かれ、その猫殴打(ネコパンチ)によって、福永祐一らを成敗(後日経の役)。以上、神話の時代の話
しゃふりや「おそろしいで候」かわだ「びびることなかれ」
@@下北沢明男 「田畑かれゆく夏のごときかな」
@@sm-wj3th 摩耶野「田原のごとく」
@@toukonchunyu摩耶之天願「我は存じ上げぬ…」
かわだのまさつね「良き良き良き良き、良き良き良き良き、控えよ控えよ、良き良き良き良き」府路久能師枢「出で立ち遅れゆくで候」かわだのまさつね「嗚呼!」
石神深一(いしのかみのふかいち)戦国時代の武将。主にあらゆる城壁を超えて敵地に乗り込む「跳び方」。絶対王者、御中超讚と春に六度、中山城の壁を越えた。
@@yukaharada215 紺碧の兜の鎧武者が並び、御中超讃と篤布頭嚀徒を駆って競り合った様はあまりに見事であったと中山攻城紀に記されている
@@ntakeuti2187篤布号も「十年に一度の名馬」と評される程の怪物馬なのに、御中超讃号は「百年に一度の名馬」と評されてるからその強さが分かりますね…
@@yukaharada215 すごい✨ 想像して感動してしまいました🐎
「横山武史」の姓は偽装であり、本来は「武史(タケノ・フミ/フビト)」と、武氏の出とされる(諸説あり)しかしこれは、騎聖と称された武豊に跡継ぎがいなかったことを嘆いた人々による後世の創作とされる
武豊「和田殿、なにゆえ牛に乗っておられる」
和田図武夷ノ守「否や豊公、これは牛にあらず。馬にござる」白馬「へっへっへ」
歌劇王「ラクダにあらず」怒涛の君「歌劇王deathぅぅぅぅ」
なお、怒涛の君は、和田殿の名が歌劇王だと思っていた模様で、和田殿に「おのれ歌劇王、許しませぬぅー」と食ってかかった、という記録も残っている。
@@tomorenesis されども和田殿が持参した菓子を手ずから馳走になったとかいかな和田殿馬たらしの性こと
怒涛の君、いと大きなるねこま、メトを心に付く。
どいつもこいつも発想が豊かすぎて好き
16分のたっぷり尺とふりがながない部分まで手の抜かれてない読み上げ、さすがなぞるさんだ
ちょうどこの時期あたりには、ある競べ馬にて波右流(なみうる)号が誉れを得たとも言われている。波右流号の背に乗っていたと言われるのは藤岡兄の弟君だが、若くして天馬に跨りそのまま天界へ昇ってしまったという伝承が後世まで伝わっている。今も競べ馬を雲上から覗き見て楽しんでおられるだろうか…どうか安らかにあってほしいものだ。
やめて、涙が…😢
ウッ、ウェ…😭😭😭
あゝ勇ましき藤岡の弟君よ、夭折が口惜しい。そなたの無念、かつてそなたと共に誉れを得た波右流号が晴らしてくれようぞ。
日頃弟君が稽古をつけていた正義米蘭(ジャスティンミラノ)もまた、戸崎圭太と共に奮闘し、見事弟君の恩に報いたという。
@@tomorenesis最近、正義未蘭号が若くして大怪我を負って勝負の世界を去ったという悲報が舞い込んだでござる…
ぴるさど「良いではないか!良いではないか!」えあぐる「否。否!否!!」
この系統の幻覚好き前の戦国時代とか面白かった🤣いっぱい見たい
僕も戦国時代のやつ好きだった
戦国時代編好きすぎて今も時々リピしてる。
10:20しれっとフクソウダッサイ入れ込んでるの芝
ドラゴンジャージ「呼んだ?」
競馬民のムダに高い古典教養シリーズ大好き。名前見ただけだと「?」となるけど、あとの語り文で徐々に分かってくるのが面白い。
「坂を登るっ‼︎」が登山好きになってるの面白すぎるww
夢路号「我は如何なる者の指図も受けぬ!(首筋に噛みつく)」池添「あなや!この馬は優秀なる戦馬になりうる素質がありまする!」夢路号「我に半殺しにされても動じぬその姿…気に入ったでござる」
江田照命(えだてらすのみこと)があまりにもうますぎる
カワダノマサツネは一時期怒り以外の感情を失った時があった。
菅原明良(すがわらの あきよし)若くから勇猛果敢な武者として名を馳せた。淀・振具(ぷりぐ)の乱にて、大雨の降りしきる中で角笛の音と共に敵陣に突撃する一幕は、江戸時代には歌舞伎の演目として広く親しまれていた(*1)。また、格闘術にも精通しており、現代まで続く空手道の成立を助けたとする見方もある。最近の研究では、川田将雅から彼の愛馬「羽酒馬」を譲り受けたとする記述が発見された。これは彼が南蛮遠征で挙げた数多くの武功を讃えるものとされ、特に「名留掘の陣」における活躍が決め手となったという説が有力である(*2)。明良と羽酒馬が臨んだとされる3つの戦の詳細は未だ明らかになっておらず、さらなる資料の発見が急がれている。(*1)明良の演者が観客の間近までやって来て見栄を切る際には、一際大きな歓声が上がったという。(*2)名留掘の陣での明良の進軍は「瞬間移動の如き早業」と讃えられている。
歴史の教科書みたいな注釈の書き方すここれもスレの中で読み上げられてもおかしくないクオリティ😂
明良ふあんの拙者、将雅将軍より受け継ぎし愛馬の文献が記載されており歓喜。
ある時、虎太、平地に勝たれずなやみわづらいたるに、加矢太来たりて「あはれ虎太、などか障害免許を用いざる」と勇めり。
尚介(しょうかい)wwwwwwwwwwお茶吹いちゃった
