■先ず、100年前の当時、最先端であったアメリカのニューヨーク市におけるビジネス街と、東京市の歓楽街を比較する愚鈍さに驚きました。 またヨーロッパ化が進歩とする暗黙の前提にも不快感が有ります。 ■特に日本人なら最低限度、江戸時代末期より欧米列強による恫喝外交により、日本は仕方なく軍備を増強する為に当時は欧米がより強力な軍事力とその背景に科学的知識がある事を欧米派遣団により喝破して、明治維新後に富国強兵政策に国家の体制を刷新して方向性を変えざるを得なかった。この程度は知って欲しい所です。日本は自らの文化を変えざるを得なかったので、100年前はニューヨークは余り変わらずとも日本は大きく変わりました。当たり前です。日本が100年前に遅れていた証拠になりません。 ■では何方が文明として進んでいるのか? その哲学的考察無しにアプリオリニに決めつける愚鈍さには日本人として容認出来かねる点有ります。 下記に簡単にビジネス街と歓楽街を比較する愚を排して、 公平に科学的な姿勢で調べました。 ご覧ください。 識字率や国民の文化教養度の比較もしたかったのですが、日本語の文章資料のみでしたので、東大教授のビデオ付きサイトを貼り付けました。 理想は各国の識字率比較グラフでしたが、信用出来ない疑問が付くネット情報は峻別しました。 ■更に追加情報もして、追伸で『大阪市立大学名誉教授の経済学博士、山下英次先生と元大蔵省官僚、東京大学客員教授の松田学氏との対談「ヨーロッパ中心史観を排するとき(上)、(下)」のRUclips動画』を貼り付けました。 ■日本人としての教養をもっと身に付けて公に公開するに堪える内容にせられたし。 (記) 🟦 100-year-old Japan video collection. worked by Jan 28th, 2023 ■100-year history of Tokyo Station No.1 ruclips.net/video/6Uu7jXSka-o/видео.html ■ Old Tokyo, from Tokyo Station to Asakusa and Ueno areas. (Time division unknown) No.2 ruclips.net/video/Qndcio-NjYY/видео.html ■ Early Showa period (1921 to 1941) No.3 ruclips.net/video/GO2DXGGN5oQ/видео.html ■ Tokyo in the past and now No.4 ruclips.net/video/uoMDX7GflpI/видео.html ■ Continuing to fly over 300 locations in central Tokyo 2022 No.5 ruclips.net/video/FrYCADQjlNc/видео.html ■Old city of Osaka at Taisho and early Showa era No.1 mainichi.jp/articles/20181121/org/00m/040/021000d www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000100550.html www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?page_id=1147 ■ GDP of each country before World War II ameblo.jp/orange54321/entry-11944755619.html www.komatsudaisuke.com/blog/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E5%89%8D%E3%83%BB%E6%88%A6%E4%B8%AD%E3%81%AE%E4%B8%BB%E8%A6%81%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E5%8A%9B.pdf ■ Population comparison in Western Europe and population in Japan honkawa2.sakura.ne.jp/9013.html honkawa2.sakura.ne.jp/1156.html www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Relation/1_Future/1_doukou/1-1-A01.htm ■ Four permanent members of the League of Nations United Kingdom France Japan USA ■ Literacy rate international comparison 10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4522 P.S. ) Extra info. (important views on history) 🟥 Time to get rid of the Eurocentric view of history 1). Part of 1/2 (on Japanese) ruclips.net/video/S_S48963ulc/видео.html 2). Part of 2/2 (on Japanese) ruclips.net/video/hDjCLik9bII/видео.html ■ Kyoto, Osaka,and Tokyo at 1900s. No.0 ruclips.net/video/BzhWejTU9wU/видео.html
でも江戸時代は停滞じゃないよ。平和だったから、市民文化が発達する余裕があった。歌舞伎や浮世絵ね。I think Edo era is not stagnation. Due to the closure of the country, they had peace completely and had leeway to develop cultures like Ukyo-e and Kabuki.
担いでる屋台は「担い屋台」と言います。売ってるものは映像に写っているものは風鈴ですが、全てに短冊をつけると絡まってしまい短冊もダメになってしまうので下の数個だけ短冊をつけて客寄せのために音を鳴らし、上のものは買われる時に短冊をつけてお客に渡します。
だから動画の屋台では丸い部分のみが並んだ屋台になってます。
ちなみに、この頃は魔除けなどの意味合いを兼ねて、江戸風鈴はほぼ赤色のものが売られていました。
浅草寺の巨大提灯を見てもらったらわかると思いますが、赤色があまり鮮やかに色付けできていません(どうしてもモノクロのカラー化は色彩が偏ります)
売られている風鈴もそれでメタリックに見えてますが、茶碗ではなく全て風鈴ですよ(*^^*)
あとはバイロンが「赤ちゃん!?」と驚いていますが、この頃は嫁入り前の女の子の多くが商家などに「ねえや」として奉公に来ていました。
主家の子守りをする合間に、礼儀作法や茶の入れ方、嫁のなんたるかなどを教わり、花嫁修業の一環です。
この頃は「ねえや」の結婚の斡旋は主家が行い、実子よりもいい待遇で嫁に出していたそうです(これは商家の娘だった私の祖母から聞いた実話)
具体的には、持参金や嫁入りの衣装等…全て主家持ちです。
生前形見分けで祖母から貰い受けた漆と銀の箔押しで作られた細工が見事な本鼈甲の簪とつげの櫛は、祖母をはじめとした実子の他にもたくさんのねえやの嫁入りの時に髪を飾りました。
とても誇らしい品で、ずっと受け継いでいきたい家宝です(˶' ᵕ ' ˶)
ふと思ったのですが…もしや
赤とんぼの
ねえやは15で嫁に行き〜♪
のねえやは召使の他人だったのですね…今更知りました…😲
