【解説】しかる教育VSほめる教育【回帰の誤謬】ずんだもんの心理学
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- Опубликовано: 13 сен 2024
- 本チャンネルの動画は冗談によって構成されています。ご了承の上、閲覧ください。
ずんだもんが「しかる教育」と「ほめる教育」のどっちがより重要かを解説してくれるようです。なんかやたら長くなっちゃいました。すみません。なんでもします。
次回の動画ですがリサーチしたい本が四冊ぐらいあるんでだいぶ先になるかもしれません。すみません。なんでもします。
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逆に言えば、平均的に結果が良かったり悪かったりする場合は褒めたり叱ったりする意味はあると言うことなのかな。
あとつむぎのテスト結果の例では統計学的に多少点数が低くても気にする意味がないって言ってるけど、点数が低かった要因が自分の意識次第でなんとかできるもの(例えば勉強量が足りなかった)であれば、それを意識する(最低でもこの量は勉強しようと計画に組み込む)ことで次回同じ要因で点数が低くなる確率を低くできる気がするし、意味がないとは言えないんじゃないかと直感的には思うんだけど、これも違うんだろうか…
コメントさんくす!
直感でそう思うのも当然だよ。人間の脳ってそういう風にできちゃってるから。
ノーベル賞受賞者のカーネマンも、「平均回帰はマジやべえから慎重に扱わないと」的なことを著書で書いてたぐらいだし。
ただ、この質問よく聞かれるんでここでまとめて答えておくね。動画の補足だと思ってくれさい。長くてうざいけど許せ。
あと脳死で書き殴ったんで文章がおかしかったりするかも。そこはすみません。なんでもします。
①
まず、平均的に80点をとってる人間が低い点数を取ったとしても、その低い点数を取った理由が勉強不足だとは限らない。
むしろ、平均的に80点取ってる人間は、常に80点をとるだけの勉強をしてるってこと。だから勉強不足以外の要因を考慮する方が賢明。
でも人間は(私も含めて)全員クソバカあんぽんたんだから、短絡的に勉強不足が原因だと思い込みがちなので仕方ない。
というわけで叱る意味なし。
②
仮にテストの点数が下がった理由が本当に本人の勉強不足だったとする場合も、叱る意味はない。
先述したように、平均的に80点取ってる人間は、常に80点をとるだけの勉強をしてる。今回はサボったのは統計的に言ってしまえば「たまたま」に過ぎない。子供なんだからサボることはある。というか大人だってサボることはあるのに、子供がサボったから叱るって都合よすぎでは?
それはさておき、一回サボったからと言って二回三回とサボるとは限らない。むしろ、放っておいてもまた努力をすると考えるのが妥当。なぜなら平均的に80点をとる人間は、普段から努力をする人間だから。
でも人間は(私も含めて)全員クソバカあんぽんたんだから、ここで子供を叱ってしまう。
もちろん、普段から80点をとるだけの勉強をしている子供なんてのは、たまたまサボることはあるけれど、また努力をはじめて80点に返り咲く。
すると(私を含め)クソバカあんぽんたんな人間はこう思う。
「叱ったかいがあった。私のおかげでまた努力してくれた!」
大間違い。叱ろうが叱るまいが、子供は勝手に努力してた。
というわけで叱る意味なし。
③
とはいえ、一度サボったことでサボり癖ができてしまう子供もいないわけではない。
ではそういう子供は叱るべきなのか。
結果から言うと、叱る意味なし。
社会心理学的に、「個人の努力は自分で管理できない」ことは証明済み。これは要するに、頑張るか頑張らないかなんてことは、自分でも制御できないってこと。自分でコントロールできないものを、他人がコントロールできるはずもない。もし、コントロールできるなら、世の中のサラリーマンは、社長や国のコントロールによって、全員全力で仕事をしてるはず。
つまり、「人の努力量を他人がコントロールしようなんてのはおこがましいにもほどがある」ってこと。叱るだけで人間が頑張るなんて、そんな楽な話はないよ。
でも人間は(私も含めて)全員クソバカあんぽんたんだから、叱れば人は努力するものだ、と思い込んでしまう。
もちろん、周囲の環境なんかを調整して子供を前向きにさせる方法はいろいろあるよ。ただ、そのいろいろな方法の中に、「叱る」という選択肢は存在しない。
というわけで叱る意味なし。
☆
平均的にできない子供について、叱るべきかどうか。
叱る意味ない。
③で答えが出てるよ。人間の意志は「叱る」ではコントロールはできない。動画内でも言ってるように、過剰なストレスをかければ短期的にパフォーマンスを上げることはできるけど、デメリットの方がはるかに勝る。
できない子はできない。
諦めて、別の道を探すべき。
でも人間は(私も含めて)全員クソバカあんぽんたんだから、諦めることは悪だ、と思い込んでしまう。一つの道にこだわって諦めないことは、別の道で成功することを諦めることと同じなのに。
というわけで叱る意味なし。
●
以下、愚痴。読む価値無し。良薬口に苦しというが、毒薬も口に苦いこと、努々忘れるべからず。
私は仕事柄教育機関に所属してる方とよくお会いするんですが、これだけ研究結果が出ているにもかかわらず、教育機関内部にも未だに叱ることに意味があると思っている人がたくさんいます。「昔叱った子供が今は大成してるから、叱ることは大切なんだ」だとか「自分が子供の頃に叱られて目が覚めたから、叱ることは必要なんだ」みたいなチンケな自分の体験談を立脚点に、意味なく子供にストレスを与える大人がたくさんいます。何度も主張しますが、叱った子供が大成したのは、「大成する器を持った子供に、たまたま叱ったことがある」だけの話ですし、自分が子供の頃に叱られて目が覚めたといった話においては、「何も見えない目を覚ましたところで意味がないことを自分で証明しちゃってる」状態です。サンプルデータたった「1」に過ぎない自分の経験を全ての人間にあてはめようとするクソバカあんぽんたんが多すぎです。
個人的に統計をとってるんですが、こういうクソバカあんぽんたんな傾向がある人は、上の世代の方と、文系出身の方と、わけわからん私大出身の方に多いです。ただ、このサンプルデータって非常に範囲が狭いし、そもそもデータ数が小さいので、ほとんど価値のないデータなんですよね。にも関わらず、こんなデータを全ての人間にあてはめようとしてる私がいます。最早、クソバカあんぽんたんです。
あーあ。
人間ってほんとクソバカあんぽんたん!