童時代の伏僧獺祭は「戸﨑ばかり勝つゆえ気に入らぬ」と語っていたそうだが、幼き頃の藤岡兄の子も「父上が一度か二度勝つ間にトサカキノヨシヒロは五度も六度も勝てり」と語っていた、という記録がある。童らが語る戸崎殿もいとおかし。
タッケは凄すぎて空海枠扱いなのねその上を行くエダテラスノミコトw
9:42 すぎのもとのきよし「この馬をば我が夢と思ふ竹の君割れたることのなしと思へば」
馬娘普璃亭打琵(うまむすめぷりていだび)江戸時代中期以降にかけて、浮世絵師、戯作者および楽師等の集団と伝わる「彩芸武衆(さいげいむす)」の名義にて制作された多数の浮世絵、戯作本、浄瑠璃、邦楽等多種多様な作品群の総称。当時流行した租捨芸(そしゃげい)様式の娯楽作品の代表作。平安期の競馬(くらべうま)における名馬を美女に準えるというコンセプトであり、馬のみならず乗り手の武士たちに纏わるエピソードもよく織り込まれ、平安競馬史の研究資料としても優れた評価を得ている。在野の絵師や作家も触発されて多くの派生作品が制作されているが、同時期の他の租捨芸作品と比して春画が極めて少ないという特徴ももつ。
租捨芸ほんま草
14:22「このこはさはいま偶然にもことなし。日照勇士、ものものしき二冠達成なり。」杉本清、青嶋幕親王らと並び競べ馬の詩仙と評された文官、三宅正治(みつやけのまさはる/-まさはり)が、この優駿杯を詠んだ詩の一節。大西の名口上と並び、人馬の武勇を後世に伝える名詩と称える識者は多い。
「帝の妹背」は世界最古の官能小説になるんかな・・・名京応援姫(メイケイエール):後の尾張の地にて、その美貌から「和薔薇の姫」とも言われ多くの平民に愛された。護衛として池添謙一(いけそえのたかもと)が仕えることが多かったと記録されている御殿に居るときはそれはもう気品のある姿であったが、いざ己の戦の場に立てば池添武将の剛腕を引きちぎるほどに暴れたそうで「名古屋進行」の異名があるとか
しかし、暴れるのは戦での緊張故であり、彼女なりに一生懸命戦うその姿に感化された人々も多いとの記録もあるのよね
ハズレが無さすぎて逆にびっくりした。全編面白くて終始ニヤついちゃったw
今までで一番笑ったかも青嶋幕親王😂
戦国時代verも最高だったけど、平安時代verは輪をかけておもろい…ひとしきり笑った後すごい感心しちゃったよスレ民の方々はなんでこんな名文を思いつくんだ…知力高すぎる…全部面白いんだけど 15:47 親王からの臣籍降下とかすごく好き
伏僧獺祭:僧であったが幼少期から馬と共に育ち、還俗して武功を上げるに至った異国の言葉にも精通していたが、仕事熱心なあまり師匠である矢作に「其れ比べ馬に縁有りや?」と言ったとされる奇抜な色、文様の衣を好んだのでカワウソのように洒落を解さぬという意味の伏僧獺祭と
これの戦国バージョン見たけどずーーーーーーーーーーっと笑ってたわ今も笑ってる(腹筋通り過ぎて脇が痛い)
競馬民は文豪が多いな
平清盛「体が川田殿の尻のように熱い…」
なぜ川田のケツの温度を知ってるんだ平清盛
今浪と金船の説話集読みたいw
第六部「宝塚門の変」
論山の森にて「あなや金船、何処に隠れたるや?」「我、はかなくなるとぞ覚ふ」先達はあらまほしきものなり。
@@user-tv6ls8xb1y イメージが良寛っぽい今浪の翁
要所要所に登場する丸太のような両腕を持つ筑後国の猛将であり剛腕の異名を持つ武将 内田博幸(うちのだはくさち)
@長島バックリ 尚、今浪翁に早く会いたくて繰り出した『皐月の内突』『後留白輪悪舞』は、史実であると判明している。
民明書房 『平安時代の競べ馬』 より引用
信頼と実績の民明書房
うしゅば「嫌で候!嫌で候!」ゆうが「皆頑張っておる サボることなかれ」↑サボりまくって怒られてるのすこ
うぃるそん「将雅公、我の先達にいといたわれたり。なれど彼の御方をめでたりしもありき」後世に発見された「てそうろ衆」の若衆・うぃるそんの手記
磯部磯兵衛みたい😂
@@Amagi_Erika てそうろ衆←ぜったい土方(つちかた)組
8:16 エダテル神様にされてる…
泥不梵渡、猛威と嘶けり。
その馬体は芳しき漉し餡の如き
泥不梵渡号、先日の有馬の競馬を以て戦場を退く。なを泥不梵渡号、京都の競馬らの場にて「いざなひの馬」の役を得たる。猛威。
13:35だ、誰…?って思ったらK.ミュラーで爆笑した
岡安譲「金色の馬体が弾んでゐる。これを追ふものなし」馬場鉄志「これが戦だ、これぞ戦の恐ろしさ」川島壮雄「和田竜二、闘魂注入、鞭が飛ぶ」
今浪さん架空の人にされてて草
こんろう😂
前回は今浪の翁だったね。どちらも物語っぽい😂
今浪の翁呼びの方が馬頭観音に仕えてる人間みがあって合ってると私は感じるノア的な感じで🛶
青嶋アナの山岳信仰で吹いたwウィットに富んだジョーク良い
しかし川田さん平安装束が似合うなw今年の大河に出てても違和感なさそうや
的場均(まとばのひとし)非常に馬術に長けた人物であり、同時に馬を非常に大切にした人物だったとされている。非常に計算高い人物でもあり他の武将を執拗に追い勝利を得たことから、「必徒満(ひつとまん)」の異名でも知られる。ある時米雨号の大舞台に向けた競馬に乗らなかった際のことを「我が論理はかくなり」と理由を述べたが、当人以外には理解し難いとして囃し立てられ、後世の人達からは「空想坊気(くそぼけ)」と呼ばれることもある
米雨「兄君💢」
