Excellent research, l am a die hard fan of modelling hobby. In fact l relish the idea to read for a research degree in anthropology and the research topic is, " Post war era Japanese model building hobbyists from 1960 to 1980"
Tamiya, Otaki, Nichimo, Fujimi, Mitsuwa, Hasegawa, 童友社.Midori, Nitto, Bandai are the venerable names that l am familiar with since l was in junior elementary school
I LIKE TAMIYA CAVALRY MODEL IN 1/35 SCALE. IN THIS MODEL, THERE ARE 1 HORSE AND 2 PERSON, ONE IS A HORSEMAN AND ONE IS A STANDING SOLDIER WITH A MP-40 SUBMACHINE GUN. I HAVE BOUGHT A LOT OF THIS MODELS SINCE THIS STANDING SOLDIER. I CAN TRANSFORM IT TO BECOME SO MANY DIFFERENT PERSON THE MODEL CAVALRY (THE HORSEMAN AND THE HORSE)IS ALSO USEFUL. I TRANSFORM IT TO BECOME SO MANY DIFFERENT CAVALRY, SUCH AS THE HAN CAVALRY OF ANCIENT CHINA
今でこそプラモデルは組み立てて無いけど、私は小学生の頃からプラモデルが好きで好きで良く作ってました、色々作っているうちに「タミヤ」の正確で作りやすいプラモデルが好きになり特別な模型が無い限り「タミヤ」を選ぶようになりました。「タミヤ」さんありがとうございました。
ちなみに私は74歳です、今でもバイクの模型は28台 車は7台有ります。
小松崎茂先生の箱絵(パッケージアート)は最高!
タミヤのスケールモデルのあの吸い付くようなパーツの合いの良さほんとすき
模型と言えばタミヤ。世界の常識よ。青と赤に星のマークを見ると心躍る。
半世紀以上収集して4000個ほどになりました。タミヤがある時期から白箱と呼ばれる
余計な背景の無いシンプルな箱が安心の目印。正確なので誰でもきれいに作れる。
収集してるのは車中心で特にレースカーに力を入れていますがタミヤのキットは
素晴らしいですよ。
7/1をもって田宮俊作さんが社長職を交代されました。これまでの功績を讃えて長い間ありがとうございましたとお礼と労いの言葉をかけたいです。そして新社長もこのタミヤのクオリティを受け継いで頑張ってもらいたいと思います。
箱のイラストが良いんだよね😂
実はタミヤはスケールモデルではあんまり儲けてないんだよね。
まあ、確かに、ウォーターラインシリーズの大和・武蔵は、実に240万個も売ったそうだから、あれは儲かったけれども他のスケールモデルはそれほど売れてない。
一番売れたのはミニ四駆だそうだ。
タミヤの社長がそう言っていた。
そのあまり売れないスケールモデルを今だに製造しているのは実にたいしたものだ。
金型のメンテだけで結構大変だと思う。
子供の頃買っていたプラモデルは文房具店や駄菓子屋に売っている安いキットばかりで、タミヤのキットはクリスマスや正月くらいしか買えない高嶺の華だった。スーパーカーブームの頃カウンタックのキットをよく作ったけどタミヤの出来映えは群を抜いていた。
駄菓子文具屋プラモで定番は、小学館の年次月刊の裏表紙広告を飾ってたアオシマと、今やガンダムスケールとなった1/144のLSの100円飛行機でした。
ちょっと後になってバンダイの宇宙戦艦ヤマトの100円キットが席巻しました。
ガンダムは私が中学生あたりまでは人気に入荷が追いつかなかったから文具屋は扱わなかったなぁ。
ハセガワミニタリーシリーズはタミヤより
お値打ちで子供には助かりました。
安い分サイズはかなり小さかった。
Thanks for this Special History!
