西南戦争最後の時、攻め手の山縣有朋から西郷への最後の悲しい手紙

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  • Опубликовано: 2 фев 2025

Комментарии • 11

  • @ここをキャンプ地にした
    @ここをキャンプ地にした 3 месяца назад +9

    後年に権力の巨魁となった山県からは想像もつかない、熱意と真心のこもった良い手紙だね。
    山県にしてみりゃ、自身が巻き込まれた山城屋事件から守ってくれた存在でもあったし、軍政家としての能力を高く買ってくれた直属の上司だったからね。西郷の高潔な人柄にも心酔してたみたいだし、山県の心情を察するに、こんな悲しくて虚しい激戦の果てに心酔するかつての上司を殺さなきゃならない。そりゃこんな戦なんか嫌だよね。

  • @のりたまご-z9e
    @のりたまご-z9e 3 месяца назад +8

    当時、唯一人の大将であり、山縣の直属上司で失脚からの復帰の後押しをしてくれた西郷に自刃せよとは到底言えない。
    なので、その一言を使わずにそれを薦めるために書いている。
    相当長い文章であり、まとめきれなかったのか、感情が先走りすぎて乱文になったのか。
    泣きながら書いたと言うのが心打たれる。

  • @哲男川瀬
    @哲男川瀬 7 месяцев назад +8

    素晴らしい内容ですね、涙が出てきます。

  • @ひろ青野
    @ひろ青野 7 месяцев назад +9

    世の中が変わろうとしている方向を西郷さんは自らの命を使い、、、😢

  • @taka3399-n6n
    @taka3399-n6n 2 месяца назад +3

    山県は西郷と大久保そして従道、大山の板挟みだった。しかし結果、戦後は薩摩閥が分裂し長州閥が政治の主導権を握った。

  • @gg4t
    @gg4t 3 месяца назад +4

    兄貴分を
    思っていたが
    道が変わった
    つらい弟の苦しみ

  • @鈴木暁-v6z
    @鈴木暁-v6z 3 месяца назад +3

    盗っ人狂介が!