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今から35年前に煉瓦亭でアルバイトしてました。現在では考えられないくらい時給安かったけど、ものすごく忙しい日に通しで働いた日には、大入り500円頂けました。昭和の終わり頃の古き良き思い出。楽しかったなあ‼️
明治生まれの祖父は生前、溶き卵にチキンライスを混ぜて、きれいなオムライスをつくってくれました。小麦粉炒めてルーから作る黄色いカレーも美味しかったです。
美しい思い出ですね。教えて下さって、どうもありがとうございます。
まあぁぁぁ(*゚▽゚*)とてもノスタルジックかっリーズナブルかっオシャンティーなんて素晴らしいゎ✝
でも、祖父の影響でいまだに一番好きなのは烏賊の塩辛のタレに白菜漬をつけて食べながら飲む、べったべたの日本酒という、オシャレの対極wwwそしてウチの家系は代々高血圧。
おおさす
コメ欄も歴史の雑学が多く書かれててとても勉強になる
レストラン。元々は体を休めるなどの意。だから、精養軒ってのは上手い(美味い)語呂合わせ。Restaurant 精養(西洋の意もある)軒
すごい、面白いですね
なるほど〜トリビア❗️
子供の頃パーキングエリアのレストハウス、レストルームはなんでレストランに言葉が似てるんだろう?と思ってたんですが、そう言うことだったんですね
レスト=休む、休憩。ラン=走るなので、直訳すると、走るのをやめる場所って意味だから、休んで飯食って体を養うって意味と西洋にかけるのは、いいセンスだよねー高級感もあるし。
ちょっと前はデミグラスソースのオムライスが嬉しかったけど、最近はケチャップのオムライスが懐かしくて良い🥚✨
日本史の資料集に載ってたのガチで美味しそうだった
コロッケの歌って聞いて...「いざ進めやキッチン!」と脳内再生されたのは私だけじゃないはず
日本中に洋食が広まったのは旧軍と鉄道の影響が大きいですね。庶民向けは旧軍ルート、金持ちは鉄道の食堂車ルートだと思います。旧軍ルートは炊事場で働いてた人が除隊後に料理人として店を構えたり家庭に軍隊料理を伝えて広まっていきました。ちなみに、重巡青葉のクリームコロッケのレシピにはジャガイモが入ってます。
東京に行った時に精養軒に行けばよかった。高そうなイメージがあって行けなかった。長崎の自由亭は若い頃長崎にドライブで立ち寄ったけど、みんな上品そうな服を着てる中で、自分だけ服装がキングボンビーで落ち着かなかった思い出がある。
日本中に洋食が広まったのは東京の洋食屋さんに修行に行ってた人達が関東大震災で廃業したので地元に戻ってお店を始めたとの事地方の名店って調べると色々とあるかと
後は軍隊で料理を覚えて除隊後広まった、のもあるそうです。
そもそも現代の料理の9割は、貧しい家庭の母親が子供たちに何かをお腹いっぱい食べさせてあげたいと思う親心が生んだものばかり。
美味しい料理って、有り合わせでチャチャと作ると出来る。ケチっていけないのは調味料
極端な話、良い醤油で作った焼きおにぎりとかマジで美味しいよね。あるいは良いバターを使うだけで、ただのポークソテーですらご馳走になるよね。フライパンに残った油でニンニク炒めて醤油垂らすだけで最高のソースになるよ!🤣
コロッケで思い出したのが、道徳だかで、戦時中にコロッケが食べたいと言い出した子供、食卓にコロッケが並んで激怒する父(贅沢品の為)無言を貫き、自身の分は容易しなかった母、それに気づいて無言で母に半分コロッケを譲る父…みたいなシナリオの話思い出した。
で、昭和一桁の親父(故人)が、作り話もいい加減にしろ!歴史認識が甘い!と怒る訳で。当時から東京ではコロッケは贅沢品でも何でもなかったはずだよ。ハイカラだったのは明治の頃だろうね。
@@美食-t4t みたいなシナリオの話思い出した?
確か、徳川慶喜が豚肉好きでしたね。肉食にタブーがあったんで、魚と偽って食べてたと聞いたことがあります。
あと、洋食は町場の普及よりも海軍(明治)での普及が大きかったですね。食料の貯蔵と兵士達の栄養補給との面で、煮込み料理(シチュー)がクローズアップされ、ワインとかトマトとか無いから肉ジャガが産まれました。だからカレーは味変から始まったものと思います。諸説ありますが、クロケットがコロッケになったのも、バターや小麦粉など戦中・戦後(太平洋戦争)に入手出来ずにいたので代用品としてデンプンが使われた事もあると思います。
前にも別で書いたけど、江戸時代の日本に肉食がなかったというのは間違いです。肉食は江戸時代の間もずっと行われていました、江戸市中にも「ももんじや」という猪やシカのほか兎に猿など狩で取れた肉いわゆるジビエを食わせる店が営業していました、俗に薬食いなどと言われて薬になる栄養食と定義づけられていて汁物や貝焼き(貝殻に入れて焼いたもの)鋤焼きなどのレシピが残っています。一方、禁止というか食べられていなかったのは牛肉ですが、なぜか彦根藩の赤牛だけは食べても血を汚さない肉であるとされ、将軍家や御三家などにも献上されていました、
大阪出身なので、自由軒のカレーライスと北極星のオムライスはとても有名です。自由軒のカレーライスのオーダーは混ぜてあるものと、ご飯とカレーが別になっている物があって、ご飯とカレーが分かれてるのが別カレーと呼ばれてます。混ぜてある物が名物カレーと呼ばれていて、夫婦善哉で有名な作家織田作之助氏が足繁く通ったと言われています。
7年前に自由軒に行きましたが、やはり店内に織田作之助の写真が飾られており、「トラは死んで皮を残す 織田作死んでカレーライスを残す」の文言が添えられていました。
江戸時代の人達は、獣肉を「山くじら」「モモンガ」と名前をごまかして食べていた。動画中にも登場する仮名垣魯文の戯作「安愚楽鍋」にそのへんが詳しい。
ももんじ屋じゃね?イノシシが山鯨で獣肉全体を扱うのがももんじ屋だと思う。薬としての肉食や食肉店だと思う。
肉食文化は禁止と言っても将軍家に毎年味噌漬け肉が献上されてたし薬食いと言ったり 山鯨・牡丹・紅葉・桜などと言ってそれなりに食べられていてお店もいくつかは有ったみたいだよ まるっきり食べられて無かったみたいに言うのはちょっと違う気がする
当時はおおっぴらに食べることができなくて、畑や田んぼで焼いて食べていたらしい。焼く時に鋤や鍬を使ったから「すき焼き」と呼ばれるようになった説もあります。
@@desmonduozmiak7899 畑や田んぼで食べる方が目立つやろ 調理器具が無い戦場でって説の方が信憑性はある気がするすき焼だけでなく「くわ焼き」も 普通に今も有るよ