@@user-wc8tu3td4l マジ最高の補足
ありがとうございます!
結局自分で変わろうとしないとなんも変わらんのね
@@user-wc8tu3td4l分かりやすくて大好き。人間ってその時その時の感情に支配されやすいって常々思う
@@user-wc8tu3td4l
失敗した時のデータしか取れない物を論えてませんこと?
コントロールされている人間が「自分はコントロールされています」と言わないでしょうし、コントロールしている人間が「私は〇〇をコントロールしています」とも言わないでしょう。
つまり成功した場合のデータが取り辛いために失敗したデータのみが目立っている可能性がございますわ!
③の『コントロールできるなら、世の中のサラリーマンは、社長や国のコントロールによって、全員全力で仕事をしてるはず。』に関してブラック企業や宗教団体、キン◯コング西野はできていると思いますの!
これはアンダーマイニング効果(内発的な動機を外発的な動機にすり替えた後に外発的な動機を取り上げる事で対象に対する意欲を低下させる)の逆で、本来は外発的な動機で行われるはずの作業を低報酬、もしくは無報酬や逆に何かを払わせる事で「私は報酬(外発的な動機)のためではなく、高潔な理由で組織(もしくは社会)に貢献している」と思わせ、内発的な動機にすり替える事が可能であり、これは労働時間が一定のラインを超えると幸福度が増えるというデータからも見て取れますの!
この場合自発的にしている(ように見える)ので、本人にとってはコントロールされているとは認識できないが、コントロールする側からすると、目的の成果を上げている事になると思うのですけれど、あくまで自主的にしているように見える性質上コントロールが失敗した例しかデータが取れない可能性があるのではないでしょうか?
叱るという行為に於いても宗教におけるマインドコントロールの鉄板で、自己の核破壊するのに用いられる作業ですわ!
つまり、叱る事が成功して、完全に制御下に置かれてしまった場合、それは受け取り手にとって”叱り”ではなく”啓示”となるため失敗例しかデータが取れませんわね!
叱りは反骨精神を抱く場合がございますので、一時的に従った場合は「あの時は嫌だった」となる事もあるとは思いますが、やはりそれは成功例が無かった根拠には成り得ませんの!
・人間の内面は外的な要因に左右される
・人間は自己決定を下したと思いたい作用がある
上の二点は恐らく今後も変わりませんし、これが分かれば「コントロールなんてできない」なんて事は有り得ませんわ!
まぁ、具体例が欲しいなら申し上げますけども、私の母は苛烈な方で点数が下がると暴れるんですのよ、なので本意ではありませんが学問を修めました。
しかし、これはどちらがコントロールしているのでしょうか?私が母の機嫌を?母が私の成績を?
私は内心は”叱られた”という現実を「勉強さえしていれば機嫌が良いなら成績は保っておこう」と思い、母をコントロールした気でおりました。
しかし、結果的には母が私の成績をコントロールする事に成功しています。
これは面白いと言うしかございませんわね、互いに”叱る”というプロセスを利用し目的を成功しているではありませんか、そしてこの場合どこにも問題がなく、”私”が”母”をコントロールしたという成功体験の記憶に上書きされた事で”叱られた”という記憶は残りにくい上に、叱られる事を回避するために努め、成果を出したため実際に叱られた回数も少ないという事になります。
私は思うのですが、叱られ続ける人間が格段に問題があるのではないか?
もしくは叱り続けるような異常な親や環境が原因なのではないか?
つまり割れた匙で計量ができないように、最初から問題がある状況だから”叱る事は影響しない”というデータを出力してしまうのではないか?
