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哲二さん、なんだかエレガントになられましたね!現役の頃は、鬼のように怒り出す姿が焼き付いて、ギャップが素敵。
個人事業主って、まさにそうですね。みんなプロ意識の塊のような方々でした。
昭和サイコーこのメンバーでマジ続けてください!
「ヤバイ奴をマーク」当たり前ですが大事な事 松木さん最高です。セレッソ大阪監督時代の話して欲しいと思いました。
オフトって日本代表で初めて日本を指揮したと思ってたけどドーハの10年前から日本リーグでヤマハ(ジュビロ)やマツダ(サンフレッチェ)を指揮してたのか。あれから30年、オフトも76歳。
お国のためだよ。都並さん、名言です〜〜♪
都並敏史著の「狂気の左サイドバック」以前読みました。なんで全然使われなかったかって・・走れなかったというのは結構衝撃だったな。意地で断っても良かったけど、怪我人を呼ぶということがもう時代かなあ。今度は森保監督について何本もトークして欲しい。需要は高いと思う。
本当に面白いです。次回が楽しみ。
こんばんは🌆今日も良い話聞けてよかったです❤次の動画楽しみにしています♪
新しい企画で水沼貴史さん、都並さん、木村和司さん、松木さんとか1986年日本代表座談会とか見てみたいです😊。もしくは武田修宏さん、菊原志郎さん、三浦泰年さん、堀池巧さんとかの80年代読売トークとか。松永成立さん、森下申一さん、松井さんの日本代表キーパー座談会とか😅
なんかすごい共感できるし時代を感じるな〜 自分も野球とゆうジャンルで同じ時代を生きたが同じだったな〜 まさに昭和😂
松木さんがオールスターって話していたので思ったJリーグオールスターゲーム最近やらないよな~地味に好きなんだよな。
熱いいい話!
4:03 香港のはダイナスティじゃなくて、カールスバーグですね。スイスのA代表や、デンマークのBチームと戦ったんですよね。日本もBチームだったけど、福田&中山とかのレギュラーの他にもベンチ入りの選手もいて、ほぼ1.5軍だったんですよね。戦力の底上げて名目だったけど、都並さんもいたから、あまり底上げにはなっておらず。まあ、ここで澤登が抜擢されましたが。しかも、ヴェルディとマリノスて、元日に天皇杯やってるから、両チームから唯一選ばれた都並さんは、結局休みなして感じだったんですね。翌2月から5月のJリーグ開幕までも、ずっと日本A代表の活動でしたし。
ここに井原正巳とラモス瑠偉が居れば、もっと意義のあるエピソードが掘り下げられるがwwwww
試合で足を怪我した時に近くの大きな病院でたまたま診てもらった田渕健一先生が当時読売クラブのチームドクターでしたラモスさんと同じ手製のサポーターを作って貰ったのがいい思い出です先生もすでに亡くなられたそうで残念です
前回からの後日収録ではないから質問とかあらためて聞けないのが残念😅。ドーハーの最終予選いやな言い方だけど都並さんの同行あったからチームがバラバラにならなかったと思う。カズさんもラモスさんも福田さんも失礼だけど身勝手な人らだから、ある意味、ムードメーカーでもあった都並さんのためにって一丸となれた気がする。勝矢さんは同級生で都並さんのかわりにでてるからよけいに気持ちが入っていただろう。
身勝手とは決して思わないが、都並さんが加わることで更にまとまったと思うし、オフトもそれを期待して声掛けしたと思います。
11:42 OKをもらいに行く という今の時代にないパワーワード😂
良いか悪いかは置いておいて時代が違いすぎる(笑)
レジェンド軍団だ!🐱
