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昔、外航の船乗りでした。私の先輩世代は船長は船と運命を共にすべき。との教えでした。武士道の切腹と同じです。尾道丸海難事故の北浜船長も退船を拒否してましたが、尾道丸乗組員の皆様とだんぴあ丸尾崎船長の説得で救助され、だんぴあ丸甲板上で両船長の男泣きでした。私はだんぴあ丸最年少乗組員でした。
@@16yk30 局長やボースンは定年直前で、二人とも大日本帝国海軍に従軍してた人で、航海中はよく飲み会の最後にはラバウル小唄や軍歌で大合唱でした。おかげ様でいつの間にか、その時覚えた軍歌は未だに全部譜面無しで歌えますw仕事は口の前に鉄拳が出て来る厳しさでした。板子一枚下は地獄。厳しい世界でしたが情の深さは言葉に表す事が出来ない位でした。
海の男ですね…。
セウォル号の腑抜け船長に聞かせたいね!
プロジェクトXでやってたやつですね!曽祖父も戦時徴用船の船長をしていたので、感じ入るものがありました。
自分は死を美化し過ぎるのもどうかと思う。バイアスなのか洗脳なのか無意識同調圧力なのか…遺された妻子供は不憫だなって思う。自分は永遠のゼロに出てくる宮部みたいな人が好き。どうしても生きて帰りたいという意志の強さ。
この様な知的好奇心を掻き立てる様な番組がなくなってしまいましたね。
繊細な船を作る技術、船長以下船員の方、メンテナンス作業員どの方も日本の誇れる方たちです。
❤
セウオル号の船長に見て欲しい番組です。
シーマンシップ皆無のクズですね
鉄板を溶接するには板の厚みに合わせて開先という、溶接で鉄板同士を溶け込ます厚みを作るためのV字の溝部分をつくる。このV字を下部から溶接してて鉄板同士が接合する強度を保つのだけれど、時間がかかるのでこのV字溝に溶接棒を並べて鉄板と溶接棒を一緒に溶接すれば溶接時間が短縮されるという、誤魔化しの溶接をしていたから強度が足りなくて破断したんだけど
何年か前に商船三井が運航する、三菱造船製造の5万トンのコンテナ船が、時化のインド洋で真っ二つに折れました。同船は、ハイテンション鋼を使用して排水量を抑えた船で、ハイテン鋼部分と普通鋼部分の接合部に生じる電位差から腐食が生じて船体強度が低下し、事故に至ったと聞きました。
@@竹内克-l7r 就航後6年ほどでの事故ですから、昔の鉱石船の事故と同じ船齢ですね。
構造などを改良し頑丈になった今は破断なども起こらず、野島埼沖のこの海域を今もタンカーやコンテナ船が往来してる。
当時の技術では予想し得なかった。仕方ない。との結論だと思うが、この後、建造基準をどう変えたかが重要ですね。
😅
当時の新鋭巨大船には、十分な運航データも無かったのが最大の原因です。
どこぞの国の船長は沈没した際、真っ先に逃げて死刑とか言われてましたね
日本にもいると思います。他人事じゃない。
小学校の時分に 野島崎沖は魔の海域 との報道を覚えています、懐かしく見ていたら知人の三野さんが出演していてびっくりしました、世の中狭いものです、船長が船と共に殉職の件は初めて知りました、感無量です。
大桃さんが若いな 最近見ないけど お元気だろうか 当時現場の溶接工だった方のブログを拝見した事があるけど 溶接自体半自動に不慣れな作業で閉口したらしいね 現場溶接が多用され下進溶接棒の使用が当たり前だったとか だからな 設計も旧来からの解析で行われてたし鋼材強度も不足していた可能性あるね 鋼板の圧延不良
戦前に三角波で相当数軍艦がやられた事を追求しきれなかったのでは
1:58 洞爺丸のような連絡船の沈没事故が、青函トンネルを造るきっかけにもなったのですね。でもやっぱり台風って怖いですね。僕なんか4年前の台風24号の時、沖縄本島は2日間も暴風域の中だったので、おかげで大規模停電が3日も続いたほどでした。
巨大船が続いて沈没した後、ニヤニヤ嗤いながら「いやいや、そんなはずない」と言うのは容易い。慎重を期すれば、人命が失われてはならないということを徹底するなら、やはり「ここはどうだったのか」という疑問に率直に応えるべき。
その後数十年間に沈没または消息を絶ったこの種の船の多くは、老朽化とメンテナンス不足が原因である可能性があります。 この船とその前年に沈没した船は、新しく建造されたものであるため、通常は珍しいものです。