@@のり-u1g そうです!そのねえやです。赤とんぼは曲の雰囲気から悲しい意味合いに捉えがちですが、「お里のたよりも絶え果てた」、は嫁いだ先で便りを出す暇もなくよろしくやっているという意味です。
もちろん、自分の思う結婚が出来ない場合もあるので悲しいニュアンスのケースもあるとは思いますが……
ただ、奉公に行った先の主家はほぼ第2の実家のような感じで、実際には里帰り感覚で嫁いでからもちょくちょく顔を出してたようですよ(*^^*)
知り合いのおばあさんも、若い頃名古屋の商家のお嬢さんのお付きの女中をしていたようです。ねえやというよりは侍女の待遇で、お嬢さんの兄妹には別に子守りの女中がいたと聞きました。
年頃になるとちゃんと嫁入り先を紹介されて送り出されたようですが、おばあさんは相手が気に入らず、お嬢さんとも離れたくなくて泣いたと聞きましたから、やはり拒否は出来なかったんですね
@@お館さま-w8y この時代、女性にはほぼ結婚に関する拒否権はありませんでした。
女性=財産のような意味合いもかなりあったそうで、言い方はアレですが嫁に出す女中やねえやをどれくらい使える女性として育てるか、というのも商家の力を見るひとつの要素だったそうです。
また、商家の側もどれだけ良いところに嫁に出すかというのも力の見せどころのひとつだったようですよ。
よい嫁をもらえば血縁同士でなくともその後も良いお付き合いを、という感じで続いていき、良いところに嫁に出してもらえるというクチコミはその後もよいねえやを雇う手段のひとつだったそうです。
実子の縁談では限度があるので、結婚がその後の商売にも直結していた時代ならではですね。
@@のり-u1g 他のかたも仰っていますが赤トンボが作られた頃、一般の貧しい少女がお嫁に行くのは24時間でも嫁ぎ先が命じればお嫁さんを働かせる目的が主たるものでした。跡継ぎの子供は嫁が生んでも、二人三人と妾が外に時には同居して生ませるので実家の地位がよほど高くない限りお嫁さんはいくらでも替えがきいて補充可能な「言葉を喋る道具」でしかありませんでした
アーロンの本当の姿を今日見てしまった。
尊敬します。
アーロン、めっちゃかっこいい。素敵~💛
アーロンだけでなく皆さん知的水準が高いですね。他の話題ではおちゃらけたりするので分かりませんでした。
興味深く拝見❤
母が現在93歳、一緒に見させてもらいました
若い頃はいつも着物だった母も過去の映像に「うん、うん」うなづきながら幼少期を回想しきり❗️ 笑
幼少期の話題で会話も弾み親孝行出来ました❤
有難うです
家の母はひと回り下なのですが若い時はミニスカートでした!
激動期の日本の移り変わりは凄いですね。
戦前、戦後の違い大きいですよね!
このコメントを見て、自分も96歳になるおばあちゃんに見せてみようと思いました。どんな反応するんだろうか?
@@koizumin-123 様。
反応と感想が楽しみですね🤭
その会話を聞いてみたいと思いました!羨ましい!
■先ず、100年前の当時、最先端であったアメリカのニューヨーク市におけるビジネス街と、東京市の歓楽街を比較する愚鈍さに驚きました。
またヨーロッパ化が進歩とする暗黙の前提にも不快感が有ります。
■特に日本人なら最低限度、江戸時代末期より欧米列強による恫喝外交により、日本は仕方なく軍備を増強する為に当時は欧米がより強力な軍事力とその背景に科学的知識がある事を欧米派遣団により喝破して、明治維新後に富国強兵政策に国家の体制を刷新して方向性を変えざるを得なかった。この程度は知って欲しい所です。日本は自らの文化を変えざるを得なかったので、100年前はニューヨークは余り変わらずとも日本は大きく変わりました。当たり前です。日本が100年前に遅れていた証拠になりません。
■では何方が文明として進んでいるのか?
その哲学的考察無しにアプリオリニに決めつける愚鈍さには日本人として容認出来かねる点有ります。
下記に簡単にビジネス街と歓楽街を比較する愚を排して、
公平に科学的な姿勢で調べました。
ご覧ください。
識字率や国民の文化教養度の比較もしたかったのですが、日本語の文章資料のみでしたので、東大教授のビデオ付きサイトを貼り付けました。
理想は各国の識字率比較グラフでしたが、信用出来ない疑問が付くネット情報は峻別しました。
■更に追加情報もして、追伸で『大阪市立大学名誉教授の経済学博士、山下英次先生と元大蔵省官僚、東京大学客員教授の松田学氏との対談「ヨーロッパ中心史観を排するとき(上)、(下)」のRUclips動画』を貼り付けました。
■日本人としての教養をもっと身に付けて公に公開するに堪える内容にせられたし。
(記)
🟦 100-year-old Japan video collection.
worked by Jan 28th, 2023
■100-year history of Tokyo Station No.1
ruclips.net/video/6Uu7jXSka-o/видео.html
■ Old Tokyo, from Tokyo Station to Asakusa and Ueno areas.
(Time division unknown) No.2
ruclips.net/video/Qndcio-NjYY/видео.html
■ Early Showa period (1921 to 1941) No.3
ruclips.net/video/GO2DXGGN5oQ/видео.html
■ Tokyo in the past and now No.4
ruclips.net/video/uoMDX7GflpI/видео.html
■ Continuing to fly over 300 locations in central Tokyo 2022 No.5
ruclips.net/video/FrYCADQjlNc/видео.html
■Old city of Osaka at Taisho and early Showa era No.1
mainichi.jp/articles/20181121/org/00m/040/021000d
www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000100550.html
www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?page_id=1147
■ GDP of each country before World War II
ameblo.jp/orange54321/entry-11944755619.html
www.komatsudaisuke.com/blog/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E5%89%8D%E3%83%BB%E6%88%A6%E4%B8%AD%E3%81%AE%E4%B8%BB%E8%A6%81%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E5%8A%9B.pdf
■ Population comparison in Western Europe and population in Japan
honkawa2.sakura.ne.jp/9013.html
honkawa2.sakura.ne.jp/1156.html
www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Relation/1_Future/1_doukou/1-1-A01.htm
■ Four permanent members of the League of Nations
United Kingdom
France
Japan
USA
■ Literacy rate international comparison
10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=4522
P.S. ) Extra info.