ですね何だかんだ言っても肉の味は美味しいですからね名前を変えて食べてたという記述はたくさんあります江戸時代には仏教の僧侶も民衆から見て華美におぼれてて、仏教の教義や戒律を守り崇拝される僧侶とは見られなくなっていて仏教から離れていきましたしね江戸時代に各地でひっそりと食べられてモノが明治時代辺りには神道に移り変わって食文化も一気に花開いた感じかな
公的な会食では獣肉は避けられてたみたいだね。とはいえ鳥や魚の類はOKだから、ウサギや亀も食べられてたらしいね。鳥も鶴やキジ、トキなんかも食べてたみたいで、レシピが今も残ってるよ。
ゆっくりがゆっくりっていうと落ち着く😌とろこって言い方好きい、じ、わ、るが遂にスルーされたwすき焼き、ステーキ、オムライス…洋食は特にご馳走のイメージが強くて食べに行く時ワクワクします
昔は砂糖が高級品で醤油も今みたいに安くないから醤油風味の塩水でネギと牛肉を煮た料理だから、現代人の舌にはとてもじゃないが食えたもんじゃないと文献に詳しい歴史の先生が熱弁してたの10年振りに思い出したあと、キテレツ大百科の方がコロッケの歌でピンと来た笑笑
大正生まれの母に聞いた話。昭和初期。村人総出で山を下から追い上げる兎狩り。ウサギは追い詰められ山頂で仕留められる。捌いた兎肉は村人で山分け。しかし兎は一羽二羽と数える鳥扱いだから、そんなに罪悪感無く食べたとか。それで「ウサギ追いし かの山」と故郷の歌を聞いた時「ウサギ美味し♪」だと勘違いしてたw
たいめいけんという店長の肌の色まで文明開化した店があってな...昭和6年創業の老舗
たいめいけん、近所のスーパーのお弁当の監修してます。美味しいです。
御体は大事にしてほしい。
日露戦争当時の海軍カレーを当時のレシピで再現しましたって売り文句の店でカレーを食べた事があるけどカレーというよりはシチューに香辛料を足したような感じで今のカレーとは味も辛さも随分と違う物だったなぁ。
一瞬 日露戦争当時にカレー食べたんかとおもた
金の卵世代の祖母が初めて洋食を食べたのは15歳で集団就職をした時に勤め先の社長さんにオムライスをご馳走していただいたのが初めてだったとか、それまでは菜葉漬けや麦でかさ増ししたご飯ばかり、よくて鯨肉や鰻の油炒めだったので大変美味しかったと言っていました。
明治40年生まれのワシのお婆の話では明治の終わりでもすき焼きは食べたけど四つ脚の獣肉なので家の中で食べる事はせずわざわざ庭先で料理して食べたとの事。ほぼ同じ頃9歳のお爺は初めて神戸に連れて来てもらって洋食屋でカツレツなるモノを食べて世の中にはこんな旨いモノが有るのか!と思ったそうやで!(笑笑)。
池波正太郎先生は、資生堂パーラーで初めてクリームコロッケを食された時に「普段ジャガイモのコロッケに慣れていたせいか、このクリームコロッケには本当にビックリした」というようなことを言われてます。発祥はクリームコロッケが先でも、庶民に先に親しまれていたのはジャガイモコロッケなんでしょうね。
関係ないけど国語でえびフライやったときメチャクチャえんびふらい食べたくなってお母さんにお願いしたの思い出した。
えんびふらいやな!!!
しゃお
うめもんせ
えんびふらいって、なんせ
冷凍食品エビフライ。国語の教科書だったかな?
クリームコロッケが好きなのですが、当時2個でソースがかかって2000円したと聞いた時には、現代に生まれて良かったと思いました
今でも本物はそうだよ。やすいのは小麦粉やジャガイモの粉でかさ増ししたやつ。
大阪で洋食屋というと自由軒が有名だけどカレーを混ぜて出すのはもともとご飯をおひつに入れてるんだけど、時間がたつと当然冷める暖かい状態でお客さんに食べてもらうためにルーと混ぜてだしたのがあのカレーらしい。当時はカレーライスでも高級な食べ物だったのでライスだけ頼んでウスターソースをかけて気分だけでも洋食を食べた気になろうというお客もいたらしい
ソーライねー。阪急梅田のソーライの話は男前で泣ける!
自由軒はカレーもだけどハヤシライスだかハイシライスも美味かった
自由亭でお茶したことある、すごくよかった毎日でも通いたくなった。観光で行ったんだけどわ
「海軍士官たる者、洋食マナーを重視すべし。しかるに西洋料理は築地精養軒を利用すべし」明治5年に西郷従道が通達を出してます。英国海軍に範をとってるからでしょうね。ゆえ海軍士官は、「外交官」としての素養も必要とされ、テーブルマナーの習得は必須のものでした。なんと、月末ごとに個人別勘定がチェックされて、精養軒への支払いが少ないものは呼びだされて注意を受けたといいますから普通ではありませんと資料には書いてあるようです。英国では士官は大抵は貴族がなるものですが、給料の少ない日本の少尉とかは、大変だったろうと思います。
洋食といえば『カツカレー』!富井副部長、尊敬してます!!
カツカレー大好き!!富井副部長も大好き!!富井君をボコボコに殴りたいほど大好き
洋食は北陸方面が面白い。例えば福井のヨーロッパ軒は創業者がドイツ料理で修行したので、名物のソースカツ丼はポークシュニッツェル風の薄い肉を使っている。金沢カレーにしても、フランス料理の修行を積んだ人物が考案したという。北陸方面って昔は交通の便が悪かったから、少数の料理人が伝えた料理が独自の発展を遂げているところがある。あと、戦後創業の地方の洋食屋は船員コック上がりが始めたというケースが少なからずある。戦前、日本には数多くの外国航路の客船があったけど、戦時中にほとんど沈められてしまったので、仕事を失った料理人が地元に帰って店を出したというケースだ。
魔理沙でも上野精養軒の料理を食べれるぞ!!上野の科博へ行くのだ!!!・・・精養軒が食堂運営しているぞw
牛鍋るろ剣思い出した
煉瓦亭、とんき、最高良動画でした!
カレーライスなら、陸軍でも人気だった。帝国ホテルシェフの村上信夫氏のエピソードが有名。肉食。表向き禁じていたが、密かに食べる人も少なからずいた。ももんじ屋と呼ばれる店で肉を提供してたし、猪肉を「山くじら」と言って出したり。また彦根の井伊家では「牛肉の味噌漬け」を将軍家や付き合いのある大名家に献上品や贈り物として贈っていた。
尚、くじらは魚類と認識されていた。またうさぎを1羽2羽と呼ぶのも、畜肉じゃなくて鳥肉ですよって言いたいがため。
コロッケ、昭和30年前半生まれの私が小学生の頃、当時1個5円だった。仲間とお腹がすいたら10円玉を握って肉屋に行って油で透き通った薄紙の袋に入った揚げたてを、はふはふしながら食べた。今でいうファーストフードだったんだな。肉屋の良い油で揚げたコロッケは空腹も手伝って絶品だった。今でも揚げたてのコロッケを食べるとその頃を思い出す。
同い年くらいwコロッケは懐かしの味ですね〜(*´-`)
杉浦茂のマンガ「猿飛佐助」にコロッケ五円之助ってキャラクターが居たもんなあ。今なら「85円之助」とか「110円之助」とか?
