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古代中国からは、色々な文化や習慣を教わってて、その事は素直にリスペクトしてるけど、宦官や纏足を採用しなかった見識は、流石だと思う。
科挙制度もね。遣唐使たちは冷静に中国を観察してたんでしょう。
もう一つ考えられるのは、当時の日本の女性が、女性だけでも組織を運営できるくらい優秀だったとも思います。女性の教養もありましたし、元男を採用する必要はなかったとも思います。
それは僕も思うけど、当時の女性の教養って庶民はどのくらいなのかなあ?秀吉の正妻のおねさんはそういう印象あるが、あの人一応、武家の家の娘さんなんだよな。大河ドラマだと、秀吉の妹(朝日)が「おら、字なんか書けねえだ」と言ってる、ぐらいの描写ある作品もあるからなあ。
中学生の頃から先生の本、読んでましたー!まさか先生のRUclipsチャンネルを見ことができる日がくるなんて…。良い時代になりましたね。ご活躍に感謝です。ずっと応援しております。
「日本の常識は世界の非常識」。どちらかというと現在は、「世界の常識はは日本の非常識」。日本は誇っていい部分が多いですよ。
一部の国が自分たちに都合よく決めたルールを「世界の常識」とばかりにゴリ押ししようとするのも問題ですよね。
歴史を知るほど日本の良さがわかりますよ
古代史好きで色々と勉強していますが、男尊女卑が家康からだったとは、目からウロコが落ちましたそう言われれば、縄文時代から平安初期頃まで日本の家制度は母系の妻問婚だったので、そもそもの日本人には男尊女卑や長男が家督を継ぐ男系相続の文化はなかった筈なんですよね
天皇は?
@@spikef7602 するどい
@@spikef7602 そうけい継承。
@@spikef7602 大変な職務だから女性は免除しましょう、みたいな
そもそも女性天皇はいましたよ
大奥を作ったのは春日局じゃね?男好きの家光になんとか世継ぎを作らせるために春日局が苦心して作らせたのが大奥。男好きの家光でも興味を引くような美女を集めたのが大奥の始まり。その春日局の策略は成功して家光には世継ぎができた。(4代、5台がそれ)大奥ができたのは家康の時代か秀忠の時代だったかは忘れたけどね。少なくとも春日局は初代大奥取締だったのだからね。大奥解説動画で春日局の名前が出ないのは不自然。江戸城大奥が特に厳しかったのは、春日局がそのようにルールを作ったから。当時の春日局の権力って老中にも匹敵するくらいの力があったから。
勝ち気でお転婆なタイプを選んだら女性もイケるようになったようで。
僕もそれ聞いた事あるなあ。葵徳川三代では、春日局がいかに家光の信頼厚かったか、が描かれてる。無用な集め争いが起こらぬ様に、家康に「竹千代(家光)こそが後継者である」という宣言をするよう頼んだり、女性に小姓風の男装をさせたとか…「(斎藤)福」っていう春日局の本名も出てたし。春日局って、女性としては破格の領地もらったって話もある。
春日局には大奥を作る権力なんかないのでフェイクである、みたいな説もあるから分からんなこれでも絶対関わってはいそうよな
家康さんのトラウマが大奥を作った‥. !? なるほど。あり得ますね。しかし、さすがの家康さんも幕府が傾くほど大奥が肥大化するとは思いもしなかっただろうな。
徳川家康と築山殿の関係はドラマティックですね。長男との死別もまた悲劇が。先生の解説は感情の推察を元になさってとてもわかりやすいです。ありがとうございました
日本は女性にも教養があるから大奥が出来るってのもあるのかな
家康は正妻を二度と持たなかったから大奥ができた。納得しました。
とっても勉強になりました。ありがとうございます。✌️
大奥の誕生理由を家康のトラウマ説にしているところが、おもろい🤣
本も面白いですが、RUclipsも分かりやすくて面白いですね!
なぜ本能寺の変が起きたのか?先生の話をきいて少しわかりました。儒教の教えのような目上の人やお世話になった人を敬う思想があまり浸透していなかったからということも関係してるんですね。とても興味深い話ありがとうございます!
歴史って面白いですよね。特に日本史は三つも四つも同時代で説があるのはザラですし、大奥作るきっかけが家康ってのも言われてみれば鶴首せざるを得ない感じですしね。
通説を否定することが学問だと思い違いをしている歴史学者が日本には多いですね。まるで恨みを晴らすかのように。
大奥と聞くと、よしながふみさんの『大奥』が頭をよぎります(内容は全く違うけれど)。大奥って春日局が作ったのでは?とずっと思っていました。確かに宦官って、日本史では聞いたことがない(『薬屋のひとりごと』では壬氏)。家康のトラウマが原因……なるほど。しかし朱子学に男尊女卑の考えが組み込まれていたことには驚きました。
面白い!
最近レジェンド&バタフライという邦画を観たばかりで、戦国時代に興味が少しわいたところに、こちらの動画に出会いました。分かりやすい解説ありがとうございました!
久しぶりにお姿を拝見しましたが、お声に年が出ていて歳月の流れを感じました。
面白いお話をありがとうございます縄文時代の土偶は女性の容姿で、そもそもは子供を産む女性が豊穣神として崇められていたことがわかります日本は古代から卑弥呼や天照大神などの女性が治める母系社会の上に、天孫の血を引く男系血統主義の天皇が形式的な権威として存在する二重構造の社会だったもので、皇族でも貴族でもない武家では母系社会が色濃く残ってたんでしょうね最近は女性の権利などと叫ばれていますが、日本には昔から男尊女卑の文化はさほどなく、女性を大切にしている文化だと思います
歴史学者の方は様々な資料を読み解き歴史の真実に迫る見解をされますが、文学の世界の方は人間とはの洞察からある意味ストレートに歴史を見るんだなあと感心しました。今回の築山御前のケースも徳姫が信長に送った書状から不可解な点や貶められた形跡など解説して下さる学者の方もいて、その話にも信憑性を感じてしまいますが、実際当時の人間模様から考えられる視点も実に面白かったです。こちらの説も妙に納得してしまいました。本当の所はどうだったのでしょうね。
色んな解釈があって面白いのが歴史ですね。他の歴史学者だと信長の約束で築山殿と信康は殺され切腹させられたとある。ただ、家康は築山殿を心底愛してたとも言われる。晩年になって2人とも出家させておけばよかったとか言ってる記録もある。
家康はコンピューターと言うか、「失敗からちゃんと学ぶ人」ですね。
えっと…… 大奥は、三代・家光の時代に確立したのでは…… あ、いや、家康の時代に大奥の基礎を作り上げて、家光の時代に春日局が確立したのかな。歴史って、色んな説があって知れば知るほど楽しいですね。
アレ?井沢先生の短編で、今川義元の命で子供を作れない身体にされた筈の元康は、長男信康が出来た時に築山殿が浮気して出来た子だと信じていた。だからろくな弁護もせずに二人を死に追いやった。ところが今度は次男の秀康が生まれる。当然浮気されたと思い冷たくあしらう。そして三男。流石におかしいと調べたところ、太原雪斎が義元の命に逆らいなにもしなかった事を知るって話が有りませんでした?
