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タイトルが素敵ですね
北の湖が横綱現役当時、見ていて憎たらしいとしか思わなかった。 引退後、協会役員就任後に様々なインタビューを見ると、 とてもいい横綱で、又一人の人間として何と人格の優れた事かと感銘させられた。 名横綱、名理事長 と言いたい。
北の湖理事長の関ってちゃんと付けて呼ぶの好き
3人とも名前の後に関ってつけてますけど
そりゃ自分を上回る数字を残してますからね笑琴桜の佐渡ヶ嶽親方なんか千代の富士だけは千代の富士君、って呼んでましたよ笑残りの全てにはそんな言い方しないけど、やはり実績がそうさせたんですよ
憎たらしいほど強い北の海❤
北の湖さんです
戦後の大横綱(大鵬→北の湖→千代の富士→貴乃花→朝青龍→白鵬)で、横綱として互角に戦った時期がある組み合わせは北の湖vs千代の富士、朝青龍vs白鵬くらいですが、千代の富士は北の湖だけでなく隆の里という苦手な相手がいた中で、その壁を乗り越えて31回優勝は偉業ですな。
僕が小学校五年の時、初優勝。一気に横綱に駆け上がり、途中弱冠の低迷があったけど、自分が大学の終わりに引退するまで、大相撲の屋台骨を支えた私の青春そのものでした。今までの力士の概念を覆すギリシャ彫刻のような肉体とスリリングな相撲っぷり。同時代のアスリートの中でも最高の存在の部類に入ると思います。とにかく、最高、最強でした。
隆の里関のインタビューが興味深い。ビデオ映像から細かい分析をして自分のトレーニングメニューにまで反映させる。技術革新の影響は実に大きいですね。
千代の富士富士の全盛期は30こえてからで北の湖や隆の里が引退してからでしたね 琴風は北の湖と千代の富士に全く勝てなかったのに隆の里にだけは強かった。 朝潮は北の湖と隆の里に強く千代の富士に弱かった 相性とは不思議なもの
北の湖が千代の富士について語っているのはじめて見ました
確かに
昔、NHKの相撲中継で、北の湖親方が現役横綱の千代の富士関の特徴を話した放送があり、親方は「千代の富士関は(スピードがあって)相撲を取らせてくれない」とおっしゃいました。
千代の富士ってわきが甘いの?
なるほど!ウルフスペシャルの時にこそ隙があった訳か! なんかff5のツインタニアがギガフレアを打つまでのほんの一瞬に隙が出来るのに似てるな😂
当時、千代関が勝って当然と思ってみてましたが、今改めて見てみると、やはり凄い。幕内最軽量の部類で、圧倒的な強さです。ボクシングで言えば、マニー・パッキャオと双璧のパウンド・フォー・パウンド。階級とは何か、体重差が雌雄を決するのか、敢えて考えさせられます。私が見てきた中で間違いなくアジア人最高、最強、アスリート。彼こそ、現代の騎士、究極の武士、至高の剣術士だと思います。
アジア系であれほどの才能は中々出てこないので、「あ~相撲でなくボクシング行ってればアジア系初のヘビー級チャンピオンになれたのに~」と思ったことも。そんでもって晩年に新鋭タイソンと新旧対決!…みたいな妄想してましたっけ😅
千代の富士全盛の頃に千代の富士を見ないで週刊誌を見てる連中は千代の富士八百長とか千代の富士を見ないで色眼鏡。輪島・北の湖の頃から相撲を見ているが猪木もタイガーマスクも強く面白い!土俵やリングを見ないで八百長の色眼鏡は人生を半分損してる。輪島が横綱の時に千代の富士との睨み合いが凄まじく打倒輪島に燃えていた千代の富士が懐かしい。千代の富士が横綱時代は皆が打倒千代の富士に燃えていた。特に寺尾の気迫が素晴らしく千代の富士が寺尾を釣り落としたのが答え!