松木さんの最後の話は加藤久さんのことだよな(笑)加藤さんがぶちぎれて中で守備しろや、とマジげんかしたやつ。(笑)奥寺さんは左サイドバックだからマークいらねぇーだろがヽ(`Д´#)ノと試合後も揉めたらしいし(笑)負けたらお金つまり試合給でないくなるからと(笑)加藤さんは加藤さんで松木さんのせいだというし(笑)
マジで面白すぎた
当時のレギュレーションは確かに過酷だったけどかと言って日本がW杯行けてこそこ通用したかは全く別の話だと思う他の国だって同じ条件になる訳で、あの時代の日本はやっぱりW杯行けるかとうかの当落線上の国だったとな思うなぁでもあのメンバーが日本を熱くした、サッカー人気を爆発させた事実に変わりなく個人的にも好きな選手たちですね😊
北澤さんの2歳上の先輩になっていた可能性がある、サッカー大好き男です。ハッタリではなく、修徳高校の受験に受かりましたが、他の高校に入学をしました。
みんなすげえな、俺はあばら骨折れたあとフットサルで7試合戦った。折れてるのは知らんかった
配信終わったと思ってた😅野球とバスケの対談とか配信されていたからさ😮
大爆笑です 👏👏👏
今では考えられない時代でしたね😅
握手じゃなくてパチーンw
肝炎のまま90分+延長戦はしぬww
試合に出れない選手で1枠埋めてしまう。今なら大会期間中に骨折すればすぐ離脱して治療。時代だなあ。
しかし今でも思うなあ、代わりに他のサイドバックいなかったのか?って。勝矢、三浦、江尻だっけ?他にいなかったのかね?
ドーハの悲劇になると、いつも左サイドバックの替わりがいなかった、と言われるけど、左サイドバックで守備が破綻したのはイラン戦の1度だけ。オフサイドトラップを三浦ヤスが判断ミスした。それ以上にCB2人(柱谷・井原)の替えが利かなかった。中2日の強行日程で行われた5試合すべてに出場したのはCB2人とラモスとカズの4人。故障中の柱谷をフォローして井原も疲労のピーク。イラク戦では井原も柱谷も競りに行けずハイボールから2失点する。後半開始直後のラディのゴールはハイボールのクリアーミス。直後からラモスが最終ラインに入ってカバーする。そこで中盤が空洞化してイラクにルーズボールを拾われ波状攻撃を受けてしまう。中盤のプレス強度を回復させるべく、ディフェンスの選手らが「北澤!」って叫んでるのが音声で拾われてる。しかし、オフトは福田や武田を投入して攻めろと言い出す。最後はジャファルのヘッドに誰も身体を当てに行けてなかった。
イラク戦の終盤でオフトが武田や福田を起用したことは日本のメディアで散々議論されたけど、「オランダのサッカーには守りの哲学が無い」という解説をNumberで読んだ記憶があります。1990年代のオランダはPSVの4-3-3システムを代表でも採用していて、オフトも日本代表に4-3-3システムを持ち込んでいる。このシステムは両サイドのワイドウイングとウイングバックで攻撃を組み立て、終盤になると両サイドの選手を交代させることで攻撃を再活性化する。1993-1994オランダとオフトの交代策が全く同じなんですよ。オランダだと右ウイングがオフェルマルスとボータース、左ウイングがタウメントとロイで、アクシデントが無い限り、全試合でウイングを替えている。オフトもウイングの長谷川(もしくは吉田)を交代させる頻度が高い。ボランチを増やすという発想は全くない。イラク戦の交代が長谷川→北澤で、ラモスを1つ下げて5バックにしていたら、あの試合は勝てた。そもそも、根本的な問題としてオフトジャパンはCBの選手層が薄かった。
@@rolfgrande 全くうろ覚えだけど、江尻、勝矢も予選前に使われてなかったっけ?江尻なんかは使ってダメだったみたいな記憶になってる。勝矢は上がらないけどチームの守備力は上がったみたいな。俺の記憶違いか…