(important views on history)
🟥 Time to get rid of the Eurocentric view of history
1). Part of 1/2 (on Japanese)
ruclips.net/video/S_S48963ulc/видео.html
2). Part of 2/2 (on Japanese)
ruclips.net/video/hDjCLik9bII/видео.html
■ Kyoto, Osaka,and Tokyo at 1900s. No.0
ruclips.net/video/BzhWejTU9wU/видео.html
鞠つきとお手玉(ジャグリングとおっしゃってた😅)は女の子の遊びの代表💕
昭和30年代までは、まだまだ普通に遊んでました😊どちらも遊び歌のような歌を歌いながら行います。
『あんたがた、どこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ…🎵』これは鞠つきの時に歌った代表曲🎵私も幼い頃、姉達と近所の子とそうして遊んでましたよ😌
昭和の頃まで、男性は外出時帽子をかぶるものだったようです。今でも高齢男性は被られる方が多いですね。認知症のお爺さん、子どもの名前が言えなくなっても「仕事に行ってきます」と施設を離れようとするときに帽子を被ることは忘れない、なんてことはよくあります。
サザエさんでもそうですねー!
ウチの父も生きてりゃ98だけど、ハンチング被ってましたね、通勤時
帽子は当時の流行ですね。ニューヨークの動画でも帽子姿が多かったので恐らく世界的な流行だったのでしょう。
習慣は、比較的、脳の下位層に定着するのか、前頭葉が壊れても、結構活きてるんだね
半世紀前、遊びに行こうとすると祖母が必ず「防止をかぶって行きなさい。」と言われたな
アーロンさんが日本とアメリカの歴史の両方に精通されているのは凄いですね。私は田舎の人間ですので、100年前どころか江戸時代、いや古墳時代の遺物もそのまま現存する土地で普通に生活してます。皆様もぜひ、身近に存在している古墳に注目していただけたら嬉しいです。
赤ちゃんをおんぶする時、寒い季節は「ねんねこ袢纏」という(地域で呼び名が違う)ものを来てましたよ🍀
東京に馬車がないのは、江戸時代から水路と船が輸送の主体で、衛生面(馬糞)や事故の観点からも、駕籠がビジネスとして発展して人を運んでいました。
ちなみに当時のアメリカではこのままでは馬糞で交通不能になり、都市が崩壊するなんて論文も出てます
路面電車が電化される前は馬が引っ張ってた時期もあったらしいけど東京でそうだったかはわかりません。明治になるまでは車輪のある乗り物に人が乗るのは禁じられていたそうです。
へぇーそうなんですか。思いもしませんでした。馬車の方がカッコイイ(進歩的?)のに日本は人力に頼って荷車を引くのも人間なんだって思いながら見ていました。馬の糞については考えもしませんでした。( ¯⌓¯ )
江戸時代から、御府内には馬が乗り入れ禁止だったんですよ。
時代劇なんかで、大名も籠で行来しますよね。
それには、(馬に乗った人)=武力という意味もあったと思います。
幕府の中心地を攻める武力が集まりにくくする意味もあると思います。
昔の日本はイギリスと同じに外出の際は必ず帽子を被りました、夏は日射を防ぎ冬は寒さから頭を守ると言う習慣がありました、江戸時代は手ぬぐいでほっかむりをしたりと頭が大切だとあばあちゃんから言われていました、あとは外出着と普段着を分けていました、他人に見られても恥ずかしくない格好をする事を以前は大切にしていました
それが礼節なんです
外出着と普段着!たしかにたしかに!
少し前まで病院に行くおばあちゃんが普段着からわざわざ着物に着替えたりしていました。でも診察の時、脱ぎ着だけで凄い時間がかかるんですよ。普段着で行きゃあいいのに、って思ってたけど、あれが彼女達の礼節だったんでしょうね。祖父も田舎の百姓の親父なのに、出かける時はコートを着て帽子を被っていた。礼節とは人に対する敬意の現れですね。
大切な事を思い出させて頂いたコメントでした。ありがとうございます。
外出着と普段着の違いだけじゃなくてどんな外出先か、訪問先とどういう関係にあるかで何を着るかを細心の注意を払って選択してましたね(特に女性)
服のチョイスに関してわかりやすいのはジーンズです。
1950年代以前に作られた日本映画とかを観ると、ジーンズは基本作業着労働着で汚れてもいいときに着るもので、お出かけする時に着るものじゃないことがわかると思います。
それが1960年代になると、ブルーデニムじゃないカラーのジーンズに少しファッション的な意味が出てきます。
さらに60年代末から70年代になると、わざと人前で着るものじゃないとされた服を来て出歩くことで反逆的なメッセージを示すことになります。
ジーンズが普通のカジュアルファッションになったのはその後ですね。
1923年の関東大震災や戦争時の空襲等が起きていなければ、沢山の建造・構造物が残っていたかもしれませんね、、、。
そうです。東京だけではありませんが、多くの都市が戦争によって破壊されました。東京に限って言えば、関東大震災と第二次世界大戦による破壊によって江戸以来の文物はほぼ無くなりました。永井荷風が嘆くのもそこです。だから京都などの様々な時代の建物が残っている場所が貴重で大切なのです。しかし破壊があったから新しく都市を作ることができたのは逆説的に幸いでしたが、失われたものへのノスタルジーは大きいと思います。
アーロンさん、自分が育った国じゃない国の歴史を年号単位で覚えてるの本当すごい。尊敬する
日本で育ったのにあやしいくらいだもんな…
日本史の先生出来そう!
アーロンが私の言いたい事を全部言ってくれました❤
そう、東京大空襲で焼け野原になってしまったのです。だから、比較的に近代的な建物が東京には多いのだと思います。
初めてこの映像を見ました。
この比較論的な映像構成は、視聴者が客観的に感じることが出来るので見ていて楽しい。
他番組では日本の良さを一方的に流す構成が多いが、この番組は押しつけではなく、自分で考えながら見聞き出来るので見ていて面白い。
またネィテイブな英語も聞け和訳も勉強になる。今後も期待しています。
🥰
病院勤務ですが、100歳を超えてる患者さん(おばあちゃん)にこの映像を見せた事があります。
そのおばあちゃんは認知症もなく頭もしっかりしているのですが、食い入るように見ながら「懐かしい。」と話してました☺️
でも今ではテレビを観れば、「嵐の相葉くんは…」とか、「(嵐の)翔ちゃんは…」、「大野くんは最近見らんね〜。」等等…笑、最近の芸能人(というより嵐?笑)にも関心のある元気なおばあちゃんです笑
こういう時代を生きてた人がまだこの世の中に存在してるのが不思議です。
でも江戸時代は停滞じゃないよ。平和だったから、市民文化が発達する余裕があった。歌舞伎や浮世絵ね。I think Edo era is not stagnation. Due to the closure of the country, they had peace completely and had leeway to develop cultures like Ukyo-e and Kabuki.