どこの模型店にも必ずタミヤの模型は置いてあるぐらい「日本の模型メーカーといったらタミヤ」、というイメージがありますね。(たとえ模型を置いてなくても塗料や素材なんかは必ず置いてある)
バンダイのガンプラも近年ギミックや作りやすさが向上していますが、やはりタミヤのネームバリューは別格でしょう。
今回タミヤの模型メーカーとしての歴史を見ることができて本当によかったです。
次回の動画も楽しみにしていますよ。
小学生の頃1/12のタイレルを母親に無理をして買ってもらった事があります。小学3.4年生くらいだったと思いますが、とても組み立てが難しくて完成せず挫折した記憶があります。確か2000円か2500円くらいだったと思います。母も子供が、このおもちゃで少しでも成長してくれればと思っていたと今にして思います。でもそれが、プラモデルが趣味になる始めの一歩だった。還暦を前に今だプラモデル愛はあります。
@@古川信-w7x
男ってのは歳を重ねても幼少期の追憶からは逃れられないものなんですかね~。
アラフォーですが自分も幼少期に買ってもらったガンプラやカーモデル、陸・空の軍用機が今の趣味に繋がってます。
当時キレイに仕上げられなかったキットや今は絶版になった物を買う楽しみも加わっただけに悩ましい趣味ですw
ミリタリーモデルは1/35スケールが世界標準ですが、タミヤが始めたスケールなんですよね。市場を主導したメーカーの規格が標準化するとはいえ、模型文化が先行していた欧米には1/32スケールのモデルカーや飛行機プラモ、ストラクチャーがたくさんあるのに並べられず、なんとも罪深いです…。
MMシリーズはモーターライズ仕様に合わせて電池やモーターを納められるサイズでリリースしたから、結果的に世界的にも1/35スケールが定着したみたいですね。
@@haru-wh6ki しかも最初のパンサータンクは実際は1/32に近かったそうだし、シャーマンなど一部の戦車は電池とギアボックスを収めるためにシャーシが1/32に近かったりしてるので、最初から1/32にしとけばよかったのである
同じタミヤ製でも陸上兵器と航空機を並べられないのが何とも
田宮はインチ単位の縮尺をミリ単位に変えたかっった様ですね。
航空機は1/50と1/100を出しましたが結局は他社が追従せず、自社もラインナップを充実化出来ずに諦めてしまいました。
上手くいったのは艦船の1/700でしたね。
@@MITOGOROSA 一応、1/50は航空機ソリッドモデルの国際スケールで、また海外メーカーのプラモとしては、メートル法の国であるフランスのエレールが出していました
私にとってのタミヤは、何と言っても旧日本海軍の 1/700 ウォーターラインシリーズ艦船模型! 空母系はほとんど作ったかなぁ。
甲板を四角く くり抜いて透明プラバンを貼り、艦載機が翼を折りたたんで格納庫に収納されている状態を よくスクラッチで作りました。
1/25シリーズの戦車が憧れでした
確か1/20と1/25が混在してボックスアートの情景も最高 模型店の上の棚に乗ってて中を覗く事も説明書を読む事も出来なかった
キャタピラが本物みたいでかっこいい
田宮の船は大和を何回か作りました。タミヤかどうか忘れたが、 空母「信濃」を作ったが飛行機がチャチだなと思いました。飛行機はBー17が作りがいがありました。サーキットは模型店に有よじゅ遊ばせて貰った。
タミヤ模型の1/35のミリタリーシリーズ?は大きいから子供には高いんだよね
だけど、その後そのノウハウを元に1/48を出してくれたり、飛行機も高いクオリティで販売してくれた
ミニ四駆で稼いでスケールモデルを出してくれていたんですね
子供にはバンダイの1/48の戦車の方が手にし易かったと思います
個人的にはソラモデルが好きでハセガワの1/72や1/48を多く作っていたのですが、タミヤも高いクオリティでソラモデルを出してくれてお世話になりました
子供の小遣いで手頃なのは1/72とウォーターラインシリーズの駆逐艦辺りだったと思います
プラモデルマニアです。タミヤの偉大さを改めて痛感致しました。素晴らしい解説、ありがとうございました。とてもためになりました。
個人的に好きなモデルは
1/12 ウィリアムズFW14Bルノー。
作りごたえ十分でした😊🏁👍
後作成したことはないですが同じスケールのフェラーリ641/2、タイレルP34シックスホイラーも好きなモデルです。
ミニカー全盛期のご時世でも会社として生き残れるのは凄いと思います。
頑張れタミヤ!