私の元々、住んでいた北陸のほうで、そういうお惣菜屋さんがあったのを思い出す、懐かしいお話です🎵百万都市の一つ福岡市に引っ越してから、人と人との付き合いはなくなりましたね。精神的な意味で………。 それにしても、これを見ていると、西洋料理の和食化が幅を利かせているのが、如実に分かります。いつぞやゴールデンウィークで、福岡市に住んでいる弟が家族を連れて来たことがあって、間に合わず、懇意にしていた料亭の旦那さんに無理矢理に頼み込んで、何でもかんでも作ってもらったことがあります❤️子供が好きそうなエビフライや、唐揚げ、フライドポテトがありましたが…………。ご馳走という感じではなくて、ひたすらお腹を満たすために食べていました❗よって、口の中が、油っぽいというか、味が濃すぎて、ビールだの、烏龍茶だの…………。とんだゴールデンウィークでした😅⤵️コロナが始まる数年前のことです。
鬼滅の小説(この世界は大正時代)もアイスクリームが登場して炭治郎達(主に善逸)が美味さに感動してたのあったな…
オムライスの東西の違いを聴いて『桜餅』の違いを思い出した!
昭和40年代関東生まれですが子供の頃は桜餅というと餡をピンクの薄焼きで巻いたもんでした。50年代くらいから「道明寺」として挽割りの道明寺粉で包んだものが出回った。個人的には道明寺のが好きです🌸
海軍がカレーを採用したのは材料がすべて長期保存できるから、ですね。
カレーを海軍で取り入れた時、「何曜日か分かるようにするため金曜日にカレーを出す」という習慣が出来た。これは現在の海上自衛隊にも受け継がれている。
綱吉って、ビーガンの先駆者⁉️
帝国海軍当時は土曜カレーだったのです!つまり休みの前の日、昼ご飯は部隊で食べ、仕事終わりの夜は上陸して外で食べるので量の調整が効きやすいカレーの出番となったのがそもそもの起源だったり。つまり曜日感覚云々は実は後付けの理由なのですよ。
@@thousandscrystal 全然違う。綱吉に限らず将軍は魚介類は普通に喰ってたし鳥肉も割と良く料理になっていたそうだ。獣の肉を禁じたとは言ってもそれ程徹底していた訳じゃなくて、山鯨という猪肉や山鳥という兎肉はそこら中で喰ってたという話しが残っている。兎を1羽2羽・・・ と数えるのは鳥に見立てて喰っていたから。色々、有り難いご託宣や綺麗ごと並べてみたところで、飢饉が来て飢え死にしそうになったら何でも喰って生き延びるのが人間という生物の業と言うか逞しさだね。
@@fep2901 調べてみたら週末カレーが始まったの自体が昭和の終わりから平成の初め頃で、しかもその頃から週休2日制が広まりだしていたので土曜カレーはあってもごく一部だったみたいです。ぐぬぬ。しかし誤った知識を覚えなおせたと考えればこれも幸いなのです。ありがとうございました!
「養生食い」などといってイノシシとか鹿、山鳥などをお上の目を盗んで食べていたものが、明治になって堂々と食べれるようになったわけですね(^^)
9:53 この唄、祖母が歌ってたけど実在する曲だったのか……
なんかすごいw
歴史の生き証人じゃん!
東京生まれのお年寄りが、戦前に精養軒で食事をする時は、ワンピースを着て革靴を履いて行ったと、懐かしそうに話していました。子供ながらに精一杯お洒落をしたというところでしょうか。
子供の頃、ハンバーグとかエビフライやポタージュスープなど、いわゆる洋食はデパートの食堂でしか食べられないと思いこんでいました。精養軒とか煉瓦亭、たいめい軒などの洋食屋さんは、相当大人になってから存在を知り、行けるようになりました。どうも偏屈で病的にアルコールが大嫌いだった父親が、「お飲み物はどうされますか?」という店だけで「二度とここにはこない」と言いだして、社会人になるまで、街場の洋食屋さんの存在を知りませんでした。
大好きなエビフライ、コロッケ、オムライス、カレーライスを開発してくれた昔の方々には感謝しかない。ありがとうございます!
江戸時代でも建前上は肉食を禁止されていても実際には庶民も肉を口にしていました。主に「薬」として扱われる事が多く(これはあくまで薬だから!身体に必要だから食べているだけだから!という建前も含む)、当時の文献には肉料理のレシピが残されているのもあります。
これを観ながら卵かけご飯食べてます。美味しいです。
このチャンネルで〝埼玉深谷〟というワードが聞けたことが幸せ…( *¯ ꒳¯*)✨
おばあちゃんのコロッケの歌! 私のばーちゃんも歌ってました……アレばーちゃんの創作じゃなかったんだ……!!!
牛鍋はるろ剣のイメージがある笑
洋食を広めたのは徴兵制も影響している。というのは、徴兵されて満期除隊(海軍は志願して満期除隊)になった兵隊さんがご飯作る時に軍隊でこんなの作ったという事で作ってそこから広まったという説もある。
煉瓦亭のカツレツというと、池波正太郎先生を思い出します。あの方は煉瓦亭ととんきのカツがお好きで、よく召し上がっていらしたそうですよ。食に関するエッセイでよく名前が出てきています。
とんきのトンカツは旨いねー
「私はとんき以外のとんかつは認めない心境ですよ」
精養軒と言えばルロイ修道士を思い出しますね。
とある説では「海を越えて伝わった料理は、まぁ大体が洋食だ!」そうで、すると中華料理も洋食なんですかねぇ~喰って美味けりゃ良い訳で、そんな細かい事は気にすんな?!って事かな。
コロッケといえば絵本「11ぴきのねことあほうどり」を思い出します。きょうもコロッケ あすもコロッケコロッケ コロッケ コロッケばっかりあ、そういえば杉浦茂の「漫画猿飛佐助」にも「コロッケ5円の助」って忍者が出てたな。コロッケは昭和の庶民の友ですね。
煉瓦亭はよく行列ができて入れませんが、ぼくはカレーライスが好きでした。ザ・洋食屋カレー、という感じのカレー。以前、よくテレビで見かけていた三代目のご主人とそっくりの四代目の息子さんが帳場におられました。ポークカツもそのものよりそれを挟んだカツサンドが美味しいです。
日本人が改良した洋食、中華が大好きです。でもたまには本場のものも食べたくなる。ジュルリ
動画内で流れてるほんわかした音楽の曲名ってなんだっけ?