千代の富士は強いライバルに恵まれていたと思う!ただ ただ力任せにぶん投げるだけだったら三役止まりだったはずで、やはり皆さん千代の富士を含め相撲道を研究していたのが良く解る。
逆に言えば力任せにぶん投げる相撲で前頭中堅あたりまで上ってきたのですから、地力的に並の相撲取りでなかった事も確かですね。行き詰まってからは不屈の努力と探求心に磨きが掛かり最強横綱の道を邁進。ここ一番で見せる集中力と勝負勘の鋭さは見事なものでしたね。
31回も優勝した横綱が力任せにぶん投げるだけで三役止まりは無いかな。
尾車親方は昔から実に話しっぷりが上手く分かりやすい。頭の回転の良さは中学時代主要5教科オール5(雑誌で読んだ記憶あり)だったことからも窺えるね。
尾車親方以外はみんな早死にしてしまいましたねもっと長生きしていい力士を育ててもらいたかった
隆の里は 相撲好きになる 少し前に引退してるから 現役は知らないですが 色々な取り組みを動画で見る限り好きな力士です
隆の里は強かったですよ。全盛期の千代の富士に対抗できたのは北の湖と隆の里だけでした。対抗というよりも圧倒してましたからね。右四つでも左四つでもがっぷり四つになったら大相撲史上最強じゃないかと思うぐらい圧倒的な地力ありました。大好きな力士の1人でした。昭和57年秋、初優勝の時はうれしくて涙が止まりませんでした。
@@もあ-q9s そうですね 糖尿病で おしん横綱というのは調べましたが 派手な相撲は取らないイメージですが 理詰めの相撲がいいですね
稽古場で、当時平幕だった隆の里に対し、横綱二代目若乃花曰く、「俺のライバルは隆の里」
58年九州の横綱相星決戦の時の千代の富士の相撲が会心の相撲だと個人的に思う。
琴風の尾車さん以外は故人ですか…。
尾車親方は謙遜しているけど、個人的な記憶では千代の富士―琴風は接戦のいい相撲が多かった印象があります。
琴風歩くように寄り切られるくらい強い千代の富士の引きつけ
ジジイのコメですまんが、昭和50年代半ばの北の湖のインタビューで 北海道からいい子が上がってきたと 間違いなければ千代の富士だろ
千代の富士を何とか入門させようと、千代の山があの手この手で取り敢えず連れて来ちゃえ!ってなったのがわかりますよね笑入門当時の写真を見ると、ヒョロガリで強くなるようにはとても見えないけど、10代で関取になったりしています。やっぱ横綱になるような人は、コレは!って逸材は見ただけでわかるんですね!
厳しく己を律した 横綱 北の湖 千代の山関もいたけど・・・
みんな若いなあ尾車親方長生きしてくれよ!!
横綱千代の富士に勝ち越した力士は、横綱北の湖(55代)(北の湖12対6千代の富士)と横綱隆の里(59代)(隆の里16対12千代の富士)ぐらいだと思う。
二代目若乃花もいますよ。千代の富士が横綱になってからも(若乃花は最晩年)、接戦です。
稀勢の里も隆の里の弟子なら師匠みたいにビデオ研究して白鵬対策練ってたのかな?
そうでなけや連勝を止めらないよ。
鳴戸親方、引退後はいちど痩せたんだよね
この体型を維持しながら少しずつ痩せていけばもっと長生きして稀勢の里と高安と横綱二人育てることができたかもしれないですね。稀勢の里は大横綱に高安も大横綱笑
現役時代から糖尿病と戦ってたからな。
@@ウルトラバレル おい高安の大横綱に笑をつけるんじゃない!笑
大事な相撲は大体北の湖関は千代の富士関に気を使ったというか、忖度したイメージがあります。
三人目はマサ斎藤さん?
