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新田義貞も晩年はほぼ北陸で独立勢力になろうとしていたという説もあるし、南朝って後醍醐のキャラが強すぎるからそう見えにくいけど、実際はかなりの連合国家的な性質になりかけてた。なお尊氏が全部やっつけた模様。
この地方分権は室町幕府でも継続されて最終的に戦国時代に突入する事になると
九州が離反する状況ってどんなものだろうと思いましたが、吉野の南朝が弱体化して、九州の兵力だけが頼みの綱なのに、上から目線で高圧的な命令ばかり送ってくるとか、畿内への遠征を何度も要請してくるとかが重なると、起きるんでしょうね。北畠顕家の上奏文など、まさにその萌芽といった感じです。
北畠顕家が奥州から動かず、領国経営に集中してたら、懐良親王と同じような経緯を辿っていたの出羽?(≧∇≦)b
室町将軍の足利義詮と鎌倉府の足利基氏の兄弟も仲が良かったみたいだけど、代を経るとね・・・。
北条時行からすれば、そりゃ好機があればねぇ…
懐良親王は独自に外交をやってたし、下手をしたら海外勢力の援軍が九州に乗り込んでたかも。日本て海のおかげで大分助かってますよね
新田義貞すら北陸で色々やってたからねえ、先に色々邪険にされてたとはいえ。
遠方だとイトコやハトコでも葬式や結婚式でしか会わんし他人も同然😅
権限を与えないと敵に負けるし、権限を与えると脅威になる。幕府としてはジレンマだな。
南北朝は、派閥が2つとは限らない。双方の陣営にいてもはかり事を考える奴は、数多くあるからね。
南朝が勝ち進んでも仲間割れが始まり、観応の擾乱ならぬ正平の擾乱が起こってしまうのか。
個人的には、後醍醐帝の出兵要請に応え続けた北畠顕家と、積極的に応えなかった懐良親王が、鏡の表裏みたいに思ってます。卵が先か鶏が先か論争になっちゃいますが、南朝(後醍醐帝)を優先するか、南朝(政治形態)を優先するか、の二者択一😅顕家が仮に政治形態の存続を優先したとすれば陸奥において懐良親王のように行動したかもです。懐良親王は、2代目征西将軍を良成親王に譲っているから、少なくとも政治的独立の意思は無いかも(地理的独立の意思は大いにありそう)😊
北方健三の武王の門の懐良親王は九州独立の夢見て熱い人物だったな~
裏切らなかったのがいいことみたいになってるけど、結果知ってる側からすると、とっとと裏切るのが正解だよね
逃げ若が 三英傑くらい優秀な人物だとしても 鎌倉幕府再興なんて無理なんだから、今川氏真·織田信雄みたいな 別の生き残り策を考えればよかったのかも😢
実際、懐良親王は一時は九州王朝成立寸前までいきましたからな。独自の外交や貿易もやってたし。四国の南朝勢力が頑張って瀬戸内航路を押さえてたらなあ。(≧∇≦)b
護良親王「征夷大将軍に麿はなる!」
かもしれないという考えもあったりするとも言えるだろう。
担ぐ者と担がれる者の力関係は、言わずと知れている。その考察がされていないから、荒唐無稽の意見になる訳だ。担がれる者の存在など、担ぐ者の盛衰次第。諏訪頼重がいなくなった北条時行は、巣のない鳥で、誰かに依存しなければ生きていけなかった。懐良親王も九州の名族菊池氏なしには成り立たず、鎌倉公方も関東管領なしには成り立たなかったのが現実。
ま、まあ、北朝側もそのへん似たようなもんで、機が熟しちゃったからワチャワチャモキュモキュしたのが観応の擾乱やらなんやらな訳で……😅
ーコメです
新田義貞も晩年はほぼ北陸で独立勢力になろうとしていたという説もあるし、南朝って後醍醐のキャラが強すぎるからそう見えにくいけど、実際はかなりの連合国家的な性質になりかけてた。なお尊氏が全部やっつけた模様。
この地方分権は室町幕府でも継続されて
最終的に戦国時代に突入する事になると
九州が離反する状況ってどんなものだろうと思いましたが、吉野の南朝が弱体化して、九州の兵力だけが頼みの綱なのに、上から目線で高圧的な命令ばかり送ってくるとか、畿内への遠征を何度も要請してくるとかが重なると、起きるんでしょうね。
北畠顕家の上奏文など、まさにその萌芽といった感じです。
北畠顕家が奥州から動かず、領国経営に集中してたら、懐良親王と同じような経緯を辿っていたの出羽?(≧∇≦)b
室町将軍の足利義詮と鎌倉府の足利基氏の兄弟も仲が良かったみたいだけど、代を経るとね・・・。
北条時行からすれば、そりゃ好機があればねぇ…
懐良親王は独自に外交をやってたし、下手をしたら海外勢力の援軍が九州に乗り込んでたかも。日本て海のおかげで大分助かってますよね
新田義貞すら北陸で色々やってたからねえ、先に色々邪険にされてたとはいえ。
遠方だとイトコやハトコでも葬式や結婚式でしか会わんし他人も同然😅
権限を与えないと敵に負けるし、権限を与えると脅威になる。幕府としてはジレンマだな。
南北朝は、派閥が2つとは限らない。双方の陣営にいてもはかり事を考える奴は、数多くあるからね。
南朝が勝ち進んでも仲間割れが始まり、
観応の擾乱ならぬ正平の擾乱が起こってしまうのか。
個人的には、後醍醐帝の出兵要請に応え続けた北畠顕家と、積極的に応えなかった懐良親王が、鏡の表裏みたいに思ってます。
卵が先か鶏が先か論争になっちゃいますが、南朝(後醍醐帝)を優先するか、南朝(政治形態)を優先するか、の二者択一😅
顕家が仮に政治形態の存続を優先したとすれば陸奥において懐良親王のように行動したかもです。
懐良親王は、2代目征西将軍を良成親王に譲っているから、少なくとも政治的独立の意思は無いかも(地理的独立の意思は大いにありそう)😊
北方健三の武王の門の懐良親王は九州独立の夢見て熱い人物だったな~
裏切らなかったのがいいことみたいになってるけど、結果知ってる側からすると、とっとと裏切るのが正解だよね
逃げ若が 三英傑くらい優秀な人物だとしても 鎌倉幕府再興なんて無理なんだから、今川氏真·織田信雄みたいな 別の生き残り策を考えればよかったのかも😢
実際、懐良親王は一時は九州王朝成立寸前までいきましたからな。独自の外交や貿易もやってたし。四国の南朝勢力が頑張って瀬戸内航路を押さえてたらなあ。(≧∇≦)b
護良親王「征夷大将軍に麿はなる!」
かもしれないという考えもあったりするとも言えるだろう。
担ぐ者と担がれる者の力関係は、言わずと知れている。その考察がされていないから、荒唐無稽の意見になる訳だ。
担がれる者の存在など、担ぐ者の盛衰次第。諏訪頼重がいなくなった北条時行は、巣のない鳥で、誰かに依存しなければ生きていけなかった。
懐良親王も九州の名族菊池氏なしには成り立たず、鎌倉公方も関東管領なしには成り立たなかったのが現実。
ま、まあ、北朝側もそのへん似たようなもんで、機が熟しちゃったからワチャワチャモキュモキュしたのが観応の擾乱やらなんやらな訳で……😅
ーコメです