話としては面白いですが、大奥の制度は、たしか3代家光の時に春日局によって出来たと思っていました。家康は、将軍職を秀忠に譲ると駿府城に移っていますから、江戸城の大奥のことには口出ししていないのではないですか?また秀忠は側室を置きませんでしたから、大奥の必要がありませんでした。従って家康が大奥を作ったと言うのには少し疑問があります。確かに家康が朱子学を導入したことにより、日本に、特に武士に、男尊女卑の考え方や長幼の序、男系血統主義の考え方が浸透するようになったと思います。しかし、武士でも血のつながりのない子を養子にしたり、娘に婿養子をとることは普通に行われました。日本では血のつながりは中国や韓国より重要視されなかったように思われます。日本では実は本当に大事なのは「お家」であって、血統は二の次なのだと思うのです(中韓の血統主義には祖先崇拝と祭祀を絶やしてはいけないと言う宗教的なものが絡んでいるのだと思います)。実際、2代秀忠は正妻だったお江との間に男の子がいなかったにも拘わらず婚外子として設けた唯一の男子を引き取らず、そのまま他家の子としてしまいました。またたしか4代家綱が子供がなく亡くなったあと幕府は、鎌倉幕府のように、皇族将軍を迎えようとしたこともあったかと思います。血統があまり重視されなかったため、大奥の男子禁制は、それほど厳格ではなかったし、宦官も置かれなかったのではないかと思います。
お江さんの性格が家光を女嫌いにしたんだと思う。男色にふけり女に興味を持たないから、春日局が心配して貧乳の女を集めたのが大奥の始まりだって読んだことがある。
井沢先生、歴史学者じゃなくて小説家だから所々あやしいこと言いますよね。
血統大事ですね。日本は家を絶やさず墓守り大事なのに、嫁大事にしないのは?❔❔
@@スモモ-u6p 家康は手当たり次第に女に手を出していたし、秀忠は複雑な関係の政略結婚だし、家光は男色だし、、、嫁さんを大事にはしてないよね。その所為か家光は子の代で男系は途絶えてるよね。
たしかに、あのオットセイ将軍の時代には武家の少子化がかなり進んでいて、養子を押し付けられた各家は、実は喜んで迎えていたみたいな。しかし、将軍の子を粗末に扱ったらどうなるかわからないから、出費がかさんで…。
井沢さんのチャンネル発見!若い頃逆接の日本史全巻読みました、その他言霊の国やら何やら。名古屋推し、韓国嫌いの井沢さんに期待してますw
当然、『恨の法廷』も、お読みになられましたよね?
大変面白く拝見しました。 宦官制度を取り入れなかった事こそが大和魂に繋がるのでしょうか?
築山殿のトラウマが原因なら、その直後にも大奥的なものを作ったのだろうか?🤔
家光がホモで女に興味が無かったから、女らしくない女を集めて大奥が作られたってのが定説だったんじゃないの?気の強い母親との不和から女嫌いになったんじゃないかと推測してたんだけど・・・
それでもちゃんと子供を作ったのは偉いよね。春日局に責め立てられたのだろうけど。さらに家光は刀剣マニアで剣術ヲタク。夜な夜な変装して城下へくり出し…という厨二病なリアル暴れん坊将軍だったとか。
知らんかった...ホモ光だったのか...
今川の真の敵は、武田だと思う。何で今川氏真を受け入れた家康を恨むのかおかしいよな、築山殿。
日本では外戚の脅威がそこまで大きくなかったから大きいかと。政治の実権は天皇家と婚姻関係になった藤原氏平氏に武士諸家に奪われたが祭祀王としての実権は奪いたくても結局奪えなかった。帝位簒位を狙った飛鳥豪族や悪僧は結果的に粛清や失脚した。中華王朝で外戚や豪族に軍人が帝権を上回るような権力を持つ事が多く、皇帝側の防衛策としては権力を皇帝に集中させ外戚臣下を与えない制度を構築すること。しかし皇帝1人では政権運営は出来ない。(奮闘した専制君主は何人か居たが過労で寿命を縮めた)血縁門閥に拠らない科挙で選抜し一代限りの栄華を約束する官僚を選抜し、皇帝秘書官として皇帝代理人を勤める宦官や官僚を監察し軍人を督戦する宦官を揃えた。仕事熱心で真面目な君主が君臨している限りは宦官は誅殺に怯え従順にしている。王朝創業者を除けば皇帝は宮殿で育成されるので生後乳母から離れたら宦官に保育され学問も学ぶ。肉親より身近な存在であり帝位を狙う際には重要な駒になる。世界史でも稀有な独裁者である皇帝制度があった中華。儒教の影響もあり独裁者が他者からの簒位を怯えた結果、宦官が大きな存在になった。ユーラシア大陸に存在した他の帝国での宦官よりも中華世界の宦官は大きな存在。
確かに、ヨーロッパ世界では、キリスト教会のミサの時の賛美歌の歌手とか、王様とか上流貴族の宮廷で地声で一生ソプラノボイスで歌える、カストラートだけでしたからね。
斎宮、斎院は、ちょっと違うのかな、秀吉の大阪城はハーレム、大野治長家康の東金御殿はハーレム、築山御前は瀬名、徳姫は五徳、旭、大奥は3代 家光の時、結局は徳川オマンさまが最強か(蔭山殿のオマンは恥ずかしくて言いにくいのだろうか、ほとんどテレビじゃ出ない)
合点がいった。武田おそるべし。(;゚Д゚)油断も隙もあったもんじゃない。
音楽家の冨田勲が大河ドラマ『徳川家康』のテーマを作曲するにあたり、家康をどんな人だと見立てて作曲したか、ラジオ番組か何かで語っていた事があります。富田氏曰く、非常に計算高い人で、決して薄情ではないんだけどどんな時でも精密なコンピューターに様に計算しているイメージだと答えてました。そのコンピューターの計算の部分が、オープニングテーマの初っ端、大音量のオーケストラの演奏の後に主題の男声コーラスが始まるのですが、その背後にシンセサイザーで規則的なリズムを刻みながらずぅーっと通奏低音の様に流れているのです。まるで人間の感情とコンピューターの頭脳の両方を備えているようなそんな人物像が音楽から浮かんできます。そう思いながら、改めて大河ドラマ『徳川家康』のテーマを聴いて頂くといいでしょう。
そう言えば、SF小説家、豊田有恒さんが、未来に行なわれるサイボーグ外科手術は、大昔の中華の地で行なわれた、人間に対する去勢手術と同じではないのか?って作品を作られました。
確か、改体者って、題名でした。
逆ハニートラップですね!!皆さん注意しましょう(笑!?