小牧加矢太(こまきのかやた)小牧太の子息。障害に挑まんとする若人あらば「我が技術を教えようぞ」と率先して、勧誘する者。騎乗技術に優れ、こと馬術競技にて若き頃より高い誉を得ていた。父からの勧めにより、一度は諦めた障害騎手の道を再び歩む。伏僧獺祭との仲睦まじい文が後世に多く伝わっている。(補足添削などお頼み申す。)
菱Amazon事件が平安時代に…😂文献には事件よりも前の時代に活躍した姫の名とかけたと思われる「菱密林の事」という名で書き残されており、その後一部で菱田殿は菱密林、とも呼ばれるようになったという。なお、呂伊とともに誉を得た時には観衆らから「もっと良き掛け軸を買われよ」の声もあったとか。
うしゅばの殿「絶対に鍛錬しとうないでござる!!!」
ゆうすけちょっとこっちきて集好きすぎるwwwwww
伏僧獺祭は江戸、京、米国、香港、船橋、また米国と世界各地で馬を駆った「春の糞旅程」という伝説があるけど、2週間で3回出国するなどあまりに非現実的なので後世の創作とされているね
近年では武豊と川田将雅と伏僧獺祭は米国の出麻(でるま)から肥前国へ出兵した記録が発見されているが、肥前国出身の鞍上、川田将雅の宇井瑠尊宝物(ゐるそんてそうろ)が勝ち馬となるなど創作では無いとも意見も散見されており、ますます議論を呼ぶ展開になっているのは言うまでもない…
@@TOE233武豊は智活覇を大人馬相手に大健闘させた。ともあったね。
名将怒涛号『おのれ歌劇王』『幽霊の正体観たり和田竜二』『滅兎と和解せよ』の成語は余りにも有名。
名将怒涛号は長らく楽打ノ君を嫌っているとされたが実際は楽打ノ君が好んで背負った嚢に宿る悪霊を嫌っていたのではとの研究結果が報告されたまたその悪霊の名は一般的には龍児との説か有力だが名将怒涛号にまつわる文献だと歌劇王との記載がされている
終盤、気を抜いたところで「坂を登らむ」とかヤメテくれw深夜なのに大笑いしちまったwww
エダテルさん神扱いでわろた
記者「魔女を人にせまほしや?」ikz ゑ「否、あやうからむ」
武幸四郎(ぶこうしろうえもん)宮中に召された次の日には戦に出て勝利を挙げたと言われる平安中期の武将であり、武豊の実弟と言われる。明松萬母号と駆け抜けたくらしっくの戦は非常に有名。
この樫の戦の折、後方より横山典弘が幸四郎に声援を送り、勝利が決まった瞬間喜びの声をあげていた、という話と共に、武豊の「典殿なんぞ叫びたる…」という言葉も伝わっている。
流滅入(ルメール)は悪大名感が凄い
しかし一時期その時代の馬の背には流滅入が乗っていることが多いことから一癖も二癖もあるけど実力は確かな変人って考察がされてそう
杏目御前と共に新堀帝の残した難題を突破した時はめっちゃ英傑感凄かったな…
初久禮草流星輪麗出於呂百舌鳥飛鳥古都武夷英満衣玖伊楠
古代中央アジア辺りの民族でいそう😂
フクソウダッサイは卑怯だろwww
また!また如何なく発揮される競馬民たちの歴史知識!戦国時代幻覚ぶりに発揮される競馬民たちの歴史知識!最高ですありがとう!
10:10伏僧獺祭はずるいやろwwww
最初馬の事かと思ったが瑠星の事なのねw
聖ウンス会、上手すぎる
すゑひろがりずが好きそうなネタ
シルクロードを通ってやって来た流滅入と見湖出無朗か···。
遣唐使やシルクロード貿易のあった天平期から平安初期あたりなら貿易関係の西域人・欧州人とか来てそのまま居着いても可笑しくないのが困る
幻覚じゃなくて事実なのが怖い例----------------------------武家(たけけ)は、日本において近代から多くの競馬関係者が輩出する家族である。桓武平氏重盛流と称したが、実際は建部氏の流れを汲む禰寝氏支流の一族で、明治維新後に北海道函館に渡って開拓事業に従事する傍ら、彼の地における洋式競馬の草創期に重きをなした。(wikiより)
はぇ〜すっごい
一族には小松帯刀清廉(幕末に名をはせた本家当主。ただし肝付氏からの養子)、ねじめ正一、加山雄三がいたりするガチな一族ぞ>禰寝(小松)氏
藤岡兄(ふじおかのあに)wwwwww
戦国バージョンだと徳川秀忠タイプ言われてて腹筋崩壊したw
浜中俊(はまなかのすぐる)。小倉國の武将。都で行われた合戦では武勲を上げることは少なかったが、地方での合戦では度々大きな戦果を上げたという。『砂上物語』では「濱中俊」として記載されており、別人との研究もあったが近年では、同一人物であるとの説が有力である。
これで来年の大河ドラマやろうぜ
佑介一寸此方来(ゆうすけちょっとこっちきて)歌集はずるいわ
今浪と金船の説話集と並んで読んでみたい本。
皆の溢れる教養に笑いを堪えてたんだが 13:09 で決壊した平安時代に緊急来日すな
祈祷に用いた薬草は草ww
草の話で草に草を生やすな
歴史的にも祈祷で使われたりした草だからなおさら草ww
今浪さんが西遊記の三蔵法師みたいな扱いで芝2200
【武浪斬法運(ぶろうざほうん)】平安時代の武士である故・菅原明良(すがわらのあきよし)と生涯を共にした愛馬。百姓の身分に生まれた明良を位高き馬乗りへと育て上げた。
神讃(シンザン)信仰とかありそうだなwまぁ実際三冠馬で1度も3着以下がないというのはまだ他に出てきてないから、未だに信仰は続いているともいえるんだが…
コントレイルも複勝圏は外してないぜ!