私はあくまで自主的に母を制御した(と思っている)訳ですが、それができない人が残ります。
脳が萎縮し、自主性を育む事が出来なくなってしまった人が残ります。
叱られない方法を考える事ができない人や、思い付いても実践できない人が残ります。
そうなると叱る事に意味ないと主張するのに十分なデータ”だけ”が残る事になりませんか?
褒めるにしても、知力を褒めると学力が下がり、努力を褒めると学力が上がるという研究結果があったり、なかなか面白いですよね
それは一理あるかもな
優秀な人ほど天才と褒められることに違和感を覚えるらしい
違和感を覚える人ほど優秀じゃなくて優秀な人ほど違和感覚えるの悲しいよな。
俺も天才って言われると違和感覚えるのに無能
@@user-pb6gx8ye7i無能なのに周りに持ち上げられると、周りの人を騙しているようで心苦しいよな
トラウマ級に怒鳴られると、そうならねぇように、嘘をつくようになる。俺もそうだった
あんまり褒めたり叱ったりすると、上の人の機嫌を取ることが目的化しちゃう
子供だと「こうすると褒められる、叱られる」というだけで本質的に何が良いか悪いか理解しなくなる
会社だとミスやトラブルを隠したり現場の判断で無理矢理対処しようとするようになって大惨事を招く
叱責が増えると隠蔽改竄が増える気がしますねぇ
それな いま叱られないようサボってる
まあ社会に出て役に立たなければ解雇されるだけだしな
頻度というよりは「なぜ褒めたのか」「なぜ叱ったのか」をちゃんと理解させるやり方をしなきゃなって思わされる
怒る理由がストレス発散だと自覚してるサイコずんだ最高
叱る事で自分がストレス発散…
こう言う上司が昔いたなぁ
「お前のために」とかふざけた事言うやつより、「オレがスッキリするために」の方がよほどマシだな。
統計学的に資本主義社会が「運」ゲーって証明されてるから、ワイは買ってない宝くじが当たって空から美少女が落ちてくる「偶然」を座して待つことにするよ。ありがとうズンダモン。
この話の肝って「叱るのか褒めるのか?」というべき論よりも、人間には認知バイアスというやべー物があるから気をつけろって話しだと思う。
例えば、先生が能力Bが劣っている事を理由に子供を叱った場合、
1. 能力Bが伸びたのが叱った結果の場合
2. 全く別の要因で能力Bが伸びた場合
の可能性が存在するはずだけど叱った本人目線では、
「俺が子供を叱ったという"行動"に対して能力が伸びるという"結果"を得た」という因果関係を見出してしまう。
もっと言えば上記の認知バイアスが重なる事で「他の人は無意味に叱るが私は相手との関係性を築いていて適正に応じて叱る能力を持つ」というバイアスに発展する可能性すらある。
こうなると他人がいくら叱る事は良くないと否定してもそれらを無視し続ける動機が発生する。
叱っても伸びる人は100%いない!というただの推測ではなく、そもそも人間の科学力はまだ「何が本当に人間の能力の向上に寄与するのか?」
という事については解明どころか氷山の一角すら分かっていないという事だと思う。
アドラー心理学だと褒めるのも叱るのも良くないんだよね。
いまこの本の読書感想文書いてる
やっぱり叱ると機嫌を取ることが目的になってやりたい事とか意志がなくなって将来困るからやめた方がいいね、
人は自身の興味や教育、偶然でしかより合理的な直観を得られないから、人間の知性って諦められがち
実際投稿者も諦めて愚痴的に動画投稿してるとこはあるんだろうけど、まあ偶然このチャンネルを見つけて知れたことに感謝です
こういう倫理絡まない話題が教育に組み込まれたら幸せも増えるだろうな
この動画のおかげで、クソ上司からたまのミス怒られても「オメーに言われなくても次は間違えねぇってデータがあんだわ、カスしね」って堂々と思えて仕事が楽になった
『あらゆるものには一時的な上振れ下振れはあるからそれに振り回されすぎるのは良くないよ。』
『一回いい結果を出したとしても、悪い結果を出したとしても、それは多分たまたまだろうから、しばらくは暖かく見守ってあげようね。』
ってことなのかな、わかりやすかった……
しばらく待って上がりっぱなし、下がりっぱなしだったら、前より努力するようになったとか、勉強する時間が取れなくなったとか、何かしらの変化があったのかな?と考える。結果やその過程に反応するのは何回か同じ結果を出してから、と個人的に解釈しました。
あとコメントを見て思ったのだけども、どのような結果だったとしても、叱るより、いい結果を出せるようにするためのサポートの方が本人にとって100倍いいことなんだろうな。
悪いことをした時は流石に叱るべきかもしれないけど、どっちにしろ本人を自身のストレス発散や自己満足の道具に使ってはいけないよね……無意識にしてるかもしれないけど。
こういうコミュニケーション行為を語る時の大前提として、信頼関係があるかどうかはめっちゃ重要視してる
平均値からは出られない
考えようによっては結構残酷な話よね
赤いカブトムシ同士を掛け合わせて、より赤いカブトムシを作り出した人がいましたね。
大きいカブトムシから出来る子供の中央値が右側に寄っていたことから、
何代も意図的な交配をしていくと品種改良的な感じでより大きいカブトムシを作り出すことができるんだなと思った。
可能性は上がりますが、果てしない道ですね。長い時間と膨大な繁殖、厳選をすればスーパーヒューマンもできるかも。
@@kojitadokoro1448 なんかワンパンマンでそういうキャラクターがいた気がする
集団の平均を上げれば、次の集団の平均も上がりやすいとかあるのかな?