模型 タミヤ これらを回顧出来るは70代上になってしまいましたね 40年前には 模型店店主は言う
「今プラモ買うは30代以上 若年は「買ってくれません」でしたね そうね時代は大きく代わりました
からね マブチ イマイ ニチモ この名前もわかるは70代以上 もうねえっ今時模型などの
ことを上げたところで無意味?かもですね自分は昭和40年ころから始めた模型作り だで60年ですね
永い付き合いになったけど 10年前にはもうつくらなく過去に作ったものを眺めるだけ
歳取ると目がねえっ 老眼出た?と思った瞬間も模型を作ってましたね で白内障も患い手術
懐かしくも大切にしていたいけど歳には勝てませんです
自分は、何と言っても1/35のミリタリーシリーズです。単純にドイツ軍の兵器、軍服のデザインがカッコいいとか思っちゃってました…あと、1/35人形改造コンテストってのがあって、自分はストームトルーパーに改造したなぁ…懐かし
乗馬セットと憲兵隊セットを併せて検問の
ジオラマを作りました。
Tamiya is the best model kit maker in the world ❤
小学生低学年の頃、タミヤの戦車何台か作りましたね😄懐かしいですね😄
タミヤのMMシリーズは、我が人生ですね~🤔
メカミリと美少女は非常に相性が良く、同人界隈ではそれを経験的に知っていたようで昔から盛んに一緒に描かれていました。その応用というべきか80年代に入り採用したプラモのモ子ちゃんはタミヤという当時の子供から見て生真面目でちょっとお堅いイメージを突き破るキャラクターとしては大成功だったと思います。
懐かしい、小学校の近くの文房具店に、木材組み立て、国鉄貨車組み立てキット良くかって組み立て、塗装したりして、遊んだものだ、それから、数年して、モデルカーレーシングがはやり、タミヤの、24分の一、マクラレンの、スロットカーのキットを胸ワクワクして、買ってスロットレーシングカーコースで良く走らせ、遊んだものだ、私が14歳の頃だ、よく遊んだ。当時が懐かしい、懐かしい!
タミヤの模型は子供の頃はリモコンの戦車等を作ってました(近所の遊園地で時々大会がありました)その前ではタミヤ製のジョー90のマックスカーDX を長男が作っていた事を覚えています。タミヤ社は人形改造コンテストも毎年出されるガイド本やタミヤニュースは楽しみがありました
1/25パンサーの組み立て式の無限軌道には感動した。もちろん1/35のポリドライバー&割りばし釘の焼止めの無限軌道もだけれど。ゴムじゃないんだもの。M4、T34辺りはゴムだったよね。走るⅡ号戦車も素晴らしかった。
今はプラモデルを作る暇もあまりなく忙しい毎日を送ってます。でもこの動画をみて昔作ったプラモデルを子供と買いに行きたいと思います。
ガンプラの発売に親が開店前のデパートに並んでいたのを覚えています
いいねえタミヤ。プラモメーカーシリーズやってほしいなあ
タミヤの戦車模型のオリジナルネーミングもオジサンには懐かしいです。
ヤークトパンテル→ロンメル襲撃砲戦車、AMX-30→ナポレオン、SU-100→ジューコフ
1/21三号突撃砲→ハーケンクロイツ 等など
田宮模型で初めて知った戦車も多かったよな。Ⅱ号戦車(歩兵4名付いて300円は子供に優しいお値段)
イギリス6ポンド砲も田宮のキットで知ったよ。
静岡ホビーショーと同じ日にタミヤ本社の見学会に毎年訪問しています。
木製模型から最新のRCやミニ四駆まで、社内の歴史館は圧巻です。
あらら、懐かしいですね。
1/35の戦車は作りましたね。
タイガーI、ロンメル戦車を作った
覚えがあります。
いま思うと高価でしたよね。
なかなか次から次へとは買えませんでした。
塗料レベルカラーもバカになりませんでした。
今みたいに通販なんてないし、
街中まで自転車で買いにいきました。
売ってる店も商店街で1店、だからでしょうか
こちらは子供だし横柄な接客でした。
書店、レコード屋、ジーンズ屋、スポーツ用品店、
あのころの仙台商人などみんなそんな態度でしたが。
田宮は戦車に勝手にニックネームを付けるのが有名ですね。
5号駆逐戦車のロンメルとか有名ですね。
ウオーターラインシリーズの好きな艦がタミヤだと本当に嬉しかった。大和型を発起社として確保したのは正解だったと思う。ながむつはがっかりしたもんな… あとタミヤで忘れてはいけないのはエナメル系塗料のパクトラタミヤ。