家康は正妻を二回も死なせたんだ。。。。殺人犯みたいな成り行き
淀殿がかなり強烈でしたから、秀頼が生まれて依頼、秀次一族の粛清やら大阪城落城に至るまで、女の度し難きをつくづくと思い知らされたでしょう。妻の築山殿の件でも、平和な世の中を作るためには女を抑えつけておかないとと考えても不思議はありません。
大奥ができたのは3代家光の時代でなかったか。
あそこを切り落とさなくても宦官を作れる技術があったから。
秀吉も大奥を作っていたら拾君も秀頼も生まれていなかったかも? 家康はこの例を見て大奥を作ったのかな。ところで、大奥を作ったのは家康ですか? あるドラマではお江が作ったことになっていましたが。これはあくまで創作ですか?
茶々は秀吉公認で浮気をしてたんじゃないかと思う。自分には子種の無い事を悟り、それでも1から育てられる子供が欲しかった。そこで茶々と信頼の置ける家臣をくっ付けて、子供が生まれたら自分の子として育てたかったのではないかと・・・
@@たまてばこ-y8t 様。やっぱりそう思いますか?そう考えると辻褄があうんですよね。または見てみぬふり?茶々可愛さと、名目上だけでも自分の子どもが欲しかったのかもしれませんね。
@@ちゃちゃこ-y2y 大奥を作ったのは春日局じゃなかったでしたっけ? 家光に世継ぎを産ませて、自分の地位を盤石にしておきたかったのかと?家光と秀忠の親子関係は最悪ですよね。お世継ぎが居ないと家光の行く末も決まらない。お世継ぎが生まれてれば家光が死んでも春日局は安泰では無いかと?
@@たまてばこ-y8t 様。ドラマ「大奥」では秀忠の御台所のお江与さんと春日局が協力して大奥を立ち上げたという設定でした。家康が作ったというより、私にはこの説の方がしっくりくる感じです。🙂
@@ちゃちゃこ-y2y 一説には家光は男色に耽り女には興味が無かったと言われています。その原因として、秀忠夫妻が家光を廃嫡して弟の忠長を次期将軍に据えようと画策して居たのが原因では無いかと、、、
種無し秀吉に秀頼が産まれた例もあって、あぶねーって家康も思ったんでは?
秀忠の関ケ原遅参は、大雨による河川の氾濫による渡河が出来なかったのが理由です。
遅刻したのには変わらないし。しかも任されたのは徳川本軍3万人ですから。上田で負けて、関ヶ原でも戦えなかった家臣たちの憤りは変わりません。
@@kato-takehito 関ケ原の合戦布陣図は、明治の日本陸軍が間違って伝わった伝承を元にして作成したものです。兵力は伝承の半分以下です、西軍は松尾山の南の今の旧中山道にまとまって布陣しており合戦開始と同時に小早川勢は西軍に襲い掛かり僅か2時間で終わりました徳川勢は全く戦って無いのでむしろ関ケ原にいた徳川家臣団が憤ったでしょうね。
私は、小牧長久手の戦いは秀吉の勝利と思います。大企業の社長が織田信長、その本部長の一人が秀吉でもう一人が光秀、中小企業の社長が家康としましょう。この戦の時点では信長も光秀も死んでいますが、あくまでも織田商事の重役の秀吉が、この戦いの結果、秀吉は大企業の社長に上り詰め、社長であった家康はその企業の本部長の一人になってしまいます。長久手の小さな一戦に縛られるのでなく、前後の体制から推察する必要があると思います。歴史は私情を挟んだ言い伝えが実しやかに伝わっていることもあるため、私は何時もそのような着眼で歴史をとらえるようにしています。如何でしょうか。
本部長だけでは無く、専務取締役、常務取締役、監査役との兼任では?
徳川家康は、株式の持ち合いをしている提携会社って、ことで。
築山殿が死んだあとに、家康は2人目の女性を正妻にしてますよ。旭姫と言って、秀吉の妹。秀吉はなんとか家康を自分の軍門に入れたくて「妹を嫁に差し出すから、お願いだから俺に頭を下げてくれ」と無理やり家康に押し付けたの。太閤秀吉の実妹を側室扱いにするわけもいかないから当然正妻。旭姫は正妻という名の事実上の人質ね。その後旭姫は病死。2人も正妻を失った家康は結婚はもうゴリゴリと思って二度と正妻は迎えなかったの。正妻ってのは政治の道具になるから家康は辟易したんじゃないかな。
大奥作ったの家康なの?春日局じゃない?家康が反省から築山殿死後なかなか正室を迎えなかったのはまあ理解できるけど、男子禁制の大奥を作ったは話が飛躍しすぎな気がする。男子禁制の奥を作るのに江戸幕府が出来るまでやっていないのは、あまりにも築山殿自害から時が経ちすぎている。もし家康が築山殿自害直後から奥を男子禁制にしたいと思っていたのなら、徳川家独自のルールとして行っていてもいいと思う。それをしていないので家康も奥に男子が入り込めるのは当時の慣習として疑問も持たず受け入れていたのではないだろうか?また家康が大奥を作った理由が井沢さんのおっしゃる通りなら、男子禁制の奥を作った時点で家康が正室を迎えないという選択をした意味がないと思う。私的には、家康は正室を迎えないのではなく、継嗣を考えあぐねていたのではないだろうか?信康事件の時にはすでに、次男秀康と三男秀忠は産まれており、この2人の生母を正室にしていたら、この2人のどちらかを継嗣と定めなければならない。またこの2人以外から正室を迎えたとしても、その正室との間に産まれた男子が継嗣となる。もし継嗣を定めると信康の時と同じように、家康の家臣と継嗣の家臣との間でまた軋轢が起きてしまうかも知れない事を家康は恐れていたのではないだろうか?そのため正室を迎えなかったのではないだろうか?