昭和56年頃に同海域で沈没した船は、かなり老朽化したポンコツだと、当時の新聞で読んだ記憶があります。最後のギリシャの貨物船は、海保の巡視船がエースコート中に沈没しています。同じ日に父島から、おがさわら丸ドック入りの代船の、東海汽船ふりいじあ丸に乗船して近海を通過したので覚えていますが、凄まじい時化でした。
@@竹内克-l7r 実際、1 週間以内に、この種の貨物船のうち 3 隻がその海域で沈没しました。 最初に起こったのは、その年の始まる数日前 Dunav (ドゥナブ) でした。 その後、1 月 2 日に別の船 Golden Pine (ゴールデン パイン) が失われました。 最後の船はあなたが覚えている船で、その翌日に沈没しました Antiparos (アンティパロス) という名前でした。 残念ながら、海はこれら 3 隻の生存者を犠牲にしませんでした。
銚子市出身で、初夏の濃霧が発生している時の犬吠埼から聞こえる霧笛を思い出した。ただ、犬吠埼の霧笛は2008年に廃止になってしまい残念です。
製造業にいた者としては、現場の品質に関して全く取り上げられてないのが率直に違和感。設計の確認より、製作が設計通りかの確認が先じゃないのか??取材側もそこにあまり突っ込んでない。映像製作時点でも、品質管理の考え方としては基本だっただろうに…責任の所在を明らかにしない裁決に沿う形の映像だと感じました
素人ですが、冒頭から原因は三角波だろうと推定できました。昭和10年に日本海軍で起きた第四艦隊事件を知っていれば、恐らく誰しもがそう考えるのではないでしょうか。同事件では堅牢な作りの海軍艦艇が東北地方沖合で台風とぶつかり、艦首をもぎ取られた駆逐艦、艦橋が圧壊した空母龍驤の他にも当時の最新鋭の重巡洋艦最上の外板に亀裂が走るなどの被害を出しています。ブリキ細工と言われた駆逐艦は置いておいても十分な装甲が施された軍艦にあっても波の破壊力が凄まじいことは、この事件で知れ渡ることになったはずです。番組内でも取り上げられたのかと思いきや、そうでなかったところが残念です。
第四艦隊事件当時とは船舶の大きさも建造技術も全く違いますし。プロの人たちだからこそ、「第四艦隊事件がこうだったからきっとこれもそうだ」なんて 安易な結論は出せないんでしょう。
私も野島崎で客船で遭難仕掛りました。今でも古参の乗組員の団結で乗り超えました
この時期にタイムリーなこの動画をアップワックさんすごいですね(^o^;)色々考えさせられました(上げ直したようなので1回目と同様のコメ再度書き込みました)
戦時中の軍艦の艦長なら判りますけど、戦後の民間船舶の事故で船と共に運命を共にする必要は無かったと思います。明らかな船長の判断・指示ミスで多くの乗組員の命を落としてしまった、とかなら未だ判りますが。それよりも、生還して事故の詳細を綿密に証言する事が後の海難事故を減らす事に繋がると思うのですが。ただ、事故当時は戦後からの期間も少ないですし、旧日本海軍の教訓?が悪い意味で影響して居たと思います。
生き残ったら半端ない誹謗中傷で家族まで迷惑がかかりますよ。日本社会はそういうものです。まだ昭和40年代なら尚更
ナレーションがワーレンすぎる
ロケットと同じだよな。黎明期は何でも新たな経験と試行錯誤の世界。
三菱よりIHIのコメントの方が納得できる。
三菱、ニヤニヤするな。
昭和40年戦後にして日本海軍の、日本の海の男の生き様を魅せられた思いだ。
三菱の設計者のコメントは争点ずらしで怪しい。船体が壊れているのだから船体に問題があったと考えるしか無い。
海外では日本近海に「バミューダトライアングル」に相応する「ドラゴントライアングル」が存在するとこの辺の海難事故を題材にオカルト化されてしまってますね😢普通に海の難所なのは確かだけど
野島崎沖って、三角波が出来るというのを何かで視たんですが、昭和の時代に作られた映画、振動の世界にも船について出てますね。
200mの船を20mm(1円玉の直径の)厚さの鉄板で作ったら。。。。寸法を1/100にすればよく分かる。。。2mのボートを缶詰めのブリキ板で作った感じ。。。
鋼板も強く、壊れにくくなっているぞ。
野島崎沖最近どっかで聞いたなと思ったらこの前東海汽船のジェット船が漂流してたところですね波が原因でそうなったわけではないと思いますが関東の近くの海でも恐ろしいものです
3.11前の日本の映像はどこもいいもんだな