江戸時代の識字率6割は、世界でも異例
農業の品種改良や農具、工具、用水の開発など、発展のスピードが凄まじくて、人口が倍々に激増した時代ですね。
武士より裕福な商人や豪農がどんどん登場したから、士、農、工、商の身分制度が崩壊する遠因になりました。
これを「停滞」と見るのは、戦後のGHQが真実の歴史を隠したからでしょう。
ホントそう。
停滞じゃなくて平和。
町人文化が花開いた時代。
@@yuhyuhyuh777 江戸時代、浮世絵見るとワクワクします。
江戸時代の東京は世界一人口が多い清潔な都市だったそうですね。
木の支柱に下がってる取っ手掴んでクルクル回る遊具は「誘導円木」って言うのよ。
昭和の時代なら、学校の校庭でこれで遊んでたよ。田舎の学校だったけどね。
東京に関しては太平洋戦争と、その前の関東大震災の2回焼け野原になっています。そこから速いスピードで復興しているので、それが凄いと思います。
たくさんある国々の中から、日本に興味を持って来てくださったメンバーなのだなと嬉しい気持ちになりました!
そして、日本の文化を無意識に過ごしている者として、改めて外から見た日本の姿を聞けて良かったです。
海外の人に日本を教えてもらうのも良いですね。
日本は建物が入れ替わったわけですよ
関東大震災(1923年)と
第二次世界大戦東京大空襲(1945年)の2つでね
だから風景がガラリと変わったのは
当たり前と言えば当たり前となりますね
4:09 日本語では「日韓併合」と書かれていますが、「colonized」と英語でお話されてましたね。日韓併合は、「アネクセイション」(annexation)と表現し、これは「植民地化」を意味する「コロナイゼ ーション」(colonization)とは異なり、従属関係ではなく2国間が対等であるという概念だそうです。それにしてもアーロンの博識ぶりは凄いですね!
@@ii2457 GHQのWGIPは国際社会に広められている気がします。
「併合」と「植民地化」は似て非なるものだもんね。
ニュアンス的には180度変わると言うか…。
@@927myspace9 当時日本の影響下にあったアジア諸国に戦勝国側を正当化する教育が朝鮮半島でもドはまりしていますね。当のアメリカでも。日本人は玉音放送での「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の一節を自虐史観によって補強されて天罰とか災厄と思わされてたら庶民は祈る他はないのでは。日本の政治家には若者が政治に興味がないのがいい国だなんて言うのがいますから。
「2国間が対等」← それは無いっしょ。日本と朝鮮が対等・・・ だった?ww
日韓併合は日本による朝鮮の吸収合併だわな。「植民地」じゃないんだよ。文字通りの併合。
会社で例えれば植民地は子会社化、併合は吸収合併(一社化)、かな
「日韓併合」は、韓国が日本にお願いしてきて日本に合併したことです。 二国対等なんですが、また少しニュアンスが違うかと思います。日本に属し新たな県になったような感じです。それで、日本が韓国の町を整備しました。
江戸時代の侍たちが、エジプトへ訪問し、スフィンクス前で記念写真を撮っていますよね。 あの写真はちょんまげ羽織袴に刀姿ですからある意味衝撃があります。
開国前の時代を「停滞」と言われるのはちょっと首をかしげますね……
確かに工学や医学などの技術は西欧が先に進んでいましたが、戦のない江戸時代300年のうちににつちかわれてきた教養の土台がなければ、急激に入ってきた西洋の文化をこんなにうまく取り入れることはできなかったハズです。
その頃に栄えた様々な町人文化は現代の日本の礎でもありますしね。
あと東京の町並みは関東大震災や大空襲で焼け野原になってますので……「あれは残したいor再建したい」と思うような文化建築以外は新しい時代のモノにどんどん建て替えられていくんです。
6:03 9:05 当時は兄妹が7,8人いて、年長の姉が弟妹の子守りをしました。都会では、農村の娘が町家に子守り奉公に入りました。娘といっても10歳未満かローティーンで、彼女らは常にご主人の幼い子弟を負ぶっていたわけです。隣合った商家どちらにも幼い子守りの女の子がいれば、主人の子を負ぶったまま、連れだって近所に遊びに出ることもあったそうです。
部落では、貧しいので、子供を子守に出していた。それが、山本潤子さんの唄っていた、竹田の子守唄です。放送禁止曲となりました。
アーロンの日本愛が凄く伝わって嬉しくなった
この東京の浅草周辺の映像は前から知られたもので何故浅草の映像があり、東京で発展した街の銀座、日本橋、丸の内の動画がないのかはわかる気がします。
大正から昭和初期は浅草が東京の代表的歓楽街で西洋人が見てもワクワクする所、どこにも無い場所だったでしょう。銀座、日本橋、丸の内は見事に西洋化された街でしたがあちらの人にとっては目新しくない。写真は沢山残っているのに不思議です。高度成長期の銀座の映像は素晴らしい、レトロな未来が見えます。
100年前の姿をこんなに綺麗な映像で見られるってだけで興味をそそられます。東京は街並みも人々の服装なども大きく変わりましたが、NYは当時から高層ビルが立ち並ぶ、まさに大都会って感じですね。
丁度100年前(1923年)の9/1には、東京を含む、関東全域が、地震で壊滅した年ですよ!! 皆さんも、【東日本大震災】は、ご存知でしょうが、其れを上回る被害が、遭ったのは、🇯🇵人の心には、今も深い傷跡が遺されて居るのです、私のご先祖様も、何人かは、其の地震で亡くなりましたが、生き延びた人も、「第二次世界大戦」での、🇺🇸軍の、空襲で、焼け死んだりして、戦後は、飢えで(1日に、オニギリ一個で)苦しみながらも生き抜いたのです。 それ無くして、今の🇯🇵は在りえませんでした!!