日本の競馬界がシンザンを超える馬を世に送り出す為に日々頑張ってるから何処までも続いていくさ
脚本家によって放蕩公家と謀略公家を反復横とびする和田唄ノ君竜二
戸崎は正確には下野国なんだよな…
武蔵(大井)で名を上げたとすればまぁ
武蔵国で活躍して宮中入りだからか、武蔵国出身と勘違いされたり、間違って覚えたりしちゃうんだよな。
ついでに補正しとくと、武士沢は青森県の三戸町出身だから津軽守じゃなくて南部守。津軽には著名な騎手はおりませぬ。
江田母(えだのはは)広まった肖像画から民衆に謎の人気があったが、江田母の肖像画はどう見ても男性であり謎が多いまた、「騎士」と呼ばれていたという記録もあり、遠きジョージアの地の書籍にもその名が残る
ここ最近で1番イカれてる動画なのに1番長くて芝3600
かずおのはんばーぐでだめだったwwwwwwwwwwwwwwwwwww
新しく放映される大河ドラマの登場人物かな?
このノリで聖ウンス会入れてくるのはズルいwww
宇朱馬手候(うしゅばてそうろう)
よくプロフィールをこんなうまい具合に平安時代の歴史っぽく纏めれるなぁ...すごい
大西直宏騎手の紹介がすごくカッコよくて見入った
また競馬スレに野生の文筆家たちが集合してる…
川田純煌は童競馬で共に戦うことになった九十九美人姫との「気張ろうぞ」「是」と健闘を誓い合った姿いとうつくし、と書き残されている。
夜勤明けで音声だけ聞いてたら脳がおかしくなりそうだったので寝てから見ることにした
2:36読み方が正しく伝わってないの平安らしくてすこ
すごい無駄にクオリティ高くて笑った
いつぞやのジョッキー戦国時代スレの平安バージョン?
あれすき
これ動画化するの楽しみにしてたから嬉しい
矢部女(やべのむすめ)マジで草
霧坐馬衛府(むざばえふ)蝦夷の国人領主 皇暦2682年の暮れに銅鑼恵零出(どらえれで)と共に、下総国に攻め込み中山荘を制圧した。しかし、尾張国間米荘にて、坂井瑠星(さかいのとまぼし)と檸檬発泡(れもんのはつあわ)によって鎮圧される。その後瑠星と和議を結んだ。
≫9:41・15:47 杉本清氏と青嶋達也アナの紹介文で芝2200生えた
いとしの君、、、これぞ東の地なり、、
ありがたし、君。めでたき走りなり…
皆、いと悦び賜うぞ。
時々『古文や平安時代のような大昔のことを勉強して何になるんだ』なんて聞くけど、こういう遊びができるからちゃんとやってた方がいいんよ。お得よ(りゅーせーの画像と名前に笑いを堪えつつ)
幸殿、武豊殿の用意した菓子を勝手に拝借してたしなめられた逸話が発見されたらしいな
あと参内の経路を間違えた為に遅刻して罰則金を科されたとか
聖ウンス会はズルいってwwww
戸崎氏がしたためた鳥の短歌が入っていないとは
戦場にて団鰤号に振り落とされた後何故か正座してた記録も此処には載っていませんでしたね
鳥の短歌と団鰤号の話は割と最近見つかった文献だから、もしかしたら文献発見前に話されたものじゃないか?