えっ、中宮は皇后や皇太后に使える女官の名称でしょ?何言っているんだか・・・
信康の妻は信長の娘で🥺姑の築山殿に🥺かなりいびられていて🥺それを信長に文で言いつけて🥺信長はその隙を見逃さず‼️邪魔だった信康と築山殿を殺して私に対する忠義を示せと言われて🥺殺した🥺らしいですが信康は相当のできる人だった見たいですね名前の由来は信長が自分と家康の名前を取ってつけたと言われていますね🥺娘を嫁に出すくらいのお気にだったと思います❗️🥺m(_ _)m
大奥を作ったのは春日局ですよ
なんか今回の服装コーディネートがおかしいなあ。スタイリストが悪いのか、スタイリストがついていないのか、そうだとしたら優れてご本人の責任なんだけど…。
減敬医者なんだから大奥にも入り込めるでしょ。医者はOKって最初に言ってたし。矛盾してね。
今回の大河は第一話で朝ドラの印象を感じ、がっかりしましたが、二話目以降で改善され楽しみにしてます。ただ、築山殿の演出がどうにも創作的すぎて違和感を感じざるを得ません・・・今後、鬼嫁になるのは歴史上知ってるのですが、有村さんがどのように演じるかが見所かと思います。
今年の大河はもうあきらめてます・・・女性権利団体に媚びへつらう悪い癖がまたでてる
@@JKあかり 返信どもです個人的には山田孝之さんの服部半蔵に期待してるので、そこまでは我慢して観るつもりです😅
築山殿が鬼嫁だったというのも根拠の薄い通説のようですよ。
@@spikef7602 そうですね。通説だと現状の大河の時点で鬼嫁になってるはずですし、むしろ今川を裏切った家康に嫌悪感を生じるのは自然の流れのように感じますね。ただ、徳姫の書状があったにせよ、武田と通じたりする(噂がある)のは相当気の強い女性だったように感じますがどうでしょう?
@@masahitokawahara3420 家康と築山は非常に夫婦仲が良く、信玄に蹂躙されそうだった三河(家康)を助けるため書状を送ったという見方もあるようです。書状も密書ではなく、現在の媚中政治家みたく家中では公然の事だったようです。信長の耳に入ったのがまずかったんでしょうね。どちらにしろ想像の域は出ませんが。
光源氏が好き勝手やったから。
なので、間男当たり前だったため、天皇の遺伝子は繋がっていないとのウワサ
井沢氏ともあろうかたが「大奥」の特殊性にもっと踏み込まなかったのは残念です。大奥の特殊性とは・女性(女官)たちだけで管理する組織であること・正妻と側室の差があることです。そもそも世界を見て「女性だけで運営される後宮」は日本の大奥しか存在しない、と言っていいです。世界と比較したときに「なぜ日本では女性だけでハーレムを運営できたのか?」という視点が必要なはずです。日本では「女性だけでハーレムを運営できたから」こそ宦官も必要なかった、ということになるはずで、それは「日本の女性の地位が男性と同等だったから」にほかなりません。この点を井沢氏が言及しなかったのは残念です。また「女性の地位が男性と同等」だったからこそ、正妻・側室という地位の差があったわけです。今でもイスラムは多妻制を取りますが《女性達の地位は平等、正室・側室という差は無い》です。日本の場合、側室や妾が産んだ子供が嗣子になる場合、一旦正室と養子縁組してから嗣子として扱われました。世界と比較した場合、これも非常に特殊で、いわゆるハーレムなら「誰が産もうが、男の子供で間違いないなら嗣子になれる」はずですが、日本では一旦「妻の正式な子供」になる必要があったわけです。この点において、日本の女性の地位自体が《世界的に見て非常に特殊》で、その点を説明していただけなかったのは非常に残念です。
そうですね。大奥のきっかけは家康でしょうねでも、宦官を採用しなかったのは、単に日本に牧畜の文化が乏しかっただけだと思います
春日の局が勝手に作った利権を守る為にただそれだけ浅はかな脳味噌
失礼ながら 先生の鼻の穴の形は珍しいですね目が鼻に惹き付けられて話が半分も頭に入って来ませんでした🙇♂️
日本の常識が、見直される時か来ると思いますよ
アッハッハッ!水戸黄門の官職、黄門侍郎は宦官の官職ですよ!
正確に言うならば、日本国の太政官の官職、権少納言が、隋唐時代の中華の官職、黄門侍郎に相当するって、日本のお公家さんたちが勝手に判断したってこと。
黄門様って玉ナシだったの?
@@spikef7602 様へ。否、かっちり父上が決めた正妻を始め、側室にも我が子を産ませていましたよ。ただし、兄貴がお亡くなりになられた時、幼な過ぎる!ってんで跡取りに成れなかった甥っ子に水戸藩の跡を継がせて、自分の子どもたちは水戸藩の分家の殿様にしてしまいましたけどね。
違うでしょ。光秀が行動したのは信長が皇室を潰し自ら取って代わろうとした事でしょ。
築山殿と信康は、信長の命令で殺されたのですよね?
信長側の記録には一切残ってないみたいです。徳姫が信長にチクりの手紙を書いたってのは史実なんですかね?
最新研究では否定されてるようです。基本的に家康が自ら処分したらしいです。岡崎衆と三河衆との対立などが原因の一つのようで。息子が謀反するとか、当時はありがちです。城主は周りから担がれますからね。神君家康公になってから、子殺しはまずいので色々脚色修正されてる事の一つだとおもいます。織田家へのお伺いは、息子の嫁の実家で同盟者もしくは上司だから、とりあえず聞きますよね。信長が、「そっちで決めていいよ」って普通に答えただけっぽいですよ
裏切らないように妻子を人質にとっていた時代にそんな命令されたらむしろ反乱するのでは。従ったら家康の家臣ががっかりして離れる
老けましたね
大奥は城内の吉原だったんでしよう。姓奴隷の溜まり場だったでしょうが。
姓奴隷?
性奴隷ではないかな😞かなり表政治外にも権力持ってたし。ただの性奴隷で済むなら幕府傾く?程財政逼迫しないと。中東のハーレムとかは、ごく小数の例外以外性奴隷か、奴婢でした。
今日だって上級階級その他権威権力一味の性癖は横行しているけど、皆知って知らないふりをする。節度もけじめもない社会になっていますね。
普通の女中さんは今の一流お嬢様大学の女子大生ですよ。江戸の町を闊歩する時は町人はおろか侍も道を避ける最高権力集団が姓奴隷だなんて、エロい妄想の世界に住んでますね。女子挺身隊と聞いても妄想してしまう人ですか?