@@kazunakaga9396 オフトは就任してから両サイドバックを堀池と都並に固定していました。'92広島アジア大会、'93アジア一次予選、全試合で堀池と都並だったはず。サブに勝矢1人。選手登録数からして今と違っていて、各ポジションのサブを1人だけベンチに入れていました。都並が骨折した直後から勝矢と堀池で固定しています。CBのサブでは大嶽が選ばれていましたが2年間で1試合も出場無し。何のために大嶽を呼んでるんだと批判されていました。あのイラン戦だけ、本職でもなければ、これまで1度も起用したことのない、三浦ヤスを左サイドバックで起用しています。オフトは完全にメンバーを固定していてサブとして招集されている選手がほぼ出場経験無しです。
@@kazunakaga9396 アジア1次予選のドバイでのタイ戦で、井原が1発レッドで退場するとラモスがCBのカバーに入っていました。アウェイシリーズではタイ戦だけCB大嶽をベンチに入れなかったら井原が退場して。ラモスが元CBだから事なきを得たけれど、現代の代表チームの選手起用法からすると、オフトジャパンは恐ろしいほど選択肢が無い。アジア最終予選直前のスペイン遠征で2部チームや3部チームとの3連戦で全敗してからラモスがブチ切れました。江尻はスペイン遠征のベティス戦(当時2部)で前半のみテストしています。ガチャガチャとチームをいじくり倒した挙句に従来の固定メンバーそのままで最終予選に臨みました。
昭和しか勝たん
冨安とか三苫とかのこと、ヤワだなと思ってそうだな
けど怪我して無理に試合出てない方が結果としていいチームで長く活躍できてるんだからそうは思ってないんじゃない?試合の強度もjリーグとプレミアじゃ全然違うし良くも悪くも時代ってことよ
昔は根性論でやっていた感がありますね
みんなふくよかになったな
メチャクチャだな笑The 昭和
も~、走っちゃダメ(笑)怖い怖い怖い。
昭和メンバーつえー…
8枠内って中東マネー?
哲二さん、なんだかエレガントになられましたね!
現役の頃は、鬼のように怒り出す姿が焼き付いて、ギャップが素敵。
個人事業主って、まさにそうですね。みんなプロ意識の塊のような方々でした。
昭和サイコー
このメンバーでマジ続けてください!
「ヤバイ奴をマーク」当たり前ですが大事な事 松木さん最高です。セレッソ大阪監督時代の話して欲しいと思いました。
オフトって日本代表で初めて日本を指揮したと思ってたけどドーハの10年前から日本リーグでヤマハ(ジュビロ)やマツダ(サンフレッチェ)を指揮してたのか。
あれから30年、オフトも76歳。
お国のためだよ。
都並さん、名言です〜〜♪
都並敏史著の「狂気の左サイドバック」以前読みました。
なんで全然使われなかったかって・・走れなかったというのは結構衝撃だったな。
意地で断っても良かったけど、怪我人を呼ぶということがもう時代かなあ。
今度は森保監督について何本もトークして欲しい。需要は高いと思う。
本当に面白いです。次回が楽しみ。
こんばんは🌆
今日も良い話聞けてよかったです❤
次の動画楽しみにしています♪
新しい企画で水沼貴史さん、都並さん、木村和司さん、松木さんとか1986年日本代表座談会とか見てみたいです😊。もしくは武田修宏さん、菊原志郎さん、三浦泰年さん、堀池巧さんとかの80年代読売トークとか。松永成立さん、森下申一さん、松井さんの日本代表キーパー座談会とか😅
なんかすごい共感できるし時代を感じるな〜 自分も野球とゆうジャンルで同じ時代を生きたが同じだったな〜 まさに昭和😂
松木さんがオールスターって話していたので思ったJリーグオールスターゲーム最近やらないよな~地味に好きなんだよな。
熱いいい話!