@@user-jizosan団鰤は無理矢理すぎるwwwwww
@@miri_sug4rだけど、天然石のダンビュライトの和名は「ダンブリ石」だからあながち無理やりでもないかも…。むしろダンビュライトにこの和名つけた奴にもっとなんかなかったのか聞きたくなってきた。
どのネタもめっちゃクオリティ高すぎて大爆笑🤣
こういうのをみんなつらつら書いて読んで楽しんでるというのもまた教養の賜物よなぁ…
こういうネタをぽんぽん出せるのは本当に教養が無いと出来ないから、義務教育勝利してるのかな
聖ウンス会はずるいw
大僧正「触れ合ひは手のひらにす」
お上『岡部君(ぎみ)。』
すまん笑いすぎて腹筋崩壊した
帝の背
「大僧正殿は今日も平常運転におじゃる」
大僧正「なにごとも、たやすけれ」
視聴前「こんなネタで15分以上の動画を?」
視聴後「これは納得の17分ですわ」
有馬の競馬にて
武豊「小栗の君よ、そなた、己を誰と心得る。小栗の君なり。」
そう言ひて、武豊小栗の君を勇む。小栗の君、めでたき勝利を立ち装ふ。
物言わぬ日曜日
鈴鹿の君、御身果て給ひぬ。
武豊、泣きつつ酒を飲み、初めて酔ひ乱れ給ひけり。そのさまいとつらく見るにも堪へざりき。
この投稿、すごく好きです。
これちょっと教科書乗ってそうで好き
江田照命(えだてらすのみこと)
で大爆笑してしまった
数年に1回しかご利益をもたらさないところでダメ押しくらって余計ウケた😂
1998年3月28日、江田照命は天神将軍(テンジンショウグン)に中山への出陣を命じ、加藤和宏らを成敗(前日経の役)。
また、2012年3月24日には、御自ら中山に赴かれ、その猫殴打(ネコパンチ)によって、福永祐一らを成敗(後日経の役)。
以上、神話の時代の話
しゃふりや「おそろしいで候」
かわだ「びびることなかれ」
@@下北沢明男 「田畑かれゆく夏のごときかな」
@@sm-wj3th
摩耶野「田原のごとく」
@@toukonchunyu
摩耶之天願
「我は存じ上げぬ…」
かわだのまさつね「良き良き良き良き、良き良き良き良き、控えよ控えよ、良き良き良き良き」
府路久能師枢「出で立ち遅れゆくで候」
かわだのまさつね「嗚呼!」
石神深一(いしのかみのふかいち)
戦国時代の武将。主にあらゆる城壁を超えて敵地に乗り込む「跳び方」。絶対王者、御中超讚と春に六度、中山城の壁を越えた。
@@yukaharada215 紺碧の兜の鎧武者が並び、御中超讃と篤布頭嚀徒を駆って競り合った様はあまりに見事であったと中山攻城紀に記されている
@@ntakeuti2187
篤布号も「十年に一度の名馬」と
評される程の怪物馬なのに、
御中超讃号は「百年に一度の名馬」
と評されてるからその強さが
分かりますね…
@@yukaharada215
すごい✨ 想像して感動してしまいました🐎
「横山武史」の姓は偽装であり、本来は「武史(タケノ・フミ/フビト)」と、武氏の出とされる(諸説あり)
しかしこれは、騎聖と称された武豊に跡継ぎがいなかったことを嘆いた人々による後世の創作とされる
武豊「和田殿、なにゆえ牛に乗っておられる」
和田図武夷ノ守「否や豊公、これは牛にあらず。馬にござる」
白馬「へっへっへ」
歌劇王「ラクダにあらず」
怒涛の君「歌劇王deathぅぅぅぅ」
なお、怒涛の君は、和田殿の名が歌劇王だと思っていた模様で、和田殿に
「おのれ歌劇王、許しませぬぅー」
と食ってかかった、という記録も残っている。
@@tomorenesis されども和田殿が持参した菓子を手ずから馳走になったとか
いかな和田殿馬たらしの性こと
怒涛の君、いと大きなるねこま、メトを心に付く。
どいつもこいつも発想が豊かすぎて好き
16分のたっぷり尺とふりがながない部分まで手の抜かれてない読み上げ、さすがなぞるさんだ
ちょうどこの時期あたりには、ある競べ馬にて波右流(なみうる)号が誉れを得たとも言われている。
波右流号の背に乗っていたと言われるのは藤岡兄の弟君だが、若くして天馬に跨りそのまま天界へ昇ってしまったという伝承が後世まで伝わっている。今も競べ馬を雲上から覗き見て楽しんでおられるだろうか…どうか安らかにあってほしいものだ。
やめて、涙が…😢
ウッ、ウェ…😭😭😭
あゝ勇ましき藤岡の弟君よ、夭折が口惜しい。そなたの無念、かつてそなたと共に誉れを得た波右流号が晴らしてくれようぞ。
日頃弟君が稽古をつけていた正義米蘭(ジャスティンミラノ)もまた、戸崎圭太と共に奮闘し、見事弟君の恩に報いたという。
@@tomorenesis
最近、正義未蘭号が若くして
大怪我を負って勝負の世界を去った
という悲報が舞い込んだでござる…
ぴるさど「良いではないか!良いではないか!」
えあぐる「否。否!否!!」
この系統の幻覚好き
前の戦国時代とか面白かった🤣いっぱい見たい
僕も戦国時代のやつ好きだった
戦国時代編好きすぎて今も時々リピしてる。
10:20
しれっとフクソウダッサイ入れ込んでるの芝
ドラゴンジャージ「呼んだ?」
競馬民のムダに高い古典教養シリーズ大好き。
名前見ただけだと「?」となるけど、あとの語り文で徐々に分かってくるのが面白い。
「坂を登るっ‼︎」が登山好きになってるの面白すぎるww
夢路号
「我は如何なる者の指図も受けぬ!