古代中国からは、色々な文化や習慣を教わってて、その事は素直にリスペクトしてるけど、宦官や纏足を採用しなかった見識は、流石だと思う。
科挙制度もね。
遣唐使たちは冷静に中国を観察してたんでしょう。
もう一つ考えられるのは、当時の日本の女性が、女性だけでも組織を運営できるくらい優秀だったとも思います。女性の教養もありましたし、元男を採用する必要はなかったとも思います。
それは僕も思うけど、
当時の女性の教養って庶民はどのくらいなのかなあ?
秀吉の正妻のおねさんはそういう印象あるが、
あの人一応、武家の家の娘さんなんだよな。
大河ドラマだと、秀吉の妹(朝日)が「おら、字なんか書けねえだ」と言ってる、
ぐらいの描写ある作品もあるからなあ。
中学生の頃から先生の本、読んでましたー!まさか先生のRUclipsチャンネルを見ことができる日がくるなんて…。良い時代になりましたね。ご活躍に感謝です。ずっと応援しております。
「日本の常識は世界の非常識」。
どちらかというと現在は、「世界の常識はは日本の非常識」。
日本は誇っていい部分が多いですよ。
一部の国が自分たちに都合よく決めたルールを「世界の常識」とばかりにゴリ押ししようとするのも問題ですよね。
歴史を知るほど日本の良さがわかりますよ
古代史好きで色々と勉強していますが、男尊女卑が家康からだったとは、目からウロコが落ちました
そう言われれば、縄文時代から平安初期頃まで日本の家制度は母系の妻問婚だったので、そもそもの日本人には男尊女卑や長男が家督を継ぐ男系相続の文化はなかった筈なんですよね
天皇は?
@@spikef7602 するどい
@@spikef7602 そうけい継承。
@@spikef7602 大変な職務だから女性は免除しましょう、みたいな
そもそも女性天皇はいましたよ
大奥を作ったのは春日局じゃね?
男好きの家光になんとか世継ぎを作らせるために春日局が苦心して作らせたのが大奥。
男好きの家光でも興味を引くような美女を集めたのが大奥の始まり。
その春日局の策略は成功して家光には世継ぎができた。(4代、5台がそれ)
大奥ができたのは家康の時代か秀忠の時代だったかは忘れたけどね。
少なくとも春日局は初代大奥取締だったのだからね。
大奥解説動画で春日局の名前が出ないのは不自然。
江戸城大奥が特に厳しかったのは、春日局がそのようにルールを作ったから。
当時の春日局の権力って老中にも匹敵するくらいの力があったから。
勝ち気でお転婆なタイプを選んだら女性もイケるようになったようで。
僕もそれ聞いた事あるなあ。
葵徳川三代では、春日局がいかに家光の信頼厚かったか、が描かれてる。
無用な集め争いが起こらぬ様に、家康に「竹千代(家光)こそが後継者である」という宣言をするよう頼んだり、
女性に小姓風の男装をさせたとか…
「(斎藤)福」っていう春日局の本名も出てたし。
春日局って、女性としては破格の領地もらったって話もある。
春日局には大奥を作る権力なんかないのでフェイクである、みたいな説もあるから分からんなこれ
でも絶対関わってはいそうよな
家康さんのトラウマが大奥を作った‥. !? なるほど。あり得ますね。
しかし、さすがの家康さんも幕府が傾くほど大奥が肥大化するとは思いもしなかっただろうな。
徳川家康と築山殿の関係はドラマティックですね。長男との死別も
また悲劇が。先生の解説は感情の推察を元になさってとてもわかりやすいです。
ありがとうございました
日本は女性にも教養があるから大奥が出来るってのもあるのかな
家康は正妻を二度と持たなかったから大奥ができた。納得しました。
とっても勉強になりました。ありがとうございます。✌️
大奥の誕生理由を家康のトラウマ説にしているところが、おもろい🤣
本も面白いですが、RUclipsも分かりやすくて面白いですね!
なぜ本能寺の変が起きたのか?先生の話をきいて少しわかりました。儒教の教えのような目上の人やお世話になった人を敬う思想があまり浸透していなかったからということも関係してるんですね。とても興味深い話ありがとうございます!
歴史って面白いですよね。特に日本史は三つも四つも同時代で説があるのはザラですし、大奥作るきっかけが家康ってのも言われてみれば鶴首せざるを得ない感じですしね。
通説を否定することが学問だと思い違いをしている歴史学者が日本には多いですね。
まるで恨みを晴らすかのように。
大奥と聞くと、よしながふみさんの『大奥』が頭をよぎります(内容は全く違うけれど)。大奥って春日局が作ったのでは?とずっと思っていました。確かに宦官って、日本史では聞いたことがない(『薬屋のひとりごと』では壬氏)。家康のトラウマが原因……なるほど。しかし朱子学に男尊女卑の考えが組み込まれていたことには驚きました。
面白い!
最近レジェンド&バタフライという邦画を観たばかりで、戦国時代に興味が少しわいたところに、こちらの動画に出会いました。分かりやすい解説ありがとうございました!
久しぶりにお姿を拝見しましたが、お声に年が出ていて歳月の流れを感じました。
面白いお話をありがとうございます
縄文時代の土偶は女性の容姿で、そもそもは子供を産む女性が豊穣神として崇められていたことがわかります
日本は古代から卑弥呼や天照大神などの女性が治める母系社会の上に、天孫の血を引く男系血統主義の天皇が形式的な権威として存在する二重構造の社会だったもので、皇族でも貴族でもない武家では母系社会が色濃く残ってたんでしょうね
最近は女性の権利などと叫ばれていますが、日本には昔から男尊女卑の文化はさほどなく、女性を大切にしている文化だと思います
歴史学者の方は様々な資料を読み解き歴史の真実に迫る見解をされますが、文学の世界の方は人間とはの洞察からある意味ストレートに歴史を見るんだなあと感心しました。今回の築山御前のケースも徳姫が信長に送った書状から不可解な点や貶められた形跡など解説して下さる学者の方もいて、その話にも信憑性を感じてしまいますが、実際当時の人間模様から考えられる視点も実に面白かったです。こちらの説も妙に納得してしまいました。本当の所はどうだったのでしょうね。
色んな解釈があって面白いのが歴史ですね。他の歴史学者だと信長の約束で築山殿と信康は殺され切腹させられたとある。ただ、家康は築山殿を心底愛してたとも言われる。
晩年になって2人とも出家させておけばよかったとか言ってる記録もある。
家康はコンピューターと言うか、「失敗からちゃんと学ぶ人」ですね。
えっと…… 大奥は、三代・家光の時代に確立したのでは……
あ、いや、家康の時代に大奥の基礎を作り上げて、家光の時代に春日局が確立したのかな。
歴史って、色んな説があって知れば知るほど楽しいですね。
アレ?井沢先生の短編で、今川義元の命で子供を作れない身体にされた筈の元康は、長男信康が出来た時に築山殿が浮気して出来た子だと信じていた。だからろくな弁護もせずに二人を死に追いやった。ところが今度は次男の秀康が生まれる。当然浮気されたと思い冷たくあしらう。そして三男。流石におかしいと調べたところ、太原雪斎が義元の命に逆らいなにもしなかった事を知るって話が有りませんでした?