それもとも、それ自体も平均の回帰でもっとデカい集団の平均に回帰していくものなのかな?
前者なら意図的な交配で大きくなることが立証されているけど、後者なら立証されないな?
@@Shishamoequalroot-1equali
テラフォーマーズのニュートン家
大学で習ったはずなのに今知ったレベルで分かりやすい
命の危険がある時は叱ろうねって思います
努力プロセスを聞いて、言語化してあげて、メモしてあげて、努力を褒めてあげると、結果よりもプロセスに意識が向いて工夫や試行錯誤するようになるから、ずっとやってます
概ね納得感あるけど、「能力が変化しない」ことを前提にしてません?
特に子供に関しては短いスパンで変化しますよね
叱る意味が無いは同意だけど、点数の変化を完全に統計に落とし込むことには違和感ある
範囲の違いの点数の差なんて偶然以外の原因が明確にあるし、教師や親が偶然と切り捨てずに向き合って対応することでその後の点数は変わりそう
内容わかりやすかったです
それにしてもずんだもんは懲りないな…
これ見て子供にダメなことはダメって怒らない親があらわれませんように…情操教育は大事
この動画の範疇は凄くいい〜普通だからねー
〜良くないについてのことは書いてないしねー
もしダメだとしても、怒るメリットは無いと思う 教えればいいだけで
間違えたら相手は既に反省してるからわざわざ追撃して萎縮させる必要はないと思うし、
自省してなくても、どのみち怒った所で反省しないからわざわざ怒る意味もない気がする
@@x-ray3800 たしかに
ダメなことはダメと言って叱れば、ちゃんと悪いことをしてしまったときにばれないように隠すようになりますね
内容は非常に面白く、叱る自分を諌め、称賛することを心がけようと思った
ずんだもんが褒めることの正当性を叱るような口調でさとすところに、ずんだもんが理不尽に叱られた背景を鑑みれるのも面白い
とても面白かったです〜❣️
この理論において成長とかってどういう現象なんだろう
(受験勉強で偏差値が上がるみたいな)
いつも通りの入力に対して出力が上ブレ下ブレすることに対してはそうと言えそうだけど、やはり何かしらの原因があって点数が上がったり下がったりしている場合もあるので、その辺ちゃんと調べないといけないはず
「締めるとこ締める」っていうのは、「ルールを守ったことを褒める」ことであって「ルールを破ったことを叱る」ことではないんですよね。
褒められれば自主的にルールを守ろうという向きに育つけど、叱られたら見られていないところでルールを破ったり、そもそも言うことを聞かないように育ったりする。
人をコントロールする効率が段違いで、叱ることは網持って予想もつかない方に逃げる虫を捕まえようとする行為だけど、「褒められる」という餌を置いとけば1直線に向かってくるので、褒めて伸ばす方がよほど楽。
普段ふつうに接しておいて失敗した時にしかる事と、普段甘々に接しておいて失敗した時に「スン・・」と塩対応することは、落差的には同じなんですよね。何も指導や躾をしない事に不安を感じる上司や親は、後者のやり方をすればええのです
ユンボで轢き殺すとか建設関係者じゃないと出てこないんだよなぁ……
ずっと思ってた。
叱ると怒るって余裕で一緒だよなって。
たまに「怒ってるんじゃなくて叱ってるんだ」っていう奴いるけど、お前が怒る口実を見つけただけだろってずっと思ってた。
有能な政治家の子供は有能な政治家ではないってことか、
褒めると知恵が付き
怒ると悪知恵が付く
叱ると知恵が付き
殴ると悪知恵が付く
これってつまり、𠮟っても平均値から出られることはないけど、どれだけ褒めてもまた同様に平均値から出られることはないから、褒めても𠮟っても意味無いのでは?
必要なのは信賞必罰だと思いますね
逆に言えば褒めるに値しない事を褒める、罪に値しない事を責めるのは逆効果と言えます
人間は概して粗探しに終始しがちで、褒めることを忘れるから、褒めすぎなくらいでいいんじゃない?