(首筋に噛みつく)」
池添
「あなや!この馬は優秀なる戦馬に
なりうる素質がありまする!」
夢路号
「我に半殺しにされても動じぬ
その姿…気に入ったでござる」
江田照命(えだてらすのみこと)があまりにもうますぎる
カワダノマサツネは一時期怒り以外の感情を失った時があった。
菅原明良(すがわらの あきよし)
若くから勇猛果敢な武者として名を馳せた。淀・振具(ぷりぐ)の乱にて、大雨の降りしきる中で角笛の音と共に敵陣に突撃する一幕は、江戸時代には歌舞伎の演目として広く親しまれていた(*1)。
また、格闘術にも精通しており、現代まで続く空手道の成立を助けたとする見方もある。
最近の研究では、川田将雅から彼の愛馬「羽酒馬」を譲り受けたとする記述が発見された。これは彼が南蛮遠征で挙げた数多くの武功を讃えるものとされ、特に「名留掘の陣」における活躍が決め手となったという説が有力である(*2)。明良と羽酒馬が臨んだとされる3つの戦の詳細は未だ明らかになっておらず、さらなる資料の発見が急がれている。
(*1)明良の演者が観客の間近までやって来て見栄を切る際には、一際大きな歓声が上がったという。
(*2)名留掘の陣での明良の進軍は「瞬間移動の如き早業」と讃えられている。
歴史の教科書みたいな注釈の書き方すこ
これもスレの中で読み上げられてもおかしくないクオリティ😂
明良ふあんの拙者、将雅将軍より受け継ぎし愛馬の文献が記載されており歓喜。
ある時、虎太、平地に勝たれずなやみわづらいたるに、加矢太来たりて「あはれ虎太、などか障害免許を用いざる」と勇めり。
尚介(しょうかい)wwwwwwwwwwお茶吹いちゃった
童時代の伏僧獺祭は「戸﨑ばかり勝つゆえ気に入らぬ」と語っていたそうだが、幼き頃の藤岡兄の子も「父上が一度か二度勝つ間にトサカキノヨシヒロは五度も六度も勝てり」と語っていた、という記録がある。
童らが語る戸崎殿もいとおかし。
タッケは凄すぎて空海枠扱いなのねその上を行くエダテラスノミコトw
9:42 すぎのもとのきよし
「この馬をば我が夢と思ふ竹の君割れたることのなしと思へば」
馬娘普璃亭打琵(うまむすめぷりていだび)
江戸時代中期以降にかけて、浮世絵師、戯作者および楽師等の集団と伝わる「彩芸武衆(さいげいむす)」の名義にて制作された多数の浮世絵、戯作本、浄瑠璃、邦楽等多種多様な作品群の総称。当時流行した租捨芸(そしゃげい)様式の娯楽作品の代表作。平安期の競馬(くらべうま)における名馬を美女に準えるというコンセプトであり、馬のみならず乗り手の武士たちに纏わるエピソードもよく織り込まれ、平安競馬史の研究資料としても優れた評価を得ている。
在野の絵師や作家も触発されて多くの派生作品が制作されているが、同時期の他の租捨芸作品と比して春画が極めて少ないという特徴ももつ。
租捨芸ほんま草
14:22
「このこはさはいま偶然にもことなし。日照勇士、ものものしき二冠達成なり。」
杉本清、青嶋幕親王らと並び競べ馬の詩仙と評された文官、三宅正治(みつやけのまさはる/-まさはり)が、この優駿杯を詠んだ詩の一節。
大西の名口上と並び、人馬の武勇を後世に伝える名詩と称える識者は多い。
「帝の妹背」は世界最古の官能小説になるんかな・・・
名京応援姫(メイケイエール):後の尾張の地にて、その美貌から「和薔薇の姫」とも言われ多くの平民に愛された。
護衛として池添謙一(いけそえのたかもと)が仕えることが多かったと記録されている
御殿に居るときはそれはもう気品のある姿であったが、いざ己の戦の場に立てば池添武将の剛腕を引きちぎるほどに暴れたそうで「名古屋進行」の異名があるとか
しかし、暴れるのは戦での
緊張故であり、彼女なりに一生懸命
戦うその姿に感化された人々も
多いとの記録もあるのよね
ハズレが無さすぎて逆にびっくりした。
全編面白くて終始ニヤついちゃったw
今までで一番笑ったかも
青嶋幕親王😂
戦国時代verも最高だったけど、平安時代verは輪をかけておもろい…ひとしきり笑った後すごい感心しちゃったよ
スレ民の方々はなんでこんな名文を思いつくんだ…知力高すぎる…
全部面白いんだけど 15:47 親王からの臣籍降下とかすごく好き
伏僧獺祭:僧であったが幼少期から馬と共に育ち、還俗して武功を上げるに至った
異国の言葉にも精通していたが、仕事熱心なあまり師匠である矢作に「其れ比べ馬に縁有りや?」と言ったとされる
奇抜な色、文様の衣を好んだのでカワウソのように洒落を解さぬという意味の伏僧獺祭と
これの戦国バージョン見たけど
ずーーーーーーーーーーっと笑ってたわ
今も笑ってる(腹筋通り過ぎて脇が痛い)
競馬民は文豪が多いな
平清盛「体が川田殿の尻のように熱い…」
なぜ川田のケツの温度を知ってるんだ平清盛
今浪と金船の説話集読みたいw
第六部「宝塚門の変」
論山の森にて
「あなや金船、何処に隠れたるや?」
「我、はかなくなるとぞ覚ふ」
先達はあらまほしきものなり。
@@user-tv6ls8xb1y イメージが良寛っぽい今浪の翁
要所要所に登場する丸太のような両腕を持つ筑後国の猛将であり剛腕の異名を持つ武将 内田博幸(うちのだはくさち)