話としては面白いですが、大奥の制度は、たしか3代家光の時に春日局によって出来たと思っていました。家康は、将軍職を秀忠に譲ると駿府城に移っていますから、江戸城の大奥のことには口出ししていないのではないですか?また秀忠は側室を置きませんでしたから、大奥の必要がありませんでした。従って家康が大奥を作ったと言うのには少し疑問があります。
確かに家康が朱子学を導入したことにより、日本に、特に武士に、男尊女卑の考え方や長幼の序、男系血統主義の考え方が浸透するようになったと思います。しかし、武士でも血のつながりのない子を養子にしたり、娘に婿養子をとることは普通に行われました。日本では血のつながりは中国や韓国より重要視されなかったように思われます。日本では実は本当に大事なのは「お家」であって、血統は二の次なのだと思うのです(中韓の血統主義には祖先崇拝と祭祀を絶やしてはいけないと言う宗教的なものが絡んでいるのだと思います)。実際、2代秀忠は正妻だったお江との間に男の子がいなかったにも拘わらず婚外子として設けた唯一の男子を引き取らず、そのまま他家の子としてしまいました。またたしか4代家綱が子供がなく亡くなったあと幕府は、鎌倉幕府のように、皇族将軍を迎えようとしたこともあったかと思います。血統があまり重視されなかったため、大奥の男子禁制は、それほど厳格ではなかったし、宦官も置かれなかったのではないかと思います。
お江さんの性格が家光を女嫌いにしたんだと思う。男色にふけり女に興味を持たないから、春日局が心配して貧乳の女を集めたのが大奥の始まりだって読んだことがある。
井沢先生、歴史学者じゃなくて小説家だから所々あやしいこと言いますよね。
血統大事ですね。
日本は家を絶やさず墓守り大事なのに、嫁大事にしないのは?❔❔
@@スモモ-u6p 家康は手当たり次第に女に手を出していたし、秀忠は複雑な関係の政略結婚だし、家光は男色だし、、、嫁さんを大事にはしてないよね。
その所為か家光は子の代で男系は途絶えてるよね。
たしかに、あのオットセイ将軍の時代には武家の少子化がかなり進んでいて、養子を押し付けられた各家は、実は喜んで迎えていたみたいな。しかし、将軍の子を粗末に扱ったらどうなるかわからないから、出費がかさんで…。
井沢さんのチャンネル発見!若い頃逆接の日本史全巻読みました、その他言霊の国やら何やら。名古屋推し、韓国嫌いの井沢さんに期待してますw
当然、『恨の法廷』も、お読みになられましたよね?
大変面白く拝見しました。 宦官制度を取り入れなかった事こそが大和魂に繋がるのでしょうか?
築山殿のトラウマが原因なら、その直後にも大奥的なものを作ったのだろうか?🤔
家光がホモで女に興味が無かったから、女らしくない女を集めて大奥が作られたってのが定説だったんじゃないの?
気の強い母親との不和から女嫌いになったんじゃないかと推測してたんだけど・・・
それでもちゃんと子供を作ったのは偉いよね。春日局に責め立てられたのだろうけど。
さらに家光は刀剣マニアで剣術ヲタク。夜な夜な変装して城下へくり出し…という厨二病なリアル暴れん坊将軍だったとか。
知らんかった...
ホモ光だったのか...
今川の真の敵は、武田だと思う。何で今川氏真を受け入れた家康を恨むのかおかしいよな、築山殿。
日本では外戚の脅威がそこまで大きくなかったから大きいかと。
政治の実権は天皇家と婚姻関係になった藤原氏平氏に武士諸家に奪われたが
祭祀王としての実権は奪いたくても結局奪えなかった。
帝位簒位を狙った飛鳥豪族や悪僧は結果的に粛清や失脚した。
中華王朝で外戚や豪族に軍人が帝権を上回るような権力を持つ事が多く、
皇帝側の防衛策としては権力を皇帝に集中させ外戚臣下を与えない制度を構築すること。
しかし皇帝1人では政権運営は出来ない。
(奮闘した専制君主は何人か居たが過労で寿命を縮めた)
血縁門閥に拠らない科挙で選抜し一代限りの栄華を約束する官僚を選抜し、
皇帝秘書官として皇帝代理人を勤める宦官や官僚を監察し軍人を督戦する宦官を揃えた。
仕事熱心で真面目な君主が君臨している限りは宦官は誅殺に怯え従順にしている。
王朝創業者を除けば皇帝は宮殿で育成されるので生後乳母から離れたら宦官に保育され学問も学ぶ。
肉親より身近な存在であり帝位を狙う際には重要な駒になる。
世界史でも稀有な独裁者である皇帝制度があった中華。
儒教の影響もあり独裁者が他者からの簒位を怯えた結果、宦官が大きな存在になった。
ユーラシア大陸に存在した他の帝国での宦官よりも中華世界の宦官は大きな存在。
確かに、ヨーロッパ世界では、
キリスト教会のミサの時の賛美歌の歌手とか、
王様とか上流貴族の宮廷で地声で一生ソプラノボイスで歌える、
カストラート
だけでしたからね。
斎宮、斎院は、ちょっと違うのかな、
秀吉の大阪城はハーレム、大野治長
家康の東金御殿はハーレム、築山御前は瀬名、徳姫は五徳、旭、
大奥は3代 家光の時、結局は徳川オマンさまが最強か(蔭山殿のオマンは恥ずかしくて言いにくいのだろうか、ほとんどテレビじゃ出ない)
合点がいった。武田おそるべし。(;゚Д゚)
油断も隙もあったもんじゃない。
音楽家の冨田勲が大河ドラマ『徳川家康』のテーマを作曲するにあたり、家康をどんな人だと見立てて作曲したか、ラジオ番組か何かで語っていた事があります。
富田氏曰く、非常に計算高い人で、決して薄情ではないんだけどどんな時でも精密なコンピューターに様に計算しているイメージだと答えてました。
そのコンピューターの計算の部分が、オープニングテーマの初っ端、大音量のオーケストラの演奏の後に主題の男声コーラスが始まるのですが、その背後に
シンセサイザーで規則的なリズムを刻みながらずぅーっと通奏低音の様に流れているのです。まるで人間の感情とコンピューターの頭脳の両方を備えているような
そんな人物像が音楽から浮かんできます。そう思いながら、改めて大河ドラマ『徳川家康』のテーマを聴いて頂くといいでしょう。
そう言えば、SF小説家、豊田有恒さんが、
未来に行なわれるサイボーグ外科手術は、
大昔の中華の地で行なわれた、
人間に対する去勢手術と同じではないのか?