改めて北の湖と千代の富士の相撲を見比べると技の多彩さと切れと出足と腰の備えとさしみの上手さとスピードはどれをとっても北の湖の方が一枚上で千代の富士が上回っているのは上半身の筋力のみ。やはり千代の富士独走は背景にレベルの低下があった。
本当に仰る通りだと思います。上半身の力に関しましても、相撲に通ずる力に関してはこれもまた北の湖関の方が上手だったと思います。見た目と実際の違いと申しますか。
小学生低学年時代に相撲を見出し輪島と北の湖とどっちを応援してるの?と従姉妹の姉ちゃんに聞かれうーん!輪島かな♪と答えたのを思い出す。北の湖は憎らしいけど強かったと私の周りにも多数のファンが。北の湖時代より前には人情相撲と言う言葉があったそうな。プロレスも八百長の色眼鏡で見る連中が多い。まー最近のプロレスは見てないが炎鵬の活躍で久しぶりに相撲に注目!稀勢の里の引退は本当に残念。で北の湖・千代の富士!週刊誌を見てる人々は北の湖をガチンコ横綱と称賛。小中高…と千代の富士を見てきたけど千代の富士も完璧!小錦を八百長グループに引き入れようとして断られならば…とガチンコでやっつけていた(笑)とか。プロレスだって初代タイガーマスク対ダイナマイトKIDみたいに世界最高峰は文句なく面白い!力道山もケンカが強くリングセンスもあるから面白い!千代の富士時代に1度生観戦しておけば良かった😂🍺
なんか琴風さんの話し方好き
琴風偉い!!! 自らが千代の富士に完敗であったことを認め、うまく解説するのは なかなか出来ることではない。
北の湖は既に自分が親方になっているのに千代の富士関って呼んでるな😃自分より二歳下だが恐ら優勝回数はじめ実績が北の湖より上だからだな😃
放送時の時点では優勝回数も北の湖が上だと思いますよ元々北の湖は謙虚な方でした
@@masahiromitani9214 さん、北の湖さんは謙虚です。先輩横綱、先輩力士にはさんづけでしたし、改めて相撲雑誌を見ていた時に輪島の引退には惜しんでいたし、三重ノ海の横綱昇進は喜んでいました。良い人なんです。
北の湖の素顔は優しくて繊細。優勝決定戦で有利とされながら度々敗れたのにも人間味が表れてる気がする。頭に瘤を作ってまで入門志願した舞の海はまだ規定の身長に数センチ足りなかったが、北の湖親方は温情でOKを出したんだよね。
違いますよ。先代貴ノ花(大関)が珍しく注文相撲(弟弟子の若乃花を優勝させるために)で北の湖に勝った時のコメントが、<まさか貴ノ花関が変わるとは思わなかった。仕方ない>でした。
今貴闘力にボロカス言われてる琴風か
この時代は八百長だらけだったから
タイトルが素敵ですね
北の湖が横綱現役当時、見ていて憎たらしいとしか思わなかった。
引退後、協会役員就任後に様々なインタビューを見ると、
とてもいい横綱で、又一人の人間として何と人格の優れた事かと感銘させられた。
名横綱、名理事長 と言いたい。
北の湖理事長の関ってちゃんと付けて呼ぶの好き
3人とも名前の後に関ってつけてますけど
そりゃ自分を上回る数字を残してますからね笑
琴桜の佐渡ヶ嶽親方なんか千代の富士だけは千代の富士君、って呼んでましたよ笑
残りの全てにはそんな言い方しないけど、やはり実績がそうさせたんですよ
憎たらしいほど強い北の海❤
北の湖さんです
戦後の大横綱(大鵬→北の湖→千代の富士→貴乃花→朝青龍→白鵬)で、横綱として互角に戦った時期がある組み合わせは北の湖vs千代の富士、朝青龍vs白鵬くらいですが、千代の富士は北の湖だけでなく隆の里という苦手な相手がいた中で、その壁を乗り越えて31回優勝は偉業ですな。
僕が小学校五年の時、初優勝。一気に横綱に駆け上がり、途中弱冠の低迷があったけど、自分が大学の終わりに引退するまで、大相撲の屋台骨を支えた私の青春そのものでした。今までの力士の概念を覆すギリシャ彫刻のような肉体とスリリングな相撲っぷり。同時代のアスリートの中でも最高の存在の部類に入ると思います。とにかく、最高、最強でした。
隆の里関のインタビューが興味深い。ビデオ映像から細かい分析をして自分のトレーニングメニューにまで反映させる。技術革新の影響は実に大きいですね。
千代の富士富士の全盛期は30こえてからで北の湖や隆の里が引退してからでしたね 琴風は北の湖と千代の富士に全く勝てなかったのに隆の里にだけは強かった。 朝潮は北の湖と隆の里に強く千代の富士に弱かった
相性とは不思議なもの
北の湖が千代の富士について語っているのはじめて見ました
確かに
昔、NHKの相撲中継で、北の湖親方が現役横綱の千代の富士関の特徴を話した放送があり、親方は「千代の富士関は(スピードがあって)相撲を取らせてくれない」とおっしゃいました。
千代の富士ってわきが甘いの?