4:03 香港のはダイナスティじゃなくて、カールスバーグですね。スイスのA代表や、デンマークのBチームと戦ったんですよね。日本もBチームだったけど、福田&中山とかのレギュラーの他にもベンチ入りの選手もいて、ほぼ1.5軍だったんですよね。戦力の底上げて名目だったけど、都並さんもいたから、あまり底上げにはなっておらず。まあ、ここで澤登が抜擢されましたが。しかも、ヴェルディとマリノスて、元日に天皇杯やってるから、両チームから唯一選ばれた都並さんは、結局休みなして感じだったんですね。翌2月から5月のJリーグ開幕までも、ずっと日本A代表の活動でしたし。
ここに井原正巳とラモス瑠偉が居れば、
もっと意義のあるエピソードが掘り下げられるがwwwww
試合で足を怪我した時に近くの大きな病院でたまたま診てもらった田渕健一先生が当時読売クラブのチームドクターでした
ラモスさんと同じ手製のサポーターを作って貰ったのがいい思い出です
先生もすでに亡くなられたそうで残念です
前回からの後日収録ではないから質問とかあらためて聞けないのが残念😅。ドーハーの最終予選いやな言い方だけど都並さんの同行あったからチームがバラバラにならなかったと思う。カズさんもラモスさんも福田さんも失礼だけど身勝手な人らだから、ある意味、ムードメーカーでもあった都並さんのためにって一丸となれた気がする。勝矢さんは同級生で都並さんのかわりにでてるからよけいに気持ちが入っていただろう。
身勝手とは決して思わないが、都並さんが加わることで更にまとまったと思うし、オフトもそれを期待して声掛けしたと思います。
11:42 OKをもらいに行く という今の時代にないパワーワード😂
良いか悪いかは置いておいて時代が違いすぎる(笑)
レジェンド軍団だ!🐱
松木さんの最後の話は加藤久さんのことだよな(笑)加藤さんがぶちぎれて中で守備しろや、とマジげんかしたやつ。(笑)奥寺さんは左サイドバックだからマークいらねぇーだろがヽ(`Д´#)ノと試合後も揉めたらしいし(笑)負けたらお金つまり試合給でないくなるからと(笑)加藤さんは加藤さんで松木さんのせいだというし(笑)
マジで面白すぎた
当時のレギュレーションは確かに過酷だったけど
かと言って日本がW杯行けてこそこ通用したかは全く別の話だと思う
他の国だって同じ条件になる訳で、あの時代の日本はやっぱりW杯行けるかとうかの当落線上の国だったとな思うなぁ
でもあのメンバーが日本を熱くした、サッカー人気を爆発させた事実に変わりなく
個人的にも好きな選手たちですね😊
北澤さんの2歳上の先輩になっていた可能性がある、サッカー大好き男です。
ハッタリではなく、修徳高校の受験に受かりましたが、他の高校に入学をしました。
みんなすげえな、俺はあばら骨折れたあとフットサルで7試合戦った。折れてるのは知らんかった
配信終わったと思ってた😅野球とバスケの対談とか配信されていたからさ😮
大爆笑です 👏👏👏
今では考えられない時代でしたね😅
握手じゃなくてパチーンw
肝炎のまま90分+延長戦はしぬww
試合に出れない選手で1枠埋めてしまう。今なら大会期間中に骨折すればすぐ離脱して治療。時代だなあ。
しかし今でも思うなあ、代わりに他のサイドバックいなかったのか?って。勝矢、三浦、江尻だっけ?他にいなかったのかね?