ぼりばあ丸とともに高度経済成長期の悲惨な海難で有名だが、当時の写真や乗組員などの関係者がいて・・遭難の写真は初めてみた。深海6000メートルへ沈んだこれらの船を、探してやってくれ。軍艦ばかりじゃなく。
千葉県 野島崎沖三角波が発生する 大波 船はまっ2つに折れる らしいよ
あるみかんの例えは全く正しく無い。鉄はもっと強い。
一般人に厚さの説明という点じゃ筋違いとは思わない。
不安定破壊、靭性不足。
結局は誰の責任でもないというのが結論だとすると賠償とかはどうなったのだろうか。保険などは使えたのか。
当時の造船工学に一般船においても二重底設計思想はあったのか?
戦時中の急増標準船を除き、戦後に設計就航した船は、全て二重底ですよ。
事故から学ぶのは必要だが、事故を経験しなくても安全性を確保できるようにするのが最近の技術。事故が起きてからでは遅い。この番組は事故の犠牲者を軽視しているようだ。
科学の面で議論して欲しい。最後のアナのコメントは酷い
大桃美代子や!
第一中央汽船と言えば 四国今治に本社が有りますね
なんで同じ内容を上げ直したんでしょう?コメントを消すためですか?
初めましてガリレオchの動画はクオリティーが高いし、教えて貰う事もありよく見ているのですが、この再UPはうぷ主のクオリティーが知れると言うものコメント消し位、平気なのでしょうね。
わざわざあげ直さなくてもコメは消せるぞシンプル馬鹿?
なんだか、内容が無いなあ。一応大きな波によって船体が破損したという風に番組は伝えたいのか?補強板に圧力を掛けて実験したって部分も、紹介しときながら何tの圧で補強板が破損したのかとか、それによってどれくらいの波のエネルギーが想定されるとか一切無くて残念。浴槽と潤滑油の液面から算定した結果だけしか出さないのはCHの名前に激しく負けている。2か月に渡って実験しました、ってその結果は?正直期間なんかどうでも良いんだが。部分的に大きい衝撃が長い作用時間で加わったと考えると納得。逆に耐えられる船はあるのだろうか。
結果がどうなったかについては、私も同じことを考えていました。 それらは、歴史上ごく最近になって証明された気象現象である不正波を示唆しているようでした。翻訳ツールを使用しているため、文法的な間違いがある場合は申し訳ありません。
当時の巨大船に十分な船体強度のデータが無かったので、起きた事故です。それらの事故のデータ解析から、十分な船体強度を持って設計されている現代の巨大船は、老朽化で船体強度が落ちない限り、同様な事故を起こす事は無いと思います。
インタビューの音を消すぐらいのバックグラウンドミュージック。内容を知らしめる事は2の次の番組だと思えるね。w
見るだけ時間の無駄。「沈没のメカニズム」は何ら解き明かしてないどころか考察すらされていない
設計上欠陥だろ
私がまだ幼いころの事件ですね。
abc放送驚きももの木20世紀のパクり企画どこの放送局か知らないが考え浅い他の動画で驚き…の同じ内容の作品あるから見比べれば質の違いは歴然
当時は巨大運搬船の黎明期で、十分な対航性のデータも無く、大時化の海で船体にかかるせん断応力の解析も机上の計算データしかなかったので、このような事故が起きたと聞いたことがあります。一方1万トンクラスの、当時の一般的な貨物船には、既に100年近く運航され来た実績があり、大時化の海上航行での十分なデータもある事から、当時の新鋭巨大船よりも対航性に優れていて、真冬の野島崎沖のような厳しい海況下でも、船体の破断事故が起きることはなかったと聞いています。
昔、外航の船乗りでした。私の先輩世代は船長は船と運命を共にすべき。との教えでした。武士道の切腹と同じです。尾道丸海難事故の北浜船長も退船を拒否してましたが、尾道丸乗組員の皆様とだんぴあ丸尾崎船長の説得で救助され、だんぴあ丸甲板上で両船長の男泣きでした。私はだんぴあ丸最年少乗組員でした。
@@16yk30 局長やボースンは定年直前で、二人とも大日本帝国海軍に従軍してた人で、航海中はよく飲み会の最後にはラバウル小唄や軍歌で大合唱でした。おかげ様でいつの間にか、その時覚えた軍歌は未だに全部譜面無しで歌えますw
仕事は口の前に鉄拳が出て来る厳しさでした。板子一枚下は地獄。厳しい世界でしたが情の深さは言葉に表す事が出来ない位でした。
海の男ですね…。
セウォル号の腑抜け船長に聞かせたいね!