トンカツに千切りキャベツは、煉瓦亭で、元々トンカツに温野菜を付け合わせていたけど、戦争で温野菜を作っていた職人さん達が徴兵されて人手不足になって、手がけるにできる千切りキャベツを付け合わせた、と聴いたことがあるような。
霊夢と魔理沙の仲が良くて本当大好き♡
精養軒行ったことは無いがアーモンドヌガーは子供の頃にお土産でよく食べた。
お湯で戻して食べるインスタントカレー、軽便→軟便に… 見えた😂
外食ちょっと控えたら精養軒って行けるの??行ってみたいんだぜ…(´・ω・`)
@@fep2901 そうなのですね!ランチなら行ける!!(๑•̀ㅂ•́)و✧
徳川慶喜が一橋家当主の頃に豚肉が好きすぎて「豚一様」とあだ名されていたくらいなんで生類憐みの令以降の江戸時代でも全く食べてなかったわけではないですね
好きすぎから献上をねだりすぎて、薩摩藩江戸屋敷の役人が困って本国に手紙を書いたのが残ってるからな。
カレーライスとかもそうだよね、シャンピリアンステーキしかり、オムライスしかり…面白いw
メシテロ黎明期、食に対する日本人の憧れがいっぱいの食事が洋食なんだろうな
というか、米と魚と漬物味噌汁くらいしかレパートリーがなかった当時のご家庭に軍隊帰りの元兵隊が軍で食べさせてもらった西洋風料理のレシピを持ち帰ったのが現在の日本の家庭料理の幅の広さの原因。ご家庭の主婦がこれだけいろいろな国の料理を知っている国というのはかなり珍しいのです。
@@居眠り犬 そうですね。日本のお母さんの料理スキルが凄いと言われてるらしいですからね。それだけ女性に負荷がかかってるともいえるんですけど…
11:33 このチャンネルの名物だな。
オランダ人はコロッケ好きで街なかにコロッケ売りの屋台のようなのがあるけどオランダのコロッケは日本のと形は同じだった。
お、今日は珍しく大量閉店してないな
5:05 出島とは(概念)
洋食弁当なら良く食べます。子供時代はステーキの代わりにハンバーグを食べ今ならポテトコロッケカレーも時々食べていますよ。関西発祥の料理に阪急百貨店のソーライスがあります。
明治頃からの食って今でも沢山食べられてるから大きかったのかねこの出来事
確か群がカレー作り始めた時カエルの肉使ってた気がする鳥肉みたいな味なのかなー
北極星のオムライスはうまいぜ
分かりやすいですね。
明日健康診断で空腹中。決めました。明日の昼食はグリル北斗星で冬限定カキフライのトルコライスだ!エビフライも追加しちゃおうかな♪
昔のレシピをそっくりマネしても、材料が品種改良され過ぎて100%再現は不可能なんですよね…ロストテクノロジーですねw
煉瓦亭の隣(正確には二軒置いて隣)銀砂スイスというカツカレーの発祥の店が今でも営業してる。面白いことにトンカツの元祖と言われる煉瓦亭ではカレーライスはあるが、カツカレーというメニューは扱っていないw
ドリアが好きなので後編でロイヤルパークホテルのドリアが出てくる事を期待してる
インスタント食品のルーツの1つに『懐中汁粉』があります。
速報貧乏巫女、高級店に行く
メシノトモって漫画を思い出したメシ系の漫画はあんま読まないけど、すごく印象的メシテロというかあれはテロリストとメシを食うんだけど
私がよく知る、全国を飛び回る保守活動家が「人生で最も美味しかったのは、北海道グランドホテルの朝食」と言ってました。ウインナーやスクランブルエッグやクロワッサン牛乳と、普通のホテルの朝食だったそうですが、「味の濃さ」が段違いだったと。ホテルの朝食ってだいたい種類は決まってますが、あの洋食スタイルはどうやって確立したんしょうね。
そうか、今では日本人はフライ物には大体何でもウスターソースをぶっかけるが、最初はとんかつだったのか…
昔見た天皇の料理番ってドラマを思い出したよ大正時代の話だったけど
オムライス作った人も100年後に3分以内に作る人が出たり、コロッケも台風が来た時に爆売れするとは思ってなかっただろうなあ。。
じゃあ肉じゃがも洋食…って事になるよなイギリスのビーフシチュー自分で作ろうとして日本であの色は醤油系だったからそれで作ったらしいし
その話は昭和だか平成に舞鶴の市職員がPRのために創作したものだ。肉じゃがは海軍が採用するより古くから存在した料理。
フレンチもイタリアンもスパニッシュもロシアンもアメリカンも、かなり多くの外国料理を喰ってきたけど、洋食が一番旨い♬
函館の五島軒も有名ですね。
岩倉って思いっきり公家ですよね?ちょんまげ結ってたんか。
ちょんまげだったかどうかは良く分かりませんが、髷(まげ)を結っていたようです。明治4年の外遊でアメリカを訪れた時に留学させていた息子たちに現地で会った。もうちゃっかりと子息を留学させていたんですな。そこで息子から衝撃の言葉が告げられる。父上は髷に誇りを持っておられるようだが、米国では東洋の未開国の奇異な風習として嘲笑の的になっています、と。これに驚愕した岩倉はすぐに髷を落としたという。そして帰国後に明治天皇に断髪を奏上し、これにより一気に髷の廃止が進んだとのことです。
@@gzunda55 ほーなるほど。公家の出でガチガチの尊王思想と思いきや、異国で「奇異な風習」と受け取られたことに反発どころか合わせたとは。。。動乱期には傑物が台頭するんですねぇ。
輸入した料理を魔改造する日本人が和食が海外で改造されることに文句を言うのはいかがなものかと思う
開発元と違うと言うのは当たり前じゃないか?料理は現地化して初めて受け入れられた物だよ。
カルフォルニアロールみたいなアレンジならまだわかるけど、外国の場合、完全に勘違いして本国で同じものが食べられてると思ってるパターンが多い気がする。
海外の人が日本に来て巻き寿司の海苔が外から巻いてて真っ黒なの見たことないと言ってたのも驚き😭
良い改造や現地化ならいいが、ホントの魔・改造じゃ〜ねぇ、、日本人に似た外見だから日本人だと偽って、劣化したもの出されるのが困るのよ
3、4年前に行った神戸の洋食屋さん、メニュー表記が「ヘレカツ」だったり「ミンチカツ」だったりで時代を感じた
トンカツ食いたくなった…
ここのチャンネルの魔理沙はひたすらに可愛いな
1点補足を。トンカツの話が出てきましたが、明治、大正、昭和初期に渡って特急列車の食堂で最も人気があったのはビーフカツレツであり、とんかつではありません。ちなみにハンバーグはありませんでした。
「大正滑稽はやり歌」の内容を知らないので興味があります。食に関するものがあったらお願いします。
トンカツは洋食っていうより和食なイメージだったな😅でも、海外のポークカツレツより日本の豚カツの方が断然美味しいと思う!チキンカツが出てなかったけど、これも洋食なのかな?