なるほど!ウルフスペシャルの時にこそ隙があった訳か!
なんかff5のツインタニアがギガフレアを打つまでのほんの一瞬に隙が出来るのに似てるな😂
当時、千代関が勝って当然と思ってみてましたが、今改めて見てみると、やはり凄い。幕内最軽量の部類で、圧倒的な強さです。ボクシングで言えば、マニー・パッキャオと双璧のパウンド・フォー・パウンド。階級とは何か、体重差が雌雄を決するのか、敢えて考えさせられます。私が見てきた中で間違いなくアジア人最高、最強、アスリート。彼こそ、現代の騎士、究極の武士、至高の剣術士だと思います。
アジア系であれほどの才能は中々出てこないので、「あ~相撲でなくボクシング行ってればアジア系初のヘビー級チャンピオンになれたのに~」と思ったことも。
そんでもって晩年に新鋭タイソンと新旧対決!…みたいな妄想してましたっけ😅
千代の富士全盛の頃に千代の富士を見ないで週刊誌を見てる連中は
千代の富士八百長とか千代の富士を見ないで色眼鏡。
輪島・北の湖の頃から相撲を見ているが
猪木もタイガーマスクも強く面白い!
土俵やリングを見ないで八百長の色眼鏡は人生を半分損してる。
輪島が横綱の時に千代の富士との睨み合いが凄まじく
打倒輪島に燃えていた千代の富士が懐かしい。
千代の富士が横綱時代は皆が打倒千代の富士に燃えていた。
特に寺尾の気迫が素晴らしく千代の富士が寺尾を釣り落としたのが答え!
千代の富士は強いライバルに恵まれていたと思う!ただ ただ力任せにぶん投げるだけだったら三役止まりだったはずで、やはり皆さん千代の富士を含め相撲道を研究していたのが良く解る。
逆に言えば力任せにぶん投げる相撲で前頭中堅あたりまで上ってきたのですか
ら、地力的に並の相撲取りでなかった事も確かですね。行き詰まってからは不屈の努力と探求心に磨きが掛かり最強横綱の道を邁進。ここ一番で見せる集中力と勝負勘の鋭さは見事なものでしたね。
31回も優勝した横綱が力任せにぶん投げるだけで三役止まりは無いかな。
尾車親方は昔から実に話しっぷりが上手く分かりやすい。頭の回転の良さは中学時代主要5教科オール5(雑誌で読んだ記憶あり)だったことからも窺えるね。
尾車親方以外はみんな早死にしてしまいましたね
もっと長生きしていい力士を育ててもらいたかった
隆の里は 相撲好きになる 少し前に引退してるから 現役は知らないですが 色々な取り組みを動画で見る限り好きな力士です
隆の里は強かったですよ。全盛期の千代の富士に対抗できたのは北の湖と隆の里だけでした。対抗というよりも圧倒してましたからね。右四つでも左四つでもがっぷり四つになったら大相撲史上最強じゃないかと思うぐらい圧倒的な地力ありました。大好きな力士の1人でした。昭和57年秋、初優勝の時はうれしくて涙が止まりませんでした。
@@もあ-q9s そうですね 糖尿病で おしん横綱というのは調べましたが 派手な相撲は取らないイメージですが 理詰めの相撲がいいですね
稽古場で、当時平幕だった隆の里に対し、横綱二代目若乃花曰く、「俺のライバルは隆の里」
58年九州の横綱相星決戦の時の千代の富士の相撲が会心の相撲だと個人的に思う。
琴風の尾車さん以外は故人ですか…。
尾車親方は謙遜しているけど、個人的な記憶では千代の富士―琴風は接戦のいい相撲が多かった印象があります。
琴風歩くように寄り切られるくらい強い千代の富士の引きつけ
ジジイのコメですまんが、昭和50年代半ばの北の湖のインタビューで 北海道からいい子が上がってきたと 間違いなければ千代の富士だろ
千代の富士を何とか入門させようと、千代の山があの手この手で取り敢えず連れて来ちゃえ!ってなったのがわかりますよね笑
入門当時の写真を見ると、ヒョロガリで強くなるようにはとても見えないけど、10代で関取になったりしています。やっぱ横綱になるような人は、コレは!って逸材は見ただけでわかるんですね!