プロジェクトXでやってたやつですね!
曽祖父も戦時徴用船の船長をしていたので、感じ入るものがありました。
自分は死を美化し過ぎるのもどうかと思う。バイアスなのか洗脳なのか無意識同調圧力なのか…遺された妻子供は不憫だなって思う。自分は永遠のゼロに出てくる宮部みたいな人が好き。どうしても生きて帰りたいという意志の強さ。
この様な知的好奇心を掻き立てる様な番組がなくなってしまいましたね。
繊細な船を作る技術、船長以下船員の方、メンテナンス作業員どの方も日本の誇れる方たちです。
❤
セウオル号の船長に見て欲しい番組です。
シーマンシップ皆無のクズですね
鉄板を溶接するには板の厚みに合わせて開先という、溶接で鉄板同士を溶け込ます厚みを作るためのV字の溝部分をつくる。このV字を下部から溶接してて鉄板同士が接合する強度を保つのだけれど、時間がかかるのでこのV字溝に溶接棒を並べて鉄板と溶接棒を一緒に溶接すれば溶接時間が短縮されるという、誤魔化しの溶接をしていたから強度が足りなくて破断したんだけど
何年か前に商船三井が運航する、三菱造船製造の5万トンのコンテナ船が、時化のインド洋で真っ二つに折れました。同船は、ハイテンション鋼を使用して排水量を抑えた船で、ハイテン鋼部分と普通鋼部分の接合部に生じる電位差から腐食が生じて船体強度が低下し、事故に至ったと聞きました。
@@竹内克-l7r 就航後6年ほどでの事故ですから、昔の鉱石船の事故と同じ船齢ですね。
構造などを改良し頑丈になった今は破断なども起こらず、野島埼沖のこの海域を今もタンカーやコンテナ船が往来してる。
当時の技術では予想し得なかった。仕方ない。との結論だと思うが、この後、建造基準をどう変えたかが重要ですね。
😅
当時の新鋭巨大船には、十分な運航データも無かったのが最大の原因です。
どこぞの国の船長は沈没した際、真っ先に逃げて死刑とか言われてましたね
日本にもいると思います。他人事じゃない。
小学校の時分に 野島崎沖は魔の海域 との報道を覚えています、懐かしく見ていたら知人の三野さんが出演していてびっくりしました、世の中狭いものです、船長が船と共に殉職の件は初めて知りました、感無量です。
大桃さんが若いな 最近見ないけど お元気だろうか
当時現場の溶接工だった方のブログを拝見した事があるけど 溶接自体半自動に不慣れな作業で閉口したらしいね 現場溶接が多用され下進溶接棒の使用が当たり前だったとか だからな 設計も旧来からの解析で行われてたし鋼材強度も不足していた可能性あるね 鋼板の圧延不良
戦前に三角波で相当数軍艦がやられた事を追求しきれなかったのでは
1:58 洞爺丸のような連絡船の沈没事故が、青函トンネルを造るきっかけにもなったのですね。でもやっぱり台風って怖いですね。僕なんか4年前の台風24号の時、沖縄本島は2日間も暴風域の中だったので、おかげで大規模停電が3日も続いたほどでした。
巨大船が続いて沈没した後、ニヤニヤ嗤いながら「いやいや、そんなはずない」と言うのは容易い。慎重を期すれば、人命が失われてはならないということを徹底するなら、やはり「ここはどうだったのか」という疑問に率直に応えるべき。
その後数十年間に沈没または消息を絶ったこの種の船の多くは、老朽化とメンテナンス不足が原因である可能性があります。 この船とその前年に沈没した船は、新しく建造されたものであるため、通常は珍しいものです。
昭和56年頃に同海域で沈没した船は、かなり老朽化したポンコツだと、当時の新聞で読んだ記憶があります。最後のギリシャの貨物船は、海保の巡視船がエースコート中に沈没しています。同じ日に父島から、おがさわら丸ドック入りの代船の、東海汽船ふりいじあ丸に乗船して近海を通過したので覚えていますが、凄まじい時化でした。