1/35のミリタリーミニチュアシリーズが好きでよく作りましたが、ドイツ兵のプロポーションが頭でっかちで、イタレリと比べると随分見劣りしてました。あと1mm頭部が小さければなあと。その後フィギュアの金型は輸入物が入ったのでずいぶん変わりました。懐かしいなあ。
タミヤがラジコンを始めたのは、1/8GPラジコンカーのTSR(チームシズオカレーシング)のメンバーでもあった滝文人さんが入社してからでしょうね。
1/8GPバギーをキャットバギーで始めた私にはTSRのメンバーはオンオフ問わず速かったですね。特に滝雄次さんは、オンはアソシエイテッドR1で オフはキャットバギーでとても凄いドライバーさんでした。後に私もクライマックス・タイプR2で1/8レーシングカーも始めてから、JRCC大井競馬場第三駐車場でのレース時に文人さんにお聞きしたことがあります。「雄次さんと文人さんて、ご親戚なんですか?」ってね。文人さんの返事は、「それ、たまに聞かれるけど親戚でもなんでもなくて他人なんですよ。」でしたね。
ミリタリーミニチュアシリーズとウォーターラインシリーズはよく作りました。
明日は久しぶりに模型を買いに行こうかと思います。
タミヤと言えば、昭和のホンダF1でしょう。
車のラジコンについて
他のメーカーは、入門機から部品交換などのカスタマイズを繰り返して、世界チャンピオンと同様の仕様にできる様な売り方をしていたのだが、
タミヤのラジコンは、入門機→中級機→上級機と買い換える事が前提の売り方を最初の頃からしていて、他のメーカーも同様の路線に切り替わった結果、同じモデルを大事にという事が難しくなった印象です。
特にタミヤが世界チャンピオンになってからこの印象が強くなった、と思います
模型本体も素晴らしかったですけど接着剤や塗料、細かいパーツ類の供給もされていて他とは違うスタンスのメーカーでしたね
70年代には既に今でも通用するディテールのキットを出していたタミヤですが、今では国内各社は勿論中国や東欧系メーカーのキットも遜色のないモノになりました。しかし、50年造られることを見越した金型作り、組みやすさ、適度な省略など、総合面ではスケールモデルナンバーワンは未だにタミヤだと思います。ガンプラも概ね21世紀に入ってからは変態的、驚異的ではありますが。
記憶に有る木製キット!かなり高価で中々買ってもらえなかった、模型やのショーケースの前でへたり込んで大泣きし親に買ってもらおうと駄々をこねた記憶がうっすらと有る、今は現役引退し模型製作で収入を得ているけどガキの頃の反動かな
小学校や中学校の時のプラモのメーカーで自分で作ったので覚えているのはバンダイの1/20シリーズでそれ以外はメカーは覚えてないですね、あんなにたくさん作ったのに・・・。スロットカー(スロットルレーシング)は中学の時に近くの大きなプラモ屋さんの3階にサーキットがあり毎週れーすが行われていました、私もシャシーから自作で作り参戦していました、ストックカー。フォミュラーカー、GTカー(カンナムや日本GP出場車)色々作り参戦しましたね、この時にクリアボデーの塗装にハンブロールのエナメルを使っていましたが、これが優れモノで乾燥に時間が掛かる代わりに筆塗りでも刷毛目が解らい程に綺麗に濡れましたね。その後成人し事故で入院し退院後リハビリしてる時に保険金でプチセレブになったときにタミヤのカタログを取り寄せて1/12シリーズのカーモデルを作りまくりましたね、その後1/350の大和と武蔵を作り、大和は戦艦好きのお寿司屋さんにしばらく飾られていましたね。定年後の楽しみにと10年ほど前からまた集め初め1/24スポーツカシリーズ、1/48傑作機シリーズや1/18チャレンジシリーズ、1/350戦艦や空母、最近はハセガワ、フジミ、童友社、等集めまくってます。タミヤさんのは絶版が多くて、オークションサイトではプレミアがついてとても買えないのが多くなってますね。そういえば昔はタミヤさん以外は各部品の合いが悪く苦労したのを思い出しました。
パンサータンクの次の世代位から、主に戦車を作ってました。田宮のプラモは組み立てやすくなおかつ精密で自分ら地方のガキどものあこがれの的でした。後に、当時の組み立て説明図は現会長の田宮俊作さん自ら書かれておられたやに伺いましたが、それらを通じて直接間接に経営者が消費者と接する事で、あの品質の高さとメーカーに対するファンの信頼を得ることが出来たのではないでしょうか。半世紀以上前、友達が買ってもらったホンダF1のキットを見て、その精緻な仕上がりに驚愕した事はよく覚えています。田宮が気を出せば、現在いろんな海外メーカーが作っているEVなんかよりはるかに上質な実車を作れるんじゃないかと思います。