ドーハの悲劇になると、いつも左サイドバックの替わりがいなかった、と言われるけど、左サイドバックで守備が破綻したのはイラン戦の1度だけ。オフサイドトラップを三浦ヤスが判断ミスした。それ以上にCB2人(柱谷・井原)の替えが利かなかった。中2日の強行日程で行われた5試合すべてに出場したのはCB2人とラモスとカズの4人。故障中の柱谷をフォローして井原も疲労のピーク。イラク戦では井原も柱谷も競りに行けずハイボールから2失点する。後半開始直後のラディのゴールはハイボールのクリアーミス。直後からラモスが最終ラインに入ってカバーする。そこで中盤が空洞化してイラクにルーズボールを拾われ波状攻撃を受けてしまう。中盤のプレス強度を回復させるべく、ディフェンスの選手らが「北澤!」って叫んでるのが音声で拾われてる。しかし、オフトは福田や武田を投入して攻めろと言い出す。最後はジャファルのヘッドに誰も身体を当てに行けてなかった。
イラク戦の終盤でオフトが武田や福田を起用したことは日本のメディアで散々議論されたけど、「オランダのサッカーには守りの哲学が無い」という解説をNumberで読んだ記憶があります。1990年代のオランダはPSVの4-3-3システムを代表でも採用していて、オフトも日本代表に4-3-3システムを持ち込んでいる。このシステムは両サイドのワイドウイングとウイングバックで攻撃を組み立て、終盤になると両サイドの選手を交代させることで攻撃を再活性化する。1993-1994オランダとオフトの交代策が全く同じなんですよ。オランダだと右ウイングがオフェルマルスとボータース、左ウイングがタウメントとロイで、アクシデントが無い限り、全試合でウイングを替えている。オフトもウイングの長谷川(もしくは吉田)を交代させる頻度が高い。ボランチを増やすという発想は全くない。イラク戦の交代が長谷川→北澤で、ラモスを1つ下げて5バックにしていたら、あの試合は勝てた。そもそも、根本的な問題としてオフトジャパンはCBの選手層が薄かった。
@@rolfgrande 全くうろ覚えだけど、江尻、勝矢も予選前に使われてなかったっけ?江尻なんかは使ってダメだったみたいな記憶になってる。勝矢は上がらないけどチームの守備力は上がったみたいな。俺の記憶違いか…
@@kazunakaga9396 オフトは就任してから両サイドバックを堀池と都並に固定していました。'92広島アジア大会、'93アジア一次予選、全試合で堀池と都並だったはず。サブに勝矢1人。選手登録数からして今と違っていて、各ポジションのサブを1人だけベンチに入れていました。都並が骨折した直後から勝矢と堀池で固定しています。CBのサブでは大嶽が選ばれていましたが2年間で1試合も出場無し。何のために大嶽を呼んでるんだと批判されていました。あのイラン戦だけ、本職でもなければ、これまで1度も起用したことのない、三浦ヤスを左サイドバックで起用しています。オフトは完全にメンバーを固定していてサブとして招集されている選手がほぼ出場経験無しです。
@@kazunakaga9396 アジア1次予選のドバイでのタイ戦で、井原が1発レッドで退場するとラモスがCBのカバーに入っていました。アウェイシリーズではタイ戦だけCB大嶽をベンチに入れなかったら井原が退場して。ラモスが元CBだから事なきを得たけれど、現代の代表チームの選手起用法からすると、オフトジャパンは恐ろしいほど選択肢が無い。アジア最終予選直前のスペイン遠征で2部チームや3部チームとの3連戦で全敗してからラモスがブチ切れました。江尻はスペイン遠征のベティス戦(当時2部)で前半のみテストしています。ガチャガチャとチームをいじくり倒した挙句に従来の固定メンバーそのままで最終予選に臨みました。
昭和しか勝たん
冨安とか三苫とかのこと、ヤワだなと思ってそうだな
けど怪我して無理に試合出てない方が結果としていいチームで長く活躍できてるんだからそうは思ってないんじゃない?試合の強度もjリーグとプレミアじゃ全然違うし
良くも悪くも時代ってことよ
昔は根性論でやっていた感がありますね
みんなふくよかになったな
メチャクチャだな笑
The 昭和
も~、走っちゃダメ(笑)
怖い怖い怖い。
昭和メンバーつえー…
8枠内って中東マネー?