@@竹内克-l7r 実際、1 週間以内に、この種の貨物船のうち 3 隻がその海域で沈没しました。 最初に起こったのは、その年の始まる数日前 Dunav (ドゥナブ) でした。 その後、1 月 2 日に別の船 Golden Pine (ゴールデン パイン) が失われました。 最後の船はあなたが覚えている船で、その翌日に沈没しました Antiparos (アンティパロス) という名前でした。 残念ながら、海はこれら 3 隻の生存者を犠牲にしませんでした。
銚子市出身で、初夏の濃霧が発生している時の犬吠埼から聞こえる霧笛を思い出した。
ただ、犬吠埼の霧笛は2008年に廃止になってしまい残念です。
製造業にいた者としては、現場の品質に関して全く取り上げられてないのが率直に違和感。
設計の確認より、製作が設計通りかの確認が先じゃないのか??取材側もそこにあまり突っ込んでない。
映像製作時点でも、品質管理の考え方
としては基本だっただろうに…
責任の所在を明らかにしない裁決に沿う形の映像だと感じました
素人ですが、冒頭から原因は三角波だろうと推定できました。
昭和10年に日本海軍で起きた第四艦隊事件を知っていれば、恐らく誰しもがそう考えるのではないでしょうか。
同事件では堅牢な作りの海軍艦艇が東北地方沖合で台風とぶつかり、艦首をもぎ取られた駆逐艦、艦橋が圧壊した空母龍驤の他にも当時の最新鋭の重巡洋艦最上の外板に亀裂が走るなどの被害を出しています。
ブリキ細工と言われた駆逐艦は置いておいても十分な装甲が施された軍艦にあっても波の破壊力が凄まじいことは、この事件で知れ渡ることになったはずです。
番組内でも取り上げられたのかと思いきや、そうでなかったところが残念です。
第四艦隊事件当時とは船舶の大きさも建造技術も全く違いますし。プロの人たちだからこそ、「第四艦隊事件がこうだったからきっとこれもそうだ」なんて 安易な結論は出せないんでしょう。
私も野島崎で客船で遭難仕掛りました。今でも古参の乗組員の団結で乗り超えました
この時期にタイムリーなこの動画をアップ
ワックさんすごいですね(^o^;)
色々考えさせられました
(上げ直したようなので1回目と同様のコメ再度書き込みました)
戦時中の軍艦の艦長なら判りますけど、
戦後の民間船舶の事故で船と共に運命を共にする必要は無かったと思います。
明らかな船長の判断・指示ミスで多くの乗組員の命を落としてしまった、とかなら未だ判りますが。
それよりも、生還して事故の詳細を綿密に証言する事が後の海難事故を減らす事に繋がると思うのですが。
ただ、事故当時は戦後からの期間も少ないですし、旧日本海軍の教訓?が悪い意味で影響して居たと思います。
生き残ったら半端ない誹謗中傷で家族まで迷惑がかかりますよ。日本社会はそういうものです。まだ昭和40年代なら尚更
ナレーションがワーレンすぎる
ロケットと同じだよな。黎明期は何でも新たな経験と試行錯誤の世界。
三菱よりIHIのコメントの方が納得できる。
三菱、ニヤニヤするな。
昭和40年戦後にして日本海軍の、日本の海の男の生き様を魅せられた思いだ。
三菱の設計者のコメントは争点ずらしで怪しい。船体が壊れているのだから船体に問題があったと考えるしか無い。
海外では日本近海に「バミューダトライアングル」に相応する「ドラゴントライアングル」が存在すると
この辺の海難事故を題材にオカルト化されてしまってますね😢
普通に海の難所なのは確かだけど
野島崎沖って、三角波が出来るというのを何かで視たんですが、昭和の時代に作られた映画、振動の世界にも船について出てますね。
200mの船を20mm(1円玉の直径の)厚さの鉄板で作ったら。。。。
寸法を1/100にすればよく分かる。。。2mのボートを缶詰めのブリキ板で作った感じ。。。
鋼板も強く、壊れにくくなっているぞ。