この表紙のキングタイガーアキバで5000で売れた!当時の箱絵は迫力あったよね。
小学生から中学生にかけて(昭和48〜53年頃)田宮のミリタリーミニチュアシリーズにハマっていました。
高校生になったらプラモデルから遠ざかり、42歳の頃子供にガンプラを作ってやったのをきっかけに出戻りモデラーとなり飛行機を主に作ってましたが、最近では子供の手が離れたのをいい事に3Dプリンターによるアダルトフィギュア作りにハマっております😀
プラモに命を吹き込む作業に没頭した私達世代は すでに65歳を超えました。現代の子供達にも 手先の作業をやって欲しいですね
それを見て驚いていた我々40代の世代は若手ですよまだまだ。
同年代ですね。蒸気機関車D51とか、ラジコンではなくリモコンの戦車で、こうして旋回するのか
理屈を初めて知りましたね。当時中学生。
今17ですけどプラモデルで楽しませてもらってます。タイガー2重戦車でジオラマを作ろうと悪戦苦闘してる最中です笑
懐かしいですねえ。昔の城郭は今や文化財で、軍事施設と思う人はいないでしょう。これは現代では軍事的な役にたたなくなったせいでもあります。火縄銃や幕末期の軍艦がもはや武器としては役に立たなくなり、歴史的文化的遺産となったように、戦車や戦艦、戦闘機が過去の遺物となり、模型という文化的な価値として愛顧されるような時代になるとよいですね。
昔のプラモデルは接着剤が付属されてその接着剤をいかに上手に使うかがポイントでした。
接着剤が多いとはみ出るし少ないと上手く接着しませんでした。
瞬間接着剤など無く昔のプラモデルは組み立てに時間が掛かってました。
出来上がった時の充実感は凄かった。
ハイジョインセメント、今のキットは付属するのはグリスぐらいになってしまいましたね
付属の接着剤はチューブタイプはまだ良かったですがひし形のパウチタイプの接着剤はうっかりすると出過ぎたりするし量も少ないので途中で足りなくなったりしました。
当時田舎のプラモ売ってる雑貨屋だと当初プラモ用接着剤が売ってなくセメダインCを使ったのですが硬質プラスチックも接着可となっていたのになかなかくっつかなくて大変でした。
私も昭和のタミヤと言えばラジコンで小学生の頃からスーパーカーのラジコンに憧れましたが。
東欧、模型業界にも貢献してますね👍
いや、東欧のメーカーも凄いよ。
ミニアートなんかのストラクチャーはその精緻さでタミヤを凌駕している物も多い。そもそもタミヤはストラクチャー系が圧倒的に少ない。ジオラマ作りには不便です。
ポーランドのミニスケ、日本戦車のプラモは流石!!飛行機のハセガワさんとイタリア、エッシーのタッグで戦車も76分の1から72になったみたいだし、タミヤさんの48戦車もBANDAIさんを経由してモノグラムさんの模型飛行機なんかのスケール発祥みたいに思えるのだが?なんか、日本の戦車プラモだけ、世界の車産業にもスケールで同期してますね!!車産業は、平和主義で良かったなぁ?ガルパンに出て来る学校は面白いのにウクライナ、ロシアパワー分裂しては気の毒です。ズベズダのミニスケ、マウスにもビックリでした?😵
15:03 当方(昭和51年生まれ)もそうでした。しかし本当にリアルになりましたなぁガンプラは…それでも、U.C.ハードグラフを1/35スケールで送り出させたのはタミヤの影響力だと思います。
過去に模型の卸問屋で仕事をしていた時、タミヤのRCモデルの完成見本をよく作りました。RCカーを始めたのもタミヤのポルシェ935でした。
余談ですが、初期のミニ四駆はスケール重視で今のレーサーミニ四駆とは大きくかけ離れていました。これは当時のタミヤの社長の還暦パーティーで、出席者へのプレゼントとして贈られたのがきっかけだったと聞いています。
ミニ四駆というと、
実はタミヤに投書したことがあって、
『御社はなんで三菱の車出さないのか』
と(⌒-⌒; )。
(スカイラインやセリカに至ってはモデルごとに更新までされるのに全く出さないってかなり苦った文面でしたね)
ギャランやランサーが大好きだったのでリクエストしたら返事が来て、