これはとても良い動画
めちゃくちゃ面白い 因果関係の罠だなぁ
人は自分で助かるしかないというのは人生の真理だったのだ
なーるほどねぇ、勉強になりました
ただ
わたしの上司は平均100できなくて80とかだと「ブチ殺すぞ!」と怒鳴られ、頑張って120できたら「なんで150できない!」と怒鳴られ、150死ぬ気でやれば「200できるはずだ!サボんな!」と怒鳴られ・・・とうとう病み精神障害2級すわ
つまり、統計学での理論より人間は感情で喋るということ
私はその上司がひとでなしなだけなように思えるけど
投稿者頭良さそう
ピグマリオン効果とかいうやつですかこれが…
なるほど、平均値が見えない日常現象だとサンプルサイズが足りてるか分からないからさらに勘違いが進みやすそうですね。。
面白い!
昔のしかる教育というより、しごく教育っていう印象が強いですね
褒めるのも叱るのも両方大事。
ただし、これだけは言える。
怒鳴ることだけは絶対にしちゃだめ。
個人の感想ではありますが、少し腑に落ちない点があるので、コメントさせていただきます。*理解しやすいような簡潔な説明を趣旨としている動画に対して、細部を指摘するというのはお門違いであるというのは理解しています。また、私は主や他人を非難するという意図はなく、ただ単に疑問点や主張をコメントしただけです。不快に思われたら申し訳ございません。間違っていると感じられたらコメントをお願いいたします。
気になる点が3点あります。
1 しかる・ほめるの定義が明確でない
辞書によると、しかるは、「相手の非をとがめ、きびしく注意する。」、ほめるは、「人のしたこと・行いをすぐれていると評価して、そのことを言う。」とあります。ですが、一般的に、広義の解釈としては、ただ相手を罵倒してストレスをぶつけることや、優しく諭す、適切なタイミングで相手にアドバイスをするというのも場合によっては𠮟ると解釈されると思います。これらは同一に意味がないということでしょうか?確かに罵倒するだけなら意味がないかもしれませんが、アドバイスは意味がないとは言い切れないのではないかと考えます。部活の強豪校やプロスポーツチームなどでは、コーチや選手、または選手同士が互いに強い言葉を使い合う場合がありますが、これも𠮟ると捉えた場合、意味がないかと言われると少し疑問ではあります。また、現実世界では数値化が困難な場合や適していない場合などがあります。このシチュエーションでは、うまい具合に平均回帰の理論に落とし込むことが困難であったり、落とし込んだとしても、それに意味があるのかと思ってしまいました。なので、ケースバイケースではないかという意見です。
2 しかる・ほめるというのは環境ではないのか?
周囲の人間関係は、環境と考えても差し支えないはずです。その環境の中で、しかる・ほめるという行為がなされる場合、それは環境と考えることもできます。この場合、その良し悪しは置いておくとしても、対象となる人物に影響を及ぼす変数に成り得るのではないかと考えてしまいます。
3 時間軸と統計を個人に当てはめる場合の問題点について
テストの点数が分かりやすかったので、テストの点数を具体例にします。動画では、
80 80 80 80
と点数が続いた場合、今までの結果から平均が80なので、次に60を取ってもそれは偶然であり、いずれ80付近に戻るという趣旨の発言がなされていました。ですが、この後の推移が以下のようになった場合はどうでしょうか?
80 80 80 80 60 60 60 50 50 60 40 50 ...
今回の例では、平均点が62.5となり、明らかにテストの点数が低下している傾向が見られます。つまり、先ほどの「平均が80なので、次に60点を取ってもそれは偶然であり、いずれ80付近に戻る」という仮説は棄却はされませんが(一時的な停滞で戻るかもしれないから)、そのまま主張できるかというと怪しいのではないでしょうか?平均点が下がってしまった原因は、色々と考えられますが、ここで問題なのは、平均を早く決めすぎており、しかもそれを使い続けてしまったことが問題ではないでしょうか?つまり、この平均回帰は、平均値がある程度理論的に正しい(分析に使っても差し支えない)と言える数値でなければ、妥当性のある結論を導くことはできないという性質があるのではないでしょうか?また、この場合、対応が2つに分かれると思います。1つはこの子の平均値を設定し直して、62.5点を取る子供であると再定義することです。そうすればこの子は次からこれに近い点数をとるとすれば、理論的には問題ないと考えられます。ですが、これは教育的に考えて正しい選択でしょうか?私は、この時点で何かしらの対策をする(しかる、アドバイスをするなど)のも悪い判断ではないような気がしてしまいます。固定コメントの主の返信を見る限り、放任主義的な思想を持っているように思えますが、それはあくまで全体の話であり、個人単位では、しかる当事者も環境の一部であると考えると、一切の指導(しかる、アドバイスをするなど)が必要ない、無意味という主張をする理由には少し心もとないように思えます。