コメント欄がめちゃくちゃ勉強になるな
アーロン先生すごすぎた…!!
この時代から40年くらいたったAlways三丁目の夕日も大好きでよく見てたな〜😌
この前東京に遊びに行った時、昔の建物の上に明らかに増築した建物も見れて、昔と同じ空間にいるみたいでなんか嬉しかったの思い出した👏
あの風鈴屋さんが 担いでるのは
よく時代劇とかで 見ますよね〜
移動式の屋台の様な
お蕎麦屋さんとか ありますよね
自分が子供の頃は、飴屋さんとか金魚屋さんとか、天秤棒で売り歩いてたおじさんが現役でいたなあ。
節をつけて声を張り上げたり、お祭りみたいな鉦と太鼓でアピールして、聞きつけた子供たちが集まってきたりとか。
思い返すとレトロ感満載の昭和中期で貴重なもん見てたな~と思います。
ジャグリングはお手玉だと思う
たぶんちりめんとかの布の切れ端っぽいのを繋げて縫ってボール型にして乾燥小豆とか入れてたんじゃないかな?家にあったし
お母さんもおばあちゃんもできたし3個とか4個とか同時にやってめっちゃうまかったの覚えてる
あと昔は7人兄弟とか子供も多くて親戚一同大家族でいるのが普通だったから長女や次女の子供は弟や妹の面倒をおんぶ紐でおぶってめんどう見てたんですよ
子供の帽子はたぶん学生帽だと思う大人も外には帽子を被ってたと思う
この和洋折衷の時代の頃のファッションや建物が凄いかっこいい
アーロンさんが、日本の歴史、戦争で破壊された状況からここまで発展したという大事な説明をしてくれて嬉しかった❣️アーロンさん有難う😊
この日本の動画は下町で、ニューヨークは日本で言うと銀座的な場所でのフィルムですね。
勉強しておくと言っても、私は初見のリアクションが好きなので、今のままで大満足です。
十二階と書いてある看板を見て、なんか感激してしまいました
当時はまだ凌雲閣の影響力があったんですね
浅草寺は雷門は映像より前の火事で
本堂は戦災で焼け落ちているので
今あるものは戦後復興の際に再建されたものですね
映像を見て今と同じだと感じられたなら、きっとかつての在りし日の姿を取り戻そうとした努力が実ったのだと思います
昔は今ほど暑くはないですが、やはり夏の暑さを遠ざける方法の一つとして風鈴の涼しげな音で涼を感じていた様です夏を感じさせるガラスの透明感と金魚など涼しげな絵柄もインテリアとして素敵ですよね。音は魔除けにもなると言いますし。風鈴を売り歩く行商の方はきっと夏を告げる先ぶれであり、風物詩だったのかもですね。一個人の憶測として聞き流して下さい。
大変興味深く拝見しました。アーロンの意見も中々よく勉強している様ですが、元々の東京とニューヨークの規模を見落としています。東京(江戸)は100年前はおろか、鎖国中でさえ世界一の都市でした。江戸時代は運河が輸送の要で陸送は大八車と言う荷車が主流でした。これは江戸の街(東京)の街が既に完成した都市であり道路区割りも完成していた為そこを通る荷車の大きさは道路に合わせた為です。ニューヨークを始め世界の都市は江戸に比較して小さく陸送がメイン物流なので道路を広くする必要があった為水道などのインフラを整備しつつ都市が大きくなって行きました。又、服装についてはニューヨークはアメリカ大陸発見以前から傘を差し、帽子を被るスタイルが主流でした。特に女性はベルサイユの頃から日傘を差していたし、イギリスのジェントルマンはシルクハットを被り、傘を持って走るという風刺画が残っている位です。独立前のアメリカにはイギリスからの移民が多かった筈です。コレはキリスト教のカソリックとプロテスタントの宗教戦争が影響しています。などなど色々突っ込みたくなる内容・発言でした。
内容的には興味深く面白かったです。ただ、フジ君は勉強不足ダネ!精進して下さい。
赤ちゃんをおんぶしてる女の子たちは、自分の妹か弟の子守りをしているか、奉公先の家の子の子守りを仕事としてやってるか、どちらかじゃないかと思います。毬つきしている女の子は、遊んでいてもOKみたいだから、兄弟の子守りな感じがしました。ちょっと昔までは、親に代わって弟や妹の面倒を見るのは、庶民は普通の事だったと思います。おつかい(買い物)にも行かされてましたし。
アーロン、すげー、日本の歴史学者だね。
アーロンの話、めっちゃ面白かったし、もっと聞いていたかった!大人になってから歴史が楽しいし、こうやって同年代の他の国と比べるのも面白い。個人的には歴史であまり触れなかった東南アジアや中東、南米とかとも比べてみたい😊
歴史は勝った側が都合よく書き換えられたと言われてる
米国で歴史研究をされている、日本人学者が新たな公表してますよね
隣国2国は日本に助けてくれと言われ助けてあげたら侵略?!なんて言い出すどうしようもない国とは絶対関わるなと後世に残していた福沢諭吉の教訓
100年前の東南アジア、中東、南米は悲劇だろう
日本とタイ以外植民地。
アーロンの話が面白かったです😊
他のヨーロッパはもちろんアジアなどの諸外国も比べて見て見たいです。講師はもちろんアーロン先生で✨
江戸の交通手段は水路だったので道路が必要以上に広くないのはその為も或ると思います。ベネチアに大道がないのと同じ理由です。
道幅の件は、遅れてインフラが作られる場合は更地に作るので広く真っ直ぐな道が作れますよね。ロンドン(アメリカより先に発展していた)に行って道が思ったより狭く曲がっているものも多いことに驚きました。
日本でも戦災で焼かれた街と空襲を受けなかった街では道路幅が全く違いますね。
例外として奈良の奈良国立博物館や興福寺前の道、京都の御池通りの道幅が千数百年前からの街にしては想定以上に広くて驚きました。(因みに奈良も京都も戦災で焼けいてません)
その通りですね。パリの道幅が広いのは、オスマンの大改造による強制立ち退きですけどね。
NYと比較するなら銀座辺りにした方が良いかも。しかも大正時代に自動車無いわけないし。明治時代から馬車も自動車も路面電車も鉄道も走ってますよ。スーツもスカートもはいてます。
とても面白かったです。
日本の映像で「十二階」の看板がありましたが、通称「浅草十二階」というランドマーク的建造物があり、周りに芝居小屋などで賑わっていたみたいです。アニメ「鬼滅の刃」でも賑わっている浅草や、末の弟を背負って子守りしているシーンがあります。ちなみに「浅草十二階」は撮影の約10年後に関東大震災で倒壊(半壊?)して撤去されました。
また、NYの映像で83歳の母が60年以上前に住んでいて、「服装や車の量は違うけど建物や高架橋は、あんな感じだった」と言ってました。船から見る自由の女神も懐かしがってました。
アーロン君凄いわ!