『今度の新製品で三菱車出します』
って返事来たんです。
それが第一期ミニ四駆のパジェロでした(^_^;)。
ただ当方としてはスケールモデルが欲しかったので、大塚康生氏プロデュースと言うコアさまでアダになってしまいました。
スケールモデルは社会人になってからパリダカで優勝したパジェロまで待たされて、その頃にはプラモ辞めてました。゚(゚´Д`゚)゚。
苦い思い出です。
タミヤ1/35MMシリーズ当初はリモコンタンク買ってました子供の頃はタミヤは高嶺の花でした雪国なので1/35より1/25戦車の方が走りましたモーターライズが無くなり最初の型はモーターライズ在りきだったのでそのぶん設計が走る事にデザインがされていてそれが不満でしたが他社よりはまだ比較的にマシな方でしたのでのちのスーパカーブームの時は良く作ってました
Excellent research, l am a die hard fan of modelling hobby. In fact l relish the idea to read for a research degree in anthropology and the research topic is, " Post war era Japanese model building hobbyists from 1960 to 1980"
Tamiya, Otaki, Nichimo, Fujimi, Mitsuwa, Hasegawa, 童友社.Midori, Nitto, Bandai are the venerable names that l am familiar with since l was in junior elementary school
一頃、ドイツ戦車にどハマリになりました。😅 😅
人形改造コンテスト😂
40代前半~後半世代だと多分ミニ四駆が
すぐ連想されるであろうメーカーかと。
自分はそこから色んなシリーズに手を出して
いった口だけど、ミリタリーミニチュアだと
イタリアプラモ大手のイタレリの名前を国内に
知らしめたメーカーのイメージも。
スポーツカーシリーズはどれも出来が良く
夢中になって作った覚えがある。
ただ最近の新作はレーシングカーばかりで
飽きて来た感はある。
タミヤのプラモデルは1/35スケールのミリタリーミニチュアシリーズと1/100スケールの戦闘機のプラモデルを良く作った
後、タミヤニュースも買ってた
自分は1970年生まれで小学生の4年のころにラジコンに夢中になってましたが、プラモデルも良く作りました。やはり今と当時の模型の違いは原型から金型を作るか、キャドで作るかの違いだと思いますよ。当時のタミヤのフィギィアは服のしわや顔の表情がリアルでしたし、ボックスアートや取説の挿絵もとてもセンス良く子供ながらに大人の世界を模型で楽しめたんだけど、今のタミヤにそのセンスは無いと思う。それに今の時代は意匠や権利の問題があるからね、当時はおおらかなもので、特にカーモデルのスポンサーのデカールやタイヤのグッドイヤーの刻印なんかにすごくそそられたものだけど、今はオリジナルのそれ風のデザインのものに変更してたりするでしょ?そこも悲しいところなんですよね。自分でデカール作っちゃえばいいんですけど、、それと今のタミヤはやはり技術や伝統の核心は継承されてないのかなと思う。それは人から人に伝える職人技のようなものだからね。若い世代には若い世代で受けるセンスやカルチャーがあるのだろうが、本当に良いものというのは世代を超えて受けるはずだからね。でも自分は今のタミヤには受けないからさ。おかしな方向に行ってるよね日本も田宮も。それとも自分だけがおかしいかのどっちかだが笑、当時の様にあこがれたものを模型にしてわくわくさせてほしいよね。
静岡ローカル番組かもしれませんが日曜早朝はタミヤRC系の番組放映されてました、司会は地元の星🌟若き日の春風亭昇太師匠だったような
「タミヤRCカーグランプリ」ですか? テレビ東京系列が映る地域ならだいたい放送されてたようですよ。うちはテレビ愛知で日曜朝でした
ナレーションは小倉さんでしたね😊
(アナログ波)テレビ愛知映らない"しぞ~か"エリアでは、テレビ静岡だった模様です。
*放送記憶「何となく」な、トイRCちょい触れた程度‥‥
タミヤと云えば……。
やはり『戦車』を中心とした『ジオラマ』だろうか?