@長島バックリ 尚、今浪翁に早く会いたくて繰り出した『皐月の内突』『後留白輪悪舞』は、史実であると判明している。
民明書房 『平安時代の競べ馬』 より引用
信頼と実績の民明書房
うしゅば「嫌で候!嫌で候!」
ゆうが「皆頑張っておる サボることなかれ」
↑サボりまくって怒られてるのすこ
うぃるそん「将雅公、我の先達にいといたわれたり。なれど彼の御方をめでたりしもありき」
後世に発見された「てそうろ衆」の若衆・うぃるそんの手記
磯部磯兵衛みたい😂
@@Amagi_Erika てそうろ衆←ぜったい土方(つちかた)組
8:16 エダテル神様にされてる…
泥不梵渡、猛威と嘶けり。
その馬体は芳しき漉し餡の如き
泥不梵渡号、先日の有馬の競馬を以て戦場を退く。なを泥不梵渡号、京都の競馬らの場にて「いざなひの馬」の役を得たる。猛威。
13:35
だ、誰…?って思ったらK.ミュラーで爆笑した
岡安譲「金色の馬体が弾んでゐる。これを追ふものなし」
馬場鉄志「これが戦だ、これぞ戦の恐ろしさ」
川島壮雄「和田竜二、闘魂注入、鞭が飛ぶ」
今浪さん架空の人にされてて草
こんろう😂
前回は今浪の翁だったね。
どちらも物語っぽい😂
今浪の翁呼びの方が馬頭観音に仕えてる人間みがあって合ってると私は感じる
ノア的な感じで🛶
青嶋アナの山岳信仰で吹いたwウィットに富んだジョーク良い
しかし川田さん平安装束が似合うなw
今年の大河に出てても違和感なさそうや
的場均(まとばのひとし)
非常に馬術に長けた人物であり、同時に馬を非常に大切にした人物だったとされている。非常に計算高い人物でもあり他の武将を執拗に追い勝利を得たことから、「必徒満(ひつとまん)」の異名でも知られる。
ある時米雨号の大舞台に向けた競馬に乗らなかった際のことを「我が論理はかくなり」と理由を述べたが、当人以外には理解し難いとして囃し立てられ、後世の人達からは「空想坊気(くそぼけ)」と呼ばれることもある
米雨「兄君💢」
小牧加矢太(こまきのかやた)小牧太の子息。障害に挑まんとする若人あらば「我が技術を教えようぞ」と率先して、勧誘する者。騎乗技術に優れ、こと馬術競技にて若き頃より高い誉を得ていた。父からの勧めにより、一度は諦めた障害騎手の道を再び歩む。伏僧獺祭との仲睦まじい文が後世に多く伝わっている。(補足添削などお頼み申す。)
菱Amazon事件が平安時代に…😂文献には事件よりも前の時代に活躍した姫の名とかけたと思われる「菱密林の事」という名で書き残されており、その後一部で菱田殿は菱密林、とも呼ばれるようになったという。
なお、呂伊とともに誉を得た時には観衆らから「もっと良き掛け軸を買われよ」の声もあったとか。
うしゅばの殿
「絶対に鍛錬しとうないでござる!!!」
ゆうすけちょっとこっちきて集好きすぎるwwwwww
伏僧獺祭は江戸、京、米国、香港、船橋、また米国と世界各地で馬を駆った「春の糞旅程」という伝説があるけど、2週間で3回出国するなどあまりに非現実的なので後世の創作とされているね
近年では武豊と川田将雅と伏僧獺祭は米国の出麻(でるま)から肥前国へ出兵した記録が発見されているが、肥前国出身の鞍上、川田将雅の宇井瑠尊宝物(ゐるそんてそうろ)が勝ち馬となるなど創作では無いとも意見も散見されており、ますます議論を呼ぶ展開になっているのは言うまでもない…
@@TOE233武豊は智活覇を大人馬相手に大健闘させた。ともあったね。
名将怒涛号
『おのれ歌劇王』
『幽霊の正体観たり和田竜二』
『滅兎と和解せよ』
の成語は余りにも有名。
名将怒涛号は長らく楽打ノ君を嫌っているとされたが
実際は楽打ノ君が好んで背負った嚢に宿る悪霊を嫌っていたのではとの研究結果が報告された
またその悪霊の名は一般的には龍児との説か有力だが名将怒涛号にまつわる文献だと歌劇王との記載がされている
終盤、気を抜いたところで
「坂を登らむ」とかヤメテくれw
深夜なのに大笑いしちまったwww
エダテルさん神扱いでわろた
記者「魔女を人にせまほしや?」
ikz ゑ「否、あやうからむ」
武幸四郎(ぶこうしろうえもん)宮中に召された次の日には戦に出て勝利を挙げたと言われる平安中期の武将であり、武豊の実弟と言われる。明松萬母号と駆け抜けたくらしっくの戦は非常に有名。
この樫の戦の折、後方より横山典弘が幸四郎に声援を送り、勝利が決まった瞬間喜びの声をあげていた、という話と共に、武豊の「典殿なんぞ叫びたる…」という言葉も伝わっている。
流滅入(ルメール)は悪大名感が凄い
しかし一時期その時代の馬の背には流滅入が乗っていることが多いことから一癖も二癖もあるけど実力は確かな変人って考察がされてそう
杏目御前と共に新堀帝の残した難題を突破した時はめっちゃ英傑感凄かったな…
初久禮
草流星輪
麗出於呂
百舌鳥飛鳥古都
武夷英満
衣玖伊楠
古代中央アジア辺りの民族でいそう😂
フクソウダッサイは卑怯だろwww
また!また如何なく発揮される競馬民たちの歴史知識!戦国時代幻覚ぶりに発揮される競馬民たちの歴史知識!最高ですありがとう!