日本男性の帽子の件ですが文明開化から昭和半ばまで習慣的に被ってましたね。
サザエさんの波平さんも被ってますね😂
今回の企画も楽しかったです💖
そうそうカツオ君も被ってました。
5:07 に十二階とあるので関東大震災前ですね。この映像のあと、関東大震災と東京大空襲の2回街が焼失してるかと思います。親戚でこの映像の頃に三十代くらいの女性、生涯着物だった最後の世代かと思います。親は江戸生まれ。晩年はカラーテレビを見て過ごしてました。
親が江戸生まれ?おいくつ何ですか?
晩年はカラーテレビを見て過ごしてた>おいくつ迄お元気だったのですか?
@@さとちん-s8j さま 昭和50年代に80歳代で亡くなってます。
江戸って東京って意味??江戸時代は1868年迄だから
昭和50年は1975年だから最低でも107歳じゃん
@@さとちん-s8j さま 映像に映されている大正10年頃に三十代だった女性の親が、江戸時代の生まれです。
今日、女性が日傘を差すのは、紫外線によるシミ、皺、たるみ等の老化予防が主目的ですよね。
そうですね、アレは風鈴屋だと思います。 サービスで柄を描いてくれていた事があったような?
大変勉強になりました!面白かったし。アーロンさんの説明がわかりやすい😮
同じ頃のNYと比べると、まだまだ日本は遅れていたけど、子供がたくさん居たんだなぁと。
物質的ではない、今はない豊かさがあったのかも。アナさんが子供を可愛い😍と言うのが可愛いんよ!是非またこういう企画をお願いします
明治の終わり頃の映像だと思います。
大正に入ると、関東大震災で下町は大きな被害を受けました。
空襲の前にそこで一度、復興してるんです。
昭和通りの道幅が大きいのは、「これからは車の時代になる」と当時の首相が周囲の大反対を押し切って作ったからです。
1913~1915って言ってるやん 1912以降は大正時代だよ
もっと言うとww1は1914~1918だから日本は既に参戦している
関東大震災は1923だから映像より8~10年後の事だよ><
@@さとちん-s8j 日本のは1911年の光景って動画内で言ってますよ(1:30)。1911年は明治44年。明治は45年まであって=大正元年なので、はのさんは間違ったことは言っていません。1911年は厳密には明治末です。
また、関東大震災は1923年であなたのおっしゃる通りですがつまり大正11年ですから、はのさんの「大正に入ると震災で(=関東大震災が大正時代に発生し)下町は大きな被害を受けた」も合ってます。
その後復興する過程で道幅を広くとったから、今の昭和通の道幅は広い。この画像当時1911年はNYに比べると狭い(17:30あたりのトークへの補足)ということですね。
@@さとちん-s8j 失礼、1913年画像ですね。大正2年ですね。しかし震災前であることは確かですし大正デモクラシーは始まっていません。
また、1912年夏の明治天皇崩御から、日本は国を挙げて長い服喪期間に入っていました。武家から政権を取り戻した現人神の喪で、規模がすごいです。
経済活動が止まったわけではないですが、華美な物や派手な行動は慎む自粛ムードで、装いも地味、洋装も新規建築の落成もなるべく抑えめに、と、文化的には1年ほど停滞しました。
言葉足らずですみません。
アーロンが「東京は戦争で多くの建物が焼失した」という内容を言っていましたが、それはWW2の事だと思います。
しかし、その前の関東大震災で、多くの建物が焼失しているんですよね。
それが、狭い道幅が広くなるきっかけにもなったんです。
そのことを伝えたかったんです。
@@ha-no-lee
理解しました(`・ω・´)ゞ
失礼いたしました
明治の終わり頃の映像だと思います。>
って書いてるけどww
幕末の都市の風景の写真や、街道が賑わってる写真とか、
本物の侍の肖像写真とかも見てほしい
本当にリアルな時代劇の世界だから皆さんのリアクション良さそう
フジさんも笑ってたけど、バイロンが英語のなかに「sajikagen」をぶちこんでくるのがw 日本人でもそうそう使うことがない単語
先人の努力苦労に感謝しきり。
Mr.Fujiの動画では
「〇〇を観てみよ〜!!!」みたいなタイトルコール→「Yeahhhhhhhh!!!!」→(冷静になって)「・・・・What?!!」
みたいなクダリがちょくちょくあって好き🤣🤣🤣🤣
カメラが珍しい時代だから、皆んながカメラの方を見ているのが、微笑ましいですね😊昔は子供でも、赤ちゃんの兄弟を背負って子守りをしながら遊んでいたそうですね。
ヒールはたぶん大正ロマン&大正デモクラシー(1920年)の頃に入ってきたと思いますが、ピンヒールみたいなものを多くの女性が履くようになったのは、たぶんツイッギーが流行った1967,8年ぐらいじゃないかな。でもこの映像は100年より前のような気がします。明治後半ぐらいの1910年前後のような? 日本は明治と大正ではたった10~20年でも雰囲気が全然違うし、100年前の大正時代はもうちょっと西洋的な服を着ている人も多くなったような感じがします。モガって確か大正時代ですよね。地方なら兎も角、映っているのは東京ですから、モガの最先端の女性はチラホラいたような?