戦車の他に『米軍、独軍(他)の歩兵セット』
大砲、トーチカ、バリケード、看板、家畜
果ては
『ロンメル、パットン、マッカーサー、モントゴメリー』の
『ジェネラルセット』まで有ったな~😂
ランボルギーニ買えんかった。
プラキット黎明期のタミヤを救ったのがハマライト(旧 日本プラスチック)だったらしいですね。その社長さんの提案でベビートラック、ベビーレーサー等の金型を安く仕入れたらしいです。(ベビートラックは外国のおもちゃ会社のミニカーのコピーだったとの事)
昔、何かのイベント(ホビーショー?)のついでに本社に行ったけど、無料でベスパのキットをその場で作ってくれたりして、サービス精神がスゲーな!と思った記憶。
I LIKE TAMIYA CAVALRY MODEL IN 1/35 SCALE. IN THIS MODEL, THERE ARE 1 HORSE AND 2 PERSON, ONE IS A HORSEMAN AND ONE IS A STANDING SOLDIER WITH A MP-40 SUBMACHINE GUN.
I HAVE BOUGHT A LOT OF THIS MODELS SINCE THIS STANDING SOLDIER. I CAN TRANSFORM IT TO BECOME SO MANY DIFFERENT PERSON
THE MODEL CAVALRY (THE HORSEMAN AND THE HORSE)IS ALSO USEFUL. I TRANSFORM IT TO BECOME SO MANY DIFFERENT CAVALRY, SUCH AS THE HAN CAVALRY OF ANCIENT CHINA
ホンダF1の1号機は本田宗一郎に送られて関心されたと聞いた。RCの934ヴァリアントとLP500S ブラックカウンタックは小学生の頃持ってたな
1/35MMシリーズの現代戦車は良く作ってました。74式が出た時は一気に6台ほど作りましたわ。
74式と言うと、
特徴である油圧姿勢制御が可動ではなかったですが設定できる仕様になってたのが印象に残ってます。
変更するにはアームをつける部位のツメを切って、従輪の並びを揃える治具がパーツとして用意されてました。
戦車なんかも塗装しましたが。
すいません1/35の兵隊さんでダースベイダーやルーク・スカイウォーカーをパテやプラ板で作ってました……。下手でしたが。
伊東彩さんのいうとおり「ものを作りたい」というあの情熱はなんだったんでしょうね? 無価値だったとは思いたくないですが。
売場面積の殆どを占めるのはタミヤをはじめとしたスケールモデルの数々で子供向けのキャラクターモデルは店の片隅に少しだけ…なんて今とは全く逆の状態だった模型屋や模型売り場を憶えてる人、今ではどれだけいるのやら(^^;)
でも、ジョー90シリーズはありましたよね。
タミヤが自社企画でキャラクター版権物をやらなくなった原因と言われてますよね。
ジープ作ったなぁ 凝って作ったけど飽きっぽいから1回だけだったけど
戦車のプラモは作ったことあるけど、モーター付いてたからスケールモデルじゃない、じゃぁタミヤじゃなかった?