今から35年前に煉瓦亭でアルバイトしてました。現在では考えられないくらい時給安かったけど、ものすごく忙しい日に通しで働いた日には、大入り500円頂けました。昭和の終わり頃の古き良き思い出。楽しかったなあ‼️
明治生まれの祖父は生前、溶き卵にチキンライスを混ぜて、きれいなオムライスをつくってくれました。小麦粉炒めてルーから作る黄色いカレーも美味しかったです。
美しい思い出ですね。
教えて下さって、どうもありがとうございます。
まあぁぁぁ(*゚▽゚*)とてもノスタルジックかっリーズナブルかっオシャンティーなんて素晴らしいゎ✝
でも、祖父の影響でいまだに一番好きなのは烏賊の塩辛のタレに白菜漬をつけて食べながら飲む、べったべたの日本酒という、オシャレの対極www
そしてウチの家系は代々高血圧。
おおさす
コメ欄も歴史の雑学が多く書かれててとても勉強になる
レストラン。元々は体を休めるなどの意。だから、精養軒ってのは上手い(美味い)語呂合わせ。
Restaurant 精養(西洋の意もある)軒
すごい、面白いですね
なるほど〜トリビア❗️
子供の頃パーキングエリアのレストハウス、レストルームはなんでレストランに言葉が似てるんだろう?と思ってたんですが、そう言うことだったんですね
レスト=休む、休憩。
ラン=走る
なので、直訳すると、走るのをやめる場所って意味だから、休んで飯食って体を養うって意味と西洋にかけるのは、いいセンスだよねー
高級感もあるし。
ちょっと前はデミグラスソースのオムライスが嬉しかったけど、最近はケチャップのオムライスが懐かしくて良い🥚✨
日本史の資料集に載ってたのガチで美味しそうだった
コロッケの歌って聞いて...
「いざ進めやキッチン!」と脳内再生されたのは私だけじゃないはず
日本中に洋食が広まったのは旧軍と鉄道の影響が大きいですね。
庶民向けは旧軍ルート、金持ちは鉄道の食堂車ルートだと思います。旧軍ルートは炊事場で働いてた人が除隊後に料理人として店を構えたり家庭に軍隊料理を伝えて広まっていきました。
ちなみに、重巡青葉のクリームコロッケのレシピにはジャガイモが入ってます。
東京に行った時に精養軒に行けばよかった。高そうなイメージがあって行けなかった。
長崎の自由亭は若い頃長崎にドライブで立ち寄ったけど、みんな上品そうな服を着てる中で、自分だけ服装がキングボンビーで落ち着かなかった思い出がある。
日本中に洋食が広まったのは
東京の洋食屋さんに修行に行ってた人達が関東大震災で廃業したので地元に戻ってお店を始めたとの事
地方の名店って調べると色々とあるかと
後は軍隊で料理を覚えて除隊後広まった、のもあるそうです。
そもそも現代の料理の9割は、貧しい家庭の母親が子供たちに何かをお腹いっぱい食べさせてあげたいと思う親心が生んだものばかり。
美味しい料理って、有り合わせでチャチャと作ると出来る。ケチっていけないのは調味料
極端な話、良い醤油で作った焼きおにぎりとかマジで美味しいよね。
あるいは良いバターを使うだけで、ただのポークソテーですらご馳走になるよね。
フライパンに残った油でニンニク炒めて醤油垂らすだけで最高のソースになるよ!🤣
コロッケで思い出したのが、道徳だかで、戦時中にコロッケが食べたいと言い出した子供、食卓にコロッケが並んで激怒する父(贅沢品の為)
無言を貫き、自身の分は容易しなかった母、それに気づいて無言で母に半分コロッケを譲る父…
みたいなシナリオの話思い出した。
で、昭和一桁の親父(故人)が、作り話もいい加減にしろ!歴史認識が甘い!と怒る訳で。
当時から東京ではコロッケは贅沢品でも何でもなかったはずだよ。ハイカラだったのは明治の頃だろうね。
@@美食-t4t みたいなシナリオの話思い出した?
確か、徳川慶喜が豚肉好きでしたね。
肉食にタブーがあったんで、魚と偽って食べてたと聞いたことがあります。
あと、洋食は町場の普及よりも海軍(明治)での普及が大きかったですね。食料の貯蔵と兵士達の栄養補給との面で、煮込み料理(シチュー)がクローズアップされ、ワインとかトマトとか無いから肉ジャガが産まれました。だからカレーは味変から始まったものと思います。
諸説ありますが、クロケットがコロッケになったのも、バターや小麦粉など戦中・戦後(太平洋戦争)に入手出来ずにいたので代用品としてデンプンが使われた事もあると思います。
前にも別で書いたけど、江戸時代の日本に肉食がなかったというのは間違いです。肉食は江戸時代の間もずっと行われていました、江戸市中にも「ももんじや」という猪やシカのほか兎に猿など狩で取れた肉いわゆるジビエを食わせる店が営業していました、俗に薬食いなどと言われて薬になる栄養食と定義づけられていて汁物や貝焼き(貝殻に入れて焼いたもの)鋤焼きなどのレシピが残っています。一方、禁止というか食べられていなかったのは牛肉ですが、なぜか彦根藩の赤牛だけは食べても血を汚さない肉であるとされ、将軍家や御三家などにも献上されていました、
大阪出身なので、自由軒のカレーライスと北極星のオムライスはとても有名です。自由軒のカレーライスのオーダーは
混ぜてあるものと、ご飯とカレーが別になっている物があって、ご飯とカレーが分かれてるのが別カレーと呼ばれてます。混ぜてある物が名物カレーと呼ばれていて、夫婦善哉で有名な作家織田作之助氏が足繁く通ったと言われています。
7年前に自由軒に行きましたが、やはり店内に織田作之助の写真が飾られており、「トラは死んで皮を残す 織田作死んでカレーライスを残す」の文言が添えられていました。
江戸時代の人達は、獣肉を「山くじら」「モモンガ」と名前をごまかして食べていた。
動画中にも登場する仮名垣魯文の戯作「安愚楽鍋」にそのへんが詳しい。
ももんじ屋じゃね?