銀座の様子を見たかったですね。
@@Ishigoogl 元動画を観たら、1912~15年となっていました。一応大正でしたが、大正デモクラシー運動が活発になる直前みたいです。「農耕社会が」と仰っていますが、モロ東京だったのでその考えが東京人(しかも浅草)にあったかは……。たぶんここに映っている人で農家の人間は3割もいないんじゃないかと。貴族や元武士と一般市民に意識格差はあったのは確かですが、都市商人と地方農民にも意識格差があったはずですし。だから、西洋化が完全に始まる直前だったはず。
@@TheMakoyou まだまだ庶民には馴染まなくてハイカラも貴族界隈の流行でしょうか。この頃のイメージは庶民は上野や浅草の賑わいになりますかね。私が住んでた下町では昭和でも市が立ちましたね。
ツィギーってそんな昔だった?マリリンモンローがヒールを履いてからそれを見て戦後進駐軍の相手をする日本の女の人が吐き出したんじゃないのかな?
@@雪竹亘
そうですね、ツィギーが来日する10年前にマリリンは来日してるので、影響はありますが、一般的に履くようになったのは、ミニスカートのツィギーの影響が強いかと思われます。
マリリンは人気ですが、高嶺の花的存在でツィギーは庶民のファッションリーダー的な存在だったと思います。
このメンバーの意見は素直な発言で楽しく拝見できました。
100年前の映像を見てバカにする事なくあっと言う間に動画が終わりました。
楽しい時間をありがとう!
そりゃあ東京の古い町並みは殆んど残ってはいませんよ。東京大空襲で焼夷弾によって木造建築は焼き尽くされましたからねぇ。
京都に古い建物が残っているのは都市空襲を受けなかったからです。
本映像も凄いし、皆さんの歴史知識には感服するしIQが高い。
銀座とかも見てほしいかな。日本にもビルとこ、近代建築ありますよ。
匙加減だけ日本語でフジさんと一緒に笑ったわw😂
アーロンさんの日本の歴史を知ってるのが凄い‼️私でも知らない事なのに❗日本人として恥ずかしいわ。
道幅の違いは、日本では江戸時代に徳川家康が江戸に侵攻してきた敵が進軍しづらくするために、わざと道を狭くし曲がりくねらせました。
アメリカは、基本軍用道路として道幅を広く取り、戦車などをスムーズに通らせるようにしました。
防衛を考えた日本、進軍を考えるアメリカ。
すでに両国の考え方のアイデンティティが確立していておもしろいですね。
アーロンさんの歴史の解説がが素晴らしく聞き入りました😊
日本で日傘をさす人はここ数年多くなりましたね😊地球温暖化により、紫外線が強くなりニュースでも日傘を勧められるようになりました。その為、ここ数年で急速に雨天兼用の傘が増えた気がします。今の人はお肌の老化予防や病気の予防、単純に日焼けしたくない人が主だと思います。若い子の中では流行りもあると思います😊
アメリカってまだ建国して300年ぐらいですよね、すごいですね😊
最初に皆さんが分からなかった2分40秒ぐらいの肩に担いで回っている人は、おそらく風鈴の行商でしょう。Anaさん正解w 季節の商売として風鈴売りが成立してました。人が荷車を引いていましたが、荷車には名詞があって「大八車(Daihatiguruma)」とい言います。余談ですが鉄道も今年で150周年となったので映像には映ってませんが日本でもすでに走ってました。ちなみに自動車の国産化は1911年から始まったので日本車は走ってません。
15:54
日本人の目線で感じた街の建物のことですけど、日本は関東大震災と戦争でかなり建物と土地の構造が変わったことが大きいと思います。
浅草寺など、大きいお寺や神社仏閣は残ったのかもしれませんけど、震災と戦争で多くの家屋が消失し、今の町になっているのかと。
焼けなかったところもあるにはありますけど、多くは無くなったので。
アーロン物知りなおかげで楽しかった~。いろんな視点で見れて面白い!
東京下町で自分が通ってた小学校には東京大震災直後を写した地元の航空写真が飾ってあって原爆後の広島とかと似た光景だったな…って思い出したところで、そういえば航空写真がこの映像の10年後くらいにはもう普通にあるってすごくね!?って違和感に今さら気付かされました。ギャップがえぐい。
アーロンの話にも出てきてたけど当時の日本の発展度合いって本当にすごかったんだろうなぁ。
戦争無ければ、日本は2000年間
世界一の国ですからね。
江戸は世界一の都市でした
東京の劇場があった所は、浅草6区だと思います。
東京は江戸の昔から火事が多くて、何度も再生し、関東大震災や東京大空襲を経て近代化しているので形もドンドン変わったのでしょう。
袴は日本人の私服の1つです。
学校に通う用の服装として作られたのはセーラー服です。
(雇われていた外国の先生が、着物は勉強に不向きとして考案されました)
現在、大学女学生が卒業式で袴を着るのは、昭和の映画、ハイカラさんが通る(南野陽子さん主演だっけ)の影響とされます
そうです♪人気映画(原作は少女漫画)『はいからさんが通る』で、女子大生が卒業式には袴というのが流行り、そこから今という流れでした。事実、姉は その映画以前だったので卒業式は ちょっとオシャレあらたまった服を用意する程度でしたが、私は…はいからさん以降なので袴姿いっぱいの卒業式でした♪
袴は日本の古代からの伝統的な衣装ですよ。
古墳時代の埴輪が袴を履いています。
昔の日本では、肩に屋台を担いで金魚や風鈴などを売る行商人がいました。
江戸時代には、肩で屋台を担ぎ、様々な商品を売り歩く商人たちがいました。これらの商人は「振売(ふりうり)」と呼ばれ、町から町へと商品を販売していたようです。振売は、庶民にとって手軽な商いの形態であり、多様な商品を提供していました。
動画も、この動画にされたコメントの数々も、とても大切な事を思い出された物でした。ありがとう!