厳しく己を律した 横綱 北の湖 千代の山関もいたけど・・・
みんな若いなあ
尾車親方長生きしてくれよ!!
横綱千代の富士に勝ち越した力士は、
横綱北の湖(55代)(北の湖12対6千代の富士)と横綱隆の里(59代)(隆の里16対12千代の富士)ぐらいだと思う。
二代目若乃花もいますよ。千代の富士が横綱になってからも(若乃花は最晩年)、接戦です。
稀勢の里も隆の里の弟子なら師匠みたいにビデオ研究して白鵬対策練ってたのかな?
そうでなけや連勝を止めらないよ。
鳴戸親方、引退後はいちど痩せたんだよね
この体型を維持しながら少しずつ痩せていけばもっと長生きして稀勢の里と高安と横綱二人育てることができたかもしれないですね。
稀勢の里は大横綱に高安も大横綱笑
現役時代から糖尿病と戦ってたからな。
@@ウルトラバレル おい高安の大横綱に笑をつけるんじゃない!笑
大事な相撲は大体北の湖関は千代の富士関に気を使ったというか、忖度したイメージがあります。
三人目はマサ斎藤さん?
改めて北の湖と千代の富士の相撲を見比べると技の多彩さと切れと出足と腰の備えとさしみの上手さとスピードはどれをとっても北の湖の方が一枚上で千代の富士が上回っているのは上半身の筋力のみ。やはり千代の富士独走は背景にレベルの低下があった。
本当に仰る通りだと思います。
上半身の力に関しましても、相撲に通ずる力に関してはこれもまた北の湖関の方が上手だったと思います。
見た目と実際の違いと申しますか。
小学生低学年時代に相撲を見出し
輪島と北の湖とどっちを応援してるの?
と従姉妹の姉ちゃんに聞かれ
うーん!輪島かな♪と答えたのを思い出す。
北の湖は憎らしいけど強かったと私の周りにも多数のファンが。
北の湖時代より前には人情相撲と言う言葉があったそうな。
プロレスも八百長の色眼鏡で見る連中が多い。
まー最近のプロレスは見てないが
炎鵬の活躍で久しぶりに相撲に注目!
稀勢の里の引退は本当に残念。
で北の湖・千代の富士!
週刊誌を見てる人々は北の湖をガチンコ横綱と
称賛。
小中高…と千代の富士を見てきたけど千代の富士も完璧!
小錦を八百長グループに引き入れようとして断られ
ならば…とガチンコでやっつけていた(笑)とか。
プロレスだって初代タイガーマスク対ダイナマイトKID
みたいに
世界最高峰は
文句なく面白い!
力道山もケンカが強く
リングセンスもあるから面白い!
千代の富士時代に1度生観戦しておけば良かった😂🍺
なんか琴風さんの話し方好き
琴風偉い!!! 自らが千代の富士に完敗であったことを認め、うまく解説するのは
なかなか出来ることではない。
北の湖は既に自分が親方になっているのに千代の富士関って呼んでるな😃
自分より二歳下だが恐ら優勝回数はじめ実績が北の湖より上だからだな😃
放送時の時点では
優勝回数も北の湖が上だと思いますよ
元々北の湖は謙虚な方でした
@@masahiromitani9214 さん、北の湖さんは謙虚です。先輩横綱、先輩力士にはさんづけでしたし、改めて相撲雑誌を見ていた時に輪島の引退には惜しんでいたし、三重ノ海の横綱昇進は喜んでいました。良い人なんです。
北の湖の素顔は優しくて繊細。優勝決定戦で有利とされながら度々敗れたのにも人間味が表れてる気がする。頭に瘤を作ってまで入門志願した舞の海はまだ規定の身長に数センチ足りなかったが、北の湖親方は温情でOKを出したんだよね。
違いますよ。先代貴ノ花(大関)が珍しく注文相撲(弟弟子の若乃花を優勝させるために)で北の湖に勝った時のコメントが、<まさか貴ノ花関が変わるとは思わなかった。仕方ない>でした。
今貴闘力にボロカス言われてる琴風か
この時代は八百長だらけだったから