って作品を作られました。
確か、
改体者
って、題名でした。
逆ハニートラップですね!!皆さん注意しましょう(笑!?
家康は正妻を二回も死なせたんだ。。。。殺人犯みたいな成り行き
淀殿がかなり強烈でしたから、秀頼が生まれて依頼、秀次一族の粛清やら大阪城落城に至るまで、女の度し難きをつくづくと思い知らされたでしょう。
妻の築山殿の件でも、平和な世の中を作るためには女を抑えつけておかないとと考えても不思議はありません。
大奥ができたのは3代家光の時代でなかったか。
あそこを切り落とさなくても宦官を作れる技術があったから。
秀吉も大奥を作っていたら拾君も秀頼も生まれていなかったかも? 家康はこの例を見て大奥を作ったのかな。ところで、大奥を作ったのは家康ですか? あるドラマではお江が作ったことになっていましたが。これはあくまで創作ですか?
茶々は秀吉公認で浮気をしてたんじゃないかと思う。自分には子種の無い事を悟り、それでも1から育てられる子供が欲しかった。
そこで茶々と信頼の置ける家臣をくっ付けて、子供が生まれたら自分の子として育てたかったのではないかと・・・
@@たまてばこ-y8t 様。やっぱりそう思いますか?そう考えると辻褄があうんですよね。または見てみぬふり?茶々可愛さと、名目上だけでも自分の子どもが欲しかったのかもしれませんね。
@@ちゃちゃこ-y2y 大奥を作ったのは春日局じゃなかったでしたっけ? 家光に世継ぎを産ませて、自分の地位を盤石にしておきたかったのかと?
家光と秀忠の親子関係は最悪ですよね。お世継ぎが居ないと家光の行く末も決まらない。お世継ぎが生まれてれば家光が死んでも春日局は安泰では無いかと?
@@たまてばこ-y8t 様。ドラマ「大奥」では秀忠の御台所のお江与さんと春日局が協力して大奥を立ち上げたという設定でした。家康が作ったというより、私にはこの説の方がしっくりくる感じです。🙂
@@ちゃちゃこ-y2y 一説には家光は男色に耽り女には興味が無かったと言われています。
その原因として、秀忠夫妻が家光を廃嫡して弟の忠長を次期将軍に据えようと画策して居たのが原因では無いかと、、、
種無し秀吉に秀頼が産まれた例もあって、あぶねーって家康も思ったんでは?
秀忠の関ケ原遅参は、大雨による河川の氾濫による渡河が出来なかったのが理由です。
遅刻したのには変わらないし。しかも任されたのは徳川本軍3万人ですから。上田で負けて、関ヶ原でも戦えなかった家臣たちの憤りは変わりません。
@@kato-takehito 関ケ原の合戦布陣図は、明治の日本陸軍が間違って伝わった伝承を元にして作成したものです。兵力は伝承の半分以下です、西軍は松尾山の南の今の旧中山道にまとまって布陣しており合戦開始と同時に小早川勢は西軍に襲い掛かり僅か2時間で終わりました徳川勢は全く戦って無いのでむしろ関ケ原にいた徳川家臣団が憤ったでしょうね。
私は、小牧長久手の戦いは秀吉の勝利と思います。大企業の社長が織田信長、その本部長の一人が秀吉でもう一人が光秀、中小企業の社長が家康としましょう。この戦の時点では信長も光秀も死んでいますが、あくまでも織田商事の重役の秀吉が、この戦いの結果、秀吉は大企業の社長に上り詰め、社長であった家康はその企業の本部長の一人になってしまいます。長久手の小さな一戦に縛られるのでなく、前後の体制から推察する必要があると思います。歴史は私情を挟んだ言い伝えが実しやかに伝わっていることもあるため、私は何時もそのような着眼で歴史をとらえるようにしています。
如何でしょうか。
本部長だけでは無く、
専務取締役、常務取締役、監査役との兼任では?
徳川家康は、株式の持ち合いをしている提携会社って、ことで。
築山殿が死んだあとに、家康は2人目の女性を正妻にしてますよ。
旭姫と言って、秀吉の妹。
秀吉はなんとか家康を自分の軍門に入れたくて「妹を嫁に差し出すから、お願いだから俺に頭を下げてくれ」と無理やり家康に押し付けたの。
太閤秀吉の実妹を側室扱いにするわけもいかないから当然正妻。
旭姫は正妻という名の事実上の人質ね。
その後旭姫は病死。
2人も正妻を失った家康は結婚はもうゴリゴリと思って二度と正妻は迎えなかったの。
正妻ってのは政治の道具になるから家康は辟易したんじゃないかな。
大奥作ったの家康なの?
春日局じゃない?
家康が反省から築山殿死後なかなか正室を迎えなかったのはまあ理解できるけど、男子禁制の大奥を作ったは話が飛躍しすぎな気がする。
男子禁制の奥を作るのに江戸幕府が出来るまでやっていないのは、あまりにも築山殿自害から時が経ちすぎている。
もし家康が築山殿自害直後から奥を男子禁制にしたいと思っていたのなら、徳川家独自のルールとして行っていてもいいと思う。
それをしていないので家康も奥に男子が入り込めるのは当時の慣習として疑問も持たず受け入れていたのではないだろうか?
また家康が大奥を作った理由が井沢さんのおっしゃる通りなら、男子禁制の奥を作った時点で家康が正室を迎えないという選択をした意味がないと思う。
私的には、家康は正室を迎えないのではなく、継嗣を考えあぐねていたのではないだろうか?
信康事件の時にはすでに、次男秀康と三男秀忠は産まれており、この2人の生母を正室にしていたら、この2人のどちらかを継嗣と定めなければならない。
またこの2人以外から正室を迎えたとしても、その正室との間に産まれた男子が継嗣となる。
もし継嗣を定めると信康の時と同じように、家康の家臣と継嗣の家臣との間でまた軋轢が起きてしまうかも知れない事を家康は恐れていたのではないだろうか?
そのため正室を迎えなかったのではないだろうか?
えっ、中宮は皇后や皇太后に使える女官の名称でしょ?