野島崎沖最近どっかで聞いたなと思ったらこの前東海汽船のジェット船が漂流してたところですね
波が原因でそうなったわけではないと思いますが関東の近くの海でも恐ろしいものです
3.11前の日本の映像はどこもいいもんだな
ぼりばあ丸とともに高度経済成長期の悲惨な海難で有名だが、当時の写真や乗組員などの関係者がいて・・遭難の写真は初めてみた。深海6000メートルへ沈んだこれらの船を、探してやってくれ。軍艦ばかりじゃなく。
千葉県 野島崎沖三角波が発生する 大波 船はまっ2つに折れる らしいよ
あるみかんの例えは全く正しく無い。鉄はもっと強い。
一般人に厚さの説明という点じゃ筋違いとは思わない。
不安定破壊、靭性不足。
結局は誰の責任でもないというのが結論だとすると賠償とかはどうなったのだろうか。保険などは使えたのか。
当時の造船工学に一般船においても二重底設計思想はあったのか?
戦時中の急増標準船を除き、戦後に設計就航した船は、全て二重底ですよ。
事故から学ぶのは必要だが、事故を経験しなくても安全性を確保できるようにするのが最近の技術。事故が起きてからでは遅い。この番組は事故の犠牲者を軽視しているようだ。
科学の面で議論して欲しい。最後のアナのコメントは酷い
大桃美代子や!
第一中央汽船と言えば
四国今治に本社が有りますね
なんで同じ内容を上げ直したんでしょう?
コメントを消すためですか?
初めまして
ガリレオchの動画はクオリティー
が高いし、教えて貰う事もあり
よく見ているのですが、この再UPは
うぷ主のクオリティーが知れると言うもの
コメント消し位、平気なのでしょうね。
わざわざあげ直さなくてもコメは消せるぞ
シンプル馬鹿?
なんだか、内容が無いなあ。一応大きな波によって船体が破損したという風に番組は伝えたいのか?
補強板に圧力を掛けて実験したって部分も、紹介しときながら何tの圧で補強板が破損したのかとか、それによってどれくらいの波のエネルギーが想定されるとか一切無くて残念。
浴槽と潤滑油の液面から算定した結果だけしか出さないのはCHの名前に激しく負けている。2か月に渡って実験しました、ってその結果は?正直期間なんかどうでも良いんだが。
部分的に大きい衝撃が長い作用時間で加わったと考えると納得。逆に耐えられる船はあるのだろうか。
結果がどうなったかについては、私も同じことを考えていました。 それらは、歴史上ごく最近になって証明された気象現象である不正波を示唆しているようでした。
翻訳ツールを使用しているため、文法的な間違いがある場合は申し訳ありません。
当時の巨大船に十分な船体強度のデータが無かったので、起きた事故です。
それらの事故のデータ解析から、十分な船体強度を持って設計されている現代の巨大船は、老朽化で船体強度が落ちない限り、同様な事故を起こす事は無いと思います。
インタビューの音を消すぐらいのバックグラウンドミュージック。
内容を知らしめる事は2の次の番組だと思えるね。w
見るだけ時間の無駄。「沈没のメカニズム」は何ら解き明かしてないどころか考察すらされていない
設計上欠陥だろ
私がまだ幼いころの事件ですね。
abc放送
驚きももの木20世紀
のパクり企画
どこの放送局か知らないが
考え浅い
他の動画で
驚き…の同じ内容の作品あるから
見比べれば質の違いは歴然
当時は巨大運搬船の黎明期で、十分な対航性のデータも無く、大時化の海で船体にかかるせん断応力の解析も机上の計算データしかなかったので、このような事故が起きたと聞いたことがあります。一方1万トンクラスの、当時の一般的な貨物船には、既に100年近く運航され来た実績があり、大時化の海上航行での十分なデータもある事から、当時の新鋭巨大船よりも対航性に優れていて、真冬の野島崎沖のような厳しい海況下でも、船体の破断事故が起きることはなかったと聞いています。