担ぎ屋台 は昭和40年代もまだ横浜にもありましたよ金魚売り,風鈴売り、つりしのぶとか,年がバレますが懐かしいですね😊
和洋折衷の言葉がそのまま映像化されている感じですね
引いている荷車は大八車(だいはちぐるま)という数百年続いてきたポピュラーな運搬車ですね
戦後に鉄フレーム&ゴムタイヤのリアカーに置き換わるまでの代表格
国策 「産めよ増やせよ」の影響からか 大人数の兄弟家族も多く、弟妹の面倒を見るのは姉の義務
弟妹を背負ったままの学校通学や授業は通常の風景
最初の方で出てくるのは担ぎ屋台と呼びれてるものかと...。江戸時代にはもうあったはずです
ニューヨークの道が広くて東京の道が狭いのは日本の1600年代に始まった江戸時代から続く歴史の長さの違いです。江戸は当時から世界一人口の多い都市であり水道も完備した先進的な都市でした。そして第二次世界大戦でアメリカ軍による空襲で東京は焼け野原になりました。石造りの建物と木造の建物の違いがこの空襲で明らかになったのではありませんか。日本は1,300年以上前から世界最古の木造建築である法隆寺にマンハッタンのビルに相当する高さの塔を建築していました。
この動画を見てコメントしようしたことが既に書かれていました。しかも同じ"furanoshoro"さんですが同一人物ではありません。
日本は木の文化だなぁ。
循環させる事が生活に溶け込んでますね。
アメリカもアメリカらしくて素敵ですね‼️
前に1人で見た映像だけど、みなさんの考察で理解が深まった
なんか凄い得した気分になれる様な内容だった🎉
最初の映像は移動屋台で金魚や風鈴や蕎麦の食事もあったそうです。
同じように 移動屋台?で あったのが らおや 昭和40年代まであったかな
昔は たばこを煙管(きせる)というもので吸っていたのです たばこのヤニで詰まったきせるを
らおやさんが 蒸気できれいにしてくれるって仕事を移動で やっていたのです
人の文明や科学などの発展は直線の勾配ではなく2次曲線である事が実感できました。
現代の暮らし、工業、科学に至るまで、幕末や開国からわずか百数十年しか経過していない。
特に、関東大震災、WW2敗戦、311以外にも多くの災害から復活してきた日本人は本当に『不死身』の民族に思える。
3:02
これは移動式の店だったはず!
まさかの店ごと持ち運ぶスタイルで、好きな場所に止まって店をしてたと思う!
今でいう屋台やキッチンカーみたいな?
両端から商品とか出したって聞いた気がする!
3:18 歌舞伎座かわからないけれど、ここで豆知識。かっこいい人を「2枚目」といいますが、歌舞伎の出演俳優が表に必ず飾れていたそうで、その時2枚目の人がかっこよかったから、現在かっこいい人を「2枚目」というみたいです。
現代の日傘事情は何とも言えませんが、歴代の日本文化としての日焼け事情はアナさんの言った通りです。
アメリカの日焼け事情の歴史は全く知りませんが、昔のヨーロッパでは日本と真逆で肌が焼ける事がお金持ちのステータスでした。バカンスに行ける程余裕がある裕福な家庭という証明です。
日本は戦争で焼け野原になったから、この様子はほとんど残っておらず、
NYは一度も大規模な焼け野原になった事がなく(近年ビルに飛行機が突っ込んだ程度でしかない)当時のものが多数残っているのでしょう。
日本の女の子が遊んでいたのはボールじゃなく毬(まり)ですね✨持ち歩く屋台は凄い👍️先駆けでもあるし変わらない人情味もある古き良き時代ですね👌
この時代の動画が残っているのが素晴らしい。
浅草寺のときに映っている小舟町の提灯が吊るされている仁王門(宝蔵門)は、当初の木造の門は東京大空襲で仁王像と共に焼失し、現在のものは昭和39年(1964年)に鉄筋コンクリートで作り直されたものです。動画は木造時の姿が見える貴重な映像となります。ちなみにいわゆる「雷門」は当時は仮設のものしかなく(江戸時代に焼失後再建されなかった)、現在の雷門は松下電器(現在のパナソニック)の創業者である松下幸之助の寄進によって昭和35年(1960年)に建てられたものです。
非常に為になる動画でした
申し訳ないけど100年前の銀座ならニューヨークと似てたと思いますよ
昔のNYの映像は初めて見たので、見比べられたの楽しかったです😆✨そしてアーロンさんの解説、勉強になります👍✨
あと、「Paul look」→「馬車ー😄❗️」がめっちゃ可愛かった🤣❣️
動画内容からは少し逸れてしまいますが、毎回コチラのチャンネルを拝見するたび、笑顔で観ている自分がいます。
毎回どの回でも、皆さんの繊細な感性も素晴らしく、こういう人たち好きだなぁ〜って思いながら拝見しています。
そして今回、改めて各人いい人材が揃っていて、とっても素敵なチャンネルだなぁとも感じました。
色々と大変なこともあるでしょうが、これからも更新を楽しみにしてますね!
戦争だけでなく、NYは地震が無いから昔の強度で大丈夫みたいです。日本はいくつもの震災があって耐震基準が上がったり どうしても震災でガタが来て建て直さなきゃいけなくて…って感じで様変わりしているようです。
日本の映像は浅草なので、ビルがない丸の内は100年前もあったんじゃない?映像がおなじビル街にしないとへん!
この動画面白いなw
出演者の日本人が1番日本の事解ってなくて周りの人たちから動画内の時代考証等、日本の事を教えてもらってるというねw
街並みが残らなかったのは戦争で焼き尽くされたからですよね。戦争がなければ歴史的な建物がもっと残っていてくれたと思います。
本当は、「戦争で」ではなく、戦争時に乗じた民間の市街地への破壊行為。
「戦争」とは、お互いに武器を持った軍人同士、軍施設への対等なルールを持った戦い。
「大空襲」は本当は「大虐殺」で国際法違反で、黄色人種である日本民族への「大量虐殺」です。
ナチスのユダヤ人虐殺と同じで裁かれるべきこと。
連合国側、特に米国の都合でGHQに言葉狩りをされて、正当な「戦争行為」かのような印象操作の洗脳から抜け出したいですね。
@@oa-qm9rxその通りですが、敗者は惨めだということです。勝てない戦争をやったのは、ルーズベルト政権が意図的に日本を追い込んだのは事実だとしても、当時の日本陸軍が傲慢だったからです。
日本人が今も日傘さしてるのは日焼けしたくないし、年数が経つとシミやソバカスになるから、そして今は暑すぎて身体を守るためだと思います。
東京の土台を造った徳川家康と家臣たちが偉大だなと思います。全国へ繋がる街道、水運のための川の整備と上水道の整備。
大正時代は華やかに感じるのでタイムスリップしてみたいです。江戸時代に行ってちょんまげの人々も見てみたいですね。