何言っているんだか・・・
信康の妻は信長の娘で🥺姑の築山殿に🥺かなりいびられていて🥺それを信長に文で言いつけて🥺信長はその隙を見逃さず‼️邪魔だった信康と築山殿を殺して私に対する忠義を示せと言われて🥺殺した🥺らしいですが信康は相当のできる人だった見たいですね名前の由来は信長が自分と家康の名前を取ってつけたと言われていますね🥺娘を嫁に出すくらいのお気にだったと思います❗️🥺m(_ _)m
大奥を作ったのは春日局ですよ
なんか今回の服装コーディネートがおかしいなあ。スタイリストが悪いのか、スタイリストがついていないのか、そうだとしたら優れてご本人の責任なんだけど…。
減敬医者なんだから大奥にも入り込めるでしょ。医者はOKって最初に言ってたし。矛盾してね。
今回の大河は第一話で朝ドラの印象を感じ、がっかりしましたが、二話目以降で改善され楽しみにしてます。ただ、築山殿の演出がどうにも創作的すぎて違和感を感じざるを得ません・・・今後、鬼嫁になるのは歴史上知ってるのですが、有村さんがどのように演じるかが見所かと思います。
今年の大河はもうあきらめてます・・・
女性権利団体に媚びへつらう悪い癖がまたでてる
@@JKあかり 返信どもです
個人的には山田孝之さんの服部半蔵に期待してるので、そこまでは我慢して観るつもりです😅
築山殿が鬼嫁だったというのも根拠の薄い通説のようですよ。
@@spikef7602 そうですね。通説だと現状の大河の時点で鬼嫁になってるはずですし、むしろ今川を裏切った家康に嫌悪感を生じるのは自然の流れのように感じますね。
ただ、徳姫の書状があったにせよ、武田と通じたりする(噂がある)のは相当気の強い女性だったように感じますがどうでしょう?
@@masahitokawahara3420
家康と築山は非常に夫婦仲が良く、
信玄に蹂躙されそうだった三河(家康)を助けるため書状を送ったという見方もあるようです。
書状も密書ではなく、現在の媚中政治家みたく家中では公然の事だったようです。
信長の耳に入ったのがまずかったんでしょうね。
どちらにしろ想像の域は出ませんが。
光源氏が好き勝手やったから。
なので、間男当たり前だったため、天皇の遺伝子は繋がっていないとのウワサ
井沢氏ともあろうかたが「大奥」の特殊性にもっと踏み込まなかったのは残念です。
大奥の特殊性とは
・女性(女官)たちだけで管理する組織であること
・正妻と側室の差があること
です。
そもそも世界を見て「女性だけで運営される後宮」は日本の大奥しか存在しない、と言っていいです。
世界と比較したときに「なぜ日本では女性だけでハーレムを運営できたのか?」という視点が必要なはずです。
日本では「女性だけでハーレムを運営できたから」こそ宦官も必要なかった、ということになるはずで、それは「日本の女性の地位が男性と同等だったから」にほかなりません。この点を井沢氏が言及しなかったのは残念です。
また「女性の地位が男性と同等」だったからこそ、正妻・側室という地位の差があったわけです。
今でもイスラムは多妻制を取りますが《女性達の地位は平等、正室・側室という差は無い》です。
日本の場合、側室や妾が産んだ子供が嗣子になる場合、一旦正室と養子縁組してから嗣子として扱われました。
世界と比較した場合、これも非常に特殊で、いわゆるハーレムなら「誰が産もうが、男の子供で間違いないなら嗣子になれる」はずですが、日本では一旦「妻の正式な子供」になる必要があったわけです。
この点において、日本の女性の地位自体が《世界的に見て非常に特殊》で、その点を説明していただけなかったのは非常に残念です。
そうですね。大奥のきっかけは家康でしょうね
でも、宦官を採用しなかったのは、単に日本に牧畜の文化が乏しかっただけだと思います
春日の局が勝手に作った利権を守る為にただそれだけ浅はかな脳味噌
失礼ながら 先生の鼻の穴の形は珍しいですね
目が鼻に惹き付けられて話が半分も頭に入って来ませんでした🙇♂️
日本の常識が、見直される時か来ると思いますよ
アッハッハッ!
水戸黄門の官職、黄門侍郎は宦官の官職ですよ!
正確に言うならば、
日本国の太政官の官職、
権少納言が、
隋唐時代の中華の官職、
黄門侍郎
に相当するって、日本のお公家さんたちが勝手に判断したってこと。
黄門様って玉ナシだったの?
@@spikef7602 様へ。
否、
かっちり父上が決めた正妻を始め、
側室にも我が子を産ませていましたよ。
ただし、兄貴がお亡くなりになられた時、
幼な過ぎる!
ってんで跡取りに成れなかった甥っ子に
水戸藩の跡を継がせて、
自分の子どもたちは水戸藩の分家の殿様にしてしまいましたけどね。
違うでしょ。
光秀が行動したのは信長が皇室を潰し自ら取って代わろうとした事でしょ。
築山殿と信康は、信長の命令で殺されたのですよね?
信長側の記録には一切残ってないみたいです。徳姫が信長にチクりの手紙を書いたってのは史実なんですかね?
最新研究では否定されてるようです。基本的に家康が自ら処分したらしいです。岡崎衆と三河衆との対立などが原因の一つのようで。
息子が謀反するとか、当時はありがちです。城主は周りから担がれますからね。
神君家康公になってから、子殺しはまずいので色々脚色修正されてる事の一つだとおもいます。
織田家へのお伺いは、息子の嫁の実家で同盟者もしくは上司だから、とりあえず聞きますよね。
信長が、「そっちで決めていいよ」
って普通に答えただけっぽいですよ
裏切らないように妻子を人質にとっていた時代にそんな命令されたらむしろ反乱するのでは。従ったら家康の家臣ががっかりして離れる
老けましたね
大奥は城内の吉原だったんでしよう。
姓奴隷の溜まり場だったでしょうが。
姓奴隷?
性奴隷ではないかな😞かなり表政治外にも権力持ってたし。ただの性奴隷で済むなら幕府傾く?程財政逼迫しないと。中東のハーレムとかは、ごく小数の例外以外性奴隷か、奴婢でした。
今日だって上級階級その他権威権力一味の性癖は横行しているけど、皆知って知らないふりをする。
節度もけじめもない社会になっていますね。
普通の女中さんは今の一流お嬢様大学の女子大生ですよ。
江戸の町を闊歩する時は町人はおろか侍も道を避ける最高権力集団が姓奴隷だなんて、エロい妄想の世界に住んでますね。
女子挺身隊と聞いても妄想してしまう人ですか?