イノシシが山鯨で獣肉全体を扱うのがももんじ屋だと思う。
薬としての肉食や食肉店だと思う。
肉食文化は禁止と言っても将軍家に毎年味噌漬け肉が献上されてたし
薬食いと言ったり 山鯨・牡丹・紅葉・桜などと言ってそれなりに食べられていて
お店もいくつかは有ったみたいだよ まるっきり食べられて無かったみたいに言うのはちょっと違う気がする
当時はおおっぴらに食べることができなくて、畑や田んぼで焼いて食べていたらしい。焼く時に鋤や鍬を使ったから「すき焼き」と呼ばれるようになった説もあります。
@@desmonduozmiak7899
畑や田んぼで食べる方が目立つやろ
調理器具が無い戦場でって説の方が信憑性はある気がする
すき焼だけでなく「くわ焼き」も 普通に今も有るよ
ですね
何だかんだ言っても肉の味は美味しいですからね
名前を変えて食べてたという記述はたくさんあります
江戸時代には仏教の僧侶も民衆から見て華美におぼれてて、仏教の教義や戒律を守り崇拝される僧侶とは見られなくなっていて仏教から離れていきましたしね
江戸時代に各地でひっそりと食べられてモノが明治時代辺りには神道に移り変わって食文化も一気に花開いた感じかな
公的な会食では獣肉は避けられてたみたいだね。
とはいえ鳥や魚の類はOKだから、ウサギや亀も食べられてたらしいね。
鳥も鶴やキジ、トキなんかも食べてたみたいで、レシピが今も残ってるよ。
ゆっくりがゆっくりっていうと落ち着く😌とろこって言い方好き
い、じ、わ、るが遂にスルーされたw
すき焼き、ステーキ、オムライス…洋食は特にご馳走のイメージが強くて食べに行く時ワクワクします
昔は砂糖が高級品で醤油も今みたいに安くないから
醤油風味の塩水でネギと牛肉を煮た料理だから、
現代人の舌にはとてもじゃないが食えたもんじゃないと文献に詳しい歴史の先生が熱弁してたの10年振りに思い出した
あと、キテレツ大百科の方がコロッケの歌でピンと来た笑笑
大正生まれの母に聞いた話。
昭和初期。村人総出で山を下から追い上げる兎狩り。ウサギは追い詰められ山頂で仕留められる。
捌いた兎肉は村人で山分け。
しかし兎は一羽二羽と数える鳥扱いだから、そんなに罪悪感無く食べたとか。
それで「ウサギ追いし かの山」と故郷の歌を聞いた時「ウサギ美味し♪」だと勘違いしてたw
たいめいけんという店長の肌の色まで文明開化した店があってな...
昭和6年創業の老舗
たいめいけん、近所のスーパーのお弁当の監修してます。美味しいです。
御体は大事にしてほしい。
日露戦争当時の海軍カレーを当時のレシピで再現しましたって売り文句の店で
カレーを食べた事があるけどカレーというよりはシチューに香辛料を足したような
感じで今のカレーとは味も辛さも随分と違う物だったなぁ。
一瞬 日露戦争当時にカレー食べたんかとおもた
金の卵世代の祖母が初めて洋食を食べたのは15歳で集団就職をした時に勤め先の社長さんにオムライスをご馳走していただいたのが初めてだったとか、それまでは菜葉漬けや麦でかさ増ししたご飯ばかり、よくて鯨肉や鰻の油炒めだったので大変美味しかったと言っていました。
明治40年生まれのワシのお婆の話では明治の終わりでもすき焼きは食べたけど四つ脚の獣肉なので家の中で食べる事はせずわざわざ庭先で料理して食べたとの事。ほぼ同じ頃9歳のお爺は初めて神戸に連れて来てもらって洋食屋でカツレツなるモノを食べて世の中にはこんな旨いモノが有るのか!と思ったそうやで!(笑笑)。
池波正太郎先生は、資生堂パーラーで初めてクリームコロッケを食された時に「普段ジャガイモのコロッケに慣れていたせいか、このクリームコロッケには本当にビックリした」というようなことを言われてます。発祥はクリームコロッケが先でも、庶民に先に親しまれていたのはジャガイモコロッケなんでしょうね。
関係ないけど国語でえびフライやったときメチャクチャえんびふらい食べたくなってお母さんにお願いしたの思い出した。
えんびふらいやな!!!
しゃお
うめもんせ
えんびふらいって、なんせ
冷凍食品エビフライ。国語の教科書だったかな?
クリームコロッケが好きなのですが、当時2個でソースがかかって2000円したと聞いた時には、現代に生まれて良かったと思いました
今でも本物はそうだよ。やすいのは小麦粉やジャガイモの粉でかさ増ししたやつ。
大阪で洋食屋というと自由軒が有名だけどカレーを混ぜて出すのはもともとご飯をおひつに入れてるんだけど、時間がたつと当然冷める暖かい状態でお客さんに食べてもらうためにルーと混ぜてだしたのがあのカレーらしい。当時はカレーライスでも高級な食べ物だったのでライスだけ頼んでウスターソースをかけて気分だけでも洋食を食べた気になろうというお客もいたらしい
ソーライねー。
阪急梅田のソーライの話は男前で泣ける!
自由軒はカレーもだけどハヤシライスだかハイシライスも美味かった
自由亭でお茶したことある、
すごくよかった
毎日でも通いたくなった。
観光で行ったんだけどわ
「海軍士官たる者、洋食マナーを重視すべし。しかるに西洋料理は築地精養軒を利用すべし」明治5年に西郷従道が通達を出してます。英国海軍に範をとってるからでしょうね。ゆえ海軍士官は、「外交官」としての素養も必要とされ、テーブルマナーの習得は必須のものでした。なんと、月末ごとに個人別勘定がチェックされて、精養軒への支払いが少ないものは呼びだされて注意を受けた
といいますから普通ではありませんと資料には書いてあるようです。英国では士官は大抵は貴族がなるものですが、給料の少ない日本の少尉とかは、大変だったろうと思います。
洋食といえば『カツカレー』!
富井副部長、尊敬してます!!
カツカレー大好き!!
富井副部長も大好き!!
富井君をボコボコに殴りたいほど大好き
洋食は北陸方面が面白い。
例えば福井のヨーロッパ軒は創業者がドイツ料理で修行したので、名物のソースカツ丼はポークシュニッツェル風の薄い肉を使っている。
金沢カレーにしても、フランス料理の修行を積んだ人物が考案したという。
北陸方面って昔は交通の便が悪かったから、少数の料理人が伝えた料理が独自の発展を遂げているところがある。
あと、戦後創業の地方の洋食屋は船員コック上がりが始めたというケースが少なからずある。
戦前、日本には数多くの外国航路の客船があったけど、戦時中にほとんど沈められてしまったので、仕事を失った料理人が地元に帰って店を出したというケースだ。
魔理沙でも上野精養軒の料理を食べれるぞ!!
上野の科博へ行くのだ!!!
・・・精養軒が食堂運営しているぞw
牛鍋
るろ剣思い出した
煉瓦亭、とんき、最高
良動画でした!
カレーライスなら、陸軍でも人気だった。帝国ホテルシェフの村上信夫氏のエピソードが有名。
肉食。表向き禁じていたが、密かに食べる人も少なからずいた。ももんじ屋と呼ばれる店で肉を提供してたし、猪肉を「山くじら」と言って出したり。また彦根の井伊家では「牛肉の味噌漬け」を将軍家や付き合いのある大名家に献上品や贈り物として贈っていた。
尚、くじらは魚類と認識されていた。またうさぎを1羽2羽と呼ぶのも、畜肉じゃなくて鳥肉ですよって言いたいがため。
コロッケ、昭和30年前半生まれの私が小学生の頃、当時1個5円だった。
仲間とお腹がすいたら10円玉を握って肉屋に行って油で透き通った
薄紙の袋に入った揚げたてを、はふはふしながら食べた。
今でいうファーストフードだったんだな。
肉屋の良い油で揚げたコロッケは空腹も手伝って絶品だった。
今でも揚げたてのコロッケを食べるとその頃を思い出す。
同い年くらいw
コロッケは懐かしの味ですね〜(*´-`)
杉浦茂のマンガ「猿飛佐助」にコロッケ五円之助ってキャラクターが居たもんなあ。
今なら「85円之助」とか「110円之助」とか?