話がかなり逸れますが、テストの点数ではなく、社会的に迷惑な行為を例に考えます。その行為をしたものは、その周囲の人々、(場合によっては警察や法)によってしかられます(場合によっては罰せられる)。ですが、この場合、しかるというのは、その迷惑な行為をしたものの行いを正そうとする、という意味もありますが、それによって地域、コミュニティー、広くは社会を保護するという役割もあります。例えば、高校で模試中にお菓子を食っていたり、授業中に会話をされると周りに迷惑がかかります。この場合、その生徒をしかる(その生徒への影響がどうであれ)という行為をしないと、その模試や授業といった集団的行為が妨害されます。この意味に置いて、私は迷惑行為をした生徒をしかるべきであるというように思えます。たとえその生徒の行動が改善しなくてもです。
つまり、しかるという行為は、確かにその、しかられる対象には良い影響を及ぼさないかもしれませんが、場合によってはそれが環境を形成する重要な要素になる場合があるということです。
動画の趣旨と私の論点がずれているのは自覚していますが、教育という観点から見たときに、テストの点数などの数値化が比較的容易で適していることだけをピックアップしてそれが平均回帰に当てはまっているというだけで、しかるという行為を否定するというのはあまり腑に落ちないという意見です。また、固定コメントに
「私は仕事柄教育機関に所属してる方とよくお会いするんですが、これだけ研究結果が出ているにもかかわらず、教育機関内部にも未だに叱ることに意味があると思っている人がたくさんいます。「昔叱った子供が今は大成してるから、叱ることは大切なんだ」だとか「自分が子供の頃に叱られて目が覚めたから、叱ることは必要なんだ」みたいなチンケな自分の体験談を立脚点に、意味なく子供にストレスを与える大人がたくさんいます。何度も主張しますが、叱った子供が大成したのは、「大成する器を持った子供に、たまたま叱ったことがある」だけの話ですし、自分が子供の頃に叱られて目が覚めたといった話においては、「何も見えない目を覚ましたところで意味がないことを自分で証明しちゃってる」状態です。サンプルデータたった「1」に過ぎない自分の経験を全ての人間にあてはめようとするクソバカあんぽんたんが多すぎです。」
この部分は成績を上げるためにしかることと、悪いことをしたからしかる、ということが混ざっていませんか?この動画はしかる・ほめることで成績がどうなるかというのが趣旨だと思いますが、この教育機関の方とは成績の話をされたのでしょうか?
また、統計はあくまで全体の傾向としてそのように見られるというものなので、個別にそれが当てはまるかどうかはわかりません。さらに、統計は過去の事実に基づいていますが、人間(特に青年期)は成長します。となると、個人単位で見た場合は、一度設定した基準点を再度設定し直すというのも必要なのではないかなと考えてしまいます。(ただし、マクロや文脈、視点によっては間違えているかもしれないです)
長くなりましたが、私の主張をまとめると、言葉の定義が曖昧なので、視聴者の認識に齟齬が生じているかもしれないということ。そして、平均回帰はマクロ的には効果を発揮するが、短期的、個人的、には十分な効果を発揮できない場合もあるのではないかということ。さらに、成績の面に置いての「しかる」ことから、それを一般的に「しかる」ことへと、応用するのは論理に飛躍があるのではないかということです。長文失礼しました。なお、私の主張には誤解や、拡大解釈、論点のずれがある可能性があります。読んでいただきありがとうございました。
めちゃくちゃ参考になりすぎて他の動画見に行ったらじゅぽじゅぽサムネ出てきて笑ったw
とても分かりやすくて勉強になりました!ただ、統計学って、結果の集合に傾向を見出す行為だと思ってますが、その集合には叱った場合の結果も含まれてるわけですよね。そして動画でも触れられてますが、多くの人が叱る世の中。叱る教育にも一定の正当性が生まれてしまってるような。。それとも、叱る教育が廃絶されると、収束先の平均値が向上すると解釈したら良いのでしょうか。そのあたり機会があったら伺えると嬉しいです。
なんか夜に見て遅い時間に寝ちゃう
𠮟ってくれ
このずんだもんイントネ~ションが独特なのだ😄
分かりやすい
褒めるとつけあがり貶すと不貞腐れる
毒親の「常に100点!少しでも下がったら自発的な外的要因のせい!」はロジカルじゃないって分かるだろ?
この動画の結論だよ
11:55 これ、環境ガチャについてはなんなら親より恵まれてはいる(この話でいえば遺伝子ポイント20でも、餌のポイント40・環境のポイント40を親に用意してもらえる)だろうから気持ちはわかるわ
名門金持ちエリート政治家の息子が、エスカレーターなり留学なりAOなり家庭教師なりなんでも用意してもらえるその環境で一流大学に入れてなかったら、庶民に生まれていればFランク大生になっていたレベルの情けなさと評価されて仕方なくなる
環境ガチャは親より恵まれている?
山上徹也さんは悲惨でしたけどね。
親次第ですね。
まあ才能ってそういうもんだ
体がでかくなる奴はデカくなるしデカくなれないやつはなれない
叱ると言っても、感情的になってキレ散らかすのは流石にあかんよなぁ。
人は、いや脳は起こった現象に『理由』を付けたがる癖がある😊偶然生まれたという存在の不安定さを安定させるのかもしれない。この考えは自分で書いていても吐きそうになる。無という観測不能の世界は文字通り認識できない
0mmのカブトムシ
0匹のイナゴ
うん?0mmのカブトムシはちゃんと生まれてるし、イナゴたちもちゃんとケージに0匹いるぞ?