10:10伏僧獺祭はずるいやろwwww
最初馬の事かと思ったが瑠星の事なのねw
聖ウンス会、上手すぎる
すゑひろがりずが好きそうなネタ
シルクロードを通ってやって来た流滅入と見湖出無朗か···。
遣唐使やシルクロード貿易のあった天平期から平安初期あたりなら貿易関係の西域人・欧州人とか来てそのまま居着いても可笑しくないのが困る
幻覚じゃなくて事実なのが怖い例
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武家(たけけ)は、日本において近代から多くの競馬関係者が輩出する家族である。桓武平氏重盛流と称したが、実際は建部氏の流れを汲む禰寝氏支流の一族で、明治維新後に北海道函館に渡って開拓事業に従事する傍ら、彼の地における洋式競馬の草創期に重きをなした。(wikiより)
はぇ〜すっごい
一族には小松帯刀清廉(幕末に名をはせた本家当主。ただし肝付氏からの養子)、ねじめ正一、加山雄三がいたりするガチな一族ぞ>禰寝(小松)氏
藤岡兄(ふじおかのあに)wwwwww
戦国バージョンだと徳川秀忠タイプ言われてて腹筋崩壊したw
浜中俊(はまなかのすぐる)。小倉國の武将。都で行われた合戦では武勲を上げることは少なかったが、地方での合戦では度々大きな戦果を上げたという。『砂上物語』では「濱中俊」として記載されており、別人との研究もあったが近年では、同一人物であるとの説が有力である。
これで来年の大河ドラマやろうぜ
佑介一寸此方来(ゆうすけちょっとこっちきて)歌集はずるいわ
今浪と金船の説話集と並んで読んでみたい本。
皆の溢れる教養に笑いを堪えてたんだが 13:09 で決壊した
平安時代に緊急来日すな
祈祷に用いた薬草は草ww
草の話で草に草を生やすな
歴史的にも祈祷で使われたりした草だからなおさら草ww
今浪さんが西遊記の三蔵法師みたいな扱いで芝2200
【武浪斬法運(ぶろうざほうん)】
平安時代の武士である故・菅原明良(すがわらのあきよし)と生涯を共にした愛馬。百姓の身分に生まれた明良を位高き馬乗りへと育て上げた。
神讃(シンザン)信仰とかありそうだなw
まぁ実際三冠馬で1度も3着以下がないというのはまだ他に出てきてないから、未だに信仰は続いているともいえるんだが…
コントレイルも複勝圏は外してないぜ!
日本の競馬界がシンザンを超える馬を世に送り出す為に日々頑張ってるから何処までも続いていくさ
脚本家によって放蕩公家と謀略公家を反復横とびする和田唄ノ君竜二
戸崎は正確には下野国なんだよな…
武蔵(大井)で名を上げたとすればまぁ
武蔵国で活躍して宮中入りだからか、武蔵国出身と勘違いされたり、間違って覚えたりしちゃうんだよな。
ついでに補正しとくと、武士沢は青森県の三戸町出身だから津軽守じゃなくて南部守。
津軽には著名な騎手はおりませぬ。
江田母(えだのはは)
広まった肖像画から民衆に謎の人気があったが、江田母の肖像画はどう見ても男性であり謎が多い
また、「騎士」と呼ばれていたという記録もあり、遠きジョージアの地の書籍にもその名が残る
ここ最近で1番イカれてる動画なのに1番長くて芝3600
かずおのはんばーぐでだめだったwwwwwwwwwwwwwwwwwww
新しく放映される大河ドラマの登場人物かな?
このノリで聖ウンス会入れてくるのはズルいwww
宇朱馬手候(うしゅばてそうろう)
よくプロフィールをこんなうまい具合に平安時代の歴史っぽく纏めれるなぁ...すごい
大西直宏騎手の紹介がすごくカッコよくて見入った
また競馬スレに野生の文筆家たちが集合してる…
川田純煌は童競馬で共に戦うことになった九十九美人姫との「気張ろうぞ」「是」と健闘を誓い合った姿いとうつくし、と書き残されている。
夜勤明けで音声だけ聞いてたら脳がおかしくなりそうだったので寝てから見ることにした
2:36
読み方が正しく伝わってないの平安らしくてすこ
すごい無駄にクオリティ高くて笑った
いつぞやのジョッキー戦国時代スレの平安バージョン?
あれすき
これ動画化するの楽しみにしてたから嬉しい
矢部女(やべのむすめ)マジで草
霧坐馬衛府(むざばえふ)
蝦夷の国人領主 皇暦2682年の暮れに銅鑼恵零出(どらえれで)と共に、下総国に攻め込み中山荘を制圧した。しかし、尾張国間米荘にて、坂井瑠星(さかいのとまぼし)と檸檬発泡(れもんのはつあわ)によって鎮圧される。その後瑠星と和議を結んだ。
≫9:41・15:47
杉本清氏と青嶋達也アナの紹介文で芝2200生えた
いとしの君、、、これぞ東の地なり、、
ありがたし、君。めでたき走りなり…
皆、いと悦び賜うぞ。
時々『古文や平安時代のような大昔のことを勉強して何になるんだ』なんて聞くけど、こういう遊びができるからちゃんとやってた方がいいんよ。お得よ(りゅーせーの画像と名前に笑いを堪えつつ)
幸殿、武豊殿の用意した菓子を勝手に拝借してたしなめられた逸話が発見されたらしいな
あと参内の経路を間違えた為に遅刻して罰則金を科されたとか
聖ウンス会はズルいってwwww
戸崎氏がしたためた鳥の短歌が入っていないとは
戦場にて団鰤号に振り落とされた後何故か正座してた記録も此処には載っていませんでしたね
鳥の短歌と団鰤号の話は割と最近見つかった文献だから、もしかしたら文献発見前に話されたものじゃないか?
@@user-jizosan団鰤は無理矢理すぎるwwwwww
@@miri_sug4r
だけど、天然石のダンビュライトの和名は「ダンブリ石」だからあながち無理やりでもないかも…。
むしろダンビュライトにこの和名つけた奴にもっとなんかなかったのか聞きたくなってきた。
どのネタもめっちゃ
クオリティ高すぎて大爆笑🤣