私の元々、住んでいた北陸のほうで、そういうお惣菜屋さんがあったのを思い出す、懐かしいお話です🎵
百万都市の一つ福岡市に引っ越してから、人と人との付き合いはなくなりましたね。精神的な意味で………。
それにしても、これを見ていると、西洋料理の和食化が幅を利かせているのが、如実に分かります。いつぞやゴールデンウィークで、福岡市に住んでいる弟が家族を連れて来たことがあって、間に合わず、懇意にしていた料亭の旦那さんに無理矢理に頼み込んで、何でもかんでも作ってもらったことがあります❤️子供が好きそうなエビフライや、唐揚げ、フライドポテトがありましたが…………。ご馳走という感じではなくて、ひたすらお腹を満たすために食べていました❗よって、口の中が、油っぽいというか、味が濃すぎて、ビールだの、烏龍茶だの…………。とんだゴールデンウィークでした😅⤵️コロナが始まる数年前のことです。
鬼滅の小説(この世界は大正時代)もアイスクリームが登場して炭治郎達(主に善逸)が美味さに感動してたのあったな…
オムライスの東西の違いを聴いて『桜餅』の違いを思い出した!
昭和40年代関東生まれですが子供の頃は桜餅というと餡をピンクの薄焼きで巻いたもんでした。50年代くらいから「道明寺」として挽割りの道明寺粉で包んだものが出回った。個人的には道明寺のが好きです🌸
海軍がカレーを採用したのは材料がすべて長期保存できるから、ですね。
カレーを海軍で取り入れた時、「何曜日か分かるようにするため金曜日にカレーを出す」という習慣が出来た。これは現在の海上自衛隊にも受け継がれている。
綱吉って、ビーガンの先駆者⁉️
帝国海軍当時は土曜カレーだったのです!
つまり休みの前の日、昼ご飯は部隊で食べ、仕事終わりの夜は上陸して外で食べるので量の調整が効きやすいカレーの出番となったのがそもそもの起源だったり。
つまり曜日感覚云々は実は後付けの理由なのですよ。
@@thousandscrystal 全然違う。綱吉に限らず将軍は魚介類は普通に喰ってたし鳥肉も割と良く料理になっていたそうだ。獣の肉を禁じたとは言ってもそれ程徹底していた訳じゃなくて、山鯨という猪肉や山鳥という兎肉はそこら中で喰ってたという話しが残っている。兎を1羽2羽・・・ と数えるのは鳥に見立てて喰っていたから。
色々、有り難いご託宣や綺麗ごと並べてみたところで、飢饉が来て飢え死にしそうになったら何でも喰って生き延びるのが人間という生物の業と言うか逞しさだね。
@@fep2901 調べてみたら週末カレーが始まったの自体が昭和の終わりから平成の初め頃で、しかもその頃から週休2日制が広まりだしていたので土曜カレーはあってもごく一部だったみたいです。
ぐぬぬ。
しかし誤った知識を覚えなおせたと考えればこれも幸いなのです。
ありがとうございました!
「養生食い」などといってイノシシとか鹿、山鳥などをお上の目を盗んで食べていたものが、明治になって堂々と食べれるようになったわけですね(^^)
9:53 この唄、祖母が歌ってたけど
実在する曲だったのか……
なんかすごいw
歴史の生き証人じゃん!
東京生まれのお年寄りが、戦前に精養軒で食事をする時は、ワンピースを着て革靴を履いて行ったと、懐かしそうに話していました。子供ながらに精一杯お洒落をしたというところでしょうか。
子供の頃、ハンバーグとかエビフライやポタージュスープなど、いわゆる洋食はデパートの食堂でしか食べられないと思いこんでいました。
精養軒とか煉瓦亭、たいめい軒などの洋食屋さんは、相当大人になってから存在を知り、行けるようになりました。
どうも偏屈で病的にアルコールが大嫌いだった父親が、「お飲み物はどうされますか?」という店だけで「二度とここにはこない」と言いだして、社会人になるまで、街場の洋食屋さんの存在を知りませんでした。
大好きなエビフライ、コロッケ、オムライス、カレーライスを開発してくれた昔の方々には感謝しかない。
ありがとうございます!
江戸時代でも建前上は肉食を禁止されていても実際には庶民も肉を口にしていました。主に「薬」として扱われる事が多く(これはあくまで薬だから!身体に必要だから食べているだけだから!という建前も含む)、当時の文献には肉料理のレシピが残されているのもあります。
これを観ながら卵かけご飯食べてます。美味しいです。
このチャンネルで〝埼玉深谷〟というワードが聞けたことが幸せ…( *¯ ꒳¯*)✨
おばあちゃんのコロッケの歌!
私のばーちゃんも歌ってました……アレばーちゃんの創作じゃなかったんだ……!!!
牛鍋はるろ剣のイメージがある笑
洋食を広めたのは徴兵制も影響している。というのは、徴兵されて満期除隊(海軍は志願して満期除隊)になった兵隊さんがご飯作る時に軍隊でこんなの作ったという事で作ってそこから広まったという説もある。
煉瓦亭のカツレツというと、池波正太郎先生を思い出します。あの方は煉瓦亭ととんきのカツがお好きで、よく召し上がっていらしたそうですよ。食に関するエッセイでよく名前が出てきています。
とんきのトンカツは旨いねー
「私はとんき以外のとんかつは認めない心境ですよ」
精養軒と言えばルロイ修道士を思い出しますね。
とある説では「海を越えて伝わった料理は、まぁ大体が洋食だ!」そうで、すると中華料理も洋食なんですかねぇ~
喰って美味けりゃ良い訳で、そんな細かい事は気にすんな?!って事かな。
コロッケといえば絵本「11ぴきのねことあほうどり」を思い出します。
きょうもコロッケ あすもコロッケ
コロッケ コロッケ コロッケばっかり
あ、そういえば杉浦茂の「漫画猿飛佐助」にも「コロッケ5円の助」って忍者が出てたな。
コロッケは昭和の庶民の友ですね。
煉瓦亭はよく行列ができて入れませんが、ぼくはカレーライスが好きでした。
ザ・洋食屋カレー、という感じのカレー。
以前、よくテレビで見かけていた三代目のご主人とそっくりの四代目の息子さんが帳場におられました。
ポークカツもそのものよりそれを挟んだカツサンドが美味しいです。
日本人が改良した洋食、中華が大好きです。
でもたまには本場のものも食べたくなる。ジュルリ
動画内で流れてるほんわかした音楽の曲名ってなんだっけ?