ある程度躾が出来た子供に叱らない教育をしていくのは意味がありそうだけど、まだ躾もなっていないガキの内から全く叱られない育て方をすると世の中や目上の人をなめ腐ったモンスターチルドレンに育つ気がする。
自分に都合の良い理屈で理論武装して嫌なことから逃げ続ける。
まさに劇中のくそ豆がそうだと思う。
これを子供のときに教えて、身長が高い男性がモテる社会を変えてくれぇ!
いや別に身長がでかくなる理由が何であろうが現に今身長が高いのは変わりないし
子供の身長を大きくするために大きい男が持ててるとかそんなわけじゃないだろうし……
おもしろい…チャンネル登録しますた
わかりやすい!
これめちゃくちゃ参考になるなあ
good job
13:30 100点取ってつむぎ先生に褒めてもらいたいだけの人生だった
平均回帰現象って強チェが偏って出ることみたいなことでいいよな
設定1しかないホールでボーナス確率が設定6以上で引けてる台を打っても
ボーナス確率は長期的には設定1に収束する、みたいな。
しかって伸びる人は100%いない!は推測統計学では?
自分・他人を傷つける行為を叱っても意味ないのか?と思ったけど、
よくよく考えたら刑務所は洗脳施設じゃないからなぁと自己納得してしまった。
もっとのびろおぉぉぉ
しかる教育 → ほめる教育 → おしえる教育
って遷移してるよね
ほめる教育で育つと承認欲求モンスターが生まれるらしい
あまりにも有益な動画を発見してしまった
褒めるそれ即ち評価するということ
叱るそれ即ち条件付き
怒鳴る恐怖政治
諭すそれ即ち見下す
確認するそれ即ちフラットかつ未来しか見ない
その人の思想と対策
協力する頼まれたことはやる
なぜできないかを言う
納得できるように言う
まあ人の上に立つような人の場合、たまには怒らないと部下にナメられて最低限の努力すらしなくなることがあるから、バランスがムズくて…
ポケモンの孵化厳選みたいなものか
あーなるほどね、「褒めるとどうなるか叱るととどうなるかっていうメカニズムの話が中心」というよりも、「対象の調子が悪い時にだけ行う働きかけのほうが『この働きかけに効果があった』と勘違いしやすいバイアスがかかってるよね」って話か ぼくも大企業の株価を叱ってのばすのだ!
動画の内容だとほめる意味もない気がするし、ただ単に因果関係の解明を待たず適当に試行錯誤でやっている人間の失敗が統計で可視化されているだけじゃないの
どちらも必要なんだなぁ
俺も欲しい。
めたん先輩のぬぎぬぎパンツ
成績の上下と禁忌を犯すのは根本的に違うんよな
この理屈だと生物って進化せず普遍なものってならないか?
平均から逸脱したもんが出んくなるってわけちゃうからなぁ
そいつが子孫残されへんかったら終わるけど
環境はあらゆる要因によって変わって行くものだから、環境がよくなればカブトムシが大きく育つように、突然変異した生物に適した環境が来れば進化は行われるものなんじゃないかな
この理論は、定常的な環境で結果が平均に近づくって話だから、より良い環境がずっと続けば大きいカブトムシは増えるみたいな感じだとと思う
バックでうっすらかかってる音楽なあに?
悪いことしたときもしからない方がいいの?
最後は本人の捉え方ですね
親が頭いいから助かる
単純に集団遺伝学でいうところの P=G+E やなw
カブトムシの画像が全部オスということに気づいた
それだけ
このずんだもんは、令和の両津勘吉ですわ
全上司はこれみてどうぞ〜 叱るのやめちくり~( ᐛ )
成績と確率って関係ないやろ
結局どういう教育をすれば良い人間が育つんだ?技術の習得であったり、勉強もそうですが、指導教育がなければ成長は見込めないと考えています。
その子の平均に任せて、あまりけつを叩くなってこと?技術の習得を渋っている部下を叱って無理矢理習得させることは意味がないから本人の平均に任せろっていう??
例えば同じ会社でも、支店によって活気や成績、規律や人の定着率、育成度など、支店長の力量にかなり左右されたりするのだなと感じています。まずこの感覚がズレているということでしょうか?
実際トップの力量で部下の成績が変わるというのは、数字がその子の平均よりも上昇しているからおこる現象だと思うのですが、その手腕は発揮しなくともその数字は勝手に出ていたということでしょうか??
ほめても叱っても人はその人の成長速度でしか結局は成長出来ないということ?
@@user-de8kg6xq2q
コメントありがとうございます。
結構ブラックな会社で管理職やってますので、若い新社会人さんや学生さんとは色々ズレていると自覚があります。こちらの感覚としては彼らが間違っているのですが、、、。
この動画はあまり指導や教育に関して言っているものではなく、もっと単純に平均回帰現象の紹介のみにフォーカスしたものだったということでしょうか?