ポルシェ934のラジコン、持ってたわー マシン刑事999を読んで
当時の何かの雑誌の「売ります買います」で中古で 今のヤフオクメルカリですね
その後のラインナップ見てると、サーキットの狼で出てきたのばっかだ
ポルシェ935、ランチャかっこいいわ〜
ミリタリーミニチュアでもモーターライズ対応の製品はありました。
(別シリーズだったかもしれませんが、外面はスケールモデルと同じでした)
確かワイヤードリモコンで左右のキャタピラ(当時の表現)の前進後退ノブを動かして超心地転回も出来てた。
西ドイツのゲパルト対空戦車では車体の走行に加えて砲塔もウォームギアで動かせる3チャンネル仕様でした。
@@えの川散歩 M1エイブラムス初期型の頃まではモータライズ仕様も出してましたね、その後モータライズ製品は途絶えましたが近年ラジコン化バージョンや新たにシングルモーターで稼働するバージョンも出したりしてますね。
そういえばモータライズのゲパルトは作るのがもったいないと押入れの肥やしになってます。
世界のタミヤやし…
入り口は1/24自動車でしたが、世代的にはミリタリーミニチュア絢爛期でした。
このシリーズは本丸の戦車でなく兵士が200〜300円でかなりの数買えたことが大きかったです。
当時のプラモはお財布にも優しかった。
同じ理由でのちに長谷川の航空機に浮気しましたが( ̄▽ ̄;)。
(コチラもレシプロや単発機なら300円でお釣りが来た)
ワンカット出た忠臣蔵は、見かけて即買いしました。刀や弓の小物が手に入ると喜んだのも束の間、
本体の着物の絣や紋所などを1/35に筆でトレースできる腕もなく数年死蔵、リサイクルショップに売りました( ; ; )。
個人的な意見ですが、TAMIYAはちょっと高かったから、自分はハセガワでした😅
傑作機シリーズは1/50で、後に始まった1/48とは別物('70年代半ば頃まで並行して販売)ですな
プラモのモコちゃんの言及が無い やり直し
タミヤ、ニチモ、ハセガワ、アオシマ、イマイ、バンダイ、、、Est 流行り廃りのないミリタリーミニチュアはタミヤがトップでしたね。 精密な部品数と適合性は 金型の精密性の差でした。50年以上経過していてもピッタリ適合します。改造も電動化もイージーでした
あと意外とリアルで、ハンドル連動でステアが切れてドアが開くモデルもあったアリイも(^◇^;)。
昭和50年頃の田舎のアーケード商店街にも模型屋があって、ショーケースにジオラマが飾ってあった。
タミヤRCカーグランプリ
次はタカラの昭和史をやって欲しいんですけども、やってくれますか?
よろしくお願いいたします。
申されて いました、では なくて、おっしゃって いました、ですよ。
ウォーターライン、タミヤの社長が強硬に反対して、ピットロードの加入を認めなかったのと、
売れ線の艦船をタミヤが独占したためフジミの脱退を助長した印象があります
70歳代男性です。俺が小学校高学年の頃、一部の大人は兵器 武器の模型は子供達に悪影響を与える…と 決め付けて戦闘機や戦車 軍艦のプラモデルを 有害玩具と 言ってました。
俺は 言論や思想の自由 と 言いながら… 気に入らん物には 目茶苦茶
な 事を言う! と…
進歩系のインテリ連中が嫌に成った。奴等の同類に成らんで善かった。
ラジコンの初販はポルシェ934じゃなかった?
自分は935とP34とXR311もってるけどなかなか遊ぶ暇もない
タミヤ最初のラジコンモデルは、M4シャーマンですよ。最初のラジコンカーは934で間違いありません。
そうだ。シャーマンがあった
シャーマンといえば、ワイヤードリモコン全盛期に、マイコンを積んで走行パターンを登録し、リモコンコード外して擬似ラジコンで走らせられるモデルがありました。
高額な割に操作が煩雑らしくて後が続きませんでしたが。
田宮の大和はニチモ相手に大爆死。致命傷で済んだ。
回顧録だとニチモの方が大きめで、喫水下が赤に色分けされていたとか…
両社とも1/200の最大クラスの戦艦大和(タミヤのは木製)や
水陸両用車を出していたり対抗心があったのでしょう。
プラキット黎明期のニチモはゴム動力の潜水艦でヒットを出していたり、業界で先手をとられていたのも敗因だったのだとか。
タミヤRCカーグランプリ~byオヅラさん
タミヤと云えば「ヤークトパンター」を「ロンメル」と命名してしまった事ですね!