トンカツに千切りキャベツは、煉瓦亭で、元々トンカツに温野菜を付け合わせていたけど、戦争で温野菜を作っていた職人さん達が徴兵されて人手不足になって、手がけるにできる千切りキャベツを付け合わせた、と聴いたことがあるような。
霊夢と魔理沙の仲が良くて本当大好き♡
精養軒行ったことは無いがアーモンドヌガーは子供の頃にお土産でよく食べた。
お湯で戻して食べるインスタントカレー、軽便→軟便に… 見えた😂
外食ちょっと控えたら精養軒って行けるの??
行ってみたいんだぜ…(´・ω・`)
@@fep2901 そうなのですね!ランチなら行ける!!(๑•̀ㅂ•́)و✧
徳川慶喜が一橋家当主の頃に豚肉が好きすぎて「豚一様」とあだ名されていたくらいなんで生類憐みの令以降の江戸時代でも全く食べてなかったわけではないですね
好きすぎから献上をねだりすぎて、薩摩藩江戸屋敷の役人が困って本国に手紙を書いたのが残ってるからな。
カレーライスとかもそうだよね、シャンピリアンステーキしかり、オムライスしかり…面白いw
メシテロ黎明期、食に対する日本人の憧れがいっぱいの食事が洋食なんだろうな
というか、米と魚と漬物味噌汁くらいしかレパートリーがなかった当時のご家庭に軍隊帰りの元兵隊が軍で食べさせてもらった西洋風料理のレシピを持ち帰ったのが現在の日本の家庭料理の幅の広さの原因。
ご家庭の主婦がこれだけいろいろな国の料理を知っている国というのはかなり珍しいのです。
@@居眠り犬 そうですね。日本のお母さんの料理スキルが凄いと言われてるらしいですからね。それだけ女性に負荷がかかってるともいえるんですけど…
11:33 このチャンネルの名物だな。
オランダ人はコロッケ好きで街なかにコロッケ売りの屋台のようなのがあるけどオランダのコロッケは日本のと形は同じだった。
お、今日は珍しく大量閉店してないな
5:05 出島とは(概念)
洋食弁当なら良く食べます。子供時代はステーキの代わりにハンバーグを食べ今ならポテトコロッケカレーも時々
食べていますよ。関西発祥の料理に阪急百貨店のソーライスがあります。
明治頃からの食って今でも沢山食べられてるから大きかったのかねこの出来事
確か群がカレー作り始めた時カエルの肉使ってた気がする鳥肉みたいな味なのかなー
北極星のオムライスはうまいぜ
分かりやすいですね。
明日健康診断で空腹中。決めました。
明日の昼食はグリル北斗星で冬限定カキフライのトルコライスだ!
エビフライも追加しちゃおうかな♪
昔のレシピをそっくりマネしても、材料が品種改良され過ぎて100%再現は不可能なんですよね…
ロストテクノロジーですねw
煉瓦亭の隣(正確には二軒置いて隣)銀砂スイスというカツカレーの発祥の店が今でも営業してる。
面白いことにトンカツの元祖と言われる煉瓦亭ではカレーライスはあるが、カツカレーというメニューは扱っていないw
ドリアが好きなので後編でロイヤルパークホテルのドリアが出てくる事を期待してる
インスタント食品のルーツの1つに『懐中汁粉』があります。
速報
貧乏巫女、高級店に行く
メシノトモって漫画を思い出した
メシ系の漫画はあんま読まないけど、すごく印象的
メシテロというかあれはテロリストとメシを食うんだけど
私がよく知る、全国を飛び回る保守活動家が
「人生で最も美味しかったのは、北海道グランドホテルの朝食」と言ってました。
ウインナーやスクランブルエッグやクロワッサン牛乳と、普通のホテルの朝食だったそうですが、「味の濃さ」が段違いだったと。
ホテルの朝食ってだいたい種類は決まってますが、あの洋食スタイルはどうやって確立したんしょうね。
そうか、今では日本人はフライ物には大体何でもウスターソースをぶっかけるが、最初はとんかつだったのか…
昔見た天皇の料理番ってドラマを思い出したよ大正時代の話だったけど
オムライス作った人も100年後に3分以内に作る人が出たり、コロッケも台風が来た時に爆売れするとは思ってなかっただろうなあ。。
じゃあ肉じゃがも洋食…って事になるよな
イギリスのビーフシチュー自分で作ろうとして日本であの色は醤油系だったからそれで作ったらしいし
その話は昭和だか平成に舞鶴の市職員がPRのために創作したものだ。肉じゃがは海軍が採用するより古くから存在した料理。
フレンチもイタリアンもスパニッシュもロシアンもアメリカンも、かなり多くの外国料理を喰ってきたけど、洋食が一番旨い♬
函館の五島軒も有名ですね。
岩倉って思いっきり公家ですよね?ちょんまげ結ってたんか。
ちょんまげだったかどうかは
良く分かりませんが、髷(まげ)を
結っていたようです。
明治4年の外遊でアメリカを訪れた時に
留学させていた息子たちに現地で会った。
もうちゃっかりと子息を留学させて
いたんですな。
そこで息子から衝撃の言葉が告げられる。
父上は髷に誇りを持っておられるようだが、
米国では東洋の未開国の奇異な風習として
嘲笑の的になっています、と。
これに驚愕した岩倉はすぐに髷を
落としたという。
そして帰国後に明治天皇に断髪を奏上し、
これにより一気に髷の廃止が進んだとの
ことです。
@@gzunda55 ほーなるほど。公家の出でガチガチの尊王思想と思いきや、異国で「奇異な風習」と受け取られたことに反発どころか合わせたとは。。。動乱期には傑物が台頭するんですねぇ。
輸入した料理を魔改造する日本人が和食が海外で改造されることに文句を言うのはいかがなものかと思う
開発元と違うと言うのは当たり前じゃないか?
料理は現地化して初めて受け入れられた物だよ。
カルフォルニアロールみたいなアレンジならまだわかるけど、外国の場合、完全に勘違いして本国で同じものが食べられてると思ってるパターンが多い気がする。
海外の人が日本に来て巻き寿司の海苔が外から巻いてて真っ黒なの見たことないと言ってたのも驚き😭
良い改造や現地化ならいいが、ホントの魔・改造じゃ〜ねぇ、、
日本人に似た外見だから日本人だと偽って、劣化したもの出されるのが困るのよ
3、4年前に行った神戸の洋食屋さん、メニュー表記が「ヘレカツ」だったり「ミンチカツ」だったりで時代を感じた
トンカツ食いたくなった…
ここのチャンネルの魔理沙はひたすらに可愛いな
1点補足を。トンカツの話が出てきましたが、明治、大正、昭和初期に渡って特急列車の食堂で最も人気があったのはビーフカツレツであり、とんかつではありません。ちなみにハンバーグはありませんでした。
「大正滑稽はやり歌」の内容を知らないので興味があります。食に関するものがあったらお願いします。
トンカツは洋食っていうより和食なイメージだったな😅でも、海外のポークカツレツより日本の豚カツの方が断然美味しいと思う!
チキンカツが出てなかったけど、これも洋食なのかな?