これはズレてる
そりゃそんな人が管理職なんかやればブラック企業ができあがるわ
生産性が低くても待遇を保障してくれるホワイト企業が良いのは分かりますが、そんな会社は潰れてるか、残ってたとしても入社させてもらえません。
特に優秀でもない人々の入社を受け入れている会社の殆どは、入れてから育てなければ採算合わないような業態ばかりだと思います。
程度はあれど、新人たちの成長は会社の生存のためには不可欠です。新人に利益を生み出すスキルなどないのですから。その成長に指導や教育が必要だと考えているので、日々の仕事や成果、取り組みなどに口出しするのですが、これはやってもやらなくても同じ結果にしかならないということですか?というのが聞きたいことてす。
主の説明しているのはやってもやらなくても結局は平均回帰だというような内容に思えたので質問だったのですが、そんなにズレていましたか?
正直、どこがズレているかあまりわからないです。
あ、固定コメントで答え出して頂いていました。
結局は出来の悪い人は叱っても効果ないからしかってもしょうがない。叱ることで努力するようにはならないから𠮟らないということですね。
叱る以外のことでその人の成長を促していかなければならないということでした。
教育や指導なども否定されているのかと思っていましたが、叱ることが成果に繋がることはないという内容でした。
長々と失礼致しました。
褒める叱るは置いといて、
学力テストは分散が小さくないとダメなので、論理展開がアレだなぁ
普段から40-60点を取る子が80点を取ったからって喜んでもあまり意味はない
テストか解答方法が偶然性に頼ってるってことなので
というのがこの話
普段から60点ばかり取る子が80点を取ったら、テスト作成者は偶然性に頼らない良問を作る優秀な人で、子の学力が上がったと考えるのが妥当かな
競走馬の遺伝とか、どう解釈するのかね。遺伝は偶然だから、どんな馬でも、馬の平均に脚力は近づいていくのかね?
その論理でいうと、法律違反者に処罰を与えるのは間違っているということ?
だから執行猶予とかがあるんじゃないですかね?再度その違反者が法律を犯すなら平均が処罰していいラインになるわけだし
しかし法律違反者に処罰を与える事を間違いとすると社会秩序は崩壊し無法地帯となってしまいます。法律と処罰は罪刑法定主義により予め制定されています。法律は一定の社会秩序維持と共にその実現によって犯罪や不法行為の抑制効果が存在します。上記コメントは『約束を破ったら怒るよ』と予めお互いが了解したのにいざ約束を破り怒られてみれば理不尽であると逆ギレするかのような不合理な理論です。会社で少しミスをしてしまったりテストで悪い点を取るといった日常の些細な事に叱って対応する事と予め制定されている法律に違反し処罰を受けるという事では訳が違うと思います。
@@souleater1728
そうです。
17:25のような極論を許すのであれば、「処罰」について秩序の形成や抑止効果に意味がないとしなければならないのです。
因果関係の錯誤を助長する側面があるとして、それを以て「処罰」を否定するのは誤りではないかと動画の内容については指摘したい。
事前に定めたルールを破ったか否かという点で条件が変わりそうな気も確かにしましたが、
暗黙的に罰則が承知されるような事象については、やはり、事前に取り決めがあるかどうか関係ないように思いました。
(e. g. 売上の極端な減少、物を壊した、悪口を言った...etc)
@@user-Root938
サンプル数を増やして平均に近づけようという論理ですかね?
そうなるとチャンスが2回というのが適当なのか?とか、執行猶予のない刑罰はどうなのかとかという疑問が出てきますね。
@@まっきぃ-l4d よく考えたら現実ではあり得ないけど思考及び構造上こうなるってことやんな
そりゃ噛み合わないわけだすまんかった
形式に依存して、どちらが正しいかと極論に陥るのはよくないですよ。
俺の親勉強とかを強制させるとかでは怒らんけどモラルマナーだと結構怒ってくる
味方を減らして(せっかくかばってくれた相手を怒らせるような事をして)敵を増やすという、愚かなお調子者のずんだもん……。
こういう時は、これ以上味方を減らす様な言動(かばってくれた相手を怒らせてしまうような情報を、自分からベラベラ喋ったり)をしてはいけない……
(;=´人`=)
間違えて怒られるのと煽って怒られるは違うんよ
正直縄のほうがみたkk(((殴
21:09 うんこ
遺伝子は運でも環境は運じゃないだろ
運以外の何物でもないでしょ
@@ri1944 それはどうして?
自分がどういう場所に生まれて育つかとか選べないから運なのでは?
日本の平均的な年収の家庭とか治安も比較的いい環境に生まれ育つのと
治安ボロボロで薬中まみれのスラム街みたいな場所に生まれ育つのとか選べないし
ソクラテスかな
成績に関しては努力量と因果関係があるし、この論理が成り立つのは定常的な前提でのみ。環境が良くなり続ければカブトムシも大きくなり続ける。
しかし努力量はどう叱ろうが増えはしないのだ
俺は経験則で叱るべきだと思うし、歴史から厳格な教育が良いと思っている。
@@ri1944
減りも増えもするよ。
@@shoujimiyagi6461 固定の補